※この作品はR-18です。

悪役令息はママが好き   作:埴輪庭

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ママ、おこ②

 ◆◆◆

 

 両手で顔を覆い、悲劇の主人公さながらに肩を震わせる息子を前にして、ヘルガの脳裏には世にも恐ろしい光景が浮かんでいた。

 

 ぶくぶくに太って二重顎を揺らし、立派な髭を蓄えた中年男になりながら『ママ、ホットミルクをふうふうして』と駄々をこねるハインの姿である。

 

 ──ホットミルクを冷ましてあげるくらいなら、別に構わない気もするけれど……。

 

 一瞬だけそんな危険極まりない親馬鹿の悪魔が囁いたものの、ヘルガは慌てて頭を振ってその幻影を振り払った。

 

 本当に恐ろしいのはその先にある。そもそも今回の命令書において未成年の若者で名指しされているのはハインただ一人であった。サリオン公爵家やファルブルーム子爵家、ケロリパン伯爵家といった他の家々には『相応の護衛戦力を供出せよ』と記されているだけであり、エスメラルダや他家の年若い子女は端から出陣の対象に入っていない。

 

 ではなぜ、まだ年端もいかぬハインだけが筆頭として名指しされたのか。

 

 答えは明白であった。先だって練魔場で行われた杖比べにおいて、ハインが帝国副魔術師長オイゲンを衆人環視のもとで完膚なきまでに叩き潰してしまったからである。

 

 ジギタリスはそこを突いてきたのだ。『副魔術師長に完勝するほどの卓越した力量をお持ちなのですから、殿下の護衛筆頭にこれほど相応しいお方はおりませんわ』という、表向きは称賛の形をとった逃げ場のない名目である。

 

 これでもしハインが母親のスカートの陰に隠れて留守番を決め込めばどうなるか。安全な練魔場では格下相手に威張り散らすくせに、いざ実戦の勅命が下れば母親に泣きついて逃げ出した臆病者──社交界の毒牙は間違いなくそう囃し立て、ハインの誇りを一生涯にわたって噛み砕き続けるだろう。

 

 ──私がこの子を籠の中に閉じ込めてしまったら、本当にこの子の未来を潰してしまうわ……。

 

 無論その指の隙間から母の様子を窺っているハイン本人は『正直なところ母上に一生ホットミルクを冷ましてもらう人生も悪くはないが、それは世界を平らげてからでも遅くはない』などと至極どうしようもないことを考えているのだが、やはり母にそれを知る由もない。

 

「……分かりました」

 

 ややあって、ヘルガは唇を噛み締めながら絞り出すように言った。

 

「ハイン、あなたが行くことを許します」

 

「母上……! ありがとうございます!」

 

 ぱっと顔を輝かせて頭を下げるハインに対し、ヘルガはすかさず人差し指を突き立てて釘を刺した。

 

「ただし! はいそうですかいってらっしゃいと、そのまま送り出すつもりは毛頭ありませんからね。私が納得できるだけの万全の備えを整えるまで、屋敷の門から一歩たりとも勝手に出ることは許しませんよ!」

 

「はい、もちろんですとも母上」

 

 従順に頷く息子を見つめながら、ヘルガの瞳にはすでに次なる戦いに挑む母親の猛々しい光が宿っていた。

 

 できることならばヘルガ自身が旅装束に着替え、ハインの隣に並んで北へ乗り込みたいところである。年々どういうわけか底知れず増大し続けている己の魔力をありったけ叩きつけてでも、我が子に飛んでくる火の粉はすべて薙ぎ払ってやりたい。

 

 だが、それが許されないことくらいヘルガにも嫌というほど分かっていた。

 

 アステール公爵家は帝都防衛の『槍』を任された宮廷貴族であり、先代ダミアンが消えた今では当主代行であるヘルガがこの家の唯一無二の看板である。戦時下において帝都防衛を担う公爵家のトップが勅許もなく帝都を空けることは法の上でも許されないし、政治的にも自殺行為であった。

 

 ハインが無事に帰ってくるべき『家』を守り、帝都のど真ん中で宰相府へ睨みを利かせ続けるためにも、当主代行たるヘルガはどうあってもここを動けないのである。

 

