※この作品はR-18です。

ARR-another rain route-   作:のあむ

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「いやだ。俺は、いやだ」
 大切な人を失ったことにより傷つき、笑えるようになることを拒否した甲。レインはそんな甲に対しなにも言うことができず、うつむいていた。沈黙が甲の病室を包む中、先ほどからつけたままになっていたモニターから流れる「悲しみから立ち直る。悲しみを乗り越える」という言葉。それを聞く内に堪え切れなくなった甲は、いら立ちながらモニターの電源を落とす。そして、無音になった病室に突如として轟いたその音とは……。
 今回は第一話『嘘だらけの私たち』と同じ日の昼間、甲さんが笑えるようになりたくないと言った直後から始まるお話になっております。
●この小説はpixivにも投稿しております


第四章『俺と彼女の終わりの日』

 無機質な消毒液の香る真っ白な病室で、キャビネット上のモニターから州知事の記者会見の様子が流れる、重苦しい雰囲気の中。ベッドに腰かけた俺と、その向かいのソファで座った彼女は、言葉もなくただうつむいていた。

 俺たちの会話が途切れてから、いったいどれだけの時間が経ったのだろう。部屋のモニターからは、州知事の被災者に対するありきたりなフレーズが、繰り返し流れていく。

 ――悲しみから立ち直れ、悲しみを乗り越えろ。街にあふれ返った被災者ではなく、今ここにいる自分へ向けて、言われているようで。

 

「クソッ!」

「……っ!」

 強く拳を振り下ろすとボスッという音とともに空気が抜け、布団がぐしゃりと押しつぶされた。立ち直れ、乗り越えろ、だと? そんなこと、できるはずないだろ……!

 自分の目の前で、大切な人が死ぬ瞬間を見たこともないお前に、いったいなにがわかる……! いら立った俺は耐えられなくなり、目障りな映像を消すためにモニターの電源を落とした。

 

「……っ……」

 それは、彼女に対して向けた言葉ではないというのに。身体をびくつかせおびえた表情を見せて、穿いているスカートを両手でぎゅっとつかむレイン。

 アイロンが綺麗にかけられていたはずの衣服の裾が、強く握り締められたせいでシワだらけになってしまっている。横目で見たその瞳からは、今にも涙があふれこぼれ落ちそうに見えて。

 

「…………」

 怖がらせてごめん。そう謝罪の言葉を述べようとして、顔を上げ口を開こうとした、次の瞬間。――ぐ~。テレビを消して無音となった空間に響くには、その素っ頓狂な音は、あまりにも目立ち過ぎた。

 それを聞いた俺は、ポカンと口を開いたまま呆気に取られてしまう。聞いたものはだれもが聞き惚れてしまう、澄んだソプラノの声を持つレイン。

 その彼女の身体から発せられたとは到底思えない、鈍く間抜けな低音が、その細く引き締まった腹部からぐーぐーと轟いていた。

 

「……っ……っ!」

 そんなことをしてもムダだというのに。パニックに陥ったレインは、音を消そうと慌てふためき手足をばたつかせる。ソファに置かれていたクッションに気づき、手に取ってお腹に押し当てるが。その低音を吸収しきるには、この病室は静か過ぎた。

 彼女の抵抗むなしく。無情にも、その愉快な音はすぐには鳴り止んではくれなかった。

 

「…………」

「あ、あの……今のは……その……し、失礼いたしました……」

 お腹に当てたクッションを両手で抱えたまま、整った顔を真っ赤に染め上げて、蚊の鳴くような声でつぶやくレイン。よほど恥ずかしかったのか。プルプルと小刻みに震えながら、耳まで紅潮して涙目になった彼女の様子が可愛いらしくて。

 

「……ふっ」

 笑えるようになりたくないと、ついさっき言ったばかりだというのに――彼女のせいで、俺の口元は再び緩んでしまっていた。

 

ARR-another rain route-

第四章『俺と彼女の終わりの日』

 

「お腹減ったんだろ? ごめん、俺のせいで食べられずにいたんだよな。それ、一緒に食べようか」

「はい……」

 お腹が鳴ったことを気にしているのだろう。恥ずかしそうにおずおずと、レインはサイドテーブルに乗った総菜やお菓子の類が入った袋を持ち上げ、こちらへと差し出した。

 

「……それにしても、ちょっと買い過ぎだぞレイン」

 渡された袋から取り出した食べ物の数を見て、俺は呆れ返った。袋を受け取った時の重量感で気づいたけど。……これ、かなりの量だぞ。ベッドテーブルに積み上げた食べ物は、今にも崩れて布団の上にこぼれ落ちていきそうだ。

 全部食べたら、いったい何千キロカロリーになるんだ……? そんな疑問が頭の中を占めていき、自然と俺は苦い表情を浮かべてしまっていた。

 

「そうなんですか? 殿方は女性よりも多く召し上がると思ってたくさん買ってみたのですが、どうしましょう……」

「女性よりも多く召し上がるって……」

 そりゃあ俺は成長期だし。この前まで二時限目の休み時間まで持たなくて、早弁をしていたような男だ。普段はそんな風に女の子よりたくさん食べるとはいえ、今の俺は病み上がりの身。

 とてもじゃないが、この量を食べきる自信はない。

 

「被災して家や財産を失って、今日食べるものにも困っているかたがいらっしゃるというのに……。貴重な食料をムダにするのは……」

「とりあえず日持ちするお菓子は後回しにして、痛みやすい総菜から食べていこう」

 手前にあった袋入りの焼きそばパンをつかみ、裏返す。……クソッ。お嬢様だから、添加物の少ない高級パンを買いやがったな。袋に記載されていたのは、自宅で作ったものと変わりないほどに短い消費期限だった。

 

「それから看護師さんに事情を話して、お互いに夜の病院食はキャンセルさせてもらおう。これだけでも食べきれるかわからないのに、病院の食事まで食べる余裕はないからな」

「はい、わかりました甲さん」

 そう言って、レインはほっとして胸をなで下ろした。

 

「それにしてもおにぎりだけやけに多いな……どうしてこんなに買ったんだ、レイン?」

 食べ物を分別しようと眺めると、総菜の中でもおにぎりだけ異様に数が多いことに気づき、その理由を購入者のレインに尋ねる。

 

