確率の見える世界 〜あの子とエッチできる確率は○○%!?〜 作:tomoki/名和朋樹
【2023年7月13日】
美しい音色というのはなぜこんなにも心に響くのか。
楽器と奏者の一体感が生み出す魔力でもあるのだろうか。
千春はすぐ隣から響き渡るトランペットの音に圧倒され、その音色は耳に残り、脳裏に焼きつくような鮮やかさがある。
私が中学校から吹奏楽を練習してきて3年と少し。
ここまで決定的に音色が違うということを想わされたのは初めての経験であった。
多分音楽に興味のない人間からすれば、気づくことのないほどの小さな差。
これが自分の演奏と比較してしまうと途方もないほどの大きな差に感じてしまう。
けれどもそれが嫉妬や劣等感につながるということは無い。
私は彼女のその演奏がただひたすらに好きなだけなのだから。
千春はじっと、背筋が伸び呼吸と共に動く麗しいその姿勢を眺めながらそう考える。
「はい。じゃあ休憩ね」
先輩の声と同時に、この部屋に話し声が充満する。
これはもちろん千春たちであっても例外ではない。
「ちはる~~。もうほんとに疲れちゃった~~」
「そんなこと言って、まなちゃん演奏上手すぎるよ」
「えへへ、そうかな~。まな、褒められると頑張っちゃうから~」
茉奈は照れくさそうに、そしてどこか嬉しそうにして話す。
この可愛らしい表情をしている彼女は市原茉奈。
私と同じ高校1年生の女の子で、同じトランペットパート。
いつもニコニコ愛嬌のある性格で、私が吹奏楽部に入りたてで右往左往していたときに一緒にお話をしてくれたのが茉奈ちゃん。
私の中では可愛い女の子くらいの認識だったのだけれど、一度演奏を聞くとその認識を改めることになった。
一言でいえば彼女は本当に天才だ。
中学校の時ではそこそこうまい方だったと自覚している私なんかでも、お話にならないくらいの上手さである。
彼女の音色は一音一音が綺麗で、まとまりがあって、聞いていて気持ちがいい。
そして彼女の名前をよくよく聞くと、市内の吹奏楽部のトランペットパートでは知らない人がいないほどの有名人のあの子だと気づいた時には、それはそれは驚いたことを覚えている。
そしてもちろん彼女は高校でもすぐに頭角を現し、いくつかあるパートの中でも難しくて上手な人たちが集まる1stパートに抜擢されていた。
私の中では先輩方も含めても間違いなく一番うまかったのは茉奈ちゃんだったから、それをごく当然のように受け入れた。
でもそんなことを良く思わなかったのが、元々1stパートにいた先輩。
半ば降格のような形になってしまった先輩からの嫌がらせというのがそれはもうすごいものであった。
さっきの休憩時間の話し声のように、明らかに私たちに聞こえるように悪口を言うし、トランペットの1stと2ndで練習する時もあからさまにミスをさせようとして意地悪な吹き方をしてくるのだ。
トランペットパート内で同じ部屋での練習が多くなるのだけれど、その先輩は積極的に嫌がらせをしてこようとしてきた。
私も茉奈ちゃんもそんな状態に嫌気がさしていたのだけれど、決定打になったのがゆうり先輩。
どこから嗅ぎつけたのか、別の学校に通う茉奈ちゃんの彼氏を寝取ってしまったのだ。
そして茉奈ちゃんが精神的にショックを受けたタイミングを見計らって、さらにいじめはエスカレート。
私たちだって少しは対抗していたのだけれど、結局のところ先輩という権力に敵うこともなく茉奈ちゃんは部活をやめることを余儀なくされた。
私はというと、そんな辛そうにしている茉奈ちゃんの背中をさすることくらいしかできなかったのだけれど。
そんなことがあったから茉奈ちゃんは先輩たちが嫌いだったし、また演奏している彼女を見たいという思いがあったのだけれど、それは叶わぬまま月日が流れていった。
そんなある日のこと、私は一人の男の子と出会った。
そしてその時彼に聞いた質問が「エッチしたら恋愛感情ってわかると思いますか?」だった。
私にとって恋愛というのはそこまで実感のあるものではなかった。
だけれども興味が無かったと言う訳ではない、得体のしれない未知のモノ。
そしてそこに結び付いてくる男女の行為。
茉奈ちゃんは呆然としながらこう呟いていた。
『私は彼に初めてを捧げるつもりだったのになぁ……』と。
それほどにある種神聖な行為を、人を蹴落とすために使うことができる人物がいるというのもまた事実であった。
