強烈な太陽の日差しの下、アリスは歩いていた。廃墟と化した街を彼女は進む。砕けた人形達、潰れた人の肉体、全く興味は無かった。
(帰らなくちゃ!!)
それだけを求めて、アリスは歩く。だが、道はいつまでも続く。熱い日差しが、彼女の体力を奪う。やがて足をもつれさせ、熱したアスファルトの上に突っ伏す。焼ける様な熱さに悲鳴を上げ、道を無様に転げまわった。突然、誰かが手を掴み、力強く立ち上がらせてくれる。見た事も無い、茶色がかった髪の青年が立っていた。彼は何も言わず、ただアリスを見つめている。怖くなったアリスは、彼から逃げ出そうとした。振り返ると、黒い、太陽の下でも漆黒の姿を保っている奇妙な存在が立っていた。顔も体付きも全く分からない異質な黒さは、影が立ち上がったといえば正しいのかも知れない。
「ここでは、初めてだ」
アリスの視界を、先刻の青年が塞いだ。彼女を守ろうとしている様子だった。
「我はお前を害しない。もう我は主の物ではない」
青年は動かなかった。アリスは、その陰から怪人をそっと見つめる。
「今のお前には分からない。後で思い出せ」
怪人の頭が溶け始めた。
「我は、お前と仲間を讃える。だが主は讃えぬ。思い出せ。道を塞げ。思い出せ」
溶けていく怪人の身体が、地面を覆っていく。アリスの視界に入る物全ても、歪み始めていた。青年だけが、正常な状態を保っている。足元も溶け始め、足が大地に吸い込まれ始めた。
「アリス。健やかにあれ」
青年が守る様にアリスを抱きしめた。何故か、逃げようという気が霧散していた。二人は崩壊する世界と共に、暗い闇へと沈んだ。
慧音は、アリスの口から黒い気体が現れるのを見た。それは瞬く間に霧散し消えた。室内に、魔の気配は無い。
(今のは何だ! アリスに憑りついていた物が、符水で追い出された? ならば!)
アリスの口に、慧音は躊躇無く唇を押し付けた。歴史が、アリスの中へ戻っていく。
夢の中で目覚める、そんな奇妙な現象をアリスは体験した。影の中に沈んでいた筈の自分は、今や天高く舞い上がっていた。手の先には、驚いた顔の青年がいる。
「アキオ!! アキオでしょ!! 無事だったのね!!」
アリスは青年に思いっきり抱きついた。いつか、彼から魔力を貰った時の温もり、人肌の感触を思い出していた。
「シャンハーイ!」
「ホラーイ」
「ゴオオオオオ」
耳慣れた声と共に、三体の人形が現れる。
「いけない! 貴方達の制御を分割しなくちゃ!! 待っててね」
“糸”を操作し、人形達の制御を丁寧に戻していく。まずゴリアテが消え、蓬莱と上海も消える。
「みんな、帰ったらきちんと直してあげないと」
この間、アキオは落ちない様アリスにすがり付いていた。苦笑したアリスは、地上に降りる。何の異常も起きていない。廃墟は廃墟だが、ただそれだけの事だった。アリスは気がかりな事があった。
「ねぇ‥‥アキオ? 何で、喋らないの?」
青年は現れてから、ずっと無口だった。今も口を開こうとしない。悲しそうに、首を横に振るだけだった。
「どうして? 何かあったの? また、何かに襲われたの?」
アキオは苦笑した。そして、その姿が少しずつ薄れ始める。
「ちょっと!? 何なの?!」
また飛び付こうとしたアリスだが、半透明になりかかっている相手をすり抜け、派手に転んだ。
アリスが無言で起き上がり、振り返った時。そこには誰もいなかった。夢の世界は終わった。
リビングには、アリス、魔理沙、霊夢、慧音の四人が集まっていた。霊夢が虚空に呼びかける。
「紫。いい加減にしなさい。出てこないなら街の結界を解除するまでよ。何を企んでいるにせよ、外界の人間を一気に敵へ回す事になるわ」
スキマが開き、大仰に八雲紫が飛び降りる。
「怖い事いうわねぇ霊夢。貴方は私の味方でしょ?」
「下僕でも無いわよ」
含み笑いをしつつ、紫は着席した。
「それでは記者会見を始めまーす。質問は一回につき一つよ」
白けた空気が流れた。
「じゃあ。まず私、博麗霊夢」
「いいわよ。何でも答えてあげる♪」
「貴方は何を密輸してたの?」
唐突な問いに、一同は声を失った。
