※この作品はR-18です。

椛との日々!!(本編終了)   作:量産機

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 ※今作品は外伝。
 ※主人公は天子、深いエロ要素無し。
 ※オリキャラが多し。


外伝・暴れん坊天子
虹をつかむ天子


 スキマ空間。歪んだ紫色と無数の視線、上下感覚の無い場所。八雲紫はその場所へ自在に出入りする妖怪である。今その空間内で、椅子に座りながら優雅に紅茶を啜る紫。

その前には、何重にも鎖で巻かれ、逆さ吊りに浮いている娘の姿があった。先刻から、彼女は力を込めそれを引きちぎろうとしているが、鎖はびくともしない。紫は涼しい顔でティーカップをスキマにしまう。

「その鎖はインドで鍛え上げられた物よ。天人を捕らえる力があるから、幾ら足掻いても無駄」

「私はただ遊びに行っただけじゃない! 地上に干渉する気は無いわよ」

「あのね? 頭がいい天人なら遊びと暴力行為の差がつく筈だけど?」

「音楽は時に破壊的なのよ!」

「デスメタルでもやりたいなら三途の河で演奏したら? 死神がさぞ喜んで聞きに来るでしょう」

「ギターで百人斬りやってやるわよ。あんたにはチケット売ってやんないんだからね!」

 紫は、減らず口を叩き続ける天子をどうしてやろうかと思案した。

(人里で全裸放置プレイ‥‥つまんないわね。スキマ名物“謎の手”の快楽アヘ顔コース‥‥何か効果無さそう。いっそそのまんまの意味のブタ箱‥‥段々発想が貧困になってきたわ‥‥よし)

 細く、紫のマニキュアが施された爪が天の娘を指差した。小さな光の粒子が天子から少しずつ吸い取られていく。

「な、何をしているの!?」

「貴方の境界を少しいじって、力を吸い取らせて貰ってるの」

「意味が分からないんだけど‥‥」

「要は貴方の強さを下げてるのよ。一般妖怪くらいに、ね」

 天子が呆気に取られて大きく口を開けると、そこからも“力”が具現化した粒子が吸い出される。慌てて吸い戻そうとするが、無駄な抵抗だった。

「私どうなるの?」

「そうね、やってみたけどよく分かんない♪ でも確実に弱くなってるわ」

 頷いた紫が指を鳴らすと、天子を拘束していた鎖が解けた。そして、丁度その下に開いたスキマへ、天人の娘は頭から落ちて行った。

 

 鈍い音と共に、天子は背中を強かに打った。雲一つ無い青い空が視界に入る。そのまま大の字に寝転んでいると、人影が視界を遮った。

「あのー、大丈夫?」

 眼鏡をかけた、白狼天狗の青年が覗き込んでいた。天子は彼をしかめっ面で睨みつける。

「何よ」

「いや、いきなり落ちてきたから‥‥」

「大きなお世話よ! それより何してんの!?」

「だから落ちてきたから、ちょっと心配して‥‥」

「二度目は女の子が倒れてるのに、手も貸さないのかって意味よ!」

 白狼天狗は肩をすくめて、手を差し出した。立ち上がった天子は体中の埃を払い、ため息をつく。

(ひどい目に遭ったわ。さっさと空の上に帰りましょ)

「君、その恰好はひょっとして天人?」

 眼鏡の白狼の指摘を無視して、天子は脚に力を込める。そしてジャンプし、前のめりに倒れ込んだ。

「‥‥もう一度手を貸そうか?」

 自分が無様な姿を晒している事に彼女は十分気付いていたが、認める事はプライドが許さなかった。もう一度白狼を無視して、天子は立ち上がる。

(なーるほど、スキマめ。私を飛べない程弱らせたのね? 甘く見ないでよ、幾らでも天界に連絡を取る手段はある‥‥)

「おい、お前ら何やってるんだ?」

 先刻から纏わりついている白狼天狗の声では無かった。少し狼狽しながら天子が振り向くと、中肉中背で精悍な顔付きの天狗が立っている。

「集合場所は教えておいた筈だが?」

 眼鏡の白狼は天子の手を取ると、慌てて駆け出した。

「ちょ、何すんのよ!?」

「広場に決まってるだろ! 入隊式があるのに遅れたらどうなるか考えないのかい!?」

「わ、私には何の事かさっぱりよ!」

 騒ぎながら去って行く二人を見送りつつ、柘植早十蔵は内心で呟いた。

(‥‥あの青い髪、服装、何処かで見た様な‥‥)

 

 天子が連れて来られた広大なグラウンドには、何人もの人妖が集まっていた。外見からはっきり女性と分かる者が多い。

 錆びた朝礼台の横に、白狼天狗が三人立っていた。女性が一人、小柄・大柄な男である。身長とほぼ同じ大きさの金剛杖を持った大男が雷喝した。

「おらぁ、新人共! とっとと台の前に整列せんか! 間も無く教官殿より訓示がある!」

 人妖達はざわめきながら整列し始めた。天子は状況が呑み込めないまま、列に入る。先刻の眼鏡を見つけ、その隣に滑り込んだ。

「ねぇ、ここは何処なのよ!?」

 小声で話しかける。眼鏡もこっそり返答した。

「白狼天狗哨戒部隊の訓練基地だよ。君も志願して来たんだろう?」

「!? ここ妖怪の山なの?!」

「当然」

「あ、あのスキマ‥‥」

 歯噛みする天子の眼前に、見覚えのある顔が入った。犬走椛。コンサート会場で天子をKOした白狼である。よく見ると大男にも見覚えがある。

(でもって、私は今力を奪われている‥‥)

 天子の首筋に冷たい汗が流れた。だが、すぐに逃げ出すのは得策で無いと悟る。飛ぶ事も出来ない身では、そもそも脱出自体難しい。

(落ち着きなさい比那名居天子、事情を話せばすぐに放免されるわ)

 彼女が施行を巡らす前で、椛は懐から時計を出した。そして、隣の小男に耳打ちする。 小男が何処かへ走り去ると、椛は台に昇った。

「入隊式にあたり本来ならここで教官から話があるが、諸事情により私が代行を務める。私は犬走椛。普段は哨戒部隊第十六小隊の隊長を務めているが、今期の訓練のみ教官補佐をする。諸君は‥‥」

 千里眼を使わずとも、椛の目がある人物を捉えた。言葉が切れた椛を誰もが不思議そうに見上げた時である。

「隊長ぉ~! いらっしゃいました!」

 小男が、杖を突いた白狼の女性を連れて戻って来た。椛は台から飛び降りると、小男に代わって杖の女性の手を取る。

「あー、大丈夫ですよぉ」

 間延びした声が失笑を誘った。しかし大男が杖で大地を突き、威圧して黙らせる。杖の女性は台に上がると、にっこり微笑んだ。

「遅刻してごめんなさぁい。マナー違反で怒られちゃいますねぇ。あ、でもここでは私が一番偉いの? 司令官に怒られちゃうのかな?」

 椛以外の全員が、呆気に取られた。当の本人はマイペースに続ける。

「私の名前は、与儀棗(あたぎ・なつめ)と言います。なつめちゃんでいいですよー」

 新人達はがやがやと騒ぎ出し、牙堂がまた大声を出そうとした。

「きさ‥‥」

「皆さん、お返事は?」

 棗は笑っていた。だが、その声の冷たさはその場にいた者の殆どを固まらせた。皆がここで、棗の目がずっと閉じられている事に気付いた。

「お、思い出した‥‥“無明の棗”だ」

 天子の隣にいた小柄な娘が呟く。

「何それ?」

「知らないのかよ? 白狼天狗の中でも指折りの抜刀術の使い手だ! しかも目が見えないんだぜ」

「はっ、狼ならぬ蝙蝠の噛み付きってわけ? たかが知れてるわ」

 胸を張りながら冷笑する天子に、鷹揚な声がかけられた。小柄な娘の頭二つ半程上からである。

「外界だと蝙蝠さんも怖いらしいですよ?」

「何よアンタ‥‥教官みたいな喋り方で、目元まで似てるのね」

 大柄な娘は線目であった。体付きは筋肉質だが、顔付きが可愛らしい。その下で小柄な娘が喚く。

「あたしを越えて話すんな!」

「はいはーい、そこの三人さーん、お喋りは駄目ですよぉ?」

 また間延びした声に戻った棗が、杖で天子達を“見ない”で指した。慌てて姿勢を正す三人。

「‥‥えーと、でも、もう喋る事ありませんね。これで終わりです」

 そのままくるりと背を向けて、台を降りて行ってしまった。沈黙が辺りを支配する中、一人冷静な椛が予定を説明し始めた。

「これより、班編成と部屋割りを通達する! 呼ばれた者から前に出る様に‥‥」

 番号と姓名が呼ばれる中、天子はようやく脱出のチャンスが来たとほくそ笑んでいた。

(始めは処女の如く後は脱兎の如し、ここでは攻撃せず文字通り逃げるけどね)

