と、思う。普段は気が付かないことだが。
自分が打ちのめされていることに、わたし自身が気がついていなかった。
言うなればずっと、フォルティナへの引け目に打ちのめされているのだ。
結局は。
気がついた時、わたしは見知らぬ部屋のベッドにいて、見覚えのない灰色のワンピースを着ていた。
「寝巻き?」
頭に手をやると、いつの間に髪をおろしているようだ。いったい何が起きた……最後に、何をした?どこだここは。
部屋を見渡すと土間に直接柱がたっている。簡素な小屋だ。木の板の壁の隙間に、何カ所も乾燥した苔がつめられている。
農家か?
「あ、フローレンス様、目が覚めましたね。お加減はいかがですか」
そして今度は見知らぬ子だ。手桶をかかえて部屋に入ってきたところだった。
「ああ、……うん。わたしは……」
濁った意識で、自分の行動を振り返る。
そうだ。
恐れ多くもわたしは、聖槍教会教皇に楯突いたんじゃなかったか。
……我ながらなんて大胆なことを…… それで今、よく生きているな。
しかしフォルティナの命がかかってしまっていたのだ。わたしは、魔女の力が覚醒したフォルティナを何がなんでも守る覚悟だった。仕方がない。うん、仕方がない。
考えながら「それがいつ頃の出来事だったのか」さぐってみるのだが、前後の記憶があいまいで、時系列が成立しなかった。
(わたしはどうしたんだっけ、なぜここでベッドに?)
「いま、マスターを呼んできますね。ずっとフローレンス様につきっきりなんですよ?」
わたしが逡巡しているとその侍女はそう言って、
あの子は少し接しただけで、なんとなく明るくて良い子なのが分かる(少し物怖じするきらいはあるが)。が、やはり見覚えがない。
この調子では、そのマスターとやらも見覚えがないかもしれないと、この部屋に向かってくる足音を聞きながら思っていた。
姿をあらわしたのは、魔女使いの……
「貴様!」
敵とはいえ、知っている人間がいることに安堵した。やはり、やるべきことがわかるとホッとする。
手元に
違う……そうじゃない……
頭の中で閃きが起きる。突如、記憶の奔流に襲われた。
わたしはハインツ聖槍国 聖槍騎士団 隊長。
ルナリンド様の槍にして、世界にはびこる悪魔を貫き伏せる者。
そうだった、確かにそうだった。
では……でも、フォルティナがいない。
いつから、わたしのそばにフォルティナがいなかった?
すっぽりと抜け落ちている。彼女はどこに行った。
辻褄があわない。
背筋に電撃が走ったような錯覚におそわれる。
明確に嫌な予感がある。頭髪の毛根が全て太るような恐怖感。
「フォルティ……」
激しい拒否感が全身に駆け巡る。
胃がひっくり返り、慌てて口元を手で塞いだ。が、たまらずベットの外に身を乗り出して吐いた。自分がフォルティナにやったことを、自分が受け付けられない。身体の拒否反応に打ちのめされる。
そう――わたしはこの手で、彼女を斬り伏せたのだった!!
「フローレンス」
わたしの考えを遮るかのように、フラン公がわたしの名を呼んだ。
そうだ、今目の前にいる男性、魔女使いはフラン公爵だ。
そうだった。記憶が次々に整列していく。
彼の持っている杖の力によって、わたしは教皇に洗脳される前の記憶を取り戻したのだった!
彼はわたしの枕元で、心配そうにこちらをのぞきこんでいる。とても顔色がわるい。
「フォルティナ――クリファの…… その、聖剣の魔女は? どうなった」
いきおい込んでたずねると、フラン公の表情がくもる。
「聖剣の魔女にはまだ出会っていないが、知り合いか」
そう聞かれ、なんと答えてよいか分からない。もうフォルティナの友人を名乗る資格がわたしにはない。言い淀んでいると、フラン公は手元からハンカチを取り出してわたしに差し出した。これで口を拭っていいものだろうか。
ハンカチは良い匂いがした。
「まだこの国には剣の呪いが満ちている。君の――
彼は何かを察したようにそう言った。
無事だと?
