本物の血が流れた。
たったそれだけで、さっきまで何とか保たれていた空気は完全に壊れた。
「人間がやったぞ!!」
「違う!今のは事故だ!」
「事故で槍が刺さるか!!」
「掠っただけだろうが!」
「血出てんだろ!!」
「生理かもしれないだろ!!」
「だから落ち着けって言ってんだよォォォ!!」
俺の叫びが林道へ響く。
王国兵と魔物兵。
どちらも完全に武器を下ろしてはいない。
アナルベルトとベニマルがそれぞれ前へ出ているため、まだ直接殴り合いにはなっていなかったが、空気だけなら今にも始まりそうだった。
その少し後ろで、ゴウンだけが腕を組んでいた。
「いやぁ」
「何だよ」
「戦争ってこういう感じなんだな」
「まだ言ってんのかよ!!」
「ナザリック勉強になる」
「新単語生み出すな」
「うちは内紛が起きそうな部下しかいないからなぁ」
「お前の国どうなってんだよ!?」
ゴウンは納得していない顔で首を傾げた。
そもそも顔は頭蓋骨なので分からない。
「リムル殿!」
声が飛んできた。
振り返ると、街の方から何人もの影が走ってくる。
先頭はリグルドだった。
その後ろにモリ夫。
さらにビーチク。
そして。
「戦争イベント来たァァァァ!!」
「来てねえ!!」
V豚オークだった。
到着一秒で殴りたくなった。
「敵勢力との大規模PvPですか!?」
「違う!」
「ランキング報酬は!?」
「ない!」
「限定称号!」
「ない!」
「戦争限定衣装!」
「現実だよ!!」
V豚オークが絶望した顔になる。
「現実……?」
「何でそこが一番ショックなんだよ!」
リグルドが前へ出る。
「リムル殿!街の住民には私から自宅待機を命じました!」
「助かる!」
「市場も閉鎖!人間と魔物が不用意に接触しないよう、住民の導線も分けてあります!」
「めちゃくちゃ助かる!」
リグルドは胸を張った。
「これで次期王候補は確実か――」
「まだ狙ってたの!?」
「何を言う!俺様は昔から――」
「一人称から自我出てますよ」
ビーチクも図面を抱えて前へ出た。
「避難経路も我が整理しておいた」
「お前も!?」
「当然だ」
ビーチクが図面を広げる。
「北側から住民を西へ誘導。負傷者は温泉街へ送る。中央通りは封鎖し、万一戦闘になった場合は広場を防衛拠点にする」
「普通に完璧じゃん!」
「さらにねぶりにねぶった巨大乳首展望台予定地を臨時指揮所として――」
「そこで台無しにすんな!!」
「乳首から乳房にかけての見晴らしが良い」
「まだ更地だろ!」
「だから良い」
「急に説得力出すな!」
その後ろから。
ゆっくり。
本当にゆっくり。
クラウディが歩いてきた。遅すぎる。
「あー……」
嫌な予感がする。
「クラウディ」
「何じゃ」
「何しに来た?」
「騒がしいから」
「そうか」
「妾が寝られぬ」
「戦争寸前だからな!」
クラウディは両陣営を見る。
「何をそんなに怒っておる」
「死体が出たんだよ!」
「あやしてやればよいではないか」
「そういう問題じゃねえ!」
クラウディは不満そうに頬を膨らませた。
「温まれば眠くなる」
「国際問題を睡眠で解決しようとすんな!!」
その頭上を風が吹き抜ける。
直後。
空気が僅かに震えた。
フェラチオが降りてきた。
「何だ騒がしい」
「お前まで来たの!?」
「うるさかったから」
「理由クラウディと同じじゃねえか!」
フェラチオは王国兵と魔物兵を交互に見る。
「争いか?」
「戦争寸前!」
「じゃあ全員一回フェラしたら仲直りできるんじゃない?」
「できるかァァァァ!!」
フェラチオが本気で分かっていない顔をする。
ゴウンが横から口を挟んだ。
「俺は割とアリだと思う」
「お前は黙ってろ!!」
「よーしスライムくんシックスナイン作戦だ」