「アリスから大体の事情は聞いて知ってるわ。まず、彼女を選んであの扉をくぐらせた理由。アリスは森で一人暮らしだから、しばらく姿を消しても誰も気にしない。外界への扉をくぐらせたのは、ある程度の存在が通らないと、彼らが反応しないから」
「彼ら?」
「あの通路には、何処かに別の出口がある。そこには、幻想郷で貴方が敵対してる存在の下部が待機している。何故そんな物が作られたか? 貴方がスキマを介さず、あの通路で密輸を繰り返したから。敵はあの通路に罠を仕掛け、通路を通る物があれば、出口と入り口に下部が放たれる。貴方とトメはそれを何度も撃退したけど、結局通路を封印した。ギリギリになるまで追い詰められて、何が欲しかったの?」
「幻想郷で手に入りにくい物全て、といえば納得する? 貴方達の知らない所で私がしている苦労は相当な物なの。スペルカードを未だに認めない馬鹿、秩序ばかりを声高に叫ぶ神もどき‥‥彼らと渡り合うには、幻想郷で産出される物ではとても足りないわ。そして、私のスキマは冬眠している間使えない」
霊夢は無言で着席した。次に手を挙げたのは魔理沙。
「どうして私達をここへ連れてきたんだ?」
「それはね。最初アリスには死んで貰う予定だったの。下部達の犠牲になってね」
慧音の眼光が険しくなった。
「そこへ貴方達を投入して、トメと協力させ、全員始末させる予定だったけど、世の中計画通りにはいかないというわけねー♪」
魔理沙は、既に充填を終えた八卦炉を紫に向けていた。眼が据わっている。
「今度はお前の番だな? 賢者さん」
「あらぁ? 親密な間柄の娘さんがそんなに大事ぃ? 美しい愛、ね♪」
魔理沙の肩に置かれた手がある。慧音だった。震える手が握っていた八卦炉は、ゆっくりと下げられる。
「魔理沙。今はまだ耐えるんだ」
「ふん。キツネと猫の匂いがするしな……慧音、すまない」
背後を取っていた藍と橙はかき消えた、
「次の質問は、上白沢慧音だ」
「どうぞ。でも、もうあまり聞く事は残ってないんじゃなくて?」
「お前なら、事を再開すれば騒ぎが大きくなると予想出来た筈。何故今更?」
「私が密輸入を止めて、しばらく彼らも大人しくしていたわ。だけど、結局相容れない存在である事が分かっただけ。ならば徹底的に息の根を止めるまでよ。これはその作戦の一環に過ぎない。トメは余計な欲で身を滅ぼしたけど、後任も決まったわ。藍、連れてきなさい」
藍、橙に両脇を挟まれて現れたのは、アキオだった。
「彼はクォーターの獣人。式を憑依させても十分耐えられるし、訓練すれば人間よりも優れた存在になるでしょう」
自失していたアリスが我を取り戻し、立ち上がった。
「アキオを式にしたの!?」
「そうよ? 彼はこの街唯一の生き残りだし、素質もあるんだもの。勿体ないわぁ?」
飛びかからんとするアリスを魔理沙と慧音が押さえ、霊夢が無表情に尋ねた。
「彼のご両親、どうなったの?」
「言わなくちゃ駄目ぇ? いいわ、霊夢だし特別教えてあげる。トメは人間を何人か犯して、一人の男の子を授かったの。無論、相手はみーんな残さず食べたわ。その子をある程度までは普通に育て、ある日、本性を……見てて楽しかったわ♪」
心底嬉しそうに笑う紫に、霊夢は視線を合わせようとしない。
「トメは息子に子作りを強制したわ。血による支配なんて、妖怪らしくないけど外界では有効ね。誘拐した女を孕ませて、産まれたのがアキオ。女にはいつも催眠をかけて、夫婦しばらくトメの下で働いていた。でも、ある日不思議なタイミングで催眠が解けました♪」
「貴方ね?」
「夫は正気で妻は催眠下なんて不公平でしょ? で、奥様は荷物の内容を見て……ジャジャーン! 新鮮なパック詰めの人を発見したのでした!!」
「狂乱した妻は夫を通路に突き落とし……」
「自分はトメに背中を蹴られたの。あ、向こうに来た二人は私がおい……ガフッ!!!」
霊夢が放った陰陽玉が、紫の顔面を半分陥没させていた。藍に魔理沙のマスタースパークが直撃し、壁をぶち貫いて吹っ飛ばす。飛びかかろうとした橙は、素早く眼前に舞い降りた慧音の威圧感(大きな胸)に腰が引けた。次の瞬間、一撃必殺の頭突きを食らい昏倒する。アリスはグリモワールを召喚、アキオに解呪の魔法をかけ、式を解除させる。
