※パロディ色が強い。
※2016/4/17 ごく一部登場人物変更
月に兎が住んでいる事を信じる者は少ない。
月に寿命の長い人々が住んでいると信じる者はもっと少ない。
では、月には地上より遥かに優れた技術があり、寿命が長い人々が優雅に生活し、兎達はただその日暮らしをしている、と言われたら? きっと一人も信じないだろう。
鈴奈庵所蔵 「月と幻」
月の都。遥かな昔“穢れ”を恐れた人々が移り住んだ場所。外から見れば静かな静かな白き世界。
都の北東には居住区が広がっている。無論月の民の住む所では無い。兎達、その中でも力も金も無い者達が住む“スラム”だった。
今その通りを、目深にかぶった茶色のフードとマント姿の二人が歩いている。後ろを歩く者の背丈が少し低い。従者の様な間隔で歩いていた。
道の端に果実を山と積んだ屋台が在った。先を行くフード姿がその屋台に近付く。太めの兎おばさんが椅子から立ち上がり、客を胡散臭そうな目で見る。フード姿は果実を一つ手に取り、じっと見つめていた。やや歪んだ形をして、黄色と灰色のまだら模様が特徴的な果実である。
「あら、甘月瓜ね?」
知性を帯びながらも愛らしい声が唇から紡ぎだされる。フード姿の目元は他人からは見えなかった。だがその口元は屈託のない笑いを浮かべている。
「いい香り‥‥」
「外の畑で作ってんのさ。見てくれは悪いが味も絶品だよ」
フード姿は後ろの従者へ瓜を肩越しに投げた。慌てて相手が受け取るのも確認せず、もう一個果実を掴みとる。おばさんはその手に緑色の宝石の指輪を見て取った。
「綺麗な手だね」
「あら、ありがとう」
「こんなとこに月人様が何をしに来たんだい?」
「お散歩‥‥じゃ駄目かしら?」
「ふん、酔っ払いやヒネた子供位見て面白いのかい?」
「貴方のお店があるでしょ」
フード姿の女性はおばさんに貨幣を渡し、スキップしながら去る。おばさんが手元を見ると、金貨が輝いていた。慌てて主を追いかけようとした従者を呼び止める。
「ちょっとあんた! こっちきな!」
従者は主の後ろ姿とおばさんの顔を交互に見比べ、屋台に近付いた。
「手を出しな」
言うがままに従者が手を出すと、そこへ数枚の銅貨が押し付けられる。
「あの人に伝えな。釣りはきちんと受け取るのが礼儀だってね!」
従者もフードの中の目元がよく分からなかったが、口元がはっきりと動いた。
「あ、ありがとうございます!」
そのまま従者は主を追って駆けて行った。おばさんは月甘瓜を見つめて内心で独白する。
(月人で今時瓜を食べる奴なんかいやしない。ましてやこれは植物プラントで作った綺麗な物じゃないんだ‥‥変わった人だねェ?)
屋台を離れた女は瓜を齧りながら、楽しそうにスキップしつつ通りを進んでいく。
「んん~♡ 久しぶりの味ぃ~」
その後ろを慌てて追う従者。
「お待ちください! 食べながらお跳ねになるなんて!」
汁を撒き散らしながら、女が瓜を噛む。
「思い出の味よ。昔授業が終わった後よく食べたわ♪」
歩きながらくるくると回転ダンスまで始める女。不思議にも通行人へぶつからない。
従者はマントの内側へ瓜をしまい、踊りに巻き込まれないようにしながら歩調を合わせる。
「幾らなんでも目立ち過ぎですよ!」
「私をぉ~し~ば~るものはぁ、なぁにも無い♪」
「また映画にでも影響されましたか!?」
二人は騒いでいる内、朽ちた二つの店舗の間でカーテンを使い、申し訳程度に隠された階段の前に来ていた。
従者がじっとその階段を見つめる中、女は瓜片手に会談へと向かう。
「何をなさるおつもりで?」
「行くのよ、お祭り。ここでやってるんでしょ」
「‥‥祭り、ですか。そんな言い方もあるんですかね」
従者の声がやや不快な響きを帯びた。女は気に留めた様子も無くカーテンを開けた。
階段下では屈強な身体をモーニングに包んだ二人の月人が、観音開きの両脇を固めている。そこへ女はマントを翻し、フードを押さえながら飛び降りた。後から急いで従者が階段を下る。
門番達は一瞬呆気に取られ、顔を見合わせた。そして中へ入ろうとする女に気付き、慌てて通せんぼをした。
「お待ち下さいませ‥‥当店は会員制でございます」
「それか紹介が無ぇと入れるわけにはいかねぇんだ」
女は大げさに肩をすくめ、男達の手を突然握った。二回りは大きい掌の上へ、手品の様に金貨が注がれていく。他の三人が呆然としている中、女は微笑みながら言った。
「はいパスポート。表側の人間達の言葉よ」
扉を内側へ開け、女は奥へと入って行く。従者も続いた。門番達は、手から金貨が溢れて落ちる音で正気を取り戻した。
「おい、今の何だ?」
「知るかよ、あんな芸当正気の沙汰じゃ無ぇ」
「通しちまったしな‥‥騒ぎを起こさなければいいが」
男が金貨をポケットにしまい、もう一人が床の一枚を拾った。やがて二人の間に気まずい沈黙が流れ、どちらも拳を握り、殴り合いが始まった。
店内は薄暗く、多数の月人・玉兎が幾つかの丸テーブルを囲んで着席していた。女が空き席を見つけ、そこへ足を向けると客達が陰気な視線を投げかける。店の奥はステージになっているが、幕が閉じていた。
瓜を齧りつつ女が席に座り、従者もその後に続くと、待っていたかの様に照明が消された。そしてドラムロールと共にスポットライトがステージを照らし、幕が開けられた。中央に立ったスーツ姿の男は大げさなガッツポーズを取り、客の間から歓声と拍手が沸き起こる。
「皆さんお久しぶりです! 本日も当クラブへお集まり頂き真に有難うございます! 皆様のお元気な顔を拝見出来て私はもう嬉しくて嬉しくてゾクゾクしちゃいますね。張り切って活きのいいご商品を揃えたかいがあるというもの! さあ始めましょう、ミュージック・スタート」
何処かのスピーカーがサックスを主体とした艶やかなメロディを流し始めた。ステージ脇から、長い耳、銀髪のナイトドレスを着た兎の娘がゆっくりと歩み出てくる。右足にアクセサリーとしてはやや不似合いな黒い足輪を着けて。口笛が鳴り響く中、彼女はステージの中央で一回転して見せる。尻と胸を強調するポーズを取る彼女へ、観客から手拍子が送られる。
兎は躊躇無くナイトドレスのジッパーを開き、落とした。下着を着けていないその身体は、傷一つない肌、なだらかなボディライン、小ぶりだが整った乳房、引き締まった尻などで構成されていた。皆に混じって歓声を上げる主に、従者が囁いた。
「もうこんなとこ出ましょう」
「え? 聞こえなーい」
従者はそれ以上何も言わず、俯いて座り込んでしまった。その頭上へ重なる様にスーツ姿の声が響く。
「本日最初の商品です! さあお声をどうぞ!!」
「200だ!」
「220!」
「はっ、300だ!」
「320! 引っ込んでろ!」
「400ぅ!!」
会場が静かになった。最後に声を上げたのは、既に半裸の兎を鎖と首輪で引き連れた男だった。スーツ姿は気にもせず確認の視線を巡らし、右手を高く上げた。
「おめでとうございます! 本日最初の商品は400にて落札!」
拍手と罵声が飛び交う中、男は兎を引き連れながらステージ脇の扉へ消えて行った。
月に住む者はかつて“穢れ”を嫌い地上から移住してきた月人、そして玉兎という原住民族である。彼らを一括りにして月の民というが、その社会的地位の格差は激しい物であった。闇の世界で商品として取引される事も珍しくは無い。彼女らは“モノ”だった。
次々とステージに兎達が現れる。高価格で落とされる者、低価格、買い手が付かないで戻される者もいた。その間、女は賑やかしに徹して一度も競りに参加しなかった。従者は拳を固く握りしめ、ひたすら俯いていた。それを余所に、スーツ姿は進行を続ける。
「さて、熱い競りの最中ですが、残念ながら次の商品で本日最後となります」
会場内にブーイングが満ちる。
「ご安心ください、締めを飾るには相応しい珍品で御座いますよ‥‥。さ、どうぞ」
ステージ脇からおずおずと現れた兎を見て、驚きの声が上がる。何気なく顔を上げた従者も思わず言葉を発した。
「何て事‥‥! 雄!?」
玉兎の男女出生比率は1:9と、極端に雌が多い。昔は雌が多い程度が、被支配層になってから段々と差が開いた。雄は種族を存続させるため、一夫多妻で良い種馬で無くてはならなかった。幸い兎は多産で、数が減少する傾向は無い。それでも雄が貴重な存在である事には変わりなく、それは月人にとっても同様だった。
黒い髪に白い肌、大きいが何処か生気の薄い目。まだ少年と青年の間を彷徨っている様な容貌の雄兎だった。そして従者は、ある事に気付く。
(あの子‥‥耳が無い)
兎の特徴である頭部の耳が見当たらなかった。その事に会場内から不満の声が上がる。
やがて価格の声が上がり始めたが、低価格の擦り付け合いであった。真贋を疑っているのだ。
その疑惑を消し飛ばしてしまった者がいる。
「言い値!!」
フードを被ったまま、立ち上がって女が叫んでいた。スーツ姿も従者も、口をあんぐりとさせている。会場中の視線が集中する中、女はスーツ姿へと歩み寄り始めた。従者も慌てて後を追う。
「い、言い値とは?」
「貴方の提示した金額を払うわ」
「これはこれは、一体どうしたものでしょうか」
「歯切れが悪いわね? この取引、貴方が主導権を“渡された”のよ? チャンスを手にして尻込みする気?」
スーツ姿は少し考えてから、会場に宣言した。
「皆様、申し訳ありません! 私はこのご婦人の熱意に負けました。この雄兎、ご婦人が落札です!! 本日はここまでとさせて頂きます、皆様お気を付けてお帰り下さい」
様々な思惑に満ちた喧噪に包まれながら、客人達は席を立ち始めた。
スーツ姿は雄兎にステージから降りるよう指示を出し、自らは胸元から出した小型端末に数字を入力し、女に見せた。
「これほどで如何でしょう?」
「振込? 現ナマ?」
「敵いませんな。では、この口座へよろしくお願いします」
