※この作品はR-18です。

性的虐待の被害者を暴かなければ出られない部屋   作:氷菓くん

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02/15 男性優位

「ところで、どうして三人は浴衣なんですか?」

 一人だけ私服の状況で蟹しゃぶを食べながら、俺は素朴な疑問を口にした。

 数分前、それぞれの偽名を名乗った俺たちは、無機質な食堂の中でまずは時計を所望した。するとテーブルの上に、デジタル表示の目覚まし時計が出現する。それを見るに時刻はもうすぐ正午に達しようとしていた。

 サキュバスたちはこれからの暮らしやクイズの攻略について少しばかり作戦会議をしたいと言っていたけれど、それはそれとして唯一の「人間」である青ウニくんはお腹が空く頃合なのでは? という気遣いがあって、せっかく食堂に居るのだしとりあえず(朝食を兼ねた)昼食を摂ろうという段取りになった。そこで俺は、せっかく使えるこの「念じれば手に入る力」の恩恵を最大限得られる食事とはなんだろう? と考えてみたわけだ。

 美味い一方で、高額かつ物理的に食べづらい。そんな蟹という食材の性質を、すべてが無から生まれ無に帰るルールを利用した「食べやすい部分だけを出して食べる」という贅沢によって解決すれば、恩恵を最大限得たと言えるのではないか? 俺は思いついたことをそのまま実行した。そして今、人生で一番快適に蟹しゃぶを食べている。

 一人用にちょうどいいサイズの鍋は湯だった状態で目の前に現れ、綺麗に剥かれた蟹の足は無限に手中に湧いてくる。それは自分が監禁中の身であることを早くも忘れそうになるほどの贅沢だったけれど、伴う俗っぽさもまた半端ではなかった。

 一方で、サキュバスたちも各々好きな物を召喚しては黙々と食べている。海鮮丼、ラーメン、天ぷら……と、みんな結構がっつりした物を選んでいる。確かにホテルのバイキング形式なんかではよく見るラインナップだけれど。

 席順は改めて、チャカが俺の隣に座っていて、Aと花子がそれぞれその向かいに居る。そんな縦横斜めの三方向から、一斉におすそわけを運ぶ箸が伸びてきた。

「ね、このマグロおいしいよ」

「海老もおいしい」

「えー、じゃあアタシはチャーシューで」

「おお。ど、どうも」

 願えば無限に得られるというだけあって、気に入った物をシェアすることにも躊躇がない。俺の目の前に、マグロの刺身と海老天とチャーシューが一同に会する馬鹿のバイキング皿があっという間に完成した。

 食べてみると、たしかにどれも旨かった。品目と量が自由であるだけではなく、何を食べてもそれぞれの質まで良い。その良さがまた現状への危機感を薄れさせていく。何らかの術中にハマっている気がしないでもない。

 そうして俺は、元々ありもしない牙を抜かれたような気持ちの中で、素朴な疑問を口にしたのだった。

 なぜサキュバスたち三人は浴衣なのか。その問いに、聞かれた本人たちが首を傾げる。

 真っ先に返事をしたのはチャカだった。

「逆に、なんで青ウニくんだけ私服なんだろう?」

「え、なんか着替えがほしいなーと思った時には、こうなってたんですけど」

「私たちもそうだよ。ね?」

 同意を求められて残りの二人がうなずく。

 なんで一人だけ違うんだろうね? さぁ……? と中身のないやり取りがしばし飛び交い、誰もコレという答えを見出せないまま、次第に各々が黙々とした食事に戻っていく。

 ……そんな中で不意にAが「あ」と声を上げた。

「わかった、脱がせやすいからじゃない?」

「え?」

「どうせこの旅館にはアタシたちしかいないし、浴衣ならムラっとした時にすぐ脱がせられるでしょ? だからじゃない?」

「……そんなことあります?」

 咀嚼した蟹の身を飲みこみ、持ち手と筋だけになった残骸を宙に落とす。するとそれは無へと消える。何度も繰り返したそんなルーティンの片手間に、単なる雑談的な相槌として俺はAに聞き返したのだった。

 しかし、ふと三人のことを見渡してみると、彼女らはいつの間にか全員ともが、存外に真剣な面持ちをしていた。まるで誰もそれを、他愛ない雑談や、くだらない冗談であるとは思っていない風に。