そんな状況の中でこの質問が出てきたのは至極真っ当な思考だったのではないかと思う。
彼の巧みな話術とその場の雰囲気にのまれていたのもまた事実だと思うけれども。
「ちはる~~。どうしたん?そんなに顔を赤くして~~。彼氏のこと考えてたんか~~?」
千春はふと現実に引き戻され、顔の前でひらひらと手を振られていることに気づく。
「そ、そんなことないよ!別にあーくんのこと考えてたりだなんて……」
「またまた~~。ほんとちはるはかわいいな~~」
「もうっ、まなちゃんったら!彼氏彼女の話はやめてよ!」
「でもさ~、まなが戻ってこれたのはちはるの彼氏さんのおかげなんでしょ~。感謝してるんだよ~。おかげさまでちはると一緒に校内コンサートにも出れるわけだしね~」
そう。茉奈は本来吹部をやめている立場だったため、この校内コンサートには出れないはずだった。
しかし吹部では3年生の多くが2週間前にこぞって辞めさせられ、入れ替わりで茉奈は復帰したことで、一転校内コンサートに出ることができるようになったのだった。
この吹部を揺るがす事件の発端は3週間前、千春の一言から始まっていた。
『これは私にとっての復讐でもあるんです。ちょっとはやり返してやらないと気が済まない。なのでゆうり先輩の裸の動画を撮って脅してやりませんか?』
私はあつし君にこんなお願いをした。
私が今あつし君と付き合っていると噂されているような状況、ゆうり先輩の寝取り癖、あつし君が持つ能力の事情。
この3つが完全に合わさったときにできる作戦。
そして全ては、不当な嫌がらせを受けて退部せざるをえなかった茉奈ちゃんがもう一度復帰できるようにするため。
茉奈ちゃんは話してて言葉ではもう戻らないみたいなことを言っているけど、未練たらたらなのはわかっていたし、それに何より彼女の演奏を私は聴いていたかったから。
結果的にはこの作戦は成功した。
そしてゆうり先輩をこちら側に引き込むことができた。
まさかあのあと急に改心して、あつし君一筋の乙女みたいな感じになるとは思わなかったけれども。
ただ本当の意味での黒幕は3年の先輩勢。
ここを叩かないと茉奈ちゃんは戻ってきたがらないことはわかっていた。
そこで3年生ともそれなりに関係性のあるゆうり先輩に、いじめを示唆するようなメッセージのやり取りやSNSの投稿を纏めてもらった。
それに不満を持つ2年生も多くいたようで、証拠集めはものすごいスピードで進み、学校や教育委員会へと報告。
ここまで大事になれば学校側としてメンツを立てるためなのか、あれよあれよと話は進みすぐにいじめをしていた3年生は強制的に退部という運びとなった。
物事が変わるのはあまりにも一瞬過ぎた。
あまりにも。
そして茉奈ちゃんにこのことを伝えて戻ってきてほしいって言ったとき。
「……ありがとう……」
たった一言呟いて私のことを抱きしめて涙を流す彼女の姿を見て、私がしたことは間違ってなかったなと確信したのだった。
「彼氏さんは明後日のコンサート来るの?」
顎に手を置きながら茉奈は千春に対してそう投げかけた。
千春は少しだけ彼のことを考えた後こう答える。
「うんっ。興味は無さそうだったんだけど、お願いしたら来てくれるって」
「じゃあちはるの演奏を見せつけてやらないとだね。それとお礼言いに行こうかな~。機会があまりなくて言えて無かったし」
「そんな。大丈夫だよ、お礼なんて。あんまり吹部の事情にも興味無さそうだったし」
「それでもちはるの彼氏さんには私もお世話になったからちゃんと言わないといけないと思うからさ。ちょっとでいいから」
「じゃあコンサート終わった後にだね。今日も部活終わりに会うからその時話しておくね」
「ふーん。アツアツじゃ~~ん」
おちょくるような声を上げながら顔を突っついてくる茉奈のことを、千春は微笑みながら受け入れるのだった。
【2023年7月15日】
「やばい緊張する。なんでまなちゃんはそんなにいつも通りなのよ」
「ぜんぜんいつも通りやればいいだけ。大丈夫大丈夫」
ステージの裏で千春と茉奈はそんな会話をしていた。
年に一度の恒例行事の校内コンサートは最後の演目に差し掛かろうとしていた。
高校の体育館に並べられた椅子に生徒や保護者、それと近所の人たちまで。
ざっと2000人くらいは居るのではないかと思われるほどの観衆の中、吹奏楽部の演奏が始まろうとしていた。
