※この作品はR-18です。

北海道開拓異聞~薩摩隼人はアイヌの少年を愛でる~   作:とけそうだら

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ヌイくんのやきもちが炸裂して3Pに突入する話です


第5話 薩摩隼人はアイヌの集落に開拓民の少年を招く

 明治九年(1876年)、六月。

 北の大地、北海道中部に位置するアイヌのコタン(村)、オンカミサㇺの朝は、ひんやりとした清浄な空気に包まれていた。

 チセ(家)の茅葺き屋根からは、朝餉(あさげ)の支度だろうか、細く白い煙が静かに立ち上り、遠くの森からは鳥たちの澄んだ歌声が聞こえてくる。

 

 コタンの中央、朝日に照らされてキラキラと光る土の広場。

 そこで、一人の少年が真新しい木刀を手に、背筋を凛と伸ばし、剣の師と真剣に向かい合っていた。

 

 少年の名は、山本宗太郎(やまもとそうたろう)。

 会津武士の血を誇りに、開拓民として北の大地に生きる、今年十二の歳を迎えたばかりの少年だ。

 

 あの志丹別村での“人食い”ヒグマとの死闘から、早くも二月(ふたつき)が過ぎようとしていた。

 彼は、師と仰ぐ河端武(かわばたたける)の強い願いを受け、このアイヌの村に半年間、その身を預けることになったのだ。

 

 ――『宗太郎、和人とアイヌの間には、まだ目に見えぬ深い溝がある。だが、お前のような未来ある若者こそが、その溝を埋める力となるやもしれん。どうか、この地でアイヌの知恵と心を学び、そしていつか、和人のことを彼らに伝える。二つの民が手を取り合う、その懸け橋となってはくれまいか』

 

 師であり、村を救ってくれた恩人でもある武の、魂を揺さぶるような言葉。

 己の未熟さを承知の上で、それでもなお自分に未来を託してくれた、あの真摯な眼差し。

 

 会津武士の子としての誇りが、宗太郎の血を熱くたぎらせる。

 彼は、その魂に誓ったのだ。

 必ずや、師から受けたこの大恩に、己の全てをもって報いてみせる、と。

 

 このアイヌの地で、何者にも屈することのない鋼の強さを掴み取り、いつか必ず、和人とアイヌが真に手を取り合える道を、この両の手で切り拓いてみせるのだ、と。

 

 その揺るぎない意志の輝きを瞳に宿し、宗太郎は目の前に泰然とそびえ立つ師を、射抜くように真っ直ぐに見据えた。

 今日この時から始まる、薩摩の古流剣術・示現流の稽古。

 想像を絶するであろう厳しい鍛錬へ向け、彼の意識は一本の鋼線のように、極限まで研ぎ澄まされていた。

 

 武が、静かに口を開く。

 その声は低く、しかしコタンの朝の空気を震わせるほどの圧を帯びていた。

 

「宗太郎。……これより、示現流の稽古を始める。肝に銘じよ。剣の道に近道はなく、その奥義は一朝一夕にして得られるものではない。心・技・体、そのいずれもが、血の滲むような日々の鍛錬によってのみ磨かれるのだ。時には、再起不能となるほどの大怪我を負うこともあるやもしれん。……その覚悟、お前にはあるか?」

 

 一瞬の静寂。

 試すような師の眼光が、宗太郎の魂の奥底まで見透かそうとする。

 宗太郎は、一度固く目を閉じ、そしてカッと見開いた。

 

「はいっ! 武先生! 俺の覚悟、この一刀に誓います! どうか、ご指導、よろしくお願い申し上げますッ!!」

 

 腹の底から絞り出した声は、まだ少年のそれでありながら、微塵の揺らぎもなかった。

 

 愛弟子の、その身を焦がすような覚悟を、武は満足げに頷き、確かに受け止める。

 そして、まるで古の武人が乗り移ったかのように、その声音に一層の重みを込めて、示現流の深遠なる理を説き始めた。

 

「よろしい。ではまず、私の構えを寸分違わず写し取れ。示現流の真髄は、その初動、構えの内にこそ秘められておる。足は肩幅、腰を大地に根ざす巨木のごとく深く、深く落とし、丹田――腹の底、その更に奥にある力の源泉に全意識を集中させろ。木刀は身体の中心線、決して逸らすでないぞ。両の手で大地そのものを掴み取る気概で、しっかりと握り締めろ!」

 

「――は、はいッ!」

 

 短い気合と共に、宗太郎は目の前の師の姿を脳裏に焼き付け、その不動の構えを必死に模倣する。

 見様見真似で腰を落とし、木刀を身体の中心で構える。

 だが、まだ剣の道に足を踏み入れたばかりの十二歳の身体だ。

 グラリ、と体幹が頼りなく揺らぎ、足は生まれたての小鹿のように震えた。

 それでも、食いしばった奥歯がギリリと音を立てるほどに力を込め、全身全霊で師の型をなぞろうとする。

 その瞳だけは、決して諦めを知らぬ狼の仔のように、ギラギラとした光を放っていた。

 

 武は、そのアンバランスな姿の中にも、弟子の尋常ならざる気迫と集中力の片鱗を確かに見て取り、小さく、だが確かな満足を込めて頷いた。

 

「……ふむ。形はまだ稚拙だが、その気概や良し。呑み込みも予想以上に早いようだな。よし、では次だ――そのまま、私が振るう太刀筋、その全てを眼(まなこ)に焼き付け、そして己が剣で再現してみせろ!」

 

 師である武の、落ち着き払った、しかし岩をも貫くような芯のある声が飛ぶ。

 刹那、武の身体から放たれる気配が一変した。

 先程までの静かな威圧感が、嵐の前の静けさのような、肌を粟立たせる闘気へと変わる。

 宗太郎は息を呑み、瞬きすら忘れ、師の一挙手一投足に全神経を集中させた。

 

 ゴゥッ、と空気を切り裂く鋭い音と共に、武の木刀が閃光のように振るわれた。

 それは単なる素振りではない。

 一撃必殺の気迫を込めた、示現流の太刀筋そのものだった。

 

「――ッ!」

 

 宗太郎は、緊張で鉛のようにこわばる身体を懸命に動かし、脳裏に焼き付いた師の型を、その一閃を、必死になぞろうとした。

 だが、初めて握る樫の木刀は、まるで鉄の塊のようにその細腕に重くのしかかる。

 師から示された独特の低い構えは、未熟な足腰に容赦なく食い込み、悲鳴を上げさせた。

 慣れない動きに身体は意思とは裏腹にぎこちなく震え、額からは瞬く間に玉のような汗が噴き出し、顎を伝って地面にいくつもの染みを作っていく。

 

(くそっ……! 全然だめだ……! こんなんじゃ、武先生に……冥土にいる父ちゃん母ちゃんに、顔向けできねぇじゃねぇか……!)

 

 焦りと悔しさが、小さな胸を万力のように締め付ける。

 

「焦るな、宗太郎! 形を疎かにすれば、全てが水の泡と知れ! そのまま、身体に覚え込ませるように、ゆっくりと素振りを繰り返せ。腕先の力に頼るな! 体幹、腰の鋭い捻転、その全身のバネをもって、一撃の下に敵を討ち倒すのだ!」

 

「は、はいっ! チェストォォッ!!」

 

 気合と共に木刀を振り上げる。

 ブンッ、と空気を叩く音は鈍く、重い木刀に身体が持っていかれそうになる。

 まるで赤子が不格好に棒を振り回しているかのようだ。

 

 ――その、ひたむきで、痛々しいほどに一途な稽古の光景を。

 広場の中央に、まるで番人のように一本だけすっくと伸びる大きな白樺の木。

 その太い枝の一つに、器用に腰かけて足をぶらぶらさせながら、じっと見下ろす少年がいた。

 オンカミサㇺの若き長、ヌイだ。

 

 形の良い眉は不機嫌そうに寄せられ、結ばれた唇は「へ」の字を描いている。

 その視線は、明らかに稽古に励む宗太郎に向けられていた。

 

 稽古の合間、ぜえぜえと肩で息をしながら顔を上げた宗太郎は、ふと頭上からの刺すような視線に気づき、思わず眉をひそめた。

 見上げれば、白樺の木の上、葉の影からこちらを見下ろすヌイの姿。 

 稽古を見られていること自体は構わないが、あの嘲るような目はどうにも気に障る。

 

「……なんだよ。木の上から人の稽古ジロジロ見下ろして、楽しいかよ?」

 

 思わず、苛立ちを隠せない、少しぶっきらぼうな声が飛んだ。

 

 ヌイは、ふん、と小さく鼻を鳴らすと、まるで熟した木の実が落ちるように、ひらりと枝から飛び降りた。

 しなやかな獣を思わせる身のこなしで音もなく着地すると、土埃ひとつ立てずに宗太郎の方へ数歩、ゆっくりと近づいてくる。

 そして、その整った顔に、挑発的な、そして底意地の悪い笑みを浮かべて言い放った。

 

「……へったくそ」

 

 その一言は、朝の清浄な空気を切り裂くように、的確に宗太郎の神経を逆撫でした。

 

「っ……!? てめっ、今なんつった! 喧嘩売ってんのか!」

 

「ふん、へたくそにへたくそと言って何が悪い?」

 

 ヌイは少しも悪びれず、むしろ面白そうに目を細めた。

 

「なんだよ、そのへっぴり腰。コタンの赤子のほうがまだ腰が据わってるぞ? そんなんじゃ、タケルにいくら教えてもらったって、百年経っても強くなんかなれないね」

 

「ああ!? このチビ、上等だ! その減らず口、二度と叩けなくしてやるよ!」

 

「待て! 宗太郎!」

 

 武の鋭い制止の声が飛ぶが、怒りの炎に目を焼かれた少年の耳には、尊敬する師の声でさえも届いていなかった。

 

「うおおおおっ!」

 

 宗太郎は、獣のような雄叫びを上げると、握りしめた木刀をめちゃくちゃに、ただ力任せに振り回し、ヌイへと猛然と殴りかかっていった。

 稽古で教わった型など、頭から綺麗さっぱり消え飛んでいる。

 

