アナルナメス王国。
王城の会議室では、朝から妙に重い空気が漂っていた。
理由は簡単だ。
机の中央に置かれた一枚の報告書には、大きくこう書かれている。
『魔国連邦チンポリス視察計画書』
アナルベルトは無言でそれを見つめていた。
隣ではケツエンドが書類の束を抱えながら、死人みたいな顔をしている。
「……疲れた」
「正式文書なんだから仕方ないだろ」
「昨日だけで『チンポリス』という単語を百二十七回入力した」
「ご苦労」
「労って済む問題じゃない」
ケツエンドは次の紙を取り出した。
『視察責任者 英雄アナルベルト』
さらに次。
『同行者 聖女ハインリッヒ』
そして。
『護衛 肛門性騎士・ナメト』
「待ってください!!」
ナメトが机を叩いた。
「何だ」
「俺のところだけおかしいでしょう!」
「登録名だ」
「正式文書までこれなの終わってる」
「慣れろ」
「慣れませんよ!!」
ハインリッヒが紅茶を飲みながら淡々と言う。
「一年耐えたんだから、もう慣れたら?」
「慣れていい名前じゃないんですよ!」
「肛門性騎士として誇りを持ちなさい」
「アルベルトさん助けてください!」
「俺を見るな」
ナメトは絶望した顔で椅子へ沈んだ。
アナルベルトはため息をつき、改めて報告書へ目を落とす。
チンポリス。
以前までなら、名前を見ただけで頭痛がした。
だが今は違う。
視察から戻った商人や冒険者、巡礼者、旅人。そして、ただ温泉へ入りに行っただけの一般人。
彼らから提出された報告の大半が、驚くほど好意的だった。
治安が良く、食事も安い。だが死の料理つき。
魔物が働き、人間も普通に宿泊できる。但し、差別つき。
温泉は妙に充実している。けれども精液温泉。
乳首の街灯は存在が意味不明。
巨大乳首展望台の計画はもっと意味不明。
だが少なくとも、人間が魔物に食われて帰ってこないなどという話は一件もなかった。
アナルベルトが腕を組む。
「……評価が高すぎる」
ナメトが顔を上げる。
「高いならいいんじゃないですか?」
「高すぎるから気になる」
「疑い深いなぁ」
「俺は曲がりなりにも国の英雄だぞ。国民が『魔物の国最高でした!』だけ言って帰ってきたら警戒する」
ケツエンドが別の紙を差し出した。
「ちなみに温泉部門だけ平均評価4.9だ」
「何の評価制度だ」
「王国内掲示板」
「そんなのいつ出来た」
「先月」
「文明の進歩が早すぎる」
ハインリッヒが紙を覗き込む。
「『白濁湯が最高でした。また精液を流しに行きたいです』」
「読むな」
「『風呂屋の兄ちゃんが精子垂らすしか言わなくて怖かったです』」
「それはちょっと分かる気がする」
「『巨大乳首展望台、まだ出来てませんでした。低評価です』」
「未完成施設を評価すんな!」
アナルベルトは額を押さえた。
本当に何なんだ、あの国は。
しかし笑ってばかりもいられない。
リムルは真なる魔王へ進化し、さらに世界の魔王達が集まるワルプルギスへ参加したという噂まで、既に王国へ届いている。
あの国は、もう単なる珍妙な魔物国家ではない。
大国になり得る存在だ。
だからこそ。
「行くぞ」
アナルベルトが立ち上がる。
ナメトが目を瞬かせた。
「本当に?」
「自分の目で見る」
「ついにチンポリスへ!?」
「何でお前ちょっと楽しそうなんだ」
「だって温泉評価4.9ですよ!」
「お前さっきまで肛門性騎士で絶望してただろ」
「絶望と温泉は別です!」
「人生逞しいな」
ハインリッヒも立ち上がる。
「私も同行するわ」
「分かってる」
「アルベルトだけ行かせたら、現地で喧嘩しそうだもの」
「しねえよ」
「昔、宿屋でパンの焼き加減で店主と揉めたでしょう」
「なんか焦げてた」
「三時間議論する必要あった?」
「ある」
ケツエンドが書類をまとめる。
「では正式に視察団を組むぞ」
「頼む」
「訪問目的は?」
アナルベルトは少し考えた。
「魔物国家の実情確認」
ケツエンドが書く。
「他には?」
「人間との共存状況」
「他には?」
ナメトが手を上げた。
