西側の森では、もう何が始まりで何が反撃なのか分からなくなっていた。
王国兵が剣を振るえば魔物側も盾で受け、魔物側が押し返せば、それを見た別の兵士が「仲間が襲われた」と叫ぶ。
少し前までは互いに牽制し合っていただけだったはずなのに、今では誰かが一歩動くたびに、それが次の攻撃理由になっていた。
「下がれって言ってんだろ!!」
俺は一人の王国兵が振り下ろした剣を横から掴み、そのまま地面へ叩き落とす。
「ぐっ……!」
「殺す気はねえから下がれ!」
「魔物の言葉など信じられるか!」
「じゃあ何なら信じるんだよ!」
兵士は答えなかった。
いや。
答えられないんじゃない。
最初から答えを決めている。
俺達は敵。
アナルベルトは洗脳されている。
王国は襲われている。
そこから外れる情報は、全部「魔物の罠」になる。
ディア風呂の言っていた通りだった。
疑う余地が消えている。
「主殿!」
ベニマルが前方から声を飛ばす。
一人の王国兵が槍を構え、そのまま魔物兵へ突っ込んできた。
ベニマルは半歩だけ前へ出ると、槍が届く寸前で横から軽く柄を叩いた。
それだけで軌道は大きく逸れ、王国兵の身体だけが勢いよく前へ流れる。
ベニマルはその腕を掴み、そのまま地面へ転がした。
「ぐあっ!」
「次」
「え?」
兵士が顔を上げた時には、ベニマルは既に別方向を見ていた。
背後から剣を振り上げていた兵士の腹へ、鞘に入れたままの刀を軽く当てる。
「ごっ……!」
兵士がそのまま崩れ落ちた。
「殺してないよな!?」
俺が叫ぶと、ベニマルはこちらを見た。
「当然です」
「何でそんな余裕なの!?」
「主殿の命令ですので」
「めちゃくちゃ頼もしいけどなんか腹立つな!」
ゴウンが横で頷いている。
「部下ガチャSSRじゃん」
「お前んとこも大概だろ!」
「うちは全員俺よりキャラ濃いからハズレ」
「本人の前で言ってやれよ!」
「絶対殺される絶対」
「お前が!?」
その時、森の奥から怒鳴り声が聞こえた。
「展望台予定地を死守せよォォォォ!!」
嫌な予感しかしない。
振り返ると、やっぱりビーチクだった。
巨大乳首展望台予定地。
つまり現状、ただの更地。
そこへ王国兵が数人入り込み、簡易柵を立てようとしている。
ビーチクはその前に立ちはだかっていた。
「そこから一歩でも踏み込んでみろ」
「何だこの魔物は!」
「魔物ではない」
ビーチクが胸を張る。
「乳首大公だ」
王国兵達が固まった。
「……」
「……」
一人が小声で言う。
「何それ」
「殺すぞ人間」
「急に殺意高い!!」
俺は慌ててそっちへ走ろうとしたが、その前に王国兵が剣を構えた。
「退け!」
「断る」
「ここは王国軍が確保する!」
「ここは乳首だ」
「更地だろ!」
「未来の乳首だ!!」
「何なんだよ!!」
王国兵が斬りかかる。
ビーチクは避けなかった。
剣先が胸へ届く直前、地面が大きく盛り上がる。
石。
土。
木材。
建築資材が一気に組み上がり、巨大な壁になった。
ガァン!!
