遠くでレクリエーションの歓声が聞こえるが眞司の耳に全く入って来なかった。
今、眞司の目の前には10年前に眞司の前から姿を消した、母の姿があった。
「母さん…どうしてここに…?」
「どうしてって、自分の子供の体育祭に来たら駄目って事は無いわよ。それにしても驚いたわよ、あなたが雄英に入ってるなんてびっくりしたわ」
いくら息を吸ってもまったく肺に空気が入らず、酸素が脳に送り込まれる気がせず、目眩と立ち眩みがして壁にもたれ掛かり、地面に膝をついた。その途端に頭痛と冷や汗、吐き気と胃痛が眞司を襲った。
「どうしたの?顔色悪いわよ。これから本戦があるのにしっかりしなさい」
目の前に母が居て嬉しいはずなのに、現実感は無く、全てが幻の様に思えて仕方が無かった。それどころか悪夢を見ている気分だった。
なぜ今ここに居るのか、
「じゃあ母さん、レクリエーション見てくるから、試合頑張ってね〜♪」
そう言って母は眞司の肩に手をおいてから、楽しげな足音を残して去って行った。
それから数分が経過し、ようやく全ての症状が収まったが、意識が朦朧としてしばらくその場から動けなかった。
「君、大丈夫か?」
顔を上げると、顔から炎の髭を生やしている男が眞司を見ていた。
眞司の足にようやく力が戻り何とか立ち上がった。
一瞬誰かはわからなかったが数秒たってようやく名前が口から出てきた。
「……エンデヴァーさん…?」
「君は…阿久津君だね。一回戦楽しみにしてるよ」
「どうして…僕の事を……?」
「何故って、君が焦凍と戦うからさ」
「…え……?」
「どうした、トーナメント表を見てなかったのか?」
眞司は言葉に詰まった。確かに、自分が誰と戦うかなんて確認していなかった。体育祭はただの試練の一つで、勝ち進むことに集中すればいい。だが、それ以上に、今は目の前の男に対する疑問が頭から離れなかった。
轟はなぜ、これほどまでに父親を憎むのか。
親がいるのに、その存在を拒絶する理由はなんなのか。
眞司は、胸の奥がざわつくのを感じた。
エンデヴァーは轟にとって「憎むべき相手」なのだろう。しかし、眞司にとっては違う。彼にはそもそも、憎むべき親すらいなかった。
「どうして、轟はあんなに貴方の事を憎んでるんですか?」
自分でも、思ったより強い声が出たことに驚いた。
「何だ藪から棒に、君に家庭の事情を教える必要は無い!」
エンデヴァーの声が低く響く。威圧感に思わず背筋が強張るが、眞司は視線を逸らさなかった。
「それでも僕は……知りたいんです…!」
「さぁ一回戦!阿久津
「轟くん…エンデヴァーさんから聞いたよ君のこと…」
「あいつが言ったのか…」
「うん……それでも僕は!」
「スタート!!」
試合開始の合図と共に轟の右足からつららの様に尖った氷塊が現れ眞司まで一直線に伸びるが、得意の跳躍で回避し、二波が来る前に距離を詰める。
「なんで避けれてんだよ!」
(何時もよりも体が軽い気がする!)
眞司の避けた背後に氷壁ができていた。
普段とは違う速さをみせる眞司に対して轟は思わず声を荒げて右腕を振りかぶる。
(次の氷結が来る前に懐に!)