「私、おにぎりを一度買ってみたかったんです。色々な具材やおかずが中に入っているのがとても面白くてっ。これなんか、中にから揚げと卵焼きとニラの醤油漬けが入っているんですよ?」

 レインは楽しそうに話しながら総菜の中からおにぎりを選び取ると、その整った顔の真横に両手で持った爆弾おにぎりを持ち上げた。小さな顔と比較するように掲げられたおにぎりは、俺には先ほどよりも巨大なものに感じられて。

 

「おにぎりが面白い……くっ」

 だって、彼女が顔の横に持ち上げたおにぎりは、よりにもよって“ニラ”の入ったおにぎりだったから。俺の、大っ嫌いな、ニラ。ラップでぐるぐる巻きにされたおにぎりの上にでかでかと貼られたシールの『ニラ爆弾おにぎり!』の文字が眼に入る。

 込み上げてくる笑いを必死に抑えようとしたが、つい笑みが口からこぼれてしまう。……ああだめだ、俺は、彼女といると。

 

「……俺からしたら、おにぎりよりレインのほうが面白いよ」

「おにぎりよりって……それは褒められていると思ってよろしいんでしょうか?」

 困惑し、眉を八の字にして問いかけるレイン。きっと、俺も同じことを言われたらそんな顔をしてしまうと思う。だが、それが事実なのだからそう言う他あるまい。

 

「とりあえず、そのニラのおにぎりはレインが食べてくれないか? 俺、ニラは苦手なんだ」

「そうだったんですか……甲さんが苦手なものだとは知らなくて、つい買ってしまって……ごめんなさい……。でも、甲さんのことをこれでまたひとつ知ることができて、嬉しいですっ」

 しょんぼりした顔で謝ったかと思ったら、レインは突然ぱっと花が咲くように表情を明るくさせた。しかし急激に変化したその顔を見て、俺はそこになにか“いやなもの”を感じていた。

 

「君、俺のきらいなものを知って、なにかする気なのか……?」

 そんな娘ではないと思いながらも。レインの真意を知りたくて、顔をひきつらせながら質問を持ちかける。菜ノ葉による度重なるニラ攻撃の悪夢を経験し続けた俺は焦っていた。

 アセンブラ流出により隔離されているせいで逃げ場がないことを意識し、身体中からダラダラと冷や汗が吹き出始める。

 

「ふふっ。安心してください、そんな意地悪なことはしませんよ」

「……そうだといいけど」

 だがそんな俺の心配などよそに、彼女から向けられた笑顔は一切の邪気を含むことはなく――文字通りとても無邪気で、あどけないものだった。

 

◇ ◇ ◇

 

「でもこれ、さすがに大き過ぎて食べづらいな……」

 厚いラップで覆われた状態の、かぶりつくのも気が引けるほどのビッグサイズで作られたおにぎりを手に取り見つめる。

 

「あ、でしたら私がお皿やナイフなどを持って参ります」

「いいの? 助かるよ。そのほうが二人で分けやすくなりそうだし」

「はい。ついでに総菜を温めてきますので、少々お待ちくださいませ」

 そう言って、レインは総菜の入った袋を持って俺の病室から出ていった。

 

「……ん?」

 しばらくすると、なにやら廊下の奥から重量感のあるキャスター音が聞こえ始める。他の患者の容体が急変したのか? それにしては、看護師や医師の声がまったくと言っていいほど聞こえてこないな。

 不思議に思っている間にも、音はこちらへと徐々に近づいてくる。その移動音は俺の病室の前で止まると、コンコンコンコン、という今度は控えめなノック音が鳴らされた。

 念入りに四回もノックするなんて、こんなことをするのはレインしかいない。

 

「どうぞ」

「はい、失礼いたします」

 レインはドアを開け、俺に向かい背筋を正し丁寧に頭を下げる。

 

「お待たせしました甲さんっ」

「ああ、おかえりレイン」

 高級ホテルのルームサービスで使うような豪奢なワゴンとともに、レインが病室へと入ってきた。

 

「それ、なに?」

「お皿とナイフのついでに、普段私の食事を運んでもらっているワゴンもお借りしてきました」

「へー」

 そんなのに運ばれて食事が来るのか。俺とは大違いだな。お嬢様だからVIP待遇ってやつか。到着するとすぐさまメイドみたいにせっせと、俺のベッドテーブルへとワゴンから取り出した食器をセットしていくレイン。

 大きなグラスを手に取ると、最上段に置かれていたミネラルウォーターの入ったピッチャーから水をなみなみと注いでいく。水で満たされたそれを、レインはテーブルの右斜め奥にそっと置いた。

 そして俺のひざの上に、二つ折りにしたナプキンを輪っかとなっている折り目部分を身体側に、布端をひざ先に来るようにふんわりと乗せる。そうやって最後の仕上げをすると、ようやく彼女による仰々しいテーブルメイキングの終わりが告げられた。

 

「ナイフとフォークは外側からお使いくださいませ。ここはレストランではなく病院ですし、それ以外のマナーは特に気にする必要はありませんよ」

「……は?」

 ケガをして入院している病室で、患者の俺は。同じ患者の彼女に、いったいなにをさせられているんだ……? そんな言葉が頭に浮かび、フランス料理のレストランのテーブルかと錯覚してしまいそうになるほどに美しくセッティングされたベッドテーブルを見下ろす。

 ジャケットではなく、病院で用意された簡素な入院着を着用し、ナイフとフォークを両手に持たされた俺は茫然自失となってしまった。

 

「それでは前菜……というほどのものではありませんが、まずはこちらをどうぞ」

 二人で分け合うために、爆弾おにぎりから分離させられた少量のニラの醤油漬けを乗せた皿が、レインの白く繊細な手によって俺の目の前にスッと差し出される。

 

「俺、さっき、ニラは苦手だって、そう、言ったよな……?」

 信じられないものを目にして、愕然と、震える声で、レインに問う。

 

「あっ! ベジタブルファーストを意識して食べる順番のことを考えたら、つい……ごめんなさい甲さん!」

 レインは申し訳なさそうに慌ててニラの乗った皿をつかみ、自分のカトラリーをセットしたテーブルへと運んでいった。

 

「いや、故意じゃなくて、忘れてただけならいいんだ……」

 やはり、ニラに関しては彼女のことも信用すべきではなかったのか……? 善良だと思っていた人間に裏切られたショックから疑心暗鬼に濁った瞳で、裏切り者本人(レインのこと)を凝視した。

