あとがきにお知らせがありますのでご確認のほどもよろしくお願いします!
始まりの物語
その男は、風のような軽やかな足取りで歩く美丈夫だった。
青い髪を後ろで縛り、しなやかな筋肉を持つ獣のように細く引き締まった体を包むのは、黄色いシャツに黒のパンツ。手には、釣り竿を持って右肩にかけるように持ち、鼻歌交じりに我が道を行く。
「──あん? なんだぁ?」
不意に鼻歌が切れ、男は不機嫌そうに眉を顰めて頭上を見上げる。見れば空の色は、白くなり、人や獣の気配がなくなっていた。
「……結界か」
男は、自分の周囲が現実から切り離されて位相の違う空間に取り込まれたことを察し、鋭い視線で周囲を見渡す。
「──どうやらオレを狙ったってわけでもねぇな」
と、男はどうも自分は巻き込まれたらしいと当たりを付ける。殺気は感じるが、それは己に向いてはおらず、視線のずっと先に渦巻いていた。どうやらそこが現場であるらしい。
「さて、どうしたもんかねぇ……」
釣り竿を片手に男は、顎に手を当てて悩む素振りを見せた。戦いは嫌いじゃないが、自分には関係ない事柄にわざわざ首を突っ込む義理はない。当事者の誰かしらは死ぬだろうが、別に知った相手でもなし見捨てることにすらならないだろう。
向かってくれば槍の出番だが、終わるまで日和見を決めても別に問題はないはずなのだが──……。
「随分とチグハグな気配だな。この感じだと、仕掛けたのが多数、仕掛けられたのが少数みたいだが……どうにも気になりやがる」
別に多勢に無勢なのは構わない。あまり好かんがそれは気性の話であり、戦にしろ狩りにしろ数というのは必要な力で鉄則だ。それは人も獣も変わらない。もちろん寡兵で大軍を破ることもあるから一概には言えないが、それでもそんなのは稀なケースでいま考慮すべきことではない。
では、男は何が気になるのか。それは、感じられる気配だった。
弱々しい人の気配ふたつに大なり小なりの強い気配が複数人、寄って集っていることはともかく、その弱々しい気配から別の強いオーラを感じることだった。
「これなら仕掛けられた側が強者で、仕掛けた側が弱者だ。だが、にしては膠着してやがる。──さては、薮を突いて蛇でも出しやがったな?」
相手を自分たちより弱いと思って高を括り、数の利を盾に嬲るように痛ぶっていたら予想外な反撃に遭う。男からしたら間抜けの極みと鼻で笑うところだが、蜥蜴だと思っていた相手が実は、龍の類いだった、これもまた稀にあることだ。
しかし、襲った側にとっての幸運は、その目覚めた力を襲われた側がまだ使いこなせていないことだった。力に慣れて返り討ちになるか、力に慣れる前に殺すか、この二者択一だ。
そして、襲撃者たちにとって不運だったのは──……。
「どれ、ちょいと見に行ってみるかね」
この男の気を引いてしまったことだ。いや、そもそもこの男を結界に巻き込んでしまったことかもしれない。
随分と距離は離れていたが、男はどんな手品か光に包まれると一瞬で体にフィットした青い装束に着替え、身を屈めると獣を彷彿とさせるようなしなやかな躍動とともに駆け出し、森の木々を縫うように走り抜けてあっという間に鉄火場へと到着した。
そこでは、蝙蝠のような黒い翼を広げた複数人の男たちが震えながらも女性を庇って両腕を広げて立つ子供を囲んでいた。
「──何者だ!?」
襲撃者たちのリーダー格らしい男が青い装束の男に怒鳴りつける。気配を隠そうともしなかったため気づいたようだが、青装束の男にとってはどうでもいいことだった。
「チッ……女子供に大の男が寄って集ってみっともねぇな、おい」
青装束の男は、まだ元服を迎えてもいない子供とか弱い女性を集団で囲んで痛めつけるという男の風上にも置けない輩をそう言って吐き捨てる。彼からしたら不愉快極まりない。