「お前まで乗ると収拾つかねえんだよ!」
俺は頭を抱えた。
一気に増えた。
増えすぎた。
しかも全員濃い。
アナルベルトが少し離れた場所から眺めている。
「……お前、普段からこんなの相手してるのか」
「そうだよ!」
「大変だな」
「初めてお前に同情された!」
その時。
足元から羽音がした。
「旦那ァァァ!!」
「うわっ!」
モリ夫が俺の肩へ飛びついた。
「帰ってきたんですねぇ!!」
「モリ夫!久しぶり!なんか羽虫みたいだな」
「いやぁもう俺、死ぬかと思いましたぜ!」
「お前いつもそれ言ってんな」
モリ夫は周囲を見る。
人間兵。
魔物兵。
抜きかけの武器。
流れた血。
「旦那もう死ねねえんでしょう?」
「ああ」
「……」
数秒。
モリ夫が俺の肩へさらに強くしがみつく。
「じゃあ俺、旦那から離れませんぜ」
「ゲイコウモリ?」
「一人で死ぬの怖いんで」
「結局自分じゃねえか!!」
「当たり前でしょうが!!」
「ちょっと感動しかけた俺返せ!!」
ゴウンが頷く。
「いい奴じゃんモリ夫」
「どこが!?」
「正直」
「そこだけだよ!」
モリ夫はゴウンを見て固まった。
「……誰ですかい?このハゲ骨」
「魔王」
「帰ります」
「俺より判断早い!」
ゴウンが傷ついたように胸へ手を当てた。
「骸骨差別、か」
「それ不快だからやめろ」
「腐敗のまんこだぞ?」
「もっと怖えよ!!」
「正式名称な」
「正式名称なの!?」
モリ夫が本気で引いている。
その時。
「リムル様」
静かな声がした。
騒がしい面子の中で、その声だけ妙に落ち着いていた。
ディア風呂だった。
いつからいたのか分からない。
いつもの柔らかな笑顔。
いつもの丁寧な態度。
いつものように、何を考えているのか少し分からない。
「ディア風呂?」
「少々、よろしいでしょうか」
「何?」
ディア風呂は最初の人間の死体へ目を向けた。
「そちらを、もう一度拝見したいのですが」
俺の表情が変わる。
「何か分かった?」
「ええ」
その一言で。
周囲の空気が少しだけ静まった。
アナルベルトも近づいてくる。
ベニマルも。
ゴウンも何故かついてきた。
「お前も来るの?」
「気になるじゃん」
「まあいいけど」
ディア風呂は死体の前へしゃがむ。
触らない。
ただ、じっと見る。
数秒。
さらに数秒。
誰も口を開かない。
そして。
「……なるほど」
俺は息を呑んだ。
「何だ?」
ディア風呂が微笑んだ。
「この死体」
「うん」
「垂らしてますね」
「何を!?」
ゴウンが頷く。
「やっぱりな」
「お前分かるの!?」
「全然」
「じゃあ頷くな!!」
ディア風呂は気にせず続ける。
「魔力の流れが不自然です」
俺の顔が真面目になる。
「不自然?」
「はい。通常、生物の死体に残る魔素はもっと散っています」
アナルベルトも黙って聞く。
「しかしこれは違う」
ディア風呂は死体の腕へ指を近づけた。
「外側だけに薄く貼り付けたような魔力です」
「外側……」
「ええ」
ディア風呂は微笑んだ。
「精液を表面へ――」
「例え変えろ!!」
「失礼しました」
「絶対わざとだろ!」
ゴウンが腕を組む。
「なるほどね」
「お前今度は本当に分かった?」
「全く全然本気で意味分からん」
「帰れ!!」
「俺今日何回帰らされんの?」
「数えてねえよ!」
アナルベルトが死体を見る。
「つまり」
ディア風呂が頷く。
「これは、本物の死体ではありません」
王国兵達がざわめく。
チンポリス側も同じだった。
俺は小さく息を吐いた。
「やっぱりか」
「やっぱり?」
アナルベルトが見る。
「ああ」
俺は死体へ視線を落とす。
「俺の『死界観測』でも何も見えなかった」
「死の痕跡がない?」
「そう」
