※この作品はR-18です。

性的虐待の被害者を暴かなければ出られない部屋   作:氷菓くん

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01/15 あってはならない隔離

 まどろみの中で不意に、寝返りが打てすぎていることに気づいて、ほどよくあった眠気が排水溝に吸い込まれるかのように消えていった。

 寝返りが打てすぎている……とは、つまり、物理的にあり得ない広さの中に自分が寝ているということ。目を閉じたまま同じ方向に、三度、四度と転がっても、行き止まりの壁にぶつかったり、ベッドの端から落ちるという結果が一向に訪れない。昨夜は確かに自室のベッドの上で目を閉じたはずなのに、一方向への寝返りを打てども打てども、あるはずの端にたどり着くことがなかった。

 それが異常であることに気づき、何事かと目を開けると、眼前には硬くざらついた素材の壁が見えた。それは明らかに自室の物ではない。……また、布団の感触をよく確かめてみると、マットレスのスプリングらしき物はそこになく、敷き布団の下にはただ床が広がっているように思えた。

 そんな現状にまったく理解が追いつかないまま、俺はとりあえずのそのそと体を起こす。飛び起きるほどの瞬発力は、寝起きの頭にはまだ湧いてこない。

 ……上半身の分だけ高くなった視点から周囲を見渡してみると、どうやらここは旅館の客室らしかった。ざらついた壁紙と木の柱、押し入れの襖などに囲われた部屋の一面に白い布団がいくつも敷かれていて、俺がその上をこの身で転がり荒らしてきたような形跡も見て取れる。

 部屋はかなり広いようで、今居る布団の敷かれたスペースとはまったく別に、テーブルやテレビが置かれたメインの居住スペースが一人には広すぎる規模で確保されている。ここが一般の宿泊施設だとすれば相当な値段がするのだろうけど……と考えつつ、徐々に視線を、朝日の差し込む大きな窓の方へと向けていくと、

「やあ、おはよう」

 唐突に女性の声が聞こえた。

 身に覚えのないその声にはさすがに驚いて、寝ぼけた脳みそが覚醒し肩が跳ねる。

 旅館の一室らしく窓際には小さなガラステーブルが備えられており、それを挟むように脚と背もたれ付きの椅子も二つ置かれている。そのうちの片方に、いつの間にか小柄なシルエットが腰を下ろしていた。あるいはそれは初めからそこに居たのかもしれない。

 朝日の逆光に縁取られたシルエットは長髪の女性のように見えたが、その体格は子どものように小さい。しかしその一方で、「おはよう」と言った彼女の声は大人のように落ちついて低く、軽快な調子の中にどこか、社会に擦れたような気だるさを含んでいた。

 その彼女が立ち上がり、傍にあった小型の冷蔵庫を開いて500mlの緑茶のペットボトルを取り出す。そしてキャップはひねらずにそれをブラブラと手に下げたまま、彼女は真っ直ぐこちらに歩み寄ってきた。

 布団の上で呆然と座りこむ俺に、その緑茶が差し出される。

「飲む?」

「あ、いや。……いただきます」

 逆光から抜け出してきた彼女の姿が、その時はっきりと見えた。……やはり子どもだ。少なくとも見た目に関しては。

 小さな体と幼い顔つき。そんなあどけなさからは浮いた特徴として、長い黒髪のインナーカラーに明るいブルーが見える。こちらだけが座っている状況なら見上げる程度には背があり、こちらを見つめるその表情には、無邪気さと引き換えに得たような知性が宿っている。あえて年齢を推測するなら高く見積って中学生くらいだろうか……と考えながら、キリリと音を立てて開く新品のペットボトルに口をつけて、俺はとりあえず喉を潤す。