女の手の指輪が光り、宙に小型のホログラム・ディスプレイが生成された。女が指を何度か振っただけで、スーツ姿の小型端末は支払いを認証する。
「取引完了ですな。ではこの雄兎について説明を‥‥。耳は仕入れた時からありませんでした。更に記憶消去措置を受けた痕跡があり、昔の事は覚えていない様です。必要でもありませんがね。他には何か?」
女より早く、従者が答えた。
「彼の脚に付けた物騒な物を早く外しなさい!」
軽く舌打ちして、スーツ姿は小型端末を雄兎の足輪に当てた。外れて落ちた輪は、奴隷が逃亡した時に、その下半身を吹き飛ばしてなぶり殺しにする代物だった。
二人は雄兎を連れてスラムを出た。雄兎は拘束用の器具を何も着けていなかったが、逃げるそぶりも見せなかった。
女は行きの陽気さが嘘の様に静まり、懐から出した扇子を弄んでいた。やがて三人は月人が住む住宅街へと入り、その一角から発している牛車型移動システムに乗った。
牛車の中で、女と残り二匹は向かい合わせに座った。雄兎は物憂げに外を見ているだけで、言葉を一切発しない。
扇子がゆっくりと従者に向けられる。
「何故かしら?」
女の声は氷を薄皮で包んだ様な物に変化していた。
「貴方の甘月瓜よ? どうして食べないの?」
従者は身じろぎひとつせず、固い声で答える。
「あの方に捧げます」
「それは貴方の物なのよ? 貴方が口にすべきと、私が決めたのよ? 決めるのはわ・た・しなのよ?」
「口になさるべきはあの方です」
「すぐに口を開けて、舌で舐めながら食べるの。それとも、言う事聞かない子はお仕置きが欲しいの?」
扇子の先端が従者に近付く。従者は黙って瓜を取り出した。その手がブルブルと震えている。赤い舌が突き出され、果実の表皮を舐め始めた。
次の瞬間、雄兎がその瓜を素早く奪い取り、猛然と齧り付いた。女は無言で扇子を瓜の移動した方へと向ける。そのフードの奥に見えない筈の物が光った。
扇子から放たれた赤い光線は瓜を一片残らず消し去った。その先端は動かず雄兎を狙っている。従者が扇子と雄兎の間に身を割り込ませた。
「これ以上はお止め下さい! 咎は私が受けます!」
「ペットがペットをかばうなんて、画面の中のお芝居よりも安っぽいわね?」
しばらく沈黙が続いた。従者は雄兎をかばう姿勢を崩さず、女も動かない。雄兎の黒い目は、じっと女のフードの奥を見つめていた。
突然扇子の先端から破裂音がした。思わずびくりと身体を反射させた二人に、紙テープと紙吹雪が舞い落ちる。
女は何も言わず扇子を開いた。そこには花を咲かせた桃の木が描かれており、背もたれに身を預けた女が扇ぐと花びらが舞う。
雄兎の前から従者が身を戻し、それ以降は誰も口を開かなかった。
やがて牛車が三人を送り届けたのは、高級住宅街。その中でも宮殿と見紛う様な建物だった。
正面の門には腰に剣を携えた守衛が立っている。彼らが頭を下げる中、女が門の前で指輪を向けるとそれは自動的に開いた。
桃の木を始め様々な草木が並ぶ庭園を抜け、三人は母屋へと入る。と同時に、四人の顔も身長も体付きもそっくりな上に、メイド服までお揃いの兎達が一斉にお辞儀をした。
「お帰りなさいませ」
先頭の女はフードを降ろし、マントを脱いで兎の一人に投げ渡した。背中まで伸びたプラチナ色の髪が雄兎の視界に入る。女は白いブラウスの上から青いワンピースを重ね着して、腰に扇子を収めたベルトを巻いていた。背丈はそこの誰より頭一つ高い。
従者もマントを外し、二人目の兎に渡す。薄水色の髪から、玉兎でも珍しい垂れ耳が見えていた。着用しているのは紺色のブレザーに白いミニスカート。かつて月の使者と言われた軍隊の制服だった。
雄兎は二人の後ろ姿を何もせず眺めていた。ぼさぼさの黒髪、擦り切れた靴、薄茶色でボロ切れ同然の上下、生気の無い瞳、無表情な顔。そんな彼の足は、家の敷居をまたごうとしなかった。四人のメイドが彼を見つめてひそひそと噂話を始めた時、女が思いっきり伸びをした。肩を叩きながら身を翻す。
「あーもう、マント程度でも結構クルものね、お箸でも重い年頃だから」
月人は基本、肌は白く顔に著しい美醜の差が無い。美容整形の技術も発達しているため幾らでも望みどおりの容姿を手に入れられる。
だが、軽口を叩きながらもプラチナ色の髪をかき上げるその仕草は、一流の芸術家がどれ程研鑚を積もうとも決して再現は出来ない物だった。垂れ気味の細い目は微かに青みがかり、ピンク色の唇が言葉を押し出す度に生き生きと動く。そして青いワンピースを下からこれでもかと押し上げている二つの山は、雄兎が一瞬息を止めるのに十分な圧力を持っていた。
女は立ち尽くしている雄兎に気付いた。
「あら、君はそこで何をやっているの?」
何か答えようとした相手を無視して、女は手を叩く。
「そうだわ、取りあえずお風呂とご飯にしましょう! みんな早く準備して」
四人のメイドは弾かれた様にそれぞれ違う方向へ走り出した。
「レイセン、彼をお風呂場へ案内してあげて」
「私が、ですか?」
「私もしてあげたいけど、まだ刺激が強すぎるんじゃなくて?」
「お戯れが過ぎます‥‥。承知いたしました」
ブレザー姿の兎は振り返った。やや警戒の色を滲ませた顔は、月人程でなくても器量良しと言えた。ただし、美しいのではなく、小動物的な可愛らしさである。瞳の色は黒かった。
レイセンに連れられ、雄兎は館内を歩いていた。彼女は案内相手に一言も話しかけず、雄兎も何も語らない。沈黙が支配する長い廊下を抜け、大きく墨書で“大浴場”と書かれる樹の看板が見下ろす部屋に辿り着いた。
レイセンが口を開いた。
「入って」
雄兎が扉へ近づくと、自動的に横へスライドする。
「待って。靴を」
素直にボロボロの靴を渡され、レイセンは再度中へ入る様促す。雄兎は広い脱衣所で周囲を見渡した。レイセンが入口の段差で靴を脱いでいる間、顔をしかめつつ不思議な匂いに圧倒されていた。
「何してるの?」
雄兎は、彼女と出会ってから初めて喋った。
「変な、匂いだ」
「何言ってるの? あんたの方がずっと臭いわよ」
雄兎はのろのろと自分の身体を嗅いた。自分の体臭はなかなか分かり辛いものである。
「普通はそこの衣類籠を使って貰うんだけど、貴方はダメ」
多くの籠を指差すレイセンを、雄兎は怪訝な顔で見つめる。玉兎は少し苛立った顔をした。
「この館の一員となった者が、そんな服をいつまでも着ているつもり?」
「替えが無い」
「余計な心配はいいの。早く脱ぎなさい」
雄兎は一枚だけの上着を脱ぎ、上半身を晒した。鞭や刃物の切り傷の痕が残る細い身体だった。レイセンは顔色一つ変えず服を受け取る。
「服も強烈ね。雄の匂いって慣れそうにないわ」
浴場へ向かおうとした雄兎の肩を素早く掴む。
「下も脱ぎなさい」
微かに雄兎の瞳が、戸惑いの感情を宿した。
「ぬ・ぐ・の・よ」
相手が真剣に言っている事を察知して、雄兎は少し躊躇したが後ろを向いて下を降ろした。この間、二人は無表情のままだった。
レイセンがゴミ箱に受け取った物を放り込んでいる間、雄兎は浴場へと入っていった。
雄兎が呟いた。
「広い」
二十人が入ったとしても余裕がありそうな浴槽に、洗い場だけでなくシャワー室も備えられている。お湯からは桃をベースにしたフレグランスが漂う。
「臭くないか? ここ」
彼が洗い場の蛇口を捻ろうとすると、お湯が突然噴き出た。恐る恐る手を湯にかざしてみると、不快に感じない温度である。
「鏡のセンサーが対象の体調から適切な温度を割り出すのよ」
「なるほど」
何気無い会話の後、白いタオルが雄兎の肩に乗せられた。
「ありがとう」
「まずシャワーで全身を流してきて」
雄兎が僅かな時間考え込み、今自分が誰と話しているのかと不審がった。彼が右を見ると薄水色の髪の毛と垂れた耳、黒い瞳が見つめていた。
「シャワーも同じシステムがついてるから‥‥どうしたの?」
湯気混じりに見えるレイセンの肌は白い。タオルを無造作に手にぶら下げているため、その全身像は雄兎からよく見えた。
鎖骨の下に広がる乳房は、小ぶりだが上向きの整った形をしていた。全体的に肉付きが薄い体付きで、三角地帯には頭髪と同じ薄水色の叢が見える。
「記憶消去を受けると、デリカシーも忘れるの?」
レイセンは皮肉を口にしたが、顔は怒っていない。笑ってもいないが。
雄兎は慌てて立ち上がり、シャワー室へ向かった。
身体を洗い終わった二人は、静かに浴槽へ身体を沈めた。
心地良い湯と香りに酔いながら、雄兎は深く息を吐いた。
「風呂、か」
その呟きを聞いたレイセンは立ち上がり、雄兎の横に座った。
「記憶を消されたっていうけど、どの位覚えていないの?」
「何を消されたのか分からない程」
「会話が出来ればあまり問題無いわ。後は痛い思いして覚えればいい。自転車と一緒」
「痛いのは嫌だな」
「私達はペットなのよ。人間じゃないの」
何処か諦観めいた台詞を吐き、レイセンは雄兎の肩にもたれかかる。
「何のつもり?」
「月人のオトコならしゅっちゅう見るけど、兎のオスは初めてだから」
「デリカシーの無い奴は嫌いなんじゃないか?」
「そうね」
レイセンの手が水中を動き、何かを掴んだ。
「気の抜けた顔をして、ここは一丁前かしら」
「恥ずかしい」
「昼間みたいにいきなり行動に移さない所は評価するわ。何であんな事をしたの?」
「これ、尋問?」
「動かさないと感じないでしょ? 後私、握力結構あるの」
雄兎は少し顔をしかめた。
「腹、減ってた」
「それだけ?」
「前日から飲まず食わず」
「それならいいの。騎士道精神なんてふりかざしたら、この手はもう少し下に移動したわ」
レイセンが手を放し、浴槽から上がった。雄兎が首を捻ってその背中を見ると、幾つかの薄い物に混じって大きな傷跡が走っていた。
彼は立ち上がり、背後から抱き付こうとし、そのまま手を取られて一本背負いで投げられた。どう手加減されたものか、その身体はタイルに叩きつけられていない。
「お尻にでも反応した?」
「何故か身体が動いた」