紫が顔の陰陽玉を引き剥がした時は、部屋にもう手駒はいなかった。不気味に歪んだ顔で、不敵に微笑む。
「ふふ‥‥満足?」
「いいえ」
霊夢が針を何本も投げ、紫の身体に突き刺した。
「スキマを使えば、その針が体内に食い込むわ。抜こうとしても他の針が刺さるわよ」
「いつからSMマニアになったのよ?」
「変な外界語使わないでね」
その傍ら、アキオの解呪を終えたアリスは、胸騒ぎを覚えていた。
「後で思い出せ、後で思い出せ‥‥」
魔理沙が心配して顔を覗き込む。アリスが何事かを呟いている。
「どうした、アリス?」
「思い出せ、我は、お前と仲間を讃える。だが主は讃えぬ。思い出せ。道を塞げ‥‥」
一同がハッとなった。紫は高笑いしようとして、顔面の痛みに顔を押さえる。
「あいつらも、なりふり構って居られない頃ね。この街に兵力を送り込んで、完全に支配してしまうつもりでしょう。私を屈服させるためにね」
アリスが紫の胸倉を掴んで揺さぶった。興奮しているために、自分でも知らず知らずの内に力を発揮している。
「あの板、いや道には自爆機能とか無いの? あるんでしょ! いざという時のために!」
「痛、ちょ針が、顔がぁ!! そんな物無いわよ! あれ一つ作るのにどんだけかかったと思うの! ついでに言わせて貰いますけど、あんたが計画通りに」
部屋の奥に紫を投げ捨て、アリスはぐったりしているアキオを抱えた。
「行くわよ! あの通路を破壊するわ」
「よっしゃ! おい、そいつも連れて行くのか?」
箒でアキオを指す魔理沙。
「あんなスキマのそばに置いておけるわけないでしょ!」
玄関へと走り出すアリスに、皆が従った。紫の荒い息が響く部屋へ、服だけが半分ボロボロになった藍と、タンコブを作った橙が戻ってくる。
「紫様‥‥綺麗なお顔が‥‥」
「うぇえええん!! 藍、私だって苦労してるのよ!? なんで悪者扱いされなきゃいけないのよ!!」
「紫しゃま、暴れると針が!
「いーわよ、こうなったら全身にこの針ぶち込んで今日の痛みを痛い痛い痛い!!」
「やめてください! ヤケ起こさないで!!」
その頃、一同は早くもアキオの家に到着していた。
「足場が危ういかも知れないから、みんな気を付けてね」
アリスの導きに従い、吹き飛んでいる場所から二階へ上がる。その部屋では、幻想郷と外界を繋ぐ道が、以前より光を増して輝いていた。霊夢が顔をしかめる。
「確かに何かがやってくるわ。それも物凄い数」
「封印して!」
「軽く言ってくれるわね」
霊夢は道の前に結跏趺坐すると、印を組み、呪文を唱え始めた。慧音もその肩に手を置き、共に呪文を唱える。
「素直にありがとうと言っておくわ」
「これ位しか手伝えることが無い」
二人の呪文に合わせ、道の前に結界が浮かび上がる。だが次の瞬間、何かがぶつかる様な轟音がして、結界どころか部屋が大きく揺れた。魔理沙がバランスを崩し、箒で支えながら怒鳴る。
「一体なんだよ?!」
「予想以上に敵の力が強い。結界が破られそうだ!」
「な、なら私も力を貸すぜ!」
アリスがグリモワールと小ゴリアテを持ちながら制止した。
「魔理沙! 貴方はこっちを手伝うの」
「どうするんだよ!」
「ファイナルマスタースパーク、準備出来るわね?」
「ああ! それであいつらを一網打尽に」
「違う! とにかく、八卦炉に魔力を展開して」
何時になく気迫の籠もったアリスにたじろきながら、魔理沙は八卦炉に魔力を集中し始めた。
「ゴリアテ、幻想郷でもっといいもの付けて貰ってね」
アリスは小ゴリアテの腹部を開き、正方形の物体を取り出す。それとグリモワール、八卦炉、自分を“糸”で繋いだ。グリモワールを中心にする形である。
「道の中は今、敵の存在で溢れてる‥‥そこへもう少し魔力を加えてやれば」
「道が許容量を越えて崩壊する!?」
「ゴメン、確信は無いの。でも、あいつらにまとめて打撃は与えられる」
