全てを失うとはどういう事だろう。あるいは“死”がそれに相当するのだろうか?
しかし死後、人は閻魔の裁きを受けなお“あの世”で生きる。私はその閻魔に会った事すらある。太陽の光の下で。幻想郷では死の世界も普通の日常に過ぎない。ならば、今の私は何を得て、何を失ったのだろう?
幻想郷では常識に囚われてはいけない。その言葉の意味を無邪気に信じて生きていたあの頃。
私は風祝の装束を纏い、御幣を片手に空を自在に舞っていた。外界からこの底知れぬ世界に越して来た私にとって、毎日が驚きの連続だった。
そして、それは同時に挫折の記憶でもあった。異変の解決は全て博麗の巫女霊夢と魔法使い霧雨魔理沙に取って代わられた。私が物事を解決しようともがけばもがく程、物事は複雑にもつれた。最後は私が全身全霊でお仕えし、同時に私を保護する存在であった二柱がお出ましとなる。私は異変をきちんとした形で解決した事が無かった。いつしか守矢神社の評判は下り坂となり、“妖怪の山のお飾り神社”とまで呼ばれる様になった。
ある日の事。私が買い物を終えて戻った時。神社で見知らぬ少女に出会った。彼女は私と同じ服を着て、箒で境内を掃除していた。目が合うと、静かに微笑みながら会釈してくる。
「こんにちは‥‥どちら様でしょうか?」
私の問いは、美しくも威圧感を伴った声に遮られた。
「お前がそれを知る必要は無い、早苗」
宙に舞う複数の御柱。柱が織りなす陣の中央に腕組みをして立つ姿の神々しさ。私がのほほんとした日々を過ごす内、かの方が軍神である事を忘れきっていた。そして、その視線が完全に敵対する者へのそれである事。
だが、何故。八坂神奈子様は、先刻、買い物に飛び立つまでの私と談笑までしていたのに。
背後に気配を感じた。振り向いた私の左頬に焼かれた様な痛みが走る。それと同時に身体から力が抜け、手から御幣と買い物袋を落としてしまった。買い物の中身、今日の夕飯にするつもりだった食材がぶちまけられる。
「おや、悪い子だねぇ? 折角あの子が掃除した境内を汚すなんて」
洩矢諏訪子様は酷薄な笑みを浮かべていた。その後もずっと忘れられない、思い出の笑いを。
「諏訪子‥‥様?!」
「気安く呼ぶんじゃないよ、ただの人間風情が」
諏訪子様はケラケラ笑いながら、箒を持って身を固くしている少女の背後に回り込み、その両肩に手を置いた。
「我が守矢神社の風祝のこの娘ならともかくね?」
「?! 何の事を仰っているのです!」
神奈子様が私達の間に割って入った。
「お前が知る必要は無いと言ったはずだ」
そして、忘れようも無い瞬間が私に訪れた。神奈子様が放った御柱が直撃し、後ろへ吹き飛ばされた私は長い階段を転げ落ちて行った。途中の踊り場でようやく止まったが、全身を覆う鈍い痛みと痺れに似た感覚が、急激に意識を暗闇へと誘った。
私は目を覚ました。結界を張り巡らしたテントの中から顔を出し、周囲を伺う。淡い朝の光が森の中の空間を包み始めていた。
しかし、あいつはこんな早朝を好む。朝の早い動物や農夫らを主に狙うからだ。
私は狩りの準備を始めた。“あの日”以降、私からは空を飛ぶ力と弾幕を撃てる程度の霊力は失われた。だが、それを補う物は幾らでもある。
“あの日”助けてくれた河童の友人が作ってくれた武器や、香霖堂で手に入れた品物。
それらが私を今まで生き長らえさせて来た。
霊力を増幅し、履いた者に跳躍力と着地力を与える天狗の下駄。外の世界でも見た事があるが、今の自分が使うとは思わなかった肩からかける弾帯。無骨な大型弾が何発も納められている。そして、体中に投げナイフ、ブーメラン、爆薬など、ハリネズミの様に武器を巻き付け、ぶら下げる。それらとぼろぼろの薄汚れた上着の上から、緑のマントを羽織った。最後に、凶悪な穴が先端に二つ並んだ丈の短い銃を腰のホルスターに突っ込み、宝剣を背中に背負う。