 その時、背後に立った者が素早く手の関節をねじり上げる。

「まさかあの時の天人とはな」

 先刻出会った白狼天狗の声がした。

「痛たたたたた!! 何すんのよいきなり!」

「こっちだって何かされちゃ困るんだよ! 前出ろ!!」

 列を掻き分けながら、二人は列の前へ出た。読み上げ担当の億が名簿に目をやり、首を傾げている。

「文さんの悪戯かこりゃ?」

 椛始め、他の教官補佐達も彼の周りに集まっていた。

「ほらこの名前。どう見てもおかしいでござんしょ? あっしは騙りの詐欺をやる奴ぁ何人も見てますが、これは幼稚過ぎますぜ」

「怪しそうな奴を全員捕まえて尋問しよう」

「お前達落ち着け。‥‥書類には大天狗様と司令官の印が押してある。幾らあの破廉恥天狗とはいえ悪戯は出来ない‥‥十蔵? その娘‥‥」

 椛は朝礼時に天子の顔を見ていた。

「億、構わん。その名前を読み上げろ!」

「了解。十九番、比那名居天子!」

 辺りがどよめいた。教官の棗は意味が分からず、椛に問いかける。

「椛ちゃん? あのー、何がどうなってるの」

「気にするな。ちょっとした因縁だ」

 腕組みした椛の前に、十蔵が手を放し、天子が如何にもしおらしき佇まいで立つ。

「天人、比那名居天子で御座います。皆様方においてはご健勝な事で何よりですわ」

「私が鍛えた部下だからな、いつも皆元気だ‥‥以前山の多目的ホールで会わなかったか?」

「とんでも御座いませんわ。貴方達とは初対面です」

「牙堂、来い」

 名簿を覗き込んでいた大男が、椛の背後に駆け寄って来た。

「何でしょう?」

「この娘、何処かで見た事があるか?」

 いきなり牙堂が手を伸ばし、天子の胸ぐらを掴んで叫んだ。

「思い出したぞ! 貴様はワシとメルランちゃんの甘い一時を邪魔した女かぁ!」

 億が呆れて呟いた。

「あーあ、またいつものパターンでござんす」

 棗が聞き逃さず、興味津々に尋ねた。

「何? 一体何が始まるのー? 教えてー」

 そして、当の天子は胸ぐらを掴まれたまま、半ば宙に浮いていた。

(虎穴に入らずんば、虎子を得ずとはいうけどこれは無謀過ぎたわね)

 

 その後、教官室。デスクに棗が座り、その傍らに椛が立っている。

「つまりこういう事ですね? 天子さんは八雲? ゆかりさん? の陰謀に乗せられて、我が白狼天狗訓練部隊に送り込まれたと」

 棗は自然な笑みを崩さず述べた。天子は頷く。

「初対面だと嘘をついたのは謝ります。しかし、私は一刻も天界に帰らなくてはいけない身なのです! 解放して頂ければ、比那名居家から相応の礼はさせて頂きますわ」

 椛の返答はにべも無かった。

「却下する」

「何で!?」

「先刻大天狗様に確認したが、お前が何を言おうとも訓練部隊から外すなとの命令だ。八雲の陰謀とかの事情、我々は関知しない」

「この‥‥天狗は頭が硬いのね!」

「十九番、今の貴様はそこら辺にいる妖怪と大差無い力しか持たない。この意味が分かるか?」

 椛は無表情に宣告した。

「脱走を謀れば軍法会議の後、相応の刑が待っていると思え。今のお目にはさぞ辛かろうな?」

 天子は怒りと屈辱に震え始めた。場に緊張した空気が走る。そこへ棗がのんびりした声で割って入った。

「二人ともそんなに熱くならないで下さい。天子ちゃんの事については、私から上申してみましょう。他の妖怪の都合で訓練が組まれては困りますからねー。それまで少しの間でいいから、我慢してくれませんかぁ? 大丈夫です、ここには河童さんの作った医療施設や竹林の薬も揃ってますから」

 盲目の教官の優しく諭す声に、天子も毒気を抜かれた。

「いいわ、膝とも談合とはまさにこの事ね」

 言い捨てて、彼女は部屋を出て行った。椛は苦虫を噛み潰した様な顔をする。

「存外愚かだな。上申すると言っただけなのに」

「あらー? 私はちゃんとしますよー?」

「訓練兵を甘やかすな。ああいう手合いはどんな理由があろうと性根を叩き直してやる」

「十蔵さんみたいにですかー?」

 椛の顔が真っ赤になった。

「何故知って‥‥そんな事はしていない!!」

「あらあら、呼吸が荒くなりましたねぇ? アツアツなんですねぇ。うらやましーい」

「誰から聞いたんだ!?」

「さーて、誰でしょうねー?」

 

 訓練部隊・兵舎へと入り、天子は命ぜられた自分の部屋へと向かっていた。

(ふふっ、ちょろいもんね。あの教官は案外操り易そうだわ)

 にやつきながら、“第七班”と書かれた部屋のドアを開ける。部屋には細長いロッカーが四つ、書き物机に灯りのスタンド、二段ベッドが二組あった。右下からは軽いイビキが聞こえ、その上段には八重歯を覗かせ笑う顔があった。

「よっ、天人さん」

 天子は挨拶もせず、ベッドを覗きこんだ。和洋折衷で、布団が畳まれて乗せられている。

 スプリング、枕などを確かめて天子は首を横に振った。

(一晩でも勘弁願いたいわね)

「なーなー天人さん? ずっとその派手な服でいんの? 汚れるのが嫌なら、ロッカーに服があるよ?」

 からかう様な声の主は、列で棗の事を教えた小柄な娘だった。天子が横目で睨みながら、名前の書かれていないロッカーに近寄る。

「あたしは鶫。得井鶫(とくい・つぐみ)ってんだ。天人さんにも名前があんだろ?」

 無視してロッカーを開けた。鉄の臭いが漂う。中には道着、白狼の戦闘服、下着のシャツなどが納められてる。

「細かい下着の方は後で酒保で配るってさー。サイズどんなもんなのー?」

 天子は鶫を指差して言った。

「私は貴方達と馴れ合う気は無いわ。気安く話しかけないで」

「あーそう? 天人さんたら偉いんだ? 別にいいけどね」

 その時、館内放送が鳴り響いた。

≪全訓練兵に告ぐ。総員道着に着替え、十分後に道場へ集合する事。繰り返す‥‥≫

 鶫はひらりとベッドから飛び降りた。天子はロッカーの中の道着を取り出した。

「‥‥て、これどうやって着るの?」

 わざとらしくつんとしながら、鶫は答えた。

「馴れ合いは嫌いなんだろー? あたしはお先に」

「着方だけでもいいから!」

 その背後から肩を掴む手が有った。痛い程の力が込められている。

「ごめんなさいは?」

「い、痛っ‥‥ここの連中は背後から襲うクセでもあるの!?」

「鶫ちゃんに謝ってください。そうしたら着方を教えてあげます」

「分かったわよ! ごめん、私が悪かったわ!」

 手が放された。鶫は肩を押さえる天子の向こう側を見上げる。

「そいつは来島南天(くるしま・なんてん)。あたし達は三人で第七班を構成するわけだ。で、お名前は? 天人さん」

「‥‥比那名居天子。天子でいいわ」

 突然南天が天子の髪の毛を掴んだ。

「今度は何?!」

「綺麗なサラサラヘアーですけど、ロングのままじゃ戦えませんよ」

 てきぱきと結い上げてゆく。その一方で鶫はスカートに手をかけた。

「さっさといくよっ。ちゃっちゃと脱ぐ脱ぐ」

「あ、こら、女同士だからって」

「うお、ハイカラだね。下着まで桃色なのか!」

「私の勝手でしょ!」

 

 三人が道場に着いた時には、他の班はもう準備体操と受け身を始めていた。教官達は一人を除いて全員正座している。牙堂のだみ声が飛んだ。

「遅い! 初日から遅刻とはいい度胸だ。貴様らは終了後グラウンド十周!!」

 鶫が天子を肘で小突く。

「オッパイに意地張ってるからこうなるんだよ!」

 顔を真っ赤にしながら天子が反応した。

「そんな事言ったって、シャツ一枚なんて‥‥それに、それに‥‥」

 南天が今度は優しく肩を叩いた。

「大きすぎるのも考えものですよ? 肩凝ります」

「持てる者が! 見下して言ってんの!?」

 三人が騒ぎながら準備運動を始めた頃。椛は周囲をキョロキョロと見回していた。

「棗はどうした?」

 十蔵が気まずそうに答える。

「さすがに格闘は‥‥」

 鉄拳を頭に食らい、悶絶する彼を尻目に椛は道場を出て行った。数分後、帯を危なっかしく締めながら椛に引っ張られた棗が現れる。

「信じてよぉ。久しぶりに道着着たから分かんなくなっちゃったの」

「だったらあらかじめ女性の助けを呼べ! 教官が遅れるなど耳を疑う!」

「四つもありますからねぇ‥‥痛い痛い上の耳引っ張らないで」

「十蔵! 柔軟を手伝ってやれ! 訓練兵は準備運動終了! 教官前に正座せよ」

 すぐに訓練兵達は集まり、椛達の前に列を作って正座した。

「初日だからと言って訓練が無いと思ったか? まずは格闘、打撃や関節技無しから始める。投げて投げられて、型を覚える事だ! 十九番、前へ出ろ」

 隣の南天に揺すられて、天子は自分の番号を思い出した。渋々立ち上がった彼女は、腕組みして待ち構える椛と向かい合う。

「来い」

「は?」

「私はこのままでいるから、かかって来いと言っている」

 天子の頭に血が上った。

「ナメんじゃないわよこの天狗!! 大敵と見て恐れず小敵と見て侮らず、よ!!」

 道場の床を蹴り、天子が椛に掴みかかろうとする。次の瞬間、椛の身体が沈み、宙を掴んだ天子の身体を背中で撥ね上げた。派手に空中で回転した身体は、強かに床に叩きつけられる。