「おいおい、そんなへろへろ剣でどうするの?」

 

 ヌイはさっと身を引き、繰り出される切っ先を易々と躱す。

 そのまま体をくるりと翻し、宗太郎の背後に回り込んだかと思うと、軽く跳躍してその背を勢いよく蹴りつけた。

 バランスを崩した宗太郎はその場に倒れ込み、強かに身体を打ち付ける。

 

「くっ……このっ!」

 

 倒れた姿勢のまま、武仕込みの鋭い足払いを仕掛けると、ヌイはそれを飛び上がって難なく避けた。

 

「ふん、その程度?」

 

 宗太郎はすぐさま立ち上がり、木刀を握り直して身構えた。

 が、頭に血が上った状態ではまともに息も継げず、足元はおぼつかない。

 対するヌイは小柄な体で機敏に動き回りながら、体力の消耗が少ないのか、少しの疲れも見せはしなかった。

 

「ほらほら、どうしたの? そんなモコリリ(カタツムリ)みたいな動きじゃ、ヌイの影も踏めないよ!」

 

「てめぇ……もう、絶対に許さねえぞっ!」

 

 怒りに我を忘れ、宗太郎は再びがむしゃらに突進する。

 

「は? 別に許してもらう必要なんて、これっぽっちもないけどね」

 

 ヌイが挑発的に鼻で笑った、その刹那。

 まるで風が吹き抜けたかのように、ヌイの姿が宗太郎の目前から消えた――いや、一瞬で踏み込んできたのだ!

 

 パァン! と乾いた音。宗太郎が反応する間もなく、握っていた木刀が鮮やかに弾き飛ばされる。

 

「あっ――」

 

 続く衝撃。

 ヌイは奪い取った木刀の勢いを殺さず、そのまま流れるような動きで宗太郎の足を払い、抵抗する間もなくその背中から地面に叩き落とした。

 

「ぐぁっ……!!」

 

 今度は受け身も取れず、背中から強烈に打ち付けられ、宗太郎の口から呻き声と共に空気が押し出される。

 視界がチカチカと明滅し、一瞬、何が起こったのか理解できなかった。

 

 そして、ハッと我に返った時には――冷たい木刀の切っ先が、自身の喉元にぴたりと突き付けられていた。

 

「はい、これでヌイの勝ち~」

 

 まるで遊びに勝った子供のように、ヌイはそこでようやく、屈託のない、しかし勝ち誇った笑顔を見せた。

 

「――そこまでだっ! もうその辺でやめんか、二人とも!」

 

 武の鋭い声が飛ぶ。その一喝で、二人はようやく我に返った。

 

「……あ」

 

「……ふん」

 

 宗太郎は、慌てて跳ね起きようとしたものの、背中を打った衝撃で身体が痺れ、上手く動かない。

 ヌイは木刀を下ろし、そんな宗太郎の様子をつまらなそうに見下ろしていた。

 そして、そのままくるりと背を向けると、広場からさっさと出て行ってしまった。

 

「まったく……二人とも、少し頭を冷やせ」

 

 そう言ってため息をつくと、武は地面に這いつくばる宗太郎に手を差し伸べた。

 

「あ、ありがとう……ございます……先生……っ」

 

 その温かく力強い手を掴み、まだ少しふらつく足で、宗太郎はようやく立ち上がった。

 いつの間にかヌイの姿は影も形もなく、どうやらとっくに自分のチセに戻ってしまったらしい。

 

(……くそっ! あのチビ……! 絶対、絶対いつかギャフンと言わせてやる……!)

 

 その悔しさが、無意識のうちに顔に出ていたのだろうか。

 武が、そんな宗太郎の様子を見守りながら、ふっと表情を和らげる。

 

「そういきり立つな、宗太郎。剣の道に終わりはない。今日一本取られたからといって、明日も同じとは限らん。大切なのは、今日の己の未熟さと向き合い、明日の一歩へと繋げることだ。それが武の道というものだ」

 

 諭すような言葉に、宗太郎は俯いたまま小さく頷く。

 

「……それに、ヌイはああ見えて、なかなかの使い手だ。獣のような勘と、森で鍛えられた身軽さがある。あれは、アイヌの狩りの技に磨かれた、実戦の剣だ。あの歳であれほどの勝負勘は、正直、大したものだよ」

 

「えっ? そ、そうなんですか……? ……でも、あいつ、どう見ても俺より年下のはずですよね……? それなのに、もうあんなに強いなんて……やっぱり俺は……あいつに勝てるわけ、ないんだ……」

 

 自信なさげに俯く宗太郎に、武は首を横に振った。

 

「何を弱気なことを言っている。本格的な稽古を始めてまだ半刻と経っていないだろう? 勝てなくて当然だ。だがな、宗太郎。お前の内に秘めたものは、決してヌイに劣るものではないぞ」

 

「え……俺にも……才能が……あるっていうんですか……?」

 

 信じられない、というように武を見返す宗太郎の瞳が、微かに揺れる。

 その疑念を吹き飛ばすように、武は力強く、確信に満ちた声で頷いた。

 

「ああ。思い出してみろ。あの“人食い”から、お前はどうやって逃げ切った? お前のあの驚異的な脚力、そして土壇場での瞬時の判断力。その歳でそれだけのものを身につけているのは、私も舌を巻くほどだ。これは私の見立てだがな、お前のその天性のバネと、一度狙った獲物は逃さぬような集中力は、薩摩の示現流道場にいた頃の私が見てきた者たちの中でも、間違いなく目を引く逸材だぞ」

 

「ほ、本当ですか、先生!? 俺……先生みたいに、強くなれますか……?」

 

「ああ。 この私が直々に鍛えるんだ。強くならぬはずがない。違うか?」

 

「は、はいっ! 俺、ヌイなんかに絶対負けません! 武先生に教えてもらったこの示現の剣で、必ず、必ず強くなってみせますッ!!」

 

 武の力強い言葉と、その瞳に宿る信頼の光に励まされ、宗太郎の心に再び闘志の火が灯る。

 萎れていた気持ちが嘘のように消え去り、全身に力がみなぎってくるのを感じた。

 その素直で力強い反応に気を良くしたのか、武の口元が満足げにニッと吊り上がった。

 

「よし、それでこそ私の弟子だ! ならば感傷に浸っている暇など一刻もないぞ! その燃え盛る悔しさを全て、次の一振りに叩き込め!」

 

「はいっ!!」

 

 宗太郎は、木刀を拾い上げると、再び正眼に構えた。

 その瞳には、もう迷いはない。

 

 こうして、宗太郎と武の、熱のこもった稽古が再開されたのだった。

 

(……へったくそ。あんなカッカしてたら、本当に強くなれるわけないのに)

 

 一方、チセの薄暗い窓から、こっそりと広場の様子を窺っていたヌイは、再び始まった稽古の光景に、冷ややかに、しかしどこか寂しげにそう毒づいた。

 宗太郎の、まだ見るからにぎこちなく、不格好な木刀の振りが、どうにもヌイの癇に障るのだ。

 

(タケルだって、なんであんなシサム(和人)のガキなんかに、あんな真剣なんだよ……ヌイが稽古つけてって頼んでも、最近は『コタンの長としての勉強が先だ』とか『お前にはもう基本は叩き込んだ』とか言って、なんだかんだ理由をつけてはっきり稽古してくれないくせに……!)

 

 武が辛抱強く、時に厳しい言葉を飛ばしながらも、どこか楽しげに宗太郎に指導している姿が、ヌイの胸の奥をチリチリと焦がす。

 自分だって、タケルにもっと稽古をつけてほしい。

 もっと傍にいて、タケルの持つ全てを、自分だけに教えてほしいのに。

 

 このシサム――宗太郎が来てから、タケルは自分だけのものではなくなってしまった気がして、それがたまらなく寂しく、そして腹立たしかった。

 

(タケルの隣は……ヌイだけの、特別な場所だったのに……!)

 

 宗太郎が、必死な顔で、それでも武の言葉に一喜一憂しながら食らいついている。

 その光景が、ヌイの独占欲という名の黒い靄(もや)を、心の内にじわじわと、そして確実に広げていく。

 まるで、自分だけが見つけた秘密の宝物を、横から無遠慮に覗き込まれ、汚されているような、そんな不快感。

 

「違う! そこだ! 踏み込みが甘いと言っているだろうが!」

 

「は、はいっ! こ、こうですか!?」

 

 武の鋭い叱咤と、宗太郎の懸命な声が、チセの中にまで響いてくる。

 ヌイは、ふん、とわざとらしく鼻を鳴らすと、ぷいっとそっぽを向いて窓から離れた。

 足元の床を、小さく、しかし苛立たしげに爪先で蹴る。

 けれど、その耳だけは、どうしても広場の方へと向いてしまうのを止められない。

 

 宗太郎が、今度はうまくいったのか、武から「よし! その感覚を忘れるな!」という声と共に、ポンと肩を叩かれている気配がした。

 その瞬間、ヌイの眉間の皺が、またぐっと深くなった。

 胸の奥が、チクリと、小さな棘で刺されたように痛む。

 

(……ムカつく……! ムカつくムカつくムカつくムカつく!! あのシサムも、それを嬉しそうに見てるタケルも、ぜんぶ、ぜぇんぶ、ムカつくんだっ!!)

