私の部屋で、私のベッドで、彼女が眠っている。
今更になって恥ずかしいのか、背中はこっちに向けたまま、無防備な素肌だけが晒されていた。
「羽流? ねぇ、羽流ってば…」
声を掛けて、突っついて、体を揺すっても返事がない。
眠っている。何て事はないんだろう。どうにも、呼吸の加減がわざとらしい。
撫でられて、くすぐったかったのか、体を揺らした羽流の背中が少し逸れた。
「はねるーん」
「…なに?」
「起きてるんだったら返事くらい…」
効果はバツグンだった。ちょっとだけ、恥ずかしいのを我慢したかいもある。
けれど、一体何が羽流の機嫌を損ねたのか、続く言葉はどうにもふてぶてしい。
「っち…」
「え、なに?」
聞き返して一呼吸。大きく息を吸い込んだ羽流は、ボリュームを間違えたかのように声を上げた。
「まふゆんのエッチっ!」
「は?」
ちょっと、イラッとした。
あんまりにも理不尽な物言いに、カチンともくる。
背中を丸め、体を抱いて、そんな被害者ぶられたって、こっちにも言い分はあった。
「押し倒してきたのはそっちでしょっ! 羽流のほうがよっぽどっ…」
丸まってしまった羽流の肩を引っ掴み、こちら側へと引き倒す。
まるで、さっきまでの仕返しみたい。羽流の上に陣取った私は、顔を隠す彼女の両手を強引に開き、ベッドに押し付けた。
「え、あ…ちょっ、なんで泣いて…」
「泣いてない…。こっちみんなバカっ」
「バカって…っ。ああ、もう…っ」
隠すように背けた顔。晒された頬に一筋と流れた雫が光る。
やりづらい。調子がくるって仕方がない。文句の一つも言ってやろうと思ってた。なのに、初めて見る羽流の泣き顔に、言いたい事も忘れてしまう。
あれ、羽流って、こんな小さかったっけ?
私より身長が低いんだ、それはそうなんだけど。色眼鏡かな。今まで私が羽流に抱いていた印象は、もっと、ずっと、大きかった。こんな風に涙を流す姿なんか想像できなくって、泣いている彼女を前に、何て言葉を掛けて良いのかわからない。
「羽流? ほんとに、どうしたっていうの?」
「別に…なんでも」
「無いわけ無いでしょうが」
「っ…だって、私、初めてだったのに。私、ダメって言ったのにっ」
「初めてって、そんなの私も同じで…」
「だからダメなんじゃんっ。そんなの余計ダメじゃないっ!」
本当に、羽流が泣いてる理由が分からない。
反省会でもしたいのかと思えば、そんな空気では絶対ないし。そりゃ、初めてどうしで至らない点も多かったかも知れないが、何も泣きたい程じゃ無いはずだ。
「今度は、ちゃんとしようって。優しくしようって、思ってたのに…また真冬に滅茶苦茶やって…。ごめん。ごめんね、ごめんなさい…ぅっ、くっ…ぇぅっ」
「いや、あぁ…それは、別に。私が変に煽ったせいもあるでしょ? 何も羽流だけのせいじゃないっていうか。泣かないでよ、エッチの後にそんな泣かれたら、私だって…どうしていいか」
まぁ、そうだよね。
無かった事には出来ないか。
改めまして、今日が初めてだって、思い直してもさ。やっぱり、私達の関係が始まったのは あの時からだから。もっと、いい思い出にしてあげたい。羽流なりに色々考えていたはずなのに、私が土足で蹴っ飛ばすから ややこしくなる。
「…怒ってない?」
「怒るわけない」
「…ほんとに?」
「ほんとだって」
なんていうか、弱気になってる羽流っていうのも新鮮だ。
私の気持ちを確かめようと、不器用な言葉の数々に、ちょっとだけくすぐったくなった。
「…オナっぴ」
「それはちょっと怒ってる」
「ほぉぉらぁぁっ、やっぱ怒ってんじゃんっ! まふゆんの嘘つきっ、バカっ」
「またバカって、あぁ、もう…。自分で蒸し返して泣かないのっ」
「ひぅっ…。ぁ、ごめ…な、さぃ…」
「あっ、いやっ…私も、声上げて…ごめん」
このままじゃ埒が明かない。
私が声を上げる度泣かれたんじゃ話が進まない。
多分、羽流にだって今の自分が分からないんだろう。
いつも通りに振る舞いたい反面、私に嫌われてないか不安でしょうがない。
理想的な初めてを演出できなかった後悔も重なって、私に滅茶苦茶やったことが重荷になる。丁度、満杯のお風呂に飛び込んだ後の様。お互いを想い合えた幸せがそこには合っても、少し身じろぎしただけで、お湯が溢れてしまっているみたいだ。