しかし、振りかぶった右腕は囮で眞司に気づかれないように再度右足から氷結で地面を凍らせ眞司の足を止めていた。
「悪ぃがこれで終わりだ……ッが!」
そう言って振り返ろうとした瞬間、眞司は凍り付いた靴をその場に脱ぎ捨て裸足で跳躍し、横腹に左足に全体重を乗せた飛び蹴りを入れていた。
眞司はさらに左足を軸にして右足で頭部に追撃加えようとしたが彼は左腕で振り払い距離を取った。
轟は膝を地面に付きそうになったが何とかその場に踏みとどまった。
エンデヴァーに自分は弱くは無い事を見せつけるための意地だった。
「まだ終ってないぞ、轟くんっ!」
轟は威力の弱い氷結を乱発し眞司から距離を取ろうとする。
「てめえ…まだやる気かよ!!」
眞司は辛くもそれを避け続ける。
動き続ける眞司の足裏を、氷の冷たさが足を刺す。
負けるかもしれない、この考えが眞司の腹の底を冷していく。
(それでも本当なら最初から負けているはずだ)と眞司は思い、弱気を払うように動きまわる。
そんな中、客席では二人の試合を苛立たし気に見つめるエンデヴァーがいた。
「何をしている焦凍…!」
エンデヴァーの予想では広範囲の氷結で簡単に眞司を下した筈だった。しかし予想とは違い眞司が焦凍に食らいついているではないか。
それよりも連続で氷結を使っていては体温は低下し身体機能は落ちる。それを補う為に半冷半燃があるのだ。
怒りで体から熱が表出され、自然と周りから観客は離れていった。
しかしそんなエンデヴァーに声を掛ける女性が居た。
「あら、随分怖い顔ね、エンデヴァー」
エンデヴァーが声のする方に顔を向けるとマネージメントガール―阿久津
「……マネージメントガールか…何でここにいる?」
「貴方と同じく可愛い息子の雄姿を見に来たのよ。それよりも座って観たら、折角席が空いてるのよ」
制扱に促されエンデヴァーは隣の席に座った。
「……わかった、それにしても息子?」
「今あなたの子と戦っているのが私の子よ」
「阿久津……そうかあれがお前の子供か」
「意外とやるでしょ私の子も」
「どうだかな、さっきからただ逃げ回ってるだけじゃないか」
「それを言うなら、さっきからただの一発しか当てられて無いじゃない?それに半冷半燃って聞いてたけど火の方、全く使ってないみたいだけど?」
エンデヴァーは制扱を睨み付けるが、制扱は何処吹く風といった様子でたこ焼きを頬張った。
「あら、このたこ焼き昔よりも美味しいわね…あなたも一つどう?」
エンデヴァーは無視し、試合場に目を戻すと勝負が着いたかに思えた。
「もう動かねぇ方がいいぞ…足の皮が破ける」
轟は眞司が着地した一瞬の隙を狙い、最低限の氷結を繰り出すと、眞司の足裏を凍てつかせ事実上の戦闘不能にした。何故なら、この後の試合を考えればこれ以上消耗するのはごめんだった。
「まだ僕は…負けてないぞ…!」
「やめろよ…」
それでもなお、眞司は足を前に出すことをやめようとしなかった。
「やめろって!!」
「うおおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
眞司は足の皮が破れるのも構わず駆け出した。
轟の顔に焦りと恐怖が浮かんだ。
何故ここまでする事が出来るのかと。
眞司が一歩踏み出すごとに赤い足跡が氷上に残される。
左足上段蹴りを繰り出すが、轟は上体を反らしそれを避ける。
血の雫が轟の顔にこびりつく。
「俺は親父に虐待まがいの訓練をガキの頃から受けてきた…そんなアイツがいい親に見えるのか?」
「……いいじゃないか、それでも…!」
「俺の気持ちも知らねぇで…!」
「君はお父さんから期待されてていいじゃないか!僕には君の様にカッコいい個性も無いし、僕は!父さんから何とも思われてないんだぞ!!!」
眞司は頭の冷静な部分で、これまでにない程饒舌になっているのに驚いた。
「何で君は僕にないものを全部もっててそれを全部拒めるんだよ!!!」
溢れ出した言葉を止めることはもう出来なかった。
「何で君はお父さんと話さずにそれで分かった気になれるんだよ!僕なんて…父さんと話したことなんて殆どないんだぞ!!」
「なら俺の親父をくれてやるよ!!」
「出来るわけないだろそんなの!!」
眞司が動くたび、血のシャーベットが氷のキャンバスに鮮やかな点描を描いていく。
轟が幾度となく繰り出した氷結は徐々にその威力を弱めていく。
この時、二人の間に勝ち負けの概念は無く。あるのはただの意地の張り合い、互いの人生観の衝突だった。
轟にとっての
「もういい黙れ!これで……今度こそ終わりだ…!」
息を切らし、体を震わせた状態でそう告げた。
すでに轟の体は冷え切り、指先は青紫色に変わり氷結がまともに出せない状態だった。それは半ば強がりでもある。
轟の顔に付いていた眞司の血が目に入り、それを拭った瞬間、轟の視界から眞司が消えた。
左右を素早く見回すが眞司の姿は何処にもなく、観客の「上だ」と言う声が聞こえ、その通りに上に顔をやると、太陽を背に、体を前傾姿勢で血塗れの足をを大きく振り上げ、落下の勢いと共に振り降ろされようとしていた。
それを見た轟は後ろに飛び退こうとしたが、背後の氷壁が彼の行く手を阻んだ。
避けられないことを悟った轟は、頭を少し伏せ両腕をクロスし防御の姿勢を取った。
「模造必殺!