 

 その一言が、今のヌイの心を支配していた。

 初夏の爽やかな風がコタンを吹き抜けていくが、若き村長の心の中だけは、黒く、重く、そして大きな夏の入道雲が、今まさに雷鳴を轟かせようとしていたのだった。

 

◆

 

 オンカミサㇺでの生活は、宗太郎にとって毎日が驚きと発見の連続だった。

 言葉も、日々の糧も、チセ(家)の造りも、何もかもが故郷の志丹別村とはまるで違う。

 最初の数日は戸惑うことばかりだったが、コタンのアイヌたちは、この和人の少年を驚くほど温かく迎え入れてくれた。

 

「おう、ソータロ! 今日は湖でチェプ (魚)捕りだ、面白いぞ、ついてこい!」

 

「ソータロ坊主、このホラㇷ゚(ヤマシャクヤクの根)はな、腹痛の薬になるんだ。カムイからの恵みだから、よく覚えとけよ」

 

 相手が話すのは、抑揚の独特なアイヌ語。

 時折、片言の和人言葉や、大きな身振り手振りが混じるものの、宗太郎にはまだ半分も理解できない。

 それでも、村人たちの眼差しはどこまでも優しく、彼を自分たちのウタリ(同胞)として受け入れようという、素朴で力強い気持ちがひしひしと伝わってきた。

 宗太郎もまた、会津武士の血を引く者としての礼節を忘れず、その温情に懸命に応えようと、毎日を必死で過ごしていた。

 

 彼は、コタンの子供たちに混じってはしゃぎながらアイヌ語の単語を一つ一つ覚え、女衆(おんなしゅう)からはアットゥシ(樹皮衣)を織るための糸紡ぎや、食べられる山菜と毒草の見分け方を教わった。

 屈強な男衆(おとこしゅう)からは、森での獣の足跡の読み方、気配を消して歩く術、そして様々な罠(アマックウ)の仕掛け方など、厳しい自然と共生するための古の知恵を授けられた。

 それは、開拓民の「自然を切り拓く」暮らしとは全く異なる、大地と深く結びつき、その恵みに感謝を捧げる生き方だった。

 

「すごい……本当に、カムイ(神)と一緒に生きてるみたいだ……」

 

 自然の恵みを巧みに活かし、あらゆるものに宿るカムイへの敬意を忘れないアイヌの人々の暮らしぶりに、宗太郎は純粋な感銘と、ある種の畏敬の念を抱いていた。

 当初、心のどこかにあったかもしれない、和人としての漠然とした優越感のようなものは、このコタンでの日々の学びの中で、雪解け水のように跡形もなく消え去っていた。

 

 そんな宗太郎の姿を、チセの陰から冷ややかな目で見つめている少年がいた。

 オンカミサㇺの若き長、ヌイだ。

 

(……気に食わない。なんでウタリ(同胞)のみんなは、あんなシサムのガキなんかに構うんだよ。シサムなんて……これまでアイヌにろくでもないことばっかりしてきたくせに……!)

 

 コタンの大人たちが、まるで昔からの知り合いのように、あの和人の子供を仲間として受け入れようとしていることが、ヌイにはどうしても許せなかった。

 胸の奥が、チリチリと焦げるような不快感で満たされる。

 

(ふん、でもコタンの子供たちは違うはずだ。ヌイが、あのシサムのガキには近づくなって、ちゃんと言っておいたんだからな。子供たちに仲間外れにされたら、あいつだって居心地が悪くなって、きっと自分から村を出て行って……)

 

 ヌイがそんなことを考えていた、まさにその時だった。

 

「ねぇねぇ、ソータロー! 今日は一緒にアㇰシノッ(弓遊び)しようぜ! ヌイよりうまくなれるように教えてやるよ!」

 

「ソータロー、この前作ってたお人形の服、アペフチ(火の女神)にお供えするんだ! 一緒に見に行こうよー!」

 

 気がつけば、宗太郎はコタンの子供たちに囲まれ、その小さな手を左右から引っ張られていた。

 満面の笑みを浮かべた子供たちは、宗太郎を自分たちの遊びの輪へと、強引に、しかし楽しげに連れて行こうとしている。

 

 その光景を目にしたヌイの顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。

 

(なっ……なんでだよ!? あいつら、ソーオッテナ(村長)の、ヌイの言いつけ、全然聞いてないじゃんか!)

 

 子供たちの屈託のない笑顔と、それに少し戸惑いながらも嬉しそうに応える宗太郎の姿が、ヌイの心に更なる追い打ちをかける。

 

(……ぐぬぬぬぬ……! もう、本当に怒ったからな! ……こうなったら、あの手を使って……あのシサムのガキを、コタンから追い出してやる……!!)

 

 ヌイは一人、誰にも聞こえないようにギリリと歯ぎしりをすると、その整った顔に、獲物を見つけた肉食獣のような、どこか不気味で、しかし子供っぽい悪戯を思いついたかのような暗い笑みを浮かべたのだった。

 

♦

 

 その日、宗太郎は武から言い付かった薬草を探しに、オンカミサㇺのコタンから少し離れた森の入り口に来ていた。

 夏の強い日差しが木々の葉を透かし、地面にまだらな影を落としている。

 集中して足元の草を掻き分けていると、不意に背後から、聞き慣れた、しかし今日は妙に棘のある声がかけられた。

 

「……ねぇ、シサム(和人)」

 

 びくりと肩を震わせ振り返ると、そこには腕を組み、氷のように冷たい表情を浮かべたヌイが立っていた。

 そして、その両脇には――宗太郎の背筋を真綿で締め上げるような、圧倒的な存在感を放つ二頭の獣が控えていた。

 

 ヌイの右隣には、のっそりと巨体を揺らすヒグマのゴウ。

 その琥珀色の瞳が、じっと宗太郎を見据えている。

 そして左隣には、鋭い金色の双眸を爛々と光らせる、屈強な灰色狼――ウルだ。

 その引き締まった身体は、今にも飛びかからんとする俊敏さを秘めている。

 

「ヌ、ヌイ……。それに、ヒグマ……と、狼……?」

 

 宗太郎は思わず息を飲み、じりじりと後ずさった。

 ゴウの威圧感は、かつて志丹別村で“人食い”と対峙した時の恐怖を呼び覚ます。

 それに加え、鋭い牙を剥き出しにしたウルが、低い唸り声を上げながら明らかに敵意を向けてくるのだ。

 その迫力は、ただでさえ心臓に悪いヒグマの存在感を、さらに倍増させていた。

 

「ヌイ、一晩考えたんだけどさ……やっぱり、お前みたいなシサムのガキは、このカムイモシㇼ(神の森)にはいらないんだよ」

 

 ヌイは、一切の感情を排したかのような冷たい声で言い放った。

 その瞳には、いつもの快活な輝きはなく、底知れない冷ややかな光が宿っている。

 

「は……? お前、一体何を言って……」

 

「だって、シサムはシサムだろ? ヌイたちのやり方も、カムイの心も、全然わかってないし、それにタケルの傍にいるのも気に入らない。それに……」

 

 ヌイは、命令するようにゴウとウルを顎でしゃくった。

 

「ヌイの友達も、お前のこと、嫌いだってさ」

 

「なっ……!?」

 

 宗太郎が反論する間もなく、ヌイはゴウに視線を送る。

 

「ゴウ、ちょっと“遊んで”あげなよ。このシサム、退屈してるみたいだからさ」

 

「グルルルルル……ッ!」

 

 ゴウは、まるでその言葉を理解したかのように、地を這うような低い唸り声を上げ、巨体を揺すりながら宗太郎へと一歩、また一歩と距離を詰めてくる。

 その巨体から発せられる獣臭と、地面を踏みしめる重い足音、そして純粋な暴力の圧力は凄まじく、宗太郎は呼吸すら浅くなるのを感じた。

 

「や、やめろよ! 悪ふざけが過ぎるぞ、ヌイ!」

 

 必死の叫びも、ヌイには届かない。

 さらに、ヌイは口笛を鋭く、短く吹いた。

 

 ピィッ!

 その合図に、ウルが俊敏な動きで宗太郎の背後へと回り込み、低い姿勢から鋭利な牙を剥き出しにして、いつでも飛びかかれる体勢を取る。

 

 前門の熊、後門の狼。

 完全に退路を断たれた。

 

「ウルも、お前みたいな弱くて変な匂いは大嫌いなんだってさ。早く自分の村に帰れば? ここはお前のいる場所じゃないよ」

 

 ヌイは、勝ち誇ったような、それでいてどこか楽しんでいるような歪んだ笑みを浮かべて言う。

 完全に宗太郎を恐怖で屈服させ、このコタンから追い出すつもりなのだ。

 

 宗太郎は、足が震え、心臓が早鐘のように鳴るのを感じた。

 目の前の巨大なヒグマと、背後に迫る獰猛な狼。

 どちらも、本気を出せば自分など一瞬で命を奪われてしまうだろう。

 

(怖い……! 死ぬかもしれない……!)

 

 強烈な恐怖が全身を支配する。

 だが、その恐怖の底から、ふつふつと、熱い何かが込み上げてきた。

 それは、ヌイの卑怯なやり方に対する激しい怒り。

 そして何より、自分を信じ、このコタンに預けてくれた武先生の顔に泥を塗ってたまるか、という強い想いだった。

 

「……ふざけるなッ!!」

 

 宗太郎は、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。恐怖を振り払うように。

 

「俺は、武先生の弟子だ! ここでアイヌのことも、剣のことも、ちゃんと学ぶって……先生と約束したんだ! お前なんかに……お前なんかの勝手な言い分で、追い出されてたまるかァッ!!」

 

 その必死の、魂からの叫びに、ヌイは一瞬、虚を突かれたように目を丸くした。

 ゴウとウルも、宗太郎の予想外の気迫に、わずかに怯んだように見えた。

 

「……へぇ。シサムのくせに、威勢だけはいいんだ? でも、口だけじゃゴウとウルには勝てないよ? かわいそうに、怖くて足が震えてるじゃない」

 

 しかし、ヌイはすぐにいつもの小生意気な薄ら笑いを浮かべると、さらに挑発するように続ける。

 

「じゃあ、どれだけ根性があるか、ヌイが試してあげようか? ゴウ、ウル、もっと近くに行って、その震えを止めてあげなよ。……それとも、怖くて漏らしちゃうかな?」

 

 ヌイが再び動物たちに指示を飛ばそうと、その小さな手を振り上げた、まさにその時だった。

 

「――そこまでだ、ヌイ」

 