同時に、或いは逆にだからこそ中心の子供を気持ち良く思う。怖いだろうに、震えながらも涙を溜めはしても流さず、気丈に男たちを睨み、両腕を精一杯広げで女性を守ろうとしている。これを見て何も思わない輩は、男を名乗る資格がないと青装束の男は思う。
不意に現れた部外者に、ましてや人間風情に侮辱されたことに怒りを露わにする男たちの小ささなど気にも留めず、青装束の男は軽やかに跳躍して集団を跳び越えると少年の前に音もなく着地し、彼を囲むように突き立つ無数の槍を気にすることなく破顔して言う。
「おう、頑張ったな坊主。まだ小せぇのに大したもんだ。後ろのは、おまえさんの大事な奴か?」
「か、母さんだ……っ!」
少年は、震えながらもそう言って気丈に睨んできた。それを青装束の男は、気風の良い笑みを浮かべて頷く。
「そうか。漢を見せたな。気に入ったぜ、坊主。おまえさんだけでも大丈夫だろうが、ここはオレに預からせてくれや。おまえの戦い、オレが引き受けた。坊主は、母ちゃんを守ってやんな」
少年の矜持を守りつつそう言って青装束の男は、背を向けて襲撃者たちと相対した。その背中を見た少年は、不思議ともう大丈夫なのだと確信して力が抜けそうになるが、任されたのだからと目や体に力を入れて母を守るために精一杯に仁王立つ。
それを気配で察した青装束の男は、口元に笑みを浮かべるとまるで虚空からいきなり現れたかのようにどこからともなく一本の長槍を取り出した。
「貴様っ、たかが人間風情が我らの邪魔だてをするか!?」
「おう。おまえらより、この坊主のほうが気骨があるしな。生憎とオレは、おまえらみたいな輩が嫌いなんだよ」
「っ……吐かしたな! そこの売女と混血のような存在価値がない奴らのために無駄死にするかっ!?」
リーダー格の男からの悪罵に少年は悔しげに表情を歪める中、青装束の男は不愉快げに眉を顰めて吐き捨てる。
その戦意に対して青装束の青年から──様子見、遊びの気配がなくなった。
「ああ、おまえらこそやるってんなら──決死の覚悟を抱いて来い」
そう言い返した青装束の男は、槍を構えて踏み込んだ。
次の瞬間には、リーダー格の男は胸元を槍に貫かれて心臓を穿たれていた。
「なん、だと……?」
それがリーダー格の男の最期の言葉だった。何が起きたのか理解できないといった愕然とした表情を浮かべ、リーダー格の男は背中から地面に倒れ伏す。
青装束の男は、それを見聞きすることなく槍の穂先を抜くと鋭い眼光で集団を見据え、踏み込むたびに姿が掻き消えて数瞬後には、断末魔の声に視線を向ければ襲撃者の誰かしらが胸元に槍を生やして絶命している。
冗談のような立ち回りに、指揮官を欠いた男たちは魔力を炎や風、雷や氷に変えて放つが青装束の男の速度を捉えられず、地面や大気を焼き、切り裂き、凍らせるだけでまるで当たる気配はなく、逆に青装束の男の槍は振るわれるたびに襲撃者たちの心臓を、頭を刺し穿ち、払われた柄に払われて肋骨と内臓を粉砕されて絶命する。まるで勝負になっておらず、一方的な狩りの様相となっていた。
「な、なんなんだ貴様はっ!? なぜ我らの邪魔を……ぎゃあっ!?」
「ほ、本当にこれが人間に可能な動きなのか!? あぎゃっ!?」
「なっ、こんな……バカな……そ、その槍の力か?!」
「ああ? いや、こいつは魔獣の骨から削り出した単なる槍だ。生前に使ってた朱槍とは、比べるべくもないナマクラよ」
次々と仲間を討ち取られ、唯一残った男がどこにいるかもわからない相手に現実を否定するように問いかければ、答えは彼の背後からつまらなさそうに返ってきた。
「っ……!? 朱槍……その獣のごとき体捌きに鋭い槍捌き……貴様、まさかアイルランドの〝光の御子〟か!?」
「まぁ、そう呼ばれたこともあったが……いまは単なるその残滓にすぎねぇよ。それでもおまえたちを殺るには充分なようだがな」
