食事を終えて「自室」に戻り、油さしに火をともした。あらためて部屋を見回してみる。
個人の部屋としては広すぎるのではないだろうか。それとも聖槍騎士団の隊舎が簡素すぎたのだろうか。
一見質素な調度品が、うす明かりに照らされている。質素ではあるが妙に肌なじみが良い。質が良いものだからだろう。
こんな大きな窓も、たっぷりとした厚手のカーテンも、自分には見慣れない。ベッドに腰かけると、きしむ音がなかった。ふかいため息が出た。
――これがわたしの自室か?
ある種の感慨深さが、身体を通り抜けていったような気がした。
吐しゃ物にまみれて自死を選ぼうとしたあの日から、なんとかここまで。
何かを抜けた気がする。人を後ろ向きにさせる
食堂の活気を思い出す。
こんな時代だというのに、そこかしこに朗らかな笑顔があった。ごちそうに向かって一生懸命なこどもの活気、皆に料理を取り分ける年長者の活力、皿に盛られたおかずを交換しあう親しみ、誰にも邪魔されることなくゆっくりと食事している者からにじみでる安らぎ。
そして。
皆、視線が領主に吸い込まれているのをみた。
みんな魔女だという。
わたしが目の敵にしていた「魔女」があれか? 普通の女の子となんら変わらないじゃないか……
――コツコツ
ひとりで物思いにふけっていたので、急に引き戻された。控えめなノック音。誰だろうか。
「はい」
かすかに緊張しながら返事をすると、男性の声だった。
「フローレンス、さっきは時間が取れずに―― すまなかった。少しだけいいかな」
ドアを引くと領主がいた。出迎えてくれた時より楽な格好になっている。
「夜分にすまない」
すまない、と言われても……
「いえ…… どうぞ」
と、一歩下がって部屋へ通す素振りをみせた。領主はその場で立ったまま、一瞬何か考えた顔をした。
そうだ、わたしのような者でも、いちおう女性。
かといって館の当主を廊下に立ちっぱなしにさせておくのはどうだろう。
あまり他人に見られたくない。
「あ、いや」と言ったきり二の句を継げずにいると、領主はこちらの意図を汲んでか「ありがとう」と言って、そのまま部屋に入ってきた。
目が合い、あの名もなき廃村での出来事をつい思い出す。こげ茶の瞳。この瞳が怒りをはらんでわたしをつらぬいていた。
鼓動が強くなる。
しかし今は柔和な表情で、どちらかと言えば伏し目がちだ。
立ちっぱなしにさせているのもなんだし、椅子を引いてすわるようにうながした。
「えーと…… 夕食は口にあった?」
腰かけながら、心配そうな表情をしている。やはり、基本的には物腰の柔らかい男である。
「夕食はとてもおいしかった。その――シチューの魚の味付けが良かった」
そう、食事は良かったのだ。
そばがゆに、具のたっぷりと入ったシチュー。それになんと白いパン、ワインまでも。
ハインツでの隊舎の食事も悪くはなかったのだが、つい比べてしまう。ここの食事は領主の館だからといって華美すぎず、かといってさみしい感じもなかった。
「あれは何という魚だろう。見慣れていないから分からないが、とにかくおいしかった」
自分は口数が多い方じゃない。
「そばがゆは、逆に見慣れたものでホッとした。あ、いや。見慣れたものが食べたいという意味でなくて…… その、そういえば、まさか白いパンが食べられるとは思わなかった」
なのについ饒舌になってしまう。自分らしくないことをしていると思う。わたしは聞かれていない風呂のことやモニカのことまで話していた。
領主はただ、そんなわたしの目をみて頷いていた。
「とりあえず、気に入ってくれたみたいでよかった」
領主はそう言ってから思案気な表情で視線をはずした。沈黙がただよう。さっき自分が点けたあかりが揺れている。
改めて目の前の男を観察してみる。一国一城の主とは、いったいどういう者だろうか。
見ただけで、中身まで分かるとは思えない。わたしはその美しくて硬い表情の領主の顔を眺めていた。
「――杖が」
不意におもてをあげて彼が話し始めた。目が合った瞬間、つい視線をそらしてしまう。
「ティクーンの杖には力がある」
わたしの洗脳を解いた、あの杖の話をしているのだろう。
「人と特別な絆を結ぶ力だ、フローレンス」
名を呼ばれた後、沈黙があった。わたしの返事を待っている。
「はい」
茶色い瞳がまっすぐこちらを見定めていた。
「君は…… 君は僕とのあいだに
わたしは今、領主に呼ばれてここにきている。それが
「
自分では思えない。
少なくとも、洗脳された経験があるものの発言に信憑性はない。
「杖の力によるものかどうかわからない、というのはその通りだ。……が、
領主は断定的にそういった。
「初めて会った時、僕の中に強い感情が湧いた―― のは分かっていると思うが」
一国一城の主がどういう人物なのかは、まだ分からない。ただ、自分に向けて語りかけてきている言葉の限りでは、領主である以前に率直な人柄が伝わってくる。
不意に自分の口の中に差し込まれた指の感触を思い出した。
「まだ、貴方の血の味を覚えている」
なんの気なしだ。自分からこういうことが口をついて出ることに違和感を覚える。これはわたしが気を許しているということかもしれない。
領主をうかがった。
端正な顔立ち。
その瞳の奥で、何かがちらりと燃えたような気がした。思いのほか長い沈黙の中で自分の言った意味と、相手の顔色を見比べてみる。
体温が徐々にあがる。自分が赤面していくのが分かった。色をはらむ言葉だったかもしれない。
「あの……杖のせいとすれば、わたしはこれからいったいどうなってしまうのだろうか?」
あるいはこれもまた洗脳状態とさほど変わらないと言えるのかもしれない。
「分からない。特別な絆のかたちは人それぞれだ。絆が生まれる、ということ以外は分からない。少なくともあんな風に強い感情が生まれることは、これまではなかったから」
「……」
いうべき言葉が見当たらない。フォルティナの顔が浮かぶ。
「誰とでもああなるわけじゃない」
わたしだけ?
「望もうと、望まざるとに関わらず、ね」
領主がいかにも慎重に言葉を紡いでいくのを黙って見ていた。
「君とはあんな風になることがある……のかもしれない。こんな抽象的なはなししかできなくて悪いとは思うけど」
正直に言うと。
正直に言うと、誰かとあんな風に真剣にぶつかり合ったことがない。フォルティナはかけがえのない存在だったが、自分の感情をむき出しにするような関係じゃなかった。ましてやかじりつくなど……
そもそも両親を早くに亡くしてからというもの、本当の意味での安心…… 誰かに心をゆるす機会はなかったと思う。
他者を護ることで、自分の手からこぼれ落ちていったものを
ただ自分はそうだったのだ、と思うだけだ。
こんな時代だ、そんな話はごまんとあって、自分だけが不運だと思うのは間違いだと分かっている。
「君はどう思う?」
「わたしは…… わたしには特別な絆というものがわかりません。ただ―― ただ、わたしにとってもあんな経験は初めてのことだし…… 今日は自分の口が軽いのに驚いている」
そういうと領主は笑った。
「僕が思っていたより、フローレンス、貴女はかわいらしい人みたいだ」
わたしは自分がどう感じたのかいまいちわかっていなかった。だが、領主が部屋から出て行ったあと、たしかに口角が疲れていた。
自分がずっと笑顔でいたらしい、と気がついた。
胸の中に清涼な風が吹いている。
まだ多少の動揺が続いている。