北海道開拓異聞~薩摩隼人はアイヌの少年を愛でる~ 作:とけそうだら
「な、なんだ!? てめぇら、何者だ!」
銀次が叫ぶと同時、空き家にいた十数人の黒狼会の男たちが一斉に立ち上がった。
ドスや白木の刀、木刀を手に、武たち三人を取り囲む。
「兄貴、こいつら清国のガキを助けに来た連中ですかい?」
「馬鹿め、三人だけで何ができるってんだ!」
下卑た笑い声が空き家に響く。
だが、武は微動だにしなかった。
「ヌイ、宗太郎。怜花の縄を切れ。ここは私が引き受ける」
「でも先生、相手は十人以上……!」
「心配無用。こんな連中、物の数にも入らん」
武がそう言った瞬間、軍刀が鞘から滑り出た。
刀身が薄暗い空き家の中で、鋭く冷たい光を放つ。
「舐めやがって! 野郎ども、やっちまえ!」
銀次の号令と共に、黒狼会の男たちが一斉に武に襲いかかった。
「うおおおおっ!」
「殺せ!」
刀が振り下ろされ、ドスが宙を舞う。
だが――
キィン!
武の軍刀が、まるで踊るように宙を舞った。
一閃、また一閃。それは斬るための動きではない。
刀身の腹で男たちの顔面や側頭部を、的確に、そして無慈悲に打ち据える。
「がはっ!」
「うぎゃあ!」
人体から発せられる鈍い打撃音。
男たちは短い悲鳴すら上げられず、まるで糸の切れた人形のように次々と意識を刈り取られ、床に崩れ落ちていく。
「嘘だろ……」
「化け物か、こいつ……」
残った数人の顔から血の気が引き、その瞳に純粋な恐怖が宿る。
その隙を見逃さず、ヌイと宗太郎が怜花のもとへ駆けた。
ヌイが懐の小刀で手早く縄を断ち切る。
「レイファ、大丈夫か?」
「
怜花の目に涙が滲む。
その時、まだ立っていた数人の男たちが、怒りに顔を歪ませ、ヌイと宗太郎に襲いかかった。
「こいつらも始末してやる!」
「危ない!」
宗太郎が咄嗟にヌイの前に出る。
しかし、背に背負った刀を抜いたヌイの方が早かった。
「はっ!」
ヌイの刀の峰が、男の鳩尾に正確に叩きつけられた。
男は「ぐえっ」という短い悲鳴を上げ、崩れ落ちる。
「俺も負けてられるか!」
宗太郎もまた、床に落ちていた木刀を拾うと、示現流の型で突進。
相手の斬撃を屈んでかわし、がら空きになった膝を横殴りに砕いた。
「ぐぁっ!」
体勢を崩した男の顔面に、宗太郎は容赦なく踵を落とす。
「どうだヌイ! 俺だってやるだろ!」
「ふん……それ、示現流じゃない。ただのへたくそ剣術だ」
「なにをぉ……勝ったんだからいいだろ!」
「こらこら、二人とも。喧嘩は止めるアル。仲良く仲良くネ♪」
自由になった怜花が、二人の間に割って入る。
その時、背後から二人の男が同時に斬りかかってきた。
「しまっ……! レイファ!!」
「怜花さん、危ない!」
二人の悲鳴は、しかし間に合わない。
振り下ろされた刃が、怜花の頭上へと迫る。
「――甘いネ」
怜花は身を捻って刀を紙一重で躱すと、その勢いのまま、チャイナドレスのスリットを翻して天を蹴った。
男たちの視界から、怜花の姿が一瞬消える。
次の瞬間、見えないほどの速度で放たれた連続蹴りが、二人の顔面に炸裂した。
「「ぐぇっ!?」」
二人の巨体が、まるで木の葉のように吹き飛び、凄まじい勢いで壁を突き破って外の闇へと消えた。
「えぇっ!? な、なんだ今の技は!?」
ヌイが驚愕の声を上げる。
「ふふん♪ ワタシ、故郷じゃ”
怜花は誇らしげに胸を張る。
その姿に、宗太郎は若干引き気味に呟いた。
「こんなに強いんなら、俺たち助けに来なくてもよかったんじゃ……」
空き家の床には、呻き声を上げる十数人の男たちが転がっていた。
わずか数分で戦況は覆り、残る敵は蛇蝎の銀次と一人の部下だけ。
「馬鹿な……こんなことが……」
銀次の顔が、恐怖と屈辱に歪む。
だが、その瞳の奥で、爬虫類のような冷たい光が揺らめいた。
「ふん、なかなかやるじゃねえか。だが、俺はそう簡単にはいかんぞ」
銀次はそう言うと、いきなり近くで倒れていた部下の一人を掴み上げた。
「ちょ、兄貴!? なにを……」
部下の男が困惑した表情を見せる。
しかし、銀次は躊躇なくその男を盾にし、武に向かって突き出した。
「はっ!」
武は咄嗟に男を斬ることを避け、刀の腹で打ち据える。
男が崩れ落ちる、その一瞬の隙。
銀次は空き家の裏口へと向かって疾走していた。
「逃がすか!」
武がその後を追う。
ヌイと宗太郎も、怜花を庇いながら続いた。
♦
裏路地を抜けた先は、月光に照らされた寂れた広場だった。
「もう終わりだ。大人しく縄につけ。命だけは助けてやる」
武の静かな声が響く。
「へへっ、言うじゃねえか。だがな、こっからは俺の庭だ!」
銀次が振り返ると同時に、腰に巻いていた長い鞭を解いた。
それは優に十メートルはあろうかという長大な革鞭。
まるで巨大な蛇のように、禍々しくうねっている。
パンッ!!
