背もたれ付きの椅子が五つ、大きく円を描くように向かい合っていた。壁も床も照明も白く、無駄に広くてよく音の響くその部屋は、あらゆる備品が忽然と消え失せたこの旅館の食堂だった。
五つの椅子の上には、この悪趣味な物語の登場人物全員が座っている。
椅子の配置は、俺の正面に奴が……黒幕がいる。そしてその左右をそれぞれ、チャカ一人のみの辺と、Aと花子が隣合った辺が埋めている。
決を採った途端に突然、それこそ時を飛ばしたかのようにここへ集められた俺たちは、驚きと困惑にシパシパとお互いの顔を見合わせた。……誰も、決して黒幕の方を見ようとはしなかった。
不服はない。クイズに回答すると決めたのだから、その場を用意されたのだろう。その理不尽な速度感に驚きこそしても、前言を撤回するつもりは誰にもない。
実際、黒幕は俺たちに一つの念押しすらしなかった。彼女は第一声から声高らかに促す。
「さて、それじゃあ答えてもらおうかな。まずはクイズの出題内容から、その次に回答を。青ウニくんの口から全部お願いするよ。あ、せっかくだし立ち上がって言ってね」
彼女の機嫌を損ねれば、約束を反故にされることもあり得る。俺は言われた通りに立ち上がった。
まるで子どもの頃に、自分の悪事を、自分に不理解な大人へ白状する時のような。逃げ出したくなるような、逃げきれないことが分かっているような、体にまとわりつく有刺鉄線のようなプレッシャーが、俺の声をみっともなく震わせる。
取り返しのつかないことにはいつも実感がない。何かを見殺しにするかのように、あらゆる自問自答を覚悟とも自棄とも取れない勢いですり抜けて、震える声は喉を伝い、舌をよじ登り、外へ出る。
「……クイズの出題内容は、この中に一人だけいる、幼少期に性的虐待を受けていた人物を言い当てること」
確かに全員へ聞こえる声量で宣言した。にも関わらず、誰の表情もぴくりとも動かない。
それを確認してから、俺は続ける。
「その答えは、……………………Aさんだと思います」
はっきりと、そう答えた。
そして、まるでそうすることで未来を良い方向へ変えられるとでも言うみたいに、その場の全員の反応を必死で観察した。
チャカはただ前を向いている。俺の方は見ず、おそらく誰のことも見ていない。彼女が今何を考えているのかは、俺には分からない。
花子はただ下を向いている。本人の視界に収まっているだろうその足は、もうぷらぷらと揺れてはいないけれど。彼女が何を考えているのかは、俺には分からない。
黒幕は、髪の内に目立つ青色を覗かせながら、俺の方をジッと見ていた。その目に宿る人並みの煌めきが今は何を意味するのか、俺には分からない。ただ彼女は、首元まで留まったワイシャツのボタンを、爪で撫でるように掻いた。
そして、Aは。……Aはその小さな両手で、自身の小さな顔を覆った。頼りない腕に、二つに結ばれた髪に、もう汗はかいていない。彼女が何を考えているのかは、俺には……。
…………俺には、手に取るように分かる。
Aは顔を覆い背中を折り曲げたまま、微動だにしなくなった。そのまま何秒が過ぎたのか知れないが、俺はすぐに、彼女が衝動を押さえ込んでいるのだということを理解した。なぜなら、彼女が全身に力を込めて、まるで自分自身を押さえつけるかのように震えていたから。
俺には、彼女が何を押さえつけているのかが分かってしまった。彼女が押さえつけているのは、負の衝動だ。
叫び出したい衝動を、頭を掻きむしりたい衝動を、飛びかかりたい衝動を、気が済むまで殴りながら罵りたい衝動を、地団駄を踏みたい衝動を、泣き出したい衝動を、命乞いをしたい衝動を。…………それが「攻撃」になることを恐れて、必死に押さえつけている。
それを見れば嫌というほどに理解出来た。
俺は答えを間違えたのだ。
「残念! 正解は花子ちゃんでした!」
パァっと晴れやかな顔をして、キレの良い動きで花子の方へ手のひらを向け、黒幕がトドメを刺した。
A以外の全員の視線が集中する中で、花子は照れくささと申し訳なさが混じったような笑みを浮かべる。その視線は俺の方へと向けられていた。
「それでは花子ちゃん、皆に何か一言どうぞ」
言って、黒幕はどこからともなくマイクを取り出し、それを花子に投げてパスする。すでに電源が入っていたようで、花子が受け取ったと同時にキーンと耳障りな音が響いた。
彼女は少しだけ不思議そうにマイクを見つめたあと、表彰に応えるみたいに難なく、言われた通りにそれを口元に近づける。
