昔見たエロ漫画に、処女の女の子を攫ってきて、拘束して身動きを封じたあと、何人もの男が彼女の目の前で「誰が初めに犯すか」を決める……というシチュエーションがあった。そしてそれを決める方法とは、気軽極まりないジャンケンだった。最初はグーから始まるそれを、ただただ眺めていることしかできない哀れな少女の心中とはどのような物だろう……と、一度や二度ではなく悪趣味な想像をしたことを覚えている。
旅館に閉じ込められた初日。食堂で四人揃って思い思いの夕食をとったあと、チャカが言い出した。
「ところで今晩、誰としたいとかある?」
「え?」
「いやほら、私たちも多少は心の準備とかしたいからさ。できれば教えてもらえると助かるんだけど」
例によって、こちらに集中する三つの視線。サキュバスの言う「誰としたい?」とは、つまりは「誰が一番あなたの好み?」を意味する。
ピンク髪のサキュバス……花子だけが、こちらを見つめながらも同情するように苦笑いしていた。「答えづらいよね」と暗に察してもらえたような気がして、正直ちょっと救われた気持ちがする。
「……まぁ言いづらいか」
チャカもそれに続いてこちらの心情を汲んでくれた。
そして、あっけらかんとこんな提案をする。
「じゃあジャンケンで決める?」
「え?」
「私たち三人がジャンケンして、勝った子が今夜の相手になる。っていうのはどう?」
「いや、どうって……」
俺が「苦しゅうない」と言うかどうかの問題なのか……? と人として当たり前の疑問を抱き、花子やAの顔を見回す。するとにわかには信じ難いことに、彼女らは目だけで「ぜひそうしよう」と言っているように見えた。俺の欲望がそう見させているのではないかと、己自身を疑わずにはいられないほどに。
けれど考えてみれば、サキュバスの言う「心の準備」とは何なのだろう? 自分たちだけが浴衣を着させられていることにはいかがわしい理由があるのではないかと言い出し、その上でまったく着替えようとしないどころか度々性欲を誘い出すようなことを言い出す彼女らが、この期に及んで「突然夜這いに来られたら困る」だなんてことがあるのだろうか?
そう疑問に思ってみれば、答えは、むしろ逆なのだということにも思い至る。彼女らの言う心の準備とは、「唐突に来る」ではなく「いつまでも来ない」に対する準備なのだ。その意味が、お呼びでないならさっさと寝たいということなのか、それとも仮死に向かう覚悟を決めたいということなのかまでは、察しきれないけれど。
しかし何にせよ、ジャンケンで決めてしまっても一向に構わないと、彼女らが本気で気軽にそう考えていても何らおかしくはない。ひとまずそれが理解できると、
「俺はべつに、いいですけど」
と、そんな言葉が口をついて出た。
直後に、何様だよ……と我ながら思う。しかしそこに軽蔑の視線が飛んでくることはなかった。女性陣の目は全て、すでにお互いの出す手の形に注目していたのだ。
「最初はグー」
「じゃん」
「けん」
ぽん!
……というわけで、この三階建ての大きな密室の中で初めて行われるセックスの相手は、ひときわ小顔で気の強そうなツインテールの美少女、Aということに決まった。
夕食のあと、大浴場へ行ってみると、案の定問題なくそこは機能していた。客を歓迎するように暖簾の向こうは明るく、耳をすませば脱衣場の手前からでもかけ流しの湯の流れる音が僅かに聞こえてくる。
着替えやバスタオルは用意するまでもなく、念じるだけで現れる。だから俺は夕食のあと、部屋に戻ることもなく直接そこへ向かった。ロッカーだらけの広い脱衣場は当然ながら貸切で、温泉の中にも誰一人として人は居ない。はたしてこの環境でロッカーに鍵をかける必要があるのか定かではないけれど、現代人のルーティンとしてゴム製の輪っか付きの鍵を手首に巻いて、俺は作法通りにかけ湯から始める。
……どんな気持ちで、どんな顔をして、この男湯の外に戻ればいいんだろう? 体を洗っている時も湯船に浸かっている時も、そればかりを考えていた。ジャンケンに勝ったAは「じゃあ今晩、アンタの部屋に行くから」と言っていたけれど、その前に普通にそこらへんで顔を合わせることになったらどうする? あ、どうも、と会釈でもしておけばいいのか?