「っ……舐めるなっ──がぁっ!?」
恐怖を怒りで掻き消し、振り向きざまに魔力を放とうとした男は、それより早く放たれた刺突によって胸元を貫かれ、心臓を刺し穿たれて激痛とともに吐血する。
「な、ぜ、こんな……簡単な仕事だった、はずなのに……混血のガキは、神器に目覚め……人間風情に邪魔され……こんなはず、では……」
「まっ、人生なんてそんなもんだ。ここでオレと出会っちまった己の不運を呪え」
そう言い返して青装束の男は、槍を払うようにして抜き、男の死体を跳ね除けた。あれだけいた襲撃者たちは、瞬く間に殺され、ひとりも残っていなかった。
屍山血河、死屍累々の中心に佇む青装束の男は、槍を矯めつ眇めつ確認し破損がないことを見て取ると、くるりと回して右肩に担ぐようにして持つと振り返って少年を見遣る。
「おう、終わったぜ坊主? 無事か?」
「う、うん、ありがとう」
「なぁに、いいってことよ。たまたま通りすがっただけだしな。まっ、これも何かの縁ってな」
凄惨な光景を見せたことに多少罪悪感があった青装束の男だったが、問題なさそうな少年の様子に口元に笑みを浮かべ、槍で肩をトントンて叩く。
「さて、とりあえず安全にはなったが増援もあるかもしれねぇが……まずはおまえの母ちゃんだな。傷、見せてみな」
そう言って近づく青装束の男に気が抜けたのか、少年が崩れ落ちるように座り込むと周囲に生えていた無数の多種多様な形状をした槍が消え、一本の絶大なオーラを放つ槍だけが残った。
その槍を一瞥したあと、青装束の男は少年の傍らにしゃがみ、倒れた女性の容態を見る。
「か、母さんは大丈夫……?」
「おうよ。容態はやばかったがオレが居てよかったな、坊主。ルーンでちょいちょいっと手当てをしたからな、持ち直したぜ。あとはちゃんとした設備が整ったところで診てもらいな……って言いてえが乗り掛かった船ってやつだ。安全な場所まで連れてってやるよ。せっかく助けたのに死なれちゃ、後味わりぃからな」
少年の問いに答えた青装束の男は、少年の母親を抱きかかえると「行くぞ」と声をかけて歩き出した。気づけば青装束ではなく、黄色いシャツと黒いパンツ姿に変わっている。
そして、病院に向かう途中で駆けつけた少年の父親と仲間らしき者たちに母親を預け、男はさっさとこの場を去ろうとしたのだが──……。
「待ってっ、待ってくれっ!」
息急き切って追いかけてきた少年の必死な呼びかけに、頭の後ろを右手で掻くと溜め息をついて足を止める。
「おう、どうした坊主? 母ちゃんの傍に居てやらなくていいのか?」
「はぁ、はぁ……か、母さんのところには、いまは父さんたちがいるから……それにあんたに言いたいことがあって……」
「ああ? なんだ?」
「その、さっきは言いそびれたけど……まずは、母さんを助けてくれてありがとうございました!」
背中越しに受けた感謝にむず痒く思いながら青年は、ひらひらと手を振って応える。
「ああ、いい、いい。言ったろ、たまたま通りかかっただけだって。オレは、単に自分が気に入らねぇから槍を振るっただけだ。要は自分のためだな。──まあ、あとは坊主の気概を買ってやっただけた。礼を言われるほどのこっちゃない」
「でも、そのおかげで俺や母さんは助かったら……だからやっぱり、ありがとうございました」
気にするなと言う青年に少年は、それでもと頭を下げる。それに対して青年は、苦笑を浮かべるが嫌いじゃないがなと肩を竦めると振り返って少年に向き合う。
「ガキのくせに律儀だねぇ……いや、まあそういう奴は嫌いじゃねぇが……なら、とりあえずはどういたしましてってな。母ちゃんが無事でよかったな、坊主」
「──はい」
漢らしい笑みを浮かべる青年に少年は、どこか尊敬するような、憧れるような瞳を輝かせて頷く。青年は、やれやれと頭を掻いて先を促す。