「じゃあ」
ナメトが恐る恐る聞く。
「これ、本当に最初から死体だったってことですか?」
「死体ですらない可能性が高い」
その瞬間。
王国兵の一人が声を上げた。
「待ってください!」
視線が集まる。
「なら、その証拠は?」
「証拠?」
「その魔物達がそう言っているだけではありませんか!」
空気が再び尖る。
俺は眉を寄せた。
「いや、俺達は別々の方法で――」
「どちらも魔物でしょう!」
「……」
アナルベルトが兵士を見る。
「黙れ」
「しかし!」
「黙れと言った」
「……はい」
だが。
反対側ではオーク達もざわついている。
「じゃあセクシー・ダニエルは?」
「誰だよその名前」
「俺達の同胞だ!」
「いや知らんけど!」
「名前は所持品に書いてあった!」
「じゃあそうなんだろうけど!」
ゴウンが横から言った。
「セクシー・ダニエル、字面だけなら強そうだよな」
「今それまじでどうでもいい!!」
「SSR感ある」
V豚オークが食いついた。
「SSR感分かりますねぇ!」
「お前ら仲良くなるな!!」
「セクシー・ダニエル限定ピックアップ」
「誰得だよ!!」
その時だった。
ディア風呂が僅かに目を細めた。
「……?」
俺はそれに気づく。
「どうした?」
「魔力が」
死体を見る。
「そして精子が亡くなっています」
「どゆこと?」
全員が死体へ目を向ける。
最初は。
何も起きていないように見えた。
だが。
指先。
ほんの僅かに。
皮膚が白く濁った。
「……おい」
俺はしゃがみ込む。
次の瞬間。
死体の指が崩れた。
「は?」
ナメトが声を漏らす。
指先から。
腕。
肩。
顔。
人間だったはずの身体が、少しずつ白い泥のような物質へ変わっていく。
「下がれ!」
アナルベルトが兵士達を下がらせる。
俺も立ち上がる。
「何だこれ!?」
ゴウンが一歩前へ出る。
「ほらね」
「何が!?」
「新品のフィギュアだっただろ」
「いや違うだろ!!」
「俺の嗅覚すごくない?」
「そこじゃねえ!!」
ディア風呂は崩れていく死体を見つめている。
「術式が解除されています」
「誰かが消してる?」
「可能性は高いかと」
「つまり犯人が見てるってことか?」
ディア風呂は答えなかった。
だが。
その沈黙が答えだった。
⸻
少し離れた丘。
ホバギは両手を前へ突き出していた。
指先から細い魔力の糸が伸びている。
その先。
偽死体へ繋がっていた。
「消えろ消えろ消えろチョワヨ〜!」
隣ではルミナスが楽しそうに見ている。
「焦ってるね」
「焦るチョワヨ!」
「何で?」
「魔王二人に風呂屋の兄ちゃんまで解析してるチョワヨ!!」
「風呂屋強いね」
「何者チョワヨあいつ!?」
ホバギは額に汗を浮かべる。
「作品を解析されるくらいなら自分で消すチョワヨ!」
「クリエイターだねぇ」
「うるせえチョワヨ!!」
ホバギがさらに魔力を流す。
林道側。
偽死体は完全に白い泥へ崩れ、その泥も少しずつ蒸発するように消えていく。
⸻
王国兵達が騒ぎ始めた。
「消えた……?」
「何だ今の」
「魔物側が消したんじゃないのか!?」
「は?」
チンポリス側から怒声が飛ぶ。
「こっちが何で証拠消すんだ!」
「自分達が犯人だからだろ!」
「何だと!」
「だから違うって言ってんだろ!!」
俺は頭を抱えた。
「偽物だって証明されたのに何で余計悪化してんだよ!!」
ベニマルが兵士達を抑える。
オーク将軍も前へ出る。
「バカは黙ってろ!」
「ハフーン!」
王国兵が一瞬そちらを見る。
ゴウンが小声で言う。
「便利だなあのオークのハフーン」
「王国側には効かねえんだよ!」
「じゃあ人間にも教えれば?」
「文化輸出すんな!」
「ハフーン」
「お前が言うな!!」
⸻
