知りたい情報はさほど深いことではない。俺は積み上げられた本を片っ端から斜め読みして、自分が求めている話題に関する記述だけをかき集めた。そしてその結果、知りたかったことの全てを知ることが出来た。
まず結論から言って、サキュバスは子どもの頃から大抵の人間よりも力が強い。大人のサキュバスのように車を投げ飛ばすような力はないけれど、ランドセルを背負ったばかりのサキュバスにだって、平均的な成人男性を投げ飛ばすくらいのことは出来るらしい。だからやはり、いくら相手が子どもだったとしても、人間がサキュバスを暴力で征服できるとは考えづらい。
また、苦痛を魔力で抑制する技量等についても、生まれつき完璧に備わっているわけではないけれど、平均して中学生程度の年齢になる頃には、十分に上達しているものらしい。ということはつまり、大人に殴られても臆せず倍の力で殴り返すくらいのことは、子どものサキュバスにも出来るものだと考えていい。
それから、サキュバスにとって性が尋常ではなく身近であることは、子どもにとっても例外ではないらしい。ということは、たとえば子どものサキュバスが性犯罪に巻き込まれたとして、それを「こんなこと誰にも話せない」と一人で抱え込んでしまう可能性は非常に低いということになる。この件もまた、サキュバス相手に性的虐待が成立しづらいことを示している。
……ところが、では結論として「サキュバスへの性的虐待は基本的に成立しない」ということが言えるのかというと、忌むべきことに、全くそうではなかった。むしろ現実はその逆で、上記の情報は、逆説的に「これらの条件をクリアすれば、幼いサキュバスへの性的虐待は成立する」ということを意味している。
力で人間に勝り、親や友人への相談も厭わない。そんな小さな女の子を性的に搾取する方法とは何か? そう考えた際の答えには、「人間に力で勝る者にさらに力で勝り、親に相談されたところで何の問題にもならない人物」の存在が浮上する。
……その存在とは、ずばり母親だった。
サキュバスが子どもを産むと、必ずサキュバスとして産まれる。どの種族と交配しても例外はなく、サキュバスの子は必ずサキュバスになるらしい。つまりそれは裏を返すと、サキュバスの母親は必ずサキュバスであるということになる。全てのサキュバスの親は必ず、父親の方が人間相応に弱くても、母親の方はサキュバス相応に強いのだ。しかも、もちろんここで言う「強い」とは、その家庭の中で誰よりも遥かに……という意味である。
サキュバスの子どもに性的虐待が行われる時、そこには八割以上の確率で母親が絡んでいるのだというデータの記載があった。もちろん血の繋がりのない他のサキュバスや、サキュバスに力で勝る魔界の他種族が主犯として絡んでいる場合もあれば、被害者本人による心底からの同意によって隠蔽される例もあるらしいけれど、それはどこまで行っても少数派の事例でしかない。やはり「親への相談を厭わない」という点が大きいのだろう。親が子どもの味方でさえあれば、サキュバスの子が継続的な性犯罪に晒されてしまう事例は人間のそれよりも遥かに少ない……らしい。
その上、そもそも性行為で高めた性欲を吸い取ることで命の源たる魔力を得るサキュバスは、幼少期においてどのようにそれを確保しているのか? という点に疑問を感じて掘り下げてみれば、それについての答えも全て母親に集約されていた。サキュバスは血縁関係者に限り、他者に魔力を譲渡することが出来るらしいのだ。身体が性行為に適した段階に成長するまでの間は、子どものサキュバスは母親から母乳さながらに魔力を得るらしい。……子どもの不死身性の源が母親にあるなら、虐待の根源も同じ所にあった方が何かと好都合なのだろう。