「油断大敵、だな? この場合は」

「まだまだぁ!」

 跳ね起きた天子は下半身を狙って組みつこうとする。だが涼しい顔で椛は跳躍し、彼女を飛び越えた。天人は派手に前のめりで転ぶ。

「そろそろ組むとしようか」

「余裕が無くなってきた様ね! 覚悟しなさい!」

 威勢だけはよく相手に組みついた。だが、前後左右、押しても引いてもビクともしない。

 椛の道着が乱れて、シャツの下の巨乳が少し揺れただけである。

「どうした? 女を脱がす趣味でもあるのか?」

「あんたねぇ!!」

 この時、横から間延びした声が聞こえてきた。

「あーん、そんなとこ押しちゃ駄目ですぅ」

「変な声出さないでくださいっ。普通の柔軟でしょう!?」

 椛の目が見開かれ、急に体のバランスが崩れた。天子はすかさず身体を反転させ、一本背負いを決める。

 床に呆然と転がる椛を見下ろし、天子は荒い息を吐きながらニヤリと笑った。

「一本!」

 

 道場の隅で十蔵の悲鳴が聞こえる中、棗が訓練兵達の前に座っている。

「誰でもいいのでかかって来てくださーい」

 億と牙堂がいつでも援護に飛び出せる姿勢を取る中、丸刈り(獣耳は残っている)の訓練兵が立ち上がった。その男はにやつきながら素早く棗の背後に回り、後ろから襟を締め上げようとする。牙堂が突進しようと腰を上げかけた時、丸刈りが呻いた。その人差し指が強く握られている。

「あら、訓練でオイタしちゃ駄目ですよぉ?」

 指を放すと同時に、首投げで丸刈りの身体が回転し叩きつけられる。億はニヤリと笑い、牙堂に座る様促した。

「あっしらでも敵わないかも知れませんぜ?」

 訓練終了時、棗を投げられた者は一人もいなかった。

 

大浴場で鶫と南天が汗を流している。彼女らは罰でグラウンド十周を走ったため、順番が最後になったのだ。

「天子遅ぇなぁー?」

 鶫が頭に手拭いを乗せながら呟く。隣では、迫力のある乳房と筋肉質な身体を湯に浮かべながら、南天が微笑む。

「今度は天狗の衣装に手間取ってるのかな?」

「不器用だね?」

「そりゃ‥‥」

 浴場の扉が開き、タオルで前を隠しながら青い髪と白い肌の娘が入って来た。体のラインは外界で言うモデルの様に優美で、肌は滑らかだった。

「部屋でも拝見したけど、お綺麗なボディだねー」

「天人さんならそうでしょう」

「でもお胸はマッサージ不用なのでしぐわっ」

 天子の投げた桶が鶫を直撃した。ひどくはしたなく、がに股で咆える。

「おっぱいをマッサージって中年かお前は!」

 南天が双方に対して呆れる。

「突っ込むとこそこなんですか」

「外界の名言よ。貧乳はステンドグラスだ、七色の光だってね。私の胸は美しいからいいのよ」

「堂々と言うのも虚しくないですか」

「胸目当ての男が近寄らないだけましよ!」

 復活した鶫が立ち上がり、歯を見せて笑う。小ぶりだがしっかりお椀型をした胸を、自ら寄せて見せる。

「それじゃあイザ勝負って時、相手が泣くよ。ホレホレ、あたしは背が低くても大きな赤ちゃん達用の武器は完備」

「男なんてふん縛って逃げられなくすれば問題無し!」

「やーねー天子ちゃんたら、貧乳でヤンデレ風味なんて、マニアックなんだから。ここもマニア向けー」

 鶫の視線が示している先には、髪の毛と同じ色だが、かなり薄い草むらが有った。

「いい加減にせんかぁぁぁぁぁぁ!!」

「あ、身体洗わないで湯船に入らないで下さいよ」

 二人の悪ノリに呆れていた南天の耳が、扉の動く音を聞いた。

「椛ちゃん。十蔵君はいい人だねぇ」

「‥‥当たり前だ」

 教官二人が現れ、湯船の三名は目を見開いた。椛と棗の巨乳に、である。そして、当人にではなくその胸に敬礼した。

「おや、お前達まだいたのか? 兵舎内では挨拶でいいと言っただろう。それと十九番」

「は、はい!」

「髪は纏めて湯船に浸かれ」

「あ‥‥」

 結局、天子は身体と髪を洗い、椛と棗の背中を鶫達が流す構図が完成した。鶫は椛の背中に走る、薄い傷跡を指でなぞった。

「こらっ?!」

「教官補佐~? 自分はこの傷一つ一つに込められた武勲に興味があります」

「聞きたいのなら、覚えている範囲で教えるが‥‥お前指の動きが‥‥」

「知りたいのは‥‥十蔵さんとの馴れ初め♪」

「待て! あいつも一応補佐の一人だぞ! きちんと‥‥ひゃっ!!」

 鶫が椛の胸に手を回していた。手から溢れんばかりの大きさの乳房を、ゆっくりと揉みしだく。

「すっごーい。道場の男達、みんな教官補佐のここに釘づけでしたよー」

「そこは自分で洗うからいい! 悪戯が過ぎるぞ!」

「じゃあ、十蔵さんの話聞かせてくださーい♪」

 隣で棗が手を上げる。

「はいはーい、私も聞きたいでーす」

「お前らぁ!!」

 二発制裁が炸裂し、タンコブを作ってすすり泣く棗と、湯船に引きずられていく鶫。

「湯船で百数えるまで訓告処分!」

「やーん、狼にさらわれるぅ」

「お前も私も白狼天狗だろうが、問題児の当たり年か!」

 棗の頭をさすっていた南天が、暗い顔をしている天子に気付いた。

「天子ちゃん? どうしたの?」

「うん、なんかね‥‥圧倒、されちゃった‥‥」

 天子は、その日初めて心で泣いた。

 

 風呂を終え、教官達と別れた三人はそのまま談話室兼娯楽室へと足を向けた。部屋は酒の杯や缶を手にした男達で満ちている。

「女の子が一人もいないね」

 南天がぼそりと呟いた。

「引き上げよう。ムサくって吐きそうだー」

 鶫が天子の袖を引っ張った。が、既に天人の娘は別人に手を掴まれていた。

「天人様がいらっしゃるとは、タダで帰したら天罰が下るぜ」

 丸刈りの男であった。天子は笑い飛ばす。

「貴方如きが私に触れた時点で、天罰どころか地獄確定よ。痛い目に遭いたくなければ離しなさい」

「面白ぇ、昼間の天女の舞いをもう一度見せて貰おうじゃなぇか!」

 突然丸刈りは天子を担ぎ上げた。技で言う“肩車”の体勢である。鶫の手には袖だけが残った。

「天女様なら華麗に舞ってみな!」

 丸刈りが天子を放り投げた。受け身を取り損ねた天子は強かに背中を打ち付ける。

「ありゃ、舞いで楽しませてくれないのか? じゃ桃の様なお肌を拝見させて貰いましょう!」

 そこへ割って入った姿がある。

「やめろ!」

「ああ‘!? 引っ込んでろこの筆持ちがぁ!」

 男二人が言い争う間に、天子はふらつきながら立ち上がった。背中を向けている白狼を押しのけ、丸刈りに殴り掛かる。鈍い音がして、天子は右手を押さえた。“相手を殴る”訓練をしていない拳は凶器にならない。

「天界にも蚊がいるのかよ? 殴るってのはこうやるんだ!」

 誰かが天子を庇う様に抱え、丸刈りの拳は宙を切る。天子は自分を抱えてる相手を思い出した。

「あんた‥‥あの時の眼鏡?」

「僕は向井新(むかい・あらた)だ!」

「邪魔よ!」

 天子は彼を押しのけると、油断していた丸刈りに肘打ちを叩き込む。今度はまともに相手のこめかみを捉えた。だが丸刈りは顔を歪ませただけだった。

「おっと、捕まえたぁ!」

 両手が強く天子の背中に回される。その手は猥褻な動きで、天人の尻を撫で回す。天子は奇声を上げて逃れようともがくが、相手の力が強い。新も他の者達に抑えられて助けに入れなかった。丸刈りはニヤつきながら、荒く臭い息を天子に吐きかける。

「これが天女のケツか、まさに極上の桃だな?」

「下郎、ぶっ殺す!!」

「強がれ、その方が燃えるぜ」

「残念でした。もう使い物にならないねー」

 とぼけた声と共に、拘束していた腕から力が抜け、天子はすぐに抜け出る。丸刈りの股間に後ろから爪先が引っ掛かっている。

「女の敵にはこれが一番♪」

 腕組みをしたまま、鶫は脚を標的の股間から抜いた。泡を吹いて崩れ落ちる丸刈り。小柄な白狼娘は、片足を高く上げたまま、八重歯を見せて笑う。

「あたし足癖が悪いよー」

 男達が一歩引いた処へ、何かが投げつけられた。南天が両手で暴漢を持ち上げ放り投げたのである。何人かが落下に巻き込まれ、新もその混乱に乗じて脱出、天子の後ろについた。

「無茶し過ぎだ!」

「あんたこそ喧嘩向きじゃないでしょ! 余計な手出しは無用よ」

「僕は“守る”ために‥‥!」

 次の瞬間、新は殴られてKOされた。天子は敵の群に突っ込んで滅茶苦茶に暴れながら内心呟く。

(力無き正義は無力なり。‥‥でも味方してくれた事は感謝するわ)

 

 数刻後。大乱闘はすぐに椛達の知るところとなり、十蔵と牙堂が駆け付け、更に多数の負傷者を出した挙句鎮圧された。教官室には丸刈り以下第三班(本人は悶絶のため欠席)、天子の第七班が呼び出されていた。椛は険しい顔で三班の弁解を聞いている。