アリスがグリモワールを制御し、魔理沙の八卦炉から魔力がゴリアテの動力炉へ転送され始める。
「問題は結界を一瞬開けないとこれを入れられない事。そして」
沈黙が場を支配した。結界への攻撃は、その間もどんどん強さを増していく。
「霊夢、合図したら結界を開いて!」
「どうなっても知らないわよ? それと、もっと何か考えて」
「いいえ、私が行くべきよ。今出来るのは私だけ」
八卦炉が魔力を転送しきったのを見て、アリスは全ての“糸”を切った。
「魔理沙。貴方には援護射撃をしてもらわなくちゃいけない。霊夢と慧音は、私が突入したらすぐに結界を閉じて、アキオを連れて逃げて」
魔理沙が怒気をみなぎらせて、アリスの胸倉を掴んだ。
「ただ放り込んで逃げればいいじゃないか!!」
「駄目なのよ。確実に彼らの懐で炸裂させなくちゃ、意味が無いの。気付かれて放り出されたらそれで終わりよ!」
「だからって!」
その会話に割り込んだ声がある。
「そう、それでいいのよアリス」
どうやって戻したのか見当もつかないが、やや歪んだ元の顔を取り戻した八雲紫が現れた。針も全て抜けている。
「確実に道は消えるわ。保証してあげる」
紫は微笑んだ。これ以上無く、残忍に。
「さあ、時間がないわよ?」
霊夢と慧音は歯を食いしばっていた。結界が限界に近付いている。アリスは、無表情に指示を飛ばした。
「霊夢と慧音、合図したら一度結界を解いて。魔理沙は、その後撃てる最大のスパークを撃ち込む。その後私が突っ込むわ。紫も何か協力して」
「いいでしょう。みんなの退避は任せなさい」
魔理沙は一人俯いていたが、納得しない顔のまま発射位置に着き、八卦炉を構える。藍と橙も戦闘態勢を取った。
霊夢と慧音が結界を解いた。そこへ魔理沙がマスタースパークを放つ。銀色の中へ光線が吸い込まれ、誰もが聞いた事も無い不気味な叫びが聞こえる。アリスが道へ飛び込もう、と足を動かしかけた時。横合いから伸びた手が、アリスの手から動力炉をもぎとった。
「!?」
部屋の脇にずっと転がされていただけの青年、アキオは銀の道の中へ突進する。
「だ、め」
アリスも一歩遅れて追いかける。アキオが壁に吸い込まれ、アリスもまた消えた。霊夢と慧音が結界を再び閉じる。紫が手を振ると、全員の足元にスキマが空き、落とされた。誰もが消えた次の瞬間。銀の光が結界から漏れ出て、そこを中心としてエネルギーが炸裂した。
静かな波の音が聞こえた。まどろみの中でアリスは、その優しい音に耳を傾けていた。
(何かを感じる、という事は、まだ私は生きているの?)
薄目を開ける。雲の間の優しい日差しが、彼女に肉体を感じさせた。アリスは砂浜に、大の字になって寝そべっていた。
(成功、したのかな)
道を破壊出来なければ、もはや事態は収拾がつかなくなる。だが、アリスは気力を使い切っていた。
(一人、もいいかな)
そのまま静かにまた眠ろうとした時。
(足、音?)
砂を踏んで、誰かが近づいてくる。髪が砂に汚れるのも構わず、アリスは顔を倒した。見覚えのある姿が、微笑んでいた。アキオはアリスを立たせようとしたが、脱力して動かないので、いきなり抱え上げた。二人は、波打ち際を無言でしばらく散歩した。アリスは海を眺めつつ、アキオの顔も時々ちらちらと見つめる。青年は、風の音にただ耳を傾けている。
「何であんな事をしたの?」
「さあな? あそこで吹き飛んでいいのは、多分俺だけじゃないかなって」
アリスの平手ではなく、鉄拳がアキオを制裁した。
「もしあの作戦が失敗したら、更に事態が悪化していたのよ? 貴方は静かにしていれば良かったの」
「へぇー。じゃ、そうしますか」
いきなりアキオは、支えていた手を離した。砂浜に尻から落下するアリス。そのまま逃げ去っていく青年を、飛んで追いかける。背後から首に絡みつかれ、派手に転ぶアキオ。二人はその後も、砂まみれになってじゃれあっていた。
場所は外界へ戻る。爆発は紫の別荘にも及んでいた。ガラスが全て砕け散っている。帰還した一同は、皆無口だった、ある妖怪を除いて。
「さて、これでハッピーエンド♪ 霊夢、もう大結界を解いて頂戴。それと慧音、分かってるわね?」