みるみるうちに、視界が滲む。
「わたしに斬られたのだぞ!?」
いくらフォルティナの身体が無事でも、彼女の気持ちはどうだ。信じると誓った
絶望、そして魔女の力の暴走。
「だからクリファの…… 」魔女に堕ちたのか。
また一つ、辻褄があった。
再び吐き気に襲われた。それがあまりに急で、間に合わずに借り物の服に向かって粗相をした。あいにくそれにかまう余裕がなかった。
フラン公が見かねて、わたしの背中をさすっている。
「大丈夫だ。だから僕がきたんだ。なんとかできる。もう、大丈夫だ」
抱きかかえられながら、ぼんやりと思う。この男は、わたしの涙と洟とよだれと吐しゃ物を一向にかまわないのだろうか。
嗚咽しながら、フラン公があまりに一生懸命わたしの背中をさするものだから、つい戸惑ってしまっている。
おかげで、いくぶん気が紛れたような錯覚が起きた。
(この人は、なにをこんなに必死になってわたしなんかを……)
だが、わたしは腹の底から沸き立つ衝動にどうしても抗えそうにない。
「死ぬ」
そうつぶやくと、フラン公は顔面蒼白になった。
「まて、やめろ」
「万死に値する。わたしは」
何かを言おうとしたフラン公を遮って刃物を目で探すが、ここにはなさそうだ。
一瞬で決心した。
舌を思い切り嚙みちぎる。
凄烈な痛みが走るが、なんだ。
心の痛みには遠く及ばないじゃないか。守ると誓った者を守ることもできず、ましてや無防備な彼女を斬りつけ、傷つけるなど。
フォルティナがどれだけ戸惑い、落胆し、絶望したことか。
そうだ。わたしは万死に値する。
できることなら彼女に罵られ、彼女の手に掛かって死にたい。それで彼女の気が少しでも晴れるのであれば――が、わたしは彼女の手をわずらわせるほどの価値もない。
あふれてきた涙で視界がみるみるかすんでいく。
自分がこんなに泣く女だとは知らなかった。
目の前が真っ白になって、頭の中で火花が散った。一瞬遅れて、フラン公が私の頬をひっぱたいたのだと理解する。
彼はわたしをつきとばし、そのままベッドに組み伏せられた。ズシリと胸に体重がかかり、身動きが取れなくなる。そのまま口の中に指を突っ込まれた。
「ひなひてふえ!!!!!」
涙が溢れてくる。
フラン公の目は怒りで燃えていた。
彼の怒りにあてられてついカッとなり、口の中の指をかみちぎるつもりになった。
「――っつ!!」
それでもフラン公は容赦なかった。
「ひなへお!おあえいあいあああう!!!!」
言葉にならないなら、かみちぎるまでだ。思い切り齧った。
「うーーーー」
公の太い指が喉のおくの繊細なところにあたってえずき、むせながら戻してしまう。
みじめだ。わたしはみじめだ。
こんなにも。
あとからあとから涙が出てくる。
「だめだ、絶対にそんなことは認めない。させない」
フラン公の低い声に激しい怒気がにじんでいる。
身動きがとれない。
お互いの荒い息だけが重なって部屋にこだましている。
「絶対に自分を惨めにするな!」
言っている意味が分からない。
「君は自分のしたことが許せない。気高いからだ!!しかも、こんな激しい……」
彼は何か意味のあることをいっているのだろう。
けれど、頭に入ってくるはずがない。
気迫だけが伝わってきた。
暴れるわたしを押さえつけ、わたしに語りかけている。
「観念……しろ……」
抗うたびに激しい衣すれの音と、質の悪いベッドがガタガタきしむ音が響く。
「絶対……そんなこと……させない」
わたしは騎士団隊長として、冷徹だと思われていた。
正義のために、情を捨てて魔女をとらえてきた。
情を捨ててきたはずだった。
血の味がする。自分の舌から出ている血だ……フラン公の指からも血が出ている。わたしの歯が骨まで達している。
喉の奥に血が流れ込んでくる。どんどんあふれて出て、口の端からたれた。
また涙が出てくる。
わたしは情を捨てられていなかったんだ。
押し殺した気持ちがオリのように、心の奥に溜まっていたんだ。
「だがわざわざ過去にとらわれるな」
フラン公は相変わらず何か言っているが、ブツ切れで頭に入ってくるせいで意味が分からなかった。
分かることはただ一つ。
わたしはこんなにも――後悔している!
「君のような気高い人が、過去にとらわれると毒だぞ。気高いのは結構だが……今を生きろ!!」
ふたたび公の指の先が喉の奥をさわり、思わずえずく。フラン公の体重が腹にかかり苦しい。
――もう力を使い果たしてしまって、死ぬ気力すら失せてしまった。
指で戒められたまま、フラン公と見つめあう。
「これはもう抜く」
お互い肩で息をしている。
彼は見るからに憔悴していた。気が付かなかった。
「けどまたやったら気絶させてでも止めるからな?」
わたしはこくこくと力なくうなずいた。
この人は何をこんなに怒ったのだろう。
ぬるりと指が抜けて、呼吸が楽になった。ケホケホと軽い咳払いをして、改めてフラン公と正体した。
優しげな、美しい男だ。
「意味あ、わかいまえん」
舌が痛み、うまく言葉にならない。――だが、ちぎれてはいない。
「君ほどの使い手が、『今を生きる』の意味が分からないのか?」
武芸の腕が立つことと関係あるのだろうか?
「簡単なことだ」
そういって彼はわたしの上から、おそるおそる身を引いた。
解放され、呼吸が楽になった。そのまま流れるような動作でわたしの手を取り、彼の胸にあてた。
「なん……?」
力強い鼓動、少し早い。一体なんだ。
「どうなっている?」
「
それ以外に何がある?
「それだけ?」
「――?」
なにが言いたい。
「今きみは、手に感じた僕の鼓動のことを考えた」
何を?
分からない。
「
思わず目を見開く。
武芸百般、奥義を
「
後悔をするな、と? では、フォルティナへの報恩の気持ちは?
「もう一度言う。
わたしはどう答えればいいのか分からず、沈黙があった。
「聖剣の魔女を解放する」
全身に、静かな衝撃が広がっている。
「僕についてきて、それを助けてはくれないか。どうせ身を捨てるなら、前向きにやってこそ浮かぶ瀬があるというものだ」
わずかにーー
ごくわずかにだが、希望の火が胸にともったのが分かった。
「あい」
――わたしは今、この人に救われたのだ。
また涙が出てきた。