「えーっと、みんな、ごめんなさい。薄々そうなんじゃないかなって思ってたけど、伝え方が分かりませんでした」
言って、彼女はハッキリと俺の方に向かって……立ち尽くした俺の方に向かって、ぺこりとお辞儀をした。
その途端、マイクからは金切り声のようなノイズが鳴る。ゴトリと重い音を立てながらそれは落ち、椅子は倒れ、花子の背中は床に叩き付けられて。気づいた時にはその上に、Aの華奢な体が馬乗りになっていた。
「分かってたなら!! 分かってたならぁ……!!」
言葉を紡ぐ余裕もロクになく、しかし殺意だけは明確で。彼女の両腕が花子の首を渾身の力で掴み、ぐわんぐわんと叩きつけるように揺さぶる様が視界に映る。零れる涙は見えなくても、マイクに拾われる声からAの感情が痛いほどに伝わってくる。
プレイですらない、正真正銘の殺意から来る暴力。俺のせいで起こったそれを目の当たりにして、俺の体は動かなくなった。声も出せなかった。けれどそれを不甲斐なく思う暇もなく、
「お願いやめてッ!!!!」
チャカが叫んだ。
ハッとした時には、すでにAの首に頑丈そうなロープが巻きついていた。そのロープは天井からだらりと垂れ下がっており、その天井にはいつの間にか、まるでそのロープを回収するためだけに開けられたかのような小さな穴が開いていた。
走馬灯のように、花子の言葉が脳裏によみがえる。「首を吊られたまま犯されたことがある」。
チャカの叫びに誰もがピタリと動きを止めたところで、黒幕が「ちぇ」とつまらなさそうに言った。
「はい、暴力反対、暴力禁止。Aちゃんはすぐに席に戻らないと、そのまま吊るしちゃうからね」
そう言われては、Aは表情を凍りつかせて席に戻るしかなかった。花子も浴衣の裾を手で払いながら、自動で起き上がった椅子に再び着席する。
犬の首輪のようについたロープは、Aが従順に着席してもまだ消えない。彼女が不安そうに首元のそれに触れ、何かぶつぶつと誰にも聞こえない言葉を話し、縋るような目で俺を見てくる。
「……あの、あれ、外してもらえませんか」
「いやだよ」
俺と黒幕のそんな短いやり取りを経て、Aは誰の顔も見なくなった。反抗的と見なされることを恐れてかロープに触れることもやめて、床に視線を落としたまま人形のように動かなくなる。すぐにでも彼女へ駆け寄りたがっている様子のチャカも、天井から伸びるロープと黒幕の眼前では迂闊に行動できなかった。
再びの沈黙が降りると、それを打ち切るかのように空気混じりの手拍子が鳴る。そんな物を不謹慎にも鳴らすのは、この場に黒幕一人しかいない。
「さて、それじゃあお疲れ様でした。今後ともせいぜいここでの生活を楽しんでください。……と言いたいところなんだけど、ここでわたしから一つ、君たちに提案があるんだよね」
A以外の全員の視線が、そこへ集中する。
俺を含め、誰の目にも希望はなかった。ここで暮らして一週間が経ち、黒幕の悪趣味さはいい加減に誰もが理解している。きっと彼女はこう言うのだろう。一人だけなら外に出してやる、ジャンケンででも決めなさい……と。
しかし、なんとその予想は外れた。
「正直もう十分に楽しませてもらったというか、君たちを今後ずっと飼うことを思うと採算が怪しい気がしてきたというか……。クイズもちゃんと終えられたし、べつにこのまま逃がしてあげてもいいかなって思うんだけど、どう? そっちとしては?」
……まるでジョークが滑ったかのように、三度の沈黙が降りた。
どう? ……とは、どういう意味だ? 俺はしばらくの間、彼女の質問の意味が理解できなかった。チャカも花子も概ね同じ理由でフリーズしていたはずだ。……けれどAだけは違った。
ふさぎこんでいた彼女がバッと顔を上げる。砂漠で水を見つけたような目で黒幕を見て、口をぱくぱく動かし、言葉にならない言葉を紡ごうとする。何か言わなければ、何を言えば外に出られる? 何を言ってしまうと黒幕の気が変わってしまう……? と、土砂のような期待と不安の中で窒息しかけている彼女の心情がこちらにまで伝わってくる。
けれど当の黒幕の方は、そんなAのことには興味がないようで、一切無視して話を進めた。
「ただし、もちろん無条件でとはいかない。採算だからね、これは。……君たち全員がそれぞれいくつかの条件を飲んでくれるなら、全員のことを解放する。逆に一人でも条件を拒否するなら全員ともここに残ってもらう。そういうのはどうかな?」
「やっ、やりまっ! やります!」
叫んだのはやはりAだった。そんな彼女をようやく一瞥した黒幕が、冷たい目をして言う。
「条件は、今から君が首を吊ることだと言っても?」