 なんとなく、どうせこの少女はサキュバスなのだろうと思った。見た目に不相応な言動や振る舞いを見せる女性は、きっと大抵の場合そうなのだ。

「なかなか冷静だね」

 こちらを見下ろして、どこか楽しげに少女が言う。

「いや、状況は一切把握できてない。ここはどこなんだ……?」

「どこか、というと、「隔離空間」だ……とでも言っておこうかな。少なくとも地球儀には載っていない場所だけれど、宇宙でもない。そういう場所って言って伝わるかな?」

「まぁなんとなく……」

 サキュバスは魔力を用いた「種族として共通の力」の他に、それぞれが「固有の魔法」を使う……らしい。俺はそれをまだ見たことがなかったけれど、今居るこの場所がアニメじみた異空間だというのなら、それは十中八九、目の前の少女の魔法によって作り出された物なのだろう。

 つまり俺はその少女の思惑によって、眠っている間にこの異空間へ転送されて来たということになる。……そうなると真っ先に気になることは一つ。

「で、なんで俺がここに……?」

「なんでか、というと、うん。君にやってほしいことがあって、わたしが連れてきたんだよ。悪いけど勝手に」

「やってほしいことっていうのは?」

「おお、話が早いね。……君にやってほしいのは、まぁざっくり言うと、クイズってことになるのかな」

「クイズ?」

「そう」

 少女が布団の上で俺を見下ろすことをやめて、背が低く広いテーブルや大きめの液晶テレビが置かれたリビング的スペースの方へと歩いていく。そしてテーブルの上にあったお茶菓子を一つ、こちらに投げて寄越した。

 どんくさい俺がキャッチに失敗したことで、布団の上に個包装のそれがポスッと落ちる。中身はどうやらクッキーらしい。とりあえず開けて食べてみる。……旨い。

「今この旅館には、三人のサキュバスがいる」

「三人? あなたを除いて?」

「ん? ……あぁわたしはサキュバスじゃないよ。でもまぁ、そうだな、わたしを除いて三人だ。君がまだ顔も合わせていないサキュバスが三人、この旅館の中にいる」

「ふむ……。で?」

「で、君にはこれから時間をかけて、彼女たちの秘密を暴いてほしいんだ。それが君にやってほしいこと」

「秘密っていうのは、どんな?」

「どんな物か、というと、そうだな。……三人の中に一人だけ、幼少期に性的虐待を受けて育った子がいるんだけど。その一人が誰なのかを、君には彼女たちとのコミュニケーションから予測してもらって、当ててほしい」

「……もしそれを断るとどうなる?」

「断ると、というか、経緯がなんだったにせよ、とにかく君が一度きりの回答で正しい答えを言い当てられなければ、……君とその三人のサキュバスたちは、この旅館の外には一生一切出られなくなるんだけど。それでも断る?」

「出られない……? 閉じ込められてるのか? 今、俺とその人たちは」

「そういう魔法がかかってるんだよ。言うなればそう、ここは、セックスしないと出られない部屋ならぬ、性的虐待の被害者を暴かないと出られない旅館、だね」

「……はぁ、なるほど」

 間の抜けた相槌を打ちながら、突拍子もない話をあっさり飲み込み納得している自分がいた。数十年前ならともかく、今となってはサキュバスの存在が人間社会の常識となっているのだから、まぁそういうこともあるんだろうな……と。

 現にどうしようもなく見知らぬ場所で目覚めてしまっている以上、あらゆる出来事は受け入れて考えざるを得ない。ここがそういうルールに縛られた場所なのだと言われればそうなのだろうし、俺はきっと何がなんでも、そのクイズとやらに正解しなくてはならないのだ。

 そして何より、「他の誰か」ではなく「俺」がこの場所へ連れてこられた理由が、話を聞いて分かった気がした。

 少女が語った悪趣味な企画に、俺という男は確かに適任なのだろう。なにせ俺にはちゃんと「元の世界へ帰りたい理由」がある一方で、「性的虐待被害者の過去を暴くだなんて、そんな悪趣味なことは出来ない」などとお行儀のいいことを言う資格はない。