レイセンが手を放すと、雄兎は水しぶきを上げて落ちた。無表情なまま玉兎は、風呂の中から元気だったオスの象徴を指で弾く。
「教訓、女性はいきなり襲わない。戦いを除いて、ね」
ぶるんぶるんと揺れながらも硬さを失わない陰茎に指を這わせる。
「牛車の中でも死にかけたでしょ? 脊髄反射で動いてると、本当に死ぬわよ」
「実感が、無い」
「そう。じゃあ感じる様にしてあげる」
素早くレイセンは雄兎の顔を跨いだ。薄水色の陰毛に包まれた陰唇が青年を見下ろす。
「親密になるには早くないか?」
「心を預けたつもりはないわ」
陰茎を指が弄ぶ。人差し指が亀頭周辺をなぞり、親指は亀頭そのものをこねくり回す。他の指は触れるか触れないか微妙な感じで竿を触る。もう片方の手は陰嚢を弄び、感触を楽しむかの様に愛撫する。
雄兎は頭上の割れ目をじっと眺めていた。そこから時々水滴が顔に落ちてくる。下半身へ与えられる刺激に耐えるだけで必死だった。
「無理して何かしなくてもいいわよ? でも」
突然、薄水色が落下してきた。慌てて雄兎は顔の前でそれを受け止める。
「私のお尻は結構重いわ、きちんと支えててね」
身体が柔らかいのか、レイセンは器用に股を割っていた。接近する陰唇を前に、水滴と汗を滲ませる雄兎。抵抗虚しく、彼の顔はすっぽりと股間に覆われた。パニックになった青年は顔をやたらめったら動かす。
「くすぐったいわね」
レイセンのいじる陰茎は、そそり立ったままカウパー液を滲みださせていた。彼女は股を上げて、雄兎の上から身をどける。
「もう、サービスが下手なのね?」
顔を塞がれていた雄兎は息を荒くしながら、恨めしそうにレイセンを見る。
「これから濡らすから、見ていなさい」
レイセンは前に雄兎に向き直り、片手で上半身を支えながら、股を大きく開いた。陰唇に指を這わせ、マッサージする様に動かし始める。瞼が閉じられ、何かに思いを馳せながら指を動かし始める。
「貴方は出さない様に維持しててね?」
「難しい」
「教訓、飼い主と先輩の言う事は聞く事」
指がクレバスに入り、膣中をかき回し始めた。雄兎は自分の陰茎を適度に擦りつつ、眼前の光景を見学する難題に挑む事になった。
「何故目を閉じるんだ?」
「私達、雄と違って気持ちが大切なの」
「眼前にいるよ」
「いるわね?」
「‥‥ひょっとして僕は嫌われてる?」
「余計な事考えないの。保っておく事に集中」
レイセンの指が動き続け、豆を探り当てた。唇が微かに開き、小さく呻く。風呂の水とは別の液体の音が、陰唇から聞こえ出した。
雄兎が勃起をひどく辛く感じ始めた頃。レイセンの指が陰唇から抜かれた。彼女は目を開き、糸を引く粘液塗れの人差し指と中指をじっと見つめる。そのまま、彼女は身体を翻し四つん這いになった。雄兎に尻尾の付いた尻を向けて。
「こういう時、ナニをするかは覚えている?」
青年は何も答えず、白い尻に近付いた。そして、迷う事無く間違えず、レイセンの陰唇に陰茎を当て、挿入した。
「うっ」
微かにレイセンが声を上げた。雄兎は無表情に、だが確実に己を相手の中に埋没させる。
腰を激しく動かし始めた。かつて自分が体験したかも知れない性的な快楽が、どんなものであったか雄兎は覚えていない。しかし雌の兎が導いた扉を前にして、その本能は蘇っていた。今の彼はただ腰を尻に叩きつける獣だった。レイセンは声を出さなかったが、親指を噛んでいた。目を閉じ、快楽の波に溺れまいとしていた。だがまぐわう相手の必死さが、激しい出し入れから伝わってくる。
(これが、これが、オスなのね)
レイセンは親指を口から放し、自分も雄兎と快楽を共にせんと気持ちを高揚させ始めた。相手に兎耳が無く念話が出来なくとも、身体の繋がりから心を同調させる事が出来る。
レイセンが腰を使い、微かだが喘ぎ声を上げ始めた事で雄兎は更に腰を動かした。がむしゃらに、ひたすらに。やがて、相手が背中を震わせたのを見て、自分も精を解き放った。
雄兎は身体を洗いながら、隣のレイセンを不安そうにチラチラと見た。彼女は相手に向き直らず、ため息をつく。
「世話の焼けるヤツね」
「中出し‥‥」
「浴槽で話しましょう」
泡を全て洗い流し、言われた通りに湯に浸かる青年。レイセンは目を閉じながら告げた。
「私、子供作れない身体だから」
雄兎は何も言えなかった。
「もう、折角気分が乗ってたのに」
「何がしたいんだ」
「貴方はオス。だからよ」
「男ならいる」
「月人? そうね、あれは男。でも同族のオスじゃない」
「価値があると?」
「ご主人様には、あったのでしょうね」
レイセンが初めて微笑した。
「私にもだけど」
風呂から出た二人はタオルとドライヤーを使った。壁の衣類籠にはレイセンのブレザーに並んで、もう一着真新しい服が納められていた。
スポーツブラとショーツを着けたレイセンが、それを雄兎の前に掲げて見せる。
「これは貴方の制服。これからは毎日これを着て過ごすのよ」
「スカートなのか?」
「そっちが好みなら変更するけど。地上の勇者ハイランダーは下に何もはかないそうね」
「役割を譲る」
「寒いからやめとくわ」
真新しいブレザーと灰色のスラックスを纏い、不器用にネクタイを締めた雄兎は、レイセンと並んで食堂へ向かった。
途中誰もすれ違う事無く、“食事処”と書かれた札の部屋に二人は着いた。
レイセンが扉の取っ手に手をかけ、雄兎を見る。
「これからお会いする方々は、私達の飼い主。貴方は許可が出るまで喋っては駄目よ」
「エサ?」
「‥‥何?」
「あの店では、そうだった」
「しょ・く・じよ。夕食」
「‥‥ああ、食事‥‥」
「教訓。貴方はもう奴隷じゃない。自覚しなさい」
レイセンは扉を手前に開け、雄兎を先に入らせた。
部屋の中央には、五、六人が囲めそうな大きさの長方形の食卓が置かれていた。白いテーブルクロスの上には桃の入った籠が乗せられており、それを見た雄兎は唾を飲み込んだ。
「遅い! お風呂に時間をどれだけかけているのですか!」
黒い瞳が、怒りを込めて兎達を見つめていた。アメジストとまではいかないが神秘的な紫の髪を後頭部の黄色いリボンでまとめ、ブラウスの上から紫色のワンピースを重ね着している。豊姫とは雰囲気が異なり、鋭さと力強さが滲み出ている女性が立っていた。
その姿に半ば口を開けて見惚れていた雄兎の横で、レイセンが踵を鳴らす。
「申し訳ありません。新しいペットに屋敷の決まり事を教えておりました」
「それは貴方の仕事ではありません。余計な行動は慎みなさい」
「はっ‥‥」
無表情に謝罪するレイセンと対照的に、雄兎は紫髪の女性をただ見つめている。その視線に気付いた女性は、目付きを更に鋭くした。
「貴方は男なのですか?」
「‥‥は?」
「腑抜けた眼差しを女子へ向けるとは、益荒男の器にあらず! この食卓を囲む事は許しません」
相手の剣幕に雄兎は困惑し、レイセンを見るが視線を合わせて貰えなかった。そこへ静かな声が割って入る。
「依姫、その位にしておあげなさい」
「お姉様!」
「彼の事は話した筈よ。貴方なら、他にやり方があるのではなくて?」
「‥‥分かりました。ならば」
依姫と呼ばれた女性は、雄兎を改めて見据える。
「私の隣に座りなさい。椅子を!」
兎達のためなのか並んで置かれていた椅子を、メイドが依姫の隣に運ぶ。角を挟んでその右奥に座るプラチナの髪の女性は、軽くため息をついた。
雄兎がのろのろと向かう前に、レイセンはさっさと自分の席に座る。メイド達が盆に食事を乗せて運んできた。ツキイワシの焼き魚、糸蒟蒻と人参の白和え、薬草入り白味噌の汁、麦混ぜ御飯、沢庵が並べられる。
「それでは、いただ‥‥」
プラチナ髪の女性が音頭を取り、皆手を合わせようとした。一人を除いて。その人物はイワシを頭から齧り、骨も尻尾も素早く飲み込んだ。白和えに沢庵を乗せ掻き込み、飯を汁に放り込んだ上、手早く啜った。
満足そうに一息ついた雄兎の頭に、依姫の容赦無い拳骨が落ちた。
「貴方は何をやっているのです!? 食事前、食べ方、不作法にも程があります!」
満足さの中に、少し寂しそうな色を混ぜた表情が応じた。
「急ぐ」
「まだ何か言うのですか!」
「取り上げられる」
依姫の瞳から、静かに怒りが消えた。
「貴方の食事を奪う者はここにいませんよ」
「無くなれば取り上げられない」
「守る術は幾らでもあります。私がそれを授けましょう。しかし!」
再び顔に厳しさが戻る。
「今の不作法を見逃すわけにはいきません。‥‥えっと」
口ごもる依姫に、プラチナ髪の女性が声をかけた。青みがかった瞳が光る。
「ロウタ」
「お姉様?」
「彼の名前よ。私はそう呼びたいのだけど、皆はどう?」
誰も異論を挟まなかった。名前を与えられた当人も。
「それではロウタ? 彼女の指示に従いなさい」
雄兎改めロウタは、瞬きしながら頷く。依姫は彼に向き直った。
「一つ、まず手を合わせて“ごちそうさまでした”と言いなさい。それと食事後、メイド達の皿洗いを手伝う事!」
おずおずとしながらロウタは掌を合わせ、ぎこちなく挨拶を呟いた。
四つ子メイド達の素早い動きに入れず、殆ど手伝いを出来なかったロウタ。炊事場から外へ出ると、レイセンが立っていた。
「おめでとう、ロウタ君」
「慣れない」
「じゃあ慣れなさい。今から個室へ案内するわ」
先輩の後に着いて行きながら、ロウタはずっと同じ事を考えていた。
(名前はロウタ、名前はロウタ、名前は‥‥)
レイセンが立ち止った時にその背中にぶつかってしまう。
「済まない」
雌の方は全く揺らがず、雄の方が還ってよろめいた。一切関心を払わずレイセンは扉の横のロックを解除した。
「今後インターホンを鳴らせるだけで鍵はかけられないわ。部屋での行動に注意してね」
「いんたー、ほん」
「音がしたら誰か入ってくるのよ、貴方の意思関係無しに」
身も蓋もない返答を受け、ロウタは納得した振りをする。二人が入った部屋の内装は簡素で、書き物机と証明スタンド・椅子のセット、クローゼットとベットが置かれている。