「……っ」
Aは怯んだ。かつて彼女は、死んだことがないから死ぬのが怖いのだと言っていたけれど。おそらく今はもっと強く、真逆の理由で死を恐れている。そんな彼女のことを、黒幕はどうしようもない馬鹿を見るかのように冷めた目で見る。
けれどもAは、怯えようと追い込まれようと彼女は、どこまで行っても不死身の怪物の一人だった。一瞬の躊躇いのあと、蜘蛛の糸のかわりに垂れ下がった絞首台のロープを掴むかの如く覚悟を決めて、彼女は「出来ます」と深く頷いたのだ。
黒幕は、そんな彼女を安易に吊りはしなかった。正直少し意外だったけれど、言葉にした覚悟を試すような真似を、今日の彼女はしなかった。
しかしつまりそれは、これから告げられる条件が、少なくともサキュバスにとっての絞首よりも重いことを示唆している。誰もがほとんど息をすることも忘れて、黒幕の言葉の続きを待った。
彼女は、まぁ落ち着けよと言わんばかりに、手で俺に着席を促す。俺はそれでようやく椅子に座ることを思い出した。
「それで条件というのは……まぁ順を追っていくか。まず全員とも共通して、小賢しい偽名を捨てて本名を名乗ること。そして、元の世界に帰りたい理由を述べること。その次に、これは青ウニくん限定ね。君は、なぜAちゃんが正解だと思ったのか、回答理由を述べること。そして最後に、これは花子ちゃん限定。自分がどんな虐待を受けてきたのか、その詳細をみんなに大きな声で話すこと。……以上の条件でどうだろう?」
黒幕が全員のことを見渡す。……おそらく誰もが拍子抜けした顔をしていただろう。
提示された条件は、全て言葉のみによって済むものだった。身体的苦痛はない、技術的困難もない。悪趣味極まりないことは間違いないけれど、人間目線で考えても首を吊るよりは明らかに軽い行いの羅列。「そんなことでいいの?」と、理不尽な目に遭わされる被害者であるはずの俺たちは、まるで温情を受けたような気持ちになってしまった。
「それなら出来ると思う。皆はどう?」
やはり一番リーダーシップに長けたチャカが、こういう時にも先陣を切ってくれる。彼女の問いかけに、全員が迷うことなく頷く。
パンッと黒幕は上機嫌に手を叩いた。
「よし、じゃあ決まりだね。ただ順番が大事だから、ちゃんと帰りたければ各々勝手には喋らないように。……まずは青ウニくんの回答理由からお願いしようかな」
「……わかった」
言われて立ち上がりかけるも、体が動かない。
何事かと思うと同時に、「座ったままでいいよ」と、頭の中に直接声が流れ込んできた。……仰せのままに従うしかない。
「Aさんを選んだ理由は、彼女が最もサキュバスらしくなかったから。嫌うべきはハッキリ嫌って、つらいことはつらいと言う。見栄を張ることもあるけど、それを含めて常に等身大で、得体の知れないところなんてない。……彼女は見るからに普通の、人並みの女の子でした。下腹部の淫紋や、人智を超えた力の数々を見ずに、もしも性格や振る舞いだけを単体で見ていれば、もし「この中に一人混じった人間は誰でしょう?」と問いかけられていたら、俺は迷いなくAさんを選んでいたはずです。……だから今回のクイズについても怪しいと思った」
「なるほど。それで?」
「本に書いてあったことです。人間と同様に、幼少期に虐待を受けたサキュバスの人格や精神は歪んでしまうらしい。……なら、人間が「普通の人間」ではいられなくなるように、サキュバスは「普通のサキュバス」ではいられなくなってしまうんじゃないか。その結果が、Aさんの人間らしさなんじゃないか。俺はそう考えて答えたんです。それにAさんから聞いた家庭の話には、金銭トラブルや喧嘩の話が多く、虐待は良き家庭環境から生まれる物ではないと考え、それも踏まえて回答しました」
「なるほど! いや、いいね、よく考えてるじゃん。全部的外れではあるけど」
はははっ、と黒幕は軽く笑った。ドンマイとでも言う風に。次は頑張れよとでも言う風に。
Aは、少したるんだロープにまだ首を繋がれたまま、再び粛々と俯いていた。顔を上げれば俺に憎しみの目を向けずにはいられないからだろう。今すぐにでも目の前のクソ男を殴り飛ばしたくなってしまうからだろう。それはそうだ。俺が語ったのは、結果が見えた今となっては、ただの的外れで笑えない「悪口」なのだから。
けれど、元の世界に帰れないよりはマシだろう。頭に直接声を流し込んでくるような相手にこんな状況で嘘をつくことなど出来るわけもなく、俺は馬鹿正直に話すしかなかったし、理屈の上ではそれが分かっているからAもリアクションをせずに押し黙っている。……尊厳を奪われた者たちの世界など、こんなものなのだ。
