※この作品はR-18です。

椛との日々!!(本編終了)   作:量産機

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※時期は本編前です。


時にはこんな椛・血の慕情

 犬走椛は、哨戒部隊司令部の廊下を歩いていた。午前中、小隊指揮資格の試験を受けて、合格したばかりである。司令官に呼び出されて、新設される筈の第十六小隊を任されると思っていた。

 司令官の執務室のドアをノックする。

「入れ」

 低く、重厚な声が響いた。椛は扉を開け、敬礼する。

「犬走椛、出頭しました」

「うむ、楽にして良し」

「はっ」

 椛は休めの姿勢を取る。重ねてきた年月に相応しい風格の司令は、三本の傷跡が走る顔を綻ばせた。

「合格したそうだな?」

「司令と先輩方の薫陶の賜物です」

「人材育成も仕事の内だ。だが磨けば光る石はそう多くは無い」

「でも、どんな石でも上手に使いこなす方が最も輝くと思います」

 椛は穏やかな微笑みを浮かべていた。哨戒部隊第二小隊・第四分隊隊長、強豪ぞろいの白狼に咲いた花。と言っても向日葵畑の花妖怪の如く、咎持ちならぬ牙持ちだった。歴代隊員の内五人しか成し遂げていない訓練、“群狼抜き”をやってのけ、逮捕者&斬捨数も上位七位。そんな彼女が屈託無い笑顔を見せる数少ない相手が、司令官であった。

「少し残念な事を知らせなくてはならん。本来ならお前には第十六小隊を任せるつもりだった。だが鴉が妙な事をねじ込んできてな‥‥。訓練部隊を新設せよとの事だ」

「‥‥? 既に専任の訓練部隊は存在しておりますが」

「問題は内容だ。“同化”の術を知っているな?」

 椛は無言で頷いた。妖怪の山の天狗は、古来より何らかの理由で他種族が“必要”になった時、同化を用いて強引に自分達と同じ種族にする事があった。幻想郷が成立する前、山が戦乱に巻き込まれたりすると多くの死傷者が出た。また妖怪を蝕む奇病が流行ったりした時も頭数が減る。緊急時、他種族を連れてきて同化する事が行われていた。

 古より天狗が人を誘拐するとよく言われるが、それはこの行為の一端を人間側が記した物ではないかと考える者もいる。

「同化した志願者の訓練部隊を作るらしい」

「‥‥傭兵部隊とでも言うのですか!」

「さあな、だが大天狗様直々の発令だ。粗略に扱えば泣いてしまわれるかもな?」

 子供の様に笑う司令を、椛は困り顔で見つめた。自分の何倍もの戦歴を重ねてきたこの戦士は、恐れ知らずなのか口が減らない体質なのか、時々とんでもない事を言ってのける。

「鴉達の思惑はともかく、動くのはお前だ。新人をしごいた感覚は覚えているか?」

「はい。仔犬でも牛を倒す猛犬に仕込んで見せます」

「その意気だ。しかし、目下の所準備がまだ整っておらん。原隊に復帰させようとも思ったが、しばらく休んでいろ」

「はっ」

 

 司令部を辞した椛は、そのまま飛んで麓の町へと来た。妖怪の山の勢力圏内のここは、外部と山の数少ない繋がりでもある。人間や妖怪が行き交う通りを歩き、一件の茶屋へと入った。ドアを開けると聞き慣れたベルが鳴り、主人の挨拶が出迎える。椛はこの店の甘味が密かな好物であった。練乳パフェの中を注文し、出された水に口を付ける。

「マスター、私には宇治金時のパフェを」

 突然相席に割り込んできた者が、よく通る声で注文した。黒いボブカットの髪、奇怪な若さに溢れながら、何処か人を食った様な表情。

「初めまして。私は射命丸文、と申します」

「お名前は存じております‥‥“文々。新聞”の主筆でいらっしゃる鴉天狗の方ですね。私は哨戒部隊所属‥‥」

「犬走椛殿、年齢○×■歳、身長百六十七センチ、体重は‥‥これはやめておきましょう。哨戒部隊所属歴四十三年、第二小隊・第四分隊元隊長、逮捕者と斬捨数部隊で七位、叙勲は五回、女傑、ですね」

「ただの任務です」

 頬を微かに染めながら、椛は答えた。面と向かって経歴を披露され、照れ臭い。

「ご謙遜される割に、司令官は貴方を買っておいでの様ですねぇ?」

 含み笑いをしながら、鴉天狗の娘は運ばれてきた“大盛り”を一さじ掬う。

「私も、前々から貴方に興味を持っておりまして‥‥」

 緑と小豆と練乳のトリオに、目立たない色のルージュを引いた唇でキスをする。

「是非、こうやってお話をしてみたかったのです」

「それだけ、ではないのでしょう?」

「おや? どうしてそんな事を?」

 椛は自分の“普通”の量のパフェと相手のそれを見比べながら、様々な感情を表に出さに様にして答えた。

「失礼ながら、鴉天狗の方々にとって白狼は下等の存在の筈。‥‥お話だけで済むとは思えません」

「そんな警戒なさらなくてもいいですよ。貴方には、取材に付き合って頂きたいだけですから」

「取材?」

 文は懐から新聞を出した。椛の千里眼が反射的に小さな文字を追う。

(“妖怪の山勢力圏内にて、連続猟奇殺人事件発生、犯人未だ捕まらず”‥‥これは)

 相手の細い指から紙の束を受け取り、さも初めて見たかの様に読み始める。椛はこの事件を知っていた。人妖問わず、雌に分類される存在を凌辱し、惨殺して死体を晒していく。

 単なる嗜好で犯罪行為を行っている輩で、妖怪の山と言えど許されざる犯罪である。椛としては女性型の妖怪側からの怒りもある。だが、ある問題が立ち塞がっていた。白狼の手が新聞を机に置く。

「申し訳ないが、私は哨戒部隊に所属する身です。一つの犯罪を専門に追うのは警務隊の仕事ですよ」

「ほう、でしたら‥‥容疑者が鴉天狗だとしたら?」

 