緊張……と呼んでいいのかすら分からない微妙な感情を紛らわせるためなのか、救いを求めるかのように、ハクレナの顔が脳裏に浮かぶ。皆が皆あのくらいに、全てがどうでもいいという態度でいてくれれば楽なのに。三人の美女をとっかえひっかえ抱いても許されるだなんて、あとでどんな罰が当たるのか分かったものではないようなあり得ない境遇だけれども、俺はその中心に居てまったく気が休まらない。かといって舞い上がることもできない。
そんなことを長く考えていたらのぼせかけて、あわてて風呂を出た。結局、Aとは普通にロビーで遭遇したし、あ、どうも……と適当に会釈をしておく以外に、俺に取れる選択肢はなかった。彼女の方はまばたきで返事をしてくれた。
そしてその夜、歯みがきも終えていつでも寝られるようになった頃。予定通り、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
本当にこれがここでの日常になるのか……と、童貞さながらに高鳴る鼓動と共にドアを開けば、
「どうも」
と、廊下の窓を背にした向こうから一言。
怖がりへの配慮なのか、昼間と変わらないほど明るくなるように照明に照らされたその廊下に、相変わらず浴衣姿の、やや無愛想なAは、一人でぽつんと立っていた。それは緊張がもたらす無愛想のようにも見えたけれど、彼女は元々から常にそんな感じの人物だったようにも思える。
二人きりの場で、手を伸ばせば触れられる距離にまで来られると、彼女の体の小ささが目立って感じられる。手足が細く、いかにも非力そうな見た目をしていて、彼女がサキュバスだと知らなければ、俺はこう考えていただろう。……そこに一人で立っていて、男に力で敵わないということが恐ろしくはないのかと。
けれどもまぁ実際は、彼女は小指一本で男をねじ伏せられる力を有し、性行為に何の抵抗感も抱かないようなサキュバスの一人である。むしろ変に気を使いすぎた方が、逆にうっとうしがられかねない。
「ど、どうも」
「入っていい?」
「あ、はい」
するりと俺の横を抜けて部屋に入ってきた彼女の後ろ姿を眺めながら、俺は扉を閉めつつも、どうにも鍵をかける気にはなれなかった。ガチャリという音を鳴らしてしまえば、まるで宣戦布告のように聞こえるだろうから。
……そんなことを考えられるのは、俺の邪魔をしに来る者は誰もいないだろうと確信しているからなのだろうか?
