恋人(仮)へ送ったメッセージ。
諸兄等なら、その返信をいったいどれほど待っていられるだろう?
十分か、一時間か。あるいは、明日でも構わないという人もいるかも知れない。
まあね。時間も時間だったしさ。寝ちゃったかなって私も思ったよ。
折り悪く、真冬からの着信は 私がお風呂に入ってる時間。割と長風呂な私がそれに気づいたのは 一時間も過ぎた後だった。
「うがぁぁぁぁぁっ!!」
朝の通学路。その途中で羽流は吠えた。
突然の少女の叫び。
まばらに歩く同級生たちの視線が突き刺さる。
驚いた小鳥たちは一斉に飛び立ち、道行く野良猫がにゃーと鳴く。
そう、まばらなのだ。
もう、まばらなのだ。
いつも学生たちで賑わう道筋を歩く人は少ない。
時間が経つにつれ、まばらになっていく人影を見送れば、そろそろ良い時間。
いい加減に歩き始めないと、もう遅刻だというのに、それでも羽流は動けなかった。
真冬からの返信が来ない。
朝イチに送った「おはよう♥」のメッセージに返事がないのは良い。
出かける間際にさえ、まだ未読だったのも、まぁ許せる。
待ち合わせ場所で足を止め、いい加減にとスマホを見ても、変わらず画面に変化はない。
あれ、まふゆん、なんかあった?
彼女にしては珍しい。寝坊という言葉が、全く似合わない印象だっただけに、ここまでの音沙汰なしは、不安を抱かずにいられない。
もうちょっと、あと少しだけ。そうすれば、そこの影からいつものように彼女が顔を出すんじゃないか。
あ、ごめん。スマホ見るの忘れてた。
とか言われる方が、寝坊したって慌てる彼女よりも、よっぽど想像に易かった。
だとしても、時間が時間だ。いつもの時間で それを言われるのならまだしも、遅刻間際になると話も変わる。体調でも崩して寝込んでいるのか。事故になんか巻き込まれちゃいないかと、不安の種はどんどんと芽吹いてくる。
「まさかね…」
とは思うけど。
昨晩、真冬から送られてきたメッセージに視線を落とす。そこから下は、未読のままに並ぶ、私からのメッセージの一覧だ。
今朝から、ううん、昨夜から何も変わっちゃいない。
鳴らないスマホを手に、だんだんと心細くもなってくる。さながら、気分はもう悲劇のヒロインだ。
待ち合わせ場所に恋人が来なくって、そのまま待ちぼうけてすれ違う。
そんな、よくある作り話に自分を当てはめてみても、ここで取れる選択肢が増える訳もない。もういいやって、諦めて学校に行くか。ハチ公よろしく この場で待つか。
あるいはもう一つ。
真冬に待たされるのも そろそろ飽きたしな。そっちが来ないなら、私から行くまでだ。住所は分かる。開いた地図アプリに浮かぶ、ハートマークが目印だ。
歩けば10分走れば5分。
おおよそ、向かう先を頭に思い浮かべると、走り出した曲がり角で「きゃっ」と、悲鳴に打つかってしまった。足を踏み込んでの急ブレーキ。正面衝突とまではいかなかったけど、どさっと、同じ様なタイミングで尻もちの音がする。
「ごめんなさいっ、私急いでて…。その、怪我とかは…大丈夫ですか?」
「あたたって…。まふゆん?」
「え、あれ…羽流? なんで、先行ってて良かったのに…」
なんともベタな展開だ。このままスカートを抑えて「見た?」とか口にすれば花丸百点満点だったろう。
「行ってて欲しかったの?」
「だって…遅刻しちゃうじゃない。羽流まで、そんな…っ」
そりゃ「ごめん」ていう場面なのかもしれないけれど、私が欲しい言葉はそっちじゃない。
「ありがとう、でしょ?」
戸惑う彼女の唇に、指先を置いた。
「え、あ…うん。ありが、とう?」
一つ、一つ、確認するように言葉を紡ぐ。
「待っててくれて、嬉しいです」
「…待っててくれて、うれしい…です?」
端的な言葉に不思議そうな顔をした真冬は、私の意図を察したのか、少し呆れた顔をしながらも、言われるままに繰り返した。
「今日も羽流は可愛いね?」
「っ、ぁ…もう。今日も、羽流は…かわいいね?」
エスカレートしていく要求に頬を染め、それでも返ってくるオウムの羽音。
今なら行けると確信した私は、勢いよくアクセルを踏み込んだ。
「ちゅーしよ?」
「ダメ」
しかし、現実はそう甘くはない。そっぽを向かれての ノーサンキュー。
私の口車に乗せられて、せめて「ちゅー…」の所くらいまで言ってはくれないもんかと期待したが、なかなかに彼女の口は固かった。
「ちっ…」
「舌打ちしないの…」
最早、隠しもしない舌打ちに、真冬はあからさまな吐息を吐いて寄越す。
「でもさ、心配したのはマジなんだぜ? 熱でも出したのかなとか、事故ったりしてねーよな とか。まふゆんってば、連絡の一つも返さないんだもん」
「連絡って…え、あ…ごめ…えと」
ほれ見たことか。
慌ててカバンの中を弄りだす。あっちを開いて、こっちを閉じて。しかし、その手がピタリと止まると、真冬は恐る恐ると私の方へ視線を向けてきた。
「まふゆん?」
「…ごめん」
「なにが?」
「…怒んない?」
「もう怒った」
「せめて聞いて」
だってさ、言われなくてもだいたい分かるんだもん。
