見つけた。いや正確には仲間が。閉ざされた通路の匂いを辿って、何処へ辿りついたかやっと見つけた。さあ、使命を果たす時が来た。まずは仲間を送り込もう。消せれば良し、苦しむなら知らせを送れ。全てを使うのは本意ではないが、使命のため。愛する、幻想郷のため。
夕食では軽い会釈をして、黙々と食事を口にしただけだったが、アリスは暗い雰囲気を消し去っていた。当たり前の様に手伝いをし、トメの話す昔話に相槌を打つ。アキオは相変わらず手伝いもせず、リビングで所在なさげにウロウロしていたが、やがて何処かへと去って行った。
お茶の時間の後、アリスは風呂場でシャワーの説明を受け、幻想郷には無い機構を体験した。お風呂とは違った快感を堪能したアリスは、パジャマと下着が用意されているのに気付き、誰の物なのかと訝しんだ。
(この家、トメさんとケダモノの二人暮らしみたいだけど)
アリスは一瞬袖を通すのに躊躇したが、引き返さない決心を思い出し、拝借する事にした。
部屋、つまりアリスが最初寝かされていた所が、なし崩し的に彼女の寝所となった。廊下に“糸”を張り、部屋に入る。上海と蓬莱が抱きついてきた。
「ごめんね、退屈だったでしょ?」
「シャンハッ!」
「ホラッ!」
二体は、この位どうという事は無い、と勇ましく首を振る。戦闘訓練(ごっこ遊び)をしてずっと過ごしていたらしい。
「明日は何か退屈させないものを借りてきてあげる……?」
“糸”に反応があった。素早く隠れる人形達。扉の向こうには。
「あらケダモノさん。こんばんわ」
「‥‥その件、なんだけどね」
「今日は話す気分じゃないの。帰って?」
「ごめんなさい!」
突然土下座するアキオ。
「ちょ、いきなり何するの?!」
「俺、どうかしてた。その‥‥隣の部屋は‥‥とにかく、ごめん!」
アリスは別に彼を「ケダモノ」と内心呼んでいるだけで、特別恨みがあるわけでもない。
「やめて。もう、頭をあげてよ」
すると今度はいきなり頭を上げ、膝だけで前身してきた。
「お願いだ、部屋の中で話をさせてくれ!」
今度は手を合わせてお願いする。アリスは蹴り飛ばすかドアで挟むか迷ったが、室内での上海と蓬莱のコンビネーションを試すのが一番面白そうだと判断し、彼を入れた。
「で、何なの?」
アキオは正座したまま、アリスを見上げて話し始めた。
「重要な話だ。でも、ここでは話せない」
「は?」
「明日、俺と大学に来て欲しい」
「だ・い・が・く? 何それ?」
「ああ、カレッジ。俺、カレッジ・スチューデントなの」
アリスは困惑した。幻想郷にも魔界にも大学は無い。彼女にはそれが何なのか分からない。
「とにかく一緒に来てくれ、いや来て下さい。お願いします!」
すがり付こうとするアキオを手足で押さえながら、アリスは考えた。
(下心、てわけでも無さそうね。この際情報提供は歓迎だわ。試してみたい事もある)
「まず身体を離して」
「はいっ」
アキオは器用に正座の姿勢のまま後ろへ跳んだ。
「ダイガクという場所はどういうとこなの?」
「え‥‥分かりやすく言うと、高度な勉強をするところかな?」
「学校や寺子屋みたいなもの?」
この学校とは、アリスが魔界で通っていた物なのでやや意味合いが異なっている。
「て、寺子屋!? いや、結構苦労して勉強しないと入れないし」
「ひょっとして大きな図書館があったり、そこで一日中本を読んでろ様な喘息持ちの女がいたりする?」
「図書館はあるよ。女の子もいるね。読書好きかは分からないけど」
アリスは少し考え込んだ。
「貴方、いざという時は私を守ってくれる?」
「はぁ?」
「初めて行く場所なのよ? エスコートは当然でしょう?」
アキオは軽くため息を吐いた。
「何だってやりますよ。お嬢様」
「ねぇ。アキオ」
「ま、まだ何か!?」
「私の名前は、アリスよ。アリス・マーガトロイド」
妙な空気が二人の間に漂った。
翌朝。
朝食を終えたアキオがアリスを大学と町見物に連れ出したい、とトメに告げたところ、彼女は特に反対はしなかった。普段アキオは自転車で学校に通っているため、アリスを連れ早めに出る事にした。
「じゃあ、行ってきます」
「大丈夫かい、町なんか連れ回して?」
「ひでぇ言い方だな。純粋な善意だよ」
