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「ふうん、花ねえ」
竜と鍵の封蝋が押してある手紙には、帝都にもっと花を増やそうとかそんな内容が書かれていた。差出人はヴィクトルだ。
花は嫌いではない。俺は草花を愛する男なのだ。だからこそ、オーマの奴には命懸けで公爵亭の景観を保てと厳命してある。もし奴がただの一輪でも無為に花を枯らせたならば、その時は奴の命も枯れ逝く時に他ならない。
まあそれはそれとして、俺が草花を愛する理由はやはり母上にある。といっても、母上が草花を好むからなどという短絡的な理由ではない。匂いだ。母上の体からはかぐわしい花の香りがするのだ。俺はその天上の芳香に包まれてこの年まで育てて頂いたのだ。
しかし、ふむ──帝都を花で満たすというのは名案かもしれん。昨今はどうにも、剣だの槍だのを掲げる家が多くなり、母上の目を楽しませようという意識の低さが目に余っていた所だ。母上が剣や槍を好まない事を知らないのだろうか? 知らないのだろうな。このままでは俺の怒りが有頂天に達し、収まるところを知らなくなってしまうだろう。今だってそうだ。俺は今この瞬間、馬鹿でカスで屑で低能で下品で卑劣で卑屈で不細工なド劣等民どもを、一匹残さずひき肉にしたいと思っている。連中がやれ内戦がどうこうなどと抜かすから、母上の美しいお顔から憂いが拭えぬのだ。嗚呼! 今すぐ劣等共を殺したい殺したい殺したい殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す嗚呼母上、どうか俺に、僕に不殺の決意を授けてください──ふう。
よし、発作が収まったな。
ともあれ、この状況を脱するには一刻も早く下らぬ内戦とやらを終結させねばならないだろう。手っ取り早くやるなら当然皆殺しだ。しかしそれではまずい事は俺にも分っている。まどろっこしいが、手順とやらを踏む必要がある。そのための鍵の一つがヴィクトルなのだが、まあいい。失敗は許されん。事は慎重に進める必要がある──が、母上のお心を少しでも安んじるためにも、ここはひとつヴィクトルの提案を採用することにしよう。
まずは花の選定だな。
宝石のように、珍しければ良いわけではない。高価であるなら良いという話でもない。花ならば何でもよいわけではないのだ。となれば、やはり母上に関係するモノが良いだろう。母上の生家、エルデンブルーム伯爵家に連なる花というのはどうだ……。ふむ……よし、段々と案が固まってきた。
この愚昧な劣等塗れの帝都──
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エルデンブルーム伯爵家──その家名が示す「古の開花」の如く、この血脈の源流を遡るならば人族の編纂した正史の埒外、神話と歴史のあわいに棲まう種族へと行き着く。
すなわち、エルフェン。
鬱蒼たる太古の樹海に抱かれ、木々の呼吸と星々の運行に同調して生きる彼らは、造物主の偏愛を一身に浴びたかのような美貌と、万象を揺るがす強大な魔力を生まれながらに備えていた。抜けるような白皙の肌、光の角度によって玉虫色に揺らめく瞳、そして老いることを知らぬ肉体。だがその天恵の美しさは、脆弱にして貪欲な人族にとっては抗いがたい蠱惑の果実であった。
かつてエルフェンが人族の版図と交わった時代──彼らはしばしば「生きた宝石」として狩られ、愛玩の品として貴紳の閨の奥深くへと囲われた。その冷艶な四肢に鎖を巻かれ、尊厳を弄ばれた暗黒の記憶は種族全体の魂に癒えぬ傷痕を刻み込んでいる。
ゆえに彼らは人を憎み、人を蔑み、大陸各地の険阻なる僻地──人跡未踏の峡谷や有毒の霧に閉ざされた深林へと姿を消した。人族の興亡など、彼らにとっては樹木の皮を這う羽虫の営みに過ぎない。ガイネス帝国が今まさに内戦の劫火に包まれようとしていようと、彼らにとってはどうでもいい話だ。血に飢えた人族が互いの喉笛を噛み千切る様など、ただ唾棄すべき喜劇としか映らなかった。
しかし──大陸の最果て、霧氷に閉ざされた霊峰の頂において。
世界から隔絶されたその聖域に、エルフェンの中でも古き血統を誇る「月の耳族」の長老、ウサギンは座していた。
齢にして二千六百年。幾星霜もの年月を生きながらも、その容姿は朝露を吸って開いたばかりの花弁のように瑞々しい。ほっそりと優美な肢体、陶器めいた白い頬には皺一つなく、ただその深淵を湛えた眼差しのみが、悠久の時間を生き延びてきた怪物であることを寡黙に物語っていた。
人族の世の騒乱など、長きにわたり彼女の瞑想を乱すに足るものではない──はずなのだが。
しかし、その日──。
ウサギンの尖った耳が、ぴくりと微かに震えた。
「……これは」
白魚のような指先が虚空をまさぐり、複雑な法陣を描く。
恐るべき天眼通が見通すモノは遥か南東、人族の欲望が渦巻く帝都ガイネスフリード。その濁濁たる人の気配の底から、凛として澄み渡る懐かしい魔力の波動が立ち上っているではないか。
気の迷いなどではない。二千年以上も昔、戦乱と劫火の果てに大地から永遠に消滅したはずの──自分たちの真の『故郷』。その失われた揺籃の懐かしい空気が今、帝都の空を覆っている。
「なぜ……絶えたはずの『揺籃の息吹』が、あの薄汚れた都から……?」
少女の姿をした長老の双眸に冷徹な燐光が宿った。