 部屋の隅にはコンセントがあった。そこに差し込まれた見覚えのある充電器に、見覚えのあるスマホが繋がれている。どちらも俺の私物だ。きっとインナーブルーの少女が俺を攫うついでに持ってきたのだろう。

 ……そして彼女はきっと、そのスマホの中身を知っている。性的虐待を取り扱ったエロ漫画やAV、あるいは成人相手かつ同意こそ得ていても、虐待以外の何物でもないプレイを収めたハメ撮り映像の数々が、そこに保存されていること。きっとそれを知っているからこそ、彼女は俺を「適任」としてここへ攫ったのだ。

 つまりこれは、ある種の因果応報なのだと言える。俺が人としてまともな心さえ持っていれば、謎の悪趣味な少女に見初められて、こんな場所へ連れてこられるということもなかっただろうに。

 少女は自分もクッキーをついばみながら、その離れた距離から俺の目をジッと覗き込んだ。

「どうかな? 君には快く協力してもらえれると助かるんだけど」

「……まぁそういうことなら仕方がない。が、一つ聞かせてほしい」

「なんだろう」

「この企画は、あなたの趣味か何かなのか?」

 問うと、少女はやはり、明らかに子どもならざる笑みを浮かべた。

「趣味か、というと、もちろんそうだよ。君とは気が合うんじゃないかな?」

「はぁ……。そうだな、違うとは言えない」

「ふふ。じゃあ話もついたところで、さっそく三人との顔合わせに行こう。皆もう食堂に集まっているはずだよ」

 言って、少女が立ち上がる。この部屋の玄関へと向かうその背中に向けて、俺は自分の格好を見下ろしながら聞く。

「あぁ、ところで着替えはないのか? 寝巻きのままっていうのは……。……ん?」

 言いながら、気がついた時には、俺は馴染みの私服を着ていた。Tシャツに短パンという特に面白みのない格好を、いつの間にかすでにしていた。

 そのことに驚いている間にも、異変は連続する。玄関に向かったはずの少女の姿が、扉の開く音も気配も無しに忽然と消え失せていた。……代わりに、目の前に一枚の紙切れが舞い落ちてくる。そこには旅館の間取りが……つまりは地図が機械的に描かれており、親切にも食堂への道筋がマジックペンで記されていた。

 その地図を見て始めて、俺はここが地上三階なのだということを知った。

「まぁ、行けってことか……」

 おそらく三人のサキュバスとやらもどこかしらの部屋で目を覚まし、似たような経緯を経て食堂へ導かれているのだろう。……クイズの趣旨から考えて、俺以外の者には間違いなく「出題内容」までは伝えられていないのだろうけど。 

 ともかく、俺はスマホをポケットに入れて部屋を出る。そういえば部屋の鍵はどこにあるんだろう……と思った時には、部屋番号の書かれたキーホルダーがちゃらりと音を立てて、銀色の鍵がすでに己の手の中に握り込まれていた。……きっと今後もいろいろな場面でこういう異変じみた便利さに遭遇するのだろう、と予感させられる。

 地図によると、食堂は一階にあるらしい。

 部屋を出てすぐの廊下にはそれなりの開放感があった。自室の向かいに別の部屋はなく、廊下の壁面片側のほとんどのスペースを窓が占めている。……そこからの景色として普通に外(山らしき自然に覆い尽くされている)が見えるものだから、試しに窓に取り付けられているクレセント錠を回そうとしてみるけれど、案の定びくともしなかった。

 廊下を見渡しても、窓の外に揺れる木々を眺めても、これといって不自然なところは見受けられない。が、それでもここが謎の異空間であるという意識からか、なんだか気味が悪くてエレベーターを使う気にはなれなかった。

 階段を降りて、明るくも無人のロビーを経由して、食堂へ向かう。ロビーの隅に義務のように設営されている土産コーナーが視界の端に映るけれど、そこのレジもやはり無人だった。

