◇
ハインがいくら力になってくれると言っても、何もかもを彼に任せて良いとは思えない。僕にも力が必要だ──僕自身の力が。力にも様々あるが、それが何であれ、この乱世を終結させうるものであって欲しいが。まずは色々と取り組んでみることが大事だ。ここ最近では、僕も数少ない派閥の貴族たちに積極的に声をかけている。やはり数も力であるし、僕の、いや、僕らの目的を成し遂げるためには僕自身も骨を折らねばならない。
──と、そんなことを考えているととある光景が目に入った。
宮殿の中庭に面した回廊で、朝早くから庭師たちが屈み込み、石畳の隙間に生えた花を小刀で刈り取っているようだ。
どこか可愛らしい丸みを帯びた四枚の花びらがやわらかな若草色をしており、遠目には葉と見分けがつかないほど地味な花だ。
ここ最近帝都でよく見かける花なのだが、宮廷のものに尋ねても名前が分からない。それどころか気狂いを見る目でみられて、これには少なからず傷付いてしまった。まあこの時勢で花がどうだと気にするのは、ガイネス帝国のみならず何処の国でも白眼視されてもおかしくないのだが。
しかしどうも気になって仕方がないのだ。馬鹿な話だと思われるかもしれないが、僕にはこの花が帝国が軽んじてきたモノ──言うなれば強さ以外の、力以外の価値あるモノのひとつに見えてしまう。全ての、とは言わないが一部の帝都臣民らがこの花を疎まず、むしろ微笑ましさで以って受け入れていることがひとつの証拠にならないだろうか?
だが──
嗚呼、そんな可愛らしい花たちが次から次へと削ぎ落とされ、庭師の背負った籠へ放り込まれていく。しかし責めることはできない。彼等は任せられた仕事を果たしているだけなのだから。
そう、止めるつもりはない。
責めるつもりもない。
ただ、何となく庭師達の心を知りたくなり、僕は彼らに声をかけてみた。
「やあ、よく務めてくれているね。ところでこの花は何という名の花なんだい?」
尋ねると、年配の庭師は手を止めずに答えた。
「花? いえいえ! このようなモノ、ただの雑草でございますよ、殿下」
──雑草、か。
僕はその言い様に引っかかりを覚えたが、確かによく見なければ雑草に見えるだろう。しかし花だ。見るべきところを見れば花と分かる。母上から色々と見分け方を教えて頂いたから──。思えば父上があのような有様になってしまったのも、母上が去ってしまってからだった。かつての父上ならば、如何に宰相ジギタリスが有能とはいえ、良いように政務を主導させたりはしなかったはずだ。
それにしても、ただ一種の花がこうまで繁茂するというのは考えづらい事ではあるが──僕はこれはハインの仕業ではないかと思っている。
確かめてはいないし、根拠もないことだが。まあ、勘だ。敢えて言うならば、時期が合いすぎている。
「回廊沿いだけでいい。総て抜いたりせずに残してはもらえないだろうか」
ザクザクと刈られていく花たちを見るのが何となくやるせなくなって、僕はそんな事を頼んでしまった。庭師は怪訝そうに眉を寄せたが、最後は了承してくれた。
◇
庭師が去ってからも、僕は暫く花たちを見遣っていた。すると、とある事に氣づいた。この花はまずとにかく地味という印象が来るのだが、よくよく見れば気品のようなものを感じさせられるのだ。氣づく者だけが氣づけば良いという傲慢が、この楚楚とした佇まいによって気品へと昇華され──
などと考えていると、硬い靴音が近づいてくるのに気づいた。
見れば、ルドヴィーク兄上が小姓を一人だけ連れて回廊を歩いてくるところであった。長身に黒革の軍装を隙なく纏い、腰の佩刀が歩調に合わせてかすかに鳴っている。朝の光を浴びた兄の横顔は冷たく研ぎ澄まされ、いつ見ても隙というものがない。
すれ違いざま、兄は足を緩めずに言った。
