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俺は夜明けの鍛錬場に居た。
普段なら朝から剣を振るっているのだが今日はやや毛色が違う。俺は石畳の縁に腕組みして立ち、中央で向かい合う二つの影を観察していた。一方には我が家の門番であり人間離れした膂力を誇る半鬼のガッデム。もう一方には、昨夜の内に門前へ転がり込んできたらしい第二皇子ヴィクトルである。
なぜ皇子が我が家で素振りをしたがるのか、俺には全く預かり知らぬ話であった。聞けば、白鷺館での会食とやらで俺が適当な口約束を交わしたらしいが……。
とはいえ、母上の許しを得て我が邸の敷居を跨いだ客である以上、最低限の礼節は保たねばならない。
「殿下。準備はよろしいですか」
「ああ、いつでも頼むよ、ハイン」
構えを見て俺は唾棄しそうになった。劣等だ。これはまさに、噂に聞く劣等の構えに相違ない。
上背と肩幅ばかりが無駄に育ち足腰の粘りはまるでない。木剣の握り方ひとつ取っても妙な癖がこびりつき実戦経験なしの温室育ち特有の甘さが全身から漂っている。俺がもしこんな構えを取ったとしたら羞恥心でその場で自害するだろう。まず腹を十字に裂いて内臓を掴みだしてやる。その上で全身を永劫消えぬ漆黒の炎で包み、灰すら残さずにくたばってやる。
それにしても酷い構えだ。
ナメクジのごとき構え──あれではただの一撃も剣を受けられないだろう。腰が引ける事を前提とした弱者の構え。なぜこのような劣等が呼吸していられるのか。
ともあれ、俺はこの劣等をどうにか鍛えねばならないらしい……まあやりようはあるか。
こういうものはまず、順序良く解決していけばよいのだ。
なぜ劣等の腰はいざという時に引けるのか。
答えは極めて単純である。痛みが未知だからだ。
肉体が壊れる感触を知らぬゆえに、本能が恐怖して腰を引かせる。ならば話は早い。起こり得るあらゆる損傷と激痛を覚え、すべてを既知に変えてやればよいのだ。
「ガッデム。殿下は手加減は無用だと仰っている」
「えっ、ちょっと待ってくれハイ──」
「承知ッ!!! じねええええええ!!!!」
野獣じみた咆哮と共にガッデムが地を蹴った。そうだ、それでいい。当たれば死ぬ──その気迫を受けてこそ心も震え、鍛えあげられるというものだ。
刃引きされた戦斧が唸りを上げ皇子の胴を目がけて水平に薙ぎ払われた。刃こそ潰してあるものの鍛鉄の塊を半鬼の剛力で振るえばその威力は劣等如きが耐えられるものではない。ただ殺せとは言っていないのでその辺はガッデムも理解しているはずだ。東方の格言に大男総身に知恵がなどというが、ガッデムはあれでいて中々気が利く所がある。
に、してもだ。皇子がその場に仁王立ちとなってガッデムの斧を受けたのは少々意外だった。案外根性もあるのだろうか? それとも避け切れなかっただけか? いずれにせよ、斧の一撃を受けた皇子は「ぐぅあはぁァ────!!!」などという汚い悲鳴と血をまき散らしながら吹き飛んだ。
まあここまでは予想通りではあるのだが──。少し活きが良い気がしないでもない。力加減を誤ったのだろうか。いや、ガッデム自身も妙な表情を浮かべている。
まあいい、とりあえずは第一の目標である痛みを教える事ができた。さっさと修理してやるか──いや、待て。少し時間を置くべきだな。すぐ痛くなくなっては覚えないではないか。俺自身しっかり痛みを学んだものだ。
劣等は勘違いしがちなのだが、痛みを恐れている者がとにかく多いように思える。
それは大きな間違いだ。痛みとは友なのだ。壊れた箇所を正確に教えてくれる存在を、友と呼ばずして何と呼ぶのか。
激痛が走っているということは、まだ肉体がそこにある証拠だ。指の骨が逆に反り返ったときのあの熱い軋み。肋骨が肺を突いた瞬間の小気味よい息苦しさ。肉が裂けて鮮血が噴き出す折の鋭い──まあ、数え上げればキリがないが、それら無数の友と親密に語り合うことで人は己の脆さを知るのだ。
それなのに世の劣等共は、少し骨がきしんだり皮が弾けたりしただけで、見苦しく叫んで友を撥ね退けようとする。
恩知らずにもほどがある。
友を拒絶して逃げ回るからいざ死地に立ったときに身体が、心がどこまで動くかが分からなくなる。
だから俺はまず痛みを貴ぶことを奴に教えようとおもっている。なに、幸いなことに、俺には壊れた粒を元通りに接合する術がある。
どれほど無残に肉体が弾け飛び骨が粉砕されようと俺が直してやれば死ぬことはない。すなわちこの男は命を落とす心配なしに無限に友と逢瀬を重ねられるのだ。なんという幸運だろうか。これほどの恩恵に浴せる皇子は大陸全土を探しても他に居るまい。俺の底知れぬ慈悲深さに、いずれ涙を流して感謝するに違いない。
石畳の上で転がっている皇子を見下ろす。泥と血に塗れ脇腹を押さえて浅く喘いでいた。刃引きされた斧の打撃をまともに喰らい、肋骨に亀裂が入っているはずだがその双眸にはまだ光が残っている。
「……ぐっ、は……」
皇子は震える両膝を立て、無様に這いながら立ち上がろうとしていた。逃げ出す気配はない。
「殿下。痛みますか?」
「……息が詰まるが……まだ立てる。しかし、こ、これは──」
よし。
「ガッデム。右腕を折れ」
「承知ッ!!!」
「はっ……?」
間抜けな声の後に、小気味よい音が鳴り響いた。この生木を叩き折るような鈍い破砕音の麗しさよ。俺はこの音がとてもとても好きなのだ。散々自分の体で聞いてきた音だが、いつ聞いても麗しい。この音を何回も何十回も何百回も何千回も何万回も聞けば聞くほどに、自身の成長を感じられるのだ。ただ、ここ最近は俺は滅多にこの音を聞けなくなったが。
どれ、ちゃんと折れているかな?
うむ、しっかり折れている。
突き出した骨が皮と肉を破り、我ここに在りと自己主張をしているではないか!
不遜な骨だ!しかしそうでなくてはな。
しかも見ろ、
「殿下、ご安心を。すぐに直してさしあげます」
俺はそう言って、膝をつく皇子の腹を蹴り上げ、破り、内臓をぶちまけてやった。
ヴィクトルは作者の認識では第二皇子です。帝国なので、王子ではなく皇子。
第一皇子:兄
第二皇子:ヴィクトル
第一皇女:姉
第二皇女:姉2
ただ、第四皇子って書いてるとこがもしかしたらあるかも……あと、王子って書いちゃってたりとか。
この辺の表記ブレは直したいですが、もうどこが間違ってるのか作者も把握してないので勘弁してください