けれど、しかし、では性行為の相手を「お父さん」と呼ぶことを要求された元被虐待児のサキュバスは、そこでいったい何を思うものなのだろう……? 自分を助ける力を持たない頼りない父親のことなど元々取るに足らない存在だと思っているから、何も気にならなかったのだろうか。それとも何か、こちらの予想とはまったく別の感情を向けていたりするのだろうか? 後者だとすれば、それが良い物であるとは思えないけれど、ともかく俺と共に閉じ込められた三人は、誰もそんな物の片鱗すら垣間見せはしなかった。
……以上の情報とそれに伴う感想をもって、俺は調べたかったことを全て調べ終えた。そして幸い、自分が次にするべきことにも思い至る。必勝法だと思っていた物と同じくらい、それは心許ない策ではあるけれど、無いよりはマシだ。
これみよがしに音をたてて本を閉じる。暇を潰すために……もとい、おそらくは俺の様子を無意識にでも勘繰らないようにするために漫画を読んでいたチャカも、同じようにその単行本を閉じた。
未読と既読の区別だけをしてテーブルの上に乱雑に積み重ねられていた本は、用済みになった途端にサッと虚空へ消え失せる。
「大体調べ終わりました」
「どうだった?」
「知りたいことは知れました。……けど、有効打を思いつくところまでは行きませんでした」
「そっか」
チャカはあまり人に期待しないタイプなのか、そうでなければ俺にとっくに失望しているのだろう。前向きとはいえないこちらの発言に、これといって落胆した様子もない。
しかしまぁ、俺という人間に期待していないことについては、当の俺自身ですら同じだ。思考の前提から間違っていたことで慌ててそれを正しはしたけれど、それはマイナスをゼロに戻しただけのこと。そこからいきなり起死回生の名案が思いつくとは初めから思っていなかったし、実際めざましいことは何も思いつかなかった。
虐待の主犯はかなりの確率で母親である。そう分かったからには、その視点から三人へ揺さぶりをかけてみるべきだろう。……しかしそれであっけなく事が解決するようなら初めから苦労はない。きっと彼女ら三人はそんなに単純じゃない。彼女らが単純であるなら、父親に関する揺さぶりをかけた時に……つまり主犯ではなくとも自分を守ってくれなかった家族について悪趣味な触れ方をした時に、少しくらい動揺してくれてもよかったはずだから。
けれど、直感だけでクイズに回答することは出来ないように、ヒントの収集を直感だけで行うことも出来ない。今俺に出来ることはその望みの薄い策をひとまず試してみることだけなのだ。
だから俺は一応、チャカに聞いてみる。いくらなんでもこの質問からでは、こちらの意図は察しようもないだろうと鑑みて。
「ところでチャカさん。俺は、サキュバスの子は必ずサキュバスになるという話を今読んで初めて知ったんですけど。チャカさんのお母さんって、どんな人なんですか?」
聞かれたチャカは、うつ伏せにほとんど寝転がったような姿勢で両肘を立てたまま、ぽつぽつと答える。突然の質問に対する自然なテンポの悪さで、なおかつまるで三日前の献立を思い出して答えているかのように、精神的な淀みはまるで感じられない回答が寄越される。
「うーん、そうだなぁ。まぁ、普通の人だったと思うよ。いつも適当にテレビとか見てて、運動はあんまり……たとえばここの卓球コーナーみたいな特別な機会がなければ、めったにしない人だったかな。家事は大体そつなくこなしてたし、男の趣味もそんなに尖ってなかった。……あぁでも強いて言えば、たぶん
「へぇ。夫婦仲がいいのは何よりですね」
「うん。我ながら親に恵まれたと思うよ」
そう言ってから、チャカは探りを入れるような、どこか含みのある視線をこちらに向ける。俺の読みが正しければ、そこに込められた意味は二つある。
一つ、なぜ今そんなことを聞いたのか?
二つ、同じ質問を私から投げ返してもいいものなのか?