窓の外では、蒼く大きな星が過剰に存在を主張していた。
「あれは何?」
「‥‥あら、何であの穢れ星が。今変えるわね」
レイセンは小型端末を取り出そうとした。
「いや、このままにしてくれ‥‥変わるのか?」
「窓は多機能ディ‥‥色々な風景に変えられるの」
「あの星は綺麗だ」
複雑な表情をレイセンは見せたが、ロウタは窓に映された偽りの星に釘づけになっている。その肩に手を置き、注意を戻させる。
「今から教える事はしっかり覚えて。私達の主は綿月姉妹。貴方に“名前を与えた”のは姉の豊姫様。妹は依姫様。お二人には常に敬意を払いなさい」
雄兎はゆっくりと頷いた。
「後、明日から貴方は軍隊“月の使者”で訓練を受けるわ。基本的に私が面倒を見るけど教官は別の兎が務めるから」
「依姫様は?」
「それは後のお楽しみ‥‥。今日はもう早く寝なさい」
レイセンが去ろうとした時、その背中にロウタが声をかける。
「待って」
「? 添い寝でもして欲しい?」
「君の事を教えて」
「呼び名はレイセン。正式な名前でもいいわ。後‥‥背丈が私達、同じね。今はそれだけ」
それ以上の会話は許さず、兎はドアへと歩み出した。自動的に扉がスライドする前で、彼女は振り返る。
「教訓、私は月甘瓜が嫌い。プレゼントにはしない事」
「好きな物が分からない」
「おやすみ、そして綿月家へようこそ‥‥ロウタ」
翌朝。
ベッドから落下してたところをメイドに起こされ、運ばれていた手桶で顔を洗い、ロウタは急ぎ着替えた。
朝食の席では依姫に色々と小言を言われつつ、寝癖、箸の持ち方、食べる順番、よく噛む事までしっかりと教え込まれた。唯一、食前後の挨拶だけはきちんとした。
食後、部屋にメイドが重そうなブーツを運んできた。履き替えた後、屋敷の入り口でレイセンが待っているという。
やけに大きくなった足音に困惑しながら、ロウタは入口へ急ごうとして、二階迷った。
何とか息を切らして入口へ辿り着き、レイセンの素早く鋭いデコピンを喰らった。
「教訓、遅刻は制裁の対象」
「ここは広すぎる」
「教訓、言い訳しない。私よりもっと‥‥」
そこへ帽子をかぶり、正装した豊姫が通りかかった。
「あらロウタ。まだ出かけていなかったの?」
「えと、申し訳ありません」
「いいわ、私も貴方に用事が出来たから。政庁へお供なさい」
豊姫の指輪が光り、宙に投影された画面を操作する。
「訓練班には連絡したわ。レイセンは一人でお行きなさい」
兎は微かに目を細くしたが、了解の意を示した。
中央政庁。月の都で最も荘厳な建物。その最も高い部屋には、都の創生者であるツクヨミが住むという。
豊姫はロウタを伴い、幾つもの箱や動く床に乗りながら移動していた。時々指輪を操作して、生み出した端末を操作したり、すれ違った何者かと会釈する以外、目立った行動を見せない。ロウタはあちこちを見て回りたい衝動に駆られたが、朝から数えて三度目の迷子になるのは嫌だった。
やがて、噴水を中心に据え、木々や花のプランターが彩り豊かに置かれた広場に辿り着いた。豊姫はロウタを振り返る。
「どう? ここの植物は」
「落ち着きます。香りもいい」
「私の先生がこういう場所も必要だって作らせたの。この政庁に同じ物が後七つはあるわ」
二人が語り合っている間、大柄な人影が三人の男を引き連れ広場へ入ってきた。広場にいた他の人々や兎が密かに逃げ出す。
「おや? 花では無く雌狐の臭いがすると思ったら、綿月の姉の方か」
派手な色が踊る服は異様だった。豊姫は眉を顰めながら、必要以上に丁寧な会釈をする。
「あら八俣議員、花々から獣の臭いを嗅ぎ取れるなんて、さすが同族ですわね」
八俣は豊姫に近付いた。頭一つは大きく、堂々とした体格の男である。爬虫類を思わせる目をしていた。
「兎始め、下賤の輩に肩入れするお前ら姉妹の台詞では無いぞ。その上、罪人の捕縛の遅延、妖怪共にまんまとしてやられた件、それを口実にした軍の私物化。叩けば穢れが舞う身だ!!」
豊姫は答えず、薄目で静かに笑っていた。八俣はその態度に奇怪な声を発し、更に近付こうとする。
そこへロウタが、豊姫を庇う様に割って入った。突然の乱入者に、大男の議員は顔をしかめる。
「何だ? 貴様」
「主人に、近付くな」
次の瞬間、左フックをまともに受けたロウタは横に吹っ飛んだ。かろうじて意識を保った彼は、ゆっくりと起き上がろうとする。そこへ意外な人物が、思わぬ声色で声をかけた。
「私は何も“命じて”いないわよ? 自分の責任は取りなさい」
豊姫は手をひらひらさせながら行ってしまった。八俣は冷笑する。
「さすがは裏切り者の教え子よ‥‥偽善を隠そうともぜぬか」
顔を腫らしながら立ったロウタの腹に、強烈なボディを叩き込む。くの字に曲がった彼の身体を強引に掴み、噴水の中に投げ入れる。
「耳が無いから地上の猿でも飼っておるのかと思えば、兎だ。手が汚れるわ」
目が虚ろになったロウタの襟首を掴み、立たせようとする。背後から声が聞こえた。
「さすがにやり過ぎなんじゃないですかい?」
「なぁに、正当防衛だ。お前らもやるか?」
「謹んでお断りします」
突然取り巻きの声と口調が変わり、八俣は驚いて振り返った。口元に小型端末を当てたレイセンと、依姫が立っていた。三人の男達は丁寧に重ねられ、静かにしている。
「き、貴様ら」
「正当防衛とおっしゃいましたね?」
「兎に何をしようとどうという事は無いっ!!」
依姫は淡々と告げた。
「ではこちらも正当防衛を」
慌ててロウタを放し、八俣は向き直る。彼は依姫が仕掛けてくると思った。しかし、相手はただ指を鳴らしただけだった。次の瞬間、ダッシュしたレイセンがジャンプし、八俣にコヤス・キックを叩き込んだ。派手にそして無様にダウンした議員へ、依姫は冷たく言い放つ。
「兎が仲間を守るための正当防衛です。ご抗議があるなら後ほど」
レイセンは噴水の中に沈みかけてたロウタを引きずり出すと、脈を診た。
「生きてます」
「お姉様の供をさせるのは早すぎたわね。医務室へ運ぶわよ」
ロウタが目を開けた時、真っ先に見つけたのは白い天井だった。
「麺月様を怒らせるのが得意なの?」
レイセンがベッド脇の椅子に座っていた。
「やるべき事だと思った」
「豊姫様は兎に寛大よ。でも、区別ははっきりつける人。出しゃばるとどうなるか、覚えてない?」
瓜を消し去った扇子の事をロウタは思い出した。
「価値があると思われていても、必ず生かして貰えるものじゃない」
「教訓?」
「いいえ、人生訓よ」
ロウタは何となく、自分の頬に手を当てた。痛みは無い。
「歯が何本か折れた筈だ」
「顔面が潰れても手足を斬り飛ばされても、月の医療施設なら数分で修復するわ」
「制服は?」
「びしょびしょだから乾かしたわ。貴方の命を救ったこれを抜いてね」
レイセンは小型端末を取り出して見せた。
「朝、渡す暇が無かったからポケットへとっさに放り込んだの」
「ピンチがよく分かったね」
「依姫様に連絡があったわ。‥‥豊姫様から」
「不思議な人だ」
「理解しようとしないで」
ブレザーではなく寝間着を着せられていたロウタの上に、レイセンが上体を預けた。
「感じればいいの」
声に艶が混じり、薄手のズボンの上から股間を撫で始める。
「何をしている?」
「治ったかどうか、触診しているの」
すぐに陰茎ははっきりと分かる程テントを張った。ズボンを手早く脱がし、露わになったモノを優しく手で包んだ。
「弄ぶのか?」
自嘲めいた笑いをレイセンは漏らした。
「蔑んでもいいわよ。さもしい先輩だとね?」
そう言うと、彼女は亀頭を唇で甘噛みした。そのまま、陰茎全体を唇でマッサージする様に刺激していく。ロウタからは見えなかったが、レイセンは自らのスカートと下着をこじ開け、指を突っ込んでいた。
「でも、ちょっとカッコいいとこ、あるのね」
呟き声にロウタが反応する前に、陰茎に軽く歯が立てられた。
結局二人は屋敷に戻った(体臭を気付かれない様、不自然な速足で)。依姫からの連絡で、月の使者への入隊が延期になったためである。本を読んだり、ゲームをしたりして過ごしているとあっという間に日が暮れ、夕食時になった。帰宅した依姫は、豊姫がしばらく政庁から戻らないと告げた。
夜中、ベッド上でロウタは目を覚ました。昼間の色々な事が、夢となってのしかかってきた。
(刺激的だ)
喉と心の渇きを覚え、彼は厨房の冷蔵庫に何かないかと立ち上がった。その時、机の上の小型端末が鳴る。
「もしもし?」
「ロウタ、ちょっと手伝って貰いたい事があるの。依姫様の部屋へ来て」
「水はある?」
「‥‥あるわよ」
ロウタは通話を切ると、怪訝な顔をしながら着替え始めた。
小型端末が依姫の部屋の位置を示してくれたため、迷う事無く彼はその扉の前に立つ事が出来た。自動で開かないのは、綿月姉妹の部屋のみロックが許されているためである。インターホンを押すが、返答が無い。首を傾げつつ、もう一度ホンを押そうとした時。
「‥‥誰です?」
不機嫌そうな依姫の声がスピーカーから聞こえた。
「ロウタです。お呼びと聞きました」
「な、誰も呼んだ覚えはありませんよっ!?」
ひどく動揺した依姫の声と共に、ドアが開いた。その向こう側に、だぶついたカーキ色の上着、灰色のズボン、ブーツに鉄兜というレイセンが立っていた。
「似合わないね」
「教訓、女のファッションの感想を口に出さない。とにかく入って」
奥から上ずった声が響いた。
「駄目よ! 見てはいけません!!」
躊躇したロウタをレイセンの手が掴み、無理矢理部屋の中に引きずり込んだ。依姫の部屋は多機能端末を備えた机、壁に掛けられた武器類、大きめのクローゼットが二つある位で、大した装飾も無かった。異彩を放っていたのは、部屋の中央にブラウス一枚で女性が縛られ転がっている事だけである。それもただの縛り方ではなく、亀の甲羅を思い起こさせる紋様を描いてた。