丘の上。
ホバギは大きく息を吐いた。
「……消えたチョワヨ」
「お疲れ」
「疲れたチョワヨ〜」
「じゃあ次」
「帰るチョワヨ」
「えー」
「帰る」
「まだ何もしてないじゃん」
「もういいだろ」
ホバギがルミナスを見る。
「死体二体作った!」
「うん」
「国家間の空気最悪にした!」
「うん」
「証拠も消した!」
「うん」
「これ以上何すんのチョワヨ!」
ルミナスは少し考える。
そして。
「犯人作ろうか」
「……」
ホバギが固まった。
「何チョワヨ?」
「犯人」
「聞こえてるチョワヨ」
ルミナスは楽しそうに笑う。
「死体だけじゃ弱かったでしょ」
「充分強かったチョワヨ」
「でも結局、偽物ってバレた」
「魔王がチートすぎるチョワヨ!」
「だったら」
ルミナスが指を一本立てる。
「今度は、犯人そのものを見せればいい」
「……」
「人間の兵士が、魔物を襲ってるところとか」
ホバギがゆっくり顔を引きつらせる。
「お前」
「何?」
「段階踏むごとに悪化してるチョワヨ」
「成長だね」
「悪意の成長を誇るなチョワヨ!!」
ルミナスは笑う。
「できない?」
「……」
ホバギが目を細める。
数秒。
「できるんですけどォォォ!!!???」
「やっぱ有能」
「褒めても料金下がらんチョワヨ」
「払うよ」
「神」
「切り替え早いな」
ホバギは懐から白い塊を取り出す。
「死体じゃなくて、生きて動く形はちょっと面倒チョワヨ」
「でもできる?」
「短時間ならね」
白い塊を捏ねる。
形が変わる。
人間の足。
胴体。
腕。
そして王国兵の鎧。
「記憶は?」
「ない」
「会話は?」
「簡単な命令だけ」
「十分」
「だから注文が雑チョワヨ」
ホバギは作りながら言う。
「攻撃させる?」
「うん」
「誰を?」
「適当な魔物」
「適当」
「殺さなくていい」
ホバギが意外そうに見る。
「へぇ」
「傷つけるだけでいいよ」
「優しいチョワヨ?」
「目撃者が多い方が面白いじゃん」
「撤回。最悪チョワヨ」
王国兵の姿をした偽物が完成する。
顔。
服。
武器。
魔力。
遠目では本物と区別できない。
ホバギが腕を組む。
「芸術点」
一拍。
「九十三チョワヨ」
「高い」
「今回は双頭のサンダードラゴンいないから」
「まだ根に持ってるんだ」
「作品舐められた恨みは深いチョワヨ」
ルミナスが偽兵の肩を叩く。
「じゃ、行ってらっしゃい」
偽兵が走り出した。
森の中へ消えていく。
ホバギが腕を組む。
「……」
「どうしたの?」
「いや」
「?」
「今更だけど」
ホバギが真顔になる。
「これ俺、結構悪いことしてないチョワヨ?」
「今?」
「今」
「遅いよ」
「チョワヨ〜……」
⸻
林道。
消えた死体を前に、俺達はまだ混乱していた。
「とにかく!」
俺は全員を見る。
「これで最初の人間の死体が偽物だったのはほぼ確定だ!」
アナルベルトも頷く。
「ああ」
「じゃあ次はオーク側の死体!」
「調べるべきだな」
「ディア風呂」
「はい」
「一緒に来てくれ」
「かしこまりました」
「ゴウン」
「何?」
「お前はどうする?」
「行く」
「まだ何も言ってねえ!」
「俺も見たい」
「何で!?」
「セクシー・ダニエル」
「名前に釣られるな!!」
V豚オークも手を上げる。
「俺も!」
「お前は街戻れ!」
「限定キャラなのに!」
「限定じゃねえ!」
リグルドがV豚オークの肩を掴む。
「行くぞV豚」
「離せ!セクシー・ダニエルを見届ける!」
「死体だぞ!」
「推しになるかもしれない!」
「死体を推すな!!」
二人はそのまま街へ戻っていった。
モリ夫は俺の肩にいる。
「お前も戻る?」
「嫌です」
「即答」
「旦那の近くにいます」
「さっきの理由?」
「死にたくない」