 

「それでは気を取り直しまして、こちらをどうぞ」

「お、おう……」

 真っ白で大きな皿の中央にぽつんと置かれ、ピンク色をした六本のひもに似た“それ”は、あまりにも小さく。これは、なにかの間違いなのか……? 改めてレインの手により出された前菜は、焼きそばパンの紅しょうが“のみ”というなんともみじめなものだった。

 おい、それを前菜扱いするのかよ。善意でやってもらっていることに対して文句も言えず。無言で目の前に出された焼きそばパンの紅しょうがをフォークでぶっ刺して、口へと入れる。

 

「……っ」

 量が少な過ぎて瞬く間に食い終わり、あまりの呆気なさ、物足りなさに、危うく吹き出すところだった。次に出されたのはレタスサンドから抜かれたレタスのみで、もの自体はまともだったが、これも一口で食べ終えられるほどに量が少なく。

 

「…………」

 見た瞬間、なんともわびしい気持ちになった。これだけを食べろとか、俺はうさぎか? あたかも、エサを与えられたうさぎの気持ちと同期(シンクロ)するように。

 シャキシャキとした食感のレタスを、うさぎのなにを考えているのかわからないような目をして、黙々と咀嚼していく俺。それからバーガーから抜かれた野菜などを食べ終えると、前菜のラストとしてシーザーサラダが提供された。

 ここまでに出された前菜と比べて、最後に出されたそれは異様なほどにまともだった。

 

「なあレイン、何故これを最初に出さ……」

 言葉を途中で切り、口を閉じることにした。シーザーサラダの次に、焼きそばパンの紅しょうがだけを出されたほうが強く拒否感を抱いていただろうから、この際文句は言うまい。前菜をすべて食べ終え、お次は魚・肉料理の提供が開始された。

 おにぎりから抜かれたシャケ・おかか・ツナマヨ。サンドイッチから抜かれたハム・ロースカツ・ハムカツ。バーガーから抜かれたパティ・白身フライ・メンチカツなどなど。

 

「これはいったいなんだ……?」

 レインの手によって、原型を留(とど)めないほどに細かく分別された総菜が、次々と皿に乗せられていく。その都度俺は、戸惑いながらも平らげていく。

 形はどうあれ、とりあえず量が多いだけでおかずを食べている実感があったため、このパートはさほど苦痛じゃなかった。……問題は、この次だ。そしてこの奇妙で愉快な食事のフィナーレとして、魚・肉料理を食べ終えた俺に、地獄の炭水化物マラソンの始まりが告げられた。

 焼きそばパンの焼きそば。フィッシュバーガーのバンズのみ。ホットドッグのソーセージ抜き。焼きそばパンから焼きそばを抜いたパン。正直、焼きそばを抜いたパンを食べたあと、さすがにそれだけは抜かないで一緒に出せよと思った。

 だって、こんなのただの味付けコッペパンだろ。食う意味なんて、あるのか……? きっと、食べる前にレインへ文句を言うべきだったのだろう。

 しかしこれまでの食事ですっかり食べ疲れていて、パンを口に入れるまで、それが焼きそばパンから焼きそばを抜かれたパンだと気づくことができず、機会を逸してしまった。

 

「う、うそだろ……これ、焼きそばパンのパンだけかよ……」

 衝撃に、震える。仕方がないだろう。まさか焼きそばパンから焼きそばを抜くなんて、そんな愚かなことをする人間がこの世にいるとは、その時の俺には考えられなかったのだから。

 

「甲さん、そのパンがどうかしましたか?」

 用意した本人(レイン)は首をかしげ、不思議そうに尋ねる。

 

「わからないなら、いい……」

 力なく首を振る。これの異様さを理解できないお嬢様には、きっとなにを言ってもムダなのだろう。徒労に終わる予感を感じて、俺は口を閉ざし再びフォークを持ち上げた。

 自分がなにを食べているのか混乱しつつも、出されたものを次々と口に入れていく。鋼鉄の身体を持つ戦闘用電子体(シュミクラム)に移行(シフト)したかの如く、ここまで必死に耐え続けていた俺の鋼の心。

 それですら、この責め苦には耐えられずに幾度も折れかけてしまった。対して、食事を提供しながら病室に置かれたテーブルで楽しそうにそれらを食していたレイン。

 

「うぅ……」

 だがそんな彼女も、自らが生み出した凶悪な炭水化物の連撃(コンボ)を食らう内に、次第に元気をなくしその表情を暗くしていった。ただ、久しぶりに固形物を食べる俺のことを考えてくれたのだろう。

 どの食べ物も食べやすいように、消化がよくなるように。彼女の手によって、それぞれが丁寧に一口サイズに切り分けられていた。……そこに唯一ツッコミ所があるとすれば。

 俺にナイフ持たせた意味あるのか、ってことだけだった。

 

「はあ……」

 深く、腹の底から息を吐き出していく。大量の食材で腹がパンパンに満たされ直接ツッコむ元気が失われた俺は、ずらりと並べられたままのカトラリーを眺め。「なんで最初にあんなにナイフを並べたんだよ!」と心の中で盛大にツッコんだ。

 ワゴンに残された山積みの“具なし”爆弾おにぎりから目を背け、見ないようにして。

 

「…………」

 皿の上に使い終えたフォークを背を下にした状態で、一切の汚れが付着することなく役目を終え、刃を内側にしたナイフを一緒にそろえて四時の方向に配置する。

 ナプキンの内側の端でそっと口元の汚れを拭いテーブルの右側に無造作にそれを置くと――俺はウェイトレス(レイン)に食事終了(ギブアップ)の合図をした。

 

◇ ◇ ◇

 

「うっぷ……昼はこれくらいにして、残りは冷蔵庫に入れて夕飯の時にまた温め直そう……」

 久しぶりに食べる固形物の過量摂取は胃にこたえるな……。後で看護師の人に怒られそうだ……。パンパンになって膨張しきった腹をさすりながら、俺はベッドの上で力尽きていた。

 

「はい……ごめんなさい……こんなに買わなければよかったです……。甲さんと分けあったとはいえ、こんなに食べたら太ってしまいます……」

 そうつぶやいて、苦しそうに口元を手で覆うレイン。

 