 まだ半分ほど中身が残った丼の上にかちゃりと箸を置いたチャカが言う。

「あり得る。……というのもね、青ウニくん。私たちから君に話しておかなきゃいけないことがあるんだけど」

「はあ」

「あの黒幕が言ってたでしょ? これ以上ここに人が増えることはないって」

「あー、えぇ。たしか、だから俺が唯一の「サキュバスにとっての食事」なんだとか……」

「そう、そこ。人が増えない以上、私たちは君の性欲だけを食べて生きていくことになる」

「それは理屈として分かります。でもだからって……というか、だったらむしろなおさら、変なお膳立ての必要なんかないってことになりません……?」

 サキュバスは他者から性欲を吸い取り、それを魔力に変換することで生きている。逆の言い方をするなら、彼女らはその方法でしか生きていくためのエネルギーを摂取することができない。そして基本的に「サキュバスの性欲」には「食欲」が混じることで純度が著しく落ちるため、サキュバス同士で魔力を賄い合うことは出来ない。……だから実は俺と三人のサキュバスが同じ場所に閉じ込められた時点で、エロ漫画じみたシチュエーションは現実に完成していたりする。

 けれどその状況はきっと、実際には思ったほどの桃源郷になりはしないだろう。三対一のハーレムとはいえ、所詮は「生きるために仕方なく行われる性行為」なのだから、俺たちはどこまで行ってもなし崩し的に手を取り合う監禁被害者一同にしかなり得ない。どんなお膳立てがあってもなくてもそれは変わらない。仕方なく行われる性行為の、どこに幸せがあったものか。

 ただ不幸中の幸いなのは、初対面の男と性行為を強制されたとして、サキュバスの一般的な感覚としてはそれをへとも思わないことだ。だから俺はこの場の三人とこの先二週間の間、生き延びるために割り切った体の関係になるのだろうと高をくくっていた。童貞はとっくに卒業していることもあって、そこに狼狽える必要はないと思っていた。

 けれどそれにしては、サキュバスたちの表情は嫌にシリアスだった。彼女たちが現状を取り巻く性の事情に少しも狼狽えていないと言えば、おそらく嘘になるだろう。

 チャカの声は、真剣かつ冷静だった。

「いや、きっと少しでも君の劣情を盛り上げていかないと、ゲームが成立しなくなるんだよ」

「ゲームってクイズのことですか? どうして……?」

「私たちの誰かが、早々に死んでしまうから」

「……は?」

 死。

 その単語を聞いて、一瞬思考が止まる。すべての思考が吹き飛び一時的な空室となった頭の中に、ある一人の女性の姿が思い浮かぶ。

 その女性は、俺がここを脱出しなければならない理由そのもの。ハクレナ・ナボハロキス。五百年近くを生きて寿命も間近になったサキュバス。この世で最もマシな正確さで、俺の本性を理解している友人。俺はまた彼女に会うために、なんとしてもここを出なければならない。

 ……しかしそのハクレナが、下手すれば明日にも死にかねないのは、それが彼女の寿命であるせいだ。べつに飢えて死ぬわけじゃない。そしてそれは、全てのサキュバスについても同じであるはず。サキュバスとはそういうものであるはず。

 脳内に浮かんだハクレナの姿は薄れていって、段々と思考がまともに働くようになってくる。やはり何をどう考えても、「この旅館の中でサキュバスが死ぬということはあり得ない」という結論に至っていく。

 サキュバスという生物は、寿命以外では絶対に死なないものなのだ。……いや、そうであるはずだ。

「いや、死ぬって、性欲の不足でですか……?」

「そう」

「なぜに……? こう言っちゃなんですけど、俺はその、今の状況に関して、男としてそれなりに感じることもありますけど」

「でも私たち三人に対して、君は一人でしょう?」

「…………足りないんですか? それだと」

「たぶんね」

 そう言われて初めて、俺は元カノであるコルカが俺と付き合っていた当時にも、別の男と肉体関係を持ち続けていたことを思い出した。

 それこそ監禁でもされない限り、サキュバスが複数の男と関係を持つことはむしろ自然だと思っていたから、俺は当時からそれをまるで気にしていなかった。コルカだけではなくハクレナにだって他の相手がいるのだろうけど、それもどうだっていい。人間だって毎日同じ食事ばかりでは飽きてしまうのだから、サキュバスが性欲を摂取する対象にバリエーションを持たせていても何ら文句はない。……そう思って今日まで生きてきた。

