お昼休み。
お弁当も食べ終わったスキマ時間。手持ち無沙汰になった真冬は、何ともなしにスマホを眺めていた。
動物園か…。
考えてみると、最後に行ったのは何時だっけ?
それこそ、まだまだ家族にベッタリしていた頃の筈。
その頃はまだ、よくよく親にせがんで連れて行って貰った覚えもある。
けれど、何時からだったのか。いつの間にか、一人で行けるようにもなって、年間パスポートまで買って貰ってさ。それなのに、足は遠のくようになっていた。
飽きた、と言えばそうかも知れない。
単に出不精になったのもそう。人混みを嫌うようになった私が、休日の動物園を避けるようになるのも自然な流れだった。
それでも未練はあったんだろう。
暇つぶしに眺める動画。登録されたチャンネルのいくつかには、動物園の公式配信が顔を覗かせている。
イヤホンは一つ。別れた先は私と羽流。
私に寄り掛かりながら、うつら うつらと船を漕いでいる羽流は、意外な程に静かだった。もっと私に構えって、絡んでくるものだとばかり。
彼女が寄り掛かってくるせいで 身動きが取れない。邪魔と言えば精々その程度。
それにしたって、膝の上で猫が丸まっているような心境だ。横になれる場所さえあれば、きっと膝枕だって許していただろう。
「行きたいの?」
いつの間に起きていたのか。一つ、あくびを こぼしながらも羽流は呟いた。
懐かしい、とは思う。
行きたいかと言われれば、部分的にはそう。
映画とカラオケに、ゲーセンやカフェ巡り。
それこそ、女子校生がいそうな所の大体には、羽流に引っ張り回された気がする。
だから余計に気になった。こんな分かりやすいデートスポットに、今まで羽流が誘ってこなかった理由。
あんまり興味は無いのかな。
今だって、動画を眺めながら寝落ちしていたし、私が見ているから見ているって塩梅だ。行けば楽しい。私はそう。苦手な人混みの中でだって、羽流と一緒ならどこでだって楽しいはずだ。
それに、昔好きだった場所で、羽流とデートする。
手を繋いで歩く相手は、両親ではなく恋人で。想像した胸のドキドキは、あの頃とは別の響きをもって私を ときめかせていた。
「うん」
頷いた。頷いちゃった。
嫌なら断ってくれて良い。けれど、私が頷いた途端、羽流は慣れた手つきでスマホを開き、さっと、デートの予定を立ててしまう。
「じゃ、次の休みにね?」
「良いの?」
「どうして? いつも楽しそうに見てるじゃん、それ?」
「そう、だっけ?」
「そうでしょ? 変なの」
私の邪魔はすまい。けれど、放って置かれるのも寂しいのか。
微笑んだ羽流は私の肩により掛かり、もう一眠りと目を閉じるのだった。
ー
最初の内は気づかなかった。
久しぶりに来た動物園は、あの頃のまま。それでも、過ぎた年月の分、変わってしまった所もある。思い出の中の間違い探し。足がムズムズしてる。駆け出したくって堪らない。
夢中になった私の面影にはきっと、幼い日の私が映っていたに違いない。
羽流の手を引きながら、昔の思い出話や、動画で見聞きした程度のうんちくを得意げに話す私は、なんとも子供っぽかっただろう。
穴があったら入りたい。
振り返った過去の自分に「やめて」と叫んだ所で聞こえる訳もなかった。
一通り施設を回り終えた私達は、休憩がてらに、ふれあいコーナーへと立ち寄っていた。
目の前にはウサギがいる。ロップイヤー? 一般的な白ウサギとは違って、耳の垂れた子は目にも新しい。あっちにはカラフルなインコが飛んでいて、そっちには動画でしか見ないような子猿がいる。視線を感じて上を見上げれば、じっとしたまま、こちらを見つめるフクロウと目があった。
「こんにちは」
オウムじゃないんだし、返事が返ってくるはずもない。
向こうだって、私のことなんか気にもしていないようで、奇妙なくらいの滑らかさで、首を向こうへと向けてしまう。
ちょっと寂しい。
しっかり、楽しんじゃってるな。
幼い頃のように、とは行かないでも、普段見慣れない小動物達に囲まれていると、違う世界に迷い込んだような気さえする。あっちへふらふら、こっちにふらふら。羽流と手を繋いでいるのも忘れて、私はくるくると、施設の中を歩き回っていた。
「ね? 羽流」
「え、あ、なに?」
振り返って見た彼女の顔は固かった。
つまらなさそう? というよりは少し警戒している感じだ。いつもは周囲の目なんて気にもしない彼女が、しきりに辺りを気にしている姿は、かなり妙に映る。
その時になって、ようやく失敗したことに気がついた。
羽流が今まで動物園に誘ってこなかった理由。単純に興味がないものだと思ってた。獣臭いのが嫌だとか、きっとその程度の理由なんだと。
誰にだって苦手なものはある。
それは当然羽流にも当てはまることだ。動物全般か、分からないけれど。
動物園という場所自体が、彼女にとって居心地の良いものではないのは確かなようだ。
羽流が居辛いなら、今日はもう帰ろうか?
