突然世界が光に包まれて、意識を取り戻した自分が目にしたのは、どこまでも続く森と土と空だった。
親が遺した自宅でひとり過ごしていたと思ったら、次の瞬間に周囲にあったのは緑豊かな自然。
状況が全く理解できないながらも歩いていると、蔦が絡まった廃墟――崩れた人工物たちを多く見かけて、どうかここに人がいてくれと、僕は切に願って歩き続けた。
そして森を抜けた先で、自然と共存しているような村と教会を見つけ、僕はそこへと足を運ぶ。
まばらに人が歩く村の様子を見て、とても救われた気持ちになった。裸足で土を踏み、外を出歩くような恰好ではない僕の姿を見て、彼らはそれでも親切にしてくれたし、教会に頼ってはどうかとも教えてくれた。
その言葉を頼りに足を運んだ教会で、僕は、全く見たことのない筈が、何故か見慣れた背中を見つけて思わず声をかけた。
あの長い綺麗な金髪。既視感の正体はすぐに分かった。振り向き、こちらを見つけた少女は。
「…………マスター……?」
僕が愛用しているデッキ、エクソシスターのカードが一人。
エクソシスター・エリスだったからだ。
*
教会で彼女が淹れてくれた紅茶を飲みながら、僕とエリスは互いの世界について、互いの認識についてを話し合った。
僕が話すことは少なく、ただのエクソシスターを愛用するいちマスターでしかないと伝える他ないのだが――エリスは、自分たちは『こちらの世界』からマスターである貴方を認識していて、貴方が私たちをどれほど愛してくれているか、どんな戦いをしてきたかを知っていると話した。
だが、それは近くも遠い世界のこと、貴方と肩を並べて戦うのは、時折見る幸福な夢のようなものだったと。
「……その……よろしい、でしょうか……マスター、様」
語らい終えて、お互いのカップがカラになった頃。エリスはそう言って、僕の頬に手を伸ばした。
僕も彼女に体を預け、されるがままに抱きしめられる。生来、男のわりに長く細く生えそろった髪をさらさらと撫でられながら。
「ぁ、ああ……っ、触れられる……鼓動を感じる、温かい、生きて、らっしゃるっ……マスター様が、こんなに近くに……! マスター様、マスター様っ……!」
エリスが口にする言葉は、僕にとっても全く同じ気持ちだった。
エリスが抱きしめてくれる。エリスの体の柔らかさを、体温を感じられる。その幸福。
「……マスター様」
暫しの間、彼女と抱きしめ合い。するりとどちらともなく離れて、どこか寂しそうな顔でエリスは言った。
「いつか、マスター様の世界へ……在るべき世界へ帰る手段が見つかると思います。それまで――」
「――我々の……『神父様』となって……ともに、ここで暮らしては、くださいませんか?」
*
……エリスとその話をしたのが、先週のこと。
あれからステラに会い、マルファへの挨拶を済ませ、帰還するイレーヌとソフィアを迎えた。
僕はマルファから、いつか神父を迎えたときの為にずいぶん前から用意していた修道服――そう聞いた割には真新しく思えた――をいただいて、それを着て彼女たちの活動の手伝いをして過ごしていた。
各地区で暮らす人々に物資を配り、時折現れる脅威に対処する。
驚くことにこの世界でもデュエルは可能だった。強く念じれば左腕に半透明のデュエルディスクが現れて、そこに差し込まれた半透明のカードの束を使い、かつて自宅で何度も繰り返したようにデッキを回せば目の前で実際に戦うエクソシスター達の援護ができた。その場にいないエクソシスターやモンスターも幻影となって力を貸してくれたし、このデッキのお陰で僕一人であっても人々を守ることができた(二度としないでくださいとイレーヌに釘を刺された)。
エクソシスター達を率いる神父として、それなりの貫禄がついてきたように思うが、相変わらず元の世界に帰る手段については何の手がかりもなかった。
その上で、彼女たちと過ごす上で発生する大きな問題もあった。身を削って前線に赴き、戦うことの方が楽だとすら思えるほどに。