 けれど、俺は一つ重要な可能性を見逃していたのかもしれない。サキュバスが複数人と関係を持つことに、「バリエーション」以外の理由があるという可能性を、これまで真剣に考えたことがなかった。

 塵となって消えるとまではいかなくても、サキュバスだってエネルギーが尽きれば当然に動けなくなってしまうんじゃないか? それこそ死体のように……。

「……足りないってどのくらい?」

「一般論としては、丸一日禁欲した男の性欲を二日に一度摂ればそれなりって感じだから……。そうだなぁ、禁欲する暇もない君の性欲を三人で割るとすると……」

「たぶん一人は近いうちに死ぬ」

 あっけらかんと、そう結論付けたのは花子だった。

 彼女はどこか冷めた目をしながら、俺とチャカのことを交互に見つめる。

「言わない方がよかったんじゃ……? 萎縮しちゃうでしょ、彼」

「けどどうせ分かることなら、後出しになるよりはマシでしょう?」

「あ〜……」

 君はどう思う? とジャッジを求めるように、花子が俺の方を見る。……当の俺自身はまったく現状に理解が追いついていない。サキュバス三人に対して男一人では生きていくのに不足する。そのこと自体は分かったけれど、それが本人たちにとってどの程度重いことなのかが分からないのだ。

 俺から表情以外のロクな返事が得られないことを悟ると、のんきなことに、花子はまた天ぷらを食べ始めた。するとAはラーメンを啜ることを再開し始めて、チャカも再び箸を持つ。……そんなに軽い調子でいいことなのかこの話は?

 分からないなりに、もし俺がサキュバスだったら……と想像する。自分たちは近い将来飢え死にしそうなのに、目の前の人間が食べる飯だけは無尽蔵に湧いてくるのだとしたら……。そんな状況で感情的にならずにいられる自信はない。なのに実際のサキュバスたちは三人とも、余裕とまではいかない中でなお落ち着いていた。

「……まぁ、だから少しでも青ウニくんにはムラッとする機会を増やしてほしいって、あの黒幕も考えてるんでしょう。早々にバタバタと倒れられてクイズが成立しなくなったら、向こうも心外だろうから」

「なるほど……」

「ハハ、そんなに気負った顔しないでよ。死ぬって言っても仮死状態なんだから。サキュバスが不死身なこと、知らない?」

「知ってますよ。……不死身でよかった」

「だね」

 言って、チャカはとうとう笑顔まで見せてくれた。

 しかし幸せのためには、命があればそれでいいというわけではない。人のトラウマを抉るクイズに取り組まなければならない俺は、そんな状況だからこそなおさらに思った。仮死状態でも、一時の死でも、死は死だ。憂き目に遭う当人の心を思えば、笑って誤魔化せるようなものではない。

 とはいえ、性欲は努力で湧く物でもない。今後の生活について何か画期的な案が出るということもなく、そのうちその場の全員が、俺以外にとっては栄養の足しにもならない食事を終えた。

 ごちそうさまと手を合わせれば食器類は無へ消え去って、テーブルの上に残った物は、淡々と時を刻むデジタル時計だけになる。

「……で、これからどうする?」

 と、再び降りようとしていた沈黙を遮ったのはAだった。

 その問いに、花子とチャカがそれぞれ答える。

「旅館の探検とか?」

「私は、この念じれば手に入る力のルールを調べたいかな」

「アタシはどっちでもいいけど。……青ウニは?」

 言葉で促したのはA一人だけだったけれど、視線は三人分がこちらに向かってくる。

 性格的な側面から言えば、俺をリーダーのようなポジションに据えられても困るのだけれど、クイズの出題内容が不明である彼女らの視点からすれば、唯一それを知っている俺に行動方針をゆだねるしかないのだろう。それが分かっているから、俺もその流れを無下にはできない。

 向かってくる視線のどれを見るでもなくどれを避けるでもなく、俺は答える。

「探検しながらルールも探るっていうのはどうですか? たとえば食堂の外でも食べ物を出せるのか……とか、場所を変えて試したいこともありますし」

「はぁ、なるほど」

「賛成〜」

「いいね。じゃあさっそく行こうか」

 言って、誰よりも早くチャカが立ち上がる。顔を合わせてすぐの時にも思ったけれど、性格的な側面で言うなら、リーダーのポジションに一番向いているのはきっと彼女だろう。

 それぞれ地図を片手に、四人揃ってまずは一階を見回っていく。旅館の従業員等の「自分たち以外の人物」は当然のごとく見当たらず、塵一つない床を歩き、見るからに新品の革ソファに座ってみたりすると、異様に綺麗な廃墟か、謎の大量失踪事件の現場に来ているような気分になってくる。