「嫌! どうして貴方がここにいるの!? 婦女子のあられもない姿を見るとは、恥を知りなさい!!」
陸に打ち上げられた魚みたいに跳ねながら、依姫が顔を真っ赤にして喚く。
主を直視出来ず、ロウタはレイセンに視線を向けた。軍服姿の兎は肩をすくめる。
「設定だと、私は依姫様を捕まえた悪い奴」
「何を言っているのか分からない」
「つまりね、依姫様がより興奮出来る様に‥‥」
レイセンは素早く、足元への依姫の頭突きを避けた。紫髪の闘姫は、手足も後ろで縛られ一まとめにされていたにも関わらず、器用にジャンプして襲いかかったのである。
「それ以上話したら折檻しますよ! お尻を叩きますからね!!」
「仰っているけど、実はご自分のお尻を叩いて欲しいの」
「もう許しません! 懲罰訓練をフルコースです!」
「今台本を共有するわ。端末出して」
顔を引きつらせながら、ロウタが端末を出す。そこに情報が流れ込んできた。
「“ぐへへ、月の都のお姫様を捕まえるとは俺もツイてるぜ”‥‥何だこれ」
「地上の悪人の喋り方だそうよ。言葉だけでも穢れてそうね」
「何をさせたいんだ?」
「最近、マンネリ気味なの。依姫様は注文がキツいし、私も疲れるのよ」
足元では、依姫が恐るべき力で縄を引きちぎっていた。怒髪天を突く表情で立ち上がる。
「レイセンっ!!! 貴方は終わりです‥‥。辞世の句を詠む時間はあげましょう」
「ロウタが代わりに“読んで”くれるそうです」
突然の振りに慌てたロウタは、端末に流れた台詞を彼なりに心を込めて読んだ。
「な、何勝手な事、してやがんだ、この、アーマー!」
依姫の目が丸くなった。気を削がれた体でロウタを見つめている。
「さっさと、床にぃ、よ、四つん這いになっ」
舌を少し噛んで顔をしかめる雄兎。だが、依姫は静かに指示に従う。膝を突き、手を前に置いて、上目遣いで見上げる。その眼は怒りの色を捨て、期待の光で満たされていた。
「これから、て、てめぇに、たっぷりとシ‥‥シコんでやる!」
依姫は身体を震わせながら、頭を低くした。レイセンがすかさずロウタを引っ張り、突き出されているお尻の位置に移動する。そして乗馬用の鞭を渡した。
「上手く狙ってね」
「これは夢だな? そうだ。おかしな夢を見ている」
鉄兜で頭をはたかれ、ロウタは現実逃避から引き戻された。
「教訓。主の声に耳を傾けよ」
二人が耳を澄ますと、ぶつぶつと呟きが聞こえてきた。
「この‥‥私が、兎に、それも男‥‥ああ、何て屈辱‥‥」
後ろを覗き込むと柔らかそうな尻を包む白い下着は、愛液でひどく濡れていた。ロウタはため息をつき、鞭を握りしめた。狙いを定めて、尻を鞭で打つ。
「アア‘ッ」
依姫が嬌声を上げる。鞭が振るわれる度、その尻は妖しく揺らいだ。七発程叩かれた後、すすり泣きを始める。
「お願い‥‥。もう、我慢出来ない」
その言葉に応えて、レイセンが主の下着を降ろした。鞭の跡が生々しい尻が露わになる。兎はロウタの手を掴んだ。
「さあ、挿れて」
「指でいいのか?」
「当り前じゃないの」
雄兎の指が愛液を流し続けるクレバスへ向かおうとするのを、兎の手が上へ軌道修正させる。
「狙えって言ったでしょ」
「それも感じとればいいのか?」
「教訓、さっさとやる」
いささか強引に、菊門へ指が突っ込まれた。依姫は一瞬身体を跳ね上げたが、必死に耐えている。ロウタは静かに指で中をかき回しつつ、二本目も挿入した。
アナルへの執拗な愛撫に歯を食いしばっていた依姫だが、二本同時の責めには耐えきれなかった。絶頂の叫びと共に、身体から力が抜ける。
「ご苦労様。これで指を綺麗にして」
レイセンが消毒液を含んだ脱脂綿を渡す。ロウタは何とも言えない表情で、荒い息をしたまま床に伸びる主を見つめていた。
数分後。正座するロウタの前で、寝間着に着替える依姫の姿があった。レイセンは命ぜられ退出している。
依姫は汚れた下着やブラウスを脱ぎ捨て、その肉体を少しの間晒した。ロウタがそれを見つめていても、注意は無かった。
細く強靭な筋肉の上に、薄く脂肪が残された滑らかなライン。足先から臀部、紫の髪が覆う背中。鋭さと柔和さが絶妙なバランスで保たれた身体だった。肉体の持ち主は、あちこちに繕い跡のある寝間着を纏い、帯を締める。
「ロウタ、立ちなさい」
主の命に従い、雄兎は慣れない正座からのそのそと立ち上がる。振り返った依姫は、彼より少し背が高い。
「先刻は痴態を見せました。軽蔑しましたか?」
勇ましい色が似あう顔が沈んでいた。
「“穢れ”を否定してこの月に住む者なのに、私は事もあろうに‥‥」
「上手く言えませんが、依姫様は石じゃないですよね?」
青みがかった瞳が、ロウタの黒い眼を静かに見つめた。
「あまり、月の仕組みには詳しくないんです。でも、生きてるって、結局何処か汚れるもんじゃ‥‥」
ロウタは言葉を切った。長く喋るのは苦手である。それに、物事を自分よりよく知っている筈の相手に説教している気分だった。しかし、依姫の口元が綻んだ。
「穢れの問題はそれほど簡単なものではありません。でも、私は貴方への暴言を恥じねばなりませんね。岩にも変われましょうが、本質はなかなか動かせないのですから」
綺麗に爪を切った飾り気のない手が、優しく雄兎の顔を撫でた。
「ロウタ、ちょっぴり恥ずかしい縁だけど仲良くしてね?」
微笑みがいつも優しい意味を含んでいるとは限らない。だがロウタは、顔に血が上り不可思議な気持ちが芽生えてくるのを感じた。
翌朝。眠そうな目のロウタとレイセンは、月の都外部に設営された軍本部に出頭した。書類の山に囲まれた司令官に挨拶を済ませ、続いて訓練隊の隊長のオフィスへと向かう。
「“この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ”なんてね」
悪戯っぽく警告するレイセンに、雄兎は緊張した。二人は時間を確認し、ドアをノックする。
「レイセン上級兵、ロウタ二等兵、入ります」
豪放な大声が返ってきた。
「入れ!」
部屋の中に居た兎は、端末を叩く手を休めて二人を睨んだ。左目は黒いアイパッチで塞がれ、顔を斜めに傷跡が走っていた。デスクの前で敬礼する二人に答礼し、休めを愛じる。
端末を叩き、二人を交互に見定めた。
「自分はカタ先任軍曹だ。訓練部隊でお前達をぶっ叩いてシゴく。ロウタ二等兵。雄の兎は殆ど会った事もないが、特別扱いはしないぞ。貴様を叩き直してやるから覚悟しておけ」
「はい‥‥」
「宿舎へ行き、仲間に挨拶をしておけ。レイセン上等兵は残れ」
青ざめた顔でロウタが去ると、カタは立ち上がった。黒いタンクトップに包まれた上半身は、兎より肉食獣を思わせる。
「レイセン、伍長への推薦を蹴ってまで何故訓練部隊へ舞い戻った?」
「私の口からは何も申せません」
「依姫様にも考えがあるのだろうが、優れた兵士にお守りをさせるのは関心せんな。それとも私のオッパイが恋しくなったか」
「鉄と砂の味より、普通の味のミルクが好きです」
凄みのある笑いをカタは浮かべる。
「あいつはもう“鍛えた”のか?」
レイセンは無表情のままだった。
「いいえ。鍛練にもなってないでしょうね」
「いいさ。自分はお前らをシゴくだけだからな。せいぜい昔を思い出せ。行ってよし!」
それからの数日、ロウタは俗に言うブートキャンプに入った。しかし、ブレザーにミニスカート姿の兎達がきゃあきゃあ言いながら訓練する光景は、誰が見ても“様になっていない”ものだった。雄兎という事でロウタは物珍しがられ、中には露骨に舌なめずりして近付いたり、毛嫌いする者もいた。当人はそれらの雑音を無視して、訓練に励んでいたが。
こっそりレイセンが守っていた事もある。
カタ先任軍曹は時々ロウタを厳しく扱ったが、彼は奴隷商人の所にいた頃もう少しキツい目に遭っていたため、あまり効果は無かった。ロウタにしてみれば、依姫に対する自分では理解出来ない思いに突き動かされているだけだった。
ある訓練の日。訓練部隊は全員武器を支給された。そして、行軍の後広い野原に整列させられる。
ロウタの武器は、地上でAK47と呼ばれている物をコピーした自動小銃であった。隣に立つレイセンの得物には、グレネードランチャーが付いている。
「何が始まるんだ?」
「第三回撃滅訓練よ」
周囲には正規の歩兵部隊まで集結していた。更に後方から重々しい走行音まで聞こえる。
「あれは‥‥戦車!?」
訓練課程で覚え込んだ鉄の塊を目にして、ロウタはまた厄介事に巻き込まれたと理解した。眼前には丁寧に塹壕まで掘ってある。
「敵がいないが‥‥」
「これから“来る”わ」
ロウタが首を傾げた時。突然空から黒い球体が遥か前方に落下してきた。球体が割れ飛び、中から巨大な何かが現れた。
「歩兵は塹壕に入れー!」
命令が飛び、呆然としているロウタはレイセンに塹壕へ突き落された。あちこちから悲鳴や、無許可の銃声も聞こえる。
ロウタが体勢を立て直し、双眼鏡で何が落ちてきたのか確認する。
土色のゴツゴツとした肌、巨大な尻尾、短く頑丈そうな足、太い腕、ずっしりとした首に支えられた頭には、三本の角と奥まで裂けた口から鋭い牙が見えた。細く光を放つ目が睨んた様に思え、ロウタは身震いしながら塹壕に隠れた。
「ありゃ何だよ!?」
レイセンは支給品のガムを口に入れていた。ゆっくりと噛みながら、箱を差し出す。
「新品の人参ジュース味はイケるわね。一枚どう?」
「食ってる場合かよ!」
「お酒が欲しい位よ‥‥やってられないもの」
ガムを噛みながら、今度は兎用チョコバー代用品を見つめたが、彼女はそれをすぐしまい込んで叫んだ。
「耳を塞いで!」
塹壕の中の何人かが慌てて従った時。轟音が辺りに響いた。戦車隊と野砲その他が一斉に砲撃を開始したのだ。
射撃精度は低く、巨大な怪物には殆ど命中していない。痒そうに身体を掻きながら、怪物は前進を始めた。砲撃は更に続くが、かすり傷一つ与えられない。
不意に砲撃が止んだ。誰かの命令が飛ぶ。