さて、後はあいつをおびき寄せるだけだ。私は結界テントの外に出ると、ナイフを一本取り出し左指に刃を走らせた。そして、ゆっくりと顔に紅い横線を描く。左頬に来ると、今でも時々痒くなる傷跡を感じる。
血のペイントが三本目になった頃。ようやくお客さんが来た。私は無造作に右手を上げ、その先に握る銃の引き金を絞った。近くの高い枝から襲ってきたそいつが、轟音と共に粉々に砕け散る。
周囲から次々と襲い来るのは、紅い毛をした猿達だ。人里で人間の血肉を与えられて育った見世物用の猿が、飼い主を喰って脱走し、繁殖して被害をもたらしている。
こいつらの存在は妖怪とは違う、と私は思う。ただのモンスターだ。
今の私みたい。
銃で更に一匹、投げナイフで二匹、ブーメランで三匹。爆薬は森を焼く可能性があるから使えない。私は枝から枝へ飛び移りながら銃を折り曲げて、弾を込めた。そして、弾丸代と人食い猿の賞金を天秤にかけ、舌打ちしながら銃をしまう。代わりに宝剣を抜いて、宙ですれ違いざま一匹を斬り捨てる。最後の一匹が喚きながら逃走を始めた。
ケダモノ、逃すわけにはいかない。私は必死にジャンプを繰り返し、奴の背中に宝剣を投げつけた。樹に縫い付けられ絶命した猿から、私は宝剣を抜いた。そして、その首を描き切り結界テントに戻る。
この薄汚い首を届ければ、今回の仕事は完了だ。
私に未だ、“奇跡”が残っているのだろうか。根拠地にしている、妖怪の山の麓の小さな町へ向かいながら、私は時々考える。
こうして魔物ハンターとしてあてもない日々を送りながら、だらだらと生き延びている。
それは“奇跡”がもたらしている効果なのか。“奇跡”とはその程度の物なのか。
だとすれば、幻想郷での私は“運がいいだけの雑魚”に過ぎなかった事になる。博麗の巫女になど敵うはずもない。神に仕える資格も無かったのだ。
虚しい発見を胸に抱え、私は町の入口へと降り立った。
「あーら、早苗ちゃんいらしゃーい」
木戸を開けると、いつもきつい香水の匂いが真っ先に出迎える。全身のあちこちに鱗の浮き出たオヤジが、カウンターの向こうでしなを作った。最初見た時は吐き気を覚えたものだが、慣れとは恐ろしい。
「風呂を使わせて貰える? それと一人部屋に寄越して」
金貨を三枚置くと、主人のにこやかな笑みが一層不気味になった。
「いーわよ、お風呂の後? 前? ご飯はどうする?」
「風呂の後で。食事は後で下に降りるから」
「毎度!」
ここは売春宿だった。
私は浴場に入った。ここでは素性不明の客や宿の娼婦らに出くわす事もある。だが運良く入浴者は私一人だけだった。私も女だが、あまり喋るのは得意ではない。否、得意では無くなった。
体を洗う前にやる事があった。
洗い場の鏡の前に腰を下ろし、曇りを拭う。そこに浮かんだ顔をじっと見つめる。天然が服を着て歩いている、と言われた間抜けな少女の顔は無い。目付きは鋭く、無表情な顔がそこにあった。左の頬に薄い蛙の様な紋章が彫り込まれ、それを縦に切り裂いた様な傷跡が残っている。
その傷跡を左手の指で何度も撫で、私は動悸を高まらせていく。右手が股間の秘所に伸び、割れ目を開いた。指を滅茶無茶に動かし、ぬるぬるとした液体を導き出していく。
傷跡を触るだけで濡れる自分が不思議だ。だが、今ここに誰かが入ってきても止める気は無い。
屈辱? 裏切り? 怒り? そのどれでもない。
私は愚かだった自分を慰めているのだ。そのために生きている。
傷跡を静かになぞり、股間の指は激しく動かす。我ながら器用な事をしながらも、私は自分が段々と高みに向かっているのを感じた。
愚か、無能、無知。今でも私を満たしている全て。それらを絞り出す様に、私は股間の突起を摘み上げた。
軽い自慰の後、風呂を使い、部屋に戻ると間もなくドアをノックする音がした。オヤジは絶妙なタイミングで“派遣”をする。私がここを常宿にしている理由でもあった。