 妖怪の山に限らず、幻想郷という世界には殆ど公的な治安組織が存在しない。各勢力はそれぞれの周辺で起こった事件は、自分達の手で裁くのが常識となっていた。

 しかし、妖怪の山は少し事情が違う。かつてこの場所には“鬼”が君臨し、彼らはただ頂点に居座るだけでなく、きちんと調停者としての役割も果たしていたのである。特に四天王の裁きは酒に酔っていても正大であり、当時のある天狗の暴を下級妖怪の訴えから調査し、即座に処断したのは稗田家の書にも記される程であった。が、鬼が山を捨てて以降、強大な公権力を失った場所は混乱した。当初鬼に次いで頂点に立ったのは、天魔以下鴉天狗族である。が、天魔は不在がちである上に指導者として働く気を(表面上は)見せなかった。事実上の№2である大天狗は、大量の仕事を日々処理する事に追われて、リーダーシップを発揮するどころでは無かった。結果、何か事件が発生したら、山内それぞれの種族なり町なりで解決する流れになったが、ここに大きな問題が生じた。

 鴉天狗が仮に白狼天狗の領域で犯罪行為を起こしたとする。この場合、犯人を逮捕し裁判にかける事が出来るのは鴉天狗のみである。元々強大な上に、鬼の眷属に近い扱いを受けていた鴉天狗達の中には、身分の治外法権を悪用して他者のテリトリーで好き勝手やる者も出てきた。大天狗はこれを取り締まろうにも、統治会議の議員の中に犯罪を公言する者まで出る始末で、打つ手がなかった。

 博麗の巫女とその仲間達に調停者を頼む案もあったが、莫大な報酬と利権をふっかけられる恐れがあった。後に新たな権威となる守矢神社が山頂に強制転移してくるなど、この時はまだ誰も予想していない。

 

「それが本当なら、白狼の警務隊では手が出せない‥‥無論哨戒部隊が仮に発見しても無理。‥‥やはり私には関係の無い事ですね」

「とんでもない。貴方にも出来る事はある。私に協力してくれれば、少なくとも真相に迫る事が出来ます」

「貴方には、新聞のネタでしか無いのではありませんか?」

「手厳しいですねぇ。でも、野放しよりはマシだと思いません?」

 椛は折角のパフェを食べる気も失せ、考え込んでいた。

「休暇中の者に頼むのはなぜです?」

「私が貴方を買っているからです。司令官殿と同じですよ」

 胡散臭い微笑みの鴉天狗を、椛は疑わしげに見つめた。

「貴方、何故私の個人情報をそんなに知っているのですか?」

「私には“作戦”があります。そしてそれには貴方という人材が不可欠だと調査の上分かりました。その上私は貴方に興味が出てきたのですよ。屈強な白狼の中の女戦士にね」

「興味本位なら猶更協力するわけには参りません」

 眼前のアイスが溶けてしまったパフェを、品性を無視して掻き込む。微笑みの裏に何を隠しているのかよく分からない相手の前から、さっあと消えたかった。それには、まず甘味を作ってくれた店主の労力に応えねばいけない。

 そんな椛の器へ、文は自分のスプーンを突っ込んだ。一口拝借、とばかりに自らの口へ運ぶ。

「甘い‥‥。真っ直ぐな甘さ。でも周囲はそうでしょうか?」

「何を仰りたいのです」

「この事件、白狼天狗も関わっていると言ったら? それも‥‥哨戒部隊の中に」

 椛の身体が一瞬激しく痙攣し、瞬間、卓上のフォークが文の眼前に突き出されていた。

「如何に鴉天狗と言えども、今の発言は許せません」

「ほほぉ? この私が幾年月を重ねた風魔外道と知っての所業ですか?」

 文の口元が、冷ややかに歪んだ。

「それにあまり賢い行動ではありませんね? 力の差を抜きにしても、この店で天狗が争えば色々な意味でただでは済みません」

 椛のフォークが揺れた。怒りで身体を震わせながらも、腰を落ち着ける。鴉天狗の記者は何事も無い様に、自分のパフェを口に運んだ。

「おいしぃ♪ ここは寛いで話し合う場所、殴り合い程度なら酒場が相場ですが、せめてスペルカードを使う位にとどめておきましょうよ」

「確かに私は未熟ですね。哨戒部隊を面と向かって愚弄する者には、剣の方がふさわしい」

「おお怖い怖い。何も貴方を挑発するつもりではありませんのに。信頼出来る筋からの情報ですよ」

 椛は無言で水を口にした。

「貴方の眼でそれを確認して頂いて何も無ければ、私も“真実”を報道するだけで済みます。もし、不都合な事があったとしても‥‥」

 文は言葉を切った。鴉天狗の真意は相変わらず不明だが、真実の価値より内容に重きを置いているのかも知れない。しかし椛は面白くない上に、やるべき事を思い出した。

「司令官にこの件を上申しなくては‥‥」

「私には証拠も、ましてや証言する義務も御座いません」

 文の眼が細くなった。

「私の忍耐にも限度がありますよ、貴方には“はいかYES”しか返答は無い。これ以上時間を無駄にするのなら、哨戒部隊のスキャンダルだと断定して事前報道します。要は黙って私に協力してくれればいいのです」

 椛は拳と強く握りしめた」、短く切りそろえた爪が皮膚を破り、血が袴を染める。

「‥‥卑怯者」

「鴉は頭がよろしいのですよ。例えゴミだろうと的確な部分のみを漁り、そうやって生きている。ただしこれは約束しましょう」

 文は突然身を乗り出して、椛の手を掴み出した。白狼が全く反応できない速度だった。

「事件の犯人を許しはしません。それだけは誓います」

「その言葉、山に暮らす妖怪としてゆめゆめお忘れなきように」

 答えず、文は手早く椛の両手のひらに噛み裂いたハンカチを巻き付けた。

 

 怪訝な視線に見送られつつ、店を出た二人はすぐに行動を開始した。椛は近くの古着屋で、エンジ色の和服に着替えさせられる。

「似合ってますね? お胸が大きすぎる様ですが」

 椛はうっかりすると浮き出てしまいそうな身体の線を気にしていた。

「わ、私になんでこんな服を?」

「全ては作戦です。さあ。私に掴まって」

 文は椛を抱きかかえると、背中に大きな黒い翼を出現させた。彼女が鴉天狗たる所以、力の象徴。そのまま上空へ急上昇し、二人は街から消えた。周囲の人々は、椛の艶やかさにも文のミニスカートの裾が翻るのにも気付かず、何が起こったのかと驚くばかりだった。