「ブレねえな!」
フェラチオが空を見る。
「余が上空から見てやろう」
「何かあったら頼む!」
「全員フェラすればいい?」
「それ以外で頼む!!」
クラウディは既に帰ろうとしていた。
「お前どこ行くの?」
「風呂」
「何しに来たのお前!?」
「話は終わったであろう」
「何も終わってねえ!」
「妾の中では終わった」
「自由すぎる!」
ビーチクだけはまだ図面を見ている。
「住民の乳首開発は任せろ」
「終わってる俺の国」
「ついでに巨大乳首展望台予定地も守る」
「それもどうでもいい!」
「国家の未来だ」
「乳首の未来だろ!!」
俺は頭を抱えながら歩き出した。
「何でこんな時までいつも通りなんだよ……」
ゴウンが横へ並ぶ。
「いい国じゃん」
「今それ言う?」
「平和そう」
「今戦争寸前なんだけど!?」
「でもお前の周りアホばっかじゃん」
「否定できないの腹立つ!」
森へ入る。
北側旧街道へ向かう。
しばらく歩いたところで。
ゴウンが急に止まった。
「ん?」
俺も止まる。
「どうした?」
「いや」
ゴウンが森の奥を見る。
木々の間。
一人の王国兵が走っていた。
「……」
俺も見る。
「王国兵?」
「だな」
「何で一人でこんなところに?」
兵士は周囲を確認しながら走っている。
その手には剣。
剣先には。
僅かに血のような赤いものが付いていた。
アナルベルトの表情が変わる。
「止まれ!」
兵士が振り返る。
一瞬。
目が合った。
そして逃げた。
「おい!」
俺は追おうとする。
しかし。
ゴウンが腕を出して止めた。
「待て」
「何だよ!」
ゴウンが首を傾げる。
「いや」
鼻らしきものは存在しない。
それでも何故か。
ゴウンは空気を嗅ぐような動きをした。
「……」
「何?」
ゴウンが指を差す。
「お前さ」
王国兵が止まる。
「……」
ゴウンが一歩進む。
「カードショップの匂いじゃね?」
「なにそれ!?」
だが。
ディア風呂だけは笑わなかった。
静かに偽兵を見つめ。
一言。
「……垂らしてますね」
「だから何をォォォォ!?」
王国兵が剣を構えた。
アナルベルトの目が細くなる。
「おい」
偽兵は答えない。
ただ、剣を握ったままゆっくり後退する。
「所属を言え」
「……」
「どこの隊だ」
返事はない。
アナルベルトがさらに一歩前へ出た。
「答えろ」
その瞬間。
偽兵が動いた。
「っ!」
真正面ではない。
横。
林道脇に立っていた一人のオーク兵へ向けて、剣を振り抜いた。
「危ねえ!!」
俺は叫ぶ。
オーク兵が身を引く。
間に合わない。
刃が肩を掠めた。
赤い血が飛ぶ。
「ぐっ!」
オーク兵が倒れる。
「おい!!」
周囲が一瞬で騒然となった。
「人間がまたやったぞ!!」
「違う!」
アナルベルトが即座に怒鳴る。
「そいつは俺の兵じゃない!」
「王国の鎧着てるだろうが!!」
「知らん奴だ!」
「そんな言い訳通るか!」
偽兵はその隙に森へ走り出した。
「待て!!」
オーク兵が数人追おうとする。
「追うな!」
オーク将軍が怒鳴る。
「罠かもしれん!」
「ですが将軍!」
「バカは!」
「黙る!」
「ハフーン!」
「ヨシ!!!!」
ゴウンが横で感心する。
「教育行き届いてんな」
「そこ褒めてる場合か!」
俺も追おうとした。
だが。
その前へ王国兵が出る。
「我々も追います!」
「待て!」
アナルベルトが止める。
「英雄殿!あれが本当に王国兵でないなら、捕まえるべきです!」
「だから勝手に動くな!」
「ですが!」
声が重なる。
魔物側。
人間側。
どちらも偽兵を追いたい。
どちらも相手を信用していない。
「くそ……!」
俺は歯を食いしばる。
その時。
森の奥から金属音が響いた。
ガキィン!!