「太る? レインはそんなの平気だろ」

「何故ですか?」

「いや、その……」

 視線をレインの整った目元から、その胸元へゆっくりと下げていく。亜季姉ぇほどではないが――レインはデカい。下げた視線の先にある“それ”は、とても豊かで、かなりの重量感を備えていた。

 昨日は状況が状況で特に意識してはいなかったが。今思い返すと、かなりデカかった。胸にその栄養のすべてが行きそうだから、なんて言うわけにもいかず。

 

「なんとなく、代謝がよさそうだなって」

 無難な返事をして、バレないように、できるだけ爽やかに。レインの目元のほうへ、ぐいっと、俺は無理矢理にも視線を上げ直す。

 

「そうですね。普段から身体を鍛えていますし、代謝はよいほうですっ」

 レインは両腕を上げ握り拳を作り、笑顔で元気よく答えてくれた。よかった。胸を見ていたことに気づかれなかったらしい。安堵した俺は、それから夕食の時間までレインと一緒に雑談などをして過ごしていた。

 ……もちろん、夕飯にレインとともに食べたのは、最後に残ったあの山盛りの“具なし”爆弾おにぎりだった。

 

「なんとか食べきったな……でも当分、おにぎりは食べたくない……」

「はい……私もです……」

 レインが買った市販の菓子を二人でつまみながら、そんなことを言い合う。残ったおにぎりの量は多かったがおかずなどがなかった分、夜は昼よりも少し余裕ができたので、俺たちは口直しとしてお菓子を食べていた。

 

「あ、これ美味しいですっ」

 袋から取り出した棒菓子を一本食べると、嬉しそうにレインは声を上げる。

 

「これって……ペッキーも食べたことないの?」

 チョコレートでコーティングされたプレッツェル菓子、ペッキー。この州(くに)では昔から定番のチョコ菓子だった。

 

「はい、こんなお菓子もあるんですね。私にはどれも珍しいものばかりで、見ているだけでも楽しいです……」

「……そっか」

 そうやって、市販のお菓子のパッケージを物珍しそうに、目を輝かせながら語るレインを見ていると。大切な人を失った悲しみにより壊れ、冷えきったはずの俺の心が、まるでその熱を取り戻そうとするかのように――かすかな温かさを宿し始めるのを感じていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 彼女は、本当に箱入りのお嬢様だった。 夜にここを訪問する時は高級なシルクのネグリジェに身を包み、お姫様を思わせる装いで。それに対して、レンタルの入院着を着た、彼女の従者にもなれない平民の俺があまりに不釣り合いで。

 お嬢様と言うといつも怒り出すが、仕方がないと思う。実際に、彼女は正真正銘お嬢様なのだから。最近はもうすっかりケガが治ったこともあり、レインは自分の病室を抜け出して俺の所へ入り浸っている。

 最初は彼女のことを邪険に扱ってしまっていたが、今は一緒にいるとなんとなく和んでしまうような。彼女は、そういう感じの女の子だった。少しずつだけど、俺はレインといることで、確実に癒されていった。

 そして今夜も、俺たちは病室で、ひっそりと逢瀬を重ねている。

 

「んっ……あっ……ふあぁ……甲さぁん……」

「好きだ……愛してる……空……」

 昼間は彼女のことをできるだけ女として見ずに、ただの友達として接しているくせに。

 

「んんっ……! んむっ……んぅう……!」

 夜は彼女を自分の恋人の代わりとして、これ以上ないほどに、女として扱っていた。豊満なその胸を好きなだけ触れ、口づけを交わし続ける。それ以上のことをしないだけで、もう、こんなのは。

 

「んむぅーっ!」

「……っ?」

 ある日、キスをしながら胸を愛撫していると、突然レインが大きな声を上げた。

 

「ん……っ……ぅ……!」

 驚いて唇を離してやると。激しくではないが、レインはぶるぶると、自身の身体を震わせていた。これは、もしかして。

 

「そろそろ寝るか」

「……は、はい……」

 まさかな、とは思いながらも。返事をするレインの声は、あまりにも艶っぽく、熱に満ちあふれたもので。慎み深いレイン相手にこんな確認をするのも、なんだか悪い気がした。

 また別の日、最初はお互いに座った状態でキスをしていたはずが、いつの間にか俺は、レインの上に覆いかぶさり、その可憐な唇に口づけていて。

 

「あっ……!?」

「ん……?」

 あろうことか、勃起した“モノ”が、洋服越しとはいえ、レインの下腹部にぴったりと触れてしまっていた。

 

「ご、ごめん」

 俺は慌てて身を引いてレインに謝った。俺、なにしてるんだ。空の名前をつぶやけば、なにをしてもいいとでも思っているのか。

 

「い、いえ……」

 俺のモノを身体に当てられたことがよほど刺激的だったのだろうか。レインは横になった状態で頬を真っ赤に染めて。目をつむったまま、ぎゅっと、身体の前で重ねた手を握りしめていた。

 

「もう寝ようか、レイン」

「はい……」

 最初の頃は、ただお互いを慰めるためこのような行為に及んでいたが。どうやら現金な俺の身体は、レインが絶頂に達する瞬間を目撃してからというもの、すっかり性欲を取り戻してしまったらしい。

 

「……はあ」

 勃起したことにより膨らんだズボンを手で押さえ、ため息をつく。無意識であんなことをするなんて、俺ってやつは本当にどうしようもないな。俺は自分という存在に、呆れ果てていた。

 

◇ ◇ ◇

 

「……そういえば、今日誕生日だったな」

「えっ?」

 ぽつりとつぶやく。ずっと視野に表示されているはずだというのに。病室のモニターへ映されたテレビ番組に表示された日付を見て、今さら気づく。三月七日――今日は、俺の誕生日だった。

 

「甲さん、今日がお誕生日なんですか。ということは、昨日までは私より年下だったのですね……」

 別に大したことではないというのに、レインは感慨深くそんなことを語る。

 

「うん、いつもは友達に祝ってもらったりしてたけどさ。今年はこんな状況だし、誕生日もなにもないよな」

「そんなこと……」

 街は行き場もなくさ迷った被災者であふれているっていうのに。誕生日なんか、のんきに祝えるはずがない。そもそも、当の本人である俺にそんな気はまるでないのだから。

 