「ウスノロの神輿が、朝から地べたを這い回って何をしている。アステールの小倅と詩を詠み合っては、雑草観察か。貴様、帝国がこのような情勢であるというのに皇族としての自覚がないのか? なんと惰弱な! そんな貴様に付き合うアステールの麒麟児とやらの格も知れるというものだ」
このような言でも、以前の僕であれば肩を縮めてその場に竦み、申し訳ありませんと咄嗟に頭を下げていたはずである。
だが──。
僕の事だけならまだしも、ハインまで悪しざまに言われて黙ったままでなんていられない。
「兄上。お待ちください」
声を掛けると、靴音がぴたりと止まった。
振り返った兄の目は、信じられないものを見るように細められていた。小姓が息を詰めて壁際へ下がる。
「何だ」
「確かにこれまでの僕の鑑みれば、惰弱の誹りを免れるものではないでしょう」
僕は頭を下げず、兄の瞳を真っ直ぐに見つめて言葉を継いだ。
「しかし、先のお言葉は見過ごすわけには参りません。アステール家は帝都の護りの要として求められる働きを十全に為しているではありませんか。そんなアステール公爵家の嫡男であるハイン殿を貶める発言は、彼らによって護られた帝国臣民──いえ、帝国そのものの名を穢すものだと僕は考えます。先の言、撤回してください、兄上」
次の瞬間、僕は後ろへ吹き飛んでいた。
殴られたのだ。
気がつけば、僕は冷たい石畳の上に横倒しになっていた。刈り残された若草色の一輪が僕の目の前で揺れている。……そうだ、この花にも名はあるのだ。雑草などという花もなければ、草もない。兄も彼に付き従うもの達も、大局にこだわりすぎて、大切な事を見失っているのではないか?
見上げると、兄が僕を見下していた。
なんという冷たい目だろう。とても家族に向けるそれではない。
だが、ここで退いてはならない。
ここを一歩でも退いたら、僕とハインが今まで積み上げてきた尊い何かが穢れてしまうような気がする。
だから僕はなおも言い続けた。
「撤回を。兄上」
ややあって──
兄は、それ以上僕を殴るのをやめ、足早に立ち去っていった。
◆
白鷺館を訪れたのは、それから数日後のことであった。
向かいの席に座るハインの視線が、僕の頬で一瞬だけ止まった。気持ち悪いと言われるかもしれないが、ハインがこうして僕を気にかけてくれる事に嬉しさを感じる。
ああ、そういえば──僕はハインに聞きたい事があったのだ。
「ハイン、今帝都に花が沢山咲いているよね。もしかしてあれは──君が?」
我ながら酷い尋ね方だなと思った。姉上ならばもっと優雅に、さりげなく質問ができただろう。例えば詩作の話にそれとなく織り交ぜたり。普段の会話からでも教養というのは滲むものだ。僕には足りないものが余りに多すぎる──つくづくそう思う。
僕が切り出すと、ハインは穏やかな笑みを浮かべて教えてくれた。
「春の後ろ髪、という花だそうです」
「春の後ろ髪……?」
「帝都の土がよほど春を待ちかねていたのでしょうね」
ハインはそう言ったきり、それ以上誰がやったのかには触れなかった。僕は回廊で雑草と呼ばれていた花の名を、ここで初めて知った。
とはいえ、ハインの言い様は愚鈍なこの僕にも「それ以上聞いてくれるな」という意味である事は分かるため、話題を変える。
「ハイン、そういえば君は剣も達者らしいね」
僕は手元の茶杯を見つめながら、以前耳にした噂を口にした。
「剣術大会でサリオン公爵家の御令嬢と大立ち回りを演じたと聞いたよ。誰か高名な剣士殿に師事したのかい?」
「基本的には書からですね」
ハインは静かに首を横に振った。
「独学で? それは凄いね。……ところで、僕も本格的に武術を習おうと思っているんだよ」
これは本当だ。別に兄上に対抗するとかそういう小さい話ではなく、平和を目指す上で僕自身が戦場に立つ──ことはないかもしれないけど、少なくとも武、あるいは暴というものへの心構えを身に着けておきたいと思っている。