そしてこの場に、尊厳を保ったままこの場を切り抜けられる人物など、黒幕以外にはおそらくいない。
「それじゃあ次は花子ちゃんね。自分が今までどんなことをされてきたのか話せる?」
全員の視線が花子に集中する。その視線の数々は、聞かれたくもない話を強制される彼女に対する残酷な仕打ちだっただろうか。それとも、為す術がない俺たちに示せる最後の敬意だったのだろうか。
見ると、彼女はまたマイクを握っていた。さりげなく拾っていた物なのか、それとも音もなく強制的に手中に現れた物なのか。……どちらだったとしても、とにかく彼女はそれを口元に寄せる。
「初めてレイプされたのは小学三年生の時でした。レイプ……と言っても、それはわたし目線の話で。実際は、お母さんが仕事の知り合いにわたしを売りました。犯された場所は自宅の、自分の部屋で、相手はお父さんよりも年上だったと思います」
俺がクイズに回答した時のように、花子はいったん話を切って全員の顔をぐるりと見渡す。「これで合ってる?」と不安がる子どものように。
そして彼女は最終的に、他の誰でもなく黒幕に向かって、目で頷いた。
花子の声は、この伽藍堂の舞台によく響く。
「青ウニくんも知ってる通り、サキュバスは小学生でも大体人間より強いです。じゃあそんな厄介な子どもを人間のおじさんがどうやってレイプするのかというと、もちろん、協力者を使うんですよね。要するにわたしの母親です。ある日部屋で宿題をしてたら、母と知らないおじさんが突然入ってきました。で、そのおじさんとエッチをしろと言われるわけです。なんとなく怖かったから、当時のわたしはそこで嫌がってみたんですけど、すると殴られるんですよね。……分かります? 人間のレイプと同じです。抵抗の意思がなくなるまで、まずは殴り続けるんです。サキュバスでも同族の大人から馬乗りになって殴られたら、子どもにはどうしようもないですし、魔力の扱いも未熟な子どもじゃ痛みもロクに紛らわせないし、何より怖いんです。いくら不死身だからって、母親から顔の形が変わるまで殴られても怖くない子どもなんて、人間にもサキュバスにもいないんじゃないかと思います。
……それでわたしは諦めて、おじさんにおとなしくレイプされました。その最中、母はずっとわたしの腕を押さえつけてました。青ウニくんはそこがちょっと惜しかったですね。虐待を考えて母親に目をつけたなら、チャカさんにでも母親役をやってもらって3Pをすればよかったのに。そしたらわたし、何を思う暇もなく、もしかしたら冷静でいられなくなってたかもしれない。いいヒントになってたかもしれないのに、残念です。
……それでレイプの感想ですけど、痛かったです、とにかく。さっき言った通り、子どもは魔力の扱いが下手くそで、大人なら誰でも出来る痛みの紛らわせが上手く出来ないんです。そしたら、小学生の体に大人のちんちんを突っ込んだら痛いのは当然ですよね。血は出るし、なんなら裂けます。母の魔力がそれを無理やり治して、治したらまたレイプされて。何度も何度も、痛くて、血が止まらなくて、性器にナイフを突き刺されているみたいでした。だから当時のわたしには、悲鳴を我慢するなんてことも出来なかったんですけど、腕を押さえつける役は母が買って出ていた分、おじさんは泣き叫ぶわたしの口を大きな手で押さえつけて塞ぎました。静かにしろ、またママに殴られたいのかって。……青ウニくんはこれもやってくれませんでしたね。
おじさんが満足する頃には日が暮れて、部屋の中が暗くなってました。よく覚えてないんですけど、わたしは気を失ったり目覚めたりを繰り返してたみたいです。事が終わると、母はわたしのことを抱きしめて「よく頑張ったね〜!」と、すごくすごく、それまでの人生で一番ってくらいすごく、褒めてくれました。そして扇子みたいに広げた一万円札を見せびらかして言うんです。フィ……あぁ、えーと、花子のおかげでこんなにお金持ちになれたよ、ありがとうねって。でもその時のわたしは、お金も褒められも全部、全然嬉しくありませんでした。痛かったのに、怖かったのに、母が笑っているのはひどいと思いました。自分のことを殴ったことはもう忘れちゃったのかって、母はおかしくなってしまったのかって、余計に怖くなったことを覚えてます。
