「右からムカデ! 左からヘビ! 後ろからもムカデですぜ!」
「敵の情報が全部湿っぽいんだよ!」
洞窟の出口を目指して走る俺達の後ろから、巨大ムカデと巨大ヘビ、それから脚の本数を数えたくない蜘蛛が追ってきていた。さっきフェラチオが「害虫」と呼んでいた連中らしいが、害虫にしては一匹ごとに家一軒くらいありそうだった。
モリ夫が俺の頭上を飛びながら、必死に叫ぶ。
「旦那、前にもいます!」
岩壁を這っていた巨大ムカデが、鎌みたいな顎を鳴らして飛びかかってきた。俺は地面を滑りながら身体を絞り、魔素を一点へ集める。
「拡散水刃・スパームスプラッシュ!」
ドバババババッ!!
散った刃がムカデの節をまとめて切り裂き、二つに分かれた巨体が俺達の両脇へ落ちた。
「ギチィィィィィ!」
「倒される時まで虫の鳴き声が虫すぎるだろ!」
その横を巨大ヘビが、地面すれすれに滑っていく。口を開けて俺へ噛みつこうとした瞬間、フェラチオが眠たげに片目を開いた。
「目障りだ」
白銀の巨竜が、わずかに息を吸う。
ビュオオオオオオオオオ!!
洞窟の空気が、まとめてフェラチオの口へ引き寄せられた。巨大ヘビも、残っていたムカデも、さっき倒れた蜘蛛の脚まで、白銀の巨竜の口内へ消えていく。
フェラチオはしばらく咀嚼してから、露骨に嫌そうな顔をした。
「骨が喉に刺さる」
「じゃあ丸呑みするなよ」
「口へ入るものは、基本的に拒まぬ主義だ」
「口淫の美学みたいに言うな」
だが、魔物はまだ洞窟の奥から湧いてくる。俺が一体を倒す間に二体増えている気がして、いい加減この巣穴そのものを閉店させたくなった。
その時、湿った洞窟の空気へ、別の匂いが混じった。
草の匂い。
土の匂い。
そして、暖かい風だった。
「……外か?」
前方の岩壁の隙間から、細い光が差し込んでいる。フェラチオはその光を少し嫌そうに見た。
「地上への出口だ」
「マジか!」
異世界へ来てから、ずっと洞窟だった。変態賢者。ワームの胃袋。口淫竜の口内。改めて振り返ると、人生の景色があまりにも終わっている。
「ようやく普通の異世界で美少女が見られる!」
ーーー告、童貞特有の期待ですーーー
「うるせえ!」
背後で、巨大ムカデが岩を砕きながら迫ってきた。俺はフェラチオを見上げる。
「出口までぶち抜けるか?」
フェラチオは少しだけ笑った。
「誰に言っている」
白銀の翼が広がり、岩壁の粉が風圧で舞い上がる。
「竜技――超絶真空フェラ・ブレス」
「技名だけは本当にどうにかならんの?」
次の瞬間、圧縮された風が一直線に走った。
ビュオオオオオオオオオオオ!!
洞窟の壁も、岩盤も、追ってきたムカデ達もまとめて削り取られた。その向こうに青空が開き、眩しい光が洞窟の奥まで流れ込んでくる。
ピカァァァァァァ(ピカチュウではない)
俺達は崩れた岩壁を抜け、そのまま地上へ飛び出した。
⸻
空は、思っていたより青かった。
雲がゆっくり流れ、風に揺れた草が、洞窟から出てきた俺達の足元を撫でている。遠くには森があり、そのさらに向こうには低い山並みが見えた。
俺はしばらく、何も言えなかった。
「……外だな」
モリ夫が俺の頭上を大きく旋回する。
「空ですぜ旦那! 雲! 太陽! あと、あの黒いのはゴキ!!」
「テンション高いな」
「洞窟育ち元賞金首なもんで!」
「元賞金首なの!?」
フェラチオだけは、巨体を岩陰へ寄せていた。
「日差しが強い」
「竜なのに?」
「余の口内は繊細なのだ。乾燥は品位を損なう」
「口の中の湿度で品位を語る初めての竜だな」
その時、草原の向こうから甲高い悲鳴が飛んできた。
「た、助けてくださいィィィィィ!」
丘の向こうでは、小柄な緑色の魔物が一匹の大狼に追われていた。ゴブリンは背中に木箱を背負ったまま、必死に草をかき分けて走っている。
「荷物を捨てろ!」
「村の大事な非常食なんですゥゥゥ!」
「非常食を守って自分が非常事態になってるぞ!」
モリ夫が俺を見る。
「旦那、どうします?」
助ける義理があるわけじゃない。けれど、地上へ出て最初に見た相手が狼に食われるのは、どうにも後味が悪かった。
それに、少しくらいは異世界テンプレみたいなことをしても罰は当たらないだろう。
「助けるぞ」
「主人公ぶってますねえ」
「うるせえ!」
「ムカデは屠った癖にどっちつかずな奴だ」
「だからうるせえ!」
俺は草を蹴った。
「水刃!」
ペッ。
飛んだ刃が大狼の鼻先を掠める。大狼は驚いて後ろへ跳び、木へ頭から突っ込んだ。
ドゴン。
「キャン!」
「威嚇で済んだな」
「木の方が大丈夫じゃなさそうですぜ」