「つまり、十九番らが先に因縁を付けてお前らに手を出したと、そう言いたいのだな?」

「は、はい! こいつらは娯楽室を自分らだけで使わせろと勝手な事を」

 天子が背後から男にスリーパーを決めようとして、南天に止められる。

「この腐れ外道が!! 女を集団で襲っておいてよくも‥‥」

「黙れ十九番! 発言は許していない!」

「あんたも女でしょ?! こいつらが先に‥‥」

「訓練初日に乱闘騒ぎなど、棗の立場を少しは考えろ!」

 天子は唇を噛み、盲目の教官を見つめた。当人は涼しい顔をしている。

「私なら心配ご無用です。でも‥‥事の発端はともかく、三人の子に大勢で太刀打ち出来ないのも‥‥情けない、ね」

 棗の語尾が少し冷たくなった。

「今回の件、処分を伝えます」

「棗!」

「椛ちゃん。今ここのトップは私」

 椛は黙り込んだ。

「第三班と第七班は一週間後、対抗試合にて決着を付けなさい」

 全員の顔に驚きの色が走った。棗は続ける。

「形式は投げ・寝技・関節、何でも有りの拳闘です。互いの名誉を賭けて戦いなさい。ただし!」

 光の無い眼が笑った様に天子は感じた。

「第七班は敗北を許しません。勝利には一敗も無し」

「ちょっと何言ってるのよ貴方!?」

 天子は身を乗り出し両手で机を叩いた。その額を棗の杖が小突く。

「反論は許しません。だって貴方達は強いでしょ?」

 冷たさと気の抜けた声が混じる。椛が間髪入れず命じた。

「組み合わせは後で発表する。退出!」

 全員が戸惑いながら敬礼した。天子だけが何かを言いたそうだったが、南天に“優しく”引っ張られ出て行った。

「何を考えている?」

「うん? 何か引っかかる?」

「七班の方がどう見ても強いぞ?」

「そうねぇ。でも‥‥天人ちゃんはどうかな? ただ暴れて勝てる程‥‥戦いは甘くありません♪」

「試すつもりか? 仮にも私を投げた奴だぞ」

「あれは隙を見せた椛ちゃんが悪いのでした~」

「お‘、ま‘、え‘、はぁ!!」

「ふぇぇーん、上官のほぉをひっぱらにゃいでぃよぉ」

 

 第七班の部屋。胡坐をかき腕組みして考え込む天子の眼前に、張りのある肌の素足が現れた。

「ほーい天子ちゃーん? 哲学者かね感心感心」

「あんたこそ精神修養でもしたら? その恰好のまま水垢離なんてどう?」

 鶫既に下着姿になっていた。外界から入ってきた物を誰かが量産に成功した、スポーツタイプを身に着けている。

「あたしには心配事なんてないからねぇ。当日はミニスカで出て会場の男の視線を釘付けにしてやろうかなー。でもって中身は短いスパッツ、残念でしたーってね」

「足に自信があっていいわね?」

「背が低いから拳届かないし、あまり効かないんだよねー」

「深窓のご令嬢の嗜みかしら」

「いーや、家族全員武道の脳筋でございまーす」

「自虐のつもり?」

「別にぃー。ただ色々と面倒な事もあってさ」

 天子は目を細める。

「ふーん‥‥ちょっとだけ、分かる、かな」

 鶫の顔から笑いが消え、少し目が驚いた。

「コンプレックスでちょっぴり素直になるなんて、重いストレス抱えて生きてんだね」

「‥‥まあね」

 寝台の下段へ降りてきた鶫が、天子の淡い膨らみにさりげなく触れ撫で回した。しばらくの間沈黙が流れ、天人は猛然と相手に四つの力比べを挑んでいた。

「何をするかぁぁぁ!!? 真面目な話の途中でしょ!!」

「いや、発育がストレスに関係あるかと」

「馬鹿かぁ!?」

 鶫の顔がいつものにやけ顔に戻った。

「馬鹿でいーよ。あたしおっぱい大好きだから」

「天人の大胸筋の凄まじさ教えてあげるわ!」

 突然天子の身体が背後から抱えられ、静かに引き離された。背後から近づく気配に気付けなかった不覚と、相手の怪力に天子はやや気圧される。

「な、何? 今回は私悪くないと思うけど」

「いえ、単にうるさいから引き離しただけです。‥‥天子さん」

「どうしたの?」

「今度の試合、大丈夫ですか?」

「え? そりゃ、あんな奴ら片手で‥‥」

 南天が突然繰り出した掌底が、天子の鼻先で止まっていた。事態が理解出来ず、天人の娘は汗が噴き出るのを感じる。

「私、元河童なんです。相撲少し得意です。鶫ちゃんは足技の達人。でも貴方は何も戦い方を知らないんじゃないですか?」

「え‥‥そうよ、確かに、私は‥‥」

 椛を投げたのは偶然である。鶫がベッドから陽気な声で告げた。

「別にいーよ? ルールが滅茶苦茶なんだから、別に負けたって気にしないよ、あたし」

「ええ。私も責めたりしないと誓います。ただ」

 少し青ざめた顔色で天子は聞いていた。

「貴方は天人でなくても、もっと強くなれる」

 南天の細い眼が僅かに開いた。

 

 天子は居たたまれなくなり、一人夜の道場へと足を運んでいた。灯りが扉の隙間から漏れている。中に入ると、十蔵がゆっくりと踊る様な動きで型の稽古をしていた。

「誰だ?」

「あ、あの‥‥」

「お前か、何か用か?」

「椛教官の事ですけど」

「俺との事か? 今更隠す気は無い」

「‥‥いえ、彼女は強いのですか?」

「種族の壁を除けば、椛に敵う奴はそうそういない。弾幕ごっこはやや苦手らしいが」

「貴方、はどうですか?」

 十蔵は相手を押すポーズのまま、天子に顔を向けた。

「俺の事は名前で構わん。紛らわしいからな」

「は、はい」

「別に強くはないぞ? 椛に鍛えられたからそこそこ戦えるだけだ」

「でも、教官は貴方を認めているんですよね? だったら実力はあるんでしょう!」

「だから名前で‥‥面倒な奴だな。おだてにわざわざ来たわけじゃないだろう?」

 天子の前で十蔵はまたゆっくりと動き始めた。それを見つめていた天人は、突然その場に正座した。

「その技を、私に教えて下さい!」

「よりによってこれをか?」

「はい!」

 勢いよく頭を下げる相手に、十蔵は内心困惑した。

(道場に夜来るなんて大体何かコブシの悩みなんだろうとは思ってた。が‥‥)

 十蔵は静かに答える。

「試合は一週間後だったな。じゃあこれを学ぶのは無理だ」

「そんな! お願いします!」

「紅魔館の門番やってる俺のもう一人の師匠も同じ事を言うだろうな。これは力加減が難しいんだ」

「‥‥一体何の技ですか?」

「拳法を応用した逮捕術だよ。相手を“なるべく”傷付けず捕らえる技だ。武器の十手と組み合わせて使う。これの専任が一人はいないと困るんだ。うちの隊には荒い奴が多いからな」

「そう、ですか‥‥」

 寂しそうな声を聞き、十蔵は内心でため息をついた。

「正式な修行は無理でも、戦い方を覚えればどうにでもなるものだ」

「本当!?」

「まず態度を急変させるな。相手に悟られるぞ」

「あ‥‥」

 そこで第三者の声がした。

「私も付き合ってやろうか?」

 椛が道着姿で歩み寄ってくる。十蔵の動きが固まった。

「どうした教官補佐? 今は私と対等の立場だろう?」

「いやそう言われましても」

「謙遜するな。お前の説く武の道、私も興味がある。この小娘に何処まで仕込めるか手伝ってやる」

「‥‥あの、椛さん‥‥」

「手伝ってやる、と言ったのだ」

 やや無理なポーズのまま硬直している十蔵と、何処か獰猛さを感じさせる笑いを見て天子は内心呟いた。

(尻に敷かれてるってこういう事なのね‥‥ある意味勉強になるわ)

 突然十蔵が構えを解き、鋭く言葉を発した。

「十九番、すぐに逃げろ!」

「は?」

 目を丸くした天子は反射的に立ち上がった。そして、掴みかかってきた椛の手を寸前でかわす。

「ちょっといきなり何するのよ!」

「あいつの指示が無いから私は好きにやるまでだ」

「そんな滅茶苦茶な!」

 軽くリズムを取りながら飛びかかろうと狙う椛。天子はパニックになりながら十蔵を見た。

「落ち着いて全力で逃げろ! 俺がいいと言うまでだ」

「本気で言ってるの?!」

「教えてくれと言ったのはお前だぞ、よそ見するな」

 次の瞬間、椛の手が天子の襟を掴み投げていた。受け身をギリギリで取った天人は、うめき声を上げる。

「ほらまだ敵は襲ってくるぞ!」

 十蔵の声に合わせる様に、椛がマウントポジションを取ろうとする。あっけなく胸の上に馬乗りになられた天人は、相手が掌底を構えるのを呆然と眺めていた。

「“何をしてでも”逃げろ!!」

 強い叫び声に、天子の手が素早く動いた。乳房を強く鷲掴みにされて、今度は椛が停止する。驚くべき素早さでブリッジし、天人は相手の股の下から抜け出した。

「そうだ逃げろ逃げろ! とにかく逃げるんだ!」

「はいっ!」

 返事と共に天子は十蔵の後ろに回った。思いっきり背中を押された十蔵は突っ込んできた椛を抱き止める。

「あ」

「馬鹿、場所を弁えろ」

「いえ、これは反射的なものでして」

 二人の脇を静かに影が駆け抜けようとし、派手に転んだ。十蔵が足を引っ掛けたのだ。

「この室内で逃げるんだよ。ほら敵はまた襲ってくるぞ?」

 素早く飛び起き、天人は走る。椛は慌てて男を振り払い、後を追う。十蔵は自分の道着を直しながら独語した。

「さて、第十六小隊隊長の牙からどれだけ逃げ回れるかな?」

 追いかけっこは五分も続かなかった。壁際に追い詰められた天子は立ったまま袖車を食らい、“参った”をして跪いた。

「意外と粘ったな?」

「あの‥‥ね‥‥私は‥‥戦い方を‥‥習い‥‥たか‥‥」

「きちんと教えたぞ?」

 椛は怪訝な顔をした。

「一体何なんだこれは? 私も理解出来ない」

「“逃げる”のは意外と難しいんですよ。瞬時に状況を確認して後は脇目も振らず全力で逃走。大切なのは徹底する事」

「だが試合で会場から逃げ出すわけには‥‥ふむ、そういう事か」

「そう。彼女に教えたのは“基本”です。重要なのはこれからの“応用”です」

 荒い息は聞こえなくなっていた。天人は汗まみれになりながら、床で眠っている。椛が苦笑した。

「仕方のない奴だ。私が連れていって、着替えさせる」

「椛」

 二人っきりの時の呼び方に、白狼の耳が反応する。

「何だ?」

「どうして俺との稽古を止めてまで、十九番に付き合ってやったんです?」

「そうだな。最初は別の女と話しているお前を制裁するつもりだったが」

「相変わらず荒いです」

「その天人の娘、途中からお前に“敬語”を使った。演技かも知れないが面白いと思ってな」

 