体育祭前から眞司は自分に近い戦い方としてプロヒーロー、ミルコの戦闘動画を幾度と無く見続けた。そして何度もそれを練習した。
出来ることなら使いたくは無かったが轟に全力で答える為に今、ここで繰り出した。
パァンと音を立て振り下ろされた足は付け焼き刃の影響か、それとも眞司の体力の限界だったのか、轟に当たることはなく氷壁に微かにひびを入れるだけだった。
その瞬間を轟は見逃さなかった。まともに氷結が出せない状態を逆に利用し、揃えた指を氷結でコーティングして固め、脇腹に手刀をめり込ませた。
体操服に付いた氷が音を立て宙に舞った。
「っが……はっ!」
不意の一撃に眞司の体がくの字に折れ息が吐き出された。彼は肩から地面に落ちたが、落ちた勢いでそのまま転がり轟から距離を取った。
眞司と轟の末端の感覚は薄れている、現在拳を握っているのかどうかもわからないほどだった。
特に眞司の方は深刻だった。足裏の皮膚が破れ、先程の蹴りにより足の骨が砕けていた。そして足からダイレクトに冷気が体に伝わり、疲労と合わせて立っているのもやっとだった。
そんな二人の様子を見ていた審判のミッドナイトとセメントスが小声で話し合う。
「どうしますか?ミッドナイト」
「そうね、これ以上酷くなるようなら強制的に終了させましょう…準備しておいて」
「わかりました」
だがそれでも二人は眞司と轟の戦いを最後まで見てみたいと思っていた。
「…君は……それでいいの?」
「何がだよ!?」
「君は…君がなりたいヒーローはそんな姿なのか!?そんなの…寂しすぎるよ!!」
轟の拳が震えた。
「そんなこと……関係ない……!」
一方、観客席ではエンデヴァーが眞司の言葉に眉をひそめる。
「寂しい……?そんな言葉で焦凍が揺らぐはずがない」
だが、彼の目には轟の迷いがはっきりと映っていた。
「あらあら、息子さん、意外と純粋ね?」
隣の席で制扱がクスリと笑う。
エンデヴァーは不機嫌に舌打ちしながら、拳を握りしめた。
「そうだ焦凍、お前は俺の作った最高傑作だ……感傷に浸っている暇はない」
だが、その願いは轟には届かなかった。
轟の脳裏に幼き日の記憶が蘇る。
*
「お母さん、オールマイトってすごいね!」
まだ幼かった焦凍は、テレビの中で戦うオールマイトの姿に目を輝かせていた。
彼は誰かに強制されたわけでもなく、ただ純粋に思った。
「僕も、あんなヒーローになりたい!」
だが、父の存在がその憧れをかき消した。
「お前はオールマイトのような甘っちょろいヒーローではなく、俺を超える存在になるんだ」
その瞬間から、父の願いは呪いとなり、ヒーローになるという夢は「父の計画の一部」に変えられた。
望んでいたはずの未来は、呪いに変わった。
だから、俺は──
*
「それでいいの?」
眞司の声で、現実へと引き戻された。
「君は…君がなりたいヒーローはそんな姿なのか!?誰とも関わらず、そんなの…寂しすぎるよ!!」
轟の視界に映るのは、血まみれの足で立ち続ける眞司の姿。
彼もまた、自分の個性や家族の在り方に苦しみながら、それでも前に進もうとしている。
「ヒーローってそういうもんなのか?」
自分は、ヒーローになりたかったはずだ。
オールマイトみたいに。
ならば──
轟の身体に付着していた氷が溶け、陽炎が立ち昇り、
ゴオォォッ!!