「歩兵、突撃用意!!」
耳を塞いだままのロウタの爪先をレイセンが台尻で突いた。
「何すんだよ!」
「教訓! スカートの娘を先に行かせるな! ぶっ放すわよ」
向けられた銃口で弾かれる様に飛び出した雄兎は、命令も何も無く走り出した。しかし接近する怪物を目の前にして、足が止まる。射程距離も何も関係無く、銃を撃った。その横でレイセンがグレネードを撃ち、怪物のはるか前方で爆発する。同時にロウタの弾丸も尽きた。
「さあ、退くわよ」
引き金をまだ落とし続けている相方の首根っこを掴み、レイセンは後ろへ走り出した。塹壕手前まで来て二人は止まる。ロウタは呆然と銃を落とした。
「航空支援は?」
「何処で習ったのよ‥‥。そんなもの配備する予算無いし」
「じゃ、もう終わりかよ。どっちにしろ敵前逃亡だ」
「そうね、終わりだわ」
塹壕を飛び越え、彼女らの隣を白い影が馬蹄を鳴らしつつ駆けて行く。
「訓練終了よ」
白馬を駆り、銀色の全身鎧を纏ったその騎士は刀を背負っていた。兎達が慌てて避ける中、単騎怪物に突進していく。
誰かが歓喜の声を上げた。
「見て見て!! 白馬の騎士様よ!」
「マジ!? あたし達超ラッキーなの?」
「動画通りの凛々しいお姿だわ!!」
戦闘訓練の場が、一瞬にしてヒーローショー紛いかアイドルのコンサート会場へ変わってしまった。
白馬の騎士は怪物を前にして馬から降りると、背中から刀を抜いた。切っ先を大地に突き立てると、地面から何本もの巨大な剣が飛び出し怪物の動きを封じる。
騎士が刀を向けると、怪物は頭を抱えた。そして身体を落下してきた時の黒い球体で包み、天高く飛び去ってしまった。
兎達が大歓声と共に、口笛やら投げキスやら気絶やらする中、白馬の騎士は馬に飛び乗り、彼女らを一喝した。
「未熟者が!!」
二枚目俳優並みの美声に、兎達は別の意味でとろんとする。
「あのケダモノを己の力で潰せずして、よくそれで月の使者が名乗れたものだ! 今一度性根を入れ替えて訓練をやり直せ、よいな!?」
はぁーいという気の抜けた甘い返事を聞いて、白馬の騎士はその場を後にした。
チョコバー代用品を齧るレイセンは、白けた表情をしていた。ロウタも自分の支給品を食べつつ、彼女を見る。
「憧れの騎士様じゃないのか?」
「大外れよ。あれ、依姫様だもの」
チョコバーが気管に入り、ひどくむせる。その背中をさすってやりながら、レイセンは淡々と続ける。
「依姫様は“神降ろし”という奥義を使えるの。あの大地からの剣は祇園様かしら? 宇宙怪獣だってひとたまりもないわ。互いに殺し合う気も無いしね」
「今知ってはならない事を聞いた気が」
「あの宇宙怪獣とは上が取引して、時々訓練に参加して貰ってるの。知性もあるし、大人しいのよ」
「あいつ、歩いてるだけだったな‥‥」
二人の耳に訓練終了のサイレンが聞こえてきた。
それから更に数日後。二人は休暇で綿月邸に帰ってきていた。
夜、依姫も家に戻ったが豊姫は相変わらず帰っていない。都中を視察したり会議、行事への出席などの連続で多忙なのだと言う。
夕食前、依姫がレイセンとロウタに自ら稽古をつけた。雄兎は習ったCQCを半分も生かせず、すぐに見学する羽目になった。レイセンは本人曰く、空手・柔道その他合わせて二十段らしい。力強い打撃で依姫を驚かせたが、まだまだ敵ではなく、あっさりカウンターの寸止めで負けた。
帰宅早々汗をかいたロウタは、部屋で着替えて女性陣が風呂から上がるのを待った。最初こそレイセンと一緒に入ったが、常日頃その様な事をしているわけにもいけない。
やがて、端末にメールが届いた。
「お風呂、空いたわよ。このスケベ」
最後の一文が全く意味不明だったが、ロウタはすぐに風呂へ向かった。
風呂場の扉に新しくぶら下げられた、警告ボードが“男”になっているのを確認してロウタは脱衣所へ入った。
兎達に習った“月の沙漠”を口笛で吹きながら、浴場へ入った。洗い場で手早く身体を洗い始める。
(ひでぇ垢だね‥‥。軍では気にならないけど、ここでは清潔でいたいよ)
シャンプーで髪を洗いながら、今度は海賊サイトで知った“鋼鉄の子守唄”を歌い始めた。
「いい歌声ですね。歌詞が少し怖いけど」
聞き間違えるはずの無い声が背後から襲い、ロウタは危うく口から心臓を吐き出しそうになった。
(湯船には誰も居なかったぞ?!)
彼は万が一にも間違いを犯さないため、中に入っても用心する癖がついていた。しかし、背後の人物はそれを欺いたのである。湯船から上がる音がして、少しの後雄兎の頭に優しく手が添えられた。
「じっとしていなさい」
慣れた手付きで頭皮と髪が洗われる。かつて耳があった場所も。上からお湯が優しくかけられ、泡を流した。
「背中はまだでしょう?」
「あ、あの」
「兎達の背中ならよく流してるのよ」
素早くタオルを奪われ、背中を絶妙な力加減で擦られる。
「久しぶり‥‥殿方の背中は」
「え?」
ロウタの声に、何故か怒気が籠もった。相手はそれを知ってか知らずか、背中にお湯をかける。
「気にしないの。こちらを向きなさい」
自分の生の身体をあまり見せたくないと分かっていたが、ロウタは従った。股間が元気になってしまっている事に、彼は赤面した。
髪を後ろで纏めた依姫は、微かな笑いを浮かべていた。滑らかな鎖骨、張りのある乳房はバランスの良い大きさで丸みを帯びている。ごく微かに割れた腹筋と、正座した状態からでも分かる紫色の三角地帯。
「私をなぜ見つけられなかったか、不思議に思ってますか?」
視線を半分逸らしながら、ロウタは頷いた。依姫は優雅に立ち上がる。
「来なさい!」
突然周囲の水の小さな塊が動きだし、彼女の足元に集まり始めた。水が銀色の液状物質となって依姫を覆っていく。
僅か数秒で、そこには“騎士”が立っていた。兜だけが形成されていない。
「変幻自在の鎧よ。こうする事も」
兜が形成され、瞬く間に姿が消えた。
「どんな外観にでも変わるわ」
姿が現れ、普段着へと変わり、次は慎ましやかなナイトドレス、藍色の着物、競泳用の水着にも変化した。
「ふふっ、ファッションショーをする気は無かったのだけど。私が騎士で驚かないの?」
「最近刺激的過ぎて慣れました‥‥」
鎧が元に戻った。しかし先刻と違い、ボロボロになっている。
「ロウタ、お願いがあります」
「はっ、何なりと」
「‥‥その、世の中には姫騎士という勇敢な方々がいるそうですね」
「いるでしょうけど、ここで何故そんな話を?」
か細い声で、依姫は顔を紅に染めた。
「私を、姫騎士としてこの間みたいに虐めてくれませんか?」
「はぁ(軍で入浴中は危険だって教わったけど、こういう事か)」
「お姫様と一緒に囚われた状況から始めましょう!」
満面の笑みを見せられて、ロウタは胃が痛くなってきた。
「お姫様どうします? 誰か呼びますか?」
「ここには誰も入れさせません」
液体金属の一部が走り、扉をロックしてしまった。更にロウタへも鎧が移動し、彼の身体を覆ってしまった。依姫は更に鎧が壊れ、あられもない姿になっている。
「いい格好だな、姫騎士様よ(俺にまでスライムを‥‥あれ?)」
ロウタは古めかしい軽鎧を着ている。兜は無いが、彼は自分の口内と喉に違和感を覚えた。
「お前の守るべき姫は捕らえた‥‥あの娘に手荒な真似をして欲しく無かったら、抵抗するな(どういうからくりだよ?! 言葉に感情まで籠もってるよ!! 腹話術なんてレベルじゃないよ!!!)」
「くっ‥‥卑怯者め。私に生き恥を晒せと?」
「敗者が粋がるな。今のお前はただの雌豚だ。生き恥程度で済めばいいがな(冗談じゃねぇ、軍曹を、レイセンを呼んでくれぇ!!)」
「め、雌豚‥‥貴様はそれでも一国の戦士か!」
依姫の顔は本気で憤っている様で、別の熱さも放っていた。情欲の熱である。
「おう、それを今からてめぇに分からせてやる(この扱いには断固抗議する!)」
依姫の髪を纏めていたタオルが落ちて、液体金属となってロウタへと走った。彼の手に光る鞭が現れる。乱れ髪の依姫が、薄く笑った。
「見下げ果てた下郎だな‥‥人質を取って乙女を痛めつける気か」
「おうよ。俺様は気取った雌豚の鳴く声が大好きなんだ(無理矢理喋らせて心を痛めつけるのも見下げ果てた行為でしょ)」
変態(雄兎)は鞭を振り上げ、背中を向けた姫騎士(依姫)を打った。鎧が砕け、肌に赤い線が走る。姫騎士は演技も忘れ、快楽の声を放った。二、三度鞭が振るわれると、傷が幾条も走る背中が露わになった。無論、ロウタは自分の意思でこの行為を行っていない。
「いい格好だな、雌豚の背中が丸見えだぜ(あー、もうやりゃいいんだろ全く!)」
「殺しなさい‥‥」
「おっとそういうわけにはいかねぇ。姫様がどうなってもいいのか?」
「この最低男!」
「底辺で結構だ。お前ら騎士様と違って明日をも知れぬ身分だからな」
鞭が裸の背中に走る。呻く姫騎士を見て、変態は笑った。
「次は尻を上げておねだりしてみろ」
「な‥! 貴様、七度生まれ変わっても許さん!」
「早くしろ。姫の監視に吹き込んでやろうか?」
紫髪の姫騎士は震えながら尻を高く上げ、涙声で懇願した。
「‥‥して、下さい」
「なぁにぃ! 聞こえんぞ?」
「この淫らな私を、好きなだけ鞭打って下さぁい!」
宙を舞う鞭が、腰部付近の鎧を破壊していく。尻が露わになっても変態は叩くのを止めなかった。姫騎士としての演技を忘れ、依姫が嬌声を出し続ける。
変態は真っ赤になった尻に近付き、菊門を押し広げる。
「下を手早く奪うのはすぐに出来るからな」
「不浄の穴がお好みとは、屑に相応しいわ! 好きにしなさい!」
尻の下の陰唇は溢れんばかりに濡れていた。その液をすくっては少しずつアヌスに塗り込んでいく。
「止めて、お願い‥‥もう、もう、耐えられなくなってきたわ」
「ここで止める馬鹿がいるかよ」
指二本がスムーズに入る程、アヌスがほぐれた。ロウタが下を脱ぐ動作をすると、液体金属が自然と剥がれ落ちる。勃ち上がった彼の陰茎は狙いを定めた。