それは、私にとっても同じだった。
普段ならこんな事くらいで声を上げたりしないのに。
今日は色々有りすぎたから。嬉しかったり、悲しかったり、泣いたり、怒ったり、幸せだったりさ。羽流ほどではないにしろ、丸裸にされた私の心には、彼女の涙や泣き声が、いちいち突き刺さる。どうにかしてあげたいけど、どうして良いかわからない。羽流に泣かれると私も悲しくなってしまうし、喉に詰まる涙は苛立ちにも似てしまって、つい声を出してしまっていた。
「ねぇ、羽流?」
穏やかな声だった。それこそ、泣いてる子どもに話しかけるような調子で、真冬は私の名前を呼んでいた。
それでも、涙が止まらない。
嬉しくて、悲しくて、悔しくて、でもやっぱり、幸せでもあって。
真冬と話している内に、少しは落ち着いてきたかと思えば、ちょっと声を上げられただけで、ボロボロと涙が溢れてくる。
急に大きな声を上げられて、怖くなったのかも知れないし。ただ、幸せすぎただけかも知れない。とうとうと、やることをやってしまった事実に、心の中はぐっちゃぐちゃで、まるで感情がついていってない。
「聞いて?」
不意に逸らしてしまった頬を、彼女の両手が優しく包む。
「…なに?」
「私の好きなとこ、教えて欲しい。羽流は、私の何処が好きなの? 私にばっかり言わせないで。好きとか、大好きとか、愛してるじゃなくてさ。羽流の言葉で教えて欲しい。私だって怖いんだよ? 羽流、友達多いから、勝手にどっか行っちゃいそうで」
別に、何処にだっていかないのに。
真冬には、私がそんな女に見えるんだろうか。違うな。それは意地悪だ。
それじゃ私の方が真冬を信じてないみたい。ただ彼女はちょっと怖がりなだけで、子供っぽく甘えてくるのは安心させて欲しいから。
「そんなの…何処って言われても、全部?」
「雑。やり直し」
「だって…嫌いな所なんか。ちょっと怒りん坊な所くらいで」
「怒りん坊? 私が? 怒らせてるのは羽流でっ…」
ぴくっと、一瞬眉根を寄せた真冬だったが、私の瞳に浮かんだ涙を見つけた途端、勢いをなくしてしまう。これはズルい。だけど、止まらないものは止まらない。
嬉しかろうが、悲しかろうが、ちょっとでも感情が波打てば、すぐに瞳から溢れてしまう。
「怒んない?」
「どうしてよ?」
「笑わない?」
「笑うわけ無い」
そうは言うけどなぁ。
こういうのって、だいたい怒られたり、笑われたりするんだよなぁ。
「…顔」
「…」
渋々と、口にした答えに、一瞬で真冬の顔は曇ってしまった。
「聞いてっ。最後まで聞いてってっ…。顔怖ぃ、手…痛いよ…っ、ひぅっ」
「あ、ごめん…」
言わんこっちゃない。
とはいえ、私の言葉足らずも原因ではある。
「でも…。良いなって思ったんだもん」
「何を?」
「前に、彼と話してた時あるじゃん? あの時さ、ちょっと楽しそうに笑ってるの良いなって思ったんだもん。いつもどっかで縮こまって女の子がさ、くすって、ちょっと笑ってるの可愛いなって。そしたら、なんかドキッとしてさ。こっち向いてくれねーかなって、独り占めしたいなって…。
分かんないよ、私にだって。あの時は、だって、私も振られたばっかで、もう恋なんかしねーとか思ってたのに。いや、振られる度に思うんだけど。でもやっぱり、誰かを好きになる瞬間って、空気読んでくれない訳よ。
分かってはいたよ、アイツの事が好きなんだろうなって、だから、なるべく気にしない振りしてたのに。友達のふりしてさ、応援してみせてさ。それなら私も諦めきれるかなって、さっさとくっついちまえよって。
そしたら、まふゆん、振られて帰ってくるじゃん。もう、喜んでいいやら何やらさ…。失恋ってきっついのも分かるし、まふゆん今にも泣きそうなのに、平気なふりしてるし。どうにかしなきゃって。同情とか、下心も当然合ったけど。それでも、なんとか元気づけて上げたいなって思ってたら、勢いで押し倒しちゃってて。
こりゃ、嫌われたなって、なのに まふゆん、ちょっと待って欲しいって言うんじゃん、期待するじゃん。だから、その、何が言いたいかって言うとね?
