※この作品はR-18です。

北海道開拓異聞~薩摩隼人はアイヌの少年を愛でる~   作:とけそうだら

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第9話 薩摩隼人は清国の男の娘がために剣を抜く③

 

「な、なんだ!? てめぇら、何者だ!」

 

 銀次が叫ぶと同時、空き家にいた十数人の黒狼会の男たちが一斉に立ち上がった。

 ドスや白木の刀、木刀を手に、武たち三人を取り囲む。

 

「兄貴、こいつら清国のガキを助けに来た連中ですかい?」

 

「馬鹿め、三人だけで何ができるってんだ!」

 

 下卑た笑い声が空き家に響く。

 だが、武は微動だにしなかった。

 

「ヌイ、宗太郎。怜花の縄を切れ。ここは私が引き受ける」

 

「でも先生、相手は十人以上……!」

 

「心配無用。こんな連中、物の数にも入らん」

 

 武がそう言った瞬間、軍刀が鞘から滑り出た。

 刀身が薄暗い空き家の中で、鋭く冷たい光を放つ。

 

「舐めやがって! 野郎ども、やっちまえ!」

 

 銀次の号令と共に、黒狼会の男たちが一斉に武に襲いかかった。

 

「うおおおおっ!」

「殺せ!」

 

 刀が振り下ろされ、ドスが宙を舞う。

 だが――

 

 キィン!

 

 武の軍刀が、まるで踊るように宙を舞った。

 一閃、また一閃。それは斬るための動きではない。

 刀身の腹で男たちの顔面や側頭部を、的確に、そして無慈悲に打ち据える。

 

「がはっ!」

「うぎゃあ!」

 

 人体から発せられる鈍い打撃音。

 男たちは短い悲鳴すら上げられず、まるで糸の切れた人形のように次々と意識を刈り取られ、床に崩れ落ちていく。

 

「嘘だろ……」

「化け物か、こいつ……」

 

 残った数人の顔から血の気が引き、その瞳に純粋な恐怖が宿る。

 その隙を見逃さず、ヌイと宗太郎が怜花のもとへ駆けた。

 ヌイが懐の小刀で手早く縄を断ち切る。

 

「レイファ、大丈夫か?」

 

「謝謝(シェシェ)、ヌイちゃん……ソータロー……」

 

 怜花の目に涙が滲む。

 その時、まだ立っていた数人の男たちが、怒りに顔を歪ませ、ヌイと宗太郎に襲いかかった。

 

「こいつらも始末してやる!」

 

「危ない!」

 

 宗太郎が咄嗟にヌイの前に出る。

 しかし、背に背負った刀を抜いたヌイの方が早かった。

 

「はっ!」

 

 ヌイの刀の峰が、男の鳩尾に正確に叩きつけられた。

 男は「ぐえっ」という短い悲鳴を上げ、崩れ落ちる。

 

「俺も負けてられるか!」

 

 宗太郎もまた、床に落ちていた木刀を拾うと、示現流の型で突進。

 相手の斬撃を屈んでかわし、がら空きになった膝を横殴りに砕いた。

 

「ぐぁっ!」

 

 体勢を崩した男の顔面に、宗太郎は容赦なく踵を落とす。

 

「どうだヌイ! 俺だってやるだろ!」

 

「ふん……それ、示現流じゃない。ただのへたくそ剣術だ」

 

「なにをぉ……勝ったんだからいいだろ!」

 

「こらこら、二人とも。喧嘩は止めるアル。仲良く仲良くネ♪」

 

 自由になった怜花が、二人の間に割って入る。

 その時、背後から二人の男が同時に斬りかかってきた。

 

「しまっ……! レイファ!!」

「怜花さん、危ない!」

 

 二人の悲鳴は、しかし間に合わない。

 振り下ろされた刃が、怜花の頭上へと迫る。

 

「――甘いネ」

 