「はっ、もう少しマシな言い訳を考えたらどうだい?」
「何が言いたいんだよばーちゃん!!」
「若い男ってのは昔からちっとも進化がないねぇ」
二人のやりとりを無視して、アリスは久々の靴の履き心地を試していた。玄関で意味もなく、くるりと回って見せる。ふと気付くと、アキオがじっと彼女を見つめていた。
「何か気になる物でも見えたかしら?」
「お前って、ほんと変な奴だよな……」
アキオは、アリスの顔を見ない様にしながらそう呟いた。
玄関を出て、飛び石が門まで並んでいた。アリスは、試す絶好の機会だと思った。玄関口のコンクリートを二、三度蹴って、魔力を足に込める。
「せーの!」
ふわりと身体が宙に浮き、そして石の上に見事着地した。
「あら?」
もう一度同じ事を繰り返す。結果は同じ。子供が飛び石の上で遊んでいる様にしか見えなかった。
アキオが呆れながら脇を通り過ぎる。
「馬鹿やってないでさっさと行くぞ」
アリスは彼を追いかけながら、内心焦っていた。
(まさか、何で飛べないの!? 上海達は飛んでいたのに?)
(これが‥‥外界)
アリスはアスファルトの地面、コンクリートと生垣が交じりあった壁、時折通り過ぎる車を初めとした乗り物、更に上空遥かを飛ぶ飛行機(これらが何なのか、彼女は殆ど理解していない)、道行く人々全てに興味津々だった。だが同時に、狭っ苦しさ、後ろから不意に来る自転車、何より周囲から注がれる好奇の視線が気になった。
「ねぇアキオ?」
「ん?」
「何でみんな私たちをじろじろ見るの?」
「見られてる? ‥‥まあ、それっぽい感じもするなぁ」
立ち止まったアキオは、アリスを上から下まで、本人なりに失礼のない視線で見た。
「目立つな、確かにこの辺じゃ」
そう言ってまたスタスタと歩き出した
「気にすんなって」
「だから何でなのよ?」
「ここら辺じゃ見かけない顔だからだよ」
間違ってはいない、が、不十分な答えをアキオは返した。
まず、外国人の娘がこの町では珍しい、というのは正しい。だが、それ以上に綺麗な金髪碧眼、整った顔立ち、清潔感すら感じる白い肌が、人々の関心を集めていたのだ。
やがて二人は、大学とは違った場所に着いた。丘に築かれた階段を昇る。そして、その先には。
「これ‥‥湖!?」
「いや、海」
転落防止の柵から身を乗り出さんばかりにして、地球上の大半を占める塩水を眺めるアリス。
「これが噂に聞いた海なの。こんな簡単に見られるなんて‥‥ダイガクって、凄いとこなのね!!」
無邪気にはしゃぐ彼女に、アキオは済まなさそうな顔をした。
「アリス。ここは大学じゃない。公園だ」
「そうなの! 海って、凄いのね‥‥今なんて言った?」
「大学じゃない。公園。人が憩を求めて集まる場所」
アリスが世事に疎い(住んでいた世界が違うだけだが)事を学習したのか、アキオは補足を言葉に含ませた。アリスは振り返らなかった。
「騙す口実だったわけ?」
「ここなら俺が落ち着いて話せるからだ」
夏の日差しに、潮風が心地よい場所だった。
「俺はアリスの事がよく分からない。人の多い所へ連れていくべきなのか、こういう静かな場所が好きなのか。分からないから、俺の基準に併せて貰った」
「自分勝手なのね」
「正体不明のフリーダムな女の子に言われると、立つ瀬が無い」
アリスは寂しそうな笑いを浮かべて、アキオを見た。彼も苦笑いを返す。
「隣に来てよ」
「まず、アリスの部屋の隣には、奇妙な板がある」
「それは覚えているわ」
「そこから飛び出してきたんだよな?」
「ええ」
「やっぱりか。それ以外あり得ないしな」
「私との短い思い出話でもしたいの?」
「すまない。あの板は、少なくとも俺が産まれる以前からあったらしい。一度、親父から聞いた」
「お父さん‥‥何処かへ出かけられてるの?」
「あの板に吸い込まれたんだ」
アリスは言葉を失った。
「そもそも、俺は家族があの部屋で何をしていたのかよく知らない。だがある夜、親父とお袋があそこで言い争ってるのが聞こえた。で、お袋が親父を突き飛ばした」
「まさか」
「親父は粉の様になって板に吸い込まれた。お袋はしばらく呆然としていたが、やがて喚きながら銀色の中へ飛び込んだ。それっきりさ」
(アキオのご両親は、幻想郷に!?)
