※この作品はR-18です。

悪役令息はママが好き   作:埴輪庭

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星の雫

 

 ◆

 

 俺は今、非常に不快な書を読んでいた。

 

 タイトルは『愛憎の環』──内容を一言で表すなら、母親に恋する息子の話だ。

 

 だがそれだけなら俺もここまで不快にはならない。

 

 問題はその結末だ。

 

 息子の想いは報われず、母親は息子の親友によって寝取られてしまうのだ。

 

 なんという悪趣味。

 

 なんという冒涜。

 

 俺は震える手でページをめくる。

 

 ──『母さん、愛してる』と息子が告白する場面。

 

 ──『ごめんなさい、でも私たちは親子なのよ』と拒絶する母親。

 

 ──そして親友が登場し、母親と親密になっていく過程が生々しく描写されている。

 

 フェリが集めてきた書物の中でも、これは特に酷い。

 

 著者名は削られているが、もし知っていたら今頃その劣等の家に火を放っているだろう。

 

 だが──

 

 俺はこの不快な物語を読み続ける。

 

 なぜか?

 

 魔術師は想像力が大事だからだ。

 

 優れた魔術師になればなるほど、その想像があたかも現実のものであるかのように思い起こすことができる。

 

 しかるに俺はどうか。

 

 優れた魔術師であることは間違いない。

 

 なにせ母上の子なのだ。

 

 そんな俺は、その優れた想像力を働かせて──

 

 母上が俺の架空の親友に寝取られているシーンを思い浮かべた。

 

 ◆

 

 そいつの名前は──そうだな、ラグネームと名付けよう。

 

 金髪碧眼の爽やかな青年。

 

 俺と同じ学園に通い、俺と親しくしている設定だ。

 

 ──『ハイン、今日も一緒に昼食を食べようよ』

 

 想像の中のラグネームが俺に声をかける。

 

 殺す。

 

 今すぐ殺してやりたいが、まだだ。

 

 ──『ヘルガ様、今日もお美しいですね』

 

 ラグネームが母上に挨拶をする場面。

 

 母上は優しく微笑んで返事をされる。

 

 ──『あら、ラグネーム君。ハインがいつもお世話になっているわね』

 

 違う、違う、違う!

 

 母上がそんな風に他の男に微笑むはずがない!

 

 だが俺の想像力は止まらない。

 

 ある日の夕暮れ。

 

 俺が用事で外出している間に、ラグネームが公爵邸を訪れる。

 

 ──『ハインはいないのか……でも、ヘルガ様にお会いできて嬉しいです』

 

 ──『まあ、そんな。でも折角来てくれたのだから、お茶でも飲んでいく?』

 

 二人きりの応接室。

 

 夕陽が窓から差し込み、母上の髪を黄金色に染める。

 

 ラグネームは母上の美しさに見惚れている。

 

 ──『ヘルガ様……実は、ずっと言いたかったことがあるんです』

 

 ラグネームが立ち上がり、母上に近づく。

 

 ──『どうしたの? ラグネーム君』

 

 母上は首を傾げる。

 

 その無防備な仕草が、ラグネームの理性を崩壊させた。

 

 ──『愛しています、ヘルガ様!』

 

 ラグネームが母上の肩を掴む。

 

 ──『え? ちょっと、何を──』

 

 母上が困惑する。

 

 だがラグネームは止まらない。

 

 そのまま母上を押し倒し──

 

 ◆

 

 「うああああああああッ!」

 

 俺は絶叫した。

 

 本を壁に叩きつける。

 

 ページが散乱し、床に広がった。

 

 殺す、殺してやるぞ、ラグネーム。

 

 存在しない架空の人物なのに、憎しみがとめどなく湧いてくる。

 

 母上の柔らかな唇が、奴に奪われる光景。

 

 母上の白い肌に、奴の手が這う光景。

 

 母上が奴の名を呼ぶ光景。

 

 ──『ラグネーム……』

 

 甘い吐息混じりの声。

 

 俺ではない誰かの名前を、母上が愛おしそうに呼ぶ。

 

 ぽろり。

 

 何かが頬を伝った。

 

 涙?