「いいわよ。さっさと終わらせましょう」
「依頼は遂行する」
霊夢が印を切りながら呪文を唱える傍ら、慧音は天空に向けて手と口を広げた。彼女が呼ばれたのは、妖怪が街に存在した歴史を食い、全ての証拠を抹消するためだったのだ。崩壊した街は戻らず、全滅した人も還らない。だが、妖怪の仕業という疑念は誰も抱かない。
(妖怪の賢者、これで終わったと思うなよ? “保護者”に連絡するのは、教師としての義務だからな)
慧音は内心で独白した。街の外から、何かが回転音を立てながら複数飛んでくる。後始末を終えた幻想郷の者達に、この外界へいる理由は無かった。紫が傘を振るい、大きなスキマが現れる。
「さあ、帰りましょう」
日が沈んだ。
アリスはグリモワールが使える事を確認すると、宙に浮かして明かりを灯した。海岸線を離れ、見知らぬ土地を探索した。海岸線の奥には森が広がり、そこへ分け入ってしばらく進むと、背の高い草に囲まれた、真水の池が有った。池の周囲に平坦な土地があり、アリスはそこを ”糸”で囲い始めた。結界をキャンプ地代わりにするのである。
「アリス」
「なにー?」
「魔法って、便利か?」
「んー、私達の世界では当たり前の様にみんな使っているから」
「実感が湧かないか‥‥」
グリモワールを手元に下げ、地面に軽い魔法をかける。結界が完成した。
「あの紫色の女が言っていた、幻想郷ってどういうとこだ?」
アリスは寝転んで、草を弄びながら語り始めた。
「幻想郷‥‥現世に行き場を無くした者達が集う楽園。美しい自然と失われた力、そして妖怪達」
「アリスや‥‥あそこにいた人達もみんな妖怪なのか?」
「少し違う。似ているけどね。人間もそれに近い種族も力さえあれば生きていける。でも、それ以外は食べられてしまう運命なの。幻想郷は、妖怪のための楽園だから」
「怖いとこだ。でも、ばーちゃんはそこに帰りたくて、そこの事を忘れない様に、ずっと色々な事をしてきたんだよな」
「トメさんは、どうしたの?」
「紫色は、死んだって言ってた。そのくせ、ばーちゃんをやたら誉めてた。欲さえかかなければ、報いてやれたのに、だってさ」
アリスは、くすっと笑った。
「紫の言葉なんか信用しちゃ駄目よ。あれは、胡散臭さで右に出る者はいないんだから」
「そうかもな。でも、正しい事も教えてくれた。妖怪は、人を食う」
アキオの顔色が悪くなりはじめた。
「ばーちゃんが、レストランで人を‥‥料理していたのを‥‥俺に」
何かを嘔吐しようとするが、唾液だけで何も出ない。アリスは慌てながら彼の背中をさすった。
「あの時、まだ、一人、女の子が‥‥冷凍庫に隠れてたんだ。それを、ばーちゃんが」
「大丈夫。アキオ、私を見て」
アリスはアキオと目を合わせた。軽い鎮静の魔法をかける。アキオの恐怖に震える瞳が、少し穏やかさを取り戻した。青年を胸に優しく抱きしめる。
「トメさんは妖怪らしく生きようとしていたのね」
「紫色もそう言ってた。妖怪は人間を襲わなくちゃ生きていけない、だからトメは正しいって。でも、彼女が何であんな寂しそうな顔をしたのか……俺には分からない」
アキオはアリスの胸から顔を離した。今度は紅くなっている。
「その‥‥取り乱ちゃって」
「別の事でも取り乱したでしょ?」
「アリスも結構‥‥意地悪だよな」
「まさか、紫に同じ事やられたりしてないわよね?」
軽い冗談で言ったつもりだったが、アキオが視線を逸らした事が引き金となり女の直感が働いた。
「あんた‥‥本当ケダモノよね」
アリスは立ち上がると、なるべく離れた場所へ行き、寝転がってしまう。
「さっさとおやすみ。巨乳の夢でも見てね」
「幻想郷って、君も含めて本当怖いよ……」
憮然とした眠りから覚め、朝が来ていた。アキオはアリスの姿が無い事に気付く。
(マジ切れか‥‥困ったな)
何処だか分からない場所にいる、という感覚より、一人ぼっちの辛さが勝った。
(せめて、謝りにいこう)
顔でも洗い、気分をすっきりさせようと思った。
池の草をかき分け、冷たい水をすくい顔を洗う。自棄気味にばしゃばしゃと水を散らしていると、知己の静かな声が聞こえた。