従業員のかわりに、念じれば叶う力が、すでに部屋に真っ白な布団を敷いている。俺が朝目覚めた時と同じように、柱に仕切られ畳が敷かれた寝室じみた場所を埋め尽くすように、その「場」は整えられている。
あの時と同じように、部屋の隅には充電器とスマホが転がっている。……Aはその中に保存されている物を知らない。
「青ウニって、SM受け攻めどっち? 真ん中?」
「え」
「知ってると思うけど、アンタを満足させるほど、アタシもお腹いっぱいになれるの。……どんなことでもしてあげるから、教えて?」
「……まぁSですね。それも趣味が最悪なタイプなので、無理だと思ったらすぐ言ってもらえると助かります」
「ふん」
Aは鼻で笑った。そしてどうにも尊大な、……いや、自惚れたような顔をして言う。
「アタシ、セックスでギブしたことないから」
俺は、布団の海の上でそう豪語する彼女を見て……虫の音も聞こえないような静寂の密室の中で、自分自身の物が硬くなっていくことを感じた。それもまるで、今まで平和な暮らしの中に押し込められていたことを取り戻すかのように、それは強烈で……。
……誓って、俺は彼女を傷つけたいわけではない。人を傷つけたいと思ったことなんて、生まれてこの方一度もない。けれどそれはそれとして、彼女が「もう無理、やめて」と泣き叫ぶところを、もし見られるのなら見たいと俺は思ってしまう。どんな性癖にも対応できるというのなら、傷つかずに泣き叫ぶ様を見せてほしいと思ってしまう。
念じれば叶う力の良いところは、部屋を汚してもすぐに片付けが済むところだとも思った。
翌朝、俺は歯ブラシを持って二階への階段を下りていた。
この旅館の間取りに込められた悪意はなかなかに周到なところがある。昨日の昼間の探索は結局三階までは行かなかった上、一階では各種施設に気を取られていたせいで気づくのが遅れたけれど、実は二階以外の場所には「様々な物が無い」のだ。
自室にトイレはなく、風呂もなく、洗面台すらない。そしてそれらは三階の廊下にもない。風呂は大浴場のみにあり、トイレは二階のみにあり、洗面台に関しても、それを兼ねた二階廊下の流し台か、あるいはトイレの中にしかない。だから必然的に、風呂以外の何らかの水場を使おうと思えば、とにかく二階へ向かうことになる。
その仕組みに気づいた時には、まぁ苦笑いするしかなかった。それぞれの部屋番号を教え合ったあと、ちょっとお手洗いへ……と自然な流れで二階のトイレを使ったことが、今にして思えば事の始まりだったのだ。その後の夜、自室にトイレがないことに気づき、三階にトイレがないことに気づき、嫌な予感がして地図を片手にエレベーターに乗り込んで、一階を歩き回るもやはり……という次第でこの監禁舞台の悪意に気がついた時には、尿意に耐えつつも思ったものだ。これで二階の廊下でサキュバスの誰かと遭遇したら、「ムッツリがさっそく来た」と思われてしまうじゃないかと。
とはいえ、二日目の朝になった時にはすでに、必要に応じて二階を訪れること自体にはあまり緊張しなくなっていた。というのは、結局あの時は運良く誰にも遭遇しなかったけれど、そんなこととは関係なく、夕飯時の集合を利用した俺が、食事ついでの作戦会議を実施したから。
これこれこういう事情で、普通に生活していく中で俺が二階を訪れることが多々あります。そう情報を共有したことで、たとえばトイレの他にも、朝晩に歯を磨く時なんかには二階廊下へ来るしかないということが周知の事実になった。そしてそのついでに、歯ブラシを召喚することは出来るのに、念じることによって口内を清潔に保つことはできないこと……つまり黒幕が俺をどこまでも意図的に二階へ呼び寄せようとしていることも、新情報として共有された。そして実際、何度か二階のサキュバスたちと顔を合わせながらも、俺は一日目の暮らしを終えたのだった。
だから今朝の俺は、それはもう軽快な足取りで階段を下りていた。さすがに男慣れしているサキュバスたちが作戦会議の内容をスムーズに受け入れてくれたことに加えて、昨晩のAのおかげで男として一度すっきり出来たことも、その軽快さに関係していたように思う。
