ビーチクの拳の風圧が俺の横を通過した。
その瞬間、背後にあった木々が数十本まとめて吹き飛び、さらに奥の岩山へ巨大な穴が開く。
「危なァァァァァ!!」
「避けるな、下劣スライム」
「避けるだろ普通!!」
「以前はもう少し素直に死んでいたぞ」
「素直に死ぬって何!?」
俺は地面を蹴り、ビーチクの懐へ潜り込む。
拳。
ビーチクが腕で受け止めた。
ドゴォォォォォン!!
衝撃だけで地面が円形に陥没する。
ビーチクは一歩も動かない。
「ほう」
「何だよ」
「円形に陥没したぞ陥没」
「はいはい陥没乳首ね」
そう言いながら、ほんの少しだけ口元が上がっている。
絶対楽しんでる。
「顔笑ってんぞ!!」
「黙れ」
「最初のお前こんな顔しなかっただろ!!」
「殺すぞ」
「だからもう戦ってるって!!」
ビーチクの全身から黒炎が噴き上がった。
昔なら、これを見ただけでも相当ヤバかった。
けど今は違う。
俺も魔王になった。何度も死んで、色々あって、ここまで来た。
もう死ねないけど。
ーーー告、その説明はかなり雑ですーーー
「今戦ってるから静かにして!」
ーーー告、承知しましたーーー
ビーチクが腕を振る。
ビーチクの拳が俺の顔面すれすれを通過した。
その瞬間だった。
視界が一瞬だけ、二重に揺れた。
――固有能力『死界観測』――
――別名『ミエルモノ』――
目の前に。
俺がいた。
いや。
俺だったものがいた。
首から上がない。
「うわっ!?」
反射的に身体を沈める。
直後。
俺の頭があった場所を、ビーチクの拳が通過した。
ドゴォォォォン!!
背後の森がまとめて消し飛ぶ。
「危なァァァァァ!!」
ーーー告、回避しなければ死亡していましたーーー
「さらっと言うな!!」
ビーチクが目を細めた。
「……今のを見切ったか」
「見切ったっていうか」
俺は、さっきまで首のなかった自分が立っていた場所を見る。
「死んだ俺が見えた」
数秒。
ビーチクが真顔になる。
「気色悪い能力だな」
「お前に言われたくねえ!!」
「以前は素直に死んでいたくせに」
「今はもう死ねないんだよ!!」
一瞬。
ビーチクの表情が僅かに変わった。
だが、すぐに笑う。
ビーチクの周囲で黒獄炎が渦を巻いた。
「死ぬ未来を全て見せてやる」
「嫌なサービス始めんな!!」
「黒獄炎」
黒い炎が巨大な波になって押し寄せた。
俺はそれを正面から見据える。
「王なる者の捕食者」
黒炎が一気に歪んだ。
渦を巻き、そのまま俺の前へ吸い込まれていく。
ビーチクの目が細くなる。
「またそれか」
「便利だからな!」
「我を食った技を便利で済ませるな」
「言い方が怖いんだよ!」
炎を飲み切った瞬間、ビーチクが目の前にいた。
速い。
「うおっ!?」
巨大な拳が腹へ入る。
ドゴォォォォン!!
俺の身体が森を貫き、数百メートル先まで吹き飛んだ。
木。
木。
岩。
木。
何か知らん鳥。
「ごめん鳥!!」
鳥だけ妙に申し訳なかった。
俺は空中で身体を捻り、着地する。
その直後、ビーチクが追いついた。
「遅い」
「どこが!?」
拳と拳。
蹴りと蹴り。
黒炎と魔素。
ぶつかるたびに森が削れていく。
「お前これ絶対楽しんでるだろ!!」
「何度言わせる」
「図星だから否定弱くなってんぞ!!」
「黙れ!!」
ビーチクの乳首が光った。
「なんでそこ光るんだよ!!」
「乳首大公である我だからだ」
「説明になってねえ!!」
次の瞬間。
乳首から黒い光線が放たれた。
「乳頭魔閃」
「その技知らねェェェ!」
俺は紙一重で避ける。
遠くの山が消えた。
「なんて乳首の使い方してやがる!!」
「乳首大公を何だと思っている」
「建築士!!」
「殺す」
「そこ怒る!?」
⸻
一方。
森の別方向。
アナルベルトは双頭のサンダードラゴンと歩いていた。
右頭が地面の臭いを嗅ぐ。
左頭も同じ場所を嗅ぐ。
「こっち」
「いやあっち」
「また始まったな」
アナルベルトは既に諦めた顔をしていた。
右頭が顔を上げる。
「臭いはある」
左頭も頷く。
「死体作ってた奴の臭い」
「なら追え」
「追加料金」
「払わない」
「じゃあ無理」
アナルベルトが銃を抜いた。
「追える?」
「追えます」
「最初からそうしろ」
双頭竜は渋々歩き始めた。
右頭が森を嗅ぐ。
「チョワヨ臭」
左頭が首を傾げる。
「そんな臭いある?」
「ある」
「どんな?」
「ちょっと工作員っぽい」
「抽象的すぎるだろ」
アナルベルトが真顔で突っ込む。
それでも、臭い自体は確かに追えているらしい。
地面や木、潰れた草に残る移動の痕跡を追っていくと、やがて戦場から不自然に離れていく足跡が見つかった。
アナルベルトの表情が少しずつ変わっていく。
「……逃げる準備を始めているな」
右頭が頷く。
「多分」
左頭も頷く。
「バレたから」
「お前らが喋ったせいだろ」
「守秘義務は?」
「契約書読んでない」
「もういい」
アナルベルトは額を押さえた。
⸻
その頃。
戦場中央。
ベニマルの刀が王国兵の武器を弾き飛ばす。
「殺すな!可能な限り無力化しろ!」
「了解!」
鬼人達が一斉に動く。
敵兵の剣を折り、足を払い、戦闘不能にしていく。
その中で一人だけ、明らかに威力がおかしい奴がいた。
「リムル様の生まんこを守るためェェェェェェ!!」
シオンだった。
ドゴォォォォン!!