剣が弾かれ、王国兵が目を見開く。
「なっ!?」
ビーチクは満足そうに腕を組んだ。
「建築とは」
一拍。
「防衛だ」
「急に意味不明な技使ってかっこいいこと言うな!!」
俺のツッコミが届く。
ビーチクはこっちを見た。
「下劣スライム!」
「何!」
「この程度の兵なら我だけで充分だ!」
「殺すなよ!」
「フン……当然だ」
「その割にさっき殺すぞって言ってたよね!?」
別方向では、フェラチオが空中から戦場を見下ろしていた。
「人間共の数が多くて面倒だ」
その声が聞こえた瞬間、嫌な予感がした。
「フェラチオ!」
「何だ」
「何もしなくていい!」
「まだ何もしていないだろ」
「その言い方する奴は絶対何かする!」
フェラチオは不満そうに片手を上げる。
その指先に、濃い魔力が集まり始めた。
「余が少し舐めれば全て終わる」
「舐める規模じゃねえだろそれ!!」
空気が震え、王国兵達が一斉に上を見た。
魔力だけで何人かの顔が引きつっている。
俺は叫ぶ。
「やめろォォォ!!」
「まだ撃っておらん」
「撃つ気満々じゃねえか!」
「では半分だけ」ジュポ
「威力調整の話じゃない!!」
フェラチオは数秒考えたあと、仕方なさそうに手を下ろした。
「注文が多い」
「今戦争止めてんだよ!」
「余なら三秒で終わる」
「国ごと終わるんだよ!!」
その直後、また王国兵が突っ込んでくる。
今度は三人。
俺が一人、ベニマルが一人。
残り一人へゴウンが手を伸ばした。
「ちょい待ち」
「魔王!!」
「そう怒んなって」
ゴウンは剣を掴む。
兵士が必死に引くが、びくともしない。
「俺、あんま人間に喧嘩売られることないから新鮮」
手を離すと、兵士が勢い余って後ろへ転がった。
ゴウンは満足そうだった。
「他国では暴れない俺カッコよすぎる」
その時、少し離れた場所から大きな声が飛んできた。
「英雄殿!!」
アナルベルトが振り返る。
王国兵が数人、彼の元へ集まっていた。
「何だ」
「なぜ先程から戦われないのです!」
その言葉で、俺も思わずそちらを見る。
兵士の一人は肩から血を流していた。
致命傷ではない。
でも、実際に傷ついている。
「魔物側は既に我々へ攻撃を!」
「最初に攻撃したのはそっちだろ!」
俺が言うと、兵士が睨みつけてきた。
「黙れチンカススライム!!」
「チンカススライム!?」
アナルベルトが間に入る。
「このチンカススライムの言う通りだ。どちらが先かを争っても意味がない。まず武器を下ろせ」
「ですが!」
「命令だ」
兵士達は動かなかった。
別の男が一歩前へ出る。
「英雄殿。本当に……我々と共に戦ってくださらないのですか?」
「メンヘラかよ」
アナルベルトの表情が僅かに変わる。
「戦う必要がないと言っている」
「仲間が傷ついているのに?」
「だからこれ以上増やすなと言っている」
「それでは」
兵士が唇を噛んだ。
「王国を裏切るのですか」
一瞬。
周囲の音が遠くなった気がした。
アナルベルトは何も言わない。
兵士も目を逸らさない。
「……俺がいつ王国を裏切った」
ようやくアナルベルトが口を開く。
「ならば剣!そして銃を!」
「剣や銃を抜くことが忠誠なのか?」
「少なくとも戦争が始まった今はそうです!」
即答だった。
アナルベルトの顔が険しくなる。
「誰が決めた」
「仲間が死にかけている!」
「まだ誰も死んでいない!」
「これから死ぬかもしれない!」
その言葉に、アナルベルトは黙った。
それだけは否定できない。
魔物側も反撃を始めている。
王国兵も止まらない。
このままなら、本当に死者が出る。
アナルベルトが拳を握る。
「……くそ」
俺はその横顔を見る。
多分、こいつも分かってる。
剣を抜けば、もう一段階戦争が進む。
でも抜かなければ、自分の兵が死ぬかもしれない。
「英雄殿!」
兵士がもう一度叫ぶ。
「我々を見捨てるのですか!!」
その言葉で、アナルベルトはゆっくり腰へ手を伸ばし、剣の柄へ指をかけた。
「おい」
俺が声をかける。
アナルベルトはこっちを見た。
「戦いたくないんだろ」
「……ああ」
「俺もだよ」
「分かってる」
「なら」
「でも」
アナルベルトは森の奥を見る。
倒れている王国兵。
傷ついたオーク。
互いに武器を向ける兵士達。
「ここで何もしなければ、俺の兵が死ぬ」
「……」
「お前も同じだろ」
俺は答えられなかった。
その通りだった。
こっちにも仲間がいる。
守らなきゃいけない。
だから、こいつが剣を抜く理由を俺は責められない。
「最悪だな」
「同感だ」
剣が抜かれた。