 一応、まず真っ先に出入り口から外に出られないかを試してみた。そこにあるのは開かないガラスの自動ドアであり、透明なそれの向こう側には普通に外の景色が見える。具体的には、バスロータリーのような形の道路と、その中心に備え付けられた背の高い植え込みが。

 しかしそのガラスは、大型トラックを素手で持ち上げられるというサキュバスの力を持ってしても、開きもしなければヒビ一つ入れられもしなかった。この期に及んで疑っていたわけでもないけれど、クイズに正答する以外の手段では、どうやら本当にこの旅館から出ることは出来ないらしい。当然、そこかしこの窓で同じことを試してみても、同じ結果になるだけだった。

 物理的な方法による脱出は諦めて、素直に館内の探索に戻る。無人のフロントには「卓球の貸出あり。予約可」と書かれた小さなポップがあった。予約も何も声をかける相手がいないからには、まぁ遊びたければ勝手に遊んでくれということなのだろう。折りたたんでポケットに入れていた例の地図を改めて開き見てみると、ゲームセンターの隣にたしかに卓球コーナーの記載がある。

 またその地図によると、この一階には「大浴場」があるらしい。実際、ロビーから繋がるやや入り組んだ廊下を進んでみると、そのうち青と赤の暖簾が垂れた、男湯と女湯への分かれ道が見えてくる。

 開場時間〜閉場時間などについては、見たところ地図にもフロントにも男湯女湯の暖簾の前にも、特に表記がない。願えば叶う力があるほどの(外出以外に関しては)不自由には程遠いこの異常空間において、それは二十四時間いつでも風呂に入れることを示唆しているかのようだったけれど……。逆に言えばそれは「なんとなくそうっぽいこと」でしかない。

 Aがそこに当然の苦言を呈する。

「でも、いつでも入れると思ってて、いざ来てみた時に閉まってたら最悪じゃない?」

「部屋にはお風呂ないんだっけ」

 そう返事をしたのは花子だった。

「分かんない、そこまでは見ないで出てきちゃったから。……地図には部屋の中のことまで書いてないし」

「これって死活問題に入る……? 黒幕ちゃんを呼び出して教えてもらうとか?」

「黒幕ちゃんね……」

 名前が分からないばかりに、例の少女の呼び方がどんどんトンチキな物になっていく。質問はあるかと食堂で言われた時に、あなたのことは何と呼べばいい? と誰も聞かなかったのは、全員が心の片隅で彼女との再会を拒んでいたからなのだろうか。

 ともかく、二色の暖簾の前で数秒間、全員が黙祷じみた静けさの中で念じた。黒幕ちゃん、よければ温泉の利用可能時間について教えてください……。……が、まぁなんというか予想通り、その念が通じることはなかった。

 仕方がないので、大浴場に関してはきっとたぶんおそらく大丈夫なのだろうと適当に結論付けて、次の場所を見に行く。と言っても一階でまだ探索していないところといえばゲームセンターくらいしか残っていない……と思ったのだけれど、そちらへ向かう道中、チャカがある物に気を引かれていた。彼女は、ロビーの隅っこに展開されている土産コーナーの商品の一つを手に取っている。

 なにとはなしに全員でそれを覗き込んでみると、持ち上げられた手頃なサイズの平たい箱には、寒色系の淡いグラデーションが敷かれた背景の上に「密室クッキー」と雅なフォントの縦書きで記されていた。中に入っているクッキーに南京錠のデザインが焼き印されていることも、そのパッケージには写されている。そして売り場のポップいわく、8枚入りの箱一つで498円とお土産にしてはお買い得だ。

 ……微妙に丁寧なおちょくり方をしやがって。誰もがそう思ったのだろう。誰一人として言葉を発することはなく、静かに商品を元の位置に戻して、俺たちは今度こそゲームセンターに向かった。

 たどり着いてみると、そこに置かれている筐体はどれもあからさまに古かった。室内に置かれているはずなのになぜか日焼けじみて色褪せたマリオカートや、何年前の物だか分からない流行曲を推してくる旧世代の太鼓の達人。俺が小学生の頃に見た覚えのあるペダル付きのガンシューティングゲームに、これまた古い型のガンダムの対戦ゲームなんかがあって、ワニワニパニックのハンマーに至っては‎革の破れ目からスポンジが覗いている。