千春は未だにその緊張感が拭えないのか、そんな弱音を吐いていた。
茉奈はそれを優しく受け止めようとしていた。
何故ここまで緊張しているのか。
それは次の出番ではそれぞれのソロでの演奏パートがあるからだった。
各々がたったのワンフレーズだけではあるが、自分一人が演奏して、自分だけがスポットライトを浴びる。
そんな時間が存在するのだ。
最初はこのコンサートを機に引退する3年生の晴れ舞台だったようだが、いつしか1,2年生も含めてそれぞれにソロパートが用意されるようになった。
これは尺を自由に決められる、校内コンサートだからできることなのだ。
尤も、今年に関して言えば3年生の数が著しく少ないのだがそれはまた皮肉な話ともいえるだろう。
そんな観衆の注目を一転に集めるソロパートで、もしミスをすればそれは明確に自分に跳ね返ってくることになる。
基本的に大勢での演奏が主な吹奏楽において、このベクトルのプレッシャーというのには慣れていない方が多いだろう。
そしてもちろん、それは千春も同じだった。
「いつも通りやれば大丈夫なのはわかってるけど……。大勢の前で演奏するのはやっぱり心配かなぁ」
「ならさ、彼氏に向けて演奏したらいいんじゃない?来てるんでしょ、彼氏さん」
「うん……。まだ見つけられてないんだけど、ね」
千春はポケットの中に入れてあるスマホを取り出し、あつしとのメッセージを開く。
そこには『校内コンサート来たよ!』の文字が。
このメッセージはオープニングの前には来ていて、かれこれ2時間以上、舞台袖から探しているんだけれど照明が全体的に暗くて全然見つからない。
それに基本的にスマホはマナーモードか電源を切るように言われているから、こっちからの連絡は通じない。
あーくんに向けて演奏したくても、どこにいるのかわからないよ……。
「きっと、あの彼氏さんのことだからちはるが演奏している姿を見て喜んでくれるはずだよ。がんばろ!」
そうし吹奏楽部部の出番はやってきた。
静まり返る会場の中、スポットライトがステージ上を照らす。
そしてその目の前には指揮者である顧問の先生。
「構え」の合図で一斉に私たちは楽器を構える。
このコンクールやコンサートのような大舞台でも、幾度となく繰り返されている動作。
何度もやって慣れたはずなのだけれど、いつになってもこの瞬間はドキドキする。
私の斜め前にいる茉奈ちゃんは、私と同じ楽器を構えて静かに出番を待っている。
そんな彼女がトランペットを吹く前のルーティーンをする姿を横で見ながら私も「ふーーっ」と大きく息を吐き出した。
大丈夫、きっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら私は勢いよく、そして丁寧にマウスピースに息を吹き込む。
ポンポンと音がした後、空気が楽器へと吸い込まれるような感覚を覚えつつ、そのまま滑らかにリードから唇を離した。
その瞬間流れ出した旋律はあっという間にこの空間を覆い尽くしていく。
吹き始めて最初のフレーズを吹くまでの間だけは極度の緊張感に襲われるものだけれども、そこからは段々と演奏中も緊張が解けていった。
なんだろう、この演奏をしていて心地が良い感じは。
自分の音以外聞こえなくなって、まるで自分だけの空間を思い切り体全体で体感できているような感覚がした。
そうしている間にも曲はどんどんと進んでいく。
そして自分のソロパートの出番が近づいてくる。
私の番はあっという間にやってきた。
中央の演奏台に進んでいく間沢山の視線が私に集まっていることがわかる。
ああ、どうしようやっぱり緊張してきた。
後ろからの音色を聞きながら舞台中央に立った私は目を瞑りながら一度大きく深呼吸した。
そして意を決して目を開いたあとマウスピースを口に当てる。
その時、客席の中から一つだけ強い視線を感じた。
あ、あーくん……。
そして私の視線に気づくと周りに邪魔にならないように笑顔で手を振ってきた。
そんなあーくんの姿を見て私の心の中のもやもやは全て吹き飛んだような気がした。
それになんだかあーくんの目を見ていると安心してきた。
さっきまでの緊張はもう無かった。
歌うように滑らかに音を紡いでいく。
その音色が彼へと届くようにと。
ああ、やっぱり最高に気持ちいいや……。