静かな音だった。
でも、それだけで王国兵達の空気が変わった。
「英雄殿が剣を抜いたぞ!!」
「反撃だ!!」
「おい待て!」
「英雄殿に続け!!」
「だから待てって言ってんだろ!!」
アナルベルトの顔が引きつる。
ゴウンが横から言った。
「お前のせいみたいになったな」
「黙れ」
「可哀想英雄ちゃん」
「黙れ」
「泣いてんのぉ〜?」
「黙れ!!」
王国兵達が一斉に前へ出る。
アナルベルトは深く息を吐き、俺を見る。
「リムル」
「何」
「悪い」
「俺も悪い気がしてる」
数秒、妙な沈黙が流れる。
その直後、アナルベルトが地面を蹴った。
一瞬で距離が詰まり、剣が横から飛んでくる。
俺は身体を沈めて避けた。
「うおっ!」
風圧だけで髪が揺れる。
「普通に速え!」
「英雄だからな」
「そこだけ自信満々だな!」
俺は腕を伸ばす。
アナルベルトは剣の腹で受け、そのまま後ろへ飛んで着地した。
互いに距離を取る。
王国兵達が歓声を上げた。
「英雄殿ォォォ!!」
「魔王を討てぇぇえぇ!!」
アナルベルトがそっちへ怒鳴る。
「俺が戦ってる意味を理解しろ!!」
「英雄殿が魔王へ挑んでいるのですね!!」
「ダメだこいつら!!」
俺まで頭を抱えたくなった。
ゴウンは楽しそうに笑っている。
「お前ら仲良いじゃん」
「今戦ってんだよ!」
「喧嘩するほど仲良いってやつ?」
「違う!」
アナルベルトも剣を構えたまま言う。
「違う」
「二人揃って否定すんのウケる」
「お前一回黙れ!!」
その時、上空からフェラチオの声が落ちてきた。
「リムル」
「今度は何!」
「余も混ざってよいか?」
「ダメ!!」
「三人で?」
「人数の問題じゃない!」
「じゃ見てる」
「それが一番助かる!」
フェラチオは本当にそのまま空中で胡座をかいた。
自由すぎる。
アナルベルトがまた動く。
今度は正面。
剣先が俺の肩を狙う。
避ける。
直後。
軌道が変わった。
「っ!」
肩へ浅く刃が触れる。
「悪い」
「謝りながら斬るなよな!?」
俺も反撃する。
弱めの水刃を飛ばすと、アナルベルトはそれを剣で弾いた。
水が散る。
ゴウンが拍手している。
「八百長うまいなお前ら」
「実況すんじゃねえぇぇぇ!!」
⸻
その頃。
ブルムンド王国。
冒険者ギルドの掲示板前には、人だかりができていた。
冒険者や商人、旅人までが、一枚の紙を見上げている。
『速報』
『アナルナメス王国と魔王リムルの国、チンポリスが国境付近にて交戦開始』
その文字を、カバルはしばらく無言で見ていた。
隣ではエレンも同じように紙を見上げ、さらにその横ではギドが小さく「にょ……」と漏らしている。
最初に口を開いたのはカバルだった。
「これ、あのスライムの兄ちゃんだよな?」
「多分」
エレンが頷く。
ギドも続いた。
「主人公のリムルだにょ」
「主人公言うな」
カバルはもう一度紙を見る。
「戦争……?あの兄ちゃん自分から始めるタイプだったか?」
エレンは少し考える。
「でもギルドの壁は自分から壊してましたよ」
「国家戦争と修繕費を並べんな」
「似てません?」
「どこが」
ギドが腕を組む。
「にょほほ……国家規模の壁修繕費になりそうにょ」
「お前も乗るな」
エレンは真剣な顔で掲示板を見ている。
「戦争になると財産税とかどうなるんでしょう」
「何を気にしてんの?」
「街壊れたら評価額変わりません?」
「知らねえよ!」
ギドがスマホを取り出す。
「レビュー見るにょ?」
「何の?」
「魔王リムルのGoogleレビュー」
「あるの?」
「☆4.8」
「高ぇな!」
「『喋る』『臭い』『ギルドの壁壊す』『痛キショい』」
「後半のレビューいらねえ!」
エレンが少しだけ笑った。
でもすぐに掲示板へ目を戻す。
「……大丈夫ですかね」
その声だけは普通だった。
カバルも笑わなかった。
「さあな。でも、俺が知ってる限りじゃ、あの兄ちゃんは自分から人間殺しに行くような奴じゃねえよ」
エレンも頷く。
「私もそう思います。ケツもでかいスライムでしたし」
ギドはスマホをしまった。
「にょ」
短い返事だった。
ギルドの喧騒の中、三人だけはもう一度掲示板を見上げた。
⸻
忘れられたオナホの国。
王城。
「リムルが戦争してるのだ!?」
ミリムの声が城中へ響いた。
報告に来た兵士が勢いよく頭を下げる。
「申し上げます!アナルナメス王国との間で既に交戦状態に入ったとの情報が届きましたぁ!」
「ダニィ!?なのだ!?」
「原因は現在調査中です!」
ミリムは机を叩いた。
「リムルはそんなことする奴じゃないのだ!」