 食堂の入口を通り抜けると、ずらりと規則的な間隔で並べられた大量の長テーブルや椅子の列が視界に広がる。そしてそれらの中心に、同じ柄の浴衣を着た若々しい見た目の女性が確かに三人、こちらから見て縦の配置に向かい合って座っていた。俺はそこに向かって歩いていく。

 同じ形のテーブルと椅子が規則的に並び、白いライトに淡々と照らされたこの部屋には、本来聞こえてくるであろう環境音や人の話し声が一切ない。座っている女性たち三人もなぜか微動だにしない。まるで、腹の底で静かに怒りを燃やしているかのように……。

 俺はその場の異様な雰囲気に内心たじろぎながらも、そうしなければ仕方がないから、誰でもない「彼女ら」におそるおそる声をかける。

「あ、あの」

「うん?」

 三人全員がこちらを振り返った。

 全員とも、一目見てわかる美人だった。

 そのうちの一人が、フッとほどけるような笑みを浮かべて、感じの良い声音で言う。

「あぁ、おはよう」

「えっ、あ、おはようございます」

「おはよ」

「おはようー」

 口々に朝の挨拶が交わされる。まるで単に旅行の二日目の朝であるかのように何の危機感も伴わない様子で、直前までの異様な雰囲気は嘘のようにかき消えた。

 その流れで俺は促されるまま、その場から最も近かった第一声の女性の隣の椅子を引いて着席した。浴衣の美女が三人に、ラフな私服の男が場違いに一人。計四人の二人ずつが向かい合う配置になる。

 俺はひとまず、三人全員のことをそれとなく見回す。「美形」という共通点を除いた容姿の特徴としては、自身から近い順にそれぞれ、クール系の黒髪ショート、小顔のツインテ、淡いピンク色の長髪……といった具合で、三人とも初対面ながら一目で判別できる。

 黒髪ショートがこちらへ少し肩を寄せて言う。

「喉渇かない? なにか飲む?」

「え、あぁ、どこかにあるんですかね? 飲み物とか」

「それが、ほしいって思ったら出てくるんだよ。食堂だからかな。……ほら」

「えぇ……」

 言いながら彼女は、無から「グラスに入ったオレンジジュース」を取り出した。いや、取り出したというのも違う。気がついた時にはすでに、彼女はそれを持っていたのだ。

 着替えや部屋の鍵の件から、そういった現象にはすでに心当たりがある。どうせそれを改めて試すなら、自分はオレンジジュースとは少し毛色の違う物にしてみよう。……と企みつつ念じてみたところ、テーブルの上、俺の目の前に、グラスに入ったサイダーが現れる。

 それを一口飲んでみる。すると、その甘く透明な液体からは、綺麗に炭酸が抜けていた。しかも火傷をしない程度に熱い。……俺がそうなるように望んだのだ。

 炭酸の抜けた炭酸飲料のホットなんてゲテモノは、およそ事前に用意しておける物ではないだろう。それが瞬時に手元に現れたことを考えれば、この手の現象は物品のワープ的なことではなく、本当に今この瞬間に無から出現しているものなのだと推測できる。……そんな無茶苦茶な現象を実現できる人物によって自分たちはこの場へ集められたのだということを、危機感として少しは意識しておいた方がいいのかもしれない。

「さて! 皆さんお集まりになったところで!」

 突然、素っ頓狂かつ聞き覚えのある声が響いた。

 人数に対して広すぎる食堂に反響したその声に、俺と三人のサキュバスは弾かれたように振り返る。

 全員の視線の先に、例の少女が立っていた。

「各々説明を聞いているとはいえ、ここで改めてそれを共有しておきたいと思うんだけど。どうかな?」

 少女は順繰りに俺たちの表情をうかがう。そして異を唱える者はいないと見なすと、彼女は満足そうに「うん」と頷いた。

「ざっくり言って、君たちにはこれからクイズに挑戦してもらいます。そこの彼に、この場のサキュバス三人の中に一人だけ居る、ある特徴を持った人物は誰なのか? ということを言い当ててもらう。それに成功すれば全員が元の世界に帰れるし、失敗すれば二度とこの旅館から出られない。……そこまではオーケー?」