「で、他にもなんかあんだろ?」
「わ、わかるんですか……?」
意外そうな表情の子供に青年は当然と頷く。
「ああ。じゃなきゃ、〝まず〟なんて言わねぇだろ。で、本題は……いや、もうひとつの本題はなんだ?」
母親のことも大切なことだったんだろうと気持ちを汲みつつ、青年は先を促す。
「そ、その……不躾なお願いなんですが、俺に──槍の扱い方を教えてください! お願いしますっ!」
そう言って少年は、頭を下げた。
「ああ? 槍を?」
半ば予想外で半ば予想通りな頼みに青年は、眉を寄せる。彼としては、護衛になって欲しいくらいの頼みだと思っていたがまさか鍛えて欲しいとは、まさかなと思っていたほうだったとはなかなかに意外だった。少年の種族的に鍛えるなんていうのは、価値観にないものだと思っていたからだ。
「なんでだ?」
理由は、なんとなくわかるが青年は問いかける。ここを食い違うわけにはいかない。
「……俺は、混血悪魔で母さんは人間なんです。でも、父さんは高位の悪魔で……だからこれからも冥界の上層部に狙われると思います。それをなんとかするために力がいるんです……!」
「……力、か」
少年の切実な表情と声音に青年は、目を細める。
予想通りな理由だ。あの襲撃者たちも言っていたように少年は、混血悪魔だった。
──そう、悪魔である。
この世界──地球の裏には悪魔、天使、堕天使といった聖書に記された存在を始め、多くの神話、神秘、伝説が実在している。
彼らは多かれ少なかれ人間世界にも表裏関係なく関わってくる者も居るが、それは必ずしも善性を理由とするばかりのものではない。
例えば悪魔。彼らは先の大戦の影響で種としての個体数が減少傾向にあることから、他種族を悪魔へと変貌させるアイテム“悪魔の駒”を作り出した。
結果、人間を始めとした多種多様な種族は珍しい、或いは強力な力や、見目麗しい容貌を持っていると目をつけられ、眷属化するように持ちかけられるようになった。
それだけならばまだしも断ればいいだけなのだが、中には無理矢理に転生させられ、冥界の悪魔の領域へと連れ去ってしまう。挙げ句に扱いはその主によって違うが大半は奴隷、下僕、ファッションのような扱いを受ける。しかも、逃げ出せばはぐれ悪魔として指名手配され、追っ手がかかる始末だ。性質の悪さならば各勢力間でも最悪なところだろう。
他にも堕天使は同族へ転生させる技術こそないものの強力な神器という聖書の神が遺したギフトを持つ者を始末、ないし拉致してしまう危険な存在で、天使は基本教会所属の人間任せにしているため何かしら問題があっても知らない、気づけないゆえに実質の黙認。これら三大勢力は人間か、その血を継ぐ混血には甚だ危険な種族といえるだろう。
なぜ人間の血が関わるのか。それは神器の存在だ。神器とは聖書の神が作った神秘であり、人の血が流れる者にのみ宿る。能力は様々で生活の役に立つ程度のものから、武器まで幅広く存在し、中には多大なる被害を出すものまで現存しているが、性質が悪いのはこれらのものがまったくのランダムで宿ることだ。
もちろん覚醒しない場合もある。だが、覚醒するか半端に発現してしまうと本人や周囲に悪影響が出てしまう。実際、神器の発現に体が耐えられず死した者や、恐れられて迫害された者など半ば呪いじみたアイテムとして認知している者も多い。
しかも降って湧いたような力を特別な環境や才能がなければ当然制御できるはずもなく、それを理由に目をつけられ悪魔に転生させられたり、堕天使や天使に始末されるのだから当事者からすればたまったものではないだろう。
純血主義で貴族、血筋にこだわる現在の冥界悪魔上層部らしいと、青年は内心で吐き捨てる。
(ったく、ガキにこんな決意させるなんていまの王も昔と変わらねぇな)