チャカは、しばらくというには一瞬すぎる間だけ俺のことを見つめて、無言でその背景を推し量っていたのだと思う。度し難い性癖を持つ男の家庭環境になど闇しかなさそうだとでも考えていたのかもしれない。
彼女が何をどう考え、どのように判断したのか俺には分からないけれど。何にせよ彼女は結果として、この話題をそのまま水に流しはしなかった。
「青ウニ君のお母さんは、どんな人?」
単なる雑談だということを強調するように気軽な調子で、質問が投げ返される。
俺は心の中で少し笑う。俺自身が一番納得していない……けれど紛れもなく真実である答えを口にする時には、いつも少しの可笑しさを感じずにはいられないから。
「ウチも普通の人ですよ。甘い物が好きで、よく夕食の前におやつをつまみ始めたりするのは、子どもの教育には悪かったかもですけどね」
何を隠すわけでもなく、ただ他に語るようなことがないばかりにそんなほのぼのとしたエピソードを俺が語ると、チャカも可笑しそうにくすくすと笑った。
「まぁそれは、ちょうどお腹が空くタイミングだもんね」
彼女のリアクションに、俺も「そうなんですよね」と愛想の笑みを返しておく。お腹が空くタイミングという概念がサキュバスにもあるのだろうか? という疑問については質問を保留した。
あくまでも素朴に考えればだけれど、今のやり取りから考えて、チャカの家庭環境は白だろう。俺が本で何を読んでいるのか悟らないように漫画に目を逸らしていた彼女にとって、今の質問は唐突だったはずだ。にも関わらず彼女の口から語られた母親の話に関して引っかかる点は何もなく、そしてこちらの「平和そうな親子のエピソード」についても不自然な反応がまるでなかった。これで実は母親から売春を強制されていました……なんて答え合わせが出てきたら、もうお手上げだ。
そのようにして俺は、ここ201号室チャカの部屋の中で、調べ物と質問という二つの目的を終えた。今はもうここに残した用はない。であればここは元々他人のプライバシー空間なのだから、適当に挨拶をしてさっさとお暇することにする。
チャカは、これはクイズのルールとしてはいささかまずいことに、どうも俺がこれからしようとしていることを読んでいるようでもあった。彼女は玄関で、
「じゃあまた夕ご飯の時にでも」
と言ってから、俺が扉を閉めるまでを見送る。これからは何をするの? と聞かれなかったのは、プライバシーに配慮したことだったのかもしれないし、単に愚問だったからなのかもしれない。
部屋を出た俺は、深呼吸を一つしてから、階段側には背を向けて二階廊下のさらに奥へ進む。
クイズの回答期限は二週間ある。けれどそれはあくまでも「期限」……つまり「最大で二週間」なのであって、回答の機会がきっかり二週間後にしかないというわけではない。こんな悪趣味な空間からは一日でも早く抜け出せた方が良いに決まっていて、ならばヒント集めだって急ぐに越したことはないのだ。
風俗嬢のエピソードから発想を得た「お父さん作戦」は、実施にその都度性行為を伴う点がネックだった。けれど「お母さん作戦」は違う。それについて出来ることはただ質問することだけであり、実施に俺の性欲の回復を待つ必要はない。
俺は204号室……花子の部屋の扉をノックする。すると幸いにも中からすぐに返事があった。
「開いてます」
言われてドアノブを捻ると、確かに何の抵抗もなく扉が開く。チャカの時といい、この旅館内におけるサキュバスの振る舞いはそれが標準なのだろうか。……俺なら実質的に無駄だと分かってはいても、その上で鍵をかけたくなってしまいそうだけれど。
玄関で靴を脱ぎ、本来なら水場が用意されていて然るべきであろう短い廊下を抜けると、白い布団が敷き詰められた部屋の中でぺたんと座った花子と目が合った。彼女はどこか嬉しそうな……そしてどこか不穏な笑みを浮かべていた。
明るいうちから夜這いに来たと思われたのだろうか……。一瞬の間に、俺はそう察する。そしてそれは勘違いなのだと告げなければならないことに、胸が詰まるようなプレッシャーを感じた。