「精液温泉」
「却下」
ハインリッヒも手を上げる。
「巨大乳首展望台」
「お前まで乗るな」
「ちょっと見たい」
「まだ完成してないっつの!」
ケツエンドは無表情のまま最後に書き加えた。
『備考:温泉利用の可能性あり』
「入れんな!」
こうして、アナルナメス王国による正式なチンポリス視察が決まった。
会議室の外、少し離れた廊下では、一人の男が壁にもたれていた。
黒髪に長い前髪。その前髪が片目を隠し、白いシャツの袖からは包帯が覗いている。
国王直属の参謀。ルミナスだった。
「へぇ」
扉の向こうから聞こえてくる声を聞きながら、楽しそうに呟く。
「視察行くんだ」
その声には喜びも警戒もなく、面白い遊びを見つけた子供みたいな軽さだけがあった。
「仲良くなっちゃったら、つまんないな」
ルミナスは踵を返した。
誰にも声をかけず、誰にも報告せず、そのまま王城を抜けて街の外へ出る。
しばらく歩いた先の人気のない木陰には、一人の男が立っていた。
派手な服に明るい笑顔。
手には何故か造花を持っている。
男はルミナスを見るなり、両手を広げた。
「チョワヨ〜!」
「うわ」
「開幕うわって何チョワヨ〜!」
「いや、思ってたより明るかったから」
「陰湿な能力持ってる奴は全員暗くないとダメチョワヨ?」
「偏見だね」
男は胸を張った。
「黒指所属!」
一拍置く。
「ホバギ=チョワヨ!」
「名前うるさ」
「褒め言葉チョワヨ〜!」
「褒めてないけど」
ホバギは気にせず、造花をくるくる回している。
黒指。
どの国にも属さない、得体の知れない集団だ。
金さえ払えば依頼を受ける者もいれば、思想で動く者もいる。
そして何より、変な奴が多い。
ルミナスは以前聞いた、別の黒指達の話を思い出した。
お気持ちで地雷を踏み抜く男。
エロエルフ大全を人生のバイブルにする男。
監視任務中にカップリング論争を始める奴ら。
指パッチンで包茎を晒す男。
その中でも、ホバギは少し毛色が違っていた。
明るく軽薄な雰囲気をまとっているのに、その笑顔の奥には、これまでの黒指とは明らかに違う悪意がある。
「仕事頼みたいんだけど」
「チョワヨ?」
「戦争起こして」
ホバギの笑顔が止まった。
「……」
「……」
「国家間戦争をファストフードみたいに注文するなチョワヨ〜!!」
「できない?」
「できるが?」
「できるんだ」
「そこ疑うなチョワヨ!」
ホバギは腕を組んだ。
「国は?」
「アナルナメス王国とチンポリス」
「なるほどチョワヨ〜」
「今度、王国から視察団が行く」
「ほほう」
「仲良くなりそうなんだよね」
「いいことチョワヨ?」
「つまんないじゃん」
「お前性格悪いチョワヨ〜」
「君に言われたくないな」
「確かに!」
二人で笑った。
木陰には爽やかな笑い声が響いていたが、話している内容だけが最悪だった。
ホバギが顎へ手を当てる。
「具体的には?」
「魔物が人間を殺したように見せたい」
「分かりやすいチョワヨ〜」
「できる?」
「できますとも」
「即答」
ホバギは懐から白い粘土のようなものを取り出し、指先で軽く捏ね始めた。
すると形がみるみる変わり、皮膚や指、爪、血管まで再現され、僅かな体温すら感じるほど精巧な人間の手へ変わった。
ルミナスが少しだけ目を細める。
「へぇ」
ホバギは得意げに笑う。
「偽骸造形」
そして両手を広げた。
「チョワヨ・フェイク!」
「名前ダサ」
「帰るチョワヨ」
「ごめんごめん」
ホバギは手の模型を握り潰し、再び白い塊へ戻す。
「人間でも魔物でも、見た目だけならどうとでもなるチョワヨ〜」
「傷口も?」
「チョワヨ〜」
「血も?」
「チョワヨ〜」
「匂いは?」
「チョワヨ〜」
「会話する気ある?」
「チョワヨ〜」
「便利だなそれ」
ホバギが急に真顔になる。
「魂は作れない」
ルミナスが僅かに笑みを止めた。
「本人の記憶も無理チョワヨ。強い解析されたら崩れるし、時間が経ちすぎてもバレる」
「十分じゃん」
「雑に使うと即バレする能力チョワヨ〜」
