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アステール公爵家の嫡男、ハイン・セラ・アステールが第二皇子ヴィクトルに接触している──その情報は多くの貴族たちを困惑させた。
貴族たちは各々話し合い、様々な可能性を模索しあった。
まずは単純にアステール公爵家は第二皇子ヴィクトルを次代の皇帝として担ぐつもりなのだ、という解釈がある。しかしこれには難がある。ヴィクトルは逆賊三公が掲げる神輿であって、その旗の下に十二公家の筆頭格が肩を並べて立つ図というのは想像しがたい。
第二の解釈はまるきり逆を行く。三公の手から神輿を奪い取る工作である、と。理屈は通っている。神輿を宮廷の側で押さえてしまえば反乱の大義は骨を抜かれるからだ。
第三の解釈を唱えた者もいた。何の意図もありはしない、子供同士が親しくなっただけの話ではないか、と。
この説は嘲笑された。唱えた男は茶会の席で散々に笑われた挙句、翌週には自説を撤回して第二の解釈へ乗り換えている。
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また──ハインの婚約者であるエスメラルダ・イラ・サリオンも、いや、サリオン公爵家もまたハインの動きに思う所がないわけではなかった。
帝都の防衛は二つの公爵家に委ねられている。アステール公爵家とサリオン公爵家である。前者は槍、後者は盾と呼ばれる。いずれも領地を持たぬ宮廷貴族としてこの一事にのみ仕えてきた家である。帝都に張り巡らされた防衛魔術陣の維持はサリオン家が担っている。そして、同じ任を分け合うという事は、絶えず比べられるという事でもある。
長らく天秤はサリオンの側へ傾いていた。槍の家は先代の頃に多額の借財を負い、家名ばかりが立派で内実は火の車という有様だったからだ。婚約の話が持ち上がった当初、サリオン家の側にあった感情は同情に近い。家格を貸してやろうという類の話であった。実際サリオン公爵家はアステール公爵家に対し、金銭的な支援も行っている。
ちなみにこの婚約は先代当主ダミアンの失踪──あるいは死によってヘルガが当主代行を務める事になったからこそ成ったものである。アステール公爵家が万が一にも潰れてしまえば貴重な血継魔術が一つ喪われてしまうし、それは明確な国力低下につながる。それを危惧した宰相府と、当代サリオン家当主フォーレ・セラ・サリオンによるアステール公爵家取り込みという野心がうまいことマッチングして、ハインとエスメラルダの婚約という話に発展したのだ。
まあ仮にダミアンが存命であった場合は、さすがのフォーレと言えども二の足を踏んだであろうことは言うまでもないが。
ともあれ、サリオン公爵家としては苦しい時期を支えてやって、いまも同じ船に乗っているというのに、なんで何も言わずに何かやろうとしちゃうわけ?──という思いがあったのだ。
この辺の、政治的かつ感情的にセンシティブな部分に配慮できなかったのはヘルガの手落ちと言ってもいいだろう。
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その日、サリオン公爵邸の一室に家の者が揃った。
当主フォーレ・セラ・サリオン。先代当主ギザ・セラ・サリオン。公爵夫人リディア・イラ・サリオン。そして次期当主エスメラルダ・イラ・サリオン。
卓上には茶と、白鷺館の名が記された報告書が載っている。
「一言あってしかるべきであろう」
口火を切ったのはフォーレである。憤っているというよりは、不満そうにしている。彼は良くも悪くも感情的で、俗な部分があるのだ。
「随分と水臭いではないか。それとも当家に隠さねばならない理由でもあるのか?」
「ハイン様には必ずお考えがございます」
声を上げたのはエスメラルダである。
「あの方が意味もなく動かれた事など、これまで一度もありませんでした」
「ではその考えとやらを申してみよ」
「それは……」
娘は答えに詰まった。当然である。彼女は何も聞かされていない。婚約者でありながら、皇子との会食について相談の一つも受けていなかったのだ。
ただ、この令嬢の頭の中ではその事実すら既に組み替えが始まっていた。あえて伏せておられるのは、わたくしが自ら気づくのをお待ちだからに違いない──という具合である。しかしそれでも一抹の寂しさはあった。