肉体どころか精神にまで大きな負担を強いるハードSMプレイに付き合わされることと、サキュバスにとって命の源である魔力の供給が心もとなくなること。花子にとってどちらが本当につらいことなのかはエスパーでも黒幕でもない俺には読めないことだけれど、もしも今自分がここへ来た理由を正しく彼女に説明したとして、落胆の表情を見せられてはお互いにつらい。
……けれどそこは幸いと言うべきか、サキュバスの「性欲を察知する力」が有効に働いた。
「なんだ、エッチしに来たわけじゃないんだ」
そう言って肩を落とした花子は、けれど落胆したという様子ではなかった。彼女はただ単に拍子抜けしたようだった。
敷かれていた布団がヒュンと無に消える。残されたのは畳の床と、浴衣姿の花子だけ。この旅館内においてはどれも見慣れた光景だ。
俺は内心の動揺が表に出ないように、小さく深呼吸をしてから切り出す。
「えぇ。実は、花子さんに聞きたいことがあって来たんです」
「聞きたいこと? なんだろう?」
もう少し自然な雑談からの流れで切り出せた方がよかったのかもしれないが……と、それを実現するコミュニケーション能力を持たない俺はないものねだりで考えながら、率直に言う。
「さっき調べ物をしていて、サキュバスの子どもは必ずサキュバスとして生まれることを知ったんです。そこで興味が湧いたんですけど、花子さんのお母さんってどんな感じの人ですか?」
脈絡のなさすぎる……そしてそれゆえ雑談の範疇に収まるその問いに、花子はしかしピクリと反応した。俺の真意を悟られたわけではさすがにないだろうけど、ただ、それがクイズに関わることだとは勘づかれたのかもしれない。……あるいはそうでなければ、それは魚につつかれたウキのように大きく確信に迫る反応だったのかもしれないけれど、現時点ではなんとも断言できることはない。
床に座ったままこちらを見上げながら、花子は答える。あたかも演技などではなく、本当に何も深いことは考えていなさそうな雰囲気で。
「うん? ……んー、そうだなぁ。お母さんは、出かけるのが好きな人かな。旅行もそうだけど、アウトドアとか、ショッピング巡りとか、何かとアグレッシブで、新しい物好きな人だよ。わたしも小さい頃からそれでいろいろ体験させてもらったり買ってもらったりして、楽しかったな」
「へぇ……」
その話を聞いて、俺はこのクイズに挑み始めてから初めての「手応え」を感じた。もちろんすぐにそれを掘り下げる。
「そんなに頻繁に出かけられるってことは、なんというか、結構裕福な家庭だったんですね」
それなりに単刀直入な物言いに、花子は少し気まずそうな笑みを浮かべた。
「やっぱりそう思う……?」
「えぇ、まぁ」
「正直、親がいくら稼いでるかって知らないんだよね……。なんとなく物心ついた時から、なんか他所の家と暮らしが違う気がするなーって感覚はあったんだけど」
「貧乏で困るっていうならともかく、その逆ならいいじゃないですか」
「そう……?」
納得していなさそうな感じで、彼女は小首をかしげる。そこにはチャカの時と同じ意図が込められているように思えた。
どうしてそんなことをわざわざ聞きに来たの? そして裕福なわたしは、あなたに同じ質問をしても大丈夫なの? と、彼女はきっとその答えを察しかねて、微妙な面持ちを見せているのだ。
だから今度は、俺が自ら語り始める。
「ちなみにウチの母は倹約家でした。我が家は貧乏だから無駄遣いできないんだよって昔から言われて育ってきたんです。……でも大人になるにつれてどこかしらのタイミングで、その言い伝えがわりと嘘だったってことに気付いたんですよね。真実にたどり着いた時の衝撃はなかなかでしたよ」
「え! それは本当のことが分かった時、どう思ったの……? ショックだった……?」
「いや、嬉しかったですよ。親が金持ちであるに越したことはないじゃないですか」
「お〜。ならよかった」
「うん、よかった」
「……聞きたかったことってそれだけ?」
「あ、はい」
「そっか」
クイズ云々を踏まえた上でなお、なんてくだらない質問なの。そう言いたげなくらいに、花子はその瞬間からこの話題に興味を失ったようだった。まぁ実際、表面的には、暇つぶしの雑談以上の内容はない話だった。
用は済んだので、俺はまた適当に挨拶してこの部屋を去る。玄関先で花子は、