「じゃあ雑に使わないで」
「注文が横暴」
「お金払うよ」
「急に神様に見えてきたチョワヨ〜!」
ホバギの笑顔が戻る。
ルミナスは木へ背を預けた。
「魔物の爪痕。噛み跡。魔素反応。あと、殺されたばかりに見えるように」
「欲張りセットチョワヨ〜」
「できない?」
「できる」
「強いな君」
「黒指の連中、評価ばっかりで創作を怠ってるチョワヨ〜」
「急に仲間刺したね」
「お気持ち表明とエロ本レビューじゃ戦争は起こせないチョワヨ」
「正論なの最悪だな」
ホバギは楽しそうに笑った。
「死体は何体?」
「一体でいい」
「少なくない?」
「多いと露骨」
「分かってるチョワヨ〜」
「目立ちすぎない場所に置いて。でも必ず視察団が見つける場所」
「面倒な客チョワヨ〜」
「できない?」
「だからできますけどォ!?」
「キレるなよ」
「職人に対して毎回確認するなチョワヨ!」
ルミナスは笑った。
「じゃ、頼むね」
「報酬前払い」
「信用ないなぁ」
「戦争起こせって頼む奴を信用する方がおかしいチョワヨ〜!」
「それもそうか」
ルミナスが金貨の入った袋を投げると、ホバギは受け取って中身を確認し、満足そうに笑った。
「チョワヨ〜♪」
「嬉しそうだね」
「金は創作意欲を刺激するチョワヨ〜!」
「最悪のクリエイターだな」
ルミナスは踵を返した。
「じゃあ俺は視察団に混ざる準備するから」
ホバギが首を傾げる。
「お前も行くチョワヨ?」
「うん」
「バレない?」
「大丈夫でしょ」
あまりにも軽い。
ルミナスは片手を上げる。
「じゃ、面白くしてね」
ホバギも手を振った。
「任せろチョワヨ〜!」
二人は別方向へ歩き出した。
木陰から姿が消えた後も、ホバギの鼻歌だけが僅かに残っていた。
「チョワヨ〜チョワヨ〜♪ 擬似死体チョワヨ〜♪」
最悪の歌だった。
⸻
数時間後。
チンポリス。
リムルがワルプルギスへ出発してから、街の責任者はベニマルとなっていた。
正直、不安はある。
主がいない。
真なる魔王となった直後で観光客も増えている。
しかも今日は。
「アナルナメス王国から正式視察団が来ます」
シュナが報告書を読み上げる。
ベニマルは額を押さえた。
「何故このタイミングで……」
シオンが腕を組む。
「大丈夫です!」
「何がだ」
「リムル様がいなくても、私達には生があります!」
「最近お前の発言が怖い」
「生きていれば何とかなります!」
「その思想だけ聞けばいいこと言ってるんだがな」
オーク将軍が地図を広げる。
「視察経路はこちらでどうだ?」
「市場、差別区、宿泊区、温泉街、農業区」
「最後に特大人間死体遺棄中央広場だ」
「論外すぎる」
ビーチクが即座に割り込む。
「巨大乳首展望台予定地を忘れているぞ」
「まだ更地だろう」
「未来を見せるのが視察だ」
「乳首の未来を外交に持ち込むな」
クラウディが温泉から顔だけ出していた。
「妾の湯も見せるのか」
「見せません」
「何故じゃ」
「クラウディ様専用だからです」
「ならばよい」
「最初から聞くなよ」
ガマンダが手を叩く。
「アタシに任せなさいよぉ!観光客の扱いなら慣れてるんだから!」
「正式な外交使節だぞ」
「とりあえず手淫したらいいのよねぇ?」
「終わってるこいつ」
「なら姦淫ならいいのよねぇ?」
「話聞けよ」
そこへフェラリルが勢いよく入ってきた。
「ベニマル殿!」
「何だ」
「王国視察団用の口臭検査所を設置しました!」
「撤去しろ」
「何故!?」
「外交使節を門で口臭測定する国があるか!」
「ここに!」
「早く消せ」
朝からこれだ。
ベニマルは少しだけリムルが恋しくなった。
あの人は毎日こんなものを処理していたのか。
「主殿……」
シュナが首を傾げる。
「どうされました?」
「いや」
ベニマルは立ち上がった。
「迎えに行くぞ」
門へ向かう途中、少しだけ緊張が増す。
アナルナメス王国。
豚戦争では敵として介入した国。
そして英雄アナルベルト。
味方として考えれば頼もしいが、敵として考えれば最悪の相手だ。