 凛とした、しかし有無を言わせぬ、深く低い声が、森の静寂を切り裂いた。

 声のした方を見ると、木々の間から、厳しい表情を浮かべた武が、静かに、しかし圧倒的な存在感を放ちながら姿を現した。

 いつから見ていたのか、その鋭い眼差しは、全てを見通しているかのようだ。

 

「タ、タケル!?」

 

 ヌイの顔から、さっと血の気が引いた。

 慌ててゴウとウルを制止させようとするが、賢い動物たちは既に武のただならぬ気配を察知し、先ほどまでの威圧的な態度はどこへやら、クゥンと鼻を鳴らして身を縮こまらせ、どこかバツが悪そうに唸り声を収め始めていた。

 

「べ、別に……何もしてないよ? ヌイは、ゴウとウルと、散歩してただけだもん」

 

 ヌイはぷいっとそっぽを向き、必死にしらを切ろうとするが、その声は明らかに震えている。

 

「ほう……? その『散歩』とやらで、宗太郎を熊と狼で挟み撃ちにし、脅しつけていたように見えたが、私の気のせいか?」

 

 武の低い声には、疑いの余地もない、確かな怒気が含まれていた。

 宗太郎は、武の姿を見た瞬間、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、堰を切ったように目に涙が浮かぶ。

 

「せ、先生……っ!」

 

「よしよし、もう大丈夫だ。よく頑張ったな、宗太郎」

 

 武は、駆け寄ってきた宗太郎の震える頭を、大きな手で優しく撫でると、改めてヌイへと向き直った。

 その双眸は、厳しく、そしてどこか深く悲しげだった。

 

「ヌイ。お前が何を考えているかは薄々分かる。だがな、コタンの客人を、しかも私が預かった弟子を、力で脅し、追い出そうなどとは……ソーオッテナ(長)として、いや、人として恥ずべきことだぞ。力で相手を屈服させようとするのは、真に強い者のすることではない」

 

「…………っ!!」

 

 武の静かで、しかし重い言葉の一つ一つが、ヌイの胸に深く突き刺さる。

 ヌイはぐっと唇を噛みしめ、俯いたまま何も言い返せない。

 武の言う通りだと、心の奥底では痛いほど理解していたからだ。

 嫉妬と独占欲に駆られ、子供じみた、そして卑怯な真似をしてしまった自分自身が、急にたまらなく恥ずかしくなった。

 

 武は、そんなヌイの葛藤を見透かすように、静かに言葉を続ける。

 

「ヌイ……お前が、この子をすぐには受け入れられない気持ちも、分からなくはない。だがな、たとえ生まれや育ちが違えど、一度このコタンに足を踏み入れた者は、同じカムイの恵みを受ける仲間だ。助け合い、支え合うことはできるはずだ。それを拒むのは、長の器ではないぞ」

 

「……うるさいっ! タケルのバカ! もう知らないっ!」

 

 ヌイは、まるで子供が駄々をこねるように、それだけを絞り出すと、くるりと武に背を向けた。

 そして、傍らで心配そうに佇んでいたゴウとウルの脇をすり抜けるように、森の奥へと一目散に駆け去っていく。

 

「あ……! ヌイ!」

 

 宗太郎が思わず声をかけるが、ヌイは一度も振り返ることなく、あっという間に木々の間に姿を消してしまった。

 

「……やれやれ、どうしたものかな、あいつは」

 

 武は困ったように溜息をつくと、ヌイが消えた方向をしばし見つめ、それから改めて宗太郎へと向き直った。

 

「すまなかったな、宗太郎。お前の身の安全を守るのも、このコタンに預けた者としての私の役目だというのに……あんな怖い思いをさせてしまって」

 

「い、いえ! そんなこと、これっぽっちも! むしろ、こんなことで簡単に怯えて、自分で何もできなかった俺の方が、情けなくて……! いつも武先生に頼ってばかりで……本当に、情けなくて……!」

 

 必死に首を振る宗太郎だったが、その瞬間、自分の足元にじわりと広がる生温かい感覚に気づいた。

 

「……って、あれ……? な、なんか……着物が……濡れてる……?」

 

 先ほどの恐怖と、そして武が現れたことによる急激な安堵感。張り詰めていたものが一気に緩んだのだろう。

 宗太郎は、自分の足元から立ち上る、微かなアンモニア臭に気づき、顔からサッと血の気が引いた。

 

 膝がガクガクと震えだし、立っていることすらできなくなり、その場にくずおれるようにへたり込んでしまう。

 

「あ……」

 

 武が、何かを察したように小さく声を漏らした。

 

「あ……ああああああっ! せ、先生っ! ご、ごめんなさいっ! やだっ、こんな……! は、恥ずかしいから、見ないでくださいぃぃっ!」

 

 真っ赤になった宗太郎は、もはやパニック状態で、濡れてしまった股間を隠すように両手で押さえ、顔を地面に擦り付けんばかりに俯いてしまう。

 涙目で、声にならない悲鳴を上げていた。

 

「はは、大丈夫だ。気にするな。誰にだって、こういうことはあるさ。特に、お前のように、あんな肝の冷えるような目に遭った直後ならな。命の危険を感じれば、身体が正直に反応するのは自然なことだ。ほら、ちょっと脚を広げてみろ」

 

 そう言って、手ぬぐいを取り出した武は、宗太郎の濡れた下肢を優しく拭ってやる。

 その大きな手の温かさと、予想外の甲斐甲斐しさが、あまりにも照れくさくて、しかし同時にどうしようもなく嬉しくて、宗太郎は耳まで真っ赤に染め上げたまま、ただ俯くことしかできなかった。

 

「よし、こんなものか。さて、今日はもうチセに戻るとするか。……一人で立てそうか?」

 

「は、はい。なんとか……あっ!」

 

 武の言葉に促され、宗太郎が立ち上がろうとした瞬間、まだ恐怖の余韻で力の抜けた足がもつれ、不意にバランスを崩して大きく傾いだ。

 それを、武が慌てて、しかし確実にその腕で抱きとめる。

 

「……っと! まだ足元がおぼつかないか。無理もない。……よし、おんぶしてやるから、私の背中に乗りなさい」

 

「で、でも……俺、もう十二です! そ、それに、さっきので濡れてて……汚いですよ、きっと!」

 

「なぁに、このくらい大したことないさ。さ、遠慮せずに」

 

 そう言って、武は宗太郎に背を向け、少し屈んでその大きな背中を差し出した。

 宗太郎は、まだ頬を染めたまま、おずおずとその逞しい背中に身を預ける。

 武は、その小さな身体を少しも重がる素振りも見せず、軽々とした動作で立ち上がると、オンカミサㇺのコタンへと向かって、ゆっくりと、しかし確かな足取りで歩き出した。

 

 そんな二人の様子を、少し離れた木の陰から、ゴウとウルがどこか不思議そうに、そしてほんの少しだけ、羨ましそうに見つめていた。

 やがて、二頭は小さくクンと鼻を鳴らすと、主を追うでもなく、静かに森の奥深くへとその姿を消していったのだった。

 

♦

 

 その夜、オンカミサㇺのコタンに静寂が訪れる頃。

 武は、借り受けたチセの一隅で、灯火の下、黙々と筆を走らせていた。

 

 開拓使としての公務の傍ら、彼はアイヌの文化や風習、そして彼らが語り継ぐカムイの物語を記録することを、自らのライフワークとしていたのだ。

 このオンカミサㇺと関わって二年余り。

 最近では、志丹別村から預かった少年・宗太郎という新たな存在も加わり、武の日常は賑やかさを増していた。

 だが、その賑やかさの裏で、新たな悩みの種も生まれていた。

 

(……やはり、人と人との繋がりというものは、一筋縄ではいかぬものだな)

 

 筆を置き、武は小さく息を吐く。

 脳裏に浮かぶのは、昼間のヌイと宗太郎の一件だ。

 ヌイは、コタンの若き長として、そしてアイヌの血を引く者としての誇りが人一倍強い。

 それ故に、感情が先走り、他者、特に和人に対して心を閉ざしがちな面がある。

 彼にとって、異分子である宗太郎は、受け入れ難い存在なのかもしれない。

 

(だが、そのヌイの激情と頑なさが、宗太郎の心を深く傷つけているのもまた、紛れもない事実……)

 

 武は書きかけの紙から顔を上げ、チセの小さな窓から見える、星々の瞬く夜空を見上げた。

 ヌイには、後で改めて、相手の立場を慮ることの大切さを説かねばなるまい。

 しかし……。

 

(宗太郎も、あの華奢な見かけによらず、会津武士の血か、一度こうと決めれば決して譲らぬ、芯の強さと頑固さを持ち合わせている。昼間の一件で、ヌイのことを完全に拒絶してしまったやもしれんな……)

 

 思わず苦笑が漏れる。

 あの小さな身体で、自分の考えをしっかりと持ち、それを臆せず主張できる強さ。

 そして何より、その根底にある真っ直ぐな心根の優しさ。

 この一週間、宗太郎は慣れないアイヌの言葉や文化を懸命に学び、稽古にも真摯に取り組み、コタンの人々にも敬意を払おうと努めていた。

 武は、そんな宗太郎の姿を好ましく思っていた。

 

 だが、このコタンの長であるヌイと険悪なままでは、宗太郎の滞在は決して心穏やかなものにはならないだろう。

 それは、ヌイにとっても同じはずだ。

 二人の間に挟まれた自分は、どちらの肩を持つでもなく、中立の立場で、彼らが互いを理解し合える最善の道を探らねばならない。

 それが、師として二人を預かる者としての、そして彼らの未来を願う大人としての自分の役目だと、武は考えていた。

 

「ふぅ……どうすれば、あの二人の氷を溶かせるものか……。まったく、年頃の子供の心というのは、かくも複雑で難しいものだな」

 

