1-1:如月心愛と弥生真白
「あっ、先輩。おはようございま~す」
こちらに気づいた
「時間通りですね。嬉しいです」
二月十四日。ショコラ高校。午前七時。
二年B組の男子生徒・
「おはよう。ったく、わざわざこんな時間に呼び出しやがって。……お前、寒くないのか?」
弥生はぶるっと身を震わせる。吐く息が白い。
「あはは、ごめんなさい。寒い場所にいないと、ちょっと落ち着かないくらいでして……」
「落ち着かない?」
見れば、如月の様子はいつもと違っていた。いつもならぴょこぴょことあちこちが跳ねているチョコレート色のショートヘアが妙に整えられ、見慣れない髪飾りまでしている。
何より、顔が赤い。寒い場所で待っていたはずなのに、軽く汗までかいている。
「そっか、渡すのが義理でも緊張するもんなんだな。いやさ、実は俺もさ……」
「……すみません、先輩。義理じゃないんです」
「え?」
如月が、手にしていた紙袋の中身を取り出す。
「先輩、好きです。これ……受け取ってくださいっ!」
如月心愛は、深々と頭を下げながら手にした箱を──
可愛らしくラッピングされた、バレンタイン・コンドームの箱を差し出した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
二月十四日。バレンタインデー。
それは、女性がセックスをしたい男性にコンドームを贈る、特別な一日──
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「せ~んぱいっ」
二月七日。放課後。
校門を出た弥生真白に、如月心愛が背後から駆け寄って肩をぶつけてきた。
「先輩のオチンチン、何センチでしたかぁ~?」
「ばっかお前、んなこと道の真ん中で訊くな!」
「だいじょうぶですよぉ。今日はみんなオチンチンの話ばっかしてますから」
確かに、周囲を歩く男子たちも女子たちも、ペニスのサイズに関して花を咲かせているようだった。
この日、ショコラ高校では全校一斉の健康診断が行われていた。来たるべきバレンタインデーに備えた、特別な健康診断だった。
男女ともに性感染症の検査が行われ、男子の場合は勃起時のペニスのサイズが計測される。これによって、推奨されるコンドームのサイズが把握できるのだ。
「……13.3センチ」弥生は答えた。「コンドームの推奨サイズは、Mだってさ」
「あっは。見事なまでに平均値って感じですねぇ。なるほどなるほど」
「うっせ。訊いてどうすんだよ」
「な~に言ってんですか。先輩のために義理コンドームを用意して差し上げるからに決まってるじゃないですか」
「えっ、くれるのか⁉」
日本におけるバレンタインデーとは基本的に、女性がセックスをしたい相手、セックスをしてもいいと思える相手にコンドームを贈る行事だ。
多くの場合、そこには恋愛感情が絡む。
そこで、恋愛感情が絡んだ場合は「本命コンドーム(本命ゴム)」、それ以外の場合は「義理コンドーム(義理ゴム)」と呼ばれ、区別されている。
「先輩は義理ゴムでさえ貰えなさそうですからねぇ」如月がつんつんと脇腹を
「う、うるせぇ」弥生は彼女の指から逃れる。「確かに俺は童貞だし、去年は義理ゴムも貰えなかったさ。それは認める。だがな、今年は違うぞ」
「なんですか。まさか私以外に当てでもあると?」
「そのまさかさ」
弥生はニヤリと笑った。
「なんと、今年のウチのクラスには、男子全員に義理ゴムを配ってくれそうな女子が二人もいるんだ。二人もだぞ!」
「え……」
「一人目は、学級委員長の
二人目は、クラスのビッチギャル筆頭の
弥生が振り返ると、如月は足を止めて立ち尽くしていた。
「……わり、こういう話、イヤだったか?」
