チンポリスを出て数日。
街道を抜けた先に、イングラシア王国の白い城壁が見えてきた。
王都へ続く正門には、商人の馬車、旅装の冒険者、荷物を抱えた職人、ガンプラを初日で買おうとしてる転売屋、それから何故か全身を布で巻いた男が並んでいる。
城壁の上では兵士達が見張りをしていた。
その真下には、大きな看板が立っている。
『入国者の皆様へ。窃盗・密輸・魔王行為はお控えください』
「魔王行為って何だよ」
「こちらでは、国を滅ぼしたり、城壁を破壊したり、城下町を威圧する行為を総称してそう呼びます」
パトリシアが当然のように答えた。
「俺、まだ何もしてないよな?」
「はい。現時点では」
「現時点ではって何?」
列の少し前で、全身を布で巻いた男が衛兵と揉めている。
「だから俺は怪しくない!肌が日光に弱いだけだ!あと裸に布で巻くと気持ちいい!」
「では、なぜ荷車の中から棺桶が六つ出てくるのですか?」
「家族旅行だ!」
「家族の皆様は?」
「棺桶の中だよ」
「通していいのかな、これ」
「イングラシアは人も物も集まる国ですから。審査する側も大変なのです」
パトリシアはそう言いながら、俺達を長い列とは別の窓口へ案内した。
入口の上には『冒険者・異世界人・魔物・その他』と書かれている。
「その他に魔王入るの?」
「入ります」
「その他って便利だな」
モリ夫が城壁を見上げながら、少し懐かしそうに呟いた。
「南門、相変わらず審査長いっすねぇ」
「来たことあるの?」
「前に三時間くらい止められたんですよ」
「何したの?」
モリ夫は遠い目をした。
「五千個くらい、改造オナホの密造っす」
「聞かなきゃよかった」
「でも東門の係員はポケカとかで融通利くんで、次に追われることがあったら――」
「追われる前提で他国の入国事情に詳しくなるな」
俺達の番になると、窓口の中にいた衛兵が通行証へ目を落とした。
「氏名」
「リムル」
「種族」
「スライム」
「所属」
「チンポリス」
衛兵の手が止まる。
「……目的は?」
「自由組合のグランドマスターに会いに」
「面会予約は?」
「ない」
「持ち込み武器は?」
「ない」
「危険物は?」
「一応、俺」
「自己申告ありがとうございます。入国できません」
「何でだよ!」
パトリシアが静かに一歩前へ出た。
「彼はチンポリスの代表であり、正式な外交目的で――魔王です」
「そこ補足しなくてよかったよね?」
衛兵は頭を抱えた。
「最近、魔王と名乗る観光客が多すぎるんですよ」
「そんなことある?」
「先週は『闇の魔王カツオ』と名乗る男性が、酒場で受付嬢のケツを揉んだ後ツケを払わず逃走しました」
「魔王じゃなくて無銭飲食犯の痴漢野郎だろ」
「今月に入って自称魔王は五人目です」
「イングラシア、思ったより治安悪くない?」
結局、俺は『魔王行為を行わないこと』と『王都内で乳首らしき建物を建設しないこと』に署名させられた。
「なんで二個目が規約にあるんだよ」
「以前、似た建築物が問題になったそうです」
「アイツみたいな思考のやつ他にもいるんだ……」
門を抜けると、石畳の大通りの両脇に店が並んでいた。
焼きたてのパンの匂い。防具屋の金属音。魔法具店の前で値切る冒険者。噴水の周りを走り回る子供達。
王都らしい、活気ある風景だ。
その中に。
『異世界人専門・元祖故郷の味再現食堂』
『前世の記憶、聞きます屋』
『転移者向け生命保険。次の人生まで安心』
『元勇者監修・剣を振らず腰を振る剣術教室』
「最後二つ、誰が制度化した?」
「需要があるからでは?」
パトリシアが看板を見上げる。
「異世界人の方は、故郷を懐かしむことも多いと聞きます」
「分かるけど、生命保険は怖いな」
少し先では、店主らしい男が大声を張り上げていた。