愚かなのは、いつの世の王も変わらないと呆れる青年。これならまだ実力主義だった昔の悪魔のほうが幾分か骨があった。
「……だがそれでどうする? やり返すのか? オレが言うのもなんだがそれじゃあいつまでも終わらねぇぞ」
力を力で跳ね除けてもまた強い力が向かってくる。あとはそれの繰り返しでどちらかが絶命するまで終わりはない泥沼だ。互いに落としどころでもあれば違うだろうが、少なくとも悪魔上層部の連中を黙らせるだけの何かがなければ終わりはないだろう。
(まあ、あのときの槍……あれがオレの予想通りな代もんなら可能性はあるがな)
あの無数の槍の中でも唯一最後まで残り、いまもどこからか少年を守っている槍を思い返しながら青年は思索に耽る。あの槍には、それだけの力があった。
「……確かに襲ってくるなら迎え討ちます。でも、きっと俺が何をしてもあいつらは、意見を変えないと思う。精々が外面が良くなるくらいで陰や内心では、好きに言うでしょう。だから勝手にやってればいい」
「ほう……ならなんで力を欲しがる?」
十歳程度の少年の面白い答えに青年は、笑みを浮かべて先を促す。
「また何かあったときに今度は、ちゃんと自分の手で大切なものを守れるように」
「守る、か……そいつは、簡単なようで恐ろしく難しいぞ? おまえにその覚悟があんのか?」
そう言って青年は、どこからともなく取り出した獣の骨でできた槍を突きつける。少年は、子供なりに覚悟してるといった表情を浮かべて青年と槍を見つめる。
「ある、とは言い切れません。そのための力も知識もいまの俺には、ありませんから。でも、覚悟を決めるためにも力がいるんです」
自分が足りないことを認め、それでも逃げずに立ち向かうと決意し、そのために力を欲する少年に、青年はこれなら力に溺れたりはしないかと思いながら槍を仕舞う。
「──生憎とオレは、昔……っつうか、生前に色々あって国だの政治だのなんて面倒なことには関わりたくねぇんだよなぁ……」
そう言ってもう何も言わずに頭を下げている少年を見下ろす。青年には、この少年を助ける義理はこれ以上ない。先ほどでさえ無関係なはずなのに助けたのだ。あれだけでも充分だろう。
(義理はねぇが、人情はあるか……袖振り合うも多生の縁、だったか?)
我ながら甘い、と微苦笑を浮かべる青年。あの瞬間、少年を助けたときから或いはこうなることは決まっていたのかもしれない。そもそも少年を気に入っている時点で断れる気はしなかった。
「……まっ、ガキに頭まで下げられちまったら断りきれねぇな」
「な、なら……!」
青年の言葉に顔を上げ、不安と期待がない混ぜになった表情で見つめてくる少年。
そんな少年に青年は、肩を竦めて苦笑を返す。
「ああ、教えてやる。槍術だけじゃねぇ。オレのすべてをくれてやる。できねぇなんて聞かねえぞ? やるからには、半端は許さねぇ。徹底的にだ」
「は、はい! わかりました!」
厳しく言い含める青年に少年は、背筋を伸ばして返事をする。
そして、これはきっちりしないとなと青年は言葉を続ける。
「あとタダじゃねぇ。坊主も悪魔なら契約といこうぜ。オレはおまえに生きる術を教えてやる。代わりに坊主は……そうだな、食客って形でオレの衣食住を賄ってくれや。父ちゃんでもなんでも説得してな」
「わ、わかりました!」
元々賞金稼ぎとして各地で適当な賞金首を仕留めたり、獣や鳥を狩ってサバイバルしていた青年にはあまり意味ない報酬だが、たまには現代的な生活をのんびり送るのも悪くないと青年が提案すれば少年は、覚悟したように頷いた。そこにはこのチャンスを逃がさない、ものにするという貪欲な決意があり、それもまた青年が少年を気にいる要素だった。
そして、青年はこれは大事だと言う。
