ランドラマの街で『マザー』という名前は、ある種の絶対的な権力を指していた。
娼婦達の母を名乗る彼女は、この街の娼館と宿屋を牛耳る、いわば元締め的な存在である。
領主の次に──或いは領主よりも実質的にランドラマで最たる権力を持つ存在、それが『マザー』。たった今、会議室に現れた老婆の正体である──と、そのような事を、フゥリィが彼女について耳元で解説してくれた。
「──つまりはとっても偉い人ね」
「そうなんだ……分かった、ありがとう」
老婆は兵士長を睨み付けるようにして、テーブルの対面に立ち塞がる。腰は曲がっているが、不思議と上品な雰囲気を感じさせる人だった。
隣にはアーコの姿があった。目が合うとフリフリと手を振ってくる。リヒトも苦笑いで手を振り返した。まさかこんな場所まで来てビキニ姿とは。
とはいえここにはルナジリオもフゥリィもいる。肌色の面積はほぼほぼ一緒くらいで、とても突っ込める立場にいないリヒトだった。
「──よくお聞き」
部屋の中央に立った老婆が口を開く。
「ここにいる
「だが、死ぬよりはマシだろう!」
「だから、もし生き残ったとして、ここがなくなったらどこで商売するんだい。この街ほど娼婦を求める街がどこにあるんだい……身体を売る以外何も出来ない哀れな子達なんだよ……みんな食いっぱぐれて終わりさ」
老婆──マザーは、まるで未来を見ているかのように断言する。有無を言わさない迫力があった。
生きていればどうにかなるという兵士長の考えもわかるが、リヒトとしては街の半数以上が娼婦かその関係者である人々が、他所の街でそう簡単に生きていけるとは思えなかった。他にもMODの影響でおかしくなっている街があるのかもしれないが、話に上がってこないということはここまでの規模の街はないのだろう。
「……」
沈黙が支配する。留まっても死、逃げても死。ではどうすれば良いのかと、皆が心中で神に問うていた。
「──あの、良いですか?」
リヒトは心臓の鼓動が早まるのを体感しながら、大きな声を出す。大人ばかりの場で発言するのは度胸が必要だった。
それでも、この街を守るため……もっと言うならアーコ達を守るためにもここは男を見せる時だった。
「──おや、あんたがアーコの話してたお客様だね? なんだい、考えがあるなら言ってみるといいさね」
どうやらアーコからの報告を聞いていたらしいマザーは、フゥリィの隣に立つリヒトの言葉を待っている。突然の発言に、特に気を悪くした様子はなかった。
「……?」
兵士長が眉を上げる。なんだお前はと言いたげだ。しかし口は閉ざしたままである。
場は完全にマザーに支配されているため、マザーの言動に誰も異を唱えるものなどいない。それは兵士長も然りなのであった。
しかし、その兵士長も含め、その場に居る者の大半は首を傾げていた。
誰だあの子供は、と。
「……なんだあのガキ?」
「知らないのか、あれ『群青』の新しいパーティメンバーだぞ。俺はちょうどパーティ組むとこ見たから分かるぜ」
「あの『群青』が、パーティ……!?」
冒険者達がリヒトの正体についてヒソヒソと耳元で囁き合う。
リヒトは顔に血が上るのを自覚しながら、なるべく大きな声を出す。
「──僕が、あの『ゲート』を破壊してきます」
リヒトが地図上の目玉を指さす。
この場の誰も、あれの正体を知らない。なんなのかも分からない。どうやれば破壊出来るかも不明。
そんなものを、得体の知れない少年が一人で破壊するというのだ。室内に呆れと嘲笑が混じった雰囲気が流れる。
信じているのは言わずもがな、リヒトの左右に立つ二人の美女。そして今まさに信じようとしている、老婆だった。
「──壊せるのかい?」
「おいマザー、まさかこの子供の言うことを信じるのか!?」
兵士長は泡を食いながらマザーを止めにかかる。まさか子供の戯言を本気で信じるとは思っていなかった様子だった。
マザーは鼻で笑う。
「ふん──この子は『壊せる』と言ったんだよ? あの『群青』のパーティメンバーがそう言うのであれば、街を捨てて逃げろなんて言い出す馬鹿よりもこの子に付くのは当然じゃないか」
そんな兵士長を、マザーはひと睨みで黙らせる。この街で何十年と『マザー』の地位に座してきた女の迫力に、さしもの兵士長を沈黙せざるを得なかったようだった。
兵士長が言葉を失うと、老婆は「続きを」とリヒトを促す。
「僕達が中に入って、あの『ゲート』を消滅させます。中にあのゲートを維持している核があるはずなんです」
「──それを破壊すると……なるほど。でもその間、街はどうするんだい?」
「……フゥリィを、ランドラマの防衛に回します」
リヒトはそこで一度言葉を切ると、振り返ってルナジリオの瞳を見つめた。
「──僕とルナで、中に入ります」
ーーーーーーー
冒険者と兵士達、それから『群青』のフゥリィはランドラマの街を防衛する役回りとなった。多くの者が『群青』の力をあてにしていたが、同時に自分達が死ぬ事を理解していた。何せ悪魔の大群である、敵うはずがない。
結局マザーには誰も逆らうことができず、リヒトとルナジリオの二人が『ゲート』破壊の任についた。誰しもが無謀と思っていたが、口に出すことはしなかった。
その理由は何もマザーが恐ろしかっただけではない。
あの『群青』が隣を任せるほどの実力者なのであれば、もしかしたら可能なのではというリヒトとルナジリオに対する淡い期待からだった。
「帰ってきたら、うちの店で盛大にもてなしてやるから、頑張りな」
「はい、ありがとうございます!」
マザーの見送りに頭を下げながら、街の正門をくぐる。
漆黒の巨人達は、もう目の前まで来ていた。
筋肉質な、黒い男達。全長は四、五メートル前後はある、まさしく巨人だ。
股間だけは灰色の体毛に隠されているが、後は全裸の黒い男と表現して差し支えない。厳つい牙が口元から上下に生えていた。
もはや猶予はなかった。五分もすれば、この街はあの巨人と、そして上空で号令を待つ悪魔達に蹂躙されるだろう。
それを許すわけにはいかなかった。
──これが終わったら、娼婦のお姉さん達といっぱい遊べる!