でも、急に帰ろうなんて言ったら、羽流に変な心配を かけるかもしれない。
それに、ただ帰るにしたって諦めきれない自分もいる。
私の好きなものを、好きな人にも好きになって欲しい。
ただの付き添いなんかじゃなく、ちょっとでも楽しい思い出を持って返ってもらいたい。
ここまで付いてきてくれたんだ。どうしても無理って訳では無い筈。
現に、警戒こそはしていても、今すぐに逃げ出したいって雰囲気でもない。
「この子、ちょっと触ってみない?」
「触ってって…。まふゆんの方が触りたそうじゃん? 私は良いからさ?」
据え付けられていた名札には、チンチラと書かれていた。
ふわふわ で もこもこ で、何とも魅惑的なスタイルは、誰が見たってそう思う。
あの体毛の中に、ぽすっと、指を差し込んだら どれだけ気持ちがいいか。
羽流の言う通り、私のほうが誘惑に駆られてしまいそう。
「ちょっとだけ…ね?」
「…噛みつかない?」
「乱暴にしなきゃ大丈夫だよ」
私を見つめてしばらく、ちらっと、羽流はチンチラへと視線を移してくれた。
羽流なら気づいているはずだ。気を使っている私と、気を使われている自分を見比べて、少し困った様子はある。
お願い。
内心、誰に祈るでもなく手を合わせた。
無理なら無理と言ってくれて良い。けれど、少しで良かった。私の顔に免じてでも興味を持ってくれたなら、その方がずっと良いに決まっている。
ゆっくりと、慎重に動く羽流の指先。触ってみたいだなんてとてもじゃない。
あの毛玉の誘惑に誘われている というよりも、ハリネズミの背中に指を伸ばすような億劫さではあった。
あと少し。
羽流の指先が、チンチラの毛先に触れようかというそんな時。
バサバサと、大きな羽音を響かせ、その子は近くの枝へと飛んできた。
真っ白いオウムだ。
私達の何に興味を持ったんだろう?
羽音に驚いた羽流は、ぱっと、チンチラから指を離して顔を上げてしまう。
頭上から私達を見下ろした彼、あるいは彼女は、じぃっとその場を動かない。
ふと横を見てみれば、羽流もまた、オウムを見上げたまま動かなくなっていた。
どうしよう?
まるで、警戒する猫のそれ。
まさか、追い払ったりまではしないだろうけど、それも分からない。
オウムからこっちに飛び移って来たりすれば、羽流の何かが限界を迎えないとも限らなかった。
一秒、二秒。私達を見下ろしていたオウムが、唐突に羽を広げたその瞬間。
ぎゃぁぁぁっ!