けど、母がおかしくなったのかどうかは、もはやわたしには関係ないことでした。ひとしきり上機嫌にわたしのことを褒めた母は、最後にこう言ったんです。……今日のことを誰かに話したら、次はもっと大勢のおじさんとセックスしてもらうからね……って」
……花子はそこでいったんマイクを膝に置く。そしてまた黒幕とアイコンタクトを取った。二人が何を確認し合っているのか、俺には分からない。二人の間にだけ聞こえる声でもあるのかもしれない。
円を描いて座った俺たちのほとんどは、通夜のように落ち込んでいた。チャカはどこか泣き出しそうな顔をして、かき乱された心の表出なのか視線の置きどころに困っている。Aは、直前まで身にまとっていた「自分が一番不幸だ」という主張を失い、正気を問うような目で花子の方を見ている。
……一方で俺はダメだった。俺という人間がどうしようもないことに、本人はもちろんこの場の全員が気づいている。花子が指摘した通りのクイズ攻略における俺のミスが、なおさらそのダメさを強調するような、あるいはそんな物はもはや関係がないような。とにかく何にせよ、俺は人としてダメだった。人としてあるべき心がなかった。
俺は今日、自分自身について、かつてなく深いところまでを知った。過去にハクレナから言われたことがある。「青ウニくんはサディストじゃなくて、何があっても嫌われないことを確かめたいだけの、ただの寂しがり屋なんじゃないの?」。俺はそれに答えた。「AV女優が自殺したと聞いて、その話をオカズにその女優の出演作でシコるような男に限って、それはない」。
……けれど俺は考えたことがなかった。たとえば、もしもその自殺したAV女優の幽霊が目の前に現れたとして、俺はその幽霊に向かって同じことを言えるのか? ……その答えがおそらくイエスであることを、今日こうして直に知るまで、俺は考えたことすらなかったのだ。
自己嫌悪の賜物か。幸い、勃起はしなかった。けれどサキュバスたちにはきっと察知できている。俺が花子の話を聞いて何を感じたのか。……花子だってサキュバスなのに。この場にいるサキュバスはみんな、サキュバスに共通した力でそれを察知できている。
なのにサキュバスの中で、花子だけが明るく笑っていた。彼女は膝の上でマイクを握ったまま、あちこちを見渡して照れくさそうに笑っている。
……俺は今どんな顔をしているのだろう?
鏡を見る間もなく、花子が再びマイクを持ち上げた。
「これはまた、青ウニくんの喜びそうな話ですけど。わたしは母の言いつけを守りました。レイプされたことも母に売られたことも、誰にも言いませんでした。……でも、それからしばらく経ったあと、今度は複数のおじさんから輪姦されました。土曜日か日曜日のことだったと思います。家でテレビを見ていたら、知らない男の人がぞろぞろ入ってきたんです。みんな母と親しそうでした。それで、逃げなきゃ……と思った時には、もう母に押さえつけられてました。母が拳を振り上げるのを見て、わたしはギュッと目をつむって痛みに耐えようとしました。……でも母はわたしを殴りませんでした。おとなしくしてたら終わるからね……と、握っていた拳を解いて、わたしの頭を優しく撫でるんです。頑張れる? と聞かれたから、うん、としか答えられませんでした。
その日のうちに三穴同時プレイまで経験しました。どんなにひどい怪我をしても母が治します。痛すぎて気絶してもお構い無しで輪姦は続きます。大きな声を出したり抵抗したりすると、殴られたり、首を絞められたりします。……その時のことはそれ以上詳しく覚えてないんですよね。ただ途中から母が、痛いよね、ごめんね、ごめんね……と手を握ってくれていたことを覚えてます。意識が朦朧としていて、その時だけは、母の言葉がなんだか嬉しかったことも。
終わったあと、母に事情を説明されました。実は我が家は貧乏で、こうでもしてお金をもらわないと生活していけないんだって。だから頑張ってほしい、ごめんね……と。そう言われるとわたしは、二度とこんな目に遭いたくない、痛いのはもう嫌だって思ってるのに、それを口には出せませんでした。…………母の言っていたことが丸っきり嘘だったと分かったのは、それから何年も経ったあとのことです」
言って、花子が俺に向かってにこりと微笑む。
俺は、ゾッとするほど焦った。女湯のサウナ室の前に立った時のように心臓がギュッとなる。嫌な汗がにじむ。
俺はあの時本を読んだあと、三人のサキュバスとそれぞれ家庭の話をしたけれど、誰にどの話をしたんだっけ……? ウチは貧乏だと言われて育ったけど実はそれが嘘でよかった、という話をしたのは、誰に対してだった……?