「質問しても?」

「どうぞ」

 手を上げたのは黒髪ショートだった。

「クイズの回答権は無限にあるの?」

「ううん、無い。回答権は一度きり。一度でも間違えればそこでおしまい」

「回答の期限は?」

「期限は、二週間だね。二週間後の正午までに回答できなければ、それも不正解と見なす」

「ある特徴……というのを私たちの方が推測して、彼に答えを教えることは有り?」

「お、いい質問。残念だけどそれは無しだね。もし君たちサキュバスが彼に意図的に答えやヒントを送った場合、その時点でクイズには誤答したものとして扱わせてもらうから、そのつもりでよろしく。……何かを察したとしても黙っておく方が身のためだってことね」

「……じゃあ最後。実力行使であなたに抵抗することは有り?」

「それは、有りか? といわれると、有りだね。無駄なことだからやめた方がいいとおも……」

 少女が完全に答え終える前に、黒髪は椅子を引いてすでに立ち上がっていた。

 彼女の手には、いつの間にか拳銃が握られている。

 彼女は俺に目配せして、叫んだ。

「君、耳をふさいで!」

 意外と咄嗟のことに体は動くもので、栓代わりの人差し指を両耳にさしこむと、その上からでも強烈な破裂音が数発連続して聞こえた。……見ると拳銃の銃口からはすでに白煙がのぼっている。

 その先に立つ少女は…………当たり前のように無傷だった。弾が外れたのか……? とも思ったけれど、彼女の周辺にすら、銃弾が飛び交った影響を伺わせる物は何一つない。「発射された弾が消えた」という想像が脳裏をよぎる。

 突如として現れた拳銃が黒髪本人の魔法ではないのだとすれば、それはジュースと同様にこの旅館特有の現象として無から現れた物なのだろう。すると当然、少女の魔法によって無から現れた物は、少女の不都合となれば無へと消える。それ自体は容易に察せることだったけれど……。

 同じことを、黒髪もすでに考えていたのだろう。彼女は銃を投げ捨てて、そしていつの間にか、俺たちに背を向けながら浴衣の裾をたなびかせ、少女の背後にしゃがみこんでいた。

 ビュウ……と不意に吹き抜けた風が顔に当たる。

 投げ捨てられた銃は、どこへ落ちることもなく姿を消した。

「残念。わたしが何に触れるかは、わたしが決めるんだ」

「……なるほど」

 不服そうな相槌と共に黒髪が立ち上がり、着崩れを直しながら俺たちの方へ向き直る。……俺は今何が起こっているのかをよく理解できなかった。

 ため息まじりに元の席……つまり俺の隣に戻ってきた黒髪が、着席しながらやや顔を寄せて小声で言う。

「今、あの子に飛びかかってみたんだけどね。すり抜けちゃった。映像を通り抜けるみたいだった」

「……あぁ、それが速すぎて俺には見えなかったみたいな?」

「そうそう」

 サキュバスは魔力を用いて人外の力を発揮する。小指一本で成人男性の渾身をねじ伏せられるように、きっと肉眼で捉えられない速度で動くことも可能なのだろう。というか、今の俺はまさにその実践を、捉えられずとも確かに目撃したのだと思う。

 けれど本人いわく、飛びかかった黒髪の体を少女は身さばきで回避するのではなく、その場から一歩も動かずにすり抜けてしまったらしい。もし全ての不都合が少女をすり抜け、あらゆる物が無から現れたり消えたりするのなら、確かに俺たちは少女本人にも、少女が用意した舞台にも、何一つまともな危害は加えられないということになる。本人が言う通り、実力行使の試みは完全に無駄なことなのかもしれない。