 

 俺は──泣いているのか?

 

 馬鹿な。

 

 俺が涙など。

 

 だが止まらない。

 

 次から次へと涙が溢れてくる。

 

 想像の中で、ラグネームは母上を抱きしめている。

 

 ──『ヘルガ様、愛しています。ハインには内緒ですよ』

 

 ──『ええ……あの子には言えないわ……でも、私も……』

 

 母上がラグネームの胸に顔を埋める。

 

 その表情は生々しいまでに女の顔だった。

 

 母親ではなく、一人の女としての顔。

 

 それを引き出したのが俺ではなくラグネームだという事実が、俺の心臓を握り潰す。

 

 ◆

 

 「死にたい……」

 

 俺は呟いた。

 

 もはやこんな世界に生きている意味などない。

 

 母上が他の男のものになるくらいなら、いっそ──

 

 そう言って俺は胸に手を突っ込んだ。

 

 ぐちゃり。

 

 皮膚が裂け、肉を抉る感触。

 

 痛みはない。

 

 俺にとって肉体の損傷など、大した問題ではないからだ。

 

 骨を割り、臓器を掻き分け、取り出したのは心臓だ。

 

 どくん、どくん。

 

 手の中で規則正しく脈打っている。

 

 普通の人間ならこの時点で死んでいるだろう。

 

 だが俺は違う。

 

 なぜか?

 

 簡単な話だ。

 

 俺の魔力は体の中心──つまり心臓ではなく、全身に満遍なく分布している。

 

 劣等どもは心臓が止まれば血が巡らなくなって死ぬらしいが、俺の場合は魔力が血の代わりをしている。

 

 いや、もっと正確に言えば、俺の血そのものが高濃度の液体魔力なのだ。

 

 心臓? そんなものは血を送り出すポンプに過ぎない。

 

 ポンプがなくても、魔力は勝手に体中を巡る。

 

 なぜなら魔力は意思を持つからだ。

 

 俺の意思に従って、適切に循環する。

 

 それに俺の細胞は一つ一つが独立した生命体のようなものだ。

 

 心臓がなくなったところで、他の臓器が「ああ、心臓がないな。じゃあ作るか」と判断して、勝手に再生を始める。

 

 母上もきっと同じはずだ。

 

 母上の血を引く俺がこうなのだから、母上はもっと凄いに違いない。

 

 ◆

 

 だから心臓を抉り出しても死なない。

 

 すぐに新しい心臓が生成される。

 

 現に今も、俺の胸の空洞では新たな心臓が形成されつつある。

 

 肉が盛り上がり、血管が伸び、やがて完全な心臓となるだろう。

 

 まあ、そんな理屈はどうでもいい。

 

 俺は取り出した心臓を月光に掲げる。

 

 窓から差し込む青白い光が、血に濡れた心臓を照らした。

 

 次の瞬間、心臓が変化を始める。

 

 赤黒い肉塊が徐々に色を失っていく。

 

 いや、失うのではない。

 

 変わっていくのだ。

 

 深い、深い黒へと。

 

 同時に、質感も変化していく。

 

 柔らかな肉の感触が、硬質な何かへと変貌する。

 

 やがて心臓全体が虹色に輝いた。

 

 一瞬だけ。

 

 本当に一瞬だけ、この世のものとは思えない美しい光を放った。

 

 そして──

 

 俺の手の中にあるのは、もはや心臓ではなかった。

 

 黒い宝石。

 

 いや、宝石という言葉では表現しきれない何か。

 

 それは確かに「夜の雫」に似ていた。

 

 だが決定的に違う。

 

 アンデッドたちの夜の雫が、死への執着と生への渇望から生まれた歪な結晶だとすれば。

 

 これは──

 

 純粋な愛の結晶。

 

 母上への想いが極限まで凝縮されたもの。

 

 嫉妬も、独占欲も、狂気も、全てひっくるめた俺の愛が、物質として顕現した姿。

 

 それを見ながら、俺は呟くのだ。

 

「ああ、ママ、愛しています」

 

 と。

 

 

 

 

 

 

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