やがて門の外に騎馬と馬車、それに王国旗が見えてきた。
先頭にいるのは赤髪の青年、アナルベルト。
その隣には金髪の聖女ハインリッヒ。
後ろには若い騎士ナメトと、書類の束を抱えたケツエンド。
さらにもう一人、黒髪で片目を前髪に隠した男が少し離れて歩いている。
ベニマルは一瞬だけ視線を止めた。
妙な男だ。
だが、魔力には特に異常を感じない。
アナルベルトが馬から降りた。
「アナルナメス王国、視察団だ」
ベニマルが一礼する。
「チンポリスへようこそ」
二人とも一瞬黙った。
「……」
「……」
アナルベルトが口を開く。
「正式な場で国名を言われると凄いな」
「我々も慣れていません」
「建国して何日だ」
「そこそこです」
「慣れろ」
最初の会話だけで、少し緊張が抜けた。
ケツエンドが前へ出る。
「こちらが、視察団名簿だ」
ベニマルが受け取って目を落とす。
『英雄アナルベルト』
『聖女ハインリッヒ』
『肛門性騎士ナメト』
「……」
ナメトが顔を赤くする。
「読むなァァァ!!」
「顔に出たか?」
「出てます!」
ベニマルは紙を閉じた。
「苦労しているんだな」
「魔物に同情された!!」
アナルベルトが歩き出す。
「気にするな」
「一番気にしてください!」
こうして視察が始まった。
最初は市場。
ゴブリン達が野菜を売り、オーク達が荷物を運び、人間の商人が普通に値切っている。
アナルベルトは黙ってその様子を眺めていた。
ハインリッヒが横を見る。
「どう?」
「普通だな」
「普通ね」
「もっと魔物魔物してると思った」
「魔物魔物って何ですか」
ナメトが突っ込む。
その直後、露店のゴブリンが叫んだ。
「本日限定!魔王就任記念チンポ焼き半額だよー!」
アナルベルトが止まった。
「前言撤回」
ベニマルが額を押さえる。
「商品の名前は気にしないでください」
「何を焼いてる」
「魚です」
「何故その名にした」
「リムル様がそうしろと」
「なるほど」
「納得された!?」
次は宿泊区へ向かった。
宿屋では人間と魔物が同じ食堂で飯を食っている。
酒を飲む冒険者。
注文を取るゴブリン。
オークとカードゲームをして負けている商人。
アナルベルトの眉が僅かに動く。
「本当に普通に暮らしてるな」
ベニマルが頷く。
「我々としては、それが普通です」
アナルベルトは答えない。
次は温泉街。
到着した瞬間、ナメトの目が輝いた。
「来た!精液温泉!!」
アナルベルトが睨む。
「お前、今日一番元気だな」
「評価4.9ですよ!」
「まだ言ってる」
ガマンダが入口で待っていた。
「あらぁ!王国の皆さんじゃなぁい!」
アナルベルトが警戒する。
「誰だ」
「ガマンダよぉ♡」
「名前の圧がある」
ガマンダはハインリッヒを見る。
「あら聖女ちゃん!綺麗ねぇ!」
「ありがとう」
「髪もいいじゃない!」
「あなたも素敵よガマンダ」
「やだぁ♡」
二人は一瞬で仲良くなった。
アナルベルトとナメトだけが取り残される。
「女性同士早いですね」
「アレを女性判定するな」
ガマンダがアナルベルトを見る。
「アンタはもう少し顔の力抜きなさいよ。あと亀頭も抜きなさいよ」
「これが普通だ」
「眉間に国家予算挟まってるわよ」
「どういう比喩だ」
視察は順調だった。
あまりにも順調すぎて、ベニマル自身が拍子抜けするほどだ。
アナルベルトは警戒している。
だが、最初から敵意を向けているわけではない。
話せば聞く。
質問もする。
魔物だからという理由で侮辱もしない。
何より、この街を自分の目でちゃんと見ようとしている。
「農業区は?」
「こちらです」
「人間用の作物も作ってるのか」
「観光客が増えましたので」
「需要に合わせた?」
「ビーチク殿が」
「乳首大公が?」
「はい」
「急に不安になる肩書きだな」
そこへビーチク本人が現れた。
「我を呼んだか」
アナルベルトが見る。
「お前が乳首大公?」
「如何にも」
「何で?」
「乳首で大公だからだ」
「質問した俺が悪かった」
ビーチクは図面を広げる。