 怜花は身を捻って刀を紙一重で躱すと、その勢いのまま、チャイナドレスのスリットを翻して天を蹴った。

 男たちの視界から、怜花の姿が一瞬消える。

 次の瞬間、見えないほどの速度で放たれた連続蹴りが、二人の顔面に炸裂した。

 

「「ぐぇっ!?」」

 

 二人の巨体が、まるで木の葉のように吹き飛び、凄まじい勢いで壁を突き破って外の闇へと消えた。

 

「えぇっ!? な、なんだ今の技は!?」

 

 ヌイが驚愕の声を上げる。

 

「ふふん♪ ワタシ、故郷じゃ”小鬼脚(シャオグイジャオ)”呼ばれてたネ。黄(ウォン)師匠直伝の『無影脚』は天下一品アル!」

 

 怜花は誇らしげに胸を張る。

 その姿に、宗太郎は若干引き気味に呟いた。

 

「こんなに強いんなら、俺たち助けに来なくてもよかったんじゃ……」

 

 

 空き家の床には、呻き声を上げる十数人の男たちが転がっていた。

 わずか数分で戦況は覆り、残る敵は蛇蝎の銀次と一人の部下だけ。

 

「馬鹿な……こんなことが……」

 

 銀次の顔が、恐怖と屈辱に歪む。

 だが、その瞳の奥で、爬虫類のような冷たい光が揺らめいた。

 

「ふん、なかなかやるじゃねえか。だが、俺はそう簡単にはいかんぞ」

 

 銀次はそう言うと、いきなり近くで倒れていた部下の一人を掴み上げた。

 

「ちょ、兄貴!? なにを……」

 

 部下の男が困惑した表情を見せる。

 しかし、銀次は躊躇なくその男を盾にし、武に向かって突き出した。

 

「はっ!」

 

 武は咄嗟に男を斬ることを避け、刀の腹で打ち据える。

 男が崩れ落ちる、その一瞬の隙。

 銀次は空き家の裏口へと向かって疾走していた。

 

「逃がすか!」

 

 武がその後を追う。

 ヌイと宗太郎も、怜花を庇いながら続いた。

 

♦

 

 裏路地を抜けた先は、月光に照らされた寂れた広場だった。

 

「もう終わりだ。大人しく縄につけ。命だけは助けてやる」

 

 武の静かな声が響く。

 

「へへっ、言うじゃねえか。だがな、こっからは俺の庭だ!」

 

 銀次が振り返ると同時に、腰に巻いていた長い鞭を解いた。

 それは優に十メートルはあろうかという長大な革鞭。

 まるで巨大な蛇のように、禍々しくうねっている。

 

 パンッ!!

 

 空気が破裂する音。

 瞬間、武の頬から一筋の血が噴き出た。

 

「タケルっ!」

「先生!」

 

 ヌイと宗太郎が駆け寄ろうとするのを、武は手で制した。

 

「来るな!!」

 

 咄嗟に怜花が二人の腕を掴み、その場に留まらせる。

 

 パンッ!!

 

 再び空気を切り裂く音。

 次の瞬間、ヌイと宗太郎の目の前にあった木箱が、まるで爆ぜたかのように粉々に砕け散った。

 

「ちっ、あのガキどもから始末してやろうと思ったんだがな」

 

「なんだあの武器は……」

 

 宗太郎が息を呑む。

 

「くくく、これが俺の得意得物よ。刃を仕込んだ特製の鞭、『蜥蜴の尻尾(リザード・テイル)』だ」

 

 銀次が嗤った瞬間、鞭が鋭く空を切り、広場の隅に転がっていた岩をバターのように真っ二つに引き裂いた。

 

「……岩が、真っ二つ……」

 

 ヌイと宗太郎は言葉を失う。

 

「へへへ、びびったか? 今のうちに逃げてもいいぜ? 俺の鞭で八つ裂きにされる前に、な!」

 