 ツインテとピンク髪の二人は、一連の光景を座ったまま眺めていた。彼女らに驚きや怯えの様子はなく、ただゆるやかな諦めを表情に浮かべている。

 彼女らの諦念は間もなくして、謎の少女以外のこの場の全員に共有されていった。

「それで、他に質問は?」

「はい」

 ツインテが気だるげに手を上げる。

「どうぞ」

「彼がクイズに正解して、ここを脱出したとして。……たとえばそれが一週間後だったとすれば、アタシたちは一週間行方不明になった人として元の世界に帰るんですか?」

「おお、いい質問。えーとね、それはありません。脱出の際には、ちゃんと全員を元の時間軸に帰します。だから安心してクイズに励んでね」

「…………」

「他に質問は?」

 次はピンク髪が手を上げる。

「今後分からないことが出てきた時、もう質問は受け付けてもらえないんですか?」

「んー、いや、……まぁ死活問題であればいつでも答えるよ。でもそうじゃない物にまでいちいち答えるのは、嫌だな」

「わかりました」

「うん。ほかに質問のある人はいる?」

 インナーブルーの少女を除く面々で顔を見合わせる。

 今は誰もこれ以上の質問を見出せないことを全員が察すると、黒髪が少女の方に向き直り、四人を代表して言った。

「質問はないけど、確認だけしても?」

「どうぞ」

「私たちは、彼が私たちに関するなんらかのクイズに正解しなければ、一生この旅館から出られない。クイズの回答権は一度きりで、回答期限は今から二週間後の正午まで。そして私たちは、仮にクイズの内容に見当がついたとしても、絶対に「知らないフリ」をしなければならない。……そういう理解でいい?」

「うん。間違いない」

「二週間の間の生活……たとえば食事は、ここで願えば与えられる物と考えてもいいのかしら」

「あぁそれは、二週間どころか、一生ここに居ることになったとしても保証するよ。……まぁ君たちサキュバスにとっての食事は、そこの彼を除いて何もないけどね。これ以上、人を増やす予定はないから」

「なるほど。……了解」

「うんうん。それじゃあそろそろ解散ってことでいいかな?」

 再び四人で視線を交わす。誰も異論はないようだった。

「それじゃあ、遅くともまた二週間後に! 健闘を祈ってるよ!」

 それだけ言い残して、プツリと途切れるように少女は姿を消した。

 物音一つしない静寂が、だだっ広い食堂に戻ってくる。

 ……俺がそこはかとない気まずさを紛らわせるために不味いサイダーの残りを飲み干すと、黒髪もそれを真似て、他の二人も各々自分の飲み物を召喚(この表現で正しいのか?)して口をつけた。ピンク髪はコーヒーを、ツインテは水を選んだらしい。

 その水の横に、突如として平皿に乗ったサンドイッチが現れる。

「本当に出てくるね」

 言って彼女は一口だけそれを食べて、残りは念じることで消し去った。この手の「召喚」がワープによる現象でないのなら、生産も廃棄も、もったいないの概念もないことになる。一口だけ食べておしまいという振る舞いも、道徳的観点から見てなお合理的であるというわけだ。

 口の中の物を咀嚼し終えたあとで、彼女はもう一口水を飲んでから言った。

「さて、じゃあ皆で自己紹介でもする?」

「え」

「これから長くて二週間、……それか最悪一生を共にする仲になるわけだし、必要でしょ?」

「あ、あぁ……、確かに。必須だ」

「それじゃあアタシからね。名前は」

「あっ、ちょっと待った!」

 俺は名乗りかけたツインテを静止する。

 怪訝そうな……あるいはいっそ不愉快そうな顔で言葉を止めた彼女が、にらみつけるようにこちらを見た。

「……なに?」

「いや、あの、ちょっと相談なんですけど……。ここではそれぞれ偽名を名乗りませんか?」

「偽名? なんで?」

「いや、だってほら、無事にここから脱出できたあとは、俺たち他人同士になるわけでしょう……? お互いどこから来たのかも分からない、何の接点もない者同士ですし」

「そうだけど。それがなんで偽名……?」

「それは……。……詳しく言うとゲームオーバーになるから言えませんけど、でもクイズの内容が、あんまり良くない物なんです。個人情報的な感じで……。だから本名を名乗ってしまうと、ここから出たあとの生活に、万が一の不都合があるかなと……」

