花と風車に囲まれたのどかな国、それがフラン公領だと聞いていた。
それがあまりにも
本当にいたるところに風車が回っているのだ。地下水をくみ上げたり、穀物を挽いたりするのに使っているのだろう。
(彼はこの地を、どのようにして治めているのだろうか)
領主という肩書きの者に招かれているからか、普段考えないようなことも頭のはしにのぼった。
聖槍騎士団の隊長だった。普段から教皇の顔を拝む機会くらいはあったが、教皇を
統治のことなど知る由もない。だからこういうことは、普段はあまり考えないことだ。国を治める人物がどんな
知らない方がいい。
なのに今、目前にひろがる牧歌的な景色のはしばしに、彼の影を見るような気がする。
なだらかな丘陵に点在する風車。取り残されたようにぽつねんと茂った濃緑色の小森。
曇天の鈍い灰色と、あたり一面の紫色の花とのコントラストがなんとも言えず美しい。
目的地が近づいてきている。
歩みを早めてしまいたいような、このまま曇り空の下、この美しい道をずっと歩いていたいような……ハインツと明確に異なるフラン公領ののどかな景色がわたしの心を癒している。フォルティナのことはさておき。
辺境とはいえ、領主館ともなるとさすがに立派だった。
談話室に案内されたわたしを、領主と少女が出迎えてくれる。
ふわっとした笑顔を浮かべている領主。
その隣には落ち着いた少女。態度は、領主とは対照的。
少女の方はわたしに、というか、いわゆる大人の女性であるわたしに全く物怖じしない。微笑みながらわたしを見つめてくる。不思議な違和感があった。
「フローレンス、早かった。よく来たね」
フラン公は、開口一番やわらかい表情でそういった。わたしはあの廃村で、彼のいちばん激しい部分に触れたのだろう。
うってかわって今、彼のふわふわとした物腰を目の当たりにして、それを思い知る。
いかにもお人よしな性格がにじみ出ている…… というべき「ふんわり」とした態度。野の花のような素朴な笑顔、とでもいうか。あの激しさを知っている身としては、ずいぶん意外な感じがした。
「手紙を…… ありがとう。わたしは…… あの子を護るためにずっと鍛えてきましたから……戦闘の際にはお役に立てると思います」
そういうとフラン公はなにか意外そうな表情をした。おかしなことを言っただろうか。
「あの、なにか」
たずねると、彼は困り顔で笑いながら
「正直に言えば、その申し出はとても助かるよ。聖剣の魔女を開放するためには…… ただ」
と、言って口ごもった。
その先を待って黙っていると、少女が口を開いた。
「こやつはの。本当は戦いのために人を呼びだてするような真似はしたくないんじゃ」
その容姿とは相容れない老女のような口調がちぐはぐな印象。が、それより戦いのために召喚されたわけじゃない、という方が気になる。
「わしはロザリー。ロザリーおばあちゃんと呼ぶものもいる。ここでは……まあ、相談役のようなものじゃ」
ずいぶん幼い相談役だ。おそらく見た目通りの年齢じゃないのかもしれない。
矢継ぎ早に新しい情報が重ねられて、なにも反応ができないでいる。領主は何か考え込んでいた。
「……まあ、ロザリーのいうことも一理はある。僕は……」
が、明るく取り繕うように「いや、とにかくまずは旅の疲れを癒して欲しい」そう言って、気を取りなおして侍女を呼ぶ。
そのままわたしを案内するように申し付けた。
「それからモニカ」
侍女のモニカは「はい、マスター」と彼に向き直る。
「今日はちょうどパンを焼くから…… 」
「はい、マスター。フローレンス様にお風呂の案内も」
「そう、それが言いたかった。ありがとう」
侍女に二、三言づけてからフラン公は、執務が溜まっている…… とまたもや困り顔でつぶやいた。
「すまないフローレンス、バタバタしてしまって。後ほどゆっくり話す時間を。今ちょっと手が離せなくて」
そういって彼は奥に引っ込んでいった。
何かと忙しいらしい。それが領主の仕事ということなんだろう。
それにしてもパンと風呂か。
パン焼き窯の熱を利用して、風呂を焚く。ハインツもフランも一緒らしい。
長旅につかれた。楽しみだ。
フラン公領主館には自分の部屋が用意してあった。
フラン公曰く「部屋は自由に使って。何かあったらモニカに聞くと良いから。侍女見習いとして張り切って対応してくれるよ」ということだった。
彼女に案内されたのは三階の角部屋、よく日の当たる良い部屋だ。
クローゼットとベットと化粧台が置いてある。一見簡素な調度品に見えた。よく見ると細かい細工彫りがほどこしてあり、手が込んでいる。
部屋の眺望も見事だ。窓からなだらかな丘陵が波打って見える。美しい景観に思わず息をのんだ。
大きめの窓。カーテンの生地も厚手で、細やかな刺繍がほどこされている。
なんとなく…… なんとなく待遇に圧倒された気持ちになる。
気を取り直してクローゼットをあけてみると、厚手の清潔なタオルが重ねて置いてあった。
これは――
「わたしがこんなにいい部屋を使っていいのだろうか」
素直な感想を述べる。
「はい、もちろんです。今日からフローレンス様のお部屋ですから、なんの気兼ねもなさらずに」
言いながら、モニカは部屋の窓を開けてレースのカーテンのすそをとじた。
彼女は部屋の調度品を点検している。その衣擦れの音が、かえって沈黙を浮き彫りにしている気がした。
「いや、それは……まあ」
気兼ねは……
「マスターはフローレンス様が聖槍騎士団にいらっしゃったことを気兼ねしないかどうか心配されていましたよ」
気兼ねは…… するに決まっている。不本意だったとはいえ、わたしはフラン公国と敵対する組織にいたのだ。
「ああ、ありがたい……心遣いだ」そう返すしかない。
小鳥のかまびすしい鳴き声が聞こえてくる。
所在ない気持ちになって、とりあえず化粧台の椅子を引いて、そこに腰かけた。
モニカはくるくるとベットの掛布をめくってメイキングの出来栄えを確認したり、化粧台の引き出しの中を確認している。
「フローレンス様、こちらの化粧水とクリームが肌に合わなければおっしゃってください。色々ご用意がありますから。他にもなんでもお申し付けください」
これまで化粧台の前に座ることなどめったになかったわたしは、これにも「うん、ありがとう」と返すしかない。
「お風呂の支度が出来たらこちらに呼びに上がりますね」
ナーバスになっていたが、風呂と聞いて思い出した。
そういえば――
「モニカ」
名前を呼ぶと、彼女の表情は少し明るくなった。
「はい、フローレンス様」
「実は……その……」
気兼ねをとびこえて、いきなり言いづらい話をしなくてはならない。だが、これから彼女に生活のことをなんでも打ち明けなくてはならないのだ。
「なんでしょうか」
モニカはわたしが何か言い出すのを待っている。
「なんというか…… 下着の替えをちょうど切らしていて……」
ちょうど切らしている、というのは語弊がある。
もとからそんなに持ってないのを失念したまま出立してしまったのだ。
「まあ、大変。大丈夫ですよ。替えはわたしがお持ちします。下着以外も全てお洗濯しますから、まとめてこのカゴに入れてください。あ、それから寝巻きがタオルの下にしまってありますから」
そう言ってカゴを差し出す彼女の大きなリボンがゆれた。