「おはよう。気持ちいい?」
「ああ、すっきりするね。その気持ちで、昨日の件なんだけど」
アキオは顔を上げた。カチューシャを外すと、印象の変わる金髪が見えた。
「私もすっきりしてたとこなの。奇遇ね?」
アリスは水面から顔だけ出して微笑んでいた。アキオは身の危険を感じ、脱兎の如く逃走しようとする。
「うふっ」
氷の微笑を浮かべ、アリスは水面から立ち上がった。指を軽く動かすと、アキオの身体は急停止して顔から地面に突っ込む。
「うふふふふふ‥‥」
アリスが糸を手繰り、アキオは宙を舞って池に放り込まれた。足が簡単に着く深さである事を確認し、青年は相手と正面から対峙した。以前と変わらず、アリスは綺麗なプロポーションをしていた。裸になるとその肌の白さが一際目立つ。程良い大きさと整った形の乳房は、魅力であった。
「アリス、俺が悪かったから、“糸”使わないでくれよ」
「ねぇ、アキオ? 私って、魅力無い?」
「真正面にすっ裸で立たれたら魅力も何も無いだろ!」
「紫のおっぱいに負けたくせに」
何も言い返せず、どんよりとしたオーラでうな垂れるアキオ。アリスは彼の眼前にまで近づき、彼の肩に手を回した。
「アリス、それでいいのか? 俺は君が素敵だと思う。でも」
「私達、ここから無事に元の世界に帰れても‥‥その先の保証は無いのよ?」
アキオは黙っている。彼の街は滅び去った。アリスも、もう少しで使い捨てにされるところだった。
「せめて、悔いを残したくない、そう思うだけ」
アリスが手を離して、身を翻そうとした。その手を青年は掴み、引き寄せる。二人は、静かな水面で口づけを交わした。岸へ上がったアキオは、全ての衣類を脱ぎ捨てた。アリスは、草の上に身を自ら横たえる。再び熱いキスをし、舌を激しく絡ませながら、青年の手はアリスの胸を愛撫していた。弾力のあるバストを柔らかに、焦らす様に揉み続ける。片手は秘部を攻めていた。水のせいだけでなく、既に濡れていた貝を開き、指を侵入させる。それだけでアリスは達した。
アキオはお構いなく、糸を引く口を放し、首筋、鎖骨とキスをしていく。それだけでアリスの身体は戦慄いた。やがて乳首に口が吸い付き、舌と歯が突起を攻め立てる。片方の胸も乳首を摘まみ、転がし、弄んだ。秘部の攻めはクリトリスへと向けられる。軽く撫でられただけで、アリスはまた絶頂した。アリスは獣の様にイキ続け、その顔が弛緩し始めた頃。アキオは彼女の股を開かせ、挿入した。腰を叩きつける音。強く背中と腰に回される手。最後は共に達しようと、アリスは歯を食いしばって耐えた。アキオも、出来るだけ快楽を続けさせようと踏ん張る。やがて、堤防が決壊する様にアキオは魔法使いの中に精を解き放った。アリスも強く青年を抱きしめ、快楽を受け止めながら自分も達した。
肩で息をするアキオの股間に、アリスの手が吸い付いた。その行為は初めてなのか、初々しい仕草で逸物をしごき、撫で、時に強く掴む。やがて、自らは無言で後ろを向き、四つん這いになる。肩越しの視線が切なかった。アキオは鍛えなおされた業物を、後背位で躊躇無く挿入した。アリスの嬌声はもはや止まる事も知らず、森中に響いていた。掴まれた白い腰、揺れる乳房、その姿は性交に身を捧げ法悦する雌そのものだった。
四度目にしてようやく身体を離した二人は、息も絶え絶えに横たわっていた。
「ね、ねぇアキオ‥‥生きてる?」
「あぁ」
「また水浴びしよう‥‥今度は何も無しで」
「水までどうやって辿りつく」
「少し寝てから」
「別の意味で、悔いが残った」
「ごめんね」
一方、幻想郷。
「ほらほら! ちゃんと並んで並んで!! お裁き受ける前に落っこちて死にたいのかい!?」
三途の川では小野塚小町達以下死神達が、非番の者まで動員して大量の死人を捌いていた。
「あーそこの人! 今日は渡し賃前払いなんだよ!! ‥‥はいアウト! 地獄行き泥船決定! そこの坊や‥‥ギリギリ、いや、これは‥‥まあいいや、この子は鈍行に乗せてあげて! あーもう! 何が外の世界であったのさ?!}
アリスの家。