 しかしある時、ふと気がつくと、さっきまではそのワニワニパニックが置いてあった場所に、カメラに向かって踊るタイプの新しめなダンスダンスレボリューションが出現していた。

「うおっ、なんだこれ」

 俺が当たり前に驚いていると、しれっとした顔でAが言う。

「あぁそれ。出せるのかなーと思ったら、出せた」

「えぇ……」

「で、逆に、食べ物が出てこないんだよね。さっきから念じてるんだけど」

「え? ……あぁ、本当だ」

 試しに俺も「おにぎり来いおにぎり来い」と念じてみるけれど、どこにもおにぎりは現れなかった。巨大かつ比較的新しめのゲーム筐体はポンと呼び出せるのに、食堂でなら何でも食べ放題だったのに、今は軽食一つ出せはしない。

 花子やチャカが試してみても結果は概ね同じだった。ただ何度も試すうちに、出せる物と出せない物にある程度の幅があることも判明する。

 ゲーセンの中で食べ物は召喚できないけれど、500mlまでのペットボトル飲料や缶ジュースなら召喚することが出来る。腕時計を出すことも出来るし、なんなら目の前の古びたUFOキャッチャーの中に転がっているぬいぐるみを手元に呼び出すことも出来た。けれど食べ物を出すことは出来ず、最新のゲーム筐体を召喚することは出来ても、それをこの「ゲームセンターコーナー」の外に持ち出すことは出来ない。サキュバスがその人並み外れた筋力でそれを試した……というわけではないけれど、少なくとも念じる分にはそうだった。

 なんとなく「それぞれの場所でその場所らしさを逸脱したことをするな」というメッセージ性が感じ取れる。ということはやはり、飯を食うなら食堂へ、風呂に入るなら大浴場へ行くことが、この旅館においてはマストだということになるのだろう。

 その認識を、それとなく全員が共有したところで、

「……セックスはできるのかな?」

 がちゃがちゃした音と光に包まれた中で、花子が突然、そんなことを言い出す。

「場違いなことは禁止って言われると、そこも気になりません?」

 言って彼女は俺の方を見る。

 失礼とは思いつつ、本人の髪色から「淫乱ピンク」というスラングが頭をよぎった。

 ここのサキュバスはみんな(おそらく唯一の食料源である俺を萎縮させないために)タメ口を使うものなのかと思っていたけれど、彼女に関してはそうとも限らないらしい。けれどそのわりに発言内容は過激だ。

 気がつけば、他の二人の視線までもがこちらに集中していた。

「……プリクラの中でそういうことをして警察沙汰になる輩が、毎年いるとかいないとか、聞きますけどね」

 どう返していいものか分からず、適当にそんな返事をしたのがまずかった。誰かが念じた超常的な力によって、UFOキャッチャーがプリクラへと即座に置き換わる。

 我ながら露骨にうろたえながらも、さすがにストップをかけざるを得なくなる。

「ちょ、ちょっと待ってください。言っても初対面でしょう俺たち。もうちょっとこう、ね……? ヤるにしても段階とか……」

「……まぁたしかに、今試す必要もないか」

 花子が独り言のようにそう言うと、プリクラはまた元通りのUFOキャッチャーに置き換わり、他の二人もこの話題から興味を失ったようだった。男がその気でもないのに無理強いをしても仕方がない……ということなのだろうか。

 ともかく、それで一階の探索はあらかた終了したことになる。一応卓球台コーナーではラケットとピンポン球と得点表を召喚できることも確認したけれど、それに関してはだからなんだとしか言いようがない。

 一階の探索が終わったとなれば、自然に、次は二階へと足が向かう。しかし重要施設が入っていた一階とは違い、二階と三階は地図からしてもほとんど客室だけで占められたフロアのようで、ここでの生活に関連しそうな物はこれといってありそうもない。そしてこの旅館に、四階以降のフロアは存在しない。

 一応行ってみるか……の気持ちで、実際に現場を見てみても、トイレや流し台の他には、目につく物は同じ形の扉、扉、扉。そしてそれらの向かいに設けられた広い窓の連続。それ以外には何もない。強いて言えば、部屋にはそれぞれに規則的な番号が刻まれており、あとはまだ一度も使っていないエレベーターと、今自分たちが上ってきた何の変哲もない階段くらいが見所だった。