花子は、まだマイクを下ろさない。
「ちなみに、初めて輪姦されたあとすぐに、わたしが体を売らされていることがお父さんにバレました。……するとお父さんはその日から、わたしのことを女として求めてくるようになりました。
でも、お父さんのことは嫌いじゃないです。というか、好きです、すごく。初めて服の下から胸に触れられた時は心臓が止まりそうだったし、最初は怖かったけど、誰もわたしの味方をしてくれないんだって、この世界の全部から逃げ出したいって本気で思ったけど。でもそれは最初だけでした。お父さんはなんというか……小学生相手でもエッチが上手かったんです。エッチは本当は気持ちいい物なんだよって教えてくれたのはお父さんでした。セックスの全部がトラウマになってたわたしに、ゆっくり優しく、何日もかけて少しずつ丁寧に、根気よく身も心もほぐしてくれたのは、お父さんだけでした。お父さんがいなかったらわたしは、今でもまだエッチをトラウマにしか思ってなかったかもしれません。生きていくために必要なことを、痛くて怖い物だとしか思えてなかったかもしれない。お父さんはわたしを救ってくれたんです。……青ウニくんはその点、ニアミスでした」
なぜだか、どこか幸せそうな顔をした花子が、また俺の方を見る。きっと彼女は、俺のことに言及するたびに俺の方を見てくる。まるでそれがサービスであるかのように。
俺は怖くて、花子以外の誰の顔も見ることが出来なかった。
「お父さんのおかげで、わたしは頑張れました。今はまだ自分が子どもすぎるからダメだけど、いつか誰とどんなエッチをしても気持ちよくなれるようになるんだ……と信じて、頑張って耐えました。そしたら五年生の最後の方で、やっとそれが現実になったんです。魔力の扱い方を覚えて、痛みを和らげたり、お母さんがいなくても自分で怪我を治したり出来るようになりました。すごく嬉しかったのを覚えてます。この先の人生は薔薇色だって思いました。
……わたしのことは大体そんな感じです」
花子がマイクを下ろす。すると不自然に、まるで声をかけられたかのように、彼女は無音の中でピクッと反応して黒幕の方を見た。そしてそのまましばらく静止して、上の空になる。
やはり二人は、二人にしか聞こえない声で会話しているのだ。そう確信した俺は、さらにもう一つ別のことを悟る。それは、彼女の話がこれで必要十分であるなら、今頃とっくに黒幕が拍手をしているだろうということ。
だから実際、花子は三度マイクを持った。
「あ、それと、お母さんのことなんですけど。わたしを売るようになってから、お母さんは色々なところへ出かけたり、色々な物を買うようになりました。そういう時は決まってわたしにも同じことをしてくれたんですけど、それを喜ばないとお母さんが不機嫌になるってことに気づいてからは、お金を使うことが起こるたびにプレッシャーを感じてちょっと嫌でした。
お母さんはそのうち、自分のしたいことや欲しい物をわたしと共有するだけじゃなくて、わたし自身にも何かしたいことはないか、欲しい物はないかと聞いてくるようになりました。でもわたしは答えに困ってしまいます。したいことも欲しい物も何もなかったから。かといって、何かをねだらないとお母さんは不機嫌になるだろうし、ねだった物でちゃんと喜んでみせないと、やっぱりそれも不機嫌になるって分かってたので、頑張って考えて、わたしは、何回でも上手く喜ぶフリが出来そうな物を選びました。……それはずばり食べ物です。食べてしまえば消えてなくなるところが良いと思いました。
初めのうち、ご馳走はレイプの象徴でした。家が貧乏でもそうでなくても、だからわたしは元々、お母さんのすること全部が嫌だったんです。でもエッチに慣れてからは印象が変わりました。全部のことが楽しくなって、全部の物が、ちゃんとおいしく感じるようになったんです。それ以来、人間と同じ食事をすることが好きになりました。趣味だと言ってもいいくらいに。
それから、これは経験則ですけど。ロリコンの人は同時にサディストであることが多いみたいです。やっぱり子どもとのセックスは暴力であることを自覚してるからですかね? それとも子どもが弱者であることを知った上でセックスを楽しんでるから? 理屈は分からないですけど、わたしがエッチに慣れていくにつれて、想像を絶するようなひどいことをする人が増えてきました。そういう人たちのこともちゃんと満足させられないとまた母に殴られるので、耐えているだけでいいとも限らなくて、いろいろな喜ばせ方を覚えるのが大変でした。……まぁそれにも慣れたおかげで、青ウニくんとも上手くエッチ出来たので、何事も経験だと思いますけど。
あぁそれから、最初はおじさんばかりが相手になってたけど、段々と若い人も増えたり、女の人が一緒に参加してることもあって。あとは、通ってた学校の先生とか、同級生が相手になることもあって。他の奴らにも広めるぞって脅されたことが何度も…………え? あ、もういい?」
「はい! 何から何まで細かく話してくれてありがとう! みんな、花子ちゃんに拍手!」
案の定、乾いた音が、一人分だけ白々しく響く。
喜ぶ黒幕に対して、その拍手に追従する者は誰もいない。脅しや超能力によってそれを強制されるということもない。……ただ、誰一人として、その拍手を止められもしない。力で敵わないから……というのは、動けない理由のほんの一部に過ぎなかったのだと思う。きっと全員が全員、自分の正義を見失っていた。