 武はもう一度、今度は夜の静寂に吸い込まれるような、深々とした嘆息を漏らす。

 そして、疲れた身体を休めるため、床に敷かれたガマの葉で編まれた厚手のチタラペ(ござ)の上に、ごろんと大の字に横になった。

 背中に感じる獣の毛皮の柔らかな感触と、チセの茅葺き屋根から微かに漂う、燻(いぶ)された木の香りが、心地よい眠気を誘う。

 そのまま目を閉じると、日中の心労も相まってか、武の意識はすぐに微睡(まどろ)みの薄闇へと静かに沈んでいった。

 

「ん……もう、こんな刻(こく)か……?」

 

 ふと、何かの微かな気配で、武は深い眠りの淵から意識を引き戻された。

 蝋燭の炎は消えかかり、燃え残った芯が、チセの隅にかすかな赤い光を投げかけているだけだ。

 どうやら、いつの間にか本格的に眠り込んでしまっていたらしい。

 額にはうっすらと汗が滲んでいた。

 

(いかんな……まだアイヌの古老から聞き取った記録の整理が、山のように残っているというのに)

 

 そう自戒しつつも、心地よい疲労感と睡魔には抗いがたく、再び瞼を下ろそうとした、まさにその時だった。

 

 ごそっ……。

 

 自身の寝床のすぐ傍で、何かが動く微かな物音。

 武は、半ば眠りかけた意識を一瞬で覚醒させた。

 息を潜め、全神経を音のした方へと集中させる。

 暗闇に目が慣れてくると、寝床の横に、小さな影が蹲(うずくま)るようにして身を丸めているのが見えた。

 

「……ん? 宗太郎か……?」

 

 武が静かに声をかけると、その影がびくりと震え、おずおずと身を起こした。

 月明かりが窓から差し込み、少年の顔をぼんやりと照らし出す。

 

「せ、先生……お、起こしちゃいましたか……? ご、ごめんなさい……」

 

 消え入りそうな声で、宗太郎が答えた。

 その顔には、照れと不安が入り混じったような複雑な表情が浮かんでいる。

 

「いや、もう起きようと思っていたところだ。構わんよ。それより、どうしたんだ? こんな夜更けに、私の寝床の傍で」

 

「あの……その……どうしても、眠れなくて……」

 

 宗太郎は小さな声で言い淀み、視線を彷徨わせる。

 

「昼間のこと……ヌイにあんな風にされて……志丹別村でのこととか、熊のこととか、色々思い出しちゃって……一人でいるのが、すごく……怖くなって……」

 

「ああ、そうか……」

 

 武は、静かに頷いた。

 ヌイとの一件で、宗太郎の心は想像以上に揺さぶられていたのだろう。

 そして、彼が抱えるヒグマへのトラウマ。

 夜の闇は、そうした恐怖を何倍にも増幅させる。

 十二歳の子供が、一人で耐えるにはあまりにも酷な夜だ。

 

 武は、そっと手を伸ばし、震える宗太郎の小さな肩を優しく抱き寄せた。

 

「あ……先生……」

 

「大丈夫だ、宗太郎。もう何も怖いことはない。ここは安全なコタンの中だし、何より、私がこうしてそばにいるだろう?」

 

 そう言って、武はもう片方の手で、安心させるように少年のつむじのあたりをくしゃりと撫でた。

 

「ん……っ」

 

 小さな、猫の子のような息遣いと共に、宗太郎の強張っていた身体から、少しずつ、少しずつ力が抜けていくのを武は手のひらに感じた。

 子供特有の、柔らかく温かい体温が、武自身の心までじんわりと温めていくようだ。

 

「……先生の手、あったかくて……なんだか、すごく安心します……」

 

 宗太郎は、まだ少しだけ潤んだ瞳で武を見上げ、ぽつりと呟いた。

 それは偽らざる本心なのだろう。

 

「そうか……それは何よりだ」

 

 武は、ようやく少年が落ち着いたことに心から安堵しながらも、自分の寝床にいつの間にか潜り込んできた、まるで雨に濡れた子猫のような少年に対して、ふと悪戯心が鎌首をもたげた。

 武はわざと眉をひそめ、冗談めかした深刻な口調で話しかける。

 

「しかし、昼間は肝を冷やしたな。……おい、宗太郎。まさかとは思うが、今夜もまた新しいふんどしのお世話になるような真似はしないだろうな?」

 

「なっ……!? 武先生のいじわる! 当たり前じゃないですか! お漏らしなんて……もうしませんってば!」

 

 唐突に蒸し返された昼間の失態に、宗太郎は顔をカッと真っ赤にして、金切り声に近い声で抗議した。

 その声にはようやくいつもの元気が戻っており、必死に弁解する姿は年相応に可愛らしい。

 悪戯が成功した子供のように、武の口元に楽しげな笑みが浮かんだ。

 

「ははは、悪かった、悪かった。そう熱くなるな。私の立派な弟子殿に、実に失礼なことを申したな。許せ」

 

「も、もう……! 絶対に許しませんからねっ!」

 

 ぷっくりと頬を膨らませる宗太郎に、武はさらに追い打ちをかける。

 

「だが、昼間あれだけ肝を冷やし、汗もかいただろう? 体も汚れたままだし、このまま寝たら、明日の朝にはお前さんから熊も逃げ出すような強烈な匂いがするかもしれんぞ?」

 

「う……で、でも……もう夜だし、寒いですし……それに、一人で水場に行くのは……ちょっと……まだ怖い、かなって……」

 

「……ふむ。では、こうしよう。ちょっとふんどしを貸しなさい」

 

 そう言って、武は宗太郎の腰から紐を解き、袴とふんどしを一度に脱がせた。

 褌を締めていない、一糸纏わぬ姿の少年の裸身が月明かりの下に露わになる。

 

「せ、先生っ! 何を……」

 

 恥ずかしさに思わず身を捩る宗太郎だったが、その動きはすぐに封じられた。

 いつの間にか背後に回っていた武が、しっかりと抱きしめるように両腕を巻き付けてきたからだ。

 その温かな感触に包まれながら、しかし武の腕力は有無を言わせぬ強さで、少年の抵抗を捻じ伏せる。

 

「あ……」

 

 思わず抗議の声を上げようとした瞬間、武は少年を仰向けに倒し、そのまま少年の股間へと顔を埋めた。

 

「ひゃんっ!?」

 

 武の舌が、少年の小さな男根をねっとりと舐め上げる。

 瞬間、全身に電流が走ったかのような衝撃が走り、宗太郎は思わず悲鳴を上げた。

 

「せ、先生っ!? あぅっ……ひぅん……やぁ……!」

 

 唾液でぬらぬらと光る唇で屹立した肉棒を咥え込まれ、じゅるじゅると卑猥な音を立てて吸い上げられていく感覚に、少年の口からは悲鳴とも嬌声ともつかぬ声が漏れた。

 その刺激から逃れようと必死に身を捩るが、武の逞しい両腕は微動だにしない。

 

「あっ……駄目っ……!♡ そこ、おしっこ出るとこなのにぃ……!♡」

 

 敏感な場所を舐められるという初体験に、少年の声は次第に切羽詰まったものへと変わっていく。

 しかし、そんな声とは裏腹に、男の舌や口内で弄ばれる幼い男根は、徐々にその硬度と大きさを増していき、やがて先端の小さな割れ目から透明な雫を溢れさせた。

 それはすぐに流れとなって鈴口を濡らし、そして武の舌先によって舐め取られていく。

 

「だ、だめっ……!♡ でるっ、でちゃうよぉぉっ……!♡♡♡」

 

 武の舌が動くたびに走る強烈な刺激に、少年は絶叫にも似た声を上げて喘いだ。

 未知の感覚への恐怖と期待が混ざり合い、その小さな身体はがくがくと震えるばかりだ。

 やがて限界が訪れる。

 

「あ……あぁぁぁぁぁっ!!♡♡♡♡」

 

 ぴゅっ!♡ ぴゅぷっ!♡

 

 一際大きな叫びと共に、少年の男根から白い飛沫が上がった。

 それは弧を描いて宙を舞い、武の顔や胸に飛び散っていく。

 

「はぁ……はぁ……♡」

 

 ようやく解放された男根が、切なそうにヒクヒクと震える。

 少年はぐったりと脱力し、荒い息をついていた。

 その幼い身体から漂う濃厚な性の匂いに、武は満足げに目を細めた。

 

「どうだ? これで一日の汚れは綺麗に落ちただろう」

 

 武は、まるで何事もなかったかのように涼しげな顔でそう言い放つ。

 

「……はい……♡」

 

 一方、ようやく解放された少年は、まだ夢から覚めやらぬようなぼんやりとした表情のまま、とろんとした視線を彷徨わせていた。

 

「どうした? 宗太郎」

 

「……先生……俺……」

 

「ん……?」

 

「なんだか……すごく……寂しいです」

 

 そう言って、少年は甘えるように武の身体に縋りついた。

 

「宗太郎?」

 

「俺、まだ……その……身体の奥が……熱くて……」

 

「……そうか」

 

 武は何かを察したように頷くと、そのまま少年の体に覆いかぶさる。

 

「宗太郎……。お前がこんなにも私を求めてくれるなんて嬉しいぞ。もっと深く……お前を私だけのものにしても……いいか?」

 

「あ……先生……♡」

 

 武の低く甘い声が、宗太郎の心をさらに蕩けさせる。

 宗太郎は顔を赤らめ、恥ずかしさと昂奮で言葉を失いながらも、武のたくましい腕にすがるように身を寄せた。

 二人の距離が縮まり、武の手が宗太郎の腰をそっと引き寄せたその瞬間――

 

「ちょっと待ったぁ!」

 

 けたたましい声が部屋に響き、扉が勢いよく開け放たれた。

 そこに立っていたのはヌイだった。

 長い髪を振り乱し、目をギラギラさせた彼は、まるで獲物を狙う獣のような勢いで部屋に踏み込んできた。

 

「ヌ、ヌイッ!? な、なんでお前がここにいるんだ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げた武は、文字通り飛び起きると、慌てて宗太郎から距離を取った。

 まるで禁断の現場を押さえられたかのように狼狽える。

 

「ふんっ、シサムのガキが! 一度ならず二度までも……よくもヌイの大切なウトマン(夫婦)に手を出そうとしたな、この泥棒猫め!」

 