 俺の言葉に、今度は三人のサキュバスたち全員が怪訝そうな視線を寄せる。自分たちの個人情報がクイズにかけられていて、しかもそれが具体的に何なのか分からない上にわざわざ偽名を推奨されたとなれば、まぁ当然そういう反応になるだろう。……これから共に暮らしていく身として、その射るような視線の迫力にすでに心が折れそうになる。

 しかし、そんなプレッシャーを送って来るうちの一人が、すでに取り返しがつかないほどに尊厳を踏みにじられた過去を持っているのだとは、言われなければ到底気づけるものではない。だからこそ、やはり俺は彼女らの本名を聞く気にはなれないのだ。なぜなら無事にここを脱出するということは、この場の全員が「性的虐待を受けていたのは誰なのか」を知ったまま外に出ることを意味するから。

 俺はすでに三人の顔を知っているし、今後の暮らしの中でもっと多くのことを知っていくかもしれない。……すると知られた側の気持ちはどうなる? 本来なら誰にも知られたくないはずの、知られずに済んでいたはずの秘密を、暗い過去を、否応なしに暴かれたまま元の世界に戻って、穏やかな気持ちでいられるものだろうか……?

 そう考えると、今から人のトラウマをえぐり出して掘り起こそうという時に、全てが終わった後で「所詮は名前も知らない者同士の一瞬の出来事だったんだ」と割り切れる可能性を捨てることは可能な限りしたくない。せめてもの匿名性を確保しておきたい。

 けれどクイズのルールの都合上、その意図は当然ながら彼女たちには伝えられない。その結果ふわっとした説明を聞かされ、少なからず不服そうな顔をしたツインテを見た時にはダメかと思ったけれど、そんな彼女も最後には譲歩のため息を吐いてくれた。

「……よく分からないし、まぁべつに偽名でもなんでもいいけど。とりあえず適当に名乗っていい?」

「あ、はい」

「偽名ってことなら、アタシはA。アルファベット一文字のAね。……他の人たちはどういう名前にするの?」

「わたしは花子で」

 ピンク髪が立候補した。

 二人から視線を送られて、最後に黒髪が名乗る。

「じゃあ私は、チャカ」

「ちゃか……?」

 A……花子……の流れから飛び出した「偽名の定番」からはかけ離れた響きに、俺を含むその場の全員が腑に落ちない顔をする。すると黒髪は、指で鉄砲の形を作り、おどけた顔をしてそれを発砲するジェスチャーを見せた。

 彼女の意図を理解して、全員が「あぁ」と少しだけ笑う。よくドラマや漫画に出てくるヤクザが言うように、拳銃の別名はチャカなのだ。先程いきなり拳銃をぶっぱなした彼女にもそれはふさわしいあだ名である。

 ひときわ小顔のツインテール美少女がA、ピンク色の長髪が目立つ美人が花子、クール系の黒髪ショート美女がチャカ。見た目はもちろん、名前まで異なるタイプに定まってくれたおかげで三人とも覚えやすい。

 そして最後に残された俺にも、覚えやすい偽名には自信がある。

「それで、アナタの名前は?」

 チャカのネーミングに笑ったことで少し雰囲気のやわらいだAが俺に聞く。

 俺は、ここを脱出したあとに万が一ネットで検索されても平気なように、使い馴染みのペンネームをわざと簡素な略称にして答えた。

「俺は「青ウニ」でお願いします。昔使ってたハンドルネームなんです」

 昔、というのは嘘である。

 

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