「その後婆ちゃんが来て、何があったか話した。婆ちゃんが手をかざすと板は消えた。俺には、全部後始末はやるから心配するなと言った」
アキオの親の失踪届は出されたが、捜索は全く進まず、家にはトメと彼だけが残された。
「貴方、だからあの時怒ったのね」
「すまない。墓標みたいなものだからな。で、アリスが来た時……」
アリスは言葉を遮った。
「待って。私が出て来て、アキオとトメさんは部屋に来たわよね?」
「ああ」
「その時、壁はずっと輝いていた?」
「婆ちゃんが、また消しちまった」
アキオは、ベンチの方を指さした。
「座らないか?」
その頃。アキオの家の二階。
銀の板が設置されていた壁が、軽く振動していた。やがて、その壁が少しずつ色を変えていく。しばらくすると、壁は元の姿を映さない銀色へと戻っていた。突然、中から真っ黒な毛の獣が飛び出した。この獣は吐き出された時の不調を受けないのか、元気に周囲を嗅ぎまわっていた。そして廊下、階段、一階へと向かう。その凶暴な視線がトメを捉えるのに、時間はかからなかった。
素早いジャンプでトメに近づき、臭いを嗅ぐ。対するトメは冷静そのものだった。やがて臭いを嗅ぎ終え、獣は走り出した。玄関へ。鍵とドアノブを吹き飛ばし、ドアを突き破っていった。トメは不敵に笑う。
「遂に来たか!!」
古い木製のベンチに腰かけると、柵側とは違った趣で海を眺める事が出来た。
「ねえ、アキオはどうしてそんな大切な事を私に教えてくれるの?」
何気なく視線を彼に向けると、相手もアリスを見つめていた。目が合ってしまい、互いに少し気恥ずかしくなる。
「ばーちゃんは、何故かあの壁について一切俺には教えてくれないんだ。隠し事をしてるのは分かっても、その先に踏み込めない」
「分かる気がする」
「両親が消えちまってからずっと世話になってきたから恩もあるし、ばーちゃんをあまり困らせたくないのと、真実を知りたい気持ちの間でずっと挟まれてきたのさ」
「そこへ私が現れたのね」
「アリスがあそこから出てきた‥‥としたら、俺の親の事も‥‥」
アリスは目を閉じて、冷酷に告げた。
「知らないわ」
「そりゃ無いだろ。わざわざここまで連れてきたのは!」
「私だってあの銀の板の事は全く知らないのよ? 私は、私のいた場所からここへただ飛ばされただけ」
「じゃあ、アリスは一体何処の人間なんだ!」
「それは」
アリスは口ごもった。幻想郷の存在を一般人が信じるわけが無い。
「誰も、何も俺には教えてくれないのかよ!! 折角チャンスが巡ってきたと思ったのに!」
「落ち着いて。アキオの‥‥ダイガクには図書館があるんでしょう? なら、あの板の事についても」
「無い! 資料なんて一つもない! 何処を探しても、いや、俺の力じゃ限界がある!」
アキオは頭を抱え込んでしまった。アリスもかける言葉が無い。
(あの光る板が何なのか、からくりが判明しない限り私も彼の悩みも解決しない。でも、トメさんからどうやって聞き出せば)
気配無く背後を取られた事を思い出す。
(霊夢が見たら笑うでしょうね。私は久しぶりの団らん、なんて幻想に勝手に囚われていたんだわ。ここは外界)
眼前の広い海を呆然と見つめる。
(本来なら私のいるべき所じゃない)
その時、緊急連絡が入った。念のため、上海達を隠形に包み、一緒に連れてきていたのだ。付近を遊ばせていただけなのだが、それが偶然にも警戒システムとして機能した。
(シャンハーイ!!)
(ええっ!?)