「完全に独学というわけではありません。公爵邸にガッデムという者がいるのですが──」
「ガッデム?」
「公爵邸の警備を担っている男です。得物は戦斧ですが、剣も槍も素手の組打ちも心得ております。私も、あの者の動きから学ぶところが大きかったと思います。今でも朝の鍛錬では彼と汗を流しておりますよ」
ハインは紫紺の瞳を僕へ向けた。
「もしご興味がおありでしたら、一度本格的な鍛錬をされてみますか?」
「僕のような者でも相手をしてくれるだろうか」
「ガッデムは良い意味で容赦がなく、妙な忖度をしない男です。それに、殿下は体を見ても中々筋が良さそうに思えます。武には努力で伸びる部分もありますが、やはり才により伸びる部分が大きいですから」
「才? 僕に才なんて──」
「ありますとも。その雄大な体躯は十分
そう言ってくれるハインだが──
「ああ、私ですか? 確かに殿下より大分小柄ですが、武の才は何も体躯のみではありませんから。とはいえ、私も大部分を努力で補っているのですが。私と似ていて非なる彼とはやはり才の差を感じさせられます」
「彼?」
ハインの知り合いだろうか?
「私はあまり好きではないのですが。どうも野蛮な部分がありますから。例えばこういうやり方とか。ただ、彼は私が──私達が見られなかった今日を、明日を、見果てぬ夢を見せてくれる。それに何より、 私達の母の笑顔を見せてくれるので。簡単な頼みくらいなら聞いてやっても良いと思っています。まあ、この件に関しても最終的には良い結末を迎えるわけですしね」
ハインは一体何を言ってるのだろう? 彼とは誰なのか、そして私達、とは。僕とハインのことではないことはわかる。いや、まて。こういう事? この件? ハインは何か意図があって僕と──
「だから、問題は無いのです」
ああ、そうだ。問題は、ない。
それにしてもハインはすごい男だ。謙遜したふうでも、誇るふうでもなく自身の才をそのままに受け止めている。他者と比較するでもなく、ただ孤高たるその姿は美しい。そんなハインに、僕は煌めきを見た。変革を意味するあの星の煌めきを。
彼こそが真の強者というやつなのだろう。僕もこのように在りたい所だが、中々難しいだろうな。
ああそうそう、とハインが続ける。
「ガッデムは半鬼の血を引く者です。つまりは亜人ですが、殿下は大丈夫ですか?」
大丈夫か、とはつまり僕に亜人を忌避する心があるのかという意味だろう。正直、僕としては良く分からない。亜人の何がどう良くないのか、人それぞれ答えが異なり、書を読んでもはっきりと書いているわけではないからだ。
例えば亜人は人間を襲わずにはいられないとかならば話は分かる。それは単純に有害だ。
人間が亜人を襲わずにいられなくなる、というのでも話は分かる。加害欲求を抑制できなくなるのは問題だ。
人によっては、穢れているからだなんていう人もいるけれど、僕にはその感覚は余り理解できない。
いずれにせよ、会ってしっかり話してみてからでなければなんとも云いようがない。僕がそんな事をハインに告げると、ハインは気を悪くしたわけでもなく「それはもっともですね」と言ってくれた。
「では一度顔を合わせてみましょう。まあしかし、驚かないでくださいね。ガッデムは愛想を振りまくような男ではありません。余りしゃべらないので、何を考えているのか分からない部分もあるでしょう。しかし実直で真面目な男である事はお約束いたします」
僕は少し考える素振りを見せた。返答はすでに決まっているがしかし、餌を吊り下げられた馬のごとき様を見せてしまうのは少しばかりみっともないように思えたからだ。多少間を置くことで思慮深さを印象づけられる。──我ながらせせこましく、兄上に惰弱と謗られても文句は言えないな。