 そのまま猛スピードで文は飛行を続けた。ほんの数秒だったが、椛にとっては数分に思える。地上から煙が見えたと思ったら、鴉天狗は急降下し、着陸した。そのまま椛を抱えて近くの茂みに入る。

「ここは‥‥温泉宿、ですか」

 幻想郷に温泉そのものは意外と多いが、その殆どは土地の主によって厳重に管理されている。一般に解放されている物は更に少なく、入浴料などの相場も決して安くは無い。後に地霊殿異変で霊夢達が無料の温泉に血眼になったのも、単に湯治に向かっただけではなく、様々な腹積もりがあったのかも知れない。

 椛にとっては未来の出来事などどうでもよく、眼前の建物を素早く索敵する。

(結界が張られている‥‥侵入者対策か。窓に人影が見えないのは、光だけを通すからくり仕掛けか? 砲眼の類などは‥‥ん?)

 首に違和感を感じ、白狼の娘は思わず手でまさぐる。金属と皮の感触が伝わり、青ざめた顔で文を見た。相手の手には、鎖が握られている。

「段取りは理解出来ましたね?」

「いきなり何をする! そして何を言う!!」

「遮音の術を使っておいて正解でした‥‥。貴方はここに売られる奴隷、私は悪人」

「分かりやすいけど理不尽ですね!?」

「貴方の仕事は一つ‥‥。中にいる“鴉天狗”の顔を覚えて下さい」

 椛は唾を飲み込んだ。そして気管に入り、ひどくむせた。

「今なんて言いました?」

「ですから、鴉天狗が中に一人いるんですよ。でもそいつの顔が分からなくて」

「白狼でしょう? 後顔が分からないってどういう事ですか! これは悪い冗談ですよね?!」

「ところが本気なのです」

 鎖が引っ張られ、椛は文の足元に倒れ込んだ。体格などまるで無視した強烈なパワーである。

「そいつと私は取引相手として知己となりましたが、いつも仮面を着けていて顔が分かりません。上手く仮面を剥がして下さいね♪」

「‥‥お前、絶対に斬る! 絶対にだ!!」

「楽しみにしていましょう。でも今は大人しくして下さい。事が成就するまで殺されてしまってはどうにもなりませんよ?」

 

 鎖を首に付けた椛を引っ張り、文は温泉宿の入口をくぐった。その場所の防御結界がカーテンの様に開かれるのを椛は感じたが、今はどうにも出来ない。

 意外にも中は、温泉旅館と中流ホテルを折衷した様な小奇麗な作りだった。玄関で何処からか飛び出してきた従業員が、赤いが安そうなカーペゥトにスリッパを置く。

「若旦那様に、射命丸が土産を持ってきたと伝えて下さい」

 慇懃に返事をした店員が奥へ姿を消す。下駄を脱いだ文は椛を連れ、どんどん通路を進んでいく。

「慣れていますね?」

「ええ、常連ですから」

 椛は何度か鎖を引っ張り返したが、びくともしない。

「聞き捨てなりませんね?」

「おっと、そこから先はご自分で確かめてくださいな‥‥」

 文の笑いは狡猾で自分本位、まさしく鴉天狗そのものだった。通路の先、“ゲームコーナー”と書かれた部屋の扉を開くと、人の世ではあまり聞けなくなった古い電子音が響き、手入れのされていない卓球台などが置かれている。

「誰だい、今最高得点更新中なんだが」

 ゲーム機の群の陰から声がした。変声機でも通した様な、くぐもった声である。文は憮然とした椛を引っ張った。そして、何故か一度鎖の手を緩める。

「‥‥どういうつもりだ」

「この鎖は‥‥私達でも切りにくいのですよ?」

 小声で文は告げ、何事か考え込む椛を引き寄せる。ゲーム機の陰から出てきた者は、顔を様々な動物の皮から作り出した面で固めていた。無味乾燥の表面に、無造作に張り合わされた汚さが目立つ。目の部分の穴には、建物の窓と同じ様な中からのみ見える加工でも施してあるのか、黒い空洞があるだけだった。

「おおう、射命丸殿。お元気そうで何よりだ」

「若旦那様もご機嫌麗しく」

 スカートの片端を持ち上げ、やや似合わないお辞儀をする文。仮面は鎖で繋がれた椛を見て、歪んだ笑い声を上げた。

「いつも土産を忘れぬその姿勢は称賛に値するぞ」

「私も今度の新聞コンクールの特集記事、若旦那様に協力して貰えなければとても筆が進みませんでした‥‥感謝しております」

 椛は黙っていたが、“若旦那”がここで何をしてきたのか悟った。

(鴉め‥‥女をここへ誘拐し‥‥弄んでいるのか。しかし、猟奇事件の犯人であるかは不明‥‥射命丸も恐らくまだ何かを隠している。私はどうすればいい?)

 文が仮面に鎖を渡した。顔の分からない天狗は椛を引き寄せる。

「上玉だな。楽しめそうだ」

 椛は咄嗟に、頑なだったその表情を変えた。抵抗せず、ゆっくりと仮面の天狗へと近付いていく。纏っている着物の帯を解き、床に落とした。西洋風の下着ではなく、赤襦袢がその身体を守っている。更に天狗の近くへと寄り、自分の豊かな胸を強調する様に一撫でし、襦袢の袂をくつろげた。仮面の奥の視線が釘付けになる。

