イングラシアを出てから、数日。
俺達はようやく、チンポリスの城門が見える街道まで戻ってきていた。
長旅だった。途中でモリ夫が三回ほど野グソを踏み、パトリシアさんがその度に無言で距離を取って、ディア風呂は野グソの採点していた。
「チンポリスの湯が恋しいですね」
「国に帰る理由が風呂の魔人すぎるだろ」
「魔人ではなく悪魔です。あと、湯の循環は国の循環でもあります」
「急に良いこと言うな」
城門へ近づくにつれ、俺は妙な違和感を覚えた。
門の上に垂れ下がっている旗が、全部黒い。
街道沿いの商店も、軒先へ黒い布を掲げている。いつもなら客引きの声と屋台の匂いで騒がしいはずの通りが、今日はやけに静かだった。
モリ夫が羽を止める。
「旦那……なんか、国全体が葬式っぽくないですか?」
「誰か偉い奴が死んだのか?」
「旦那より偉い奴って、だいたい旦那の横で乳首の設計図描いてるビーチクくらいじゃないですかね」
「比較対象が終わってる」
城門の前には、大きな掲示板が立っていた。
黒い縁取り。
白い花。
中央には、俺によく似た青いスライムの肖像画。
ただし何故か、金髪のかつらみたいなものを被せられ、胸元には見覚えのない勲章が七個ほどついている。
その下に、でかでかと書かれていた。
『緊急報
我らが主君
リムル・左近司・スカトローナ様
勇敢に戦死』
「……左近司?」
モリ夫が、掲示板と俺を交互に見た。
「旦那の名前、普通に国営で増えてやすね」
パトリシアさんは口元を押さえ、困ったように呟いた。
「報道とは、時に恐ろしいものなのですね……」
ディア風呂は、黒い掲示をじっと眺めてから、珍しく露骨に眉をひそめた。
「おやおや。死人の名前を公文書で勝手に増やしてはなりませんよ」
「お前もドン引きするんだ。てか俺死んでねえし」
俺は掲示板へ近づき、文章を読み直した。
『自由組合からの正式報告により、我らが慈悲深き主君、リムル・左近司・スカトローナ様が、異国の刺客ヒナタ・サカグチと壮絶な戦いの末、身体中の穴という穴から下痢便を撒き散らし御身も散らされたことを確認』
「正式報告が怪文書すぎない?」
その下には、市民による追悼メッセージまで貼られていた。
『左近司家の御曹司だったなんて……』
『スカトローナという御名には、いったいどんな由緒が……』
『多分、強そうだから』
「勝手に考察するんじゃねえ」
門番が、俺達に気付いた。
黒い腕章をつけた若いゴブリンだった。俺の姿を見た瞬間、槍を落とし、その場へ膝をつく。
「ス、スカトローナ様の御霊が……!」
「いや最初から生きてるから」
「無念のあまり、御自身をただのスライムと思い込んで……!」
「人を精神異常者みたいに言うな。俺がリムルだ」
門番は涙を流しながら、深く頭を下げた。
「どうか安らかにお眠りください、リムル・左近司・スカトローナ様!」
「左近司とスカトローナを外せ」
「本名を隠して、最後まで民を気遣われるとは……!」
「だから話を聞けよ!」
パトリシアさんが、門番へ慎重に声をかける。
「あの……目の前にご本人がいらっしゃいます」
「パトリシア様まで、悲しみの幻覚を……」
「私は幻覚ではありませんが……」
「この一帯、だいぶ集団で壊れてやいないですか?」
モリ夫が小声で言った。
「俺、旦那が死んだと思った時、ちょっとおしっことうんこと精子と愛液漏らしたんで、皆さんの気持ちも少し分かります」
「分かるな」
「でも、国民全員でやる量の漏らし方じゃないですぜ」
「たぶん誰も漏らしてないよ」
俺が門番を避けて中へ入ろうとすると、城門の奥から鐘の音が鳴った。
ゴォォォン。
ゴォォォン。
カルロス・ゴーン。
それに合わせて、街のあちこちで泣き声が上がり、中央広場の方から、誰かが叫んだ。
「スカトローナ様の御霊が帰還されたぞォォォ!!」
「死んでねえって言ってんだろ?!」
その言葉を合図にしたように、住民達がこちらへ集まり始めた。
ゴブリン。
オーク。
人間。
鬼人族。
誰も彼も黒い服か、黒い布を巻いている。花を持っている者もいれば、なぜか俺の好物でもない『ロリコン教師モノ』を供えている者もいる。