「折角だ。巨大乳首展望台の共同出資について」
「断る」
「まだ何も説明していない」
「名前で断った」
「愚かな」
「外交中に他国の英雄を愚か呼ばわりするな!」
ベニマルが慌てて止める。
その少し後ろでは、ルミナスが楽しそうに歩いていた。
「へぇ」
誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟く。
「ほんとに仲良くなってんじゃん」
口元が笑う。
その頃、街の外れにある誰も使っていない古い林道では、ホバギがしゃがみ込んでいた。
目の前には一人の人間が倒れている。
正確には、人間にしか見えないものだ。
皮膚も血も、呼吸が止まったばかりのような体温も再現されている。
裂けた服の胸には巨大な爪痕が走り、その傷口には僅かな魔素反応まで残されていた。
ホバギは顎へ手を当てる。
「うーん」
爪痕を少し広げる。
「こっちの方が魔物っぽいチョワヨ〜」
次に血を指で伸ばす。
「血飛沫は盛りすぎると嘘っぽいチョワヨ〜」
一歩下がって全体を眺めた。
「……芸術点八十七チョワヨ」
何故か自分で採点している。
近くの木へ爪痕を追加し、地面には足跡を残す。
最後に人間用の鞄を置くと、ホバギは完成した現場を眺めながら笑った。
「うわぁ、最低チョワヨ〜」
自覚はあった。
それでもやめる気はない。
「評価ばっかりして創作しない奴らに見せてやりたいチョワヨ」
誰にだよ。
ホバギは立ち上がり、遠くに見える街の方角へ目を向ける。
「そろそろ視察コースがこっちへ寄るチョワヨ〜」
完璧だった。
少なくとも、その瞬間までは。
背後の茂みから野生の双頭のサンダードラゴンが出てきた。
双頭のサンダードラゴンは死体を見る。
次にホバギを見る。
そして、もう一度死体を見る。
「……」
ホバギが固まる。
「見るなチョワヨ」
双頭のサンダードラゴンは動かない。
「帰れチョワヨ」
双頭のサンダードラゴンが偽死体の腕を舐めた。
「やめろォォォォ!!勝手に作品に触るんじゃねえェェァァァァ!!」
林道に悲鳴が響いた。
ホバギは全力で双頭のサンダードラゴンを追い払う。
「野生動物が一番創作に理解ないチョワヨ!!」
誰にも聞かれていなかった。
⸻
視察は終盤へ差しかかっていた。
アナルベルト達の表情は、来た時より明らかに柔らかくなっている。
ナメトに至っては、土産屋で何か買っていた。
ベニマルが睨む。
「ナメト殿」
「視察資料です!」
「精液雪見だいふくって書いてあるぞ」
「資料です!」
クラウディが少し離れたところから睨んでいた。
「妾のじゃ」
「売り物ですよね!?」
「妾のじゃ」
「いやこの人怖い!」
ハインリッヒはシュナと料理や服、陰核や街の運営について話している。
意外なほど普通の会話だった。陰核以外は。
アナルベルトはその様子を眺めていた。
「……」
ベニマルが横へ立つ。
「何か?」
「いや」
アナルベルトは街を見る。
人間も魔物も笑っている。
子供達が道を走り回り、誰一人として剣を抜いていない。
「俺が聞いていた魔物の国とは、随分違う」
ベニマルは少しだけ目を細めた。
「主殿は、そういう国を作りたいと仰っています」
「人間と魔物が一緒に?」
「はい」
アナルベルトはしばらく黙った。
「……できるのかもな」
小さな声だった。
ベニマルが聞き返そうとした、その時。
一人の兵士が顔色を変えて走ってきた。
「ベニマル様!」
「どうした」
「街の外れで……!」
兵士は息を整えながら続ける。
「人が、倒れています!」
アナルベルトの表情が変わった。
ベニマルも即座に歩き出す。
「案内しろ」
さっきまで笑っていたナメトもハインリッヒも表情を引き締め、全員が後へ続いた。
林道へ到着すると、木々の間に一人の人間が倒れていた。
胸から腹にかけて深い爪痕が走り、裂けた服には大量の血が染み込んでいる。
アナルベルトがしゃがみ、手を伸ばしかけて止めた。
「触るな」
全員が足を止めた。
ベニマルは傷口をじっと見る。