 次の瞬間、椛の手が素早く鎖を掴み、仮面の首に巻き付けていた。背後に回り込み、首を締め上げる。仮面の天狗は文の速度も反応も、更に力も持ち合わせていなかった。

「がふっ、貴様!!」

「私の艶姿を見た報酬は高いぞ!」

 椛がこの時恐れていたのは、文のみだった。彼女が仮面の安否を気遣い、動かなければ道は開ける。が、冷静に動けば速攻で椛を叩き伏せるだろう。

 その答えはひどく簡単だった。近付くと、容赦なく仮面を剥ぎ取ったのである。そして愛用のカメラを取り出した。

「結構簡単でしたねぇ? はい、チーズ♪」

「お、お前も突然何をする!!」

「ネタを撮るには、どんな相手の懐にも飛び込みますよ」

 シャッターが切られた。首を締め上げられる仮面の下にあった顔が、カメラの中にその複写体を作られていく。

「ふむ、見出しは“議員の子息、その隠された素顔!!”がいいですかねぇ」

「俺の事を記事にしたところで何も起こらぬ。せいぜいこの首を絞めている雌犬が‥‥」

 椛が少し緩めていた力を一気に強くした。更に背中に膝を何発も叩き込む。

「犬に蹴られるなどなかなか出来る体験ではないな? 人妖身売買は鴉といえども重罪だ」

 首を極められた上、背後からの連続蹴りに喚きながら、鴉天狗の青年は無理に嘲笑する。

「白狼如きが俺を逮捕して裁判にかけられるものか」

「裁判になどかけるか」

「そうそう、素直に‥‥」

「必要な情報を引き出した上で斬る。遺体は鳥葬にしてやろうか? それとも真っ暗妖怪の小娘にくれてやろうか」

 若旦那は絶句した。背後の白狼は、妖怪の格の違いも報復も恐れていない。その姿を見物していた文は、にやりと笑った。

「いいですねぇ、その前に‥‥」

 文の空いた左手が淡い光を帯びると、風を切る音と共に男の顔に食い込んだ。鎖から逃れようと暴れていた身体から力が抜ける。

「風の力の応用ってとこです。この人の脳に強い振動を与えて気絶させました」

「‥‥それは‥‥一歩間違えば‥‥」

「いいんです、どうせ天狗なんて出鱈目な“存在”ですから」

「自虐のつもりか? それもたばかりに聞こえるな」

「おお怖い怖い、今はそんな事より、こいつを縛り上げておきましょう」

 文は椛の首輪を外し、男の首にはめた上、鎖で後ろ手に縛り上げた。軽々と気絶したままの身体を担ぐと、古ぼけた色の一台のゲーム機に近付いた。

「ワンプレイしますか?」

「この期に及んで私に何かさせたいのか?」

「もうー、ムッツリさんなんだから。ワンコイン、つまり小銭一つあればこの機械は動きますよ」

 顔を紅くして黙りこむ椛。文は含み笑いをする、

「実はこのゲームコーナー。昔、鬼が作ったんですよ」

 電子音に紛れて、人の呻き声、何かしらの生物の奇怪な叫び、銃撃音、カリカリと何かを削る様な音が聞こえる。

「鬼達は香霖堂等から手に入れた部品や書物、幻想入りした人や妖怪の情報などから、これらを簡単に作りあげてしまったのですよ。少しでも戦闘衝動を低く出来ないか、なんて考えたのか、それともただの暇潰しか。ここを初めて見た時、改めて鬼はとんでもない存在だと認識させられました‥‥でも」

 文は刀印を切って低く呪文を唱えると、ゲーム機が“GAMEOVER”と答え、宙へ浮いた。後ろへ退いたわけでも変形したわけでもなく、垂直に宙に浮いた。椛は帯を襷掛けに締め直し、襦袢をからげながら、怪訝な表情で機械と、その下に現れた階段を見た。

「この先にあるものが‥‥一つの答えでした」

「鬼の答え?」

「ええ。この若旦那は、この先にある“物”も含めて再利用していただけです」

「その前に一つ答えて頂きたい。貴女はここを知るために、何をその男に捧げました?」

 今度は椛が印を切り、いつでも弾幕を撃てる姿勢を取る。文は何とも言えない、微妙な顔の歪みを見せた。

「金色のお菓子、合成の猥褻写真、後は‥‥わ・た・し」

 歪みが強かな笑みへと変わり、軽々と男の身体を抱えたまま、文は階段を下りていく。

 答えに納得せすとも、その後に続いた椛の鼻が、仕事柄よく覚えている臭いを感じた。

 濃い、鉄分。妖怪も色や部署は様々だが、多くの者が宿している体内の液体。

 血。

 椛は精神を集中し、嗅覚を一時的に落とした。壁にも床にも、下る石の階段にも染みついている物。未熟な白狼なら簡単に理性を失い、ただの人狼へと退化してしまいそうな量。

 その匂いを外部へ一切漏らさないのも、鬼の技なのだろうか。鬼はその気になれば外界など簡単に征服してしまえる存在なのに、仏法等の戒めに下ったり、自ら衰退する道を選んだ。自分達がある物に勝てない事を知っていたから。“血の無い時間”という恐ろしい物に。それに抗おうとする者達が、こんな場所を作ったのかも知れない。

「おや、どなた様ですかな?」

 穏やかで年輪を感じさせる声が壁から聞こえた。椛は相手を見て仰天する。壁に“叩きつけられて”潰れた身体、の中央に顔が、まるで忘れられたかの様に綺麗なまま残っている。

「礼も出来ないまま申し訳御座いません。私はここの受付係です。おや、射命丸さんでは御座いませんか」

「どうも、お元気そうですね?」

「それが困るのですよ。ピンピンしてても楽しみはそう無くて。何しろ顔しか動けないのですから」

「うーん、舌は試してみましたか?」

「残念ながら再生してしまいます‥‥誰か強い法力の力でも当ててくれればいいのですが‥‥おや、その肩に担いでいらっしゃるのは?」

「また今度、失礼しまーす」

 壁男との会話を打ち切り、文は階段をさっと滑空して飛び降りた。椛は、壁で時々蠢く肉片や血管を見つめ、何かが自分の中で壊れそうになるのを堪えた。

「貴方は初めていらっしゃるお方ですね? お客様? それとも?」

「‥‥それとも、何です?」

「お奴隷? だとしたらお気の毒ですね。私の様な備品はともかく、殆どが泣き声化強がり、やがて苦悶と絶叫、静かになったと思ったら笑いやら何やらでにぎやかだけど、やがて静かになります‥‥。皆様どうなされたのか、この状態では見えませんので」