……けれど、そんな爽やかな気持ちも長くは続かなかった。
俺が二階へ下りた直後のこと。階段の踊り場から廊下へと曲がるほんの少しの間に、遠くの方から、蛇口から水の流れる音に紛れて、女性らしい高い声が微かに聞こえてくる。
「ほんっと、最悪」
霧散してしまいそうなほど遠いその声からですら、吐き捨てられた言葉に宿る十二分な恨めしさが伝わってきて、俺は思わず足を止めた。
耳が勝手に、その遠い声を、鮮明に拾い始める。
「なにされたの?」
「イラマで吐かされた。しかもおしっこ飲まされて、それをまた吐かされるんだよ……? そんなことを何度も何度も……」
「へー」
「あと首絞める時さ、わざとむせるように、親指でこうやって……喉の真ん中のところ潰してくるの。初日でだよ? 初日でいきなり……。他にもいろいろされたし」
「ドSなんだ、青ウニくん」
「いやマジでやばいから。Sなのはいいけど、アクセルの踏み方おかしいって。たぶんあんな調子だと、二週間もしたらダルマにされてるよ、アタシたち」
「あはは。まぁその時はその時でしょ」
「いや、無理。絶対無理。……もう〜、なんで唯一の男があんなクズなんだよ、ほんとに……」
……二人分の声が、徐々にこちらへ近づいてくる。いつの間にか蛇口の音は止んでいた。
会話の内容に気を取られすぎた……というか正直普通にショックを受けていた俺は、その場から離れるという行動を発想することが著しく遅れてしまった。
まずいと思った時には、廊下を曲がって階段を降りようとする二人と鉢合わせていた。Aと、それから花子が、昨日と同じ浴衣姿で連れ立っていた。
Aの揺れるツインテールと、花子のピンク色の長髪が、今はひどく心臓に悪い物として目に映る。
「あ」
と、声に出したのは花子だった。
うろたえる俺よりもさらにひどい顔をして目を見開いたのが、Aだった。
陰口のつもりだった言葉が本人の耳に入ってしまったことを、この場の全員が、一言も発することなく瞬時に認識したことは間違いなかった。
ごめん。……そう言おうとした俺の声は、かすれた息となって、張り詰めた空気の中へ無意味に消えていく。
それは軽蔑に値することだった。きっと俺の謝罪の気持ちは、自身が身勝手に受けたショックよりも小さかったのだろう。
「おはよう」
花子が、なんでもなさそうに挨拶する。
俺はその瞬間、そこに活路と希望を見た。もしかして、ここでは何も起こらなかったということにしようという暗黙の運びなのだろうか? それならこちらとしても幸いだ……と、俺も努めて自然に「おはよう」を返す。
……しかし実際はそこに活路などなかった。見えた気がしたそれは幻覚で、現実として俺の前に立ちはだかったのは、立ち尽くしたまま一言も発さないAの姿だった。
フリーズした彼女に、花子がわざとらしい所作で耳打ちをする。
ぼそぼそとしたその声は、しかし、わざと俺に聞こえるようにしているとしか思えないほどに、はっきりと聞き取れてしまう物だった。
「謝った方がいいんじゃない?」
その助言に、Aが再び目を見開く。
そして彼女は、はじけるように叫んだ。
「はぁ……!? 盗み聞きしてたのはコイツでしょ!? なんでアタシが謝るのよ。ていうか、女のことオモチャかなんかだとしか思ってないのも、悪いのは、悪いのは全部コイツの方だし! …………死ね!!!!」
言い捨てて、Aはその二つに結ばれた髪を揺らしながら、階段を駆け下りて行った。……それをハンドルとして乱暴に掴んだ昨晩のことを思い出しながら、俺は思う。
鉢合わせた直後の自分は、曲がりなりにも彼女に咄嗟に「ごめん」と言おうとしたけれど、はたしていったい何が「ごめん」だったのだろう。俺に、今さら何を謝る権利があったのだろう。Aの言ったことは、全てが正しかったのに。
……気まずさを感じて花子の方を見ると、その瞬間、にわかに背筋が冷える。ゴミを見るような目が、階段の下に向けられていたからだ。
その目は、当然こちらにも向くのだろうと思った。だから彼女が首を巡らせた時、俺は思わずたじろぎそうになる。
けれど実際には、女性がよく社交術として見せるような友好的な雰囲気が、あっという間にその視線の冷たさを上書きしていた。