「あと、オレは堅っ苦しいのが苦手でな。追々でいいが敬語はいらん。敬うって言動が見れれば崩して構わねぇよ」
「わ、わかり──わかった、よろしくお願いします、師匠!」
「気が早えよ。まずは家のもんと交渉が上手くいってからだろ。まっ、悪くねえ響きだ。師匠もこんな感じ……いや、ねえか」
懐かしい呼び名に自分のかつての師を思い出し、不吉な寒気を覚えたのか記憶から追いやって青年は言う。
青年は、気を取り直すように訊く。
「おう、坊主。そういや、おまえの名前は?」
「あ、れ、レオンハルト・フェレスで……だ。父さんが悪魔で母さんが人間の混血悪魔で、一応人間の名前として黒崎蓮夜っていうのもありま……ある」
(おいおい、あのメフィスト・フェレスのガキかよ。確かにそれが混血とあっちゃ狙われちまうかもな)
メフィスト・フェレスといえばゲオルク・ファウストと契約したことで知れる悪魔で現在は、青年の記憶では、先代の魔王たちと馬が合わずに距離を置いて〝灰色の魔術師〟という魔法使いの集まりである協会の理事をしていたはずだった。七十二柱には数えられていないが、〝番外の悪魔〟という強力な悪魔のひとりだ。
少年は、青年をして予想外な高名な悪魔の子だった。
「……まあいいか。おまえはおまえだしな。で、坊主は、どっちの名前で呼ばれたいんだ?」
「その、俺は母さんの付けてくれた蓮夜ってほうで呼ばれるのが好きです……好きだ。母さんの故郷の日本も好きだから」
日本人の母親の血を引いているらしい少年──蓮夜は、そう言って子供らしい笑みを浮かべた。
「ほう、オレもあの国は嫌いじゃねぇな。しっかし、おまえさん、母ちゃんが好きなんだな」
「そ、そんなことは……」
「ああ、恥ずかしがんな。別に茶化しちゃいねぇよ。親、家族を大切にすんのはいいことだからな」
気恥ずかしい様子の蓮夜に青年は、笑って頭をわしわしと撫でる。
「さて、と……なら蓮夜、これからよろしくするためにもきっちり家のもんを説得しな」
「は、はい! 頑張ります! ……そ、それで師匠。師匠に名前は?」
ボサボサになった髪を直す蓮夜に訊かれ、忘れてたと青年は頭の後ろを掻く。
「ん? ああ、名乗ってなかったか。わりいわりい。オレは、クー・フーリンってんだ。まっ、本人というよりは転生体だが家のもんを説得すんのにこの名前を出しゃあ、少しはマシにもなんだろ」
「え? ……ええぇぇぇぇえええ────っ!?」
一拍を置き、青年の名乗った名前に蓮夜は、驚愕の声を上げる。
青年──クー・フーリンは、蓮夜の声量に顔を顰めて身を引く。
「うっるせぇな! なんだよ? 知ってんのか?」
「だ、だってクー・フーリンっていったらアイルランドの大英雄で〝クランの猛犬〟って呼ばれたあの!?」
蓮夜は、絵本代わりに英雄譚を読むことがある。その中でもクー・フーリンの名は、初めて読んだ英雄譚ということもあって印象に残っていた。
──クー・フーリン
それは、アイルランド神話『アルスター伝説』に登場する大英雄。太陽神ルーとアルスターの王コノールの妹デヒテラの子のことだ。
名前の由来は、幼い頃、豪商クランの番犬を誤った殺害してしまったことで、自分がこの犬の子を育て忠実な番犬にし、それまでは自分がクランの家を守ると誓ったことに起因する。
成人してからは、かの有名な〝赤枝の騎士団〟に入団し、あの影の国の女王スカサハの下で数々の魔術と体術を始めとした彼女の持つ様々な技術を会得し、深紅の魔槍ゲイ・ボルクをも授かった類稀なる戦士。
故郷アルスターに攻め入った、コノートの女王メイヴ率いる大軍を単騎で打ち破り、メイヴに差し向けられた親友のフェルディアをも討ち取り、メイヴを捕らえたが女であることを理由に彼女を釈放したが、この一件で復讐者と化したメイヴの策で、様々な誓約を負わされ、それでも、国を守るため自らの破滅を覚悟し誓約を受け入れたのだが、メイヴの策略で誓約を次々に破らされ、ついにはゲイ・ボルクを腹に受けてしまう。