「よいか、エスメラルダ」
フォーレが声を低くした。
「仮にの話だぞ。仮にアステールが第二皇子を担ぎ、それでしくじったとする。婚約者たる我が家も同じ縄で括られるのだ。支援した金の分まできっちりとな」
エスメラルダが顔を上げて無表情のまま父を見た。
「……いや、婚約がどうこうという話ではなくてだな。物事には万一という事があるという一般論であってだな」
誰も責めておらぬのに一人で弁解を始めるあたり、要するにこの当主は娘に弱いのである。
「ひとつ、よろしいかしら」
それまで黙っていた公爵夫人リディアが口を開いた。
「ヘルガ様は先だって、宰相閣下と席をお持ちになりましたのよ。人種序列法の緩和について、随分と踏み込んだお話をなさったとか」
「そうだったな……」
「ええ、ですから母君は宰相府とのお話し合いを進めていらして、御子息は逆賊の神輿と親しくしていらっしゃる。……この二つ、あなたには同じ絵に見えまして?」
一同が黙り込んだ。
仮に親子が別々の絵を描いているのだとすれば、アステール家の中で話が通っていないという事になる。考えづらい事ではあるが、ありえない話ではない。
フォーレの顔に不満とは別のもの──不安が浮かんだ。
「……確かめる術はあるのか」
「わたくしが伺いますわ」
リディアは即答した。
「使者を立てれば済む話であろう」
「駄目ですわ。書面も、使いの者も駄目ですわね」
なんでそんな事もわからないの?という表情を浮かべるリディア。疑っているというていで行けば相手も気分を害するだろう。それで得られる情報が得られなくなることも、人間関係ならままある。
ギザが湯呑みを置いた。
「行くがよい。ただしお主も分かっておろうが探りを入れる顔で行くでないぞ」
「ええ、もちろん。友人とお茶を楽しむだけですわ」
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三日後、サリオン公爵夫人はアステール公爵邸の客間にいた。
手土産は東市の菓子屋に誂えさせた木苺の砂糖菓子である。ヘルガが甘い物に目がない事は無論の事、どこの店のどの菓子に目がないかまでこの夫人は把握していた。
「まあ、リディア様ったら」
果たしてヘルガは包みを胸に抱えて破顔した。
茶が運ばれ、しばらくは夜会の噂やら仕立ての流行りやらの他愛ない話が続いた。その間リディアはさりげなく相手の目の色を検分していたのだが、後ろ暗さの類はどこにも見当たらない。
それどころか──。
「──それでね、聞いてくださいましリディア様。ハインったら近頃、ヴィクトル殿下と文のやり取りを続けておりますのよ」
訊いてもいないのに、向こうから話題を出してきた。
「ハインは何といいますか……お友達を選ぶ所があるのです。こだわりが強いといいますか……それが今では、お食事の席で何刻も詩のお話を。……ふふ、親馬鹿とお笑いになって。私、嬉しくって」
リディアは笑みを返す。
「まあ……ヴィクトル殿下と。それはようございましたわね。どういう御縁でしたの?」
世間話の顔のまま、リディアは尋ねた。
「それがね、ハインのほうから言い出しましたのよ。殿下がプュイにお寄せになった詩を読んで、感銘を受けたのですって」
「あら、詩を? それは──雅ですこと」
「ふふ、意外でございましょう? 私も最初は驚きましたの。でもあの子、こう申しましたのよ。こういう時勢だからこそ、芸術の火を絶やしてはならないのだと」
「まあ……ご立派な事ですわね」
いささか出来の良すぎる言葉だとリディアは思ったが、顔には出さない。
「それで、今はどのように?」
「白鷺館で、月に幾度か御一緒しておりますの。最初の頃は私も同席しましたのよ。でもあの年頃の男の子同士のお話に母親がいつまでも居座るのは無粋でしょう? 近頃はあの子たちだけで」
「仲がよろしいのね」
「文のやり取りも続いておりますのよ。詩のお話のできるお友達がずっと欲しかったのですって。……あの子がそんな事を言うようになるなんてね」
ヘルガの目尻が下がりきっている。リディアは相槌を打ちながら事の次第をメモしていく。
言い出したのは息子のほうで、きっかけは殿下の詩。席は白鷺館で、母親は既に外れて今は二人きり。文は続いている。──どれも家に届いた報せの通りだ。