今、もしも「拍手をしなければ元の世界に帰さない」と言われたら、全員がそれに従えただろうか……? 俺たちは事を軽く考えすぎていたのかもしれない。当然誰もが元の世界に帰りたいだろうと、帰るべきだろうと、帰った方が幸せになれるはずだと、根拠もなく思い込んでいた。
サキュバスの寿命は五百年もある。花子の話が数百年前の物とはとても思えない。元の世界に戻れば、そこにまだ彼女の母親は生きている。花子を元の世界に帰すということは、その母親のもとに帰すということを意味する。
……まるで人を殺して埋めてきたような顔をした、尋常ならざる形相のチャカが、無言で挙手をする。
「なにか?」
「質問……いいですか」
「どうぞ」
「花子ちゃんの母親は、その後どうなったんですか。捕まりましたか」
答えは、黒幕からあごで催促された花子が述べる。
黒幕の口元がにやけていた時点で、その内容は知れていた。
「ううん。幸いにもまだそういうことにはなってない。家族三人、同じ家で仲良く暮らしてる」
「……そう」
チャカはその相槌以外に何も言わなかった。言葉だけではなく表情でさえも、押し殺したように何も語らなかった。
それでなんとなく、俺はAの方を見た。彼女はどこか宙を眺めながら、痛みを紛らわすかのように深呼吸をしていた。
……黒幕に提示された条件はまだ消化されきっていない。その旨が、提示した本人の口から改めて確認される。
「さて、これで残すところは全員の本名と、ここを出たい理由を語るだけになったわけだけど。……チャカさんからどうぞ?」
「…………私は」
促されて、チャカは暫し躊躇う。
彼女が、花子の語った話と天秤にかけて何を葛藤しているのか。それが明かされるまでの静寂は深く濃く、しかし短かった。
「……私の本名は、ヤカルチア・タクスニナ。ここを出たい理由は、元の世界に夫と子どもがいるから。それ以上でもそれ以下でもありません」
「いいね」
黒幕が再び拍手する。揺れる長い黒髪に青色が紛れて輝く。対してチャカのショートヘアは少しも揺れず、拍手が止むまで、彼女はまばたき一つしなかった。
真実を聞いた俺は頭を抱えたくなった。チャカは「親」だったのだ。彼女はずっとその目線から物事を見ていたのだ。いったい何歳なのか知らないけれど、きっと俺よりは遥かに歳上なのだろう。彼女のリーダーシップは、二十歳そこそこの小僧に対する年長者のそれだったのか。彼女の自己犠牲は、子どもを守ろうとする大人のそれだったのか。彼女のなりふり構わないことは、我が子のためなら全てを犠牲に出来る母親のそれだったのか。
その素性を知るほど、チャカの切実さが浮き彫りになる。その素性を知るほど、花子の母親との対比が残酷になる。……いつの間にかマイクを虚空に手放していた花子は相変わらず、なぜだか楽しそうに微笑んでいるけれど。
求められた通りに話すたび、五人の円陣に囲まれた空気はどす黒く重くなっていく。そんな中で黒幕の視線は、次はAに向かった。
「じゃあ次はAさん。本名とここを出たい理由は?」
問われて、彼女は周囲の顔色をうかがう。いったい誰に何を求めているのか、この旅館に残るという選択肢が彼女の中にそもそもあるのか、俺には分からなかったけれど。それでも、ハッキリと目は合った。
そして、ひとしきり躊躇ったあとに結局、彼女も覚悟を決めたようだった。ここを出ていく責任は、それぞれが我が身一つで背負っていくしかないのだと。その重圧の実現を狙ってこそ、自分たちは今こんな表明をさせられているのだと。
「……名前はアイルリ・ハースドート。出て行きたい理由は、まだ全然、ロクにちゃんと生きてないから」
「うん? それは、どういう意味?」
「まだ……、まだ少ししか生きてないの。まだ世の中のこと、人生のこと、何も分かってない。なのに残りの時間の全部をここで終えるなんて、絶対に嫌」
「少ししか生きてないっていうのは、具体的には?」
「二十三年よ! まだ二十三歳! 人間から見たって少ないくらいでしょう……? 悪い……!?」
「いやいや、ありがとう。悪くないよ」
ハハ、と笑って黒幕は拍手をする。Aの二つに結ばれた髪の先は、怒りか屈辱か、それとも罪悪感か、叫んで震える体につられて短冊のように揺れていた。
俺はもしも今一人であれば、天を仰ぎため息を吐いていただろう。Aは、僅かながら俺よりも歳下だった。五百年生きたって見た目が若いままのサキュバスなら、チャカがそうであったように、Aだってあぁ見えて大きく歳上ということがあるかもしれないと、心のどこかで思っていたのに。俺に散々傷つけられた少女は、豊富な人生経験なんか持たない単なる歳並みの少女だった。
……これで残る女性はあと一人。淡いピンク色の髪の少女、花子は、またしても目だけで黒幕と何かを話していた。何かの打ち合わせをしているのだと、聞こえないけれど分かる。いったいこの後に及んで、何を披露するというのだろうか。
彼女はもうマイクを持つこともなく。胸の前にスッと小さく手を上げて、独りでに話し始める。
「はい、じゃあわたし。本名はフィロキュラ・イスペウィシアル。歳は十七歳です。ここを出たい理由は特にないけど、皆がすごく元の世界に帰りたそうなので、わたしもそれに協力したいです」
「…………え?」
耳を疑った相槌が誰の物だったのか、不意のことすぎて俺には分からなかった。
聞き流しそうになる、仰々しい本名と痛々しい動機の間に紛れた、一瞬の一言。…………歳は十七歳だと?