不純な動機が、少年の心に渦巻いていた。
「フゥリィ、お願い!!」
リヒトは城壁の上に立つ、頼れる魔術師に合図を出す。
彼女は頷くと、『ゲート』の影響で赤く染まった天に向かって手を広げた。
「天なる神の
天を主る神の力を自身のモノにするという、なんとも傲慢な詠唱が完了すると、視界の全てが真っ白に染まる。
少し遅れて、耳が吹っ飛ぶような轟音が鳴り響いた。脳髄が音圧でどうにかなりそうな、けたたましい爆音だ。
思わずふらつく。とてもではないが人間に耐えれるような魔術ではなかった。
「──マ──ター──?」
隣に立つルナジリオがリヒトの身体を支える。何を言っているのか聞こえないが、彼女は被害を受けた様子はなさそうだった。
リヒトはチカチカする視界に顔を顰めながら、なんとか頭を振って立ち直る。
ようやく視界が戻った頃には、上空に悪魔達の姿はなかった。
「──お、おおおおおおおおおおっっ!!!!!?」
男達の歓喜の声が響く。およそ人の身が起こしたとは思えない、魔術を超越した奇跡に、目に見えて士気が上がる。
街の上空を覆っていた漆黒の羽を持つ悪魔達が、一匹残らず死滅したのだ。軽く見積もっても百近くは居たであろう上級魔物が、一瞬で壊滅。もはや『Sランク』どころの騒ぎではない
何もしていないが、リヒトも少し誇らしい気持ちだった。
「行きます、マスター」
「うん」
ルナジリオの差し出す手を取り、街の正面にある橋を渡り切る。
眼前には見上げるほど近くなった巨人が五匹、のろのろと歩を進めていた。
「──暫しお待ちを」
彼女は剣に手を伸ばす素振りも見せず、無警戒に巨人に接近する。信じられない体格差だ、巨人の攻撃を喰らえばいかにルナジリオといえどもひとたまりもないに違いない。
「グゥオオオオオオオッ──!」
先頭を歩く巨人が、彼女に気がつく。しかしそれがどうしたと言わんばかりに、虫でも踏み潰すような動きで足を振り下ろした。
「こちらは地味で悪いが……邪魔なので消えろ──『アリア』!」
ルナジリオは特に構えることなく、何処からか取り出した白銀の大剣を軽く振った。いつの間に手にしていたのか、全く知覚できなかった。
ザクリと、りんごに包丁を立てたような音が都合三度鳴った。距離を考えれば不自然に大きな音だった。
「──オオオオオオッ!?」
遅れて、巨人の身体が断割された。股の間から頭の先まで、縦に亀裂が走って、肉体が左右に裂ける。
おびただしい量のドス黒い体液がこぼれ落ちた。
「「グオオオオオオ──!?」」
同時に、その両隣にいた巨人達もその場に崩れ落ちる。ぬるりと肩口から身体がズレると、上半身と下半身に別れて巨人の身体が地面に落下していく。
ずしんずしんと、巨人の身体が倒れ込むたびに地響きが鳴った。
神業。人の身を超越した、信じられないような剣技であった。空にいた悪魔達よりも数段上の脅威と思われる存在がフルーツのように容易く切り刻まれていた。
「ォォォォォッ──!!」
明確にルナジリオを脅威とみなした残り二人の巨人が、全速力で近づいてくる。動作こそもっさりしているものの、全体的に巨大なため物凄い速度だった。
「『神の怒り』!!」
そんな巨人達に、黄金の雷が天から降り注ぐ。どがんと大地が砕けるほどの落雷に、巨人達は内臓まで黒焦げになりながら倒れ込んだ。
「ふぅ、上手く使えた……」
リヒトは手に持った金色のハンマーを握り締めると、ルナジリオの元に駆け寄る。
「助かりました、マスター」
「余計かなと思ったけど、練習しておきたくて……それじゃあ行こうか」
二人は手を繋いで、目的地である『ゲート』に向かう。
「おおおおおおっ、勝てるぞぉぉぉぉっ──!」
その背後では、三人の活躍を見て勝利を確信する男達の姿があった。