「覚悟はいいな?」
「お前なんかには屈しない! 早く来て!!!!」
ロウタの陰茎が、依姫の菊門を貫いた。そのまま、ゆっくりと腸内を傷めない様慎重に動く。それが還って依姫にとって快楽をもたらした。変態も強い締め付けにすぐ出してしまわない様、全身の力を込めて耐えた。掴んだ腰を液体金属がさりげなく守る。肉を引きちぎりそうな程力が加わっていた。
ぎりぎりのマラソンにも似たアナルセックスが続いた。もはやいつもの気高く優しい依姫の姿は無く、罵倒され鞭打たれるだけで股を濡らし、尻で快楽を貪る姫騎士が居た。
やがてロウタは限界を悟った、これ以上体力を使うと萎えてしまう。
「出すぞっ! そのケツで思いっきり受け止めろ!」
「はい! 熱いのを、一敗くださぁい!」
尻の中に思いっきり射精され、同時に依姫も達した。そして、燃え尽きた変態は最後の力で陰茎を抜くと、そのまま横向きに倒れた。
闇の中で、赤い光が浮かんでいる。男は、光がゆっくりと近付いて来るのを見ていた。
危険な物を感じたが、男の足は固定された様に動かない。赤く光っていたのは、女の目だった。闇の中にうっすらと姿が浮かび上がる。ブーツ、ブレザー、頭から生えた白い垂れ耳、手に持った自動小銃。ゆっくりと安全装置が外され、目の光が一層強くなった。銃口が向けられて、そこから破裂音と共に弾丸が。
意味不明な叫びと共に飛び起きたロウタは、紫色の物体に頭をぶつけた。
「目が覚めましたか? 寝起きを襲われた際の鍛練とは感心です」
側頭部をさすりながら、依姫がにっこりと笑う。その笑顔を見た瞬間、またしても絶叫して布団に潜り込むロウタ。
「御免なさいゴメンなさいごめんなさいご免なさい‥‥」
「あの‥‥? どうしたのかしら?」
「懺悔とお許しと憐れみと慈悲と寛大さをぉ!!」
依姫は布団の中に手を突っ込み、強く手を握った。
「貴方は決して悪い事などしていませんよ。私が無理矢理やらせたも同然なのですから。だから、朝ご飯を食べに行きましょう」
「‥‥無理です‥‥そっとしておいて下さい‥‥」
悲しい顔をして、依姫は布団から手を抜く。椅子から立ち上がると、彼の机の上にある小型端末に気付いた。
「メールが来てますよ‥‥。何か食べたくなったらメイドに言いなさい」
枕元にそっと端末を置き、依姫は部屋を出て行った。ロウタは震えながら顔を出し、周囲を見回しながら端末を掴む。布団の中で指を走らせると、レイセンからのメールだった。
<ドスケベ、変態、種兎野郎>
ポトリと手から端末が落ちた。
相変わらず達観した顔でレイセンが廊下を歩いていると、依姫と鉢合わせした。兎が廊下の端に寄って礼をすると、おどおどした声をかけられた。
「あのレイセン‥‥。話を聞いてくれませんか?」
「何でしょうか?」
「ロウタが引きこもってしまいました‥‥。私の言葉も届かない様です」
「ほっとけば治りますよ」
主をジト目で見つめながら、冷たくレイセンは答えた。何故か顔を赤くする依姫。
「でも、私にも責任が無いとは言えないので」
「じゃあ、何とかしましょう」
「貴方なら彼も心を開くでしょう、お願いしますよ」
兎は薄く笑った。
「“何とか”します」
厨房に立ち寄って道具を幾つか借りたレイセンは、ロウタの部屋に踏み込んだ。彼が背中を向けうずくまるベッドに大股で近付く。
「総員起こし三十分前!!」
号令をかけた後、フライパンをおたまで激しく鳴らした。何事かと飛び起きたロウタの頭を、おたまが直撃する。
「痛い!?」
「当たり前でしょ。ほらさっさと起きろ」
「当分何もできね‥‥うわっ!!」
壁に包丁が突き立った。
「ナイフ投げは得意じゃないの。次はフライパンでいく?」
「いい加減にしてくれ!」
「こっちの台詞よ。何で私がドスケベ野郎の心のケアまでしなくちゃならないの」
「頼んだ覚えはない」
「依姫様のお願いなのよ。とにかく起きて着替えなさい」
二人は道場へと来た。道着に着替え、中央で並んで正座する。そのまま時間だけが過ぎて行った。たまらずロウタが口を開く。
「座禅か?」
「黙ってなさい。‥‥もうすぐだから」
道場の扉が乱暴に開かれ、三人の男、更にロウタには忘れられない顔が現れた。
「けっ、逃げ足の速いメイドだぜ。景気づけに一発‥‥ん?」
八俣は正座している二人を見つけ、せせら笑う。
「兎が何をしてやがる。依姫が話があるとわざわざ出向いてきたんだ」
レイセンが一礼して答える。
「申し訳ありませんが、呼び出したのは私共で御座います」
「何!? 兎如きが俺を呼びつけるとは思いあがったか!」
「お暇なのでは御座いませんか? 依姫様のお誘いにホイホイと釣られる位ですから」
爬虫類の鳴き声に似た、奇怪な音を出しながら八俣が舌なめずりした。
「大口叩いた褒美だ。ひん剥いて可愛がった挙句、スラムで晒してやる」
「まあ、男がお好みですの?」
レイセンは不敵かつ、獰猛に笑って立ち上がる。
「貴方の相手はこの雄兎」
隣の相方の首根っこを掴んで立たせた。八俣は目を見開いて嘲笑した。
「ソッチの趣味は無ぇな。一発でぶち殺して、その後お前にもぶち込む」
彼が手を振ると、三人の男がレイセンに向けて殺到する。兎は落ち着いて腰を落とし、右手を後ろに引いた。
正面の男の顔面に、正拳が炸裂する。無防備のツケを払って脱落する身体の横から、二人目が襲いかかろうとした。レイセンのハイキックが飛ぶが、間一髪で逸れる。しかし、素早く足を入れ替え、倍の速さで打ち出された後ろ回し蹴りは顎を直撃した。
瞬時に倒された仲間二人を見て、三人目は間合いを取る。レイセンも残心から、素早く一対一の場所へ移動した。
一方、八俣とロウタ。八俣は威圧する様に身体を揺らしながら近付く。
「よぉ、漏らすなよ? 強い強い依姫に泣きついていりゃいいのに、雑魚が」
言うなり突進して、渾身のフックを放つ。
「バックステップ!」
ロウタの身体が自然とファイティングポーズを取り、後方へ軽くジャンプした。大男の拳が空を切る。
「なんだぁ?」
レイセンが敵と対峙しながら指示したのである。苦笑しながら八俣は首を振った。
「余裕なこった‥‥」
「ローキック!」
隙だらけの膝に脚が食い込んだ。予想外の反撃と痛みに議員の顔が歪む。
「この兎!!」
大ぶりのフックがまた放たれた。
「ウィービングからダッキング!」
上体の動きだけでフックを逸らし、続けて放たれたストレートを踏み込みながら屈んでかわす。
(遅い、先任軍曹やレイセンの方がはるかに早い!)
相手の懐に入ったロウタは、掌を構えた。
「鼻っ!」
八俣の顔面を掌底が直撃する。
「前蹴りで距離を取って!」
渾身の前蹴りが腹を突き刺した。そのままロウタはパンチの射程距離から遠ざかる。同時にレイセンも三人目を一本背負いで投げ倒し、そのまま腕ひしぎに入った。
鼻とプライドを砕かれた八俣は、身を低くして突進してきた。殴ると見せかけ、大足で蹴り上げる。だがあっけなく揚げ足を取られ、そのまま軸足を払われた。
ロウタは渾身の力でヒールホールドの体勢に入る。議員の足が文字通り悲鳴を上げる程。
「待った! ギブアップだ! 俺が、俺が悪かったから、やめてくれぇ!」
「折りなさい! 自分の屈辱と一緒に!!」
レイセンの言葉に後押しされ、雄兎は限界まで力を込めた。
大の男が泣き叫び、呻く声が道場に響いていた。それぞれ脚、鼻を骨折、顔面陥没、顎粉砕、腕を折られている。
レイセン達はまた正座してその光景を眺めていた。ロウタが呟く。
「強いな」
「先任軍曹と依姫様には全然勝てないわ。それより気分は少し晴れた?」
「議員に八つ当たりか。気に入らない奴だが、良かったのかな」
「依姫様が喜んでたのだからもう気に止まないの」
「ああ‥‥」
ロウタの腹が鳴った。
「もう少し我慢なさい。最後の仕上げがあるから」
「早く終わって欲しい。ミミの飯が食べたい」
四人姉妹メイドで一番料理上手な名前を挙げた時、新たな人物が道場に姿を現した。
「おや、随分派手にやりましたね」
紫色のワンピースの依姫が正座する二人の前にやってきた。その右手に刀を下げている。彼女は、泣き叫ぶ八俣の折れた足をわざと踏み越え、深々と礼をする二人の前に座った。
「顔を上げなさい。これはどういう事なのかしら?」
レイセンが淡々と答える。
「八俣議員に一手ご指南頂きました」
「それは良い心がけです。議員は月の都でも名だたる猛者。兎相手には遅れをとった事などありませんからね」
後ろで片手が折れた部下に支えられ、ようやく立った八俣が喚いた。
「覚えておけよ、綿月の雌狼! 姉が狐なら貴様は狼だ。兎に無駄な力を与えやがって、次の議会で姉妹揃って叩き潰してやる!」
向き直った依姫は侮蔑の表情で相手を見た。
「それは残念です。私達もこの動画を公開したくはないのですが」
彼女が携帯端末を掲げると、そこには音声付きで叩きのめされる八俣達の姿があった。
「裁判に持ち込まれても結構ですよ。貴方程の勇者が、法廷で嘘を述べられるとは思いませんから。“負けた”“不意打ちを受けた”“油断していた”あら、どれも響きが悪いですね」
刀を持ち、ゆらりと依姫は立つ。
「それとも‥‥綿月依姫の剣の舞、とくと披露致しましょうか?」
足が折れているにも関わらず、八俣は猛スピードで道場を逃げ出して行った。後の二人はまだ気絶したまま、腕を折られた男だけが急いで平伏する。
「救急車を呼びましょう。貴方にはそれまで色々聞きたい事があります。よろしいですね?」
男は頷いた。
救急車が三人を収容して去って行き、時刻はまだ真昼であった。依姫は“ある人物”に会ってくると言い残して外出し、ロウタ達はメイド達と道場を掃除して昼食をとった。作ったのは四つ子メイドのミミではなくミム(健康的な食事が得意)だったため、味が薄く量が少なかったが。
午後、日が落ちてからロウタが端末を操作していると、ある事に気付いた。
(あれ、これは‥‥?)
