二十代後半。それなりに仕事が落ち着いて、それなりの生活を送れるようになってきたから、マンションを借りて一人暮らしを始めた。
職場の近くだったら楽だし、一人だと色々と捗るし、自立も出来る――なんて、そんなありきたりな理由がきっかけだ。
昨今の若者よろしく、近所への挨拶もせず。黙々と荷物を運び、黙々と一人暮らしをスタートさせた。そんなある日のことだ。燃えるゴミを捨てるために外へ出た。すると偶然にも、全く同じタイミングで隣人が出てくる。ドアの音でわかった。やばい、気まずくならないか――そう思った矢先だった。
「新しいお隣さん? おはようございます」
とても美しい人が、柔和な挨拶をしてくれた。
……ああ、なんということか。
僕は、一目惚れしてしまった。
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お隣の表札には「茨木」と書いてあった。あの美しい人は一人娘がいるシングルマザーならしく、年齢は三十代前半くらいに見える。若く見えるタイプの美女、というよりは大人の魅力があるタイプの、妖艶とした美女だ。腰の辺りまで伸びた、茶色がかったロングヘア。整った顔には色気があるけれど、落ち着いた優しい雰囲気がある。なによりも目を惹くのは、そのグラマラスなボディラインだ。彼女を見た時、最初にどこを見てしまうか。そう。器量の良さではなく、二つの膨らみ……おっぱいであった。巨乳という言葉でも収まらない、顔よりも確実に大きいサイズは、爆乳と評するに相応しい。服越しでもわかる、溢れんばかりのその爆乳は歩くたびにぷるぷると揺れる。さらにきゅっとしまった腰からは大きく実ったお尻がこれまた揺れる。うーむ、けしからん。だが、それが最高だ。
絵に描いたような人妻美女ってやつである。まあ、今はシングルならしいが……。離婚なのか、亡くなったのかは知らない。
ああ、ちくしょう。こんな美人がお隣なら、挨拶すればよかった。
僕はそんな後悔に駆られ、なんとかして隣人という地位を利用して(?)お近づきになりたい、という下賤なる考えを張り巡らせた。もちろんトラブルならないように。危険人物だと思われないように。
だけどお隣の住人、という接点だけでは弱く、中々距離を縮めることが出来なかった。
しかしそんなある日、思わぬチャンスが舞い降りて来た。
★
会社の上司に連れられて、とあるバーに行ったところ、偶然にもそこで茨木さんは働いていたのだ。というか、そこのバーの店長でバーテンダーならしい。「苦労人なんだよ、茨木さんは」とは会社の上司の話だ。ちなみに上司は四十代前半で独身。ここへはそれなりに通っているらしいから、もしかしたらワンチャン茨木さんを狙っているのかもしれない。
そして茨木さんがシングルマザーであることを知ったのは、この時だ。しかし苦労人とは、どこか意味深である。だけどその辺りは込み入った事情だから、上司の口から語られることはなかった。だけど、僕が熱心に質問をするので、少し鬱陶しそうに「知りたければ、茨木さんと仲良くなるんだな」とあしらわれた。まあ、そりゃそうだ。だけど最後に、これだけは知りたかった。
「あの。茨木さんと仲良いんですか?」
込み入った事情を知るほどには、関係があるということだ。だけど上司は、首を横に振った。
「いんや」
「でも、事情に詳しそうですし」
「随分と熱心に知りたがるな……まあ、いいか。本当に、なんでもないんだ。客と店長。それだけだ。そういう関係だから気軽に話せることもある」
「はあ」
同じバーに通う習慣がない僕にとってはあまり馴染みがないが、そういうものなのかもしれない。
でもたしかに、一度常連になったら、一歩踏み込むには勇気がいるのはなんとなく想像ついた。どちらにせよ、そこで関係が変わったら、お店に通いずらくなったりするかもしれないし。そしてこの上司は茨木さんとお近づきになることよりも、お店に通うことを選んだということだろう。
まあ、それなら好都合。
……なんて、そうでもないか。
店内を見渡す、他にもいるサラリーマンらしき者達。あれほどの美貌を持つ店主だ。シングルマザーといえど、その爆乳を狙う野郎は一人、二人ではないだろう。目の前にいるこの上司が狙っていないからといって、なにも安心出来るわけではない。
僕はこのバーに通おうと思った。もちろん、次は一人で。
★
定時で会社を上がり、すぐに茨木さんのいるバーへと向かった。店内には人がいなかったから、僕が最初の客になる。
「あら、お隣さん? また来てくれたのね」
茨木さんはそう言って笑みを浮かべる。それだけで嫣然とした印象になるのだから、色気がすごい。僕はキールを頼んだ。
カクテルを作る茨木さんはとてもきれいだった。黒と白の制服。大人な雰囲気と落ち着いたバーの趣がよく映える。
赤く美しいカクテルが僕の前に置かれた。だけどどちらかというと、きれいで細い茨木さんの手に見惚れる。まあ実を言うと、酒はそんなに好きじゃない。カクテルもあまり詳しくはなかった。だけどにわか知識なりに、キールを頼んだのには意図がある。詳しい人ならわかるかもしれないが、控えめすぎるアプローチに、鼻で笑われるだろう。しかもこの場合、僕が飲んでも意味はないし。