 基地では、二日目から体力・霊力強化に加え武器を使った戦闘訓練も始まった。椛と牙堂がスパルタ式で鍛え、十蔵と億が指導し、棗は基本訓練を見守っている。見てはいないが、時々へたばった者へ彼女は例の間延びした声で声援を送る。全員の声を始め全ての音を聞き分けているのだった。

 四日目。天子は風呂や食事の時間を不自然にずらしていたため、他の訓練兵にも十蔵の“特訓”は知れ渡っていた。えこひいきと非難する者もおり、対戦相手の第三班は自ら抗議に及んだ。十蔵は顔色一つ変えず頷いた。

「よし、確かに不公平だな。お前らもやっていけ」

 坊主頭と仲間は顔を見合わせた。特訓は昼間の訓練後に行われている。十蔵の後ろに立っている天子は、目を指で剥きながら舌を出して強がっているが、顔にはクマが出来て身体も少しやつれている。

 第三班は油断した顔で誘いを断った。十蔵はどうでもいい様子で彼らを帰し、天子に向き直る。

「さあ、構えろ」

「今日も“逃げる”練習? いつになったらあいつらを悶絶させる技を教えてくれるのよ」

「拳闘は昼間やってるだろ?」

「あのねぇ! 私は貴方が凄い技を知ってると見込んで習ってるのよ!? あの凶暴かつ容赦の無い教官の弟子なんでしょ!」

「だからすぐにお前は地を出すなというのに。モテんぞ?」

「この野郎!!」

 図星、かどうかはさておき、激高した天子は左フックを十蔵の顔に叩き込んだ。鈍い反動と共に、天子が手を押さえて苦悶する。

「身体ってのは結構頑丈に出来ててな。手首や拳をしっかり鍛えないと、そうやって痛い目を見る」

 顔に力を入れて拳を防いだ男は、まるで効いていない様子で首を軽くストレッチする。

 涙目になった天子は、肩から相手にぶつかろうとした。十蔵は一歩も動かずタックルを受け止めた。

「力に力で対抗するにはそれなりの鍛練がいる」

 細い首に手が素早く巻き付いた。立ったまま、首を締め上げられる天子。

「そして失敗すればリスクが大きいのが戦いだ。それは一対一でも戦場でも変わらない」

 必死に相手が耐えている事を知りつつ、十蔵は手を緩めなかった。

「リスクが大きすぎれば敗北、時に死を招く」

 手が放され、天子は十蔵の足元に転げ落ちた。

「凶暴で容赦の無い、かつての俺の教官が教えてくれた事だ。身に刻んで、今日は頭を冷やせ」

 十蔵はすすり泣く天子をそのままにして道場を後に、するつもりだった。背後から狼も驚く程素早く飛びついた娘は、気合いを入れた。

「うおぉぉ!!」

 咆哮と共に二人の身体が綺麗なブリッジを描いた。が十蔵の反応は素早く、手のロックを振りほどきつつ後ろへ宙返りした。手でよろける天子の背中を片手で支える。

「根性で不意を突くのも戦法だ。お前は頭を冷やすより燃え上がった方が強くなるのか?」

「馬鹿にして!」

 放たれた後ろ蹴りを十蔵は横に動いて避ける。

「技を教えないなら的になりなさいよ!!」

 痛みを忘れた拳でストレートを連発するが、全て軽くいなされる。放った前蹴りを取られ、軸足を刈られた。倒れた顔面に掌底が突き付けられる。

「的は反撃しないが、人間は出来る」

「逃げ回った先に勝機を掴めと言うの? でもただ逃げ続けるなんて‥‥」

「言っただろう? “どんな事をしても逃げろ”と」

 天子は不敵に目を光らせて起き上がる。

「貴方の逃げ方、今度こそしっかりと学ばせて貰うわ」

 

 そして七日目の午後。太陽もまだ落ちぬ中、道場に訓練兵と教官、それ以外にも何人か関係無い者が集まっていた。

「さーさ張った張った! 棗教官のお達しで七班は一敗でもしたらその場で負けだ! しかし花も恥じらう娘達がこのまんまでいるものかい、磨きに磨いた技で野郎達を迎え撃つ! 対する三班の男達も屈強な強面揃いだ、柔に拳闘、レスリング、何でも来やがれ花を散らして見せましょうときたもんだ! ご一同、この戦いは読めねぇでござんすよ!」

 威勢のいい声で響いて来る人混みを、巨漢が覗き込んだ。

「おい、億? 貴様なーにやっとるんじゃ?」

「牙堂、あっしは今その名前じゃござんせん。名無しの一胴元として、ここに場を張らせて貰っておりやす」

「お前も教官補佐だろうが」

「言わないでおくんなさい! 久しぶりに昔の血がたぎっておりやす! 殴り込みとあらば、お相手いたしやすが」

「ほほぉ、面白い。ワシも乗るぞ!」

 他者を押しのけて巨体が胡坐をかいた。

「おう! お客人、どちらに賭けやすか?」

「三班に決まっとろうが! あの天人の小娘が負ける姿が目に浮かぶわい」

 その場に居た一同はどっと笑った。十蔵は遠くからその様子を見て内心呟いた。

(後で怒られても知―らねっと‥‥俺も、天子に肩入れしすぎたから何かあるかな)

 憂鬱な顔をする白狼の青年の顔を、誰かがじっとりと覗き込んだ。

「うわっ!? 小隊長?!」

「何度も言わせるな、今は教官補佐だ、貴官と同じくな? 柘植早殿?」

 十蔵はあまり使われない自分の名字を、妙に色めいた声で呼ばれて驚いた。

「貴官はこの頃毎晩天人の相手ばかりして私の練習にはまるで付き合ってくれないじゃないか随分そっけない態度取って随分偉くなったものだな五本に一本は私から取れるからと増徴してるのけしからんけしからんあの天人がどうなろうとも今日こそはお前を一晩中ギッギタのメッタメタにして犬みたいに」

「はーい椛ちゃん、こっちで一緒に見ようねー」

「待ーてー、私はまだあいつに言いたい事が辞書程‥‥」

 棗に引きずられていく椛を、十蔵は油汗をかきながら見送った。

 

 道場脇にはいつの間にか観客席と実況台まで据えられていた。訓練生の乱闘を収めるための決闘が何故か一大イベントになっている。何人か鴉天狗や河童、神の姿まで確認出来る。

「皆さんお元気ですか! 守矢チャンネル特別生放送、妖怪の山・哨戒部隊訓練基地より

私東風谷早苗と」

「八坂神奈子だ」

「以上二柱でお送りします! さあ神奈子様、大変な盛り上がりですね~」

「お前に言われてここに来てしまったが‥‥何が始まる?」

「第一回“ゴキッ! 狼さんだらけの格闘大会”です!」

「今考えたな?」

「はいっ! 細かい事はいいんです盛り上がれば!」

 元気に返事する風祝に押し切られ、神奈子は苦笑した。

「対戦カードは決まっているのか」

「えーと、資料によりますと第三班は七番・九番・八番の順番で出場。第七班は二十番・二十一番・十九番だそうです」

「番号で分かるのはこの基地の人間だけだろ!」

「堀内埋助はボクシング、五島丈はレスリング、九四九松は柔術だそうです。対する得井鶫は‥‥綺麗なあんよ? 何これ?」

「その情報源ひょっとしてブンヤの鴉天狗か?」

「はい、そうですよ?」

「早苗、そもそも戦場で格闘というものはだな‥‥」

 神奈子が無理に話を逸らそうとした時。観客がざわめき出した。早苗は情報源の事など忘れて実況を始める。

「お-っと、ついに審判が入場です! このケモナー歓喜のるつぼと化した道場にて、今白狼同士の熱い戦いが始まろうとしております! 一対一、武器の使用以外は全てオッケー! 怖いですねー、目を抉っちゃったり肉を噛み切ったり背骨を折ったりしちゃうんですかね!!」