「いらっしゃい!異世界人向け醤油風調味料! 本物を知らない方ほど大絶賛!」
「詐欺の言い方が正直すぎる!」
「安心してください!店評価、星四・七です!」
「何の安心にもならねえよ!」
通り沿いの別の店には、湯気の立つ料理の絵と一緒に、木板が掲げられていた。
『旅人食堂 総合評価 ★4.9』
「星四・九か。高評価だな」
「高いのですか?」
パトリシアが看板を見上げる。
「日本……じゃなくて、俺のいた世界だとかなり高い方」
「星で店を評価する文化があるのですね」
「まあ、そんな感じ」
「この店のレビュー規模、MAX十評価っすよ旦那」
「嘘っ!?じゃあひくっ!」
ディア風呂が、看板を静かに見つめていた。
「昔は、このような評価方法はありませんでしたね」
「そりゃ三千年前にはないだろ」
「ええ」
ディア風呂はそれ以上何も言わず、店の前に漂う湯気を少しだけ吸い込んだ。
「……良い湯の意思を感じます」
「ただの食堂だぞ」
「スープにも湯は使われますので」
「急にまともな理屈を付けるな」
その時、足元の影が、わずかに揺れた。
「リムル様」
「うおっ!?」
影の中から、ソウエイが音もなく姿を現す。
「いつからいた!?」
「王都へ入られた時から」
「声かけろよ!怖いよ!」
ソウエイは何事もなかったように一礼した。
「先行して確認しました。自由組合本部の周辺に不審な兵の配置はありません。ユウキ・カグラザカ本人も、本日は本部内にいるようです」
「仕事早いな」
「ユウキ本人は射精はしておりませんでした」
「絶対その報告いらなかったよね」
「それと出入口は正面、裏手、職員用通路の三ヶ所。地下にも搬入口があります」
モリ夫が反応した。
「地下あるんすか?」
「食いつくな」
「俺が最速で生き延びるルートなら地下が一番――」
「今から総帥に会うだけだからな!?」
ソウエイがモリ夫を見る。
「なお、地下搬入口は途中で行き止まりです」
「じゃあ使えねえっすね」
「残念そうにすんなよ」
ソウエイは再び俺へ向き直った。
「私はこのまま、周辺の情報収集を続けます」
「分かった。無理するなよ」
「承知しました」
一拍。
「射精も控えます」
「前回の話まだ引っ張ってたの!?」
影が沈み、ソウエイの姿が消えた。モリ夫が、その影をじっと見つめる。
「便利っすねぇ、どこでも射精」
「なんでそっちの方を羨ましがるんだよ」
自由組合の本部は、街の中心に建っていた。
城ほど大きくはないが、何階建てなのか分からないほど横に広い。入口の上には、剣と羽根ペンを組み合わせた紋章が掲げられている。
中へ入ると、受付前には依頼を受ける冒険者達が並び、壁一面の掲示板には仕事の紙が何百枚も貼られていた。
護衛。
魔物討伐。
薬草採集。
迷子の猫探し。
『魔王討伐依頼 ※対象者の都合により一時募集停止』
『竜への誹謗中傷レビュー削除代行』
『異世界人限定・前世のゲーム機を再現する会 参加者募集中』
『腰痛持ち大工募集。乳首意匠に抵抗のない方歓迎』
「最後の依頼、チンポリスから来てない?」
「来てないと思います」
「絶対身内だろウチの」
モリ夫が掲示板を眺めながら、少し懐かしそうに笑った。
「あ、この辺まだ変わってないんすね」
「やっぱ来たことあるの?」
「ありますよ」
「依頼を受けに?」
「賞金首として」
「帰れ」
その時、掲示板の向こうから男の怒鳴り声が聞こえた。
「俺は討伐依頼を受けたんだぞ!何で対象の魔物が受付にいるんだ!」
「規約上、依頼主と対象者が対面した場合は、まず話し合いをお願いしております」
「話し合いで魔物が倒せるか!」
「では、討伐依頼を一度取り下げますか?」
「金は?」
「返金できません」
「最悪の組織だ!」
自由組合は、思ったより平和的で。
思ったより金に厳しかった。