「どうしてこんな姿に」

「ご主人様のお酒をうっかり落としてしまったのですよ。ワインとかいうのは扱いが面倒なのですなぁ。で、私も壁に“落とされた”のです。何やら強い身体にされまして。あ、でも心配はいりませんよ。幸い私は想像力豊かな男でして。自分の頭の中に三つの世界を」

「貴方を解放します」

「んん? 貴方様はよく見ると白狼天狗ですね? その法力ではいささか心ともない。痛いだけなら先刻の通り、舌でも食しますがそれでも死なないのですよ」

「蓬莱人でもないならきっと方法はあります。待っていて」

「‥‥安請け合いをすると色々ご自分が傷付きますよ」

「傷なら慣れてますよ」

 階段を下っていく椛を視線で出来るだけ追い、壁男は苦笑した。

「そのお気持だけで十分ですよ。数年ぶりの温かいお言葉、でね」

 

 白狼の脚が最下層を踏んだ。地下室は広く、天井も高い。照明は明るくも無く暗くも無い微妙な色加減だが、それは部屋を設計した者の意図だったろう。殺風景に構成されている石そのまま、壁に鎖や縄などの拘束具が取り付けられている。そこには既に骨となった躯、腐りかけながらまだ蠢いている者、人型では無いが生きながら傷を晒してている者らが繋がれている。その前で死体を鞭打ちながら、股間を黒く濡らしている者、無表情に針で傷口を抉る者、肉塊となるまで“何か”を蹴り続けて、それを熱心にスケッチしている者。

 そして部屋の中央では、人一人寝ても尚余裕がある程の大理石の台が設置されていた。

 その周囲を人型あるいはそれに近い妖怪達が囲んでいる。天狗も、二人いた。椛・文・若造らを除いて。

 台の上では、妖怪達が手に焼きゴテや錐、メスなどで、拘束された白狼天狗の娘をいたぶる。毛が焼け、皮を抉りながら巻き取り、その下の肉が切り裂かれる。

「身体の各部を切り、流れる血を舐めとり、興奮してきたら暴力を加えながら犯し、趣向を変えて嬲るんですよ‥‥て椛さん?」

 連れてきた白狼の姿が見えない事に、文はごく微かな呆れ顔をする。肩の上で呻いた男へ、力の入ったデコピンを食らわし黙らせる。

 涙と涎を流しながら、もう感情が死んだ様に表情を見せない台の娘。妖怪達は口々に呟く。

「つまんねぇな、もう壊れたか?」

「お前が激しすぎるんだよ、発情ばかりしやがって」

「てめぇはあちこち噛み付きすぎだ」

 天狗が宥める様に皆を制した。

「そろそろ、若旦那に渡しましょう。我々は牢からまた新しいのを連れてくればいい」

 その天狗は、白狼。椛でも責め苦を受けている娘でも無い。文は、嘘を言っていなかった。彼の背後から、微かな声がした。

「私も参加させてくれ」

「新しい仲間ですか?」

「そうとも言えるな」

 突然、白狼の胸から刃が飛び出した。脇差を背後から突き刺された、と皆が気付いた頃、殺戮は始まっていた。椛は誰もが凌辱と拷問に夢中になっている間、拷問用の道具から使えそうな物を探し出していた。そこに、試し斬り用と思われる刀剣類もあった。

 引き抜いた脇差でもう一人の脾腹を抉り、引き抜いて奥の者の顔面へ投げ刺す。そして腰に差した太刀を抜いた。普段用いる剛剣より細身だったが、椛好みの頑丈な拵えの刀だった。袈裟がけで一人を斬り捨て、背後から迫る敵を素早く逆手に刺し、更に近づいた敵の喉首に刃を当て引いた。

 最後の一人の頭蓋を鞘の鉄コジリで叩き割り、椛はようやく殺戮行為を止めた。彼女自身も、明らかに血に酔っていた。ただ、獲物が違うだけだった。

「椛さん? 気は済みましたか」

「まだ」

 彼女は文に異様に低い声で答えた。数分後、“若旦那”が台の上に固定されていた。文は珍しく神妙な顔をしている。

「これから貴方がしようとしている事は、多分災いを招きますよ? いいのですか?」

「キル」

「この方は殺そうにも貴女じゃ無理です」

「だから切る」

 椛は鈍く光る眼で、“若旦那”を見つめた。その手にメスが握られている。

「命を奪えばもう戻れませんよ‥‥。そう、傷跡位にしておきなさい。白狼に傷付けられた、なんて他人には言えませんから‥‥」

 文の言葉には何か危険な香りが含まれていたが、血に狂いかけている椛の耳はそれを判断出来なかった。

 地面に毛髪の付いた皮とメスが落ちた。金切声と血をまき散らして台の上で暴れる男を見つめながら、椛は歯をむき出して笑う。

「おやおや、貴女は“暴力”を目覚めさせましたか‥‥やはり、鬼の施設は凄いですねぇ」

 文の声が耳元で響き、頭を撫でる手の感触。椛は次の瞬間、振動波が炸裂し、椛は気を失った。

「それでは、私の目覚めを確認すると致しましょうか」

 

 鼻を押さえても尚薄れない程の異臭に、椛は胸まで浸かっていた。

 地獄には血の池があり、死後裁かれた罪人たちはそこで己の罪の重さで沈んでいくという。閻魔が妖怪を裁くのかは誰も知らない。だが、妖怪は誰もが血の味を知っている。

 人が何かの命を食らって生にしがみつく様に、妖怪は妖怪であるが故に血に塗れる。椛の舌も血の味を知っている。しかし鉄の液体は、万物をどうしようもなく穢す。

 誰もが、穢れの雨の中でやがては溺れ行く、椛は自分がその中へ涼んでいくのを感じていた時。

 その血を、洗い流す様な冷たい水が押し流した。

 夢の世界から引き戻された椛は、眼前に手桶を持って仁王立ちしている見紛う事無き姿を確認した。自分が首輪、手枷足枷、鎖で壁に拘束されている事も。一糸まとわぬ姿である事も。股が大きく開かれ、銀色の草むらが覆う恥丘も自然と開いてしまっており、少しだけ恥ずかしさを覚えた。