空気が破裂する音。
瞬間、武の頬から一筋の血が噴き出た。
「タケルっ!」
「先生!」
ヌイと宗太郎が駆け寄ろうとするのを、武は手で制した。
「来るな!!」
咄嗟に怜花が二人の腕を掴み、その場に留まらせる。
パンッ!!
再び空気を切り裂く音。
次の瞬間、ヌイと宗太郎の目の前にあった木箱が、まるで爆ぜたかのように粉々に砕け散った。
「ちっ、あのガキどもから始末してやろうと思ったんだがな」
「なんだあの武器は……」
宗太郎が息を呑む。
「くくく、これが俺の得意得物よ。刃を仕込んだ特製の鞭、『
銀次が嗤った瞬間、鞭が鋭く空を切り、広場の隅に転がっていた岩をバターのように真っ二つに引き裂いた。
「……岩が、真っ二つ……」
ヌイと宗太郎は言葉を失う。
「へへへ、びびったか? 今のうちに逃げてもいいぜ? 俺の鞭で八つ裂きにされる前に、な!」
下卑た笑い声が響く。
その時、武の口から、ふっと笑みが漏れた。
「何笑ってやがる。あまりの力の差に、頭がおかしくなったか?」
「ヌイ、宗太郎……よく見ておけ」
「え?」「先生?」
「今から対鞭戦闘の基本を教える。瞬きするな。見て学べ」
「はぁ!? 俺の『蜥蜴の尻尾』を前にして、稽古のつもりか!」
武は銀次を意に介さず、静かに一歩、また一歩と踏み出した。
「馬鹿め、歩いて来るとは! 格好の的だぜ!」
鞭が唸りを上げ、音速に近い速度で武の顔面を襲う。
だが――武は体の軸をわずかにずらすだけで、その一撃をやり過ごした。
「なっ!? ……偶然だ! もう一発!」
蛇のように地面を這う鞭。
武は軽く片足を上げて、それも紙一重で回避する。
「くそ、くそっ!」
銀次は狂ったように鞭を振り回す。
鞭の嵐が武に襲いかかるが、武はそよ風の中を散歩するように、最小限の動きですべてを躱し続ける。
「な、何なんだ貴様は! なんで当たらねえ!」
銀次の額に、玉のような汗が浮かぶ。
「目だ」
「は?」
「相手の視線、鞭を振るう肩、肘、手首の微細な筋肉の動き。風を切る音。戦場で得られる情報は無限にある。お前の鞭の軌道は、振るわれる前から俺には見えている」
「馬鹿を言うな! そんな芸当ができるわけ……」
銀次の言葉を遮り、武が動いた。
鞭の嵐を突き抜け、一歩、また一歩と、しかし確実に距離を詰めていく。
その足取りに迷いはない。
「……見切った」
武の瞳が、鞭の根本――銀次の手首の動きを完全に捉えた。
次の瞬間、武の体が風と化す。
「何!?」
銀次が驚愕する間もなく、武は鞭の攻撃範囲を一瞬で踏み破り、その懐に飛び込んでいた。
「ば、馬鹿な……俺の鞭より速く……」
「言ったはずだ。もう見切った、と」
ゴッ、という肉を打つ鈍い音。
武の軍刀が、最短距離で銀次の首筋に叩き込まれていた。
峰打ちだ。
「がはっ……き、さま……いったい、何者だ……」
膝から崩れ落ちながら、銀次は最後の力を振り絞って問いかける。
武は静かに答えた。
「なに、ただの役人だよ」
その言葉を最後に、銀次の意識は完全に断たれ、汚れた地面に崩れ落ちた。
「すごい……タケルはやっぱりすごいや!」
「ふへー……先生の強さ、格が違いすぎる……」
ヌイと宗太郎が、呆然としながらも感嘆の声を上げる。
武は血振りもせず、静かに軍刀を鞘に収めると、怜花の方を振り返った。
その瞳は、先程までの冷徹な戦士のものではなく、友を気遣う優しい色に戻っていた。
「怜花、怪我はないか?」
「タケ、さん……」
その声を聞いた瞬間、張り詰めていたものが、ぷつりと切れた。
怜花の大きな瞳から、堪えていた涙が堰を切って溢れ出す。
それは恐怖や痛みからではなく、ただ、助けに来てくれた友への深い感謝と安堵の涙だった。
「ありがとう。本当に……ありがとう、アル」
その声は震え、言葉にならなかった。
夜の函館に、静寂が戻る。
それは町全体の平和ではなく、今この場所にいる者たちだけの、ささやかで、しかし何物にも代えがたい安らぎの時間。
月光が、涙に濡れる少年の横顔と、それを見守る青年の姿を静かに照らしていた。