続いて。
「何しやがる!!」
「そっちが先だろ!!」
怒鳴り声。
そして。
剣戟。
「……は?」
ベニマルが振り返る。
「主殿!」
別方向から兵士が走ってくる。
「報告!!北側旧街道で王国兵とオーク隊が交戦!!」
「はぁ!?」
アナルベルトも目を見開く。
「何でだ!」
「偽兵を追った部隊同士が接触!互いに相手が匿っていると判断したようです!」
「判断早すぎるだろ!!」
さらに。
別の兵士。
「西側でも衝突発生!!」
「何で増えてんだよォォォォ!!」
俺は頭を抱えた。
「まだ偽物かどうかすら確定してねえんだぞ!!」
「現場に確定は必要ない」
アナルベルトが低く言った。
俺は振り返る。
アナルベルトは森の向こうを見る。
剣を抜いてはいない。
だが。
表情は完全に変わっていた。
「一度相手を敵だと思えば」
遠くで、また金属音が鳴る。
「後は勝手に理由を作る」
黙るしかなかった。
その言葉を聞いたゴウンが頷く。
「なるほど」
「何がなるほどだよ!!」
「社会科見学の続き」
「まだやってたの!?」
ゴウンが指を折る。
「偽死体」
一本。
「偽死体二号」
二本。
「偽犯人」
三本。
「本物の流血」
四本。
「局地戦」
五本。
「順調にエスカレートしてんな」
「実況すんなァァァァァァ!!」
その時。
上空からフェラチオの声が落ちてきた。
「リムル」
「何!?」
「北側でさらに口淫兵が集まってるぞ。視察隊というには多すぎる」
「口淫兵てなに?」
「余がしゃぶってよいか?」
「ダメ!!」
「では舐めるか」
「もっとダメ!!」
別方向。
ビーチクが叫ぶ。
「下劣スライム!」
「今度は何だ!」
「西側住民の避難完了したぞ!」
「助かる!」
「だが予定地へ兵が入り込んだ!」
「どこ!?」
「巨大乳首展望台予定地だ!」
「今そこ守る必要ある!?」
「ある!!」
「何で!?」
「乳首だからだ!!」
「理由になってねえ!!」
さらに遠くから。
「リムル殿ォォォ!!」
リグルドの声。
「南区の住民は私が退避させます!」
「頼んだ!」
「必ず守り抜きますぞ!」
「頼もしい!」
一拍。
「支持率アップ間違いなし、か――」
「今それやめろォォォ!!」
「私の未来は戦争にも負けませんぞ!」
「住民優先しろ!!」
肩の上。
モリ夫が震えている。
「旦那」
「何だよ!」
「俺、帰りたくなってきましたぜ」
「さっき離れないって言っただろ!」
「死にたくない気持ちが更新されました」
「更新すんな!!」
その横を。
V豚オークが走っていく。
「大規模PvP開幕だァァァァ!!」
「お前は帰れって言っただろ!!」
「開幕記念ログインボーナスあります!?」
「ねえよ!!」
「じゃあ何のために戦うんですか!?」
「それを今みんな考えてんだよ!!」
林道の向こう。
再び剣戟が響く。
今度は一度ではない。
二度。
三度。
そして。
怒号。
「……」
俺は黙ってその音を聞いた。
つい数分前まで。
誰も本気で戦争を始めようとはしていなかった。
アナルベルトも。
ベニマルも。
オーク将軍も。
俺も。
誰も望んでいなかった。
なのに。
もう。
始まっていた。
アナルベルトが低く呟く。
「……最悪だ」
「同感」
俺は答える。
その横で。
ゴウンだけが腕を組み直した。
「お前の国」
「何」
「戦争ばっか起きるのおもろいな」
「やかましいわァァァァァ!!」
偽物の死体。
偽物の犯人。
そこから始まった争いは。
とうとう。
本物の戦争へ変わり始めていた。
つづく……