 下卑た笑い声が響く。

 その時、武の口から、ふっと笑みが漏れた。

 

「何笑ってやがる。あまりの力の差に、頭がおかしくなったか?」

 

「ヌイ、宗太郎……よく見ておけ」

 

「え?」「先生?」

 

「今から対鞭戦闘の基本を教える。瞬きするな。見て学べ」

 

「はぁ!? 俺の『蜥蜴の尻尾』を前にして、稽古のつもりか!」

 

 武は銀次を意に介さず、静かに一歩、また一歩と踏み出した。

 

「馬鹿め、歩いて来るとは! 格好の的だぜ!」

 

 鞭が唸りを上げ、音速に近い速度で武の顔面を襲う。

 だが――武は体の軸をわずかにずらすだけで、その一撃をやり過ごした。

 

「なっ!? ……偶然だ! もう一発!」

 

 蛇のように地面を這う鞭。

 武は軽く片足を上げて、それも紙一重で回避する。

 

「くそ、くそっ!」

 

 銀次は狂ったように鞭を振り回す。

 鞭の嵐が武に襲いかかるが、武はそよ風の中を散歩するように、最小限の動きですべてを躱し続ける。

 

「な、何なんだ貴様は! なんで当たらねえ!」

 

 銀次の額に、玉のような汗が浮かぶ。

 

「目だ」

 

「は?」

 

「相手の視線、鞭を振るう肩、肘、手首の微細な筋肉の動き。風を切る音。戦場で得られる情報は無限にある。お前の鞭の軌道は、振るわれる前から俺には見えている」

 

「馬鹿を言うな! そんな芸当ができるわけ……」

 

 銀次の言葉を遮り、武が動いた。

 鞭の嵐を突き抜け、一歩、また一歩と、しかし確実に距離を詰めていく。

 その足取りに迷いはない。

 

「……見切った」

 

 武の瞳が、鞭の根本――銀次の手首の動きを完全に捉えた。

 次の瞬間、武の体が風と化す。

 

「何!?」

 

 銀次が驚愕する間もなく、武は鞭の攻撃範囲を一瞬で踏み破り、その懐に飛び込んでいた。

 

「ば、馬鹿な……俺の鞭より速く……」

 

「言ったはずだ。もう見切った、と」

 

 ゴッ、という肉を打つ鈍い音。

 武の軍刀が、最短距離で銀次の首筋に叩き込まれていた。

 峰打ちだ。

 

「がはっ……き、さま……いったい、何者だ……」

 

 膝から崩れ落ちながら、銀次は最後の力を振り絞って問いかける。

 武は静かに答えた。

 

「なに、ただの役人だよ」

 

 その言葉を最後に、銀次の意識は完全に断たれ、汚れた地面に崩れ落ちた。

 

「すごい……タケルはやっぱりすごいや!」

 

「ふへー……先生の強さ、格が違いすぎる……」

 

 ヌイと宗太郎が、呆然としながらも感嘆の声を上げる。

 武は血振りもせず、静かに軍刀を鞘に収めると、怜花の方を振り返った。

 その瞳は、先程までの冷徹な戦士のものではなく、友を気遣う優しい色に戻っていた。

 

「怜花、怪我はないか?」

 

「タケ、さん……」

 

 その声を聞いた瞬間、張り詰めていたものが、ぷつりと切れた。

 怜花の大きな瞳から、堪えていた涙が堰を切って溢れ出す。

 それは恐怖や痛みからではなく、ただ、助けに来てくれた友への深い感謝と安堵の涙だった。

 

「ありがとう。本当に……ありがとう、アル」

 

 その声は震え、言葉にならなかった。

 夜の函館に、静寂が戻る。

 それは町全体の平和ではなく、今この場所にいる者たちだけの、ささやかで、しかし何物にも代えがたい安らぎの時間。

 月光が、涙に濡れる少年の横顔と、それを見守る青年の姿を静かに照らしていた。

 

 

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