受付へ近づくと、眼鏡をかけた女性職員が営業用の笑顔を浮かべた。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「グランドマスターのユウキ・カグラザカに会いたい」
笑顔が止まった。
「ご予約はございますか?」
「ない」
「紹介状は?」
「ない」
「面会理由は?」
「日本人っぽい名前だったから」
受付嬢は、一度だけ目を閉じた。
「お帰りください」
「早いな!?」
「総帥は多忙です。興味本位でお会いできる方ではありません」
「魔王なんだけど」
「キショなおさらお帰りください」
「魔王って名乗った方が面会難しくなるの何なんだよ」
「普通はなります」
受付嬢は机の脇に置かれた札を指差した。
『予約なしの魔王はお帰りください』
「専用の札まであるの!?」
「先月、二頭の魔王が面会を求めて乱闘を始めましたので」
「魔王って二頭って数え方なの?」
「ドラゴン型でした」
「それ双頭のサンダードラゴンじゃねえの」
俺は少し待とうかと思った。
だが、パトリシアが前へ出て、受付嬢へ丁寧に頭を下げる。
「申し訳ありません。パイズリッドと申します。こちらのリムル様は、チンポリスの代表で――」
「パイズリッドさん?」
奥の廊下から、若い男の声がした。
人の流れが少しだけ割れる。
現れたのは、黒髪で、いかにも人当たりの良さそうな青年だった。
高そうな服を着ているわけでもない。けれど、この大きな組織の中を迷いなく歩く姿には、妙な落ち着きがあった。
「報告書で名前は見たことあるよ。お会いするのは初めてだね」
「はい。初めてお目にかかります、ユウキ様」
パトリシアは深く頭を下げた。
一瞬だけ。
彼女の指先が、杖の柄を強く握ったように見えた。
「それで、君がリムルさん?」
青年は俺へ視線を向ける。
「そう。もしかして、ユウキ・カグラザカ?」
「うん。自由組合のグランドマスターをやってる、ユウキ・カグラザカ」
「やっぱ日本人?」
「え?」
ユウキの表情が固まった。
俺も固まった。
周囲で仕事をしていた職員達だけが、何も分からない顔をしている。
「……今、日本人って言った?」
「言った」
「君も?」
「うん」
数秒後。
「うわ、マジか!」
ユウキが急に笑った。
「この世界で日本の話が通じる人、久しぶりに見た!」
「俺もだよ!」
その場の空気だけ、日本の駅前で偶然同級生を見つけた時みたいになった。
パトリシアは少しだけ目を丸くし、モリ夫は何も分からないまま頷いている。
「二人とも、急に距離が近くなりましたね」
「日本人同士だからな」
「どういう意味ですか?」
「説明すると長い」
ユウキは俺達を応接室へ案内した。
窓から王都の通りが見える、明るい部屋だった。テーブルには紅茶と、小さな菓子が用意されている。
ディア風呂は出された茶を一口飲み、静かに頷いた。
「湯の温度が適切です」
「紅茶だっての」
「飲み物全般に通じる評価です」
「それなら分かる」
ユウキは向かいの席へ腰を下ろし、俺を興味深そうに見た。
「魔王で、スライムで、日本人。情報量が多いね」
「そっちもギルドマスターで日本人って十分多いだろ」
「そうかな」
「そうだよ」
俺達は、互いに元の世界で何をしていたかを軽く話した。
ユウキは学生だったらしい。
俺が会社員だったことを言うと、「急に現実味があるな」と笑われた。
「コンビニとか、もう何年も行ってないな」
「エロ本読みたいよねコンビニの」
「今コンビニにエロ本ないぞ」
「嘘!?」
「あと、深夜に意味なく買うアイス」
「分かる」
ディア風呂が首を傾げる。
「深夜に氷菓を購入することに、何か儀式的な意味が?」
「ない」
「勢い」
「勢いで冷えるのですか」
「もういいよ」
日本の話をしている間、ユウキはずっと楽しそうだった。