「普通にバーリトゥードスタイルで良かったのにこんな剣闘場みたいなルールを‥‥」

「そして特別ルールです! 第七班は一敗でもしたら何と負け! 罰として水着で一週間訓練です!!」

「ちょっと待ちなさい?!」

 突然白い肌の手が実況席の原稿をひったくった。

「この原稿書いたの誰よ!!」

「おーっと十九番の比那名居天子さん、実況席に乱入だぁ!」

「煽るなこの緑ホルスタイン! 水着ってどういう事よ!」

「私は文さんから聞いた情報をお伝えしてるだけですよ?」

「水着で訓練てセクハラの域越えてるわ! パワハラよ!! あんた達も何とか言いなさいよ!!!」

 天子は後ろに立つ仲間二人にも喚く。

「うーん、セパレートがいいかな? それともビキニ?」

「私は合うサイズがあるかどうか」

「違-う! 悩む所違う!」

「あ、天子ちゃんはマニアックにスク水でどう?」

「お前はぁああ! まず試合前に仕留めてくれる!」

 神奈子は出されていたお茶をすすり、一言。

「士気は高まってる様だな」

「さぁ試合前に一旦CM! この秋注目のオータム・コーポレーションが送る荒れ地の有効活用です!」

 早苗達がカメラマンの河童や諏訪子Dと打ち合わせをしている間、四角く仕切られた決闘の場を挟み、闘士達はウォーミングアップに励んでいた。ただ、温度差が激しかった。

 七班は一騒ぎした後、天子以外の二人は道着を脱ぎ捨ててしまった。鶫は以前画策していた通り、本当にミニスカにTシャツ姿、南天はレオタ-ドの上からマワシを締めている。

 天子は顔をひくつかせながら、同時に股割りをする二人に問うた。

「あんた達余裕有り過ぎじゃない?」

「油断させるのも戦法の一つだよー」

「私は正式の格好だとさすがに刺激が強いので」

「‥‥もういいわ」

 天子はその場に正座すると、目を閉じた。

(瞑想なんて、絶対役に立たないと思ってたけど‥‥)

 そのまま周囲の雑音から自分を切り離していく。

(このおかげで訓練と教官の特別授業にも耐えられた)

 心が次第に闇、そして静寂の宇宙へと溶け込んでいく、筈だった。

「ハーイ天子ちゃーん!! 元気してるぅ?」

 カッと目を見開いた先には、不自然な色の空間の歪みから満面の笑みで見つめる美女がいた。

「こ、このムラサキ海苔オバケ!!」

「あらぁ、落ち着いて? 私はただ貴方を応援しようとやってきただけなのに」

「からかいに来ただけでしょうが!」

「そんな事は御座いませんことよ? 貴方が華麗に勝ち‥‥」

 紫の口元が歪んだ笑みを浮かべる。

「そして見事に美酒の杯を傾ける事は約束されていますわ? 天人の誇りにかけて負けるなどという事は有り得ないのよ」

 当然スキマ妖怪は天子を応援しているのでは無い。彼女にプレッシャーを与え、集中を乱そうとしていた。その目論みを察知した天人の娘は、感情を押し殺して瞑想に戻る。

 しかし、紫の攻撃は続いた。精神世界にまでスキマを開けたのである。

「たかだが一週間で強くなれるとでも思った? 現実を見るのね、貴方はあの男に勝てない」

「現実は分からないけど、未来なら見えるわ。あんたが悔しがってハンカチを噛む光景」

「生憎私程の妖怪になると汗などかかないわ。ハンカチは藍に預けてるの」

「あら、お年を召して代謝が落ちたのかしら。それとも歯が悪いの?」

「小生意気に舌だけは鍛えられた様ね? 狼さんに食べられちゃったせい?」

「生憎あたしの師匠はいつもお腹いっぱいなの。愛人の一人もいない誰かさんと違ってね」

「私はこの幻想郷と結婚したのよっ!」

「おお、こわいこわい。要石が愛人かしら?」

 新聞天狗の物真似をされて紫は顔を引きつらせた。

「いいでしょう、その余裕が泣き顔になるのをとくと見せて貰うわ」

 紫はスキマに大股で消えて行った。天子は、また静かに瞑想へと戻る。

 

 CMが明けて、早苗が再び実況を始めた。

「さぁ-てもう試合のゴングが鳴るまであと数分となりましたが、ここで実況席に新たなゲストが来て下さいました! 幻想郷の賢者にしてスキマ妖怪こと八雲紫さんです!」

 早苗と神奈子の間にわざわざスキマを作って強引に割り込み、ゆかりんはカメラに手を振った。

「はーい皆さん♪ 永遠の十七歳&眠れるスキマの美女八雲紫でーす♡」

「コメントは控えさせて頂きます! それより何故突然このイベントに来られたのですか?」 

「勿論妖怪の山の戦いの技を見学し、幻想郷の範として紹介するつもりでしわ」

 神奈子がボソりと呟いた。

「哨戒天狗だけにか」

 辺りにマイルドな白け空気が流れる。神奈子は咳払いをした。

「大方、騒ぎを起こしたあの天人の様子を見に来たのだろう?」

「あら、ここには天人様なんて高貴な存在はいないわ? みんな白狼の若手戦士じゃ無くて?」

「神隠しに遭った天人の話なら聞いてるぞ?」

 紫は扇子で忍び笑いを隠す。カメラに流し目を送りながら。

 

 第一小隊隊長、芝忠介(しば・ちゅうすけ)は、むっつりと腕組みをしつつ道場の真ん中に立っている。非番の彼に椛が試合の審判をしてくれと頼むので来たら、とんでもない大騒ぎになっていた。即席の観客席に何人か見知った顔を認め、彼は眉間の皺を深くする。

(遊びかこりゃ!!)

 内心で吐き捨てた芝だが、与えられた役目はきっちり果たそうとしていた。右手を掲げ道場に声を響かせる。

「只今より白狼天狗訓練部隊、班対抗試合を行う! 第三班と第七班、双方道場中央へ」

 歓声の中、六名の訓練兵達は中央に集まる。芝は眼光鋭く、未来の後輩候補達を見渡す。

「いいか、殴りも関節も急所攻撃も認める。だが生命に関わると判断したらすぐ止めるぞ? 分かったか?」

 第三班、五島がにやついた。

「審判は黙って試合開始と終わりだけ言ってりゃいいんだよ」

 鋭い眼光と共に芝は答える。

「現役を愚弄するか、よちよち歩きの餓鬼が! 何なら小娘の代わりに俺が三人纏めて相手するぞ!」

 五島は余裕の態度を崩さなかった。

「お優しいことで。でもこれは教官から命じられた戦いだ。あんたは基本門外漢なんじゃねーのか?」

「‥‥余程自分の血の色を確認したいと見える」

 拳を握りしめた芝の袖を天子が引っ張った。

「これは私達にとっても退けない戦いです」

 第一小隊隊長はしかめっ面をしつつ、袖を払う。

「双方、下がれ」

 ぶっきら棒に全員が追い払われると、会場が突然静かになった。

「先鋒、七番と二十番!」

 第三班・七番堀内埋助が、薄いグローブを着けた太い腕を突き出した。一方、鶫はスカートの端をつまみ、わざとらしくお辞儀をしてみせる。もはや礼も何も無いが、場がカオスと化しており誰も異を唱えなかった。

「始め!」

 慎重でも腕の長さでも勝る七番が、すぐさまダッシュした。次の瞬間、“下”から飛んできた脚に顎を思いっきり突き上げられる。鶫が瞬時に身を屈めて、身を翻しながら蹴り上げたのだ。七番がふらつくと、小さな身体が大ジャンプした。膝で相手の頭を抱え込み、一気に後方へ回転する。七番は勢いよく叩きつけられてから、胸の上の重さで自分が完全にマウントを取られていると知った。

「さあどうする? あたしの短い腕でもここなら届くよ?」

「甘く見るな、俺の力なら簡単に跳ね返せるぞ!」

「そう」

 鶫の股が頭を強く挟み込んだ。

「幸せ? 女の子の下で悶絶なんて最高でしょ?」

 何気無く微笑みながら、鶫は右の拳を振り上げた。同時に七番が彼女の背中を叩く。

「そこまで!

 芝が間に入る前に鶫は素早く離れた。七番は顎を押さえながら立ち上がる。またしてもスカートを摘みながら大歓声に応える鶫を眩しげに見る。

「やるじゃねぇか」

「あれ? もっとワルぶってもいいんだよ?」

「まさか脚で投げられちゃどうしようも無ぇよ。完敗だ‥‥ただし」

「ん?」

「黒、だ」

 鶫のスカートを指差し、顎を押さえながら笑う。蹴り娘もからからと陽気に笑った。

「逆立ちの時点でみんなご存じだよ。スパッツでがっかり?」

「いや、次は先にめくってやるよ」

 二人が正式な礼をして、それぞれの陣営に戻ると場内は拍手と口笛で包まれた。

「勝者、第七班二十番!」

 早苗が突然机を叩いてマイクに叫ぶ。

「なーんとぉ! あまりに早い決着、しかも微妙に爽やかな終わりです! 私何も実況出来ませんでした!! 神奈子様、如何ですか?」

「ボクサーに限らず打撃屋は寝転がされた乗っかられたら終わりだ」

「つまり男は尻に敷かれたら弱いという事ですね!?」

 紫が頭を下げると同時に、突き出された御柱が早苗を吹っ飛ばした。蛙の様に大の字になって泡を吹いている現人神を余所に、紫が掌を組みながら実況席に座る。

「さて♪ これからは幻想郷の賢者ゆかりんがお送りしまーす」

 神奈子も髪をかき上げながら頷いた。

「よろしく頼む」

 試合は次鋒戦が始まろうとしていた。第三班の九番・五島丈は腰を低くして構える。一方、南天は四股立ちから、高く脚を上げた。思いっきり足裏が大地を踏んだ時、軽く道場が振動した様な錯覚に皆が襲われる。

「始め‥‥」

 審判の掛け声とほぼ同時に、訓練兵二人は地を蹴った。体格はほぼ同じ、だが体重は九番が勝る。素早く南天の手が内側から右四つで帯を掴むが、左を払われてしまった。そのまま胸が合わさる。

