暗い洞窟だった。
天井から落ちた水滴が、足元の浅い水溜まりへ小さな波紋を作っている。湿った岩の匂いと、遠くで何かが擦れる音。目を覚ました俺は、しばらくその天井を見上げていた。
「……どこだ、ここ」
起き上がろうとして、そこで異変に気付く。
身体が動かない。
正確には、手も足もなかった。
「終わった」
昨日まで、俺は会社員だった。
仕事終わりに後輩と歓楽街を歩いていたら、どこからか暴走トラックが突っ込んできた。運転席のおっちゃんが窓から身を乗り出し、ものすごい顔で叫んでいたことだけは覚えている。
『何がケツマンだァァァァァ!! 俺は会社の使いパシリケツマンじゃねぇぇぇぇぇ!!』
そこで記憶が途切れている。
「……異世界転生か」
嫌な予感を抱きながら、水溜まりを覗き込んだ。
映っていたのは、青くて丸い、見覚えしかない生き物だった。
「……」
水面のスライムも、俺に合わせて揺れた。
「は?」
目を擦ろうとして、手がないことを再確認する。
「は???」
洞窟の奥まで声が響く。
「What’s up!!?? オーマイガッッッッッッ!!!!」
この衝撃は、感覚遮断の落とし穴へ落ちた夜以来だった。アムウェイに騙されて一千万失った時よりも、オーバーロードにハマって『オーバーチンポ』という二次小説を書き、低評価を食らった日々よりも、今は普通にショックだ。
「落ち着け、俺」
水面の青い塊を見つめる。
「スライムだ」
うん。
「終わった」
念のため股間を確認した。昨日まで自慢していたマグナム十二センチは、跡形もなく消えている。
その時、頭の中へ機械的な声が響いた。
ーーー告、個体名未設定ーーー
「誰だ」
ーーー告、サポートを開始しますーーー
「神様?」
ーーー告、違いますーーー
「じゃあ何なんだよ」
ーーー告、そこに無ければ無いですねーーー
「ダイソーの店員みたいな返しすんな」
頼りにならなそうな脳内音声だったが、名前がないのは不便だろう。俺は少し考え、最初に浮かんだものをそのまま口にした。
「今日からお前、クンニ君な」
ーーー告、キモキモキモキモキモキモーーー
「そこまで罵倒されることある?」
ーーー告、名称の変更を要請しますーーー
「却下」
空腹で腹が鳴った。スライムでも腹は減るらしい。
「とりあえず飯だな。今使える技とかないのか?」
ーーー告、自慰がありますーーー
「終わってる」
ーーー告、スライムであっても自慰行為は可能ですーーー
「聞いてない」
洞窟の天井を見ると、黒いコウモリが一匹、岩肌へ逆さにぶら下がっていた。美味そうではないが、食べられるなら贅沢は言えない。
体内の水分を集め、意識を尖らせる。
「……いけ。水刃」
ペッ。
飛んだのは、どう見ても勢いのない液体だった。
コウモリは瞬きもせず、次の瞬間には俺の身体へ飛びかかってきた。鋭い爪が表面を裂く。
「え」
そこで、俺は死んだ。
ーーー告、転生特典により復活を使用しますーーー
直後、身体ごと吸い込まれるような感覚が走った。
「グオオオオオオォォォォォ!!!!???」ギュイイイィィン
直後、バキュームフェラみたいな凄まじい吸引の後、俺はさっきと同じ場所で目を開けた。
「……本当に復活した」
感動する暇はなかった。
復活を待っていたコウモリが、もう一度俺を引っ掻いた。
「いや、これリスキルじゃない?」
俺は死んだ。
ーーー告、復活を使用しますーーー
「グオオオオオオォォォォォ!!!!???」ギュイイイィィン
直後、バキュームフェラみたいなこれさっきもやったな。
二度目の吸引を終えた時には、少しだけコツを掴んでいた。
今度は水分を圧縮する。さっきよりも強く、細く、刃の形を意識して放つ。
「水刃!」
ペッペッ。
ズバァァン!!
コウモリが真っ二つになり、岩壁へ叩きつけられた。
「急に強くない?」
ーーー告、一度死亡し、復活したためですーーー
「サイヤ人の特性かよ」
ーーー告、なお先ほど放ったものは水ではなく精子ですーーー
「は?」
ーーー告、固有能力『精子垂らす』ですーーー
洞窟に沈黙が落ちた。
「終わってる能力名だな」
ーーー告、Exactlyーーー
「英語で同意するな」
それでも強い。死ねば強くなり、精子を刃にすればコウモリを倒せる。最悪の能力名だが、この世界で生き残るには悪くないのかもしれなかった。
「……まあいい」
俺は倒れたコウモリを見ながら、少しだけ笑った。
「この技で天下を取ってやるよ」
まだ、この時の俺は知らなかった。
この洞窟に、後に生涯の悪友となる、一匹のクソうるさいコウモリがいることを。
つづく……