ただ、話題がこの世界へ戻った時だけ、目の奥の興味が少し強くなる。
「この世界って、面白いよね」
「面白い?」
「うん。人が急に変わる時がある」
ユウキは、窓の外を歩く冒険者達へ視線を向けた。
「昨日まで普通だった人が、何か一つをきっかけに英雄になったり、裏切り者になったりする。自分で選んだのか、選ばされたのかも分からないくらい綺麗に変わるんだ」
言い方は穏やかだった。
なのに、少しだけ落ち着かなかった。
「だから、そういう場面を見るのが好きなんだよね」
「戦いとか?」
「戦いも。もちろん死ぬのは良くないと思うよ」
ユウキは笑った。
「でも、追い詰められた人がどういう選択をするかは、知りたくならない?」
「ならないかな」
「即答だね」
「お前はなるの?」
「なる」
迷いがなかった。
ディア風呂は湯気のない紅茶を見つめたまま、何も言わない。
パトリシアも、膝の上に置いた手を静かに重ねていた。
少し間を置いてから、ユウキが思い出したように言った。
「そういえば。君みたいなスライムを見たら、きっと驚く人がいるかも」
「誰?」
「セルトゥム=インペルト」
聞き覚えのない名前だった。
「誰?」
パトリシアが、俺の横で小さく息を飲む。
「約五十年前に活動していた、伝説の勇者です」
「伝説の勇者?」
「アナルナメス王国のライク=リフト様と共に旅をしていた、勇者パーティの中心人物でもあります」
昨日、アナルベルトから聞いた名前が頭をよぎった。
「待って。それって、アナルベルトの師匠がいた勇者パーティ?」
「はい」
急に話が繋がった。
ユウキは驚いた様子もなく、紅茶のカップを指先で回している。
「数年前に、一度ここへ来たんだ」
「セルトゥムが?」
「うん。僕に変なことを聞いてきた」
「変なこと?」
「最近、この世界に増えた概念についてどう思う、って」
「最近増えた概念?」
「さあ。僕も最初は何の話か分からなかったよ」
ユウキは、窓の外を指差した。
ちょうど通りの向こうに、さっき見た店の看板が見えている。
星四・九。
異世界人向け食堂。
「こういうのとかね」
「ああ」
「君、驚かないんだ」
「この世界、今さら何が出ても驚かない」
「そういうもの?」
「もう慣れた」
ユウキは少しだけ笑った。
「セルトゥムさんは、ずいぶん気にしてたよ。元の世界由来の概念を」
「何で?」
「それは僕には分からないかな」
答えはあっさりしていた。
「でも、僕のことは結構疑ってたみたいだね」
「ユウキを?」
「うん」
「何で?」
「さあ?」
ユウキは肩をすくめる。
「伝説の勇者が何を根拠にそこまで辿り着いたのか、僕はそっちの方が気になるけど」
「疑われて面白いって何?」
「だって、気にならない?」
「俺はならん」
「また即答」
窓の外では、イングラシアの人々がいつも通り行き交っている。
店の看板には、星四・九。
自由組合の掲示板には、依頼書。
この世界にとっては、もう当たり前になっているものばかりだ。
俺も、今まで特に気にしてこなかった。
ただ。
伝説の勇者がそれを調べていて。
ユウキを疑っていた。
その事実だけが、妙に頭へ残った。
「セルトゥムは、今どこにいるんだ?」
ユウキは少し考えるように視線を伏せた。
「さあ。会ったのは、それが最後だよ」
「そっか」
「でも」
ユウキは、いつもの人当たりのいい笑顔に戻った。
「君がここへ来たなら、また何か動くかもしれないね」
「何が?」
「それを見届けるのが、楽しみかな」
楽しそうに言われた。
俺は少しだけ嫌な予感がした。
その横で、ディア風呂が静かに微笑む。
「では、まずは宿を探しましょう。イングラシアの湯――そして精子の流れを確認する必要がありますので」
「後半いらねえよ!」
つづく……