「あ、あのっ。僭越ながら……私が、甲さんのお誕生日をお祝いしても、構いませんか……?」

「レインが?」

「ご迷惑でなければ……ですけど……」

 これはさすがに口にはできなかったが。――正直に言うと、迷惑だった。

 

「誕生日っていっても、別にしてもらいたいこともないし。そんなこと、しなくていいよ」

 若干レインに対していら立ちを感じ、そっけなく返事をする。

 

「で、でも、こういうのは気持ちが大事だと思います!」

 すげなく断られても必死に食い下がるレイン。悪いけど、今はその気持ちが、俺にとっては不快なんだ。いったいなにが、普段弱気な彼女をこうも突き動かしているのだろうか。

 そんな疑問が頭に浮かびつつも、俺はレインの心を折るために、非情に徹することにした。

 

「まだ入院しているから外出もできないし、そもそもここは病院だし。特にやれることもないと思うけど?」

 こんなご時世に俺の誕生日を祝う、などというバカげたことをやめさせるために、できるだけつれない態度を取った。頼むから、もうやめてくれと。そんな願いを籠めて。

 

「うぅ……それは……その……残念です……」

「うん、わかってくれればいいんだ」

 しょげているレインの姿に胸が痛む。俺のことを祝ってくれようとするけど、本当にそんなことをする気はないのだからこうする他ないだろう。純粋な善意で誕生日を祝おうとしてくれたというのに、冷ややかな扱いをしたことに罪悪感を覚えたが、俺は自分の意志を貫き通すことを優先した。

 

「……あ、甲さん。もうすぐ三時ですし、飲み物となにかお菓子を買ってきてもよろしいですか?」

 視野に表示されている時計を確認したのか。レインは虚空に視線をさ迷わせた後、俺のほうを見てそんな提案をしてきた。

 

「ああ、頼むよ。レインの好きなものを買ってきてくれればいいからな」

「はいっ」

 暗くなった気分を変えたいと考えたのだろう。普段どおりレインは俺とお茶をするために、病院の売店へ飲み物とお菓子を買いに行った。

 

「おまたせしました、甲さん」

「おかえり、レイン」

 少し経った後、レインが病室に戻ってきた。いつもよりも時間がかかっていたが、お菓子を選ぶのに迷っていたのだろうか。

 

「今日は飲み物と……なんと、ケーキも買ってきたんですよっ」

「ケーキ?」

 レインは片方の腕に売店のビニール袋を下げたまま、なにやら小さな箱を自分の胸の前へと掲げている。それは売店に売っていて、コンビニなどにも置いてあるプラスチックのケースに入れられたものではなく。

 洋菓子店で購入した時に渡される、白い持ち手のついた箱に入れられていた。

 

「もしやと思って病院のレストランに行ってみたら、なんと手作りケーキが売っていたんです。ちょうど二個残っていたので、両方とも買って来てしまいましたっ」

「へー……あ、俺が誕生日だから?」

「……はい。お祝いができないのなら、せめてこれくらいはさせてくださいな」

 ゆっくりと頷いてから、目を細め。とても穏やかで、思いやりに満ちた眼差しで俺を見つめると、レインはそう答えてくれた。

 

「……ありがとう。さっきは、冷たくしてごめんな」

「いえ、そんな甲さんが謝られることではありませんよ。貴方のお気持ちも考えずに、私が一方的に自分の想いを押しつけたのですから。……今だって、こうして勝手にケーキを購入してしまいましたし」

 眉を下げ、申し訳なさそうにして、レインは両手の中の箱を見下ろす。

 

「お嫌でしたら、正直におっしゃってくださいね……」

「それでも、ごめん。いやなんかじゃないよ。……買ってきてくれてありがとう、レイン」

「はい……。でも、せっかく甲さんの誕生日なのに。贈るものが、こんな心ばかりの品になって申し訳ないです」

 胸の前で抱えた何の装飾もない真っ白なケーキの箱を眺め、寂しそうに語るレイン。その箱は潰れてしまったわけではないというのに、俺への贈り物を自信なげに見つめるその姿が、あの時と重なって見えて。

 

『そうですよ。重要なのは心ですから。きっと、どんな品であれ、喜んでくれますよ』

 俺を励まそうと笑いかけてくれた、優しさにあふれたレインの顔が、頭によぎる。さっき俺が断ってしまったから。きっと今日も、気弱な彼女が持ちうるなけなしの勇気を出して、これを買ってきてくれたのだろう。

 プレゼントを渡してくれた時、大きく吐息をもらし涙ぐみながら笑顔を浮かべていた、レインの微笑ましい様子が頭に思い起こされる。

 

「…………」

 おのずと俺の口は弧を描き、彼女へ贈る慰めの言葉を紡ぎ出していく。

 

「謝るなよ。贈り物に重要なのは心だって、そう言ったのはレインのほうじゃないか」

 今でも誕生日を祝って欲しいなんて、これっぽっちも思えなかったけど。さすがに一緒にケーキを食べたい、なんて可愛らしい申し出まで拒否するつもりはなかった。

 そんなレインの温かい心遣いを、俺は素直に、快(こころよ)いものに感じられていたから。

 

「甲さん……。あの時の言葉を、覚えていてくださったのですか……?」

 顔を上げ、驚きに目を瞠(みは)るレイン。

 

「当たり前だろ」

 ……お前に背中を押してもらえたおかげで、俺は。そこから続く言葉を断ち切ることで、“それ”を思い出さないようにする。

 

「そうおっしゃっていただけて嬉しいです……。では、次のお誕生日は、きちんとお祝いをさせてくださいね」

 レインはあの時のように、穏やかに笑いかけてくれた。

 

「次の……」

 こんなにも柔和な笑顔を向けられたというのに、口をつぐんでしまう。一年後のことなんて、今の俺にはなにも考えられない。そもそもこんな世の中だし、もしかしたらまたなにか大変なことが起きて、来年まで生きていないかもしれないだろ。

 つい残酷な言葉を口から吐き出しそうになるが、そんなことを言ったところでまたレインを悲しませるだけだろう。これ以上彼女を傷つけるようなことはしたくないと、口を閉じて沈黙に徹することを決めた。

 ……ただ、今の俺にもひとつだけ、わかることは。

 