人混みの向こうには、巨大な横断幕が見えた。
『スカトローナ様を偲ぶ国葬
本日、正午より開始』
「まだ死んで半月も経ってねえぞ!?」
「数日っすよ旦那」
「どっちにしろ早いしそもそも死んでねえ!」
中央広場へ入った瞬間、俺はさらに嫌なものを見た。
広場の中央に、巨大な台座が組まれている。
その上には、俺の肖像を模した青い墓標。
左右には、乳首みたいに尖った黒い塔が二本。
その前で、ビーチクが腕を組んでいた。
「墓標の乳首部分は、魔力を込めれば夜間も光る」
「俺の墓に乳首ライトを付けるな」
ビーチクは、設計図から顔を上げた。
「……生きていたのか」
「見れば分かるだろ」
「記事で死んだと聞いた」
「だから今、生きてるって言ってるだろ」
ビーチクは、俺を一度見て、それから墓標を見た。
「では、これは乳頭記念碑として残すか」
「意味わからん物残すな」
その隣では、クラウディが白い泥を広場へ広げ、巨大な露天風呂を作ろうとしていた。
「通夜は湯に浸かりながら行うべきだ。死者も冷えた身体より、温かい方がよい」
「死んでねえし、広場を勝手に温泉地帯にするな」
「では、生還祝いの湯にするか?元死人リムル」
「切り替えが早すぎる」
少し離れた場所では、フェラリルが黒い喪服に青い光を反射する眼鏡をかけ、整列した兵達へ指示を飛ばしていた。
「黙祷は明朝五時。遅刻者は、スカトローナ様への不敬として一週間、全身ファブリーズの刑に課す」
「朝五時に何の罰ゲームを始めてるんだよ」
フェラリルは、俺を見て鼻を鳴らした。
「……本人かよ!?」
「本人だよ」
「なら、黙祷は五時半へ繰り下げる」
「中止しろよ」
さらに奥では、フェラチオが祭壇の前へ座っていた。
巨大な口は閉じられている。
珍しく真面目に黙祷しているのかと思ったが、よく聞くと口の中から微かな音がする。
ジュポ……ズボ……
「余は、口だけは閉じている」
「閉じてねえし口の中で何してんだよ」
「弔意だ」
「絶対違う」
その前に、ベニマルが立っていた。
喪服の上から刀を下げ、広場中へ聞こえる声で叫んでいる。
「遺体を確認していない! 国葬の準備は一度止めろ!」
「ですがベニマル様、弔問客は既に三千人を超えています!」
リグルドが帳面を抱え、真顔で答える。
「東通りから入場させ、西通りから退場。泣き崩れる者は北側の休憩所へ誘導。予算については、墓標の乳首部分だけで当初見積もりの二倍です」
「止めてから説明しろ!」
「既に発注済みです」
「誰がそんな事を許可した!」
「あの野郎……いえビーチク大公です」
「今あの野郎って言った?」
リグルドは帳面をめくりながら、俺へ気付いた。
「……リムル殿!?」
「うん」
「まだ生きておられたのですか」
「まだってなんだよ」
リグルドは数秒黙り、帳面を見た。次に、巨大な墓標を見た。最後に、俺を見た。
「では……国葬は中止で?ついでに私が新しい王になるのも中止で?」
「当たり前だろ」
「しかし、既に弔問客用の炊き出しが始まっています」
「食わせろ」
「分かりました。では国葬を、生還記念の炊き出しへ切り替えます」
「何で生きてる判断遅いのに切り替える判断だけ早いんだよ」
その時、祭壇の前から大きな泣き声が響いた。
「リムル様ぁぁぁぁぁぁ!!」
シオンだった。
黒い喪服を着て、俺の肖像画へしがみついている。肖像画の俺は金髪かつらを被っているのに、シオンは疑問を抱いていないらしい。
「私は……リムル様の生まんこを守れなかった……!」
「何を守る前提!?」
周囲の国民が、黙って目を伏せる。
「シオン様……」
「生まんこへのお気持ちは分かります……」
「分かるな」
シオンが、ようやくこちらを向いた。
涙でぐしゃぐしゃの顔が止まる。
「……リムル様?」
「そうだよ生きてるよ」
「御霊が……喋ってる……!」
「だから生きてる!」
「生前より、少し元気です!」
「生前って言うな!」
シオンは数秒固まり、次の瞬間、俺へ飛びついてきた。