主を失った家の中は、今でも定期的に人形達が掃除をしている。最も、彼女らにはそれ以上の事は出来ない。作業室のテーブルの上には、上海、蓬莱、ゴリアテが修理されて横たわっている。最も、外見とある程度の内部機構だけの修理だけが施されただけである。河城にとりには、それ以上の事は出来なかった。
「再起動の仕方は、アリスにしか分からない。完全な機械仕掛けや簡単な魔法仕込みのからくりならどうにかなるけどね」
魔理沙はずっと暗い表情で三体を見つめている。顔が外界にいた頃に比べ、やつれていた。霖之助は彼女の様子を見て、その肩に手を置いた。
「魔理沙。今は待つしか無い。そうだろう?」
「うるさい!」
その手を魔理沙は払った。
「そもそもお前がきちんとアリスに物を売っていれば、こんな事にはならなかったろ!」
「待て魔理沙。僕だって一人の商売人だ。額を天秤にかければ高い方に渡す。当然だろう」
「お前!!」
八卦炉を取り出した魔理沙を、にとりが押さえた。加減しているとはいえ、河童の力に捕まれば人間は動きようがない。
「やめろよ魔理沙! 香霖堂が私に回路を持ってきてくれたから、ゴリアテを仕上げる事が出来たんじゃないか!」
「でも、でも!」
霖之助は困り顔で魔理沙達を見つめていた。紫はアリスの求めていた結界回路を、後刻返品してしまったのである。しかも、払い戻しを拒否して。
(欲しかったのはアリスだけだから)
自分が厄介事に巻き込まれたと直感した霖之助は店を閉め、にとりの工房へ向かった。回路の具体的な使用目的を知るためである。やがてゴリアテ人形の三メートル近い身体を見せられ、アリスが何を作ろうとしていたか理解した。
三人は、心を落ち着けるため、主の居ないリビングでお茶にしていた。
「香霖堂がゴリアテを完成させてくれ、て言った時は疑問に思ったけどね。でも、あの時の熱意は尋常じゃなかったから。アリスに必ず届ける、という条件で引き受けたんだ」
河童は、幾つか余計な装備を付けた事は黙っていた。
「まあ、それも結局私に丸投げしたんだけどな」
紅茶をすする魔理沙に、霖之助は肩をすくめた。
「空も飛べない僕が、店を閉めてずっとアリスを探し回るわけにはいかなかったんだよ。
魔理沙なら、いつかアリスと出会う時が来るだろう、そう判断したまでさ」
「送料と代引きは、お前に請求するぜ? 本人が払えるのが、いつか分からないからな」
「いいさ。店に来たら払うよ。居心地が悪いから、先に失礼させてもらう」
ドアが閉まる音がするまで、魔理沙は目を閉じていた。
「ふん。いずれ開発中のスパークの実験台にしてやる」
「魔理沙‥‥。それはともかく、ゴリアテが巨大化したって、本当なのか?」
「ああ、三メートルどころか、デカくなった萃香並みだったよ、ありゃ」
「‥‥何処か回路に問題があったのか、アリスの力に反応したのか‥‥」
「本人に聞いてみろよ。私はもう知らない。皆あいつを‥‥」
「そんな! 魔理沙!!」
乱暴にドアが閉められた。
島でどれだけ暮らしたのか、アリスには分からなくなっていた。昼夜は訪れるが、天気も特に変化は無い。押し寄せる波に何かが流されてくる事も無い。生き物もいない。更に不思議なのは、アキオだった。彼は獣人とはいえ、食事を取らなければいずれは餓死してしまう。しかし、何かを食べている様子も無い。そんな疑問も、段々とアリスはどうでもよくなってきていた。アキオと激しく交わってから、お互いにまた求め合う事も無かった。ある時。アキオはアリスに大事な話がある、と言った。海岸に二人腰かけて、海を見つめながら彼は話し始めた。
「もうそろそろ、危ないんだ」
「え? いきなり何よ?」
「見ていれば、解る」
アリスが言われた通りに海を眺めていると、不思議な事が起こり始めた。海が、どんどん後退していく。水が逃げていく様に、沖へ流れた。アリスは立ち上がって追いかけようとしたが、アキオが止める。やがて、海は消えた。湿った砂だけが残されている。
「どうなってるのよ」
砂を握りしめ、その感触を確かめていたアリスは、更なる異常を感じ取った。
(何かが崩れてる?)