弥生は普段の如月の様子から推して、「へぇ~、よかったじゃないですかぁ。神様に感謝しないといけませんねぇ。じゃあ私の義理ゴムは要らない感じですかぁ~?」などと、軽い調子の会話が続くものと想定していたのだ。
しかし、
「……へぇ~……よかったじゃないですかぁ……神様に感謝しないといけませんねぇ……」
如月は、虚ろな目をしてぼそぼそと呟いていた。
予想とは大きく異なる彼女の口振りに、弥生はギョッとなる。
「……じゃあ、私の義理ゴムは要らない感じですかぁ……?」
「い、いや、くれるなら貰うけど……」
「貰うだけ貰って、使ってくれないんじゃないですかぁ……?」
「いや、つ、使うよ……?」
「……本当ですかっ?」
如月の瞳に輝きが戻る。
「……でも、その素敵な委員長さんとギャルさんの義理ゴムを使ってから、私の義理ゴムを使うつもりなんじゃ……?」
「そこまで考えてなかったよ!」弥生は言った。「わかったわかった。如月から貰った義理ゴムを、明日は一番先に使う。これでどうだ?」
「約束ですからねっ!」
如月がぴょいっと腕に飛びついてくる。柔らかな感触が、むにゅっと押し当てられる。
「どわっ⁉ 毎度毎度やめろ。急に距離感を詰めるな。近い近い!」
「約束っ!」真剣な瞳で、如月が見上げてくる。
「わかった。わかった。約束だ」
「約束ですからねっ!」
如月はパッと飛びのき、すたたたたっと弥生を置いて駆け出した。
「おい、どこ行くんだよ⁉」
「今日はここでお別れです! 私は、先輩に贈る義理ゴムを見繕わなきゃならないので! ではまた明日っ!」
「義理ゴムを見繕うって……まだ一週間前だぞ?」
だが、そんなものなのかもしれない。バレンタインデーにコンドームを貰った経験のない弥生には、わからなかった。
「しかし……なんだったんだ、今日のあいつは……?」
※
ショコラ高校一年C組、如月心愛。
ぴょこぴょことあちこちが跳ねているチョコレート色のショートヘア。眠たげな茶色の瞳。少し低めの声質をした、ボーイッシュ系の後輩女子である。
弥生が彼女と出会ったのは、去年の四月のことだった。
登校中、弥生の前を歩いていた彼女がハンカチを落としたのを拾って手渡したという、極めて些細な出来事がきっかけだった。
「ご親切にどうもありがとうございます。あの、お名前をお聞かせしてもらってもよろしいでしょうか?」
「ふっ、名乗るほどの者じゃないさ」
「あ、そういうのいいんで」
「ぐっ……二年B組、弥生真白です……」
「じゃあ、弥生先輩ですね。私は、一年C組の如月心愛って言います!」
以来、一緒に登下校をする関係がずっと続いている。
(思えば、最初から距離感の近い後輩だったな……)
帰宅後、弥生は自室のベッドの上で悶々としていた。後輩女子から義理コンドームを貰えるという現実に、ようやく認識が追い付いてきたのだ。
(義理ゴムをくれるってことは、セックスしてもいいって思ってくれてるってことだよな……?)
如月心愛とは、この一年で下ネタありの軽口を叩き合う関係になっていた。さらに、彼女からのボディタッチは、普段から多めだった。異性として意識する瞬間なら、いくらでもあった。
しかし弥生は、
(そういう女子なだけなんだから、勘違いしないようにしないと……!)
と、この一年間自身を戒めていた。
だが、義理コンドームをくれるとなると、勘違いではなかったのかもしれない──
先程彼女の様子がおかしかったのも、純粋にやきもちを焼いてくれていたのかも──
(いや、まだわからない。調子に乗っちゃダメだ!)
落ち着くためにも日課のオナニーをしよう。そう考えて、はたと手が止まる。バレンタインデーは、あと一週間後に迫っている。
(今からオナ禁、しておくべきか……?)