「今晩、部屋に行ってもいいんだよね?」
と、いくらか不安そうに尋ねてきた。俺はその問いに「はい」と頷く。取り決められた通り今日は彼女の順番なのだから、こちらとしてはそう答える以外になかった。
ところでそれよりも重要なのは、花子の母親の話に真っ先に「金銭」の影がチラついたことだ。サキュバスの性的虐待は母親によって行われる場合が多いというけれど、その中でも最も頻発しているケースは「強制売春」や「児童ポルノの撮影・販売」なのだという。言われてみれば当然の話で、サキュバスの母親が単なる虐待ではなくわざわざ性的虐待を働く動機なんて、主にはそれしか思いつかない。
花子の談は今のところあくまでも
これであとはAに同じ質問をしてチャカ並に潔白らしい答えが返ってくれば、焦点を花子にしぼってさらに推理を進めることが出来る。五里霧中からようやく抜け出したような気がして、俺はどこか逸るような気持ちで廊下のさらに奥、209号室……Aの部屋の前に立った。
……が、その扉をノックしようとした瞬間から唐突に、一人で盛り上がっていた気持ちは急速に冷めていった。Aの部屋を訪ねることに対するプレッシャーが、気の進まなさが、気まずさが、瞬く間に意識の内に戻ってくる。彼女はチャカや花子と違って、俺の来訪を快く受け入れてくれはしないだろうと。
しかし背に腹はかえられない。再び深呼吸をしてから、俺は目の前の扉をコンコンコンと三度叩いた。
「……開いてる」
不機嫌そうな、あるいは警戒心のこもった声で返事があった。
鍵のかかっていない扉を開いて部屋の中へ。玄関で靴を脱いでいると、短い廊下の向こうからAがひょっこりと姿をあらわす。
「何か用……?」
こちらに今さほどの性欲がないことは向こうにも伝わっているはず。けれども向こうからすれば、それならそれで自分の部屋に来た意味が分からない。漫画が読みたいなら他の誰かの部屋に行けばいいのに……という思考が、Aの表情からはテレパシー並に伝わってきた。明らかに嫌われているとはいえ、彼女だってパブリックな場ではいつももっと愛想良くしてくれているものだから、「相手の部屋に立ち入る」という行為がどれだけの意味を持つことなのか、俺は改めて思い知ったような気になる。
お互いのためにも、用事を終わらせてさっさと帰ろう。灰色なのは花子だけだと確かめるためにここへ来たつもりの俺は、花子の時と同様にやや唐突すぎる話運びであることを自覚しつつ、単刀直入に問いたいことを問うた。
Aは俺と距離を保って廊下に立ったまま、つらつらと質問に答えてくれる。
「アタシのママは、一言で言うとゲーマーかな。ママがテレビゲームで遊んでるところを横で眺めてるのが物心ついてからの日常で、アタシもよく一緒に遊んでた。特に、こっちが遊び相手として申し分ないと見なした時のママは明らかに嬉しそうで、今日はあれを進めようこれで戦おうって誘ってくるから、こっちもそれが嬉しくてコソ練することがあったり……」
「なるほど。お母さんはテレビゲーム専門だったんですか? ネトゲとかスマホとか、昔は携帯機もよくありましたけど」
「いや、結構なんでもやってた。ネトゲは時間がないからやらないって言ってたけど、DSとかPSPとか、ソシャゲも。……あぁソシャゲといえば、課金とかも全然するから、それで何回かパパと喧嘩になってたかな。結構な額をつぎ込んでたみたいで」
「ほう……。大丈夫だったんですかそれは……?」
「ちゃんと毎回仲直りしてたよ。ママも働いてたから、お金に切羽詰まってるわけではなかったし」
「なるほど。それならよかった」
「……聞きたいことはそれだけ?」
「はい」
聞くべきことは聞けた。
そして話がややこしくなった。
まずいことに、Aの話にも金銭の影がちらついている。ゲームの課金が原因で親同士が何度も喧嘩になるとは、正直言って普通の家庭にあることとは言い難い。しかも話の内容からすると、彼女の母親は課金を控えることではなく、つぎ込んだ額を経済力によって補填することで手打ちにしたらしい。……給料の中から捻出される個人の小遣いをはたくことで相殺できる程度のつぎ込み額なら、そもそも頻繁な喧嘩になどなるものなのだろうか?