「あら、これはいけませんね」

 胡散臭いと噂されるも、妖艶な笑みで紫が扇を一段開く。神奈子も渋い表情だった。

「相撲の使い手が上体を浮かせるとは‥‥力はあっても未熟だな」

 南天は左を取ったが、相手の懐が深く逆に内へ入られていた。九番は上から左マワシを掴む。そのまま身体を押し込みながらも、右手で更に相手を捉えようとする。紫の扇子がまた一段開かれた。

「意外と器用ですわね?」

「‥‥いや、“付き合っている”だけだ。そろそろ動くぞ」

 九番は予想以上の手応えに内心ほくそ笑んでいたが、更に自分が有利になる策を考えていた。不意に攻めていた手を引っ込める。南天は左の上手から相手の帯をすかさず掴んだ。

「マワシを取られてしまいましたわ? これでは‥‥」

「“何も”取っていない」

 紫は無言で小首を傾げる。次の瞬間、南天の身体から急に力が抜け、彼女はがっちりと右手を巻き込まれてクラッチされていた。扇子が一気に開かれる。

「反則ではないのですか?」

「“凶器”として用いてないからな」

 解けた帯が南天の手から落ちる。九番は最初から“付き合うふり”をするつもりだった。

 相手の出方によって予め用意していた戦術で対応し、最終的に自分の得意技へ引きずり込む。そして、獲物はかかった。九番は全身の力で相手を持ち上げると、そのまま背後へジャンプした。

 紫も神奈子も唖然とする中、九番と床に挟み込まれる様に南天は叩きつけられた。衝撃に一瞬意識が飛びかける彼女へ、声が飛んだ。

「首を狙ってる!」

 反射的に動いた手が、締め上げようとする力を阻止した。紫は細めた目で、注意を促した天人を睨む。

「あまり感心しない行為ですこと」

 気の無い様子で軍神は答える。

「別にセコンド禁止とはルールに無い。乱入すればさすがに止められるだろうがね」

「‥‥ええ、そうでなくては面白くなくてよ」

 天子の試合、ひいては敗北を望む賢者にとっては、ここで南天に負けて貰うわけにはいかない。スキマをいじろうとした時、背筋に冷たい物を感じて紫は動きを止めた。

「おや、私の威圧もまだまだ捨てたものじゃないな? 賢者殿の手元がお留守とは」

 神奈子が毒蛇の眼光で紫を見つめている。睨んでいるのではなく、ただ見ている。眼前の神を単なる騒がしい古代の遺物としか思っていなかった賢者は、認識をすぐに改めた。

 もう一柱も含め、その気になれば幾らでも戦雲を巻き起こせる“軍神”。血を生贄として求め、戦いを楽しむ破壊者。紫は扇子を静かに揺らした。

「貴方とはいずれきちんとお話する必要があるわね」

「そこでのびている半人前が成長してからな」

 毒蛇は呆気なく視線を外すと、機転を利かせて音声を切っていた撮影班に合図する。

 まだ試合は終わっていない。

 

 南天は相手の手を全力で顔の横まで退けると、床に頭突きをした。そして、そのまま歯を食いしばり、尻を高く上げていく。九番は素早く脚を絡めて胴を締めるが、南天は何とそのまま立ち上がったのである。耐えていた左手が銅へ食い込んだ脚に伸ばされる。次の瞬間、九番は絶叫を上げて女の背中から落ちた。床で彼が恐る恐る見た片方の爪先。小指から中指までがへし折られていた。紫は扇子を閉じ、首を振った。

「‥‥私でも箪笥に小指ぶつければ痛いわ」

「蚊の一刺しから軍勢の崩壊を招く、意外とよくある事だ」

 解説者達のムードとは裏腹に、戦いの場は処刑場へと変化していた。南天は激痛で立ち上がれない九番の片足を掴むと、そのまま一回転して投げ飛ばしたのである。九番は頭で考えすぎた。だから、相手がより常識外の行動に出た時、対応出来なくなった。彼は逃げる観客の中へ飛び込み、席を破壊して壁に頭を叩きつけらようやく止まった。だが投げた方も、足元から崩れ落ちた。審判は南天が立てないと判断、更に九番へ駆けより彼が気絶していると確認し、勝負の結果を告げた。

「両者試合続行不能により、引き分けとする」

 場内がざわついた。七班は一度敗北すれば終わり、という特別ルールを誰もが思い出していたが、引き分けの場合はどうなるのか。芝は試合を観戦していた棗と椛を見つめた。

 二人の間で小声の会話が交わされ、棗が頷く。審判は叫んだ。

「大将戦! 八番、十九番!」

 歓喜の声が場内に満ちた。紫も神奈子も、それぞれ違う思惑で微笑む。

 

 力を使い果たした南天が担架で運ばれる。天子と鶫は彼女に駆け寄った。開いてるかどうか判別しにくい目に、涙が滲んでいる。

「ごめんなさい‥‥鶫ちゃんは勝ったのに‥‥それに天子さんの出番を‥‥」

 小柄な頭と、蒼い髪が横に振られる。

「いいじゃん、最後カッコよかったよ?」

「あんたの戦いを無駄にはしない。任せて」

 鶫に髪を撫でられ、天子と握手を交わして南天は退場していく。二入はそれを見送ると、頷き合った。

「分かってるだろうけど、勝敗より悔いを残さないでよ?」

「あら、私を誰だと思ってるの?」

 不敵に歯を見せ、天人は髪を後ろで束ねた。

「不屈の比那名居天子よ!」

 

 二人の大将は中央で向かい合った時から、既に相手を“倒す”事しか考えていなかった。

 ただし、その内容には大きな違いがあった。第三班八番九四九松(くしく・まつ)は、技量差から一瞬で速攻で勝負を着けられると考えていた。ただ掴んで、投げ、組み敷く。

 それで終わる筈だった。否、終わらせる。第三班のリーダー格として、圧倒的な勝利が今必要だった。だから、開始の合図と共に伸ばした初手が空を切った。天子がバックステップで逃れ、軽くステップをしながら掌で“来い”と挑発する。八番が力任せに襲いかかる度に、天子は距離を取り、更には平行移動、ついでに挑発も加えて逃げ続けた。

「どうしたの? ボクには鬼ごっこは難しいかな?」

 坊主頭が瞬時に噴火した。彼は打撃スタイルへと切り替え、猛然と殴り掛かる。すると今度は正面から単純に前蹴りが飛んできた。八番は反射的に動きを止め、その隙にまた天子は逃げる。

 正面から全く戦おうとしない天子に、場内から野次やブーイングが飛び始めた。紫も冷たい声で吐き捨てる。

「ご立派な戦い方ね? 弾幕ごっこの耐久スペルのつもりかしら?」

 軍神は何も言わず、天子では無く八番をじっと見つめている。同じくそれぞれの表情で見守る教官達。その中で十蔵は特に無表情で試合を眺めていた。

「どうした? 教え子が心配ではないのか?」

 隣にいつの間にか椛が正座していた。十蔵は動じる様子も無い。

「あれに負ける戦いは仕込んでいませんよ」

「ほう? 時間切れでも狙うのか?」

「まあ、似た様なものです」

 十蔵も神奈子と同じく、八番の方の動きをじっと見つめている。

(そろそろかな?)

 

 八番は興奮していた。眼前の得物を押し倒し、食らいつく事しか考えていなかった。仲間達がそれぞれのスタイルで冷静さを持っていたのに、彼はどんどん熱くなるだけだった。やがて、口から荒い息が吐き出され始めた時。

「さーて、試合始める?」

 含み笑いをした天子が、今度は人差し指で挑発した。自分の状態に気付いていない程激高した八番は、大上段から掴みかかろうとする。天人の娘は逃げなかった。一瞬、その顔が背が少し伸びた様に高くなり、次の瞬間消えた。混乱して隙を見せた八番の下半身に、天子のタックルが決まる。更に、素早く股の間へ差し込まれた手が、鋭く太腿の裏を叩いた。

「!」

 八番の足が反応し、体勢が崩れる。追い打ちで胸に掌底、というより押しが突き刺さった。ひっくり返った相手の片足をすかさず掴む。ここに来てようやく、八番は自分が逆に追い込まれていた事に気付いた。逃げに徹して体力と判断力を消耗させ、実力差を逆用してその事実を隠す。自分の足を決めようとしている天人は、その戦略を僅か一週間で完成させたのだ。だが、彼も簡単に負けるわけにはいかない。自由な足で蹴り上げ、もがきながら振り解こうとする。

「観念しなさい!」

 叫んだ天子の足が、相手の股間を直撃した。反則すれすれのエグい攻撃に、観客は全員言葉を失った。椛は眉をひそめて十蔵を肘で小突く。

「あれもお前が教えたのか?」

「ここぞという時に躊躇無く使えと、ね」

「後で何を教えたかじっくり聞かせて貰うぞ」

 十蔵は何も答えなかった。彼が見つめる試合は、ほぼ勝敗が確定している。不意の金的で大ダメージを受けた八番は、天子が全力でかけた両脚逆エビ固めで畳まれそうな程曲げられている。数秒後、男の方が床を叩いた。

「そこまで!」

 審判が二人の間に割って入る。残心の体勢で相手から離れた天子。突然、場内に派手なゴングの音が響いた。いつの間にか実況席に復活した早苗が打ち鳴らしている。

「決まったぁぁぁ!! 第七班、完全勝利!! 私も奇跡の力で大復活‥‥」

 神奈子は無言で彼女からマイクをひったくった。

 

 第三班(八番欠席)と第七班は、身支度もそのままに教官室へと出頭していた。片付けを指示している十蔵と牙堂を除き、棗・椛・億が勢揃いしている。芝は後で酒でもおごれ、と言い残して、早々に引き上げて行った。