音もなく、この場にパニックが広がっていく。親目線でここまで来たチャカも、これからだという人生を謳歌しに戻りたいAも、彼女の実年齢は知らなかったのだろうか。間抜けな俺はもちろん知らなかった。知らなかったけれど、でも、だって、十七歳はあり得ないと思っていた。だって彼女はあんなにおいしそうに、あんなに躊躇なく、誰よりも当然のように酒を飲んでいたじゃないか。
黒幕の仕組んだイタズラか? 俺たちにショックを与えようとして、秘密の会話の中で何らかのモチベーションを彼女に提供して、嘘の年齢を口走らせたのか? 思わずそんな想像をするけれど、きっとそれは的を外れている。……だってイタズラをするなら、それこそ真実十七歳を連れてきて、黙ってこの面子に混ぜておく方が遥かに効果的だから。
自分が抱いた相手は未成年だった。自分が虐待まがいのプレイを求めた相手は、今もクズ親と共に暮らしていて、クズ男の群れに日常的に体を売らされているような、未成年の少女だった。
本人が語った凄惨なプレイの数々は、昔の話などでは全くなかった。「ロリコンにはサディストが多い」と語る彼女は、昔話をしていたわけではなかった。俺は、俺はこの旅館で初めて目覚めた時、黒幕からクイズの話を持ちかけられた時、確かこう聞かされたはずだ。「幼少期に性的虐待を受けていたサキュバスを見つけろ」。
……なにが「幼少期」だ? なにが「受けていた」だ? 彼女が十七歳なら、まだ何一つ終わっていないじゃないか。何一つ過去になどなっていないじゃないか。俺は、そんなことは少しも、少しも想像出来てなかったから……。
一日目の自己紹介が走馬灯のように蘇る。全員で名乗り合おうとした時、俺はその場の流れを止めて言った。クイズの性質上プライバシーが脅かされてしまうから、全員偽名を名乗ろう。……隠しておきたい過去を元の世界で少しでも隠しておけるように、俺はそう提案した。でも、これじゃ話が違う。それが過去じゃないなら、まだ終わっていないことなら、隠すなんてもってのほかだ。俺は花子のすべてを暴き、彼女がいつどこで誰に抱かれているのかを暴き、それを通報して、彼女を取り巻くクソ共によって形成されたクソみたいな世界を終わらせなければならなかったのだ。打ち滅ぼさなければならなかったのだ。
初めから本名を名乗っていれば、俺はもっと彼女のことを知れていただろうか。今、俺の手元にある情報は、彼女の地続きな過去の話と本名だけ。フィロキュラ・イスペウィシアル。俺が呑気に生きている間ずっと、同じ世界のどこかで地獄を生きて、搾取され続けていた十七歳の少女。……それ以上のことを知る時間は、もう無い。
なにそれ……と呟くAの声にハッとした時には、A以外の全員の視線が、俺に向かって集中していた。
「さて、最後は君だ。早く言わないと、時間切れになっちゃうよ」
黒幕がにやけた口元で告げる。俺に支配者としての権限を与えた彼女は、今は当然のようにそれを俺から剥奪し、無力な人間としての本来の姿に戻した上で、形式ばかりの選択を求めてくる。
ここで黙ることなど、出来るはずがない。求められたこと以外を喋ることも出来ない。他の三人は全員覚悟を決めて、締め付けられる己の心に鞭を打って、一週間を共にした仲間を再び地獄に突き落とすことが分かった上で、それでもここを出ることを選んだのに。地獄に戻って行く本人ですら、それでいい、皆のことを優先すると言ってくれたのに。それをどうして俺なんかが無下に出来るだろう。
不幸中の幸いなのは。……本当に不幸の真っ只中にある、あくまでも比較的な幸運は。客観的に見ればこの旅館の中も、花子にとっての地獄であることには変わりないということ。
その地獄を構成する要素の一つであるはずの俺は、恥知らずも甚だしいと分かった上で、それでもその一点に縋るしかなかった。
「……俺は。俺の本名は、あ」