如月心愛、雪消美景、末黒芒──皮算用としても、既に三名分の義理コンドームが手に入る算段がついている。仮に三名全員分の義理コンドームを使うとなると、いくらオナ禁してもし足りないくらいだ。
(一週間、持つかなぁ……)
弥生は悶々としたまま日々を過ごすこととなった。
一方、如月心愛の様子はあっさりと元に戻った。
次の日の朝には、
「おはようございます、先輩。……あの、もしかしてオナ禁始めました?」
「おはよう。なんでわかるんだよ!」
「いつもと違ってイカ臭くないですから」
「俺っていつもイカ臭かったの⁉」
「先輩、まさか気づいてなかったんですか……ご臨終です」
「そこはご愁傷様だろ⁉ え、待って、冗談だよな。俺、イカ臭くないよな?」
「はい、もちろん冗談です。普段はイカ臭くありません」
「よかった。安心したわ」
「ですが今日に限ってイカ臭いので、もしかしてオナ禁を始めたのではないかと推察したのです」
「それこそ冗談だと言ってくれぇっ!」
「あははははっ!」
と、如月心愛はいつも通りに振る舞っていた。
(やばい、義理ゴムを貰える期待感で、いつもよりずっと意識しちまう……!)
それでも弥生は自分を戒め、いつも通りのやり取りで如月に応えた。
「え、というか先輩、ほんとにオナ禁始めてたんですか。冗談のつもりだったのに……」
「しまった、要らん情報を与えてしまった! くそっ、どうせ茶化すつもりなんだろ」
「それはもちろん、この一週間毎日茶化すつもりではありますが」
「戦略の組み立てが早すぎる!」
「でも、先輩もバレンタインデーに乗り気みたいで、私は嬉しいです。オナ禁、頑張ってくださいね」
「お、おう……」
そんなこんなで、バレンタインデー当日。
弥生は普段よりも早起きをして登校し、待ち合わせ場所である校舎裏へと向かった。前日に、如月からメールで指定されていたのだ。
『明日の午前七時、校舎裏で待っています。大銀杏の木があるところです。登校したら、どうか絶対に教室に寄ったりはせず、どうか絶対に真っ直ぐいらしてください。どうか絶対によろしくお願いいたします』
午前七時は早すぎやしないか、「どうか絶対に」が多すぎやしないか、とは思いつつも、弥生は素直に従った。
そして──
「おまっ、これっ、本命ゴムじゃねぇか⁉」
如月心愛が差し出した箱を見て、弥生真白は言った。
バレンタインデーに義理コンドームが贈られる場合、個包装のコンドームがそのまま手渡されたり、個包装のコンドームをラッピングし直したものが贈られることが多い。また、この時期になるとあちこちで販売されている、バレンタイン仕様の箱入りコンドームをそのまま渡すというパターンもある。
しかし如月が差し出しているコンドームの箱は、特別なものだった。可愛らしいラッピングだけではなく、バレンタイン仕様の箱入りコンドームとコンドーム専用のケース、精力剤と使い切りタイプの潤滑ゼリーが一つに詰まった高級品。
いわゆる、本命コンドームだったのである。
「……はい、本命です。先輩のこと、大好きですから」
如月心愛は、顔を真っ赤にしながら言った。
「セックスしたいってだけじゃなくて、付き合いたいとも、思ってます」
「そうだったの⁉」
「そうに決まってるじゃないですか!」如月はキレ気味に言った。「ずっとずっとずっと、アプローチしてきたのに、とうとうバレンタインデーにまで持ち越されちゃいましたよ」
「え、い、いつから?」
「最初からですっ!」
「そうだったの⁉」
如月は大きく、大きくため息を吐いた。
「そんなんだから去年は義理ゴムさえ貰えなかったんですよ……まあ、私としては好都合な話なんですが」
「いや、わっかんねぇって。距離感が近かったり、よく触ってきたりしてたのも、そんなもんなんだろうなって思ってたんだよ」