「目が覚めましたか、椛ちゃん」

 手桶を投げ捨て、ベルトの後ろに差していた物を射命丸文は引き抜いた。

「どうです? あの狐が考案したとデマをまいても、何人かは信じるんじゃないですか?」

 九本の枝分かれした身を持つ、バラ鞭。軽く振っただけでも威圧的な音がする。

「椛、先刻貴方は多くの人妖を殺しました‥‥。あそこに籠もった血の匂いに狂って、ね。そして自分が久しく忘れていたものを思い出した筈です。だから殺した」

「奴らの非道は斬るに相応しいものだったろう!」

「あらー? 妖怪に非道も詭道も無いでしょう? お天道様の正道を外れて生きるのがそもそも当たり前なのに、何故かこの妖怪の山では人間じみた秩序が形成されてる。おかしいとは思いません?」

「鬼が支配を形成するにはそうする必要があっただけの事、人間の真似などで無い」

「忠犬とはよく言ったものですね」

 鞭が横に振られ、椛の頬が鳴った。バラ鞭はその形状から威力が拡散するため、初級者向きと言われるが、それでも危険な叩き方である。

「格下の“犬”である事を認めれば、責任を取る必要も無い」

 今度は逆方向から鞭が飛んだ。椛は引っ掛かれた様な跡を顔に残しながら、涙一つ浮かべず鴉天狗を睨み返す。

「強い者の支配を認めれば、自分が殺人を犯しても罪にはならない。それは秩序に相反するのでは?」

「あの非道を目にして何もしないのも言い訳の一つだろう! それが秩序へのおもねりだというなら‥‥」

 今度は鋭い一撃が、上段から顔面を掠めた。それでも椛の眼光は衰えない。文は鴉というより猛禽の鋭い眼光を放ちながら、舌なめずりした。

「見込んだ通りです、犬走椛」

「血迷ったか、射命丸文。出会って間もない貴様に、私の何を!」

 下駄を履いていない文の足裏が、椛の顔面に押し付けられる。汗の臭いと僅かな汚れが、顔にゆっくりと擦り付けられた。

「あの鬼の遊び場を見つけた時、一人じゃ寂しいと思ったんですよ、私」

 椛は、相手がスカートを少しまくり、その奥、何も着けていない秘所を見せつけている事に気付いた。

「誰かと一緒に楽しみたい。でもあそこに巣食うガキンチョじゃ面白くないんですよ。好みのタイプじゃない。そんな時、貴方の昇進のニュースを聞きました」

 文の足はゆっくりと相手の顔を撫で回す。

「ブン屋は時に勘を頼りとします。貴方は血に狂い、それでいながらまだ理性の欠片を残している‥‥いいですよ。私と一緒に」

 顔から下げられた爪先が、鎖骨を器用に撫でた。

「遊んでくれるペットとして十分です」

「白狼の誇りを甘く見るな。壁の男と違い、私はいつだって‥‥」

「おっと、それはいけませんねぇ?」

 文が指差した先に、椛も見覚えのある姿が素裸で転がっていた。鴉天狗は嫌味っぽく笑い、指を鳴らす仕草をする。

「あの娘は生きてます。救命処置は施してありますけど、私ならこの指を鳴らすだけで、ポンっと‥‥それとも、目の前で指を折ってさしあげましょうか? 歯を砕いても?」

 椛は、血相を変えて歯を剥き出したが、何も言わなかった。僅かに尖った犬歯がきしむ。

 その耳元に、文が形の良い唇を近付け何事か囁いた。白狼は視線を落とし、小さく呟いた。

「して、下さい」

 鴉天狗は椛の獣耳に噛み付いた。苦悶に顔を歪ませながら、白狼は声を上げた。

「私を、可愛がって、下さい! ご主人様ぁ!!」

 

 狂気は伝染し、より新たな形となって万物を苛む。自然ですら時に狂っているのではないか、古代より人が敬い恐れるはざまに妖怪が生まれた。その彼女らですらも、また心狂わす事があるのだろうか。

 射命丸文がその長い生でどう育ち、どう生きてきたのかはよく分からない。彼女自身もよく覚えていないのかも知れない。新聞作りにしか興味が無い体を装っているが、その内側を見通し理解出来るのは、彼女より上位の妖怪でもなかなか難しいだろう。彼女が鬼の作り出した毒気に当てられて、何を考え、何を求めたのかは定かではない。ただ、彼女は今、日毎に格下の白狼天狗の娘を俗っぽく、しかし心身に苦痛を伴うやり方で弄んでいた。

 全裸の椛に首輪を着け、丁度立ち上がれない程の長さの鎖を地面に打ち込み、拘束する。

 白狼天狗にとって、犬は別に蔑視するものでもタブーでも無い。ただ、自らを構成する要素の一部である“狼”を愚弄し否定する意味で犬呼ばわりすれば、気分を害する。過去に鬼や鴉天狗の性質の悪い者達は、その事を知りつつ白狼を犬扱いした。椛自身にも経験がある。

「さて、ワンちゃんにはまず予防接種をしませんとね」

 文の片手に注射器が現れた。椛が顔を引きつらせるのを、彼女は見逃さなかった。

「注射はお嫌いですかぁ?」

「まともで好きな奴等いるか!」

「あらそうですか、ぷ・す・り」

 意地悪な擬音が子供っぽく紡がれ、椛の腕に針が突き刺さった。百戦を潜り抜けて来た彼女が、別人の様に顔を崩し、涙目になる。

「すぐに楽しくなりますよ‥‥。ほうら、もうこんなにお顔が真っ赤」

 普段の強気な彼女を知る者が見たら度肝を抜く様な光景だった。元々注射嫌いで怯んだところへ、訳の分からない薬を打たれ、その効果はすぐに現れてきたのだ。釣気味の眼が下がり、口元が震えだす。

「大陸の覇者達に伝えられた伝説の“後宮”お薬、の模造品ですけど、効果は充分ですよ。普通は口移しで与えるのですがねぇ」

 敢えて背徳の臭いがする投与を選んだら、たまたま椛が注射嫌いだったのである。薬が高速で作用し始めた椛は、全身を汗ばませ、息を荒くし始めた。舌をだらしなくさらけ出し、四つん這いから崩れて床に横たわる。文はその髪を荒々しく掴むと、強引に唇を押し付けた。キスというより、捕食にも見える行為を数分間続け、鴉天狗は唾を飛ばしながら哄笑した。