それでもなお、柱に自分の体を縛りつけ最期まで倒れることなく戦い続けた偉丈夫。
この最期はのちに〝
蓮夜の尊敬の眼差しを受け、クー・フーリンは頬を指で掻く。
「おう、そのクー・フーリンだ。まっ、本人の記憶や経験はあるが厳密には、本人じゃねぇぞ? さっきも言ったがその転生体だ。このオレは、特に何も成しちゃいねぇ。風の吹くまま気の向くままに旅をする、単なる旅人ってやつだ」
「い、いや、でもすごいですよ! あの大英雄だなんて!」
謙遜でもなんでもなく当たり前にそう思っているクー・フーリンに、蓮夜は逆に男としての器の大きさを感じて興奮した様子だ。
クー・フーリンは、そんな少年特有の蓮夜の態度に男臭い笑みを浮かべる。
「はははっ。まっ、悪い気はしねぇがな。ほら、それより家のもんの説得はもちろんだが、いまは母ちゃんの傍に居てやんな。見た感じ、力に目覚めるギリギリまでおまえを守ってくれてたんだろ? ただの人間で大したもんだ。あんないい女はそうはいねぇ。大事にしてやんな」
「は、はい! それじゃあ師匠、待っていてくださいね! 勝手にどこか行ったら嫌ですよ!?」
走り出すも急に止まって振り返る蓮夜にクー・フーリンは、いいから行ってこいとひらひらと手を払う。
「ああ、心配すんな。行かねぇよ。少なくともおまえを一人前にするか、交渉が上手くいかねぇかしない限りはな。おまえも小さかろうが混血だろうが悪魔なら、精々頑張ってきな」
「は、はい! 行ってきます、師匠!」
「だからまだ師匠じゃ……ったく、行っちまいやがった。ガキは元気だねぇ」
最後まで聞かずに走り出した蓮夜の背中を見送り、クー・フーリンは苦笑を浮かべる。とりあえずは、結果が出るのを待つかとその辺に座って空を流れる雲を見やる。
この先、あの少年は大変だろう。悪魔上層部は、力がない混血悪魔の彼を始末しようと躍起になっているし、あの槍に選ばれたことだってそうだ。どうであれ平穏な人生は望めまい。
(力をつけて認めさせ、上級悪魔として立場を確立させられたら少しは違うだろうがな。それでも風当たりは強いだろうが、いまよりはマシになるだろ。問題はそのあとだが……)
まだ正式に師匠になってもいないのにあの少年の将来にまで考えを巡らせている自分に気づき、クー・フーリンは思ったより蓮夜を気に入っていることに苦笑を浮かべる。
「まっ、なるようになるか」
生きる術っていうのは、何も戦闘に関してだけではない。他にもサバイバル技術や隠業、処世術なんかも学ばせていけばあとは蓮夜次第だろう。
「何を学ぼうが死ぬときは死ぬからな。だが、まあ……やりたいことを選ばせてやれるようにはしてやりてぇもんだ」
せっかく教えるからには、長生きしてもらいたいとクー・フーリンは考え、立ち上がるとこちらに向かって駆けながら手を振っている蓮夜と彼に手を引かれる父親──苦笑を浮かべるメフィスト・フェレスを見て、肩を竦める。
「これから忙しくなりそうだ」
さて、まずは何から教えていくかと考えながらクー・フーリンは、「おう」と手を挙げながら軽やかな足取りで歩み寄っていくのだった。
END
こんな感じの始まりとなります。
それでは、お知らせとなります。
こちらは、pixiv様のほうとマルチ投稿しております。そこであちらの眷属とこちらの眷属を変更して書いていこうと思います!
知ってるかたからしたらまた無茶な、と思うかもしれませんが挑戦のひとつと思っていただければと思います。無理そうなら眷属の変更はいたしません。
では、活動報告のほうをご確認いただければと思います。そちらをご確認してもらえたら嬉しいです。それではまた活動報告の状況次第でお会いしましょう。