彼名義の口座があり、端末の複合スキャンで認証、内容が開示された。
(何で金が入ってるんだろう)
依姫に電話しようとして、キャンセルする。相手の忙しさを慮っての事だった。結局、レイセンの部屋のインターホンを鳴らしていた。
「どうぞ」
下着姿で寝転びながらゲームをしている兎を見て、ロウタは呆れ顔になる。
「動きやすそうな格好だな」
「教訓、女のプライベートに美しさを求めない。軽口叩くならゲームに付き合って」
「その前に聞きたい事がある。何で金が貰えるんだ?」
「月の使者に入隊した者は、最初の日に初任給が出るの。でも、お金の出し入れは監視されていて、浪費や持ち逃げはすぐに露見するわ」
自分の端末をしばらく見つめ、ロウタは何かを調べ始めた。しばらく考え込んだ後、彼は口を開く。
「これから飲みに行かないか?」
レイセンは少し驚いた。
「いきなりどうしたの?」
「うん、レイセンには世話になりっぱなしだからさ。奢るよ」
「エスコート役を気取った甘えん坊ね。見てて面白いけど。‥‥付き合うわ」
メイド達に外出を伝え、ロウタ達は出かけた。まだ飲み食いするには早い時間だったので、二人は映画を見る事にした。四つ上映されている中で、レイセンは“街の灯”という地上輸入の白黒映画を選んだ。美形スター主演のラブストーリーなど目もくれず、である。
客の入りは少なかったが、還って二人は気楽な気分になれた。映画が始まると、最初は退屈だったロウタだが、山高帽とステッキの主演男優が画面で動く度に笑いが堪えられなくなってきた。やがて館内の客全員も笑いだし、ロウタは笑いながら自然と横に顔を向けた。レイセンも口元に手を当てながら、彼を見ていた。二人はしばらく見つめ合った後、互いに身体を預け合った。
「いいボクシングだ。今度やってみたい」
「先任軍曹にやってみたら? きっと目の色変えるわ」
決して笑えるばかりの映画では無かった。空回りする男の情熱、すれ違い、そしてラスト。
「かっこいいわね。“白馬の騎士”みたい」
「依姫様の事か?」
「私流には違う意味。気にしないで」
二人は映画のエンドロールが終わっても、そのまま身を寄せ合っていた。
やがて、予約していたレストランへと向かったが、何故か席が空いていなかった。激怒するロウタの手をレイセンが握った。
「いい店知ってるから、行こ。ね?」
宥める様な微笑みの彼女に引っ張られ、雄兎は渋々その場を離れる。
黒髪を赤い帽子の中にしまい込んだ女性が、眠そうな目ながらカウンターでニヤリと笑う。
「レイセンちゃん~?」
「マスター、お久しぶりです」
「軍に復隊したと聞いたが、可愛い垂れ耳は変わらないねー。おや、そのお兄ちゃんは?」
「耳が無いだけで兎ですよ」
「おやおや‥‥まあ二人とも座りなさい」
長身のマスターは月人でも兎でも無いらしい。だがロウタは気にも留めなかった。マスターの出した酒を口にし、その料理に舌鼓を打ってからは更にどうでもよくなった。
やがてあちこちで誰かが歌い出した。そのお鉢がロウタにも回ってきて、彼は“G.I.バニー・ブルース”という兎兵の流行歌を口ずさみだした。少し卑猥な内容の歌だったが、酒場内は大いに盛り上がった。
席に戻ったロウタは、酒杯を手にしたレイセンのにやつきに遭遇した。
「よっ、人気者ぉ。呑めー」
「大丈夫か?」
「素面だよー。最高に真っ白だー」
「燃えつきそうな台詞は止めてくれ」
店員が新香の替えを置いた。瓜の漬物だった。レイセンはそれを見て、カウンターに身を乗り出した。
「ぼーやー? お姉さん月甘瓜駄目なのー。分かるぅ?」
口調はふざけているが、店員へ完全にメンチを切っている。あまり迫力が無かったせいか、店員も丁寧に謝罪して鉢を下げる。そのままずるりと座り込み、スカートがまくれた。
「あの、見えてますけど先輩?」
「何よー。ここ雄なんて来ないんだから。雄のあんたが悪いのよー」
「ひどい言いがかりだ‥‥。瓜、やっぱ嫌いなんですか? 軍でも食ってなかったし」
「奴隷時代、散々食わされたからねー。本当は見るのもきら-い、ハハハ」
頷きかけ、ロウタの顔色が変わった。レイセンは構わず続ける。
「ペットの前は薬草搗き、その前は、なーんとどれーでしたとさ。履歴書に書けないのー」
かつて彼女は言った。子供が産めない身だと。
「おやー? この偽善スケベ最低ヤロー。同情なんかしてんのか生意気にー。ほら呑め」
なみなみと酒が注がれた、ドンブリが突き出された。ロウタは暗い顔でそれを見つめる。
「頂く、お仲間に乾杯」
彼は豪快に杯を干した。店の中に歓声が満ちる。ドンブリを置いた目は、涙が光っていた。
宴も過ぎ、二人は川の脇の散歩道を歩いていた。空には満点の星が瞬いている。人工の光だったが。無いよりは遥かにマシな輝きだった。
やや足元がよろめくレイセンを、ロウタが支える様にして歩いている。
「おーい、牛車タクシー呼ぼうぜ‥‥」
「嫌だー。依姫様に見つかったら叱られちゃうー」
「いずれ帰るだろ」
「今日は帰らないわよー、もう一軒行くんだから」
「やめとけって、奢りだって忘れてるか?」
「あん? 雄なら先輩を敬って全財産はたきなせぇー」
「横暴だ、抗議する」
「生意気な口だなー? 修正しちゃうぞ?」
レイセンがロウタの頭を力強く掴んだ。そのまま、互いの唇を近付けていく。
突然、安全装置を外す音がした。目を見開いたレイセンは、ロウタを突き飛ばす。大型自動拳銃を持った兎を睨みつけた。その瞳が紅く光る。敵の兎は小刻みに震えだし、手から拳銃を落とし、吐きながら蹲った。
後ろへよろめいたロウタも、嫌な音を聞く。振り返ると、ショットガンをコッキングし終えた兎が居た。声を上げる間も無く、散弾が彼を襲った。咄嗟に顔面を手でガードする。
一瞬、ガラスが砕ける様な音がした。ロウタはガードを解いて手と身体を調べたが、何処にも傷跡が無い。撃ってきた兎が何故か大の字になって倒れている。
レイセンを振り返ると、その後頭部にレーザーポイントが見えた。大地を蹴って突進する彼には、全ての動きがスローに見えた。ゆっくりとロウタの方へ振り返る兎。飛来した長細い弾丸がその側頭部に近付いていく。
レイセンが驚きに目を見張った。その瞳が紅く光る。彼女の能力では無く、ロウタの瞳の輝きが反射しているのだ。
弾丸の前へ銀色に輝く“鏡”が現れた。それは弾丸を吸い込み、砕け散って消えてしまう。ロウタはそのまま、レイセンの手を取り走り出した。
オペラグラスの中の二人を見ながら、プラチナ色の髪に包まれた顔がほくそ笑んだ。
「ようやく能力を使いましたわ」
その隣では巨漢が頷きながら双眼鏡を覗いている。
「狙撃手は即死、一人は重傷、一人は錯乱‥‥なかなかのものですな」
巨漢・八俣議員は豊姫に笑いかける。豊姫もオペラグラスを畳み、頷いた。
「八俣様には色々迷惑をおかけましたわ。文字通り身体を張って頂いたのですから、何かお礼をしませんと」
「お気遣いなく。あの小僧、良い戦いっぷりでしたぞ。今度酒でも酌み交わしたいものだ」
「足の方は大丈夫ですか?」
「午後には歩けましたよ。吹き飛ばされてもどうという事はありません」
豊姫は上品に笑い、軽く頭を下げた。
「綿月は今後も八俣家と良好な関係を保ちとう御座います」
「滅相も無い、当家も八意様には恩を受けております故」
「では、表向きは今まで通り‥‥」
「雌狐めが‥‥これでよろしいでしょうか?」
無言で頷き、豊姫は立ち去った。
(これ以上地上の妖怪共に好き勝手はさせない‥‥)
屋敷へ大急ぎで戻ってきたロウタ達は、守衛もメイド達も無視して自室へと走った。そして、何故か二人ともレイセンの部屋に居た。
ベッドに腰掛けるレイセンと、バツが悪そうに立つロウタ。
「とんだ飲み会になった」
「刺激的でいいんじゃない?」
「強すぎるのも考えものさ」
「そう? もっと激しい刺激が日常にあるとしたら?」
レイセンは端末を操作し、窓の風景を大きな月に変えた。部屋が月明かりに満ちる。
「この光景、穢れ星でしか見られないの。そして、そこに住む人々はこの光で狂うという」
ブレザーが脱ぎ捨てられ、ネクタイがその上に落ちる。
「私達も狂ってみる?」
スカートを落とし、ブラウスのボタンに手をかけた。スポーツタイプではなく、髪の色とお揃いの薄水色のレース下着だった。
ロウタも静かに自分の服に手をかけ、手早く下着姿になる。
「気が早いのね」
「狂った経験があるから」
「ふふ、教訓‥‥これから抱く女性の前で、他の女の事は口が裂けても言わない。私だったら‥‥」
レイセンの瞳が紅くなると同時に、ロウタの瞳も光った。破砕音がして、兎の膝が崩れる。その身体は素早く抱き止められた。
「ふふ、軽く撃ってもこんなに気持ちが悪い‥‥」
「悪ふざけはやめるんだ。この力はまだよく分からないから」
相方の身体を抱え、ベッドに寝かす。レイセンは手を伸ばした。
「来て」
兎同士の唇が、静かに重なった。舌と舌が絡み合い、唾液を貪りあう。口を放すと、銀色の糸が互いの間に引かれた。
レイセンはブラジャーの前をねじり、開いた。わざと下着が残る様にこの下着を選んでいた。雄兎の舌が鎖骨の辺りから、ゆっくりと左の乳房へと向かう。小ぶりだが張りのある乳房を、愛おしみながら唇と舌で愛撫する。左手は右の乳房を丁寧に揉み始めた。右手はなだらかな腹部を滑り、臍を少し悪戯してからショーツに辿り着く。レイセンの手が優しく相方の頭を撫でた時、二つの乳首、陰唇へ刺激が同時に与えられた。三点攻めはしばらく続いた。乳首を甘噛んだら手は房を愛で、陰唇が湿り気を帯び出したら二本めの指が入った。兎の唇から官能の呻きが漏れ始める。
ロウタは乳房にキスをすると、下半身に移動した。ショーツを手早く脱がせ、自分も裸になる。相手が自ら股を開いたのを見て、そこに顔を埋めた。既に若干濡れぼそっていた陰唇に舌を入れ、ゆっくりと刺激していく。薄水色の陰毛に埋もれながら突起を探し当て、舌の先端で弄んだ。
執拗なクンニは、部屋に卑猥な水音を響かせていた。レイセンはシーツを噛んで、自分だけ絶頂しない様に耐える。
雄兎が股間から顔を放し、自動的に準備が整ってしまった陰茎を軽くしごいた。そして、相手がシーツから口を放し、頷いたのを確認する。足がロウタの股に乗せられた。互いに手を背中に回し、慎重に挿入する。レイセンの手足に力が入る。ロウタはゆっくりと前後に動き出した。たまらず兎の喉が喘ぐ。少しずつ腰の動きが早くなっていく。身体の擦れは汗で円滑され、月がきらめきを与えていた。
レイセンがロウタの耳元でささやき、互いに頷き合った。挿入の速度は変わらなかったが、膣がより強く締め上げる。
先に絶頂を迎えたのは、雌の方だった。手足に力が入り、相手を強く強く抱きしめる。
その後を追い、雄も自分の体液を解き放った。膣内に熱い白濁した液が強く注がれていく。兎が力を抜き、雄兎はその隣にゆっくりと横たわった。
「なぁレイセン」
「何」
「情熱的なの伝わったけど、身体のあちこちが痛い‥‥」
「後でお風呂行きましょ‥‥ふふふ」
「まだ満足してないか?」
「ええ。“騎士様”には程遠いわね」
「精進する、レイセン先輩」
「教訓‥‥本当の名前も憶えておく事‥‥」
二人は、固く手を握り合った。
「私の名前は‥‥」
終