どう見ても、魔物の爪によるものに見える。
ナメトの顔から笑顔が消えた。
「……これ」
誰かが呟いた。
「魔物に……やられたのか?」
その言葉をきっかけに、チンポリス側の兵士達がざわつき、王国側の騎士達も互いに視線を交わし始めた。
ベニマルが一歩前へ出る。
「我々ではありません」
アナルベルトは死体から目を離さない。
「分かっている」
ベニマルが僅かに目を見開く。
「まだ何も分かっていない」
アナルベルトは静かに立ち上がった。
「状況だけで戦争を始めるほど、俺は暇じゃない」
誰も喋らない。
「現場を封鎖しろ」
王国兵が動き、ベニマルもすぐに部下へ指示を出す。
それでも、さっきまでとは確実に空気が違っていた。
たった一つの死体を境に、人間と魔物の間へ疑いと不安、そして僅かな敵意が生まれてしまった。
少し離れた丘の上では、木の陰からその様子を眺める男がいた。
ホバギは頬へ手を当てる。
「うっわぁ……」
さっきまでと変わらない明るい笑顔のまま呟く。
「コレコレコレ!空気最悪チョワヨ〜」
隣の木にもたれていたルミナスが笑う。
「いい感じじゃん」
ホバギは丘の下を見る。
ベニマル。
アナルベルト。
人間。
魔物。
さっきまで同じ街を歩いていた人間と魔物が、今は互いを警戒するように距離を取っていた。
ホバギは肩をすくめた。
「せっかく仲良くなってたのにねぇ〜」
「残念?」
「いや全然」
「へぇ」
ホバギは笑った。
「ま、面白いから仕方ないチョワヨ〜」
ルミナスは丘の下へ視線を戻した。
死体を中心に王国兵と魔物達が距離を取り始めている。それでも、期待していた怒号も剣戟も聞こえてこない。
むしろアナルベルトは部下を下がらせ、ベニマルと何か話し込んでいた。
「……あれ?」
ホバギが横を見る。
「チョワヨ?」
「全然戦争にならないじゃん」
「そりゃ死体一個で開戦する方がおかしいチョワヨ」
「えー」
「えー、じゃないチョワヨ」
ルミナスは頬を掻いた。
「もっとこう、『魔物が人間を殺したぞ!』『許さん!皆殺しだ!』みたいになるかと思ってた」
「英雄を何だと思ってるチョワヨ」
「だって単独で命令違反して前に銃ぶっぱなしたじゃんあの人」
「まぁそれはそうチョワヨ〜」
丘の下では、ちょうどアナルベルトが王国兵へ何かを命じていた。剣を抜きかけていた騎士も、不満そうではあるが従っている。
ルミナスの顔から少しずつ楽しそうな色が消えていった。
「つまんないなぁ」
「俺はちゃんと仕事したチョワヨ?」
「分かってるよ。死体も上手だったし」
「芸術点八十七チョワヨ」
「残り十三点どこ行ったの?」
「双頭のサンダードラゴン」
「双頭のサンダードラゴン強いな」
ホバギは腕を組んだ。
「まあ、疑いの種は撒いたチョワヨ。これからゆっくり――」
「ねえ」
「チョワヨ?」
「もう一体作ってよ」
ホバギが瞬いた。
「また人間?」
「違う」
ルミナスはチンポリスの方角を指差した。
「魔物の死体」
ホバギの笑顔が止まった。
「……」
「今度は、人間に殺されたように見えるやつ」
数秒。
ホバギはルミナスの顔をじっと見つめた。
「……お前やっぱり最悪チョワヨ」
「死体制作が趣味の君に言われたくないな」
「いや俺でも引くチョワヨ」
「人間側だけ死んでるからダメなんだよ。魔物側にも被害者がいれば、お互い相手を疑うでしょ?」
「説明されるともっと最悪チョワヨ〜……」
「できない?」
「できるが?」
「君有能だよね」
ルミナスは満足そうに笑った。
「じゃあ次は、精子垂らされた感じにして」
「追加注文が具体的すぎるチョワヨ!」
「じゃあいいよ剣で斬られたとかで」
「急に雑すぎチョワヨ!」
「あと発見場所は――」
「待て待て待てチョワヨ!報酬!」
「チン毛とかでいい?」
「ぶっ飛ばすチョワヨ」
「いきなり怖っ」
二人の眼下では、人間と魔物が偽物の死体を囲みながら、必死に衝突を避けようとしていた。
その努力を嘲笑うように。
死体は、一体で終わらなかった。
つづく……