ドアを開けたのは若すぎる、少女から女になったばかりという位の娘だった。
「あ、あの、早苗さんですか?」
私は感情を込めない視線のまま、相手の目を見つめた。
「余計な台詞はいいわ」
立ち上がり、いきなりバスローブを脱ぎ捨てる。私は下着を一切身に着けていなかった。体付きはすっかり筋肉質になり、あちこちに傷跡が残っている。
太腿に鞘ごとくくり付けたナイフだけが、私の身体を隠すアクセサリーだった。
「いい? 私の指示に従いなさい。そうすれば金貨で支払うわ」
「は、はい」
「でも馬鹿な事をしたら喉を切り裂くわ。覚悟を決めて、私を扱いなさい」
私にとって、娼婦は価値の有る存在だ。自慰では満足出来ない性欲を満たす道具として。
「まず、足元から全部の傷跡を舐めていきなさい」
「傷を‥‥?」
きょとんとした娘の顔を軽く張った。
「黙って従いなさい」
娼婦は足元の少し肉の抉れた傷跡から、丁寧に優しく舐め始めた。
部屋の中には、全裸で立ち尽くす私と、その足元で“奉仕”する娘。傷跡を獣めいた仕草で舐め続ける音だけが響いている。
私は自分の陰唇を指でなぞり始めた。娘は素知らぬ顔で別の傷を舐めている。彼女が舐める音と共に私の股間も潤い始め、卑猥な音を立て始めた。
今度は指を挿入し、無茶苦茶に掻き回す。潤滑の液が出ていなかったらただ掻きむしっている様に見えただろう。
娘が傷を舐めるのを止め、突然の私の痴態を見上げる。
「あ、あの」
「止めないで! もっと、傷跡を舐めて、噛んでぇ!」
まともに相手をしても無駄だと思ったのか、娘は私のリクエストを忠実に履行した。太腿やお尻の傷跡を撫でさすり、舌で舐め回した。指先がミミズの様な肉の盛り上がりを摘み、唇が優しく甘噛みする。私はその愛撫に応じて激しく指を動かし、遂に愛液をぶちまけた。
やがて全裸に剥いた娘をベッドへ横たえ、私は彼女の身体を貪った。両手で乳房を鷲掴みにし、その桃色の先端に歯を立てる。下半身は前後に動かし、互いの秘所を擦り合わせた。
何も知らない娼婦の上で、傷だらけの私が動く。娘は軽く私を抱きながら、その異常な性欲に辟易している事だろう。私は今ここでドアが開き、敵が私を犯し殺しても後悔の無い様にしているだけだ。でも、昔直接会った事のある閻魔様と再開したら、私はこう宣言されるだろう。
「黒です」
と。
そんな些細な事はどうでもいい。今は眼前の娘の舌をねぶり尽くし、唾液を交換して、口の中も蹂躙し尽くす。相手は苦しそうだが私は自分を抑えきれなかった。
ぐちゃぐちゃに乱れた下半身からは、汗と女の愛液の匂いが混ざった臭いが漂ってくる。
まるで存在しない男のアレが、相手を滅茶苦茶に刺し貫いている様に。やがて娘は商売用の演技ではない声で喘ぎ、叫び、達した。だが、私はまだ満足出来ない。
娘をひっくり返し、丸見えになった陰唇と菊門を見つめる。液が溢れて止まらない下の口に、私は迷わず吸い付いた。渇きを癒す様に音を立てて舌を使い、愛液を貪る。娘が再び嬌声を上げた。
私が神に仕える身から、死をもたらす商売へと鞍替えした事により、何を得て、何を失ったのだろう?
少なくとも、この身に刻まれた多数の傷跡。それは消せない烙印。資格の無い者への鎮魂歌。
「なー、神奈子? ‥‥は先刻から何をぶつぶつ呟いているんだ?」
「妖怪退治で疲れが溜まって、眠っているのさ。ほら、涎でノートもぐちゃぐちゃだ‥‥」
私は願う。夢では無いんだ、この声は。懐かしいあの時に戻るんだ。私は居眠りをしているだけで、もうすぐ目を覚ますんだ。
だが、二柱が見ているのはあの新しい風祝。その顔が、無邪気に笑う。夢にすら、お前の居場所は無いと。
私はナイフを握り、その上に突っ伏して寝ていた。奇跡や信仰より、現実を信じる日がまたやってくる。
終