海が去った奥から、音は押し寄せて来た。潤んだ砂の表面にヒビが入り、落下していく。
「嘘、嘘ぉ!!!」
「逃げるぞ!!」
青年に手を引かれ、アリスは森の中へ走った。二人は、家の様に暮らしてきた結界へ逃げ込んだ。崩壊は既に森も呑みこんでいる。池も消えた。木も消えた。アリスは、恐る恐る結界の外を見た。下は、底知れぬ青い空間である。
「何なのよ、私達は今まで何処にいたの?!」
「アリス。ここは、俺。俺の世界」
「こんな時にふざけないで! それとも頭がおかしくなったの」
「いや、ここは、俺がずっと心で描いて維持してきた場所。アリス、海が好きだって感動してたろ?」
「そうよ、海は、あの海は、とても綺麗だった。でも、ここだって!」
「綺麗なだけ。魚も流れ着く物も何も無い。腹も減らない。そこまで、作ってる余裕がなかったんだ。森や、水浴び出来そうな池だけ。……馬鹿みたいだけど、エロい事を無意識に期待してたのかな?」
「何があったの、貴方に」
「俺は一度、紫色に何かされてるんだよ。『式』だったか? アリスがすぐに治してくれたけど、何かが、俺の中で変わったんだ。俺も化け物になったんだよ」
照れ笑いしながら話すアキオには、別段変わった様子は見られない。
「でも、それでアリスを守れた。けど、もう、限界なんだ。ごめん」
アリスは呆気に取られて話を聞いていたが、鼻で笑った。
「守るって、貴方が? 馬鹿じゃないの! 貴方がどんな素質を備えていたって、それは簡単に開花するものじゃないわ!」
「そう。だからアリスにも助けて貰った。グリモワール、結界。これのおかげで今日まで持ちこたえられた。それも」
“糸”が、強い圧力を受け始めた。
「終わり‥‥ん?」
アキオがあらぬ方向を向き、目を閉じた。
「ああ、そうだった。アリスには、一杯仲間がいたよね。心配してくれる存在が」
「え?」
「ほら。見てみなよ」
何も無い青い空に突然裂け目が生じ、黒い雲が湧き出始めた。雲の中から紅く燃える球体が飛び出し、真っ直ぐ結界へと向かってくる。激突寸前に球体は停止し、火が瞬時に消え去る。中から真紅の衣を纏い、銀白色の髪を左上でまとめた女性が現れた。背中に黒い六つの翼を展開している。
「ア~リ~ス~ちゃーん!!!! やっと見つけたわ!!!」
「お母‥‥神綺様?!」
「上白沢って方からお知らせを受けてね。伝令のもんぺの方と色々あったから、見つけるのが大変になっちゃったわ! さあ、いらっしゃい!」
魔界神にしてアリスの義母でもある神綺は、手を大きく広げた。アリスは即座に舞い上がり、その腕の中に納まる。次の瞬間、“糸”が切れる音が聞こえた。
「アキオ!! 貴方も跳んで!!」
青年は微笑んで首を横に降った。
「俺にはもう、帰る所は無いんだよ」
「馬鹿な事言ってないの!! 早く来なさい!」
「無理さ」
全ての“糸”が切れた。神綺が、憂いを含んだ目でアキオに礼を言う。
「娘を守って下さって感謝します、若者よ」
「俺は自分のやりたい事をしただけです」
青年は手を笑って、手を振った。
「アリス、さよなら」
アキオの足元が崩れた。
「馬鹿ぁぁぁぁ!!!!」
アリスの絶叫、涙を連れて彼は青く底の見えない空間へと落ちて行った。
それから、ある日の事。
魔理沙は、日課となったアリス宅への訪問をしていた。にとり特製の鍵を使い、中に入る。以前、三人で中に入った時からずっと渡されているものだった。突然、音がして眼前に何かが落ちてきた。 ベルのついた組紐で首を吊った姿は、蓬莱人形だった。ニヤリと笑って飛び去る蓬莱を、腰を抜かした魔理沙は見送った。
「あ、あいつが動いてる、という事は」
箒を杖に立ち上がると、見覚えのある後ろ姿が椅子に腰かけていた。
「あ、あ、アリ」
「あら、合鍵を渡した覚えはないわよ?」
「アリス!」
魔理沙は背中から彼女に抱きついた。そのまま、二人は長い事何も言わずじっとしていた。先に沈黙に耐えられなくなったのは、魔理沙だった。
「幻想郷へいつ帰ったんだよ!? なあ、霊夢達にも知らせて、宴会やろうぜ!!」
「魔理沙。しばらく一人にして」
「アリス?」
「まだ、みんなと楽しくお酒が飲める程、調子が良くないのよ……」
「そう、なのか」
「せっかく誘ってくれたのに、ごめんなさい。いつか、みんなにはきっと挨拶にいくから」
「気にするな! あんな異変の後じゃ、疲れて当然だぜ! じゃ、元気になったら顔見せてくれよ!」
ドアが静かに閉められ、アリスは抱いていた上海の頭を撫でた。
「シャンハイ?」
「大丈夫よ。別に引きこもったりしないわ。ただね……」
アリスは胸に手を当てた。
「この命と海の記憶は、あの人が守ってくれた物。この身体は、お母様が新しく与えて下さった物。今は、それを感じていたいの。幻想郷への挨拶は、それからでも遅くは無いわ」
「シャンハーイ」
いつか、気が向いたら探しにきてくれよな?
ふふ、魔法使いは気紛れなのよ?
終