王国兵が十数人まとめて空を飛ぶ。
「殺すなと言っただろうシオン!!」
「多分生きています!!」
「確認したのか!?」
「気合で!」
「気合で生死判定するな!!」
少し離れた場所。
シュナは笑顔で王国兵達の前に立っていた。
「ここから先へ進まれる方には」
にっこり。
「陰核退場していただきます」
王国兵が止まる。
「何退場と言った?」
「陰核です」
「聞き直しても分からないんだが」
次の瞬間。
巨大な結界が展開され、兵士達がまとめて押し返された。
「怖っ!!」
「笑顔なのが一番怖い!!」
ハクロウは少し離れた場所で剣を振るっていた。
一閃。
二閃。
敵兵の武器だけが綺麗に切断されていく。
「焦ってはいけませんぞ。戦場では呼吸が肝要」
「さすがハクロウ!!」
ベニマルが感心した。
ハクロウは静かに続ける。
「尻穴も同様です」
「何の話だ!!」
「締めるべき時に締め、緩めるべき時に緩める」
「戦場の教訓に混ぜるな!!」
その横では、おじ丸が大量の武器を地面へ並べていた。
「剣が足りねえ」
「作れるか!?」
「作れる」
「助かる!」
「売り専もできる」
「後半いらない!!」
「サービスだ」
「サービスの意味考えろ!!」
それでも武器は猛烈な速度で補充されていく。
なんだかんだ全員ちゃんと戦力にはなっていた。
その時だった。
空から何かが降ってきた。
白い何か。
いや。
人影。
「アインズ様ァァァァァァァァァァ!!」
ゴウンが振り返った。
「ん?」
次の瞬間。
「おまんこォォォォォォォォォォォォ!!」
「また来やがったァァァァ!?」
ゴウンが普通に全力で逃げた。
ベニマルが二度見する。
「魔王が逃げた」
「魔王でも怖いものがあるんですな」
ハクロウも感心していた。
みかんの白いスジ──アルベドが両腕を広げたままゴウンを追いかける。
「アインズ様ァ!!至高のおまんこをォォォ!!」
「いや何!?何を要求してんの!?」
「愛を!!」
「愛じゃねえだろ!!」
「おまんこを!!」
「だからって言い直すんじゃねえ」
ゴウンが戦場を全力疾走する。
「誰か止めて!!俺今こっちの戦争止めてる側なんだけど!!」
シオンが走ってくる。
「任せてください!!」
「おっ、助か──」
「リムル様の生まんこの方が上です!!」
「比較しなくていい!!」
「何ですってェェェェェ!!?」
アルベドがシオンへ向いた。
「そこ食いつくな!!」
戦争とは何だったのか。
⸻
ルミナスは遠くの戦場を眺めながら、少しだけ眉をひそめていた。
「……ていうか、アナルベルトちゃんがまだ動けるの普通にまずくない?」
ホバギが首を傾げる。
「何がチョワヨ?」
「あいつ、一度ちゃんと相手を認識したら、距離とか遮蔽物とかほとんど意味ないから」
「先に言えチョワヨ」
「今言ったじゃん」
エルシアが穏やかに微笑む。
「では、認識される前に移動した方が良さそうですね」
「そういうこと」
「既に認識されている可能性は?」
ルミナスが一瞬だけ黙った。
「……それが一番嫌なんだよね」
「早く逃げた方がいいかもチョワヨ」
ホバギは丘の裏手へ移動していた。
先ほどまで作っていた偽死体は既に捨てた。
隣ではルミナスが遠くの戦場を見ている。
「そろそろ移動した方がよくない?」
「そうですね」
エルシアは微笑んでいた。
相変わらず焦っているようには見えない。
ホバギが振り返る。
「荷物まとめるチョワヨ」
「偽死体持ってくの?」
「作品チョワヨ」
「置いてけよ」
「嫌チョワヨ」
「そんな大事なんだ……」
ルミナスが呆れている。
その時。
ホバギの身体が止まった。
「……」