 ヌイは侮蔑を込めた鋭い声で言い放つ。

 

「武はヌイの――ヌイだけのものだ! 昨日今日現れたぽっと出のシサムなんぞに、指一本触れさせてたまるか!」

 

「は!? いきなり先生の家に入ってきて、何言ってるんだよ!? せっかく先生といい感じだったのにお前というやつは本当に…………はぁ、もういいや……俺はもう遠慮なんてしねー……」

 

 唇を噛み締めた宗太郎は、しかし、すぐにふっと息を吐くと、頬を染めたままねっとりとした視線を武に向けた。

 その変わり身の早さに、武は内心冷や汗をかく。

 

「ねえ、先生……♡ あんな阿呆なチビなんて放っておいて、俺を選んでくれませんか? 俺、先生のためなら……どんなことだって、喜んでしますよ……♡」

 

 最後は吐息混じりの声で、上目遣いに武を見つめる。

 その瞳は潤み、明らかに誘っていた。

 

「な……ななななななな!」

 

 ヌイは顔を真っ赤に染め、唇をわなわなと震わせ怒りのままに叫ぶ。

 

「なんてことを言い出すんだ!? そんなふしだらな真似! シサムの野蛮人め! 早く出て行け!」

 

「ふんっ! 邪魔してるのはそっちだろうが! 先生の迷惑も考えろよ、このチビ!」

 

 宗太郎も売り言葉に買い言葉で立ち上がり、ヌイとバチバチと火花を散らすように睨み合う。

 文字通り、二人の間には見えない稲妻が走っていた。

 

「お、おい、二人とも、まあまあ、落ち着いてくれ……な?」

 

 武がおずおずと仲裁に入ろうとするが――

 

「タケルは黙ってろよ!!」」

「先生は黙っててください!!」」」

 

 まるで示し合わせたかのように、二人の鋭い声が完璧にハモった。

 その剣幕に、武は「うっ」と小さく悲鳴を上げ、すごすごと壁際まで後ずさるしかなかった。

 完全に蚊帳の外である。

 

 一触即発、ピリピリとした空気が部屋を支配する。

 そんな中、不意にヌイの口元が吊り上がり、挑戦的な笑みが浮かんだ。

 まるで面白い玩具を見つけた猫のような、悪戯っぽい光だ。

 

「いいだろう、シサム。そこまで言うなら、ヌイと『勝負』といこうじゃないか」

 

「はあ? なんだよ、急に。だいたい、俺は剣を習い始めたばかりの初心者だぞ? そんな俺とお前がやり合ったって、一方的なだけだろうが。それでもいいって言うのか、このちんちくりん!」

 

 宗太郎が鼻で笑うと、ヌイは肩をすくめてみせた。

 

「ふん、剣もまともに振れない弱っちいシサムをねじ伏せても、ヌイの気は晴れない。だから、今日の勝負は剣じゃない――もっと『面白いこと』で決着をつけるぞ」

 

「面白いこと……?」

 

 宗太郎は訝しげに眉をひそめる。

 

「そうだ――その勝負とはな……」

 

 ヌイはいたずらっぽく片目をつむり、一拍置いてから、無邪気な、しかしとんでもなく爆弾発言なセリフを笑顔で放った。

 

「どっちが『タケルを最高に気持ちよくできるか』で勝負だっ!」

 

「「…………はああぁぁ!?」」

 

 ヌイのとんでもない提案に、宗太郎と、そして完全に巻き込まれている武のあんぐりとした声が、綺麗に重なった。

 部屋の空気が一瞬凍りつく。

 

「どっちがタケルにふさわしいか勝負するんだよ! いいか? シサムが負けたら、とっととコタンから出て行け!」

 

「……はあ? なんだよ、そのふざけた勝負は……」

 

 宗太郎の眉間のしわが、さらに深くなった。

 理解不能、といった表情だ。

 

「ふっふーん! まあ、無理もないか。そんなヒョロっとした貧相な体つきのシサムじゃあ、タケルを満足させるなんて夢のまた夢だろうし? 今のうちに尻尾を巻いて逃げ出すなら、見逃してやってもいいぞ?」

 

 胸を張り両手を腰に当て、ヌイは自信満々に笑みを浮かべる。

 

「はっ! 寝言は寝て言え、このチビ! お前こそ、俺より年下じゃねーか! 上等だ、そのふざけた勝負、受けて立つ! もし俺が勝ったら、お前は俺と先生の仲を認めて、二度と邪魔するなよ!」

 

 宗太郎も負けじと挑発的な言葉をぶつける。

 

 「いいだろう、その勝負受けて立つぞ! さあ、タケル! この弱虫の化けの皮を剝いで、ウトマン(夫婦)の仲をこのシサムに見せつけてやろうよ!」

 

「え? あ、いや、ちょっと待……」

 

 ヌイが一歩前に出て、武の前に跪く。

 

「おいっ! な、なにやってんだ!」

 

 慌てる武を尻目に、ヌイは褌を引き下ろす。

 ブルンッ!と勢いよく男根がその姿を現した。

 それはすでに十分な硬度を持っており、上を向いてその存在を主張していた。

 

「……えへへ♡ タケルのもう大きくなってる♡ 」

 

 それを見たヌイの目が細められ、妖艶さが増した笑みが浮かぶ。

 その細い指が血管の浮き出た幹に触れた瞬間、先端から透明な雫が溢れ出し、彼の指先を汚した。

 

「あっ……や、やめ……」

 

 武の制止の声は耳に入っていないのか、ヌイは小さな舌をちろりと出し、それを掬い取るように舐め取った。

 そしてそのまま亀頭を口に含み、ちゅぱっ♡ と音を立てて吸い上げる。

 

「んふっ……♡ おいひいよぉ、たけむぅ♡ じゅるっ……んっ……♡」

 

 そのまま、まるで飴玉をしゃぶるように、丹念に男根に舌を這わせていく。

 

「くっ……あっ……!」

 

 武の腰がぶるっと震える。

 

「おい! 先にずるいぞ! 俺だって……!」

 

 宗太郎は完全に先手を取られ、焦りを隠せない。

 だが、彼はすぐに気を取り直し、武の横に滑り込んだ。

 

「先生……。俺、先生のことが好きです。初めて会ったときから、ずっと。だから……俺の気持ち、知ってほしくて」

 

「むぐっ!? ちょ、ちょっと待て、宗太郎……」

 

 突然の告白に驚く暇もなく、宗太郎は強引に武の唇に自分のそれを重ねた。

 

「あむっ……ちゅっ……んっ……♡」

 

 宗太郎の舌が武の口内に侵入し、歯列をなぞり、舌と唾液を絡ませる。

 それはあまりに突然の出来事で、武には何が起きているのか理解できず混乱した。

 

「ぷはっ……はぁ……せんせ……♡」

 

 長い接吻を終え、ようやく解放された時には武はもうすっかり骨抜きにされてしまっていた。

 頭がぼーっとして何も考えられなくなっている。

 

「あー! シサム! 勝手なことしてんじゃない!」

 

 それを見たヌイは口を大きく開けて怒声を上げると、より激しく男根への奉仕を行うべく喉の奥まで迎え入れた。

 

「うおっ……!?」

 

 その刺激に、武は思わず情けない声を上げてしまう。

 

「んふっ♡ どう? 気持ちいいれしょ? んぐっ……んっ、んんっ♡」

 

 ヌイは上目遣いに武を見つめつつ、頭を上下させる。

 その小さな口では収まり切らないほど太い男根が、彼の喉奥を犯していた。

 

「くそっ! 負けてたまるか!」

 

 宗太郎も負けじと、今度は武のお尻に顔を埋める。

 

「そ、宗太郎!? そ、そこはちがっ……うぉっ!!」

 

 武が止める暇もなく、宗太郎は武の肛門に舌を差し入れた。

 未知の感覚に、武の身体がびくりと跳ね上がる。

 

「う……あぁ……くぅ……」

 

 武の口から、切なげな吐息が漏れる。

 

「先生、可愛い……♡ もっと感じて下さい♡」

 

 宗太郎はそう言うと、さらに深く舌を挿入し、腸壁をなぞった。

 

「うぁっ……! や、やめ……そ、そうたろっ! そんなとこっ……汚いから……!」

 

「んちゅ♡ ……せんせのおしり、おいしいれすよ?♡」

 

 尻穴を舐める経験はないはずなのに、妙に手慣れた舌使いだった。

 それは決して不快なものではなく、むしろ快感をもたらしてくれるものだった。

 幼い少年が自分の尻穴を舐めているという背徳的な光景に、武は背筋がゾクゾクするような背徳感を覚えた。

 

「たけむぅ♡ はむっ♡ ぬひのくひのほふがひもひいいょ?♡ ……んっ♡ んっ♡ んっ♡」

 

 一方、ヌイの口内では舌が縦横無尽に動き回り、武の男根を攻め立てていた。

 鈴口やカリ首などの敏感な部分も容赦なく舐め回され、その度に先走り汁が溢れ出す。

 その苦味のある液体を喉奥に流し込む度に、ヌイはうっとりと蕩けた表情を浮かべて歓喜するのだった。

 

「くあぁっ……! 二人とも、もうやめてくれっ!」

 

 二人の激しい責めに耐えかねたのか、武が悲鳴のような声を上げた。

 

「ぐぷっ、ぐぷっ♡ んふふ♡ ねぇ、もぅらしてもひいんらよ?♡ じゅるるるる……♡  ぬひのおふちにひっぱいらひていひからねぇ?♡ じゅぽ、じゅぽ……♡」

 

「れろっ、じゅるっ……♡ 武先生……全部俺にぶっかけてください……じゅぷ、れろ……♡ 俺、先生の欲しいです……じゅるるるる……♡」

 

 二人は競い合うように、さらに激しく武の弱いところを攻め立てる。

 そして、ついに限界が訪れた。

 

「くっ……あ……! もうダメだっ! 出るッ!」

 