それに共働きの家の母親が、据え置きに携帯機にソシャゲに……とあちこち複数のゲームに手を出せるほどの時間を確保できるものなのかについても疑問だ。俺の父もテレビゲームはそこそこやっていた。子どもの頃にそれを眺めたり、時々コントローラーを手渡されたような思い出は俺にもある。けれどそれは母が専業主婦であることありきの話であったようにも思う。家のことを母が受け持ってくれていたからこそ、父は空いた時間にしょっちゅうゲームをして見せることだって出来たのだ。
……と、それらの「引っかかる点」は無論、決定的な物ではない。がしかし、花子の話をチャカに比べて疑わしく感じた理由もまた、全くもって決定的な物ではなかった。もし花子一人が「唯一の引っかかり」を持っていると突き止めていればそれは大きな進展だったけれど、Aにも似たような物を感じたとなると、話は一気に振り出し付近へ引き戻されてしまう。
現状の俺が言えることは、チャカが黒である可能性は比較的低い……という程度のことにとどまってしまった。ほんの数分前にようやく探り当てたと感じた光明は、今や星のように遠く小さく、掴みがたいものに見える。
一人で勝手に落胆したことが顔に出ていたのだろう。Aが怪訝そうな目でこちらを見る。そして彼女こそはきっと強く、自分にあれだけ酷い仕打ちをした男の家庭環境などロクな物ではないに決まっている……と確信していたのだろう。
「それで、そっちの母親はどんな感じだったの?」
そこにはまるで、意趣返しのような棘があった。
ここ数日の流れを受けていれば、何かずっと「親」について探りを入れられている……とは、どんなに鈍い人でも察するところだろう。そして、それについて気分を悪くした素振りをまったく見せなかったチャカや花子の方が、どちらかといえばおかしかったのだ。Aの質問は額面的にはただの雑談だったけれど、彼女が俺と意味もなくプライベートな雑談を楽しむはずもない。そこには確実に「そういうお前の親はどうなんだ」という苛立ちの意図が込められていた。
ここで俺が事実に正直なことを答えれば、きっと彼女はまた納得のいかない顔をするのだろう。うちの母はゲームに興味はあるけれど致命的に下手くそで、でもパズル系だけは俺よりも上手いんだ……と何の面白みもない事実で返答すれば、きっとまた不服そうな顔をされる。
俺は、自分の思い込みでなければ、それ自体に大したプレッシャーを感じてはいなかった。「ふーん……」と一応の相槌を打つであろうAにさっさと別れを告げて部屋を出られればそれでいいと、本心からそう思っていたはずだった。
けれど、廊下の先で視界に収まるAの姿を見ていると、気が変わってしまった。チャカや花子に比べて一回り小柄な体、袖や裾からほんの少し見える華奢な手足、男の両手であれば包み隠せてしまうのではないかという小顔に、全身にジトリとまとった警戒心。……そして、生殺与奪の権を握った立場から、彼女を好き放題に蹂躙したつい最近の過去。それらが思考の縁に集まって、俺にまったく別の返答を発想させる。
それをそのまま口にすることには、不思議なほど躊躇いを感じなかった。
「……俺の母親は、俺の性癖を知らない人でした。いや、「でした」というか、今でもそうです。俺がどういう物を見て興奮し、実際の女性にどんな仕打ちをしているのか、母は何も知らない。父も知らない。身内の誰も……」
「……へぇ」
「うちの親は、知ればきっと動揺するでしょう。それが分かってるから、俺もずっと隠してる」
その話はその話で、ただ事実を答えただけではある。けれど無難な内容を話した時と違って、どうにもその語りは着地点を見失ってしまった。尻切れトンボのような空気感のまま、俺はそれ以上語ることを見つけられなくなってしまう。
そんな俺に対して、Aはどこか自嘲気味に笑った。
「アタシも、ここであったことは親には言えないかな。心配かけるだけだし」
「え……」
俺はその言葉に、目を見開かずにはいられなかった。
サキュバスとは、性犯罪に遭ったことすら何の躊躇いもなく親に相談するような生き物なのではなかったか。本には確かにそう書いてあったはずだ。
……星のように遠く小さくなったかと思われた光明が、それでも強烈にまばゆく、また灰色に光りだした気がした。