 しかしもしもこれが(縁起でもないが)バイオハザードのようなゲームであれば、真っ先に調べるべき場所がある。それは「使われていない部屋の中」だ。そこに都合よくクイズの手がかりがあるとはあまり思えないが、せっかく足を運んだのだからスルーする意味もない。

 ……と思いドアノブをひねってみたところ、なんと誰の物でもない部屋の扉には全て鍵がかかっていた。しかもチャカいわく、力ずくで開けようとしてもびくともしないのだという。きっと「外に出られない力」と同じ物が働いているのだろう。余計なことはするなという意図が感じ取れる。

「ところで、皆の部屋割りってどこなの?」

 チャカが言いながら、その手の中に自分の部屋の鍵を召喚する。そしてそこにぶら下がるキーホルダーを念の為か確認しながら、

「私は201だけど」

 と言った。それは最も若い番号で、階段から最も近い、廊下の一番浅い場所であることを意味している。

 他の二人も鍵を出す。俺はその間に、地図を見る。

「わたしは204」

「アタシは209」

「変に飛び飛びなんですね」

「だね」

「ちなみに俺は、303です」

「へぇ。だって、みんな」

 そう言ってチャカが二人の方を振り返ると、サキュバスたちはなぜか全員でほんの少し笑い合う。その意味がよく分からずに首を傾げていると、半笑いのままのチャカが訳を教えてくれた。

「青ウニくん、なんで私たちがいま部屋番号を確認し合ったのか、分かってないでしょ」

「え? ……あぁ、まぁ、なんでなんです?」

 問うと、また三人の視線がこちらに集中する。

 浴衣の美女三人が、俺と性行為をしなければ不可逆ではなくとも死んでしまうサキュバスたちが、皆揃ってジッとこちらを見ている……。

 その時、俺はふと、この旅館に設けられた違和感に気づいた。

「なんでって、青ウニくん。たとえば君が夜中急にムラムラした時、どの部屋をノックしていいのかも分からなかったら、困るでしょう?」

 そう答えたチャカの笑みは、いつの間にかもう可笑しみとは無縁の物になっていた。それは男の全てを受け入れるような、好意というよりはもっと甘ったるい微笑みで……。

 そういう物を向けられて、俺は、自分の置かれている立場がいかに悪趣味な物なのかということを、ようやく正しく理解し始めたのだった。この旅館の中に蔓延る悪趣味さは、何もクイズの内容ばかりではないのだと。

 サキュバスたちはきっと誰も、部屋に鍵をかけないのだろう。だってそれは、自分自身の命の源の来訪を拒絶してしまう物だから。なのに、黒幕は彼女たちに鍵を渡した……。

 さらに俺が気づいた違和感はそれだけではない。もう一つの違和感は、「ここが二階であること」。女性の泊まる場所が二階で、男性の泊まる場所は三階にある。その逆では決してないということに、一度気づけば纏わりつくような違和感がある。

 普通、こういう時、女性たちの部屋がある階層というのは、男子禁制の場所になるものではないか? 女性の部屋は三階にあり、男性は二階と一階だけで過ごす。三階そのものはおろか、そこへ繋がる上り階段までもが男性にとっての立ち入り禁止区域になる。それが普通の配慮というものではないだろうか。

 なのにこの旅館の部屋割りはそうなっていない。あの黒幕の女がそういう風に決めている。俺はただ普通に生活をしているだけで、彼女たちの部屋があるこの二階を何度も通り過ぎることになる。そしてその際、魔が差して俺の足が廊下へ逸れたとしても、都合よく鍵のかかっていない扉を開けて中へ押し入ったとしても、命がかかっている三人は、誰もそれを咎めはしないだろう。

 この場所自体が、それを用意した黒幕が、そういう展開を望んでいる。……けれど俺はそれに気づいて鼻の下を伸ばせるほどには、まだこの状況を割り切れていないし、人として重要な何かを手放しきってもいない。

「それで、三階の探索もする?」

 反語のように、チャカが言う。

 俺の手元の地図にはいつの間にか、それぞれの部屋の位置に彼女ら三人の名前が浮かび上がっていて、ゲームじみた演出として、顔写真までもがそこに付随していた。そしてそれは、いくら念じたところで消えはしなかった。

 まるでそういう「パネル」を選べと言われているようだと、黒幕の意図が感じ取れる。

 

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