 武がヌイの口から男根を抜いた瞬間、彼の男根から大量の白濁液が宙空に放物線を描いて飛び散る。

 そしてそれは、ヌイと宗太郎に降り注いだ。

 

「きゃうんっ!♡ あはっ……たけるぅ、いっぱい出たね♡」

 

「あっ……♡ すごい……先生のこんなにいっぱい……♡」

 

 二人はそれぞれ恍惚の表情を浮かべながら、武の放った精を受け止める。その量と勢いは凄まじく、二人の顔を白く染め上げた。

 

「はぁ……はぁ……す、すまない二人とも……」

 

 肩で息をしながら謝る武だったが――

 

「たけるぅ♡ ヌイ、もぅがまんできないよぉ?♡」

 

「先生……俺にお情けをください♡ 俺の、もうこんなになってるんです……♡」

 

 二人はトロンとした目つきで横並びで四つん這いになる。

 そしてお尻の穴をくぱぁっ♡ と広げて見せた。そこはひくひくと蠢き、腸液で濡れそぼっているのが見える。

 

「ね、ねぇ、たけるぅ♡ ヌイのここにぃ……たけるのおちんちん入れてぇ?♡」

 

「武せんせぇ……♡ 俺の尻穴に……いっぱい種付けしてください……♡」

 

 二人は同時に武に向かって尻を突き出し、ふりふりと振ってみせる。

 その姿はまるで発情した二匹の雌猫のようだ。

 その淫靡な光景に武はゴクリと生唾を飲み込む。

 

「い、いや、しかしだな……お前らいいのか? その……喧嘩してるのに、二人同時に相手にしても……」

 

 武が躊躇いを見せると、二人は同時に振り返り、熱っぽい視線を向けてきた。

 

「はやくぅ♡ ヌイにちょうだい♡」

 

「お、俺にくださぁい……♡」

 

 二人はすでに自分の世界に入っているのか、お互いのことなど眼中にないようだ。

 その瞳にはハートマークが浮かんでおり、完全に発情しきっているのが見て取れる。

 

「はぁ……まったく、お前たちは……」

 

 武はため息をつくと、まずヌイの腰を引き寄せた。

 そしてそのまま自分の男根の先端を入り口にあてがい、一気に貫く。

 

 ズボオオオオッ!!!

 

「んあぁぁぁっ!♡♡♡ タケルの、きたぁっ!♡♡♡」

 

 それだけでヌイは大きく背中をのけぞらせ、歓喜の声を上げた。

 その衝撃で膣壁がぎゅっと締まり、武の男根を締め付ける。

 それはまさに極上の名器であり、一瞬で果ててしまいそうになるほどの快感だった。

 

「ぐ……ヌイのなか、締め付けてくる……一気に挿れてしまったがお前、大丈夫か? 痛くはないか?」

 

 心配になって尋ねる武だったが、当のヌイはというと、完全に蕩けた表情を浮かべて快楽に浸っていた。

 口の端からは涎が流れ落ち、幼い陰茎からはぴゅっと潮が吹き出す。

 

「あへぇ……♡ らいじょうぶらよぉ……♡ たけるのおちんちん、きもちいいからぁ♡ もっとぉ、ついてぇ♡」

 

 そう言って腰を動かし始めるヌイを見て、武は安堵すると同時に興奮を覚えた。

 そして抽挿を開始する。

 最初はゆっくりだった動きは次第に激しさを増していき、パンパンという肌と肌がぶつかり合う音が部屋中に響いた。

 

「あっ!♡ あぁっ!!♡♡ しゅごいっ!♡♡ たけるぅっ♡ すきっ!♡ だいしゅきぃ!!♡♡♡」

 

 ぐちゅん! ぐちゅん! ぐちゅん! ぐちゅん!

 

 水っぽい音が部屋中に響き渡った。

 その度にヌイの股間からは愛液が飛び散り、ござを濡らしていく。

 彼の小さな身体は激しく痙攣し、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。

 

「せんせぇ、ずるいです……♡ 俺の相手も、シてください……♡」

 

 すっかり発情した様子で尻穴に指を突き入れていた宗太郎が、武におねだりをする。

 

「ああ、すまないな。今楽にしてやるから……」

 

 今度は宗太郎の腰を引き寄せてそのまま後ろから思いっきり挿入する。

 

 ズブゥウウウウウッ!!!

 

「んあっ!!♡♡♡ きたぁっ!♡♡♡ たけるせんせぇのがっ……♡♡♡」

 

 その瞬間、宗太郎は大きく背中をしならせ、ビクビクッと身体を痙攣させた。

 どうやら軽く達してしまったらしい。

 幼茎の先端からはトロリとした蜜が流れ落ちており、ござに染みを作っていた。

 

 宗太郎の中は、まるで蛸壺のように複雑にうねっており、無数のヒダが絡みついてくるような感触だった。

 その締め付けの強さは凄まじく、油断すると一瞬で果ててしまいそうになるほどだ。

 

「くっ……! お前の中も、すごいな……こんな小さな尻なのに……。これも確かに……名器だ……」

 

「あはっ♡ せんせぇにもほめられたぁ♡♡ うれしいですぅ♡♡」

 

 宗太郎はうっとりとした表情を浮かべながら、自分の下腹部をさすっている。

 その様子がなんともいじらしく、ますます武の興奮を煽る。

 

「せんせぇ、俺も動いていいですか?♡」

 

 そう尋ねるや否や、宗太郎は自ら腰を前後に動かし始めた。

 

 ずぽっずぽっ、ずぽずぽずぽ♡

 

 初めは探るようにゆっくりとした動きだったが、すぐにコツを掴んだようで、リズムよく前後にピストン運動を開始する。

 

 それに合わせて、彼の小さな陰茎もぴょんぴょんと跳ね回る。

 その様はまるで踊っているかのようで、とても可愛らしい。

 

「うぉ……そんな腰使い、どこで覚えたんだ……?」

 

 あまりの気持ち良さに思わず声が出てしまったが――それも仕方のないことだろう。

 それほどまでに宗太郎の尻穴は名器だった。

 しかもそれだけではない。彼はさらに身体全体を、蛇のようにくねらせ動かしてくる。

 いやらしく身体をくねらせながら尻をくねらせるその姿は、まさに妖艶な小悪魔そのものだ。

 

「あっ♡ すごいっ♡ これしゅごいっ♡♡ せんせぇのきもちよすぎるよぉ♡♡♡」

 

 宗太郎は完全に蕩けきった表情を浮かべ、舌足らずな口調で喘ぎ続ける。

 その幼い姿からは想像できないほどの色気と妖艶さに、武は頭がクラクラしてきた。

 

「むぅー! シサムばっかりずるいよぉ! ヌイのこともちゃんと愛してよぉ、たけるぅ!」

 

 自分だけ仲間外れにされているような気分になったのか、ヌイが不満そうな声を上げる。

 

「ああ……すまんなヌイ、もちろんお前とも愛し合うさ」

 

 そう言って武はヌイの腰をがっしりと掴み直す。

 そしてそのまま激しく突き上げた。

 

 パンパンパンッ! パァンッパァンッ!!

 

「あっ!♡ あんっ!♡ しゅごいっ!♡♡ たけるのおちんちんでっ!♡♡♡ いっぱい突かれてるぅ!!♡♡♡」

 

 幼茎から潮を吹き、ヌイは歓喜の声を上げる。

 

「あっ♡ あんっ!♡♡ たけるっ!♡♡♡ しゅきっ!♡♡ だいしゅきぃ!!♡♡♡」

 

「俺も好きだぞ、ヌイ」

 

「ほんと!?♡ あはっ♡ うれしいっ♡ タケル、もっといっぱい突いてぇっ!♡♡♡」

 

 二人は互いに愛を囁き合いながら、激しく交わり続ける。

 

「たけるせんせぇ!♡ 俺にもくださぁい!♡ もっと俺を犯してくださいぃ♡♡♡」

 

「タケルっ♡ ヌイ、もぉイきたいよぉ!♡♡」

 

 二人のおねだりに答えるように、武は、美少年穴を交互に犯す。

 

 肉と肉のぶつかり合う音が響く度、少年たちは大きく背中を反らせ「あっ!♡ あっ!♡ あーっ!!♡♡」と甲高い声で鳴いた。

 その幼い陰茎からは透明な汁がとめどなく溢れており、それが潤滑油となってよりスムーズに抽挿を行うことができた。

 

 二人の美少年が我先にと競い合うように腰を振る姿は、とても淫靡で美しく、武の興奮はさらに高まっていく。

 

 パンッ! パァンッ!! ドチュッドチュッ!! ドヂュッ!! ドッヂュ!! ドッチュ!!

 

「あぁっ!♡♡♡ たけるっ♡♡ たけるぅ♡♡♡♡」

「せんせぇ、すきぃ♡♡♡」

 

 腰を打ち付ける速度を上げるほど、二人の嬌声はどんどん大きくなっていく。

 

「はぁ……はぁ……もう限界だ……出すぞ……!」

 

「らしてぇ!!♡♡♡ たけるのトペ(精液)でヌイのことはらまへてぇっ!!!♡♡♡♡」

「せんせぇっ!!♡♡♡ 俺のお尻にいっぱいくださいっ!!♡♡♡♡」

 

 二人の尻穴が激しく収縮し、武の男根をきつく締め上げる。

 その強烈な刺激に耐え切れず、ついに武は絶頂に達した。

 

「ぐっ……! 出るっ!」

 

 武は最後に思いっきり腰を打ち付けると、そのまま大量の精液を流し込んだ。

 

「ああぁ〜〜〜〜〜〜!!!♡♡♡♡♡♡♡♡」

「んああぁああ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!♡♡♡♡♡♡」

 

 びゅるるるっ! ぶぴゅっ! どぴゅっ!!

