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給仕の亜人娘が空の器を静かに下げていく。
南方の珊瑚礁の美しさだの帝都の焼き菓子の流行りだのなんだの、果ては今年の冬麦の出来に至るまで、あたりさわりのない話題を手際よく捌くリキュウの腕前は流石の一語に尽きるが、この男がわざわざ白鷺館を借り切ってまで麦の話をしに来たわけではない。
「実はこの度お招きした本題は、御用商人のお願いだけではございません」
「でしょうね」
「我がサルカイ商会もヘルガ様にご協力させていただきたいのです」
「協力、ですか。サルカイ商会が御用商人になるというだけで公爵家にとっては十分な助力となっていますが」
これは事実だ。要するに箔がつくというやつである。
しかしヘルガとしては軽々に飛び込むわけにはいかなかった。なぜならもしリキュウが先代当主ダミアンに恨みを持っていたら、と懸念していたからだ。あるいは罠からもしれない──そう思うと腰も重くなる。
「大変ありがたいお話ですが──もう少しお話を聞かせていただけませんと」
ヘルガは微笑んだ。
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リキュウは内心でさもありなんと頷いた。ヘルガの懸念をリキュウも当然察している。
「やはりヘルガ様には……お見通しになってしまわれますか」
「すべてが分かるわけではありません。ただ──」
「いえ」
リキュウは静かに首を振った。
「お見せした方が早うございましょう」
そう言ってこの初老の商人は──ぐわりと口を開けた。
すると上顎の両端、八重歯の位置にあった丸い歯がするすると伸びていくではないか。音もなく伸長したそれは先端に至るほどに鋭さを増し、燭台の灯を映してぬらりと光を返す。
見まごうこともなく、それはまさに獣の牙であった。
ヘルガの目が見開かれる。
「それは──」
「左様。わたくしめも亜人の血を引いておるのでございます」
リキュウはゆっくりと口を閉じた。牙はするりと元の丸い形に収まる。何の変哲もない初老の男の顔がそこにある。幻でも見たかのようだ。
「普段は魔術で隠しております。祖母が獣人の出でございまして──儂の代ともなれば血も大概薄れておりますが、この牙だけがどうにも往生際が悪うございましてな」
ハインは相変わらず興味なさそうにヘルガとリキュウを眺めている。とはいえそれは表面上の態度に過ぎなかったが。このイカれたキチガイマザコンは、もしリキュウがヘルガに無礼でも働こうものならば、瞬きの万分の一の時間もかけずにこの男をひき肉にしてしまうだろう。殺人は当然帝国でも重犯罪にあたるが、基本的にハインに遵法精神は存在しない。
リキュウは話を続ける。
「人種序列法のもとで亜人の血を引く者が帝都でまともな商いの場に立つ事は容易くございませぬ。まして大きな身代を築こうと思えば──牙を折るか隠すかの二つに一つでございました」
しかし、とその落ちくぼんだ双眼をギラリと光らせ──
「ヘルガ様はこの帝国に新しき風を吹かせようとしていなさる。ゆえに──」
リキュウは深く頭を下げた。
「──あるいは、もう隠さずとも良い日が来るやもしれぬと。そう思うたのでございます」
「リキュウ殿……」
「儂は商人でございます。損得を弁えぬ愚か者ではございません。しかしこればかりはどうにも損得では片がつきませぬ。亜人の一人として、ヘルガ様の旗の下にこの身を置きたいと、儂はそう申しておるのでございます」
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本来の歴史にもリキュウ・サルカイという名の商人がいた。
この世界と同じく平民の出であり一代の才覚で身を起こした男だ。そしてアステール公爵家を心底軽蔑していた男である。
本来の歴史のリキュウ・サルカイは離反した三公の台所役を買って出た。
兵站、物流、資金──戦とは畢竟これらの勝負である。
どれほど剣が鋭かろうと、兵が飢えていれば使い物にはならない。三公の血継魔術がいかに強大であろうと、亜人たちが群れを成して彼らの旗の下に集おうと、兵站が万全でなければ反乱は当然の如く瓦解するだろう。
しかして、兵站を支えたのがリキュウ・サルカイその人であった。
結句、三公は勝利した。
しかしその勝利の果実をリキュウが受け取ることはなかった。三公はいずれも軍功を己に帰し、裏方に過ぎぬ商人の名が勝者の書に載る道理はなかったのである。加えて忘れてはならぬ事実がある。三公にとってリキュウは便利な財布であったが同時に亜人の血を引く男であった。人種序列法に反旗を翻した三公ですら亜人との距離はそのようなものだ。
末路はといえば、とある会食の席で旧帝国の残党に胸を刺し貫かれて死ぬという、まあよくある最期であった。