「約束ですよ?」

「あ、ああ」

 来年も一緒にいることを信じてやまない、純粋な瞳で見つめられてたじろぎ、歯切れの悪い返事をしてしまう。――その頃には、お前と一緒にはいないと。俺にはそんな、確信があったから。

 

 それからすぐのある日、俺はレインにひとつの決意を語った――傭兵になる、という人としてあまりにも愚かな選択を。

 

◇ ◇ ◇ 

 

 俺が傭兵訓練所に入所する日の前夜。レインはこの関係がもうすぐ終わることを理解していて、今日も心細げな表情を俺に向けていた。もうすぐではなく、今日がその最後の日、なんだけどな。

 

「好きだ……愛してる……」

「好きです……愛しています……」

 だがもう、こんなことは終わらせるべきだ。偽りの逢瀬、偽りの睦言。幾度も繰り返してきた過ちを、全部。

 

「はっ……んっ……ちゅっ……んんっ……」

 せめて、今までの感謝を示すために。レインの抱(いだ)いた寂しさを、わずかでも溶かしてあげたくて。唇をついばむたびに、想いを籠めて。今までありがとう。

 お前のおかげで、少しは楽になれたよ。何度も口づけを繰り返すと、頬に添えていた手に、水滴が触れる。

 

「……っ」

 目を開けると、いつの間にかレインは目に大粒の涙をたたえ、あふれさせていた。この関係を始めた頃とは違い、最近はあまり泣かなくなっていたというのに。

 唇を離さないままに手だけをずらして、指先で涙をそっと拭ってやる。泣くなよ。今夜でおしまいだっていうのに。指を濡らしていく涙とともに彼女への未練が、想いが、募っていく。

 最後は、自分を癒すためではなく。ただ、お前だけのために。泣き止んでくれるように、俺は彼女を快楽へと導くために、その豊かな両胸に触れ始めた。

 

「んっ……あっ……んぅ……ふあ、ぁ……ぅん……」

 ずっしりとした重みのある乳房を両手で持ち上げ優しく揉むと、喘ぎ声をともなって、熱い吐息がかけられる。何度触っても飽くことのない揉み心地に感動し、徐々に触る力を強く、激しくしていった。

 

「あんっ……んん、んっ……! はっう……んうっ……!」

 快感に集中し始めたのか。気がつくと、レインの目から涙が流れることはなくなっていた。満面に朱を注ぎ、その瞳は恍惚としたものに変化していて。軽く汗ばんだその身体は、触れられることで熱を持っていた。

 ……もっと、気持ちよくしてやらないと。

 

「……っ!」

 今日も胸の中央を指で軽く押し、そっと撫でていくと、レインがぴくりと反応する箇所を発見する。かすかに盛り上がり、周囲とは明らかに感触の違う、硬くなった部分。レインは着ている寝巻や下着の生地が薄いこともあり、服の上からでも容易に乳首の位置を探り刺激を加えることができていた。

 ……ここ、だな。俺は今日もすぐにレインの“それ”を探り当て、刺激を与えていく。

 

「ひうっ!」

 きゅっと乳首をつままれた途端、声を上げながらびくんと背中を反らして反応するレイン。

 

「んあん……ああっ……! ひぁっ……んぁあ……!」

 こうされるのが、好きなんだよな。右手で乳首を押すように、時々クリクリとつまんで刺激し、そうしながらもう片方の胸を強く揉み続ける。

 

「あんっ……あっ……こ、甲さぁん……やっ……やぁあっ……!」

 そうやって愛撫すると、レインは甘い嬌声を上げ、次第にトロンとした目つきに変わっていった。少し時間が経つと、レインは時々太ももを擦り合わせるように身じろぎをし始める。

 スカートの奥の“その場所が”俺の愛撫により濡れているのかと思うと、さらに興奮して責めを激しくしてしまう。

 

「う、んんっ……んむっ……!」

 胸を触る手の動きはそのままに。キスをして、口内からもレインを愛撫する。時折上顎を舌で擦って刺激すると、喘ぎはより強く、より甘いものへと変貌していった。

 こうしていたら、今夜も彼女は絶頂に達するのだろうか。そんな好奇心が頭を占める中、俺はレインへの責めを強めていった。片方の手で胸を強く揉み、もう片方の手で乳首を弄りつつ。

 口の中では舌を吸って深く絡め、時々上顎を激しく舐めていく。

 

「んっ……ぅん……んむぅ……うぅーっ!」

 そんなことを繰り返していると、数分もしない内に大きく声を上げ、びくりと身体を震わせ痙攣をし始めるレイン。

 

「っ……ぅっ……はっ……」

 唇を離してやると、レインはネグリジェの裾を両手で強くつかみ、小刻みに身体を震わせたまま、虚ろな目をしていた。どうやら、今日もこれだけの愛撫でイけたらしい。

 

「そろそろ、寝ようか」

「……は、はい……」

 自分の身体の反応に戸惑いながらも。レインは俺に促されともに布団へ入り、ベッドに横たわった。レインをオルガスムスへ導いたことに達成感を抱(いだ)きながらも、俺の身体は満足などこれっぽっちもしていなかった。

 だが、どうせ少し経てば治まるのだと。雄としての本能を無視してこれ以上のことはせず、目を閉じて昂(たかぶ)った心を落ち着かせていく。やがて隣から聞こえる呼吸が荒いものから落ち着いたものへと変わり始めると、レインが声をかけてきた。

 

「あの、甲さん……私最近、身体が変になったみたいです……」

「――っ! ……へ、変って、どんな感じに変なんだよ?」

 やっと、気づいたのか。自分のしでかしてきたことを指摘されてしまう恐れから、尋ねる声がかすかに震える。

 

「痙攣して、身体が熱くて凄くゾクゾクして、いつもよりも頭がボーっとしてしまって……。こうなるのは夜だけなんですが、風邪でも引いてしまったんでしょうか……?」

 何度も起きた身体の異変に違和感を抱いたらしい。だが、レインの性知識は不十分で。まだ“それ”を理解するには至っていなかった。

 

「……イったんだと思う」

 ぼそっと、レインに向けてつぶやく。最後だから、つい本当のことを言ってしまいたくなったのだ。

 

「えっ?」

「お、おやすみっ!」

 さすがの俺も、絶頂に達した女の子からあんなことを言われて平気なままではいられなかった。慌ててレインに背中を向けて、ずれた布団を肩の上まで被る。くそっ、早く静まれ。