その日の夜。僕は教会の隅にある懺悔室に足を運び、本来自分が座る側とは逆の部屋に入って、腰を下ろした。
向かいに誰かがいるとは思っていなかった。ただ、自分の胸の内にある思いを吐露できればよかった。
頭の中で告解をまとめる間、少しの静寂があって、いざ小さな格子窓の向こうへそれを伝えようとした瞬間。
「どうぞ」
と、聞き慣れた女性の声が窓の向こうから聞こえた。
ひやりとした。飛び出しかねなかった。だが――本来ならこうすべきじゃないのかと思って、浮いた腰を再び下ろした。
本来なら……ひとりで吐き出すのではなく。相談すべき相手に、打ち明けた方が……。そう思い、僕はゆっくりと口を開いた。
「僕は……神父という立場でありながら……シスター達を…………よこしまな目で……見てしまうのです」
小窓の向こうにいる彼女へ、ぽつりぽつりと告解を始める。
「エリス、ステラ、イレーヌ、ソフィア。そしてマルファ……。皆、僕が僕の世界でお世話になった方々で……この世界でも、僕によくしてくれる、本当にいい方々なんです。彼女たちには、返しきれない恩がある。その彼女達に、どうしても……性的な、女性的な魅力を、覚えてしまうのです」
その事実は口にしていて恥ずかしく、自分の顔に熱が灯っていくのを感じる。
小窓の向こうで少しだけ息遣いのような音が聞こえて、しばらくして。
「それは……悪いことでは、ないと……思います。その……彼女たちは……ぇと、彼女たちも、ぉ、おそらく……そのよこしまな目に嫌悪や拒絶といったものは感じておらず……ありのまま向けられれば、何よりも悦ぶ……かと」
どこか熱い吐息の混じったような声で、そう返される。
そうであれば……本当にそうであればどんなに嬉しいか。
だが、『してほしい』と心の底で本当に思っていることを打ち明ければ――いやそれよりも前に、僕自身の体を見られた時点で――。
未だ残るわだかまりを少しずつ言葉に変えて、僕は小窓の向こうに告解を続けた。
「……彼女達を信じていない、というわけではありませんが……他ならぬ僕自身が、拒絶や嫌悪を恐れているのです。なにぶん僕は……その」
呼吸をひとつ挟み、丸裸になる気持ちで打ち明けた。
「童貞……な、もので。女性に避けられる経験は、一度や二度ではないのです」
「……なんと……? え、っ……?? え、ぇっ? な、ぁっ、え、ぇ」
明らかに声色が変わり、驚き戸惑っている様子が伝わってくる。
そこまで驚かれることだろうか……? 女性は男性以上にそういったことに敏感で、彼女たちに対する僕の態度から、てっきり感づかれているものと思ったが……。
ごほん、こほんと何度か咳ばらいを聞き、いくぶんか整えられた声色で問い返される。
「……そう、なのですか。その……なぜ……ぁぁあえと、何故なんて問うてはいけませんよね、ええ、すみません、しかし、うう……ぇぇ……?」
何故……。なぜときたか。それを問われるほど意外に思われていることが、少しだけ嬉しくもあった。
彼女は答えた。僕が向ける目に嫌悪や拒絶はないと。しかし、だとしてもどうしようもないものもある。
もし仮に、これから先、それを目の当たりにして拒まれる機会が訪れてしまうとしたら――僕はきっと耐えられまい。だから打ち明ける。
「それも含めて……どうか、打ち明けさせてください。僕が抱いている身体的なコンプレックスなのですが……」
「はい……。お聞かせ……ください」
「……性器が。大きすぎるのです」
「…………せいき? あ、男性器のこと……でしょうか……えっ、ぇと、ぐ、具体的にはどの程度」
「ソフィアが持ち歩く道具に、定規があるのですが……完全に膨らむと、あれほど……です」
「…………ソフィアの持つ定規は三十センチだったかと思うのですが……? え、えっ? 三十……えっ、本当に……?」
「ぴったり、その程度です」
サイズを申告した途端、向こうの息遣いがどういうわけか荒くなる。
……喜ばれている……のとは違うだろう。驚かれている……? の、だろうか。