 ──私がついていけないのなら、考え得る限り最強の盾をハインにつけるしかないわ。

 

 そう腹を決めたヘルガの行動は、平素のおっとりした彼女からは信じられないほど疾かった。

 

 ◆◆◆

 

 その日の午後にはもう、ヘルガを乗せた馬車がサリオン公爵邸の門を潜っていた。

 

 事前の触れもそこそこに乗り込んできた盟友を迎え入れたのは、現当主フォーレと夫人リディアに次期当主エスメラルダ、そして先代当主であるギザ公の四人である。

 

 無理もない。サリオン公爵邸にも先刻宰相府からの命令書が届き、誰を護衛団へ派遣するかで議論が紛糾していた最中だったのだ。

 

「よくぞお越しくださった、ヘルガ殿! 見られたであろう、あの宰相府のふざけた書き付けを!」

 

 客間の席に着くなり、フォーレが血管を浮き立たせて憤慨した。

 

「練魔場でのハイン殿の武勇を見込んでなどと白々しい美辞麗句を並べておるが、要はハイン殿と我ら親亜人派の戦力をまとめて三公の顎門へ放り込もうという魂胆ではないか! あまりにも人を舐め腐っておる!」

 

「ですからお父様、サリオン家の代表としてわたくしが同行すると申しておりますでしょう!」

 

 椅子から身を乗り出して食ってかかったのはエスメラルダであった。白銀の髪を揺らす少女は、先ほどから父を相手に一歩も引かぬ舌戦を繰り広げていたらしい。

 

「ハイン様お一人に危険を背負わせるなど婚約者として断じて見過ごせません! わたくしがあの方の盾となって──」

 

「ならんと言っておろうが! お前には名指しの勅命など下っておらんし、次期当主の修業中であるお前を戦場へ出す理由がどこにある!」

 

「フォーレ様の仰る通りですわ、エスメラルダ様」

 

 珍しく娘に声を荒らげるフォーレへ、ヘルガも穏やかながらきっぱりと同調した。ハインの婚約者である可愛い少女まで極寒の死地へ道連れにするなど、ヘルガにとっても寝覚めが悪すぎる話である。

 

 その上でヘルガは凛と背筋を伸ばし、卓の上座に座る老貴族へと視線を向けた。

 

「……ヘルガ様がこうして直々にお見えになったということは、ハイン様を行かせるおつもりなのですね?」

 

 リディアの静かな問いかけに、ヘルガは小さく頷いてから立ち上がった。そのまま先代サリオン公爵ギザ・セラ・サリオンの前で深々と頭を下げる。

 

「あの子自身の誇りを思えば親の都合で縛りつけるわけにも参りません。ですが女狐の思惑通りにハインを危険へ晒すつもりもございませんの。──そこで折り入ってお願いがございます、ギザ公。どうかサリオン家からの派遣戦力として、ギザ公ご自身にご同行いただけませんでしょうか」

 

 客間がぴたりと静まり返った。フォーレが目を丸くし、エスメラルダもはっとしたように祖父の顔を見る。

 

「……ほう。この老骨に北へ足を運べと申されるか」

 

 白髭を撫でながら目を細めるギザに対し、ヘルガは顔を上げて真っ直ぐに言葉を継いだ。

 

「当主代行である私や現当主のフォーレ様は、帝都防衛の任がある以上どうしてもこの都を離れるわけには参りません。私たちが動けば宰相府に格好の口実を与えてしまいます。ですがすでに家督を譲られて隠居の身であられるギザ公であれば、法の上でも宰相府は文句をつけられぬはずです」

 

 理に適っていた。帝都に張り巡らされた防衛魔術陣の維持と財務を預かるフォーレは一歩も動けないが、現役を退いて『公』を称しているギザならば制度上の枷がない。しかも老いたりとはいえ、結界術の練度においてギザは今なおサリオン公爵家で最高峰の実力を誇る生ける要塞である。

 

「エーデルヴァイス公の氷結魔術がいかに恐ろしかろうと、ギザ公が結界を張ってくださればこれほど心強い護りはございません。それに先代公爵であられるギザ公が睨みを利かせてくだされば、三公とて若いハインやヴィクトル殿下を軽んじて無法を働くことはできぬはずです」