 

 大量の精液が二人の中に放たれていく。

 二人の美少年は同時に絶頂に達し、身体を大きく仰け反らせながら絶叫した。

 

「あはぁ♡♡♡ きたぁ♡♡♡ たけるのトペいっぱいでてるぅ♡♡♡」

 

「あぁっ♡♡♡ あったかいのがぁ♡♡♡ いっぱいでてましゅうぅ♡♡♡」

 

 二人はビクビクッと身体を痙攣させながら、恍惚の表情を浮かべていた。

 

「ふぅ……二人とも、大丈夫か?」

 

 武は二人の尻穴から男根を引き抜くと、優しく声をかけた。

 

「はぁい……♡」

 

「だいじょうぶれすぅ……」

 

 二人は蕩けきった顔で返事をする。

 その様子はとても可愛らしいのだが、その下半身には白濁液が飛び散っており、なんとも淫靡な雰囲気を漂わせているのだった。

 武が男根を引き抜くと、ぽっかりと開いた二人の穴からは白濁液が流れ出した。

 

「そうか、二人ともよく頑張ったな」

 

 武は息を整えつつ、二人の頭を優しく撫でる。

 すると二人は嬉しそうに目を細めた。

 

「ん、たけるぅ……♡ す、きぃ……んぅ……ちゅっ……♡ もっと、たけるのほしぃよぉ……んっ……♡」

 

「せんせぇ……♡ だいしゅき、です……♡ ちゅぷっ……♡ もっと……せんせぇを、感じていたいです……れるぅ……♡」

 

 次の瞬間、まるで示し合わせたかのように、ヌイと宗太郎の唇が自然に引き寄せられ、熱く重ね合わされた。

 互いの舌が戸惑いながらも絡み合い、吐息が混じり合う。

 それは、先程までの敵意など微塵も感じさせない、まるで蜜月の恋人たちが互いを確かめ合うような、濃密で甘美な口づけだった。

 

「んく……ぷはぁ……♡ せんせぇ……もっと、もっとぉ……♡」

 

「あふぅ……♡ ヌイもぉ、もっかい……ちゅぅ、するぅ……♡」

 

 先程までの勝負の熱気はどこへやら、今はただ目の前の温もりと快楽に身を委ねている。

 朦朧とした意識の中では、普段の犬猿の仲である互いの姿さえも、正しく認識できていないのだろう。

 

「ふむ……こんな形で二人が絆を深めるなんて、予想外だったが、悪くない。どういう形であれ、弟子たちが互いを求め合い、心を通わせる姿は、なんとも美しいものだ」

 

 武はそんな独り言を呟きながら、二人の弟子がじゃれ合い、やがて互いの温もりの中で安心しきって眠りにつくまで、その熱っぽいながらもどこか純粋な光景を、静かに、そして穏やかな表情で見守り続けるのだった――。

 

♦

 

 色々な意味で嵐のような一夜が明け、オンカミサㇺのコタンにはいつもと変わらぬ、しかしどこか湿り気を帯びたような朝が訪れた。

 鶏の鳴き声と、遠くの森から聞こえる鳥のさえずりが、新しい一日の始まりを告げている。

 

 コタンの中央広場には、昨夜のあの濃密で激しい一夜などまるで幻だったかのように、武と、その両脇に少し距離を置いて立つヌイと宗太郎の姿があった。

 

「……いいか、二人とも。昨夜のことは昨夜のこととして、一旦胸の内に仕舞え。お前たちがそれぞれ何を思い、何を抱えていようと、それはお前たち自身の領域だ。俺が口を挟むことではない。だが、一度木刀を握り、この稽古場に立ったならば、私情は捨てろ。剣に寸毫(すんごう)の迷いでもあれば、それは即、己の命取りになる。ただ目の前の一振りに、己の魂の全てを込めろ」

 

 武の、いつもより少しだけ低い、しかし有無を言わせぬ声が飛ぶ。

 その言葉に、ヌイと宗太郎はそれぞれ小さく頷き、木刀を握りしめた。

 相変わらず、二人の間に流れる空気はピリピリと張り詰めている。

 

 だがしかし、相変わらず、二人の間に流れる空気は、触れれば火花でも散りそうなほどピリピリと張り詰めている。

 

 それでも、その緊張の質は、昨夜までの剥き出しの敵意や、あからさまな拒絶とは、どこか異なっているようにも武には感じられた。

 

 その証拠、とでも言うべきか。

 あれほど宗太郎と一緒に稽古をすることを嫌がり、今までチセの中からその様子を苦虫を噛み潰したような顔で窺っていたヌイが、今朝はこうして宗太郎と並び、同じ稽古場に立っているのだ。

 もっとも、その顔は不貞腐れたように固く、宗太郎とは反対の方向を向いて腕を組んでいるが。

 

 だが、ふとした瞬間に互いの視線が絡み合う。

 

 その度に、まるで熱いものにでも触れたかのように、どこか気まずそうな、そして形容しがたい羞恥に頬を染めたような表情を浮かべ、慌ててぷいと目を逸らすのだ。

 

 まるで、互いの存在を無視できないほど強く、深く意識してしまったが故の、ぎこちない反発とでも言うべきか。

 

 あるいは、まだ言葉にならない感情の萌芽か。

 

 

「まずは素振り百本。ヌイ、お前からだ。気を抜くなよ」

 

「……うん」

 

 ヌイは短く、蚊の鳴くような声で応えると、鋭い呼気と共に木刀を振り下ろした。

 その太刀筋は、いつもと変わらず、柳のようにしなやかで、それでいて岩をも砕くような力強さを秘めている。

 だが、ほんのわずかに、その流れるような動きが硬い。

 まるで、身体のどこかに見えない枷でもはめられているかのように。

 そして、チラリ、チラリと、まるで盗み見るように横目で宗太郎の様子を窺っているのが、武には手に取るように見て取れた。

 

(……ふむ。昨夜の一件で、少しは何か思うところでもあったか? それとも、単に意識しすぎているだけか……)

 

 次に、宗太郎が武の号令で木刀を構える。

 昨日、ヌイの変幻自在な動きの前に完膚なきまでに打ち負かされた、あの屈辱的な悔しさが、その引き結ばれた唇にまだ色濃く残っている。

 しかし、その双眸(そうぼう)の奥には、昨日とは明らかに異なる、新たな決意の炎が静かに、だが確かに灯っていた。

 

「はぁっ!」

 

 荒々しい、獣の咆哮にも似た気合と共に振り下ろされる木刀。

 その軌道はまだ恐ろしく粗削りで、体幹も安定せず、見ている方がハラハラするほどだ。

 だが、昨日までのただ闇雲に力任せだった動きとは異なり、その一太刀一太刀に込める執念とでも言うべき、凄まじい気迫が感じられた。

 

「……ふん。そんなへっぽこ剣で、いつになったらこのヌイに追いつけるんだか。百年早いんじゃない?」

 

 先に素振りを終え、腕を組んで宗太郎の稽古を見守っていたヌイが、わざとらしく大きなため息混じりにそう呟いた。

 

「なっ……! う、うるさいな! 昨日よりは少しはマシになってるだろ ……た、たぶん!」

 

「へぇ? マシになったって、それは巣でピーピーか細い声で鳴いてたチカㇷ゚(鳥)のヒナが、ようやくヨタヨタと地面を数歩歩けるようになった程度の違いじゃないの? ヌイの方がずーっと昔からタケルに稽古つけてもらってるんだからさ。お前みたいな昨日今日来たばかりの、弱っちいシサムのガキと一緒にしないでくれる?」

 

「なんだと、このチビ! 俺だって本気出せば……!」

 

「本気? お前の本気って、昨日みたいに無様に転がること?」

 

「てめぇ……!」

 

 売り言葉に買い言葉。

 あっという間に、二人の間には再び険悪な空気が立ち込める。

 木刀の切っ先が、互いに向き合わんばかりの勢いだ。

 

「――そこまでだ、二人ともっ!! 稽古場で私語を慎めと、何度言ったら脳に染み込むんだ、この未熟者どもが! それに、互いを罵り合う暇があるなら、その有り余る力を一本の素振りに込めろと言っているだろうが! お前たちは、いつまで子供の売り言葉に買い言葉のような、くだらん喧嘩を続けるつもりだ! 」

 

 武の叱責に、ヌイも宗太郎も、びくりと肩を震わせ、しゅんとうなだれる。

 

「……ほんの少しは歩み寄るかと思えば、これだ。嘆かわしい。いいか、二人とも。剣の道というものは、ただ己の強さを追い求めるだけではない。相手を敬い、その技を認め、そして何よりも己自身を厳しく律することもまた、重要な修行なのだ。ましてやお前たちは、これから先、共に困難に立ち向かい、背中を預け合うことになるやもしれんのだぞ? そんな心の狭さで、一体どうするというのだ!」

 

 武は、大きなため息をつくと、二人の頭をそれぞれゲンコツで軽く小突いた。

 

「い、痛っ……! せ、先生、すみませんでした……! で、でも、こいつが先に生意気なことばっかり言うから、俺は……その……」

 

「むぅ……。タケルのわからず屋……。ヌイは悪くないもん……」

 

 謝りながらも相手の非を訴える宗太郎と、そっぽを向きながらもバツが悪そうに唇を尖らせるヌイ。

 そのどこか微笑ましい様子に、武は再び深いため息をつきつつも、その口元には、どうしようもないといった風な、微かな苦笑が浮かんでいた。

 

(やれやれ……この二人の間に本当の友情が芽生えるのは、まだまだ先が長そうだな……)

 

 それでも、ほんの少しだけ。

 ほんの僅かではあるが、昨夜や今朝方とは明らかに違う空気が、二人の少年たちの間に流れ始めたのを、武の目は、確かに見逃さなかった。

 

 それは、まだ互いに悪態をつきながらも、以前のような純粋な敵意や拒絶だけではない、何かが、春の陽光を受けて微かに揺らぎ始めたような。

 言葉にはできない、だが確かな変化の兆しなのかもしれない。

 

 その小さな、小さな兆しが、いつか確かな絆という名の太い幹へと育っていく日を、武は、今はただ静かに、そして何よりも根気強く待ち続けようと、心の中でそっと決意するのだった。

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