目が覚める。
覚醒したてで朦朧とした意識のままハルはぼんやりと周りを見回した。
知らない部屋だった。
どこまでも沈んでいきそうな寝心地の良い真っ白なベッド。薄ピンク色の壁紙。シンプルな全身鏡。木製の扉。
それ以外は窓も机も椅子も何も無い。ただ甘くとろけるような強い匂い――ただし不快ではない――が部屋内に充満している。
なぜこんな部屋にいるのか思い出せない。最後の記憶は家族におやすみの挨拶をして自分の部屋で眠ったまでだ。
立ち上がって鏡の前に立つ。
自分の名前はハル。12歳で小学6年生。身長はクラスで一番小さい130cm。体だって細くてヒョロヒョロだ。髪はそんなに長くないけどよく女の子みたいだと言われる顔。服はいつもパジャマ代わりに着ているTシャツにハーフパンツ。
そこでふと1つの異変に気付く。
シャツをめくってお腹を見るとヘソ下あたりに見覚えのない黒いアザのようなものが見えた。
慌ててめくったシャツの裾を口に咥え、ハーフパンツとその下のボクサーパンツを少しだけずり下げる。
「なにこれ……」
そこにあったのは見たこともない紋章のようなものだった。黒色の曲線と直線で構成された左右対称の紋章が日本語でも英語でもない言語で書かれた円で囲まれている。
「魔法陣……?」
思い浮かんだのは、ゲームや漫画のようなフィクションの知識だ。
物語の中に出てくる炎や風、不思議なことを生み出す魔法陣。そんな非現実なものが知らないうちに自分の体に刻まれている。
理由のわからない状況への不安と、僅かな未知への期待が心をよぎったところに突如声が聞こえた。
「その通り♡賢いわねぇボク~♡」
「だ、誰ぇ!?」
甘ったるい大人の女の人の声だ。少し低いが心地の良い柔らかさがある。
慌てて周りを見回すが誰もいない。ドアから誰か入ってきた様子もない。目に見えない小さなスピーカーから聞こえたのかと思ったが、先程の声は距離があるものではなくむしろ吐息が掛かりそうなほど近距離の、耳元から聞こえてきた。
「そんなに驚かないで。私は今貴方の脳内に魔法で直接話しかけてるだけよ♡」
思わず別途に飛び乗りシーツに包まり耳を塞ぐ。かつてホラー映画を見たときに思わず逃げ出して部屋にこもったときのように。
「耳をふさいでも無駄よ。声でかき消そうとしても意味はない。これは魔法なんだから」
「でも怖がらなくていいの。私はね。何も知らないあなたに今の状況を教えようとしているんだから♡」
謎の声の通り、耳を塞いでも声は聞こえる。
おそるおそるシーツをどけて耳から手を外す。本当に魔法かどうかはまだ分からない。
しかし声の主に対し、姿は見えなくても優しい母親を思わせる安心感を覚えて、とりあえず言葉の先を聞く体勢になった。
「そう。それでいいのよ♡貴方は怖がらなくていい。むしろ期待に胸を踊らせなさい♡今からゲームが始まるんだから♡」
「……ゲーム?」
「そう、ゲーム。貴方がとっても幸せになれるゲーム♡」
訳が分からない。ボクがなんで突然知らない場所にゲームなんか。そんなことのためにボクを誘拐したの?そもそもここはどこ?
様々な思いが頭によぎる。しかし声に出すのは躊躇した。
混乱したまま大人の人と話しても意味はない。相手が丁寧に辛抱強く教えてくれれば話は別だがまだ声の主がどんな相手かわからないのだ。
三度、目を瞑って深呼吸をする。
目を開き、自分しか写っていない鏡の中の自分を見る。
「そのゲームをしたらボクは家に帰れますか?」
「……そうよ。ゲームをクリアしたら貴方は家に返してあげる。
やっぱりステキねボク♡とっても賢くて度胸もある。貴方を選んで大正解♡」
声が甘さを増す。まるで声の甘さが部屋に染み付いたようにこころなしか部屋の甘い匂いも強まった。
「貴方がボクをここに連れてきたんですか?」
「その通り。私が貴方を選んだ。貴方を連れてきた。
私はメンデス。このゲームの主催者。このゲームの最終地点」
「……ゲームの内容は?」
「これから貴方には12のゲームをしてもらう。
ゲームごとにクリア条件は違うけど各ゲーム前に私が教えてあげる。
クリアに成功しても失敗しても次のゲームに行けるわ。
ただし失敗したらその都度、貴方の淫紋が輝いていく。
その淫紋が完成しなければ貴方はここから出られるわ」
「淫紋?」
「貴方のお腹の魔法陣のことよ。漫画とかゲームで知らない?淫紋。最近では割と有名だと思ったけど?」
「いや、聞いたことないです……」
「まあ君の歳ならそっか。
淫紋っていうのはね。簡単に言えばエッチになる紋章なの♡」
「……はい?」
一瞬耳を疑った。これまでの空気が緩んだような、そんな感じ。
エッチ、H、えっち……
頭で言葉と意味が結びついた瞬間、頬が熱を持つ。思わずうつむき自分のお腹を見た。
「その淫紋は今は未完成。でも輝きを増すごとに効果が増していく。
貴方エッチなことに興味はある?女の人の裸見たい?精通はもうした?オナニーは週何回してる?」
「ないよ!まだだよ!」
学校の保険の授業でその単語の意味は知っている。同級生の中でもスケベな男子が話しているのも聞いたことがある。でもそれだけだ。
母親と一緒の風呂は恥ずかしくてもう入らない。通学中に見かける年上のお姉さんのスカートからのびる足や女の先生とぶつかった時に当たったおっぱいの感触にドキドキしたことはあってもいけないことのような気がして思い出さないようにした。
女子も含めてクラスで一番小さく女の子のような外見のハルは告白もされたことはない。
だから突然、あけすけに性的な話題を出されて恥ずかしがることしかできない。
「でも今から始まるのはそういうゲームよ♡」
「……え?」
「私はね、サキュバスなの」
「サキュ、バス……」
サキュバス。
知っている。カードゲームで見たことがある。
おっぱいが大きくて、肌がいっぱい見えるえっちな格好をした、女の魔物。
攻撃力と防御力は高くなかったけど特殊スキルが強かった。でも自分では使わず机の中に隠してた。
友達に使っている所を見ると恥ずかしかったから。
そんなサキュバスがメンデスの正体……。
「貴方が始めるのはサキュバスによるエッチな脱出ゲーム♡
貴方はこれから色んなエッチな目に合うの♡
それに耐えてクリアできたら貴方の勝ち♡
我慢できずクリアできなければその淫紋は輝きを増し、貴方はどんどんエッチになっていきやがてそのことだけしか考えられなくなる♡
その賢い頭は靄がかかり、可愛い顔は快楽に歪み、強い心はドロドロに溶けちゃうの♡
私はそれをずっと近くで見ててあげる。
そして最後は私のもとにたどり着くの。
その時の貴方がどうなっているか、すっごく楽しみ♡」
唾を飲み込む。
メンデスは、このサキュバスはボクを貶めるつもりだ。
ボクの体も心もグチャグチャにして、何もかも台無しにするつもりなのだ。
なんでボクがこのゲームに選ばれたのかわからない。
だけど、負けてたまるか。こんな一方的にひどいことをされて、我慢できるか。
ボクは必ず家に帰る。お父さんとお母さんがいる、あの家に。
「覚悟が決まったみたいね。
それじゃあその扉を出たらゲーム開始。
貴方の到着を待ってるわ♡」