「ときに、ヘルガ様」
リディアは茶を一口含んでから、話題を変えた。
「ヴィクトル殿下といえばその……ここ最近口さがない方々から色々と言われているでしょう?」
ええまあ、とヘルガの表情が曇る。
「殿下は温和な方と聞いていますわ。兄君と違って和を貴び、詩や、野の鳥などを愛する方と。サリオン家でも可能な限りかのお方の名誉を守ろうと考えている部分はあるのですが──」
「ええ、ハインもそれについては心を痛めている様です……。ここ最近は帰ってくるなり暫く部屋に
「それは……」
どう返すべきか、とリディアは一瞬考えるが、すぐにヘルガが悲しそうな笑みを浮かべてつづけた。
「辛いのは、母親である私にも甘えてくれない事なのです」
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そう、ヘルガは悲しかった。愛する息子であるハインが
怒りでも悲しみでも、なんでもいい。それを打ち明けてくれればとヘルガは思う。それがどれだけ刺々しいモノであっても、分かち合う事で苦しみが少しは減るかもしれないではないか。
しかしハインは我慢をしている。
帰るなり部屋に閉じこもり、暫くして出てきたと思ったらケロっとした顔で接してくるではないか。話を聞こうとしても、「何のことですか? 母上」ときょとんとしている。ヴィクトルについてのあれこれで傷ついていないかと直截に聞いてみた事もあるのだが、まるで
これがヘルガには辛い。なぜなら、その平然とした様子がどれほどの忍耐によって支えられているか痛いほど分かっている──つもりになっているからだ。
しかし悲しいばかりでもなかった。
──ハインはきっと、大人になったのね。
一抹の寂しさと共に、そんな誇らしさもある。
「そう……」
リディアは内心で小首を傾げた。傾げすぎてへし折れそうだ。諸々の事を鑑みると、ヘルガ・イラ・アステールはとんだド阿呆という話になる。政治的に極めて不安定な状態にある皇子にわざわざ接触し、方々からの疑念を招き、後の事を何も考えていない──こんなものはもはや貴族失格だ。ハインもハインだ。公爵家としての教育を受けておきながら自分の行動について何ら責任を負おうとしていないようにしか見えない。年齢は問題ではない、十五やそこらならば物事を俯瞰して視る能力はある程度はあって然るべきだ。
しかし、とリディアは思った。
──そんなわけがないのよね。
そう、そんなわけがないのだ。
単なるド阿呆が帝国内に散逸する亜人系貴族の力を結集し、『毒婦』として悪名高い宰相ジギタリスと交渉して人種序列法を緩和させ、先の当主ダミアンの代で失われた家への信頼をここまで回復させることはできない。先だっては、サルカイ商会を御用商人にしたという話まで出てきている。サルカイ商会はそこらの貴族よりよほど力のある大商会だ。
つまり
答えがあるはずなのだ。
「ヴィクトル殿下についての話は私も伺っております。ただ、それはあくまでも三公が勝手に言い出している事で、正当性は無いと考えていますわ。ハインもそう考えていると思います。私としては──ただ、世に平穏があることのみを祈るばかりですわ」
──世に平穏、ね。
そういえば、とリディアは「アステール公爵家」についての話を思い出した。
曰く──アステール公爵家は、その発祥からして他家とはまるで異なる。初代皇帝ガイネストに仕えたクトゥール・セラ・アステールは、人間ではなかったという。かといって亜人でもない。まつろわぬ神の血を引く、半人半神であったというのだ。
伝承は続く。クトゥールは当初、人を滅ぼそうとしていた。当時のこの世界が余りにも戦乱に満ち、荒れ果てていた事を憂いたためである。人さえいなくなれば戦は絶える。「世に平穏」を齎す道はそれしかないと神の子は結論した。
それを止めたのが、まだ皇帝ですらなかった若きガイネストである。何を語りどう諭したのかは伝わっていない。ただ神の子は矛を収め、人の友となる道を選んだ。ガイネストが帝国を建てた時、その傍らには常にクトゥールの姿があった。
こういった盛った話はどこの貴族家にもあるが、アステールのそれはとっぱずれ方が桁違いである。
無論リディアは、こんな与太話を信じてはいない。信じてはいないのだが。
──不気味だわ。
ふと自分の腕へ目を落とすと、鳥肌が立っている──ぞわり、ぞわりと。