好きになってくれた所が好きっていうか。ほんと、変とかさ、気持ち悪いって言われなくって。付き合えるかどうか別にしてもね? 受け入れてくれたのが嬉しかったって言うか。
もう、なんか、初めての経験でね。舞い上がっちゃってて、私も。この機会 逃したら、チャンスねーなとか、強引だったよね? あちこち連れ回して、イヤじゃなかった? いや、今更なんだけど、ちょっとでも、まふゆんの気引きたくって、わたし必死で…。だから、うん、好き」
一方的に喋り続けた私を待っていたのは沈黙だった。
引かれちゃったかな。
もう少し考えをまとめる時間もあれば、多少の格好はついただろうけど、いきなりのアドリブは不格好なまま、素直な気持ちを口にするのは難しい。好き、大好き、愛してる。真冬の言う通りだ。そういう分かりやすい言葉に、頼り切っていた私が悪い。
「ぷふっ…。あはははっ…」
言わんこっちゃない。
やっぱり笑われるじゃん。マジになった自分が恥ずかしくって、馬鹿みたいで、また泣いちゃいそうになって、行為が終わってからこの方、私の心はひっちゃめっちゃかだ。
「な、なんだよぉ、笑うなよぉ、笑わないって言うからぁ…。私だって、変なのは分かってんだよぉ。だから、お願いだからぁ…。真冬に笑われるの、やだ…いやぁ…」
「うん、うん。ごめんね、大丈夫だから。バカにしたんじゃなくってね?」
そっと、頭を撫でられる。
溢れた涙でさえ真冬の指が拭っていって、少しクリアになった視界に映った真冬の泣き顔は、私を慌てさせるのは十分だった。
「え、ちょっ、なんで泣いて…。あ、やっぱり…変だよね。気持ち悪かったよね? こんな、エッチまでしちゃって、ごめんね、ごめんねっ…」
「違うって。あはっ、ごめん、涙止まんないや…羽流の移っちゃったかな?
あはは…。えとね? 気持ち悪いとかじゃ絶対ないから。変なんて思ってないよ。
すごく嬉しくって、だからその。最初に顔とか言うんだもん。
体目当てかなって、ちょっと寂しいじゃない? なのに思ったよりも、羽流、私の事好きすぎてさ。笑わないって言ったのに、笑っちゃってごめんね? 今までずっと、好きって言い続けるのキツかったでしょ?」
「うっ…。そんなことは、ありませんけども」
「うん、そうだね。待っててくれてありがとうね」
また、頭を撫でられる。
頭を撫でられながらも、ポタポタと、彼女の涙が私の頬を濡らしていった。
「ね? 羽流。指切りしよっか?」
「好きだね? 指切り…」
「ダメ?」
「ダメなんかじゃ…」
小指を差し出した真冬に、私も小指を差し出して、二人の一番小さな指が、固く結ばれた。
指切りげんまんの呪文を唱えて…。
「えっと、どうしようか? 約束…羽流は何かある?」
「私より先に死んだら許さない」
「重い、重い、重い。それを言ったら羽流の方こそ、私より先に死んだら許さないんだからってなるじゃない。そんな、守れない約束は…」
「ゆびきっ…」
「切らないでっ。重たいってば…。えっと、もうじゃあ…ケンカ、とかさ。さっきみたいに、またするかも知れないけど、ちゃんと仲直りしようね? 羽流、照れ屋だから、ちゃんと言ってくれないと私も分かんないし」
分からない?
その言葉にちょっとカチンときた。
あれだけ言い続けていたのに、一体真冬には、どれだけも伝わっていなかったというのだろうか?
「は? 言いました。言ってました。好きです、大好き、愛してますって。ずっと、いつも、毎日、ネバーっ」
「は? 言えばいいってもんでもないでしょうっ。好きに頼り切らないでよっ。
羽流のそれは、ほんとんど お早うございますなのっ。分かりづらいったらっ」
「何っ!」
「何なのっ!」
頬を膨らませての睨み合いは、一触即発の状況にようにも見えた。
けれど、お互い小指を絡めたままの痴話ゲンカが長く続く訳もなく、ほとんど茶番のようなやりとりは、続く笑い声に攫われていった。
「ぷっ…」
「ふふっ…」
くすっとして、くすくすとして。
震えた小指でさえくすぐったい。
「ね? 羽流?」
「なぁに? 真冬?」
「好きです。私と付き合って下さい」
「ね、真冬?」
「なぁに? 羽流?」
「好きです。私と付き合って下さい」
うん…。
頷きあった私達に、それ以上は必要なかった。
ただ、小指の絡んだ手を少し持ち上げて。
せーの。
指切った。
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いつも通りイチャイチャしてたら、なんか引っ込みがつかなくなって…みたいになると思ってたのに。仲直りエッチもいいものだな。結果としては、これで良かったとも思う。
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