 俺の男性自身は怒張し、ズボンの中で自らの張力により痛みを発していた。明日からは訓練所で新しい生活が始まるっていうのに、未練を残してどうするんだ。もう、彼女はここに置いていくと決めたんだぞ。

 

「……レイン、起きてる?」

 あれから十分ほどは経っただろうか、痛いほどの勃起もすっかり治まった頃。俺はレインに声をかけた。

 

「はい、まだ起きていますよ、甲さん……」

 イった直後じゃあすぐには眠れないだろう、という俺の読みはどうやら当たっていたらしい。未だに余韻に浸っているのだろうか。その声は少し甘く、熱を帯びたものになっていた。

 

「今までホント、色々ありがとうな。俺、レインのおかげで少しはマシになれたよ」

「甲さん……。そんな、お別れをするようなことをおっしゃらないでください。これからも私たちは一緒なんですから」

「そうなんだけどさ、改めて礼を言っておきたかったんだ」

 最初から最後まで徹底して、俺はこの場所で、彼女にうそをつき続けた。

 

「もう、あんな言い方をされたのでびっくりしてしまいましたよ」

「ごめんごめん。それじゃあおやすみ、レイン」

「はい。おやすみなさい、甲さん」

 でもごめん。やっぱり一緒には連れていけない。あんな仕事をお前にやらせることなんて、俺にはできない。そう固く誓いながら、目を閉じた。……今まで本当にありがとう、レイン。

 眠りに落ちる寸前、あるひとつの事柄について気づいたことがあった。――俺は今晩、レインに対して“一度も”空と、呼んではいなかったということを。

 だがそんな気づきも意識とともに失われ、やがて俺の記憶の中から、完全に消えてなくなっていった。

 

◇ ◇ ◇

 

 次の日の朝、レインに黙って傭兵訓練所に行くため、かなり早い時間に俺は目を覚ましていた。機械音声(マシンボイス)に促されて起きると、眼前には目を閉じて安らかに眠るレインの姿があった。

 ……レインの寝顔、初めて見たな。夜の間ここに来ていることがバレないように。レインは常に、俺よりも早起きをして自分の病室へと帰っていて、今までそんな機会は一度もなかったためだ。

 

「…………」

 俺の隣で静かに寝息を立てるレイン。大人っぽい容姿に反して、その寝顔は年相応よりも少し子どもっぽく思えた。その顔を見つめていると、再び心残りが蘇ってきそうで。

 俺はこれから訓練所に行って――傭兵になる。もう二度と、この世間知らずで、少しドジで。俺の命の恩人である、心優しい女の子に会うことはないのだと。

 耐えがたい名残惜しさで胸に苦しさを感じ、時間ギリギリまで彼女の寝顔を眺めてから、病室を後にした。……そして俺は今、訓練所へと向かう列車の中にいる。

 ガタゴトと揺れる電車の座席に座り、レインのことを考えず、頬杖をついて窓から見える風景を眺め続ける。列車に乗ってから数時間も経ち、窓の外は段々と民家の数も減っていって、気がつくと辺りは山の緑がほとんどを占めていた。

 野鳥が群れを成して木から飛び立つさまを見た時、動物好きなレインが見たら喜びそうだなと。不意に、そんなことを考える。

 

『動物番組を見るとアニマルセラピーのような効果がもたらされるので、甲さんもご覧になってくださいませ』

 以前ニュース番組を見て俺の気分が暗くなった時、レインが気を利かせて動物番組に変えてくれたことがあった。今思うと、あれってただ自分が見たかっただけだよな?

 実際、俺は病室のモニターで流れていた動物番組ではなく、それを見て終始ニコニコと笑顔を浮かべていたレインを眺めて和んでいたことを思い返す。

 

『……はい。お祝いができないのなら、せめてこれくらいはさせてくださいな』

 誕生日を祝わなくていいって言っても、病院のレストランでケーキを買ってきてくれたんだよな。お前って、本当に優しいやつだったよ。

 

『では、次のお誕生日は、きちんとお祝いをさせてくださいね』

『約束ですよ?』

 ごめんな。もうお前とは、二度と会えないから。次の誕生日は、祝ってもらうことはできないんだ。約束をやぶっちまってごめん。あんなに世話になったのに、お前の誕生日も祝ってやれなくて、本当にごめんな。

 

『私、おにぎりを一度買ってみたかったんです。色々な具材やおかずが中に入っているのがとても面白くてっ』

 興味深そうに。病院の売店で買ってきたものを俺に見せ、はしゃいでいたレインの姿が頭に浮かび、ふと笑みがこぼれる。……面白いのはおにぎりじゃなくて、お前のほうじゃないか。

 気づくと、考えないようにしていたというのに、彼女と過ごした日々に想いを馳せてしまう自分がいた。忘れようとするには、それはあまりにも濃く、充実した日々だった。

 もちろん彼女との思い出は楽しいことばかりではなく、思い返すのも躊躇(ためら)ってしまう苦いものもたくさんある。それでも、彼女と一緒に過ごせてよかったと、今の俺は心の底から思うことができた。

 レインがいなければ、こんなにも自分の精神状態が改善されることなどなかっただろう。ずっと俺へ元気になって欲しいと、励ましていてくれた彼女にうそをついて置いていくことは、ひどい裏切り行為だと理解している。

 だが、恩人である彼女に傭兵なんて、汚く人に軽蔑される仕事を絶対にさせるわけにはいかなかった。……今日からは、ひとりでやっていくと決めたんだ。だからもう、彼女のことを考えるのはやめよう。

 自分に繰り返しそう言い聞かせ、断ち切ったはずの未練と後悔に胸を苛(さいな)まれる中。自身の本当の気持ちから、目を逸らす。

 

「……っ」

 噛み締めた唇は、今にも血が出てきそうなほどに、痛みを発している。現在ではとても珍しくなってしまった、自然にあふれた美しい景色を車窓から見つめ。訓練所の最寄り駅まで俺はただ、電車に揺られていた。

 

「……これで、よかったんだ」

 自分を納得させるために。ぽつりと、こぼれるようにそんな言葉を口にしていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 長い乗車時間の果てにようやく目的地へと到着し、駅を出て訓練所への道へ歩みを進めた俺の目の前に、現れたのは。

 