そんな心地よい感覚に身を任せて吹き切っていたらあっという間にソロパートは終わっていたようだった。
そして静まり返る会場の中、ステージ中央でお辞儀をした。
建前はお客さんに向けて、心の中ではたった一人の男の子に向けて。
後片付けなどを終え、ようやくコンサートのすべてが終わりを迎えた千春は正門の方へと足早に向かう。
「あーくん!待ったでしょ。ごめんねこんなに待たせちゃって」
そこには正門横の壁にもたれかかりながら、スマホをいじるあつしの姿があった。
「別にそんなに待ってないよ。それに千春の両親ともお話ししてたからな。めっちゃ褒めてたよちはるの演奏」
「ふーん。ちゃんと見に来てたのかー。親から褒められるのはなんか照れるね。でも私はあーくんから褒めてほしいなぁ。手振ってたでしょ、ちゃんと見えてたんだからね」
「目合ったと思ったから振ってみたんだが本当に見えてんのかあれ。結構後ろの方だったのに」
「ふふーん。あーくんのことは見逃さないんだからね」
「それもそうだな。ちはるの演奏めっちゃ綺麗な音だったよ。今日来てよかった」
その一言に千春は少しだけ顔を赤くして、あつしの腕の中に飛び込んでいく。
そしてぎゅっと抱きしめるあつし。
「ちょ、ちょっとさすがにここだと恥ずかしいから離れよ」
「えー、せっかくあーくんと一緒に居られるんだからいいじゃん。それとも、だめだった?」
千春は上目遣いをしながら、あつしのことを見上げる。
そんな甘えるような姿に耐えきれなくなったのかあつしも思わず抱きしめてしまった。
「あーくんって意外と力強いよね」
「誰かさんが力いっぱい抱きしめてくるからそのお返しな」
「あのー。ラブラブそうなところ悪いんだけれどそろそろ良いかな?」
時間にして2分近く、この惚気を目の前で見せつけられていた女の子が2人に声をかける。
「あ。まなちゃん。ごめん。忘れてた……」
「いやー、私は2人のラブラブを間近で見ることができて眼福だったよ。ご馳走様」
茉奈は満面の笑みで手を合わせる。
流石に目の前で親友に見られていたことを知り、さっと千春はその腕の中から離れる。
「えーっと。あーくんに紹介するね。親友の茉奈ちゃん」
「知ってるよ。クラスでも黒髪ストレートの瞳が透き通った可愛い子がいるって話題になってたし。それに今日の君のソロパートすごくよかった」
「お~~。ありがとうございます。なんか面と向かって男の人にそう言われると照れる~///」
「あーくんはナチュラルに彼女の前で親友を口説かないで」
「あのな、マジで一応言っておくけど、俺とちはるは――――」
「はーいそこでストップ」
そう言いながらあつしの口を塞ぐ千春。
もはや漫才のネタほど擦られたこのやり取りだったが、初見の茉奈は首を傾げていた。
そんな彼女の様子を見ながら、千春が話を進める。
「それでまなちゃんがあーくんにお礼が言いたいんだってさ」
「お礼?」
「はい!私が吹部に戻れたのは、あつしさんがゆうり先輩を説得してくれたからって聞いていたので。本当にありがとうございました!」
きっちり90度腰を曲げてお礼を言う茉奈。
「あー。せっとく……。説得なのか?あれ。まぁ説得か。俺はちはるが君ともう一度演奏したいって言ってたから手伝ったまでだよ。お礼するくらいならちはるとこれからも仲良くしてあげてね」
「もちろんです!」
そんなやり取りに千春は、やっぱりあーくんって優しいな……なんて思いながら嬉しそうな表情を見せていた。
「じゃあまなはこの辺で帰りますね。2人の邪魔したくないし~~。じゃあねちはる!」
「もう、まなちゃんったら……。じゃあね!」
手を大げさなくらい振りながら歩いて行く茉奈を見届けてから、あつしと千春も駅の方向へと歩き始める。
「それにしてもよく俺のこと気づいたね。こっち結構暗かったでしょ」
「よくわからなかったんだけど、なんか目が勝手にそこに向いたの」
「ふーん。じゃあ俺のオーラが凄かったってことだな」
「それは違いますね。それになんで両隣にまりなちゃんとあやねちゃんを座らせてたんですか?そこもちゃんと見えてるんですからね」
「よーし。今日はコンサートお疲れ様会ってことで5人でご飯食べるぞ。まりなに色々出前取ってもらってるからみんなで食べようか」
「もう!勝手に話逸らさないでよ」
「まぁまぁまぁ……」
仲良く喋りながら帰る2人のその手はいつの間にか繋がれていた。
その様子はまるでカップルのように。