「強気な女戦士も、所詮はクスリ一つでワンちゃんに早変わりですか! いいですね、気に入った相手を堕としていく楽しさ‥‥」

 横たわった身体を強引に引っくり返し、上を向いた二つの乳房を握りしめる。甲高い叫びを上げ、椛の身体が跳ね上がる。文は片手を離し、赤い舌を固く立ち上った乳首に這わせ、唾液を溢れさせながら吸った。意味不明の声で椛は喚く。鴉天狗の口は胸を吸い終え最後に一噛みすると、次は相手の下へ下へ肉を啄む様に吸い付いていく。椛の半身がキスマークだらけになった頃、文の唇の形をした嘴は、容赦無く椛の股へと叩き込まれる。絶頂が嵐の様に押し寄せ、ひたすら電流を流し続けられた様な感覚を味わい続けていた椛は、白目を剥きながら咆哮していた。やがて文は椛から一旦身体を放す。何を思ったか静かに立ち上がり、部屋を後にする。外部からの刺激が止んだ椛は、荒い息をし、虚ろな目で動く力も無い。混濁の中、僅かに正常さを戻し始めた意識が、衣服を脱ぎ捨て水差しを持った文を確認する。その股間に、女なら本来有り得ない筈の“モノ”も。

 鴉天狗はしゃがみこむと、水差しの中身を口に含んだ。身体の火照りが少しずつ引き始めた椛に、口移しで飲ませる。ただの水だった。

「お花に水をあげましょう~♪ 花畑の妖怪さんが仰ってました‥‥枯らしては勿体ないものが多すぎる。もうそろそろ薬の効果も薄れてくる頃です」

 そう言って、股間にぶら下がる物体をしごき始める。それは文の肉であると主張するかの様に、剥きあがった凶暴な赤い先端だった。椛はただぼんやりと、意味も分からずその光景を眺めている。

「妖怪の肉体と技は便利な物ですね。その気になれば性別だって変えられますけど、私はこの女体のまま‥‥」

 椛は、文がまた自分の身体を引っくり返し、強引に腰を持ち上げるのを感じていた。そそり立ち、分泌液を垂らす怒張がぐちゃぐちゃに濡れた陰唇にあてがわれる。

「貴方を犯したい」

 乱暴に突き込まれた異物で、椛は一気に意識を引き戻された。今自分が何をされているのか、何故女同士でこんな事になっているのか、相手の力は強く自分を捉えて離さず、その心は混乱した。文はお構いなしで、引きつった笑みを浮かべながら腰を尻に叩きつける。

「これが、あの方達の探していたもの‥‥? 私は、私は‥‥」

 線の細い身体同士が、強烈な打音を立ててまぐわう。椛は涙に顔を濡らしながら、歯を食いしばっている。一方、文は突けば突く程、苦悶の色が顔に現れ始めた。歪んだ性交が辛いわけでは無く、込み上げてくる射出の迸りを感じていた。

 椛の綺麗な尻の肉は千切れそうな程掴まれ、文は自分を膣に解き放つ。注ぎ込まれた液体は、精子ではなかった。偽りの陰茎は、愛液を噴出するあけのイミテーションに過ぎなかったのである。

 欲望を吐き出した鴉天狗は、相手の腰から肉棒を抜き取った。役目を終えたそれを、無造作に掴み、引きちぎる。激痛が走るのをものともせず、虚ろな笑いを浮かべた鴉天狗は背中を向けている椛を見つめた。振り返った彼女の口元が、真っ赤に染まっていたのもはっきり見た。彼女が唇を食いちぎり、一時的に意識を回復させたと知る前に、その喉笛に牙が食い込む。皮膚と肉が裂かれ、血管や骨まで砕こうとする。

 獲物が動かなくなったのを確認し、椛は血の海から離れた。鎖をどうにかしないと逃げる事は出来ない。彼女は、まず眠る事にした。心を整理する余裕も無く、ただ地べたに寝転がった。

 

 おぼろげな苦しさを伴う、だが何なのか理解出来ない苦しみを感じて、椛は目覚めた。

 見覚えのある天井、使い慣れた布団。気だるさを感じながら、椛は上体を起こそうとする。全裸で寝かされていた。そして、体中に包帯が巻かれ、乳房や尻に膏薬が貼り付けてある。下唇はセリー状の物体で固められていた。今いるのは、白狼天狗のエリアにある椛の自宅だった。誰が彼女を救い、運び、傷を手当てして寝かせたのか。それより重くのしかかる事があった。

(現実、か)

 椛は、自分の手を切なげに見つめた。

(何であんな事をしたのだろう?)

 罪悪感は無い。だが、自分が自分で無かった様な、歯がゆい体験。

(そして、射命丸は何がしたかったのだろうか)

 彼女は死んでなどいない。あの程度で殺せる程の存在では無い。これから何が起こるか、色々考えなくてはならないだろう。人質だった白狼の娘も気になる。しかし今は、まだ眠りたかった。

 夢かも知れない、悪夢かも知れないという、有り得ない希望にすがって。

 

 別の場所。

 喉に包帯を巻き付け、正装し、錫杖を持った鴉天狗が飛んでいた。そこへ、髪をツインテールに纏め、ブラウスとチェック模様が特徴的なミニスカートの天狗少女が並ぶ。

「文、どうしたのその喉?」

「ちょっと油断しました、はは、遊びが過ぎましたね」

「それって、この間私も協力したアレ?」

「そーなんですよ」

「白狼に変化してじっと横たわっていればいいって、なんか結構痛かったわよ? 玉のお肌にまだ跡が残ってるし」

「はいはい、今度はまともな別の温泉宿を紹介しますよ」

「何よー、ついでに甘味位奢ってよー。後、男紹介して?」

「甘味までです。生憎私だって男運が無いのですよ」

「ふーん、ミレニアム・ガールともなれば猟師も狙いませんか。ま、温泉と甘い物大盛りで我慢しましょ。後、新聞小説合同企画の話、忘れないでね」

「分かりました、ありがとう、はたて」

「どう致しまして‥‥そういえば、あの哨戒の白狼は‥‥」

 紫の少女が言い切る前に、文は速度を上げて飛び去った。

 やがて、あの“鬼”の部屋が隠された宿へと文は降り立つ。扉に鍵はかかっておらず、建物の中を文は無表情に進んでいく。ゲームコーナーの秘密の入口は、錫杖で叩くとバラバラになって吹き飛んだ。