「リムル様ぁぁぁぁぁぁぁ!生きている本物の生まんこだぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「ぐぇっ」
「よかった……! 本当に、よかったです……!」
胸元で泣き続けるシオンを見て、俺は一瞬だけ言葉に詰まった。国全体が馬鹿みたいな方向へ暴走している。
墓標には乳首がついている。
でも、こいつらは本気で俺が死んだと思っていた。
「……悪かった。心配かけたな」
「はい……!」
「ただし生まんこを守れなかったとかは二度と言うな」
「? 何故でしょうか」
「疑問に持つな」
パトリシアさんは、その光景を少し離れた場所から見ていた。
俺と目が合うと、ほっとしたように微笑む。
「皆様、本当に心配していらしたのですね」
「心配の表現が乳首墓標と国葬なのはどうかと思うけどな」
ディア風呂は、広場の端で石畳を少し持ち上げた。
その下から、ちんぴらが顔を出す。
「リムルの旦那、生きてたんすか」
「お前まで。てか何がリムルの旦那だ」
「弔問客、俺が五百人くらい誘導したんすけど。全員、『スカトローナ様は立派なお方だった』って泣いてましたぜ」
「会ったことない奴まで名前で泣くな」
「あと、勝手に献花置かれると通行の邪魔なんで、回収して捨てましたぜ」
「仕事はできるのが腹立つ」
広場の中央で、ベニマルがようやく俺を見つけた。
一瞬だけ、いつもの冷静な顔が崩れる。
「……リムル様」
「ただいま」
ベニマルは深く息を吐いた。
「お帰りなさいませ」
その一言で、周囲の騒がしさが少しだけ遠くなる。
本当に帰ってきたんだな、と俺も思った。
だが次の瞬間、ベニマルは俺の横に立つパトリシアさんとディア風呂を見て、さらにその後ろのモリ夫を見た。
「……では、報告は誤りだったのですね」
「ヒナタ・サカグチって女に、俺の分身体が殺された」
「分身体を?」
「七回きっちり殺された」
ベニマルの顔が引き締まる。
「ヒナタ・サカグチ……」
「強かった。冗談抜きで」
俺がそう言うと、広場の周囲にいた者達も静かになる。
さっきまで泣きながら干し肉を食っていたオーク将軍達も、真剣な顔になった。
「スカトローナ様の仇……」
「リムルだ」
「左近司様の仇……」
「俺の名前みんな覚えられないの?」
「では、何とお呼びすれば」
俺は、広場中へ響く声で言った。
「リムルだ! リムル! 名前は一個! 増やすな! 国葬もしない! 墓標の乳首も撤去!」
一瞬の静寂。
次の瞬間、誰かが歓声を上げた。
「スカトローナ様が御自身の名を否定しておられるぞォォォ!!」
「謙虚なお方だ!」
「復活なされた上に、偽名まで使われるとは……!」
「本名を拒否するほど、民へ溶け込もうとなさる!」
「何で全部好意的に解釈されるんだよ!都合のいいなろう系かよ!!」
リグルドが、帳面へ新しい項目を書き込んだ。
『国葬中止。
リムル・左近司・スカトローナ様御帰還記念復活祭へ変更。
黙祷は五時半。
乳首墓標は記念碑として保存』
「勝手なことを書くなァァァァァ!!」
広場に鐘が鳴り、黒い旗が下ろされ、代わりに派手な色の旗が掲げられる。
その時、城門の方から一人の若いゴブリンが、封蝋付きの書状を両腕に抱えたまま駆け込んできた。靴底は泥だらけで、息は上がり切っている。後ろからは、見慣れない国旗を掲げた馬車の列が、城門へ続いていた。
「リグルド様ァ! 国外から弔問の使節団が続々と!」
「何人だ」
「現在、確認できているだけで十二か国です!」
「国葬を中止しろと言った直後に外交問題へ進めるなァァァ!!」
誰かが花火を打ち上げた。昼間なのに。
「スカトローナ様、万歳!」
「左近司家、万歳!」
「リムル=アルデヒド三世様、万歳!」
一番最後だけ、ようやくリムルという音が混じった。
いやちょっと待てよ。
数日間の旅を終えて帰ってきたら、国では俺が死んでいた。
しかも本名が増えていた。
そして今、俺の国は、俺の了承なしに俺の復活祭を始めている。
「……ヒナタより先に、国内の広報を何とかするべきだったかもしれん」
ディア風呂が、穏やかに頷く。
「この国は……精子垂らしてますね」
「誰がどこにだよ」
つづく……