ミリムは机を5回叩いた。
兵士が一歩下がる。
「机が!!」
「机はいいのだ!」
「机は良くないです!」
「良くないなら仕方ないのだ」
ミリムは立ち上がる。
「行くのだ!」
「どこへ!?」
「リムルのところ!」
「お待ちください!国政が!」
「あとでやるのだ!」
「外交が!」
「リムルも外交中なのだ!」
「外交ってか戦争してます!」
「だから行くのだ!!」
「理屈が強い!!」
ミリムは窓の外を見る。
遠くの空。
方角だけは分かっている。
少しだけ表情が変わった。
「リムル……何してるのだ」
⸻
戦場。
「くっ!」
アナルベルトの剣が頬を掠め、俺は反射的に後ろへ飛んだ。
「危ねえ!」
「避けるな」
「避けるだろ普通!」
「当たった方が早い」
「怖いこと言うな!」
水刃を飛ばす。
アナルベルトは剣で弾き、そのまま距離を詰めてきた。
でも、互いに致命傷は狙っていない。
それくらいは分かる。
その刹那、遠くで大きな爆発が起き、地面が揺れた。
全員が一瞬そちらを見る。
西側。
煙が上がっている。
「主殿!」
ベニマルの声が飛ぶ。
「西側で王国兵がさらに侵入!」
「今行く!」
アナルベルトも動こうとする。
その前へ、別の王国兵が立った。
「英雄殿!こちらを!」
「何があった」
「魔物側の大物が前線へ!」
「大物?」
俺も見る。
森の向こう。
大きな角と黒い影。
「……」
嫌な予感。
そして。
「我が乳首予定地へ二度も踏み入るとは」
ビーチクだった。
「お前かよ!!」
ビーチクの周囲で地面が盛り上がり、壁や柱、柵が一瞬で組み上がっていく。
王国兵達が固まる。
「な、何だこれは!?」
ビーチクは両腕を広げた。
「防衛建築」
「かっこいい」
「乳首回転ドリル式だ」
「やっぱダメだ!!」
王国兵が一斉に攻撃する。
矢。
槍。
魔法。
それらは全て壁に当たり、ビーチクは一歩も動かなかった。
「乳首とは」
「今語るんじゃねえ」
「国を守るものだ」
「なんかちょっと良い話風にすんのやめない?」
その直後。
別方向。
フェラチオが空中で立ち上がった。
「リムル」
「何!」
「そろそろ退屈すぎるから動くぞ」
「だから何もすんなって!」
「では一発だけ」
「何を!?」
フェラチオが口を開く。
空気が震え、王国兵達が凍りついた。
俺も叫ぶ。
「待てェェェェ!!」
次の瞬間。
轟音。
ただし攻撃は兵士達へ向かわず、その横の誰もいない森へ落ちた。
ドゴォォォォォォン!!!!
土も木も岩もまとめて吹き飛び、地面には巨大なクレーターが残る。
静寂。
王国兵達が口を開けたまま固まった。
フェラチオは満足そうに腕を組む。
「警告だ。これ以上我が国に進軍すればどうなるかというな」
俺も数秒固まる。
「……それ最初からやれよ!!」
ゴウンがクレーターを見る。
「やば」
「お前が引くな!」
「ナザリックでもあんなの出来るやつ限られてるぞ」
「むしろいんのかよ!?」
その一撃で、さすがに前線の一部が止まった。
王国兵も魔物側も、全員フェラチオを見る。
フェラチオは腕を組んだまま言った。
「次は当てるぞ」
全員が一歩下がる。
だが、それでも戦場全部が止まったわけじゃない。
北でも西でも、林道でも戦闘は続いている。
剣戟。
魔法。
怒号。
アナルベルトがそれを見る。
俺も見る。
少しだけ息を整えた。
「リムル」
「何」
「このままじゃ本当に大勢の死者が出る」
「ああ」
「俺は兵を止める」
「俺も仲間を止める」
「その間」
アナルベルトが剣を構え直す。
「戦ってるふりでもするか」
「何その茶番」
「必要なんだよ国民の前では」
「めんどくせえな英雄」
「魔王に言われたくない」
ゴウンが手を上げる。
「じゃあ俺実況する?」
「するな!!」
その時、森の奥から今までより明らかに大きな悲鳴が上がった。
「ぐあああああ!!」
全員が振り返る。
王国兵が一人、地面へ倒れている。
血が多い。
その近くでは、魔物側の兵士も腹を押さえて膝をついていた。
俺の表情が変わる。
アナルベルトも同じだった。
「……なあ」
「何だ」
「俺達が戦ってる場合じゃなくない?」
「奇遇だな。俺も今それを考えていた」
「じゃあ」
二人で周囲を見る。
「一回こいつら全員ぶっ飛ばして止めるか」
「殺すなよ」
「お前に言われたくねえよ」
さっきまで、まだ誰も死んではいなかった。
でも、このままなら次は分からない。
俺は走り出した。
アナルベルトも同時だった。
もう戦ってるふりなんて、してる場合じゃなかった。
つづく……