不意に立ち上がったアリスに、アキオはギョっとした。
「お、おい? どうしたんだ」
「そこから動いちゃ駄目」
手で制され、アキオは座りなおす。アリスは道の中央に立った。印を組み、呪文を唱える。弾幕のチャージは順調に行われた。
(まさかここで使う羽目になるなんて)
相手はすぐに現れた。丘の階段を駆け上り、その音が遠距離から聞こえる程鼻を使っている。
(見た事も無い奴‥‥この感じは妖怪!?)
黒い体毛に覆われた獣は、四足でじりじりと進みながら、周囲を嗅ぎまわっている。そして、確実にアリス達の方角へと近づいていた。獣には目が無かった。体付きは太り気味の虎の様で、明らかに妖怪の類であった。
(あいつ、私の臭いを!!)
アリスは輝く手をかざし、発射体制に入る。その時、背後で物音がした。
「アキオ! 動いちゃ駄目!!」
次の瞬間、咆哮した獣は音源に向かってーつまりアリスの声に反応してー飛びかかった。アリスの両掌から光の弾幕が放たれ、獣を直撃した。幻想郷においての加減を加えた物ではなく、戦闘用の光弾である。獣は後ろへ吹っ飛びながら、宙で回転して着地する。ダメージを感じていない様にゆっくりと、またアリスの正面に移動してきた。傷跡から大地に黒い液体が落ちては、染みもせず霧消していく。突然獣は口を開いた。そこから黒い弾幕が拡散して吐き出される。アリスは不覚を悟った。相手が弾幕を使えない保証は何処にも無かったのである。その目は瞬時に弾道を見極め、今なすべき事を頭脳が導き出した。背後で指示通り動かずじっとしていたアキオに覆いかぶさり、弾幕のチャージを全て背中に回す。連続して大の男に殴られた様な衝撃が、アリスを襲った。振り返ると獣は既にダッシュを開始していた。口から銀色に輝く牙が剥きだしになる。
「グリモワール!」
呪文を唱え本を召喚しようとしたが、実体化が遅い。その時、アリスを押しのけて眼前に立ち塞がった者がいる。
「アキオ!! やめて!」
「怪我人は黙ってろ!」
啖呵を切ったはいいが、アリスから注意を逸らし尚且つ自分も最小限の被害で押さえるだけの戦闘経験は、全く彼には無かった。残るは一つ。肉を切らせる。骨を断つ技は無い。左腕をかざし、獣に向け足を踏み鳴らす。獣の耳が足音を感知し、敵と認識した。口が常識を超えた大きさで開き、アキオに噛み付こうとした時である。明らかに痛みを伴った声を出し、獣は仰け反った。背中に上海が取り付き、剣を深々と突き立てていた。そのまま剣をねじり、傷口を更にこじ開ける。その脇腹に蓬莱が突撃した。強烈な槍の一撃は、獣に更なるダメージを与え、断末魔を辺りに響かせた。人形達が武器を引き抜くと同時に、本を持ったアリスがアキオを押しのけた。倒れない様に踏ん張りつつ、呪文を唱える。グリモワールが輝いた。
「汝の空間に戻れ! 強制退去!!」
瀕死の獣は瞬間大地に現れた魔方陣に吸い込まれ、消えた。同時にアリスは膝から倒れ込んでしまう。
「おい!! 大丈夫か!」
「ごめんね‥‥巻き込んじゃったみたい」
「そんな事はどうでもいいだろ! おい、誰‥‥か」
あれだけの騒ぎを起こして、人が一人も集まっていないというのはアキオにとって不気味にすら感じられた。
「あいつが現れた時、あの子達を使ってちょっとした仕掛けをしたの」
上海と蓬莱はもう姿を隠しもせず、アリスに飛び寄る。
「アキオ。この子達は上海と蓬莱。悪い子達じゃないから。怖がらないで」
ぴょこんとお辞儀をする人形達に、アキオはただ絶句するだけだった。
「それより、調子がおかしいの。判断は貴方に任せるわ‥‥こんな私を、家へ連れて帰る?」
「ハッ。次は巨大ロボでも出てくるか? 何にでもなれだよ!」
アリスを背負い、アキオは全力で家へと走り出した。
(これが、男の背中‥‥ね)
アリスが抱きつく手の力を強めた。アキオは、それに比例する様に顔がみるみる紅潮し、更に足を早めた。理由は語るまでも無い。
続け