 

 切々と訴えるヘルガの横から、今度はエスメラルダまでが縋るような瞳で祖父を見つめた。

 

「お祖父様……! わたくしが行けないのでしたら、どうかお祖父様がわたくしの代わりにハイン様のお背中をお護りくださいませ!」

 

 掌中の珠たる孫娘にそこまで真っ直ぐな目で懇願されては、さすがの老獪な先代公も形無しであった。

 

 ギザは内心で微かな唸り声を上げながら目の前のヘルガを見据える。剣術大会であの『星の子』ハインの底知れぬ魔力像を視たギザからすれば、ハイン個人の武勇だけなら護衛など要らぬようにも思える。

 

 だがその怪物を借りてきた猫のように手懐けている母親がこうして頭を下げ、なおかつ政治的な重石として十二公家の先代当主を求めているのだ。同じ船に乗った盟友として、また可愛い孫娘の未来の伴侶を護るためにも断る理由はどこにもなかった。

 

「……ふむ。ハイン殿の母君とエスメラルダの二人にそこまで頼まれては、隠居を決め込んでいるわけにもいくまいな」

 

 ギザは湯呑みを卓に置き、重々しく頷いた。

 

「引き受けよう、ヘルガ殿。このギザ・セラ・サリオンが同行する限り、いかに三公といえどもハイン殿の髪一本すら凍らせはせぬよ」

 

「ギザ公……! ありがとうございます!」

 

 ヘルガの顔にようやく安堵の色が灯った。だが、母の備えはこれだけで終わるはずもない。

 

「それとフォーレ様にリディア様。今回の護衛団に名指しされた他の家々にもすぐさま声をかけましょう。名ばかりの儀礼兵や経験の浅い若者など一人も要りません。いざ三公が刃を剥いてきた時にも確実にハインを護り抜けるよう、各家が抱える百戦錬磨の実戦戦力を集めるのです」

 

 その言葉に、今度はフォーレとリディアの目が鋭く光った。結界を編む業では父や娘に譲るフォーレだが、人と人を編んで盤石の陣形を築き上げる根回しにかけては右に出る者のいない男である。

 

「なるほど、宰相閣下が厄介払いのつもりで指定した家々の精鋭を束ね、逆に三公すら迂闊に手を出せぬ一大武装使節団に仕立て上げるというわけですな!」

 

「ええ。裏通りの連絡と兵站の手配はわたくしにお任せになって。サルカイ商会にも極寒の北へ耐え得る最上級の装備を揃えさせますわ」

 

 話が決まれば両公爵家の動きは凄まじかった。

 

 まずアステール公爵家からは名指しされたハインの側近として気配隠匿と暗殺術・警護の粋を極めたデルフェン種の使用人頭フェリに加え、半鬼の剛力を誇る門番ガッデムが護衛の中核として組み込まれた。サリオン公爵家からも総大将格のギザ公を筆頭に、家門お抱えの熟練した結界術師と精鋭衛士たちが選抜される。

 

 さらに召集を受けた親亜人派の家々も、年若い子女は屋敷へ留め置いた上で、両公爵家の本気の檄に応えて惜しみなく虎の子の実戦部隊を差し出してきた。

 

 エルフェンの血を引き多くの亜人使用人を抱えるファルブルーム子爵家からは、遠距離の索敵と弓術や風魔術に秀でた歴戦の亜人狩人衆が送り込まれる。蛙の亜人の血統で知られるケロリパン伯爵家からも、悪路や雪原での圧倒的な跳躍力と接近戦の槍術に長けた屈強な古参の戦士団の合流が決まった。

 

 ほかにも名を連ねた家々から腕利きの魔術師や修羅場を潜り抜けてきた騎士たちが次々と掻き集められていく。ジギタリスが嫌がらせ半分に寄せ集めた(と、ヘルガが思い込んでいる)はずの和平使節団は、ふたを開けてみれば一軍にも匹敵する異様な密度の少数精鋭部隊へと変貌しつつあるのだった──。

 

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