「そんなもんなわけないでしょうがっ!」如月はまたもやキレ気味に言った。「あーあ、わかっちゃいましたけど、いざ言葉にして確認されると虚しいですねぇ。何だったんでしょう、私の一年」
「お、俺が悪いのか?」
「悪いと思わないんですか?」
「だ、だから、よくわからないんだよっ、本当に!」
今度は弥生がキレ気味に言った。
「バレンタインにコンドームを貰うのも、告白されるのも、セックスしたいって誘われるのも、全部如月が初めてで、こっちは大混乱してんだよ!」
「先輩……」
弥生の気迫に圧されたのか、如月が一瞬押し黙る。そして、
「すみません、もう一回言っていただけますか?」
「この流れで訊き返す奴いる⁉」
「全部、何ですって?」
「だから、全部如月が初めてで……」
「んふっ」突然、如月は笑った。「んふふふふふふっ!」
「き、如月……?」
「そうですか。全部私が初めてですか」如月は満足そうにうんうんと頷く。「なら、すべてよしです。よしとします。私は、先輩の全てを許しましょう!」
「何? 何? 何が起きたの⁉」
「全部・如月が・初めて──ああ、五臓六腑に染み渡ります……!」
「お前の情緒どうなってんだよ⁉」
「いいですか先輩」
如月は神妙な面持ちになって言った。
「私は、先輩が思ってるよりもずっと、ずっとずっとずーっと──ちょろインなんです」
「ちょ、ちょろ……?」
「簡単に恋に落ちる、ちょろいヒロインのことです」
「それは知ってるけど……え、それって自己申告するようなものなのか?」
「普通はしません。ですが、先輩には直接教えて差し上げた方がよろしいようなので」
如月は微笑んだ。
「つまり私は、先輩の初めてを全て貰えるという事実だけで有頂天になり、あっさり全てが報われた気持ちになって、何もかも許してしまうほどの、ちょろちょろちょろインだということです」
「えっ、待って、じゃあ本当に最初から、俺がハンカチを拾って渡したときから──」
「はい。惚れちゃってました。ああ、先輩もあの運命の瞬間を覚えていてくださったんですね。嬉しいです……!」
「えぇ……?」
弥生は二三歩後ずさりをした。
「あ、引いちゃいましたか?」
「ちょ、ちょっとだけな」
「危ないところでした。まさかあの瞬間からセックスしたい付き合いたい結婚したい先輩の子供を産みたい三人は欲しいとまで考えてたなんて口にしたら、もっと引かれちゃうところでした。危ない危ない」
「いや全部口に出しちゃってる!」
「冗談です。好き、大好き、セックスしたい、付き合いたい、までしか思っていません」
「いやそれだけでも大概!」
「というわけで先輩、私の本命ゴムを受け取ってください」
「この流れで⁉」
「受け取ってくれないんですか?」
如月心愛は神妙な、真剣な顔をしていた。
真剣な、耳の先まで真っ赤に染まった顔。
冬空の下で、汗まみれになった顔。
恐らくは寒さとは別の理由で、唇を細かく震わせている顔──
「……もしかして、全部照れ隠しなのか?」
「はーっはっはっは、それはどうかなぁ?」
「誤魔化し方が露骨すぎる……喜んで、受け取らせてもらうよ」
弥生真白は、如月心愛から本命コンドームの箱を受け取った。
「ありがとう、如月。すっげぇ嬉しい」
「ハッピーバレンタインです、先輩」如月は照れ臭そうに笑った。「えっと、じゃあ、とりあえずセックスしちゃいませんか? 告白の返事とかは、また今度でもいいので」
「え、如月はそれでもいいのか?」
「バレンタインデーですからね。セックスが優先です。先輩もそのつもりで登校されたんでしょう?」
「うっ、ま、まあな……」
「ふふっ。それにしても、バレンタインデーに一緒に初めてのセックス、しかも学校でなんて……ああ、なんてロマンチック……!」
「ロマンチック?」
「ロマンチック、です」如月心愛は笑顔で言った。「実は、保健室を予約してあるんです。さっそくこれから使っちゃいましょう!」