吠えた。聞こえる鳴き声は意外と大きい。
同時に逆立つ冠羽がキラリと光り、黄色の頂きに目を奪われる。
その小さな体の何処から声が出ているのやら。オウムの雄叫びは、一般的な小鳥のイメージの外から聞こえてくる。遊んでいるだけ、きっとそう。
オウムにからかわれる経験っていうのは、中々無いとは思うけど、今の羽流にとっては脅かされているのと何も変わらない筈。
不安に駆られた私は、一旦その場を離れようと羽流の手を引いた。
けれど、羽流は動かない。足が竦んでしまったのか。
一番キライな動物は鳥だったり? まさかの当たりを引いてしまったのかと、気が気でなくなってくる。
「羽流、大丈夫?」
返事の代わりに、彼女は大きく息を吸い込んでみせた。
すぅっと、嫌な予感がする。私を庇う様に一歩進み出た羽流の後ろ姿に、ちょっとドキっとしたのも束の間。
「きぇぇぇっ!」
彼女は弾けた。
なに、この、なんなの、急に…。
庇ってくれたのは嬉しい。でも、大丈夫。無理をしないで。
それを伝える暇もなかった。「まって」の言葉は背中に届かない。私が惚気ている間に、すっかりと置いていかれてしまった。
オウム返しに鳴いて見せた羽流。両手を広げて天を仰いだ先は、両翼を広げた白いオウム。竜虎相搏つか。いや、人と鳥だ。水墨画にしたって締まらない。
些か時が止まった様だ。
見つめ合った彼女たちはもう一度、示し合わせたように、鬨の声を上げる。
羽をバタつかせ、ピョンピョン跳ねて、一見すれば、それは二人で踊っているようにも見えた。
やめて欲しい。
オウムとケンカする彼女とか、気分はもう、恋人というより保護者目線だ。
「やんのかこらっ」「やんのかてめぇっ」幻聴すら聞こえてきそうな 二羽のやり取りに、私は完全に固まっていた。
「あ、あのお姉ちゃんオウムさんとあそんでる♪」
やってきた ちびっこまで加わればもう、そこはほとんど幼稚園。
賑やかになればなるほど、オウムはテンションを上げていくし、対抗した羽流も踊りだす。集まってきた子ども達とも輪を作り、気づけば羽流と子ども達は、オウムの止まり木を中心にクルクルと回りだしていた。
なんの儀式なの?
よく言ったってお遊戯会だ。
やめて欲しい。
私はどうして疎外感を感じているんだろう?
この場に置いて、輪に混ざれない私の方こそが、半端者みたいな気がしてならない。いよいよと、恥ずかしさに耐えきれなくなった私は、彼女の体を抱えるように、その場から引き剥がす。
頭がこんがらがりそう。
オウムにオウム返しして、オウムがオウム返し返ししてて。
ひょっとして、羽流の頭はオウムと同程度だったりしないだろうか。私と付き合ってるのだって、刷り込みの結果みたいな…。
たまたま必要な時に傍に居たのが私なだけ。
別に、受け入れてくれる誰かであれば…。
まただ。
また、嫌な事を考えてしまっている。
最近はいつもそう。
羽流と一緒にいて楽しい筈なのに、幸せを感じた分だけ余計に怖くなる。
ふとした拍子に過ぎる嫌な考え。いつしかそれが現実になるんじゃないかって不安は、日増しに大きくなるばかり。
やめよう。
頭を振って、嫌な考えを追い出す。羽流に悟られないように、残った蟠りを無理にでも飲み込んだ。
「お姉ちゃん、ばいばい♪」
「おぅっ♪ またあそぼーなー♪」
手を振る子ども達に、羽流は手を振り返す。見ず知らずの子たちとも、すぐに打ち解けてしまっていた彼女の笑顔に、私の心はまた一つ、重たくなってしまっていた。
ー
デートの帰り道。二人並んで家路に着く。
なんだか、どっと疲れてしまった。
予定よりも少し早い時間。恥ずかしさに耐えかねた私が、早々に退場してしまったせいもあるけれど。疲れ切った私とは対照的に、羽流はどこかスッキリしているようだ。
まぁ、いるよね。
相手に合わせられる人って。私にはちょっと難しくて、それがちょっと羨ましい。
それでもまさか、オウムと同レベルになるなんて思いもしなかったけど。
「~♪」
鼻歌交じりに歩く羽流は、とても楽しそうだ。
私と一緒にいる時の彼女は大体そうなんだけど、今日は何時にも増して上機嫌に見える。
動物、苦手なのかと思ってたけど、それも違ったのかな?
あるいは、オウムとのセッションで、何か得るものでもあったというのだろうか?
「動物…苦手じゃなかったの?」
呟いた私の声は、どんな風に聞こえてた?