だけど、あくまでも客である立場としてはどうしようもない。僕はカクテルを一口飲む。舌にすっと溶けるような、さっぱりとした甘み。不味くはないが、これを大層にありがたく飲む大人の気持ちは、まだわからなかった。
「ここ、気に入ってくれた?」
茨木さんが問いかけてくる。
「えっと。茨木さんへ会いに来ました」
「あら、そうなの?」
「なんて。冗談ですよ、お店の雰囲気が気に入ったんです」
「ふうん?」
にこりと笑みを浮かべながら、茨木さんが身を乗り出す。カウンターに腕を乗せて、上体を乗せたから、嫌でも制服越しの爆乳がむにゅうう、とすごい形で広がった。僕は慌てて目を逸らして、誤魔化すようにカクテルを口にする。そして茨木さんは小声で囁いた。
「いつも胸とお尻見ているの、バレているわよ? エッチな子」
「ぶごほっ!?」
カクテルを喉につまらせ、むせる。茨木さんはくすくすと笑った。
「可愛い反応♪ 図星だったみたいね」
そんなやり取りをしていると、もう一人客がきて、その対応に茨木さんは向かっていった。僕はため息をついた。可愛い、か。彼女はいくつなのだろうか。少なくとも年上なのは確定だろう。茨木さんにとって、僕はまだまだ子供みたいなものなのかもしれない。そう考えると、憂鬱でしょうがなかった。
だから僕はこの日、慣れもしない酒をたくさん飲んだ。そのせいでこの晩のことは、あまりよく覚えていない。ひどく、酔ってしまったのだ。気がついたら、自室のベッドの上で、目が覚めた。
★
僕が住んでいるのはマンションの四階だ。なので、出勤をする時はいつもエレベーターを使う。
「つーか、明日仕事なのに酒をたくさん飲むとか……社会人失格ってやつかぁ」
なんて、適当なことを呟く。僕は真面目な人間ではないので、あまり本気でそんなことを思っていない。
どちらかというと、今日も一日社会に揉まれなければいけない、憂鬱だぜベイベー、なんてことを考えている。それでも、日常はやってくるので、移動のためいつも通りボタンを押した。待っていると、後ろの方から「おはようございます、おにいさん」と女の子の声が聞こえた。
制服を着た女子高校生だった。茨木さんと似た、茶色がかった髪。だけどこちらはショートで、肩の辺りで切っている。大きな目の幼さのある童顔。しかしだからこそ、女の子らしい可愛らしさがあって、アイドルのような純然とした美しさがあった。背丈はやや低めで、僕の胸の辺りに頭がある。しかしあどけないのはここまで。その体つきはアンバランスさを感じるほどメリハリがある。茨木さんほどじゃないが、制服がはち切れそうな膨らみは、同じように爆乳と評するに相応しい。この谷間に顔をうずめたら、窒息死するだろう。人の顔を覆うことが出来る。そしてこれまたお尻の方もエロい形で盛り上がっているのだから、煽情的である。こんな高校生クラスにいたら、間違いなく発情期こと思春期の男子生徒は目が釘付けだろう。二度見は確定だ。
何度か見かけたことがあるのだが、彼女。茨木さんの娘さんだ。娘さんもバッチリ爆乳属性を受け継いだ模様。ただ、顔立ちは童顔だし、その辺りは父親似なのかもしれない。
「ああ、おはよう」
「凛です」
「え?」
「名前。わたしの、です」
チーン、という音と共にエレベーターの扉が開く。僕達は乗り込んだ。
「凛ちゃんね。僕は中條 巴、よろしく」
「はい、よろしくお願いします。おにいさん」
この子は僕をおにいさん、と呼ぶらしい。名乗った意味。
「ふふふ。覚えてないんですね、昨日のこと」
「え? 昨日?」
「なんでもありません♪ 薄々、そんな気がしていましたし」
「???」
エレベーターの扉が開き、エントランスへ降りる。人は誰もいなかった。凛ちゃんは後ろ手を組んで、くるりと振り返る。
「おかあさんのこと、好きなんですか?」
「っ!? な、なにを言い出すの、急に」
「おにいさん、隠し事とか苦手ですか? すごく顔に出ています。赤いですよ?」
「き、君が変なことを言うからだろっ」
ムキになって叫ぶが、これでは余計に図星だと晒しているようなものである。
「すごくわかりやすいです。お店通って、ゴミ出しの時間もよく被りますし」
「うぐっ……」
というか、改めて言われるとちょっとストーカーじみているな。バレているくらいじゃ、控えた方がいいか……。
「ダメですよ。おかあさんには、おとうさんがいますから」
「……そう、なの」
だとすると、死別ってことなのかな。
上司曰く「苦労人」だからなあ。色々と曰く付きではあるだろう。
「だから、わたしがおかあさんの代わりになります」
「え?」
「わたしにとって、おにいさんは――ですから」
なにがよくわからないことを口走られた気がして、思わず固まった。その様子を見た凛ちゃんが、無邪気に笑みを浮かべた。思わず、ドキリとさせられる。だってそれは完璧で、天使のように可愛らしい表情だったから。茨木さんとはまた違う、清廉とした少女の魅了だった。
「ふふふ。バス停まで、一緒に行きませんか?」