「……ごめんね、青ウニくん。あの子、ダメだね」
「え?」
「あの子がしてもいいって言ったからしたんでしょう? その、さっき言ってたようなこと」
「……あー、まぁ」
「やっぱり。じゃなかったら、あなたみたいな人は……」
そこで言葉が見つからなくなったのか、花子はしばし黙り、それから言葉の続きのかわりに、困ったようにはにかんだ。
彼女の言わんとしていることは分かる。ゲームセンターでうろたえ、二階の探索でうろたえ、夜まで誰にも手を出さず、あんな作戦会議を開き、その後彼女らにジャンケンまでさせた俺が、仮に醜悪な趣味を持っていたとしても、ニュートラルな状態からその本性を現しはしないだろうと彼女は踏んでいるのだ。そしてその見立ては完璧に当たっている。
俺は、もしもAが「優しくしてね」と言っていたら、もちろんその通りにしていたような男なのだ。俺という人間は、その程度には良識のある男であり、それほどまでに卑怯な男でもある。
「……まぁ聞いた通り、悪いのは俺ですから」
白々しいけれど、事実であるからにはそう言わざるを得なかった。
すると花子は、小さく首を横に振る。
「悪くないよ。何も、あなたは一つも悪くない。……あの子が言ってたようなこと、わたしにならしてもいいからね……? もちろん、それ以上のことでも」
「……は、はぁ」
「わたしなら、あんな子どもみたいなこと言わないから」
「いや、そんな……」
「歯磨きしに来たんでしょ?」
「え? あ、はい」
「わたし、朝ごはん食べに行ってるね。またあとで」
「あ、はい。またあとで」
間抜けにも歯ブラシを片手に、ほとんど呆気にとられながら、俺は花子を見送った。淡いピンク色の髪にほとんど隠れたその背中を、ただ呆然と見送った。
……そしてそれから、ともかく俺は歯を磨いた。その最中、頭の中でいろいろなことを振り返りながら。
昨日の夜のAは、俺の目には、かなり乗り気であるように見えた。そりゃイジめれば苦しそうにはしていたけれど、ひとしきり咳き込んだあとには必ず笑って、「やばい、最高」と高揚した声で言っていた。抵抗や躊躇の素振りは欠片も感じられず、むしろ、次はどんなことをしてくれるの? もっともっと……と、彼女の方から暴力を望んでいた。…………ように見えた。
けれどもまぁ、現実はこういうものなのだろう。だからこそサディストは慎重になるべきなのだけれど、過去二人のサキュバス……コルカとハクレナがどちらも心底からの許容を見せてくれたことと、この悪趣味な旅館に閉じ込められているという異常な状況が、俺の中の何かを狂わせ、見誤らせてしまった。きっと外の世界でなら、Aは初めから言ってくれていたのではないか? 言っとくけどあんまりハードなのは無理だから、と。……いやこんな考えは言い訳がましすぎるか。
とにかく、そんなAとの間に起こってしまったことは、もはや取り返しがつかない。謝ったところで、彼女が俺と性行為に及ばなければ生きていけないことには変わりがなく、俺をより完璧に満足させなければその性行為の意味が薄まってしまうことも変わらない。そこが変わらないのなら、今後のことは何一つ改善も解決もされない。……お互いに、顔を合わせればつらくなるだけの未来が確定している。
けれど、俺はそのことに心を痛めてばかりもいられなかった。花子の一言が、どうにもひっかかっていたから。
『わたしなら、あんな子どもみたいなこと言わないから』
……子ども。花子はそう言った。
俺は、この旅館の中でただ二週間を生きていけばいいわけではない。俺はクイズに正解しなければならない。三人のサキュバスの中で、幼少期に性的虐待を受けていた者は誰なのか。そんな醜悪な問いに、正しく答えてみせなければならない。それこそ、この異常な環境からAを解放するためにも。……だから俺は、ヒントを見逃すわけにはいかないのだ。
Aの反応はサキュバスとして標準的な範囲なのだろうか? いくら性の申し子たるサキュバスでも、俺のようなクズから被害を被れば、あのようなリアクションをすることがあるのだろうか? それとも彼女の反応は、「普通に生まれ育ったサキュバスのそれ」としては不自然な物なのだろうか……?