いじけている? つまらなさそう? 自分では良くわからない。
「ん? あぁ…うん。小さい時にね。デカい動物の前で私、ギャン泣きしてたんだって」
「え、羽流が? ウソでしょ?」
言われたって想像はつかない。ちっちゃい時の羽流なんて、今以上に無鉄砲で、無軌道にはしゃいで回りそうなのに。大きい動物の前で泣き出すなんて、そりゃ連れてきた家族もさぞ困った事だろう。
「いや、マジマジ。ま、らしい? て言うしか無いんだけどさ。ほとんど覚えてないし、実感も無くてね。ただ、苦手意識? みたいなのだけは残ったみたいでさ、今でもこう…デカい犬とか見ると、ちょっと固まっちゃうよね」
「ごめん。私一人ではしゃいじゃってて…羽流の、全然気づいてあげられなかった。言ってくれたら良かったのに…。そしたら、私だって…」
「行きたかったんでしょ? 『私と』」
自分を指差し、にこっと、笑う羽流の笑顔を見てられなかった。
恥ずかしい。ドキッとする。まったくの図星を言い当てられて「うん」と、頷くより他はない。
「あははっ♪ 私だってそう。珍しく まふゆんが行きたいっていうんだもん。
ちょっとの苦手くらい何さ。いやぁ、可愛かったね。動物園ではしゃぐ まふゆん。
見てよほら? きっらきらしてんの、その内コケて泣き出すんじゃないかって、お姉さん心配で心配で」
「ちょっ!? やだっ。そんな写真いつ撮ったのっ。消して、消してったらっ」
羽流のスマホに映った私は、果たして本当に私だったんだろうか。
疑わしい。最近流行りのAI機能で、適当に弄ったんじゃないかとさえ思う。
きっらきらの笑顔。彼女の言う通りだ。幼い日の写真にも、そういうものがあったかどうか。少なくとも、羽流の前ですら、こんなに笑顔を輝かせた事はない。
「やーだっ♪ 消さないもん。私がタダで大人しくしてる訳ないじゃない。
もう、動物より まふゆん見てるのが楽しかったよね。これくらいのご褒美があっても良いじゃん」
「ご褒美なんてっ、いらないっ、でしょっ。自分だって楽しんでたくせにっ…。
こらっ、逃げないでっ、写真消してってっ。オウムとまで、ケンカしてさっ。
何なのあれっ、急に鳴き声上げないでよっ。すっごく恥ずかしかったっ。頭オウムなのっ羽流はっ!」
手が届かない。スマホを掴もうとした指は空を切ってばっかり。
ぴょんぴょんと跳ねる羽流は、まるでさっきのオウムみたいだ。
「意外と話せるやつだったよ、アイツ。今度はっ、とっ、まふゆんも、いっしょにさっ…と、惜しい惜しい。あははっ♪」
やめて欲しい。
私の分からない所で勝手に通じ合わないで。なんか、置いていかれそうで不安になる。羽流に限ってそんな事…。分かってる。分かってはいるけれど。考えれば考えるほどにドツボに嵌まっていく自分を止められない。
「もういいっ。私、先帰るから…」
今のはわかる。
不貞腐れているんだ。私は…。
羽流がオウムとセッションしてたからってなんだ。苦手が克服出来たのは良い事じゃない。思ってる事がまるで逆。私が好きなものを、羽流にも好きになって欲しい。願いは届いた筈なのに、どうして私は嫉妬なんて…。
チクリ…。
喉に刺さるトゲを無理やりに飲み込んだ。すっかりと、羽流への愛情を刷り込まれてしまったの私の方。依存にも近い愛情は、彼女の不貞を許さない。
バカバカしい。
相手はオウムだよ?
だからこそ余計に質が悪い。オウムじゃなければ、一緒に遊んでいた子ども達にまで嫉妬の目を向けてしまいそうになる。羽流は私のなのに、勝手に仲良くならないで。そんなの、言えるわけがないじゃない。
「ごめんって、そんな怒んないでよ?」
「別に、怒ってるわけじゃ。あ、いや…それは、そうなんだけど」
「あはは♪ どっちだよ」
「どっちも」
こういう所だよね。羽流には出来て、私には出来なかった。
こんなの、ちょっと拗ねてしまっただけ。私ならどうする事も出来なかった空気を、羽流はいつもの笑顔で晴らしてしまう。
「人多かったもんね? ちょっと家で休んでく?」
「うん…」
もしかしたらって思うと怖くなる。
せっかくのデートだったのに、今日はたまたま上手くいっただけ。
私が羽流の変化に気付けなくて、何か間違ってしまっていたら。それでまた、ケンカになってしまったら。
ヤキモチなんて、私にそんな資格はあるんだろうか?
彼女に甘えてしまってる。気を使って貰ってばっかりだ。
いっそオウムになれたら良い。
「きえぇぇっ」て、私もさ。頭空っぽにして、思いの丈を吐き出せたなら。
胸の奥で、チクリと痛むこの気持ちも、少しは楽になるんだろうか?