 階段を下りると、見知った顔が文を出迎える。

「おお、久々に誰かとお会いしたと思ったら、貴方でしたか」

 文は何も答えず、寂しそうに笑った。そして錫杖を鳴らし、印を切って呪文を唱え始める。壁男の身体が燃え始めた。

「うおお、これは少し熱う御座いますな。ひょっとすると、私は解放されるのですか? でもバーベキューの体験をしながらではとてもとても」

 文はよく喋る頬に、そっとキスをする。

「‥‥おお、光栄な引導で御座います‥‥おかげ、で、静か、に‥‥」

 壁男の瞼が閉じられ、彼はそのまま何も言わず火に飲み込まれていく。文は飛び上がり、眼下に見える惨状の跡地へ向けて錫杖を振った。業火が一瞬で巻き起こり、全ての物を包む。

 地下室から出てきた文は建物のあちこちに火を放つと、そのまま外へ飛び出した。

 建物が激しい炎で燃え上がるのを見届け、彼女は背を向けて歩き出した。

「懺悔、懺悔、六根清浄‥‥“鬼”の猿真似、鼻折れ天狗、火遊びの締めは燃えて何も無し~ア~コリャコリャ♪」

 錫杖で地面を突きながら、戯れに歌う声を、野生のカラス達が不思議そうに木の上から眺めていた。

 

 椛は寝間着にこそ袖を通したが、外に出歩かず家の中でじっとしていた。食欲も無く、ただ膝を抱えて座り込み、布団に潜り込んでいた。

(射命丸はあの事を記事にするだろうか)

 文が結局何を見つけ、何を為そうとしたのか。非道の現場を潰させ、その後非道を自ら行い、解放する。鴉の考えは狼には分からない。理解したくも無かったが、もし報道されたら。

(司令‥‥)

 剛毅な敬愛する上官を嘆かせたくは無かった。しかし、今の彼女にはどうする事も出来ない。喉を刺して自害する事も考えたが、死ぬのなら文に一矢報いてやりたい。

 その時、呼び鈴が鳴った。ふらふらと起き上がった彼女は、覗き穴から外を伺った。外には見知った顔がいる。扉を開けると、哨戒部隊第一小隊隊長・芝忠介(しば・ちゅうすけ)が私服姿で立っていた。部隊内では兄貴分とも友人ともいえる程度の仲である。

「‥‥どうしたんだ、お前?」

「え‥‥?」

 椛は内心冷や汗をかいた。既に皆、知っているのだろうかと。

「『え』じゃない。どうしてそんなやつれた顔をしてる?!」

 芝が純粋に驚き、心配していると分かった。その瞬間、椛は膝から頽れてぺたりと玄関に座り込む。

「お、おい!」

 その場で泣き出してしまった後輩を前に、哨戒部隊指折りの戦士も戸惑うしかなかった。

 彼は、非番なので暇な筈の椛飲みに誘おうとしていただけだった。

 結局、芝には遠くを散策した時に偶然山で強い妖怪に出会い、武器も無く戦ってようやく危機を脱したとごまかした。その後、彼と共に飲みに出かけ、自分の事や文の事は全く知られていないと知った。

「変わった事といえば、温泉宿が一軒火事で全焼したよ」

「そうですか‥‥」

「犯罪のアジトになってるって噂だったが、綺麗に燃えちまってな。何も残らなかった」

「綺麗、に‥‥」

 椛は、壁に“張り付いていた”男は“解放”されただろうか、とまた心配になった。

「おいおい? もうしばらくしたら訓練部隊の拝命が正式に下るんだろ? そんな調子でどうする!」

「いささか、重圧を感じておりまして」

「お前らしくもない。新人連中に舐められたらどうする! よし、明日俺が稽古で性根を叩き直してやる。今晩は景気づけだ! もっと付き合え!」

 椛は苦笑し、杯を干した。

 

 

 例え現場が燃え尽きても、関わった者が生きている限り、事件はいずれ誰かの耳に入る。

 ある鴉天狗は、その事で激怒していた。頭の皮を剥がれて帰ってきて、引き籠ったままである息子の部屋の扉を蹴破り、彼は怒鳴った。

「どういう事だ! あそこは“あの方”から私が譲り受けた場所だぞ! 何かヘマをやらかしたのだな!」

 頭に包帯を巻き付けた部屋の主は、背中を向けて座り込んだまま何も答えない。

「今はいい、私が全て片付けてくる。その後で話をじっくり聞かせて貰うぞ! この馬鹿が!!」

 男は足音荒く部屋を出て行った。

 

 

 後日。妖怪の山に守矢神社が“引っ越し”し、異変認定される程の騒ぎとなった。椛も現場に復帰し、博麗の巫女以下騒がしい侵入者を迎撃したり、不穏な動きを見せる勢力への警戒を行った。文とは一度も顔を合わせていないが、いつもの“取材活動”という迷惑行為の日々と噂を聞いた。彼女があの時の事を誰にも話していない確証は無い。だが、司令官も仲間達も、椛に何があったか気付いていない。山で誰かが噂しているでもない。椛自身も喋っていない。いつか、何かが起こる日まで、忘れずにいるだけだった。

 やがて守矢を山に受け入れる事が決まり、事態が落ち着いたところで正式に辞令が出された。椛は正式に訓練部隊教官を拝命。

 訓練基地は、山奥で修験者が使っていた砦の跡地に作られていた。そこへ審査に合格し“同化”された新人達が集まっている。

 赴任した椛は教官室で、資料に目を通していた。

(問題児というか個性が強いと言うか‥‥ん?)

 ある男の項目で、椛の視線が止まる。

 

 彼女は自分でも気付かない程、小さく舌なめずりした。

 

 

 もう一つの始まり

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