「はーい、これでもう遺恨は無しですよー? いいですね?」

 棗は嬉しそうに宣言した。第三班の男達(二人)は、先刻までの対戦相手に深々と頭を下げる。鶫と南天はばつが悪そうに顔を見合わせ、天子も少し慌てた。その様子を見た椛が珍しく優しい声で諭す。

「ならば礼で帰してやれ」

 三人娘は頷き、やはり急角度でお辞儀をする。棗が軽く手を叩いた。

「よく出来ました。みんなこれからはあんまり喧嘩しちゃ駄目ですよー」

 椛がいつもの調子に戻って命ずる。

「各員念のため医療室で検査の後、しっかり食べて風呂を使う事。早めに就寝する様に! 解散」

 訓練兵達が敬礼し、退出していく。無言でひたすら頷いていた億も、後から退出しようとする、

「待て、何処へ行く?」

「いえ、あっしは片付けの手伝いに‥‥」

「そうか。では賭博で得た金を全部出して貰おうか?」

 億は顎が外れる程口を開け、青ざめた。

「私の千里眼を甘く見るな!! どいつもこいつも浮かれ過ぎだ! 金を返せば軍法会議と再訓練フルコースは勘弁してやる」

「ま、参りました! でも金は残ってないんです!!」

「何?」

「その‥‥一人、大穴を当てたのが‥‥」

 

 眼鏡の十四番・向井新は受け取った大金をどうしようか、と悩んでいた。第七班勝利に賭けたのは彼だけだったのである。

 後日彼はこの金をある事で使うのだが、それはまた別の物語である。

 

 騒ぎが終わり、皆がそれぞれの部屋に戻った頃。

 第七班のトラブルメーカーは、既に寝台で眠りについていた。上からその様子を覗いた鶫は、呆れながら感心する。

「寝顔は可愛いのにねぇ。これで昼間は暴れん坊のお嬢様なんだから」

 南天は自分の寝台の端に腰かけて、新聞を読んでいる。

「でも、そういうヒロインもいいと思う」

「だねぇ‥‥ん?」

 寝返りを打った天子の方から何かが聞こえてくる。

 

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん

 

 目を固く閉じ、冷や汗を大量に流して震えながら娘はうわ言を言い続ける。夢を見ているのか、ストレスによって起こる睡眠時の特殊行動か。初めて見るこの天人の姿であった。

 鶫が部屋を駆け出し、医療室へ向かう。南天は、静かに天子の寝台に潜り込むと、彼女をしっかりと抱きしめた。彼女が何に苦しんでいるのか、それを知る術は無い。仲間としていつまでも共に居られるわけでもない。ただ、数少ない出来る事をやるだけだった。

 

 騒がしい日が過ぎて、訓練の日々が戻ってきた。だが、天子は問題こそ起こさないが、やや以前の元気を無くしていた。

(‥‥連絡は入れたいけど‥‥)

 元々不良天人。一度異変の首謀者になり、更に地上の者達と交流する様になった娘を、天空の家は疎んじていた。だが、やはり帰る場所はそこにしか無い。しばらく顔を見ていない衣玖の事も気になる。従者でも無く、若干ずぼらだが包容力豊かで物静かな知己。

 ホームシックなど似合わなくとも、以前の様な自由な身では無ければ自ずと変化が生じてくるのだろう。

 そんなある日。訓練後、天子は教官室に一人呼び出された。いつもの様に棗、その横に椛が立っている。

「十九番、出頭しました」

 天子は自然と出る様になった挨拶と敬礼をする。椛が休めを命じ、棗が微笑んだ。

「天子ちゃんは随分成長しましたねー」

 前だったらすぐに何事か口を開いていただろう。それも今は無い。盲目の教官は続ける。

「先刻、貴方に命令が下りました。上の方からです。本日を以て除隊を許可する、との事」

「えっ‥‥」

 突然の事に天子は頭が真っ白になった。椛が淡々と付け加える。

「天界からも使者が来た。スキマ妖怪が絡んでいたというのは本当だったのだな」

 何の言葉も出てこない。天子はただ立ち尽くしているだけだ。

「除隊はお前の自由意思に任せる、との事だが‥‥使者は今夜にもお前を連れて帰りたいと言っている」

「そ、そんな」

「君のお父上は、自らの私兵を率いて娘を取り戻すと怒り心頭らしい。‥‥家族に恵まれたな」

「お父様」

 天子の言葉を遮る様に、棗が“本気”の声を出す。

「訓練部隊第七班の十九番・比那名居天子。これよりすぐに身支度を整え、天界の使者と共に帰宅を命じます」

「い、今すぐに?!」

「従わないなら斬る!」

 棗の手元で、杖が微かに光った。同時に、鋭い痛みが天子の頬に走る。血。天人の身なら、余程の事が無い限り流れないもの。

 帰れば、また力が戻る。こんな生活とも、傷ともおさらば出来る。だが、それでいいのか。震える手で自分の血を見つめる彼女の肩に、歩み寄った椛が手を置く。

「さあ、行くぞ」

 監視役も兼ねて、椛は天子を外へ連れ出した。棗は俯きながら椅子へ腰を下ろす。

(あの子の顔が見えなくて良かった)

 

 医療室で傷に絆創膏を貼ると誰もいない第七班の部屋で、天子は元の天人の服に着替えた。そのまま誰にも会わない様に、非常階段から外へ出る。

「総領娘様!!」

 懐かしい声だった。永江衣玖は恭しく天子に礼をする。

「ずっと探していたのですよ。お父上も心を痛められて」

「そんな、何も‥‥」

「妖怪の賢者様がこの基地にいらっしゃるとお教え下さったのです」

 天子は合点がいった。紫は、訓練で天子を苦しめる事が難しいと知り、“選択”による苦しみを味わわせる事にしたのだ。だが、どうしようも無い。

「衣玖、私ちょっと事情があって、今は飛べないの」

「‥‥どういう事ですか?」

 竜宮の使いの視線が白狼に突き刺さる。腕組みをしながら、椛は答えた。

「我々は上の命令で彼女を鍛えただけだ。ここに来た時点で、彼女の力は著しく損なわれていた」

「その言葉に嘘偽り御座いませんね? もし相違うならば、比那名居家の天の軍勢とこの永江衣玖が助太刀して、この地を」

「白狼、引いては妖怪の山を脅すか!」

 険悪な空気が流れる中、天子は何も言えなかった。何を言っていいのか分からなかったのだ。衣玖や父が必死になってくれた事を聞いた時、素直に嬉しかった。が、今この土地には、かつて望んでも得られなったものがあった。

 その一つが、修羅場へとゆっくり近づいてきた。衣玖が油断無く羽衣に手をかける。

「おっと、俺は単に見送りに来ただけですよ」

 鷹揚な声で応じる新たな白狼。

「訓練部隊教官補佐・柘植早十蔵です」

「竜宮の使い、永江衣玖で御座います」

「教官!」

 訓練所で最初に敬意を抱いた相手に駆け寄ろうとして、天子は衣玖の自在に動く羽衣に絡め取られた。

「衣玖! 何するのよ!」

「‥‥申し訳ありません。万が一、お心を翻された時の措置です」

「空気を読むのが得意なら、気を利かせてよ!」

「読んだからこそです」

 十蔵は軽く息を吐き出すと、相手を諭した。

「いいか十九番、いや比那名居天子。今為すべき事は何だ?」

「それは‥‥」

「お前は本来ここにいるべき存在じゃないんだ。自分を待っている場所があるなら、そこへ帰るのが道理だろう」

「でも、異変まで起こしても手に入らなったものがある! 貴方だって!」

「おいおい、俺達は“もの”じゃない。まだそこを素直に言えない様じゃ、天人様のままだな。帰って頭を冷やせ」

「‥‥そんな」

「以前お前に逃げる戦い方を教えたが、今度は違う。正面から受け入れるんだ。今なら、それが出来る筈だ」

 天子は、もう何も答えなかった。

 

 数日後。相変わらず激しい訓練を繰り広げる兵達。乱戦では、一名欠員ながらも第七班がトップの成績を収めていた。他にも第三班、第五班らが急速に成長を遂げている。

 そこへ上空から、二人の女性が突っ込んできた。一人は黒いロングスカートにピンクのブラウス、美しい羽衣を宙に纏わせた優雅な女性。もう一人は宙に浮く石の上に立っていたが、そこから身を捻らせて飛び降りた。見事大地に降り立つと、帽子を投げ捨てて叫んだ。

「比那名居天子、参上! 白狼の戦士達よ、一手ご教授願いたい!」

 顔にはまだ棗の斬った傷が残っている。天人としての力は未だ返還されず、まだ回復していないのだろう。手には稽古用の竹刀。衣玖は嘆息しながら訂正する。

「それは道場破りの口上ですよ‥‥。皆様、申し訳ありません。総領娘様は‥‥」

 訓練兵達を掻き分けて、椛・棗・十蔵・牙堂・億が現れた。

「おやおや、また悪戯っ子が戻ってきた様だな」

「私は歓迎しますよー。お土産に桃ありますか‥‥椛ちゃん痛い痛―い」

「本当懲りないねお前は。休み明けは厳しいぞ?」

「ワシとの決着つけてからだ! この小娘が!」

「とまあ、多分何とかなるでしょうって塩梅にござんす」

 後ろで南天に肩車された鶫がはしぃいだ。

「帰ってきたよ! 天子ちゃんだ!!」

「でも大丈夫ですか? 教官達相手に防具も無しで‥‥」

 心配する友人を余所に、小柄な白狼は応援する。

「おーし天子ちゃーん! みんなぶっ飛ばせ!!」

 天子は竹刀を構えると、五人へ向けて突っ込んだ

「“言葉より、斬れば分かる”実に名言ね!!」

 

 ひとまず終わり

 

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