ゴブリンは尻餅をついたまま、俺を見上げていた。
「す、スライムが喋った……」
「第一声それ?」
ゴブリンの視線が、俺の後ろにいるフェラチオへ移る。白銀の巨竜を見上げ、固まり、数秒遅れて悲鳴を上げた。
「ドラゴンがいるゥゥゥゥゥ!?」
「そりゃ怖いわ」
フェラチオがゴブリンを見下ろす。
「騒がしい小鬼だ。吸うぞ」
「初対面で言う台詞じゃないんですよォォォ!」
「フェラチオ、脅すな」
「脅してはおらん。可能性を述べたまでだ」
「余計怖いわ!」
ゴブリンはしばらく震えていたが、背負った木箱を抱え直すと、意を決したように頭を下げた。
「お願いします! どうか、村を助けてください!」
「助けた礼より先に次の依頼が来たな」
「村長が、命に関わる悩みを抱えているんです!」
「命に関わる悩み?」
「はい! 最近、村の娘達が攫われているんです!」
モリ夫が羽を止めた。フェラチオも、わずかに目を細める。
「誰に?」
ゴブリンは唇を震わせながら答えた。
「突然やって来た、黒い炎を纏う大男の変態です。本人は城主を名乗っていました」
「嫌な予感がするな」
「村の入口に勝手に乳首型の石の柱を建てました!」
「まだ建築被害だけだな」
「集会所を壊して、『視界が抜けた』と喜んでいました!」
「だいぶ迷惑な建築家だな」
「それから若い娘達を見ては、『この村には乳首が足りん』と!」
「一気に帰りたい」
ゴブリンは涙目で叫んだ。
「その名も――乳首大公ビーチク・バフォメット!」
「帰っていい?」
フェラチオが、ほんの少しだけ目を細めた。
「……まだ生きていたか」
「知ってるの?」
「数十年前、余の巣穴の上へ乳首型の城を建てようとした」
「何でそんな奴が生きてるんだよ」
⸻
ゴブリンに案内された村は、想像していたよりずっと普通だった。
木の家。小さな畑。干された肉。焚き火の周りで、子供達が木剣を振って遊んでいる。村の入口には、最近作られたらしい看板が立っていた。
『ゴブリン村へようこそ ※乳首に関する建設提案はお断りしております』
「既に被害を受けた後の看板だな」
村へ入った瞬間、ゴブリン達が一斉にこちらを見た。
スライム。
コウモリ。
そして、白銀の巨竜。
悲鳴が上がる。
「ドラゴンだァ!」
「終わりだァ!!」
「子供と陰茎を隠せ!」
「乳首大公の次は口淫竜なのか!?」
「印象悪すぎるだろ口淫竜」
フェラチオは、露骨に機嫌を悪くした。
「余は今日は気分で食わん」
「今日はって何?」
騒ぎの中から、杖をついた年老いたゴブリンが現れた。長い髭を整え、肩には村長らしい赤い布をかけている。
「あなた方が、我が村の者を助けてくださったのですな」
「まあ、そんな感じ」
村長は深く頭を下げた。
「重ねて我らを助けてくだされ」
「礼も無しに図々しすぎるだろ」
俺がそう言うと、村長は小さく頷いた。いやお礼しろよ。
「乳首大公ビーチク・バフォメットが、この辺りを自らの建築領にすると宣言しました。最初は柱を建て、次に見張り台を建て、今では村娘達を連れ去って、建築の参考にすると」
「何の参考にするんだよ娘達を」
「我らも聞きました。しかし彼は、『乳首の曲線は生きた資料から学ぶものだ』とだけ……」
「聞かなきゃよかった」
村長は悔しそうに杖を握る。
「戦える者達は、奴の城に向かおうとして返り討ちにされました。城周辺は黒い炎の壁まで作られ、近づくこともできません」
フェラチオが、村の外れを見た。
遠くの丘には、確かにデッカイ城が見えていた。
「乳首大公は、まだあそこにいるのか」
「はい。娘達も、おそらく……」
村長の声が震える。
俺は、あの黒い炎を見た。
地上へ出て最初の依頼が、村娘を攫う乳首野郎との戦い。
異世界転生の導線として、あまりにも下品すぎる。
「分かった。行ってみる」
村長が顔を上げる。
「おお……なんて頼もしい……でもスライムなんだよなこいつ」
「今こいつって言った?」
「ただし、戦うかどうかは相手を見てから決める。俺達だって、今地上へ出たばかりなんだ」
フェラチオが口元を歪めた。
「よいだろう。ビーチクがどれほど醜く森の景観を損ねているか、余も見届けよう」
「そこ怒るポイントなんだ」
モリ夫は、村の外れの先の城を見ながら、そっと俺の隣へ降りた。
「旦那。普通にヤバそうじゃないですか?」
「うん」
「帰りません?」
「助けるって言った直後だろ」
「そういう主人公っぽいとこ、たまに困りますぜ」
俺は村の娘達が連れ去られたという丘を見上げた。
その向こうで。
黒い炎が、ゆっくり揺れていた。
つづく……