「……遅いです、甲さん」

 着用している衣服に合わせた配色の、女優が被りそうな優雅な装飾の施された白いつば広帽を頭に乗せた、深窓の令嬢らしい出で立ち。手足が長く、遠くからでも目を引く抜群のスタイル。

 そして艶やかな金髪に群青色の瞳。間違いない。それは別れたはずの、一生会うことはないはずだと、そう思っていた彼女――レインだった。柳眉をひそめ、不愛想な顔を俺へと向けながら。

 どうしてここへ来られたかの経緯(いきさつ)を説明した後、レインはすぐに身を翻して訓練所へと足を向けた。――もう、この前までの弱気な少女の姿は、そこにはなかった。

 

「……はは」

 茫然としながらも、俺は慌ててそんなレインの背中を追いかける。おいおい。俺、さっきまで生まれて初めて今生の別れってやつを、自分からしたつもりになっていたんだぞ? 複雑な心境になり、苦笑いをする。

 俺とともに人としての道を踏み外したレインを憐れに思いつつも。また一緒にいられることで、俺の心はたしかな喜びを感じていた。……彼女のためを思うなら、そんな感情を抱(いだ)いてはいけないというのに。

 そして小走りになって追いついたレインの隣に立ち、視線を合わせて微笑み合う。俺たちは今日の目的地――傭兵訓練所へと、歩みを進めていった。

 

 俺と彼女の関係の終わりの日は、まだまだ遠く。どうやら俺たちのいびつな関係は、これからも続いてしまうらしい。皮肉にも、こんな愚かな俺たちの門出の日を祝うかのように。

 ふと見上げた空は雲ひとつなく、見惚れてしまうほどに青く澄みきっていて――それはそれは、晴れやかで穏やかなものであった。

 

第四章『俺と彼女の終わりの日』

終




 今回は正直、内容が濃過ぎて三話分くらい書いてる気分になっていました…。こんなだから書くのが物凄く大変で時間がかかってしまいました…。
次回はとても下らないド定番マッサージ回なので、今回よりも早くアップ出来ると思います。ちなみに次回は非R18の方に投稿しますのでご注意ください!
 あと、この前まで傭兵訓練所は四年間の設定とか言っていたんですが、どうしても正しい時系列を知りたくてネタバレを見ないように慎重にネットで情報を見たら、訓練所に居た期間は三年間だったみたいなので三年間に設定し直しました。これで何とかセーフかな…。

以下、小説の今後の予定と執筆状況です。

⑥【コメディ】マッサージ回 現在2980文字
甲さん視点。ラッキースケベ回
⑦【シリアス】『呼び起こされる記憶』現在2202文字
レイン・甲さん視点。シリアスラッキースケベ回
⑧【コメディ】『歴代最高の』現在3477文字
甲さん視点。ラッキースケベ射撃練習回
⑨【R18】『彼の匂いと、私の匂い』現在2766文字
レイン視点。シリアスひとりえっち回
⑩【日常】『貴方と過ごす、特別な一日』現在7305文字
レイン視点。デート回
⑪【コメディ】ミカンとロボの話 現在6606文字
レイン・甲さん視点。
※⑫【シリアス】『かけ離れた存在』現在499文字
甲さん視点。座学回
⑬【バトル】シュミクラム演習回 現在11536文字
甲さん視点。影狼VSアイギスガード
⑭【シリアス】『鈍色のクリスマス』現在1752文字
甲さん視点。一年目のクリスマスなので重い……。
⑮【日常】『彼女と迎える新たな日の出』現在4334文字
甲さん視点。一年目の年末年始ネタ。かなり平和で明るい話。
※⑯【日常】一年目のバレンタイン現在436文字
短すぎるので漫画にするかどうか悩んでいます…。
⑰【コメディ】甲さんの誕生日回 現在6285文字
甲さん視点。結構にぎやかで楽しい感じの話になっています。
⑱【コメディ】『アイギスガード盗撮事件』現在5809文字
甲さん視点。二年目の話。物凄く下らない話です…。
⑲【日常】『メリークリスマス、なんて言えない』現在2255文字
甲さん視点。二年目のクリスマス。
※⑳【日常】二年目のバレンタイン
現在342文字
㉑【コメディ】『R・C』現在1573文字
甲さん視点。訓練所で仮想薬物バーチャル・ドラッグが流行る話。
㉒【シリアス・日常】『モラトリアム』現在4604文字
レイン視点。
※㉓三年目の正月
甲さん視点。
※㉔三年目のデート回
甲さん視点。現在2091文字
㉕【日常】『レインの誕生日』現在5623文字
甲さん視点。

<ここから傭兵時代編>
※㉖【シリアス】統合軍所属傭兵時代の話 現在863文字
甲さん視点。
㉗【R18】『彼と私の初体験』現在5902文字
戦場の二人の初回えっちシーンのレイン視点版
㉘【R18】『不躾なお願いですが……私を……慰めてはいただけませんか……?』現在3582文字
甲さん視点。
※㉙【R18コメディ回】甲さんの誕生日えっち回 現在2991文字
甲さん視点。
㉚【R18】『貴方の笑顔』
㉛【R18】『明らかになった想い』
同じ話の二人の視点それぞれで書いた話。両方合わせて現在5482文字
㉜『あなたの幸せな部下』3768文字
甲さん視点。レインがケガをして入院する話

<ここからアナザーレインルート>
㉝【R18】『偽物』現在6597文字
甲さんによるレイン凌○回
㉞【R18】『本物』現在4085文字
愛のあるえっち回
㉟【バトル】『君を手にかけるくらいなら』現在10386文字
アイギスガード戦前半
㊱【バトル】『一日の長』現在11371文字
アイギスガード戦後半
㊲【シリアス】『嘘だなんて、言わないでくれ』現在13352文字
最終回

※がついているのはボツになる可能性がある回です

えっちなお話でどれか読みたいと思うものはありますか?ちなみにもちろん全て甲レインで、『記憶を失くした俺と、彼女の初体験』(愛と快楽の会議で最後までする話)が一番書けています。一番内容が薄いのは初日にHする話です…。

  • 愛と快楽の会議で最後までする話
  • 枕代わりに使ってと言われて甲を眠姦する話
  • 嫌がるレインを襲って最後までしちゃう話
  • 愛と快楽の会議でHしないと出られない部屋
  • レインルートの初日でレインとHする話
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