「どうした?」
「視線を感じるチョワヨ」
その言葉を聞いた瞬間、ルミナスの表情が変わった。
「……まずい」
「何がチョワヨ?」
「アナルベルトかもしれない」
ホバギが首を傾げる。
「誰チョワヨ?」
「さっき言ったでしょ。一回ちゃんと認識されたら、逃げ方の問題じゃない奴」
「もっと強調して言えチョワヨ!!」
エルシアの笑みが僅かに薄くなる。
「……まずいですね」
⸻
アナルベルトは森の中で足を止めた。
「ここまでだ」
右頭が首を傾げる。
「臭い消えた」
左頭も頷く。
「風向き変わった」
アナルベルトは何も答えない。
ただ、静かに目を閉じた。
呼吸。
魔力が身体の奥から溢れ出す。
右頭が少し下がる。
「うわ」
左頭も下がる。
「目光ってる」
「黙ってろ」
アナルベルトが目を開いた。
瞳の色が変わる。
魔力によって強化された視界が、戦場を一気に捉えていく。森の奥も、煙の向こうも関係ない。膨大な情報の中から、戦場から離れようとしている者、戦闘に参加せず周囲を観察している者だけを絞り込んでいく。
「……いた」
アナルベルトの視線が止まる。遥か遠く、丘の裏。普通の人間なら点にすら見えない距離にいるホバギを捉え、静かに銃を抜いた。
右頭が驚く。
「ここから撃つの?」
左頭も驚く。
「絶対無理でしょ」
「普通ならな」
アナルベルトが銃口を上げる。
「対象を正しく認識できれば」
引き金へ指をかける。
「当たる」
⸻
ホバギが振り返った。
「ッ!」
何も見えない。
遠すぎる。
だが。
本能が叫んでいた。
「逃げるチョワヨ!!」
「え?」
ホバギはすぐに走り出し、木々の中へ飛び込むと岩陰へ身を滑らせた。視線を切り、魔力を抑え、さらに位置を変える。
普通なら、これで射線は消える。
「何から逃げてんの?」
ルミナスが追いかける。
「知らないチョワヨ!!」
「知らないの!?」
エルシアだけが動かなかった。
遠く。
本当に遠く。
聞こえるはずのない音。
ドン。
銃声。
ホバギは木の陰へ飛び込んだ。
その瞬間。
肩が弾けた。
「チョワッ!?」
血が飛ぶ。
身体が回転し、そのまま地面へ転がった。
ルミナスが目を見開く。
「まずい!」
木も岩も間にあり、距離もある。そもそも撃った相手すら見えていない。
それでも、当たった。
「なんでチョワヨ……?」
⸻
アナルベルトは銃口から立ち上る煙を見つめた。
必中魔弾。
狙った弾が、相手へ向かって曲がるわけではない。
途中の障害物を避けるわけでもない。
そんな安い能力ではない。
対象を正しく認識する。
それだけでいい。
後は。
「当たった」という結果が成立する。
アナルベルトは静かに銃を下ろした。
「逃がすか」
右頭が固まっている。
左頭も固まっている。
「……」
「……」
数秒。
右頭が口を開いた。
「通行料」
「何で今!?」
左頭も頷く。
「特殊射撃料金」
「お前ら何もしてないだろ!!」
遠く。
肩を撃ち抜かれたホバギは、痛みに顔を歪めながら立ち上がった。
「まずいチョワヨ……」
エルシアが静かに戦場を見つめる。
笑顔は消えていなかった。
だが。
ほんの少しだけ。
目が細くなっていた。
「思っていたより」
彼女は小さく呟く。
「早いですね」
その頃。
別の森では。
俺とビーチクが互いの拳を真正面から叩き込みながら叫んでいた。
「街戻れ乳首野郎ォォォォォ!!」
「誰が戻るか下劣スライムゥゥゥゥゥ!!」
「展望台どうすんだよォォォォ!!」
「完成はさせるゥゥゥゥゥ!!」
「戻るじゃねえかァァァァァ!!」
ようやく、戦争の黒幕へこちらの手が届いた。
……乳首はまだ届いていない。
つづく……