突如、轟の左腕に炎が灯った。
その光が、熱が、彼の迷いを焼き尽くすかのように。
「おぉっ…!」
エンデヴァーが思わず前のめりになる。
焦凍が、炎を使った。
「へぇ、ちゃんと火も使えるじゃない」
制扱は微笑を浮かべながら、また一つたこ焼きを口に運んだ。
「俺は……」
轟は自分の左手を見つめる。
「俺は、お前みたいな考え方は出来ない……けど……」
ゆっくりと左腕を構える。
その構えは奇しくもエンデヴァーのものと酷似していた。
「俺のなりてぇものは、俺が決める!!!」
左腕から放たれる炎が眞司を焼くと誰もが思った。
しかしその炎は眞司に届く事は無かった。
何故なら、力なく眞司が倒れたからだ。
「………え?」
轟はふらつきながら眞司に近づいた。
踏み締める氷の音がやけに煩く聞こえた。
「おい…待てよ……まだ勝負は終わってねえだろ…!」
その時、終了のブザーが鳴り響いた。
劇的な終わりを求めていた観客席は静まり返っていた。
「ふざけんなよ!」
「残念だけど轟君、これでお仕舞いよ」
「でも!」
「恐らく今の阿久津君は低体温症になってる!急いでリカバリーガールのとこに運ばないと!」
轟が眞司を見ると彼は体を震わせていた。
ミッドナイトはゆっくりと歩み寄り、轟の肩に手を置いた。
「勝負は、ここまでよ」
轟は眞司を見下ろした。血まみれの足、氷の上に広がる赤い染み。その姿を見て、彼は何かを言おうとしたが、言葉にならなかった。
「勝者、轟焦凍!!」
セメントスの声が響く。歓声が再び競技場を包んだが、轟の耳には届かなかった。
「………バカかよ、お前。」
眞司は意識を失ったまま、担架で運ばれていく。轟は拳を握りしめた。
── 何でそこまでして、俺に言おうとしたんだよ。
「さっすが!エンデヴァーの息子だけあって、やっぱり強いわね。見直しちゃった」
「当然だ、俺の息子だからな…」
そう言う彼の顔は何処か憂いを帯びたものだった。
「でも、オールマイトより強いヒーローに育てるって言っても厳しいだけじゃあ折れちゃうわよ!」
「そういうお前はどうなんだ、マネージメントガール?子供は家に置き去りだと聞くが?」
「うちの事はいいのよ。私の子供だし?私がいなくてもやってけるわよ……それじゃ、私はそろそろ行くわ眞司のハイライトも見えたし何より…」
制扱は空になったたこ焼きの器をエンデヴァーに見せて言った。
「もうたこ焼き食べ終わっちゃったし♪」
制扱はエンデヴァーに背を向けて立ち去ろうとした時、彼女の方を向かずエンデヴァーは問うた。
「…マネージメントガール、聞きたい事がある」
「何かしら、私のスリーサイズとか?」
「話をはぐらかそうとするな……お前自分の息子に個性を使ったな?そうでなければ、あれ程の戦闘は不可能な筈だ!」
阿久津制扱──ヒーロー名、マネージメントガール。個性:管理。自分が触れた相手の身体能力等を上げたり下げたりする事が出来る。対象が自分なら最大10倍、他人なら最大1.5倍まで強化する事が出来る。
「どうかしらね?あと他人の子供の事よりも、もうちょっとちゃんと息子さんの事も正面から見てあげなさい……燈矢君みたいなことになりたくなければね」
その声は氷の様に冷たく氷柱の如く、エンデヴァーの過去の傷を抉り出した。
彼の脳裏に浮かんだのは山火事、息子の顔、そして行くことが出来なかった後悔と罪悪感が胃の腑を締め付ける。
エンデヴァーはすぐさま振り返ったがそこには制扱の姿は無かった。
一瞬、目に苦悶の色が浮かんだが、すぐに顔を背け、再び試合場に目を向けたエンデヴァーはぽつりと呟いた。
「この俺も変わる必要があるのか…」
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