告解を突然中断するわけにもいかない、話し始めたのだから、腹を決めて生まれ持ったそれの話をありのまま続けてみる。
「長さは無論……横幅もひどく。そそり立たせたそれを見せると、驚かれ、拒まれ、『他にいい人がいる』などと……。受け入れられる人など、いるはずもないのですが……」
「横幅……幅、太さですよね、え、っと、それは、どのぐらい太いの……? ぁ、でしょうか……?」
「交易の際に用いている硬貨があると思うのですが……」
「ぁ、あれくらい? なら、なんとか――」
「それを横に二枚並べた程度、でしょうか」
「はっっ? ……ぁ、失礼しまし、ぇ、でっっ…………かぁ……♥」
……荒れた吐息に、熱が混じり始める。
たぶん、想像しているものよりもずっと実物は恐ろしく見えるだろうが……たとえ想像に興奮しているのだとしても、そんな反応をされると、こちらも少しだけ楽しくなってしまう。
「そのように、あまりに長く太く、自分で扱くのも一苦労で、自慰も満足にできず……。一度に噴き出る精液の量も、まるで小便のような勢いと量で、糊のようなねばっこさをしているものですから、うかつに吐き出せず……こちらに来てからは……一度も、発散できていないのです。彼女たちによこしまな目を向けてしまうのも、恐らくはそのせいで――」
「せーえき……? せーえきが、おしっこみたいに? びゅ、びゅーーって……ずっと? しかも、そんなに濃いっ……? そん、そんなの、すご、ぇ、うそ、ほんとに……??」
「――ですので。彼女たちには……そのような目を、向けたくはないのです。だって」
「受け入れてもらうことは、不可能ですから。精神的にも……物理的にも」
「……」
少しだけ……肩の荷が下りた……ような気がする。
何一つ嘘はついていない。人外じみた体質だが、生まれ持ったものなのだから仕方がない。
けれど小窓の向こうの声色は、驚きや困惑はあれど、嫌悪も拒絶も感じられなかった。
――こうだから、仕方ない。と、そう自分のありのままを伝えられた。その解放感に少しだけ浸っていた、ときだった。
「……私た……いえ、彼女たちは」
もう返事はないかと思っていたが、ぽつりと小窓の向こうから小さな声が聞こえてきた。
「あなたを信頼すると共に……愛しています。ですから……誰に、どれほど欲望のたけをぶつけようと、それは……彼女たちにとっての、至上の悦びと……なるでしょう」
……それは、はたして。
繕った言葉なのか、あるいは、本当にそうなのか。その判断はできなかったが。
たとえ繕った言葉であっても、それを聞かせてくれたことが素直に嬉しかった。
「ありがとう……ございます」
「……こちらこそ。貴方に……ご加護が……幸福が……あらんことを……」
今度こそ、これで告解は終いだ。本当に……すっきりした。
心の奥底へしまいこんでいたものをさらけ出しても、小窓の向こうの彼女はそれを受け止めてくれた。
そしてきっと、エクソシスターの誰が向こうに座っていたとしても、同じことを言ってくれたのかもしれないと思うと――。
「……帰りたく、ないな」
ぽつりと、そんな言葉がこぼれた。
生まれ育った世界に戻っても、僕にあるのは広く窮屈な自宅だけだ。働き始めてからは、交友関係も失せていった。
だがここには彼女たちがいる。僕を受けいれて、共に生きて、共に戦ってくれる彼女たちがいる。
「…………っ」
息を呑むような声が聞こえて、まずいことを言ったかもしれない――と思った。
かたりと戸を開けて、足早に外に出る。見慣れた教会の内装が、やけに広々と感じられた。
我慢していることは吐き出した。彼女たちをよこしまな目で見ていて、このまま彼女たちと過ごしたいと思ってしまっていると。翌日から距離は置かれるだろうが、男女の間柄なんて、きっとそのくらいでちょうどいい。
修道服を整えながら、本来僕がいるはずの部屋に代わりに居てくれた彼女へ、ぼそりと感謝を呟いた。
「ありがとう。……エリス」