本人ではない誰かに、参考までに聞いてみるしかない。うがいをしながら、俺はそう決意した。
「あぁ、青ウニくん。おはよう」
「あ、おはようございます」
声に振り返ると、着崩れた浴衣姿の、眠そうなチャカが居た。ここは二階、サキュバス三人が泊まっているフロア。当然、そういう遭遇のしかたもある。
胸元に見える肌色に視線を吸い寄せられかけて、俺は首ごとそれを逸らす。
チャカは、それに関しては意にも介さないようだったけれど。
「ねぇ、Aちゃんと何かあった?」
そう聞かれて、グッと喉に物が詰まったような感覚に襲われた。
小さく深呼吸をしてから答える。
「えぇ、まぁ、ちょっと。……社交辞令に甘えて、昨日の夜やりすぎてしまって」
「あぁ、そういう」
チャカは爽やかに笑っていた。
「いや、なんかすごい剣幕の「死ね!!」が聞こえて目が覚めてさ。何があったんだろうと思って」
「あー……。すみません……」
「いやいや、君は悪くないよ。……どうせあの子が昨日、出来もしないことをウェルカムなフリしたんでしょう?」
「え」
チャカまで花子と同じようなことを言う。俺は、それにはさすがに違和感を覚えた。さっきまで寝ていたという彼女は、花子と違って、Aの陰口の内容を知らないはずなのに。それでその台詞がすらっと出てくるものだろうか……?
「……もしかして、Aさんと知り合いだったりします?」
「え? ……あはは!」
可笑しそうに、チャカは笑った。そしてそのあと、ぶんぶんと首を横に振りながら答える。
「いや〜、全然。Aちゃんとも花子ちゃんとも初対面だよ」
「あ、そうなんですね」
「うん、そうなの。でも分かるでしょ? 昨日ジャンケンに勝ったAちゃんが今日の朝からキレるなんて、大体そうだろうなって」
「……あー」
「それかまぁ、君があの子じゃ勃たなくて、それでキレられたってこともあるのかもしれないけど。……そっちを先に言った方がよかった?」
「え? いや、まぁ、ははは……」
それを先に言われていたら、危うく自分の口から事の次第を話すはめになるところだった。俺の身分不相応に繊細な良心はチャカの勘に救われたのだ。
そんな保身も極まったことを考えながら、俺は用済みになった歯ブラシやコップを虚空へ消す。するとそれを見たチャカが、朝ごはんはもう食べたんだ? と言った。
「いや、俺朝はあんまりで。飲み物くらいは飲みに行こうと思ってますけど」
お茶くらいなら、冷蔵庫が備えられているだけあって自室でも召喚できるのだけれど。ただでさえ異常な状況に閉じ込められた集団生活の中で、過度に引きこもることが良い結果を生むとは思えない。だから俺は食堂へ行く。人間的な食事なんて付き合いで食べているだけのサキュバスである花子だって、さっきそうすると言っていた。
「じゃあ私も行こうかな」
「花子さんも行ってるみたいですよ」
「Aちゃんは?」
「……たぶん居ないんじゃないですかね」
「意外とふてぶてしくステーキ食べてるかもよ」
「だといいんですけど」
言いながら、俺とチャカは階段を下りた。
今晩のジャンケンは、きっと彼女と花子の一騎打ちになる。どちらが勝つのだろう? と、俺の頭の片隅にはそんな思考があった。……それはAとの二の轍は踏むまいという決意の表れだったのだろうか? それとも……と、自分でも自分がよく分からなくなる。
夜を楽しみだとは思わない。けれど、人を傷つけたことに対する罪の意識がまだまだ希薄すぎると言われれば、それはその通りだ、否定できない。もし俺がAの陰口をトラウマにして満足に性欲も抱けなくなるような男であれば、きっとこんな場所に連れて来られもしなかったのだろう。
……俺だって、好きでこんな人間になったわけじゃない。Aからすれば、そんなことはどうでもいいのだろうけど。