カバンを漁ってまで出てこないスマホ。それが手元に無いってことは、おおよそ家にでも忘れてきたんだろう。
「違うのっ。今朝はその、寝過ごしちゃって、慌てて、だから。無視したとか、蔑ろにするつもりはなくって。それで、それから、だって…その。ごめんなさい」
言い訳の言葉も思いつかなくなった真冬は、だんだんと言葉尻を下げると、最後は一つ、ごめんと呟き項垂れる。同時に、項垂れたのは私も一緒。やり場のない感情をそのままに、がっくりと肩を落とした。
いや、いいよ。これくらいは予想の範囲。
私の心配を返して欲しいとは思っても、真冬が無事ならそれも良い。けれど、代わりと言っては何だが、その弱みにつけ込むくらいは許されたい。
「いいよ、いいともさ。羽流さんの心は雨上がりの水溜りよりは、広いからね」
「せま…」
「なに?」
「ううん、続けて」
当然のツッコミを一睨みで躱した私は、真冬に促されて先へと進む。
「昨日のメッセ…。これ、言ってくれたら許したげる」
「昨日のって…え、あっ、それは…ちがうの」
「違ってても言って?」
スマホを忘れた真冬に代わり、私の画面を見せて上げると、そこには確かに彼女からのメッセージが浮かんでいた。
曰く「はねるん」と、ただ一つ。
私が彼女を「まふゆん」と呼ぶように、他愛のない愛称でしかない。
文字にしたってたったの4文字。今じゃスタンプに取って代わられる様な少なさでも、それを打ち込むに要した彼女の心境はどれだけだったのか。
「…言わない」
頬を染め、そっぽを向いて、しかし彼女は首をふる。
「なんでさっ。ていうかこれもう言ってるようなもんじゃん。聞きたいっ。リアルでっ、生でっ! まふゆんからの「はねるん♥」て、猫なで声で聞かしてよっ。
一回だけっ、ニ回でも良いからっ!」
「嘘でしょ…。ここで数増やす人、初めて見たんだけど」
フットインザドア。要約すると先っちょだけ。
交渉術のセオリーを物ともしない言葉に、真冬は驚きながらも、だからって勢いで頷いてくれたりもしなかった。
「言わないったら言わないのっ! ほんとに遅刻しちゃうからっ。私、先行くよ?」
ダッと立ち上がり、ガッと踏み込んで。問答無用を匂わせる背中。これ以上はしつこいか。なんなら、真冬からの心象を悪くもするだろう。
だから、これは取っておきだ。RTAとか言われるようなズルっ子の手法。
「へぇ…置いてくんだ? また私のこと待たせるんだ、真冬は…」
たんたんと、感情を押し込めるように声音を均す。
こちとら失恋の経験はごまんとあるんだ。降る雨に、流れる涙を隠したのだって一度や二度じゃない。そっと目を伏せ、瞳を潤ませ、耐えるように自身を抱きしめる姿は、誰がどうみても傷心の女の子そのものだったろう。
効果は抜群である。一撃で彼女のHPを削りきった手応えもあった。
「それ、は…。その言い方は、ズルいと…思う」
でしょうよ。なにせ昨日の今日だ。私を大切にするって言った手前、自らの恥ずかしさを理由に、私を放置するなんて出来やすまい。
いや、しても良い。けれど、真面目な真冬にこそ、その選択肢は取りづらかろう。
「ズルくて悪いかっ!」
真冬は良いよ。そうやって照れて見せればイチイチ可愛いんだから。
惚れた弱みさ。しかたねーなって、許してあげたい気持ちはある。
でも、だからってっ。いきなり「はねるん」なんて、メッセージを送られた私の浮かれ気分はどうにも収まりがつかず、開き直るより他はない。
「開き直らないでっ!」
押してもダメなら引いてみろ。
アスファルトの上で居住まいを正した私は、神様、仏様、真冬様と、両手を合わせて拝み倒す。
「一生のお願いっ!」
「9回目だよっ! それっ!!」
「数えてんなよなっ、バーカっ!」
「バカって、バカって言ったっ。羽流が言うのそれっ!」
ふんっと、鼻息が聞こえてくるようだった。
そっぽを向いた真冬は、とうとうと歩き出し、まるで たたらを踏んだよう。
一歩、ニ歩と、続く足音は、しかし三歩目が聞こえない。
「…ぅぅぅぅっ。ぁぁぁぁっ」
唸るような声が漏れる。ぎゅぅっと拳を握りしめ、パタパタとその場で足を踏み鳴らす。「もうっ!」何かを振り切るように、大きな声を出した真冬は振り返ると、こっちを見ないまま私に手を突き出した。
「はねるんっ!! これで来ないならっ、ほんと、先行くから…」
三歩目を踏み出したのは私から。
思っていた猫なで声でこそ無かったけれど、私に向けられた他愛のない愛称に心が弾む。差し出された手を取って、重ねた指を絡ませた。指切りよりも強く、固くに結んだ指から、真冬のドキドキが直接伝わってくるようだ。
「あっ、と…っ。もう…少し離れて、歩きづらい」
「え? いいじゃん別に、照れてんの?」
「照れてない。あと、その顔もやめて…」
「えー? はねるん はいつもこんな顔ですよー?」
わざとらしく頬に指先を当てて、持ち上がりそうになる口角を無理に押さえつける。今、鏡で見る私はきっと、にらめっこの最中にも見えただろう。
「…バカっぽいよ、なんか」
「あー、いけないんだー。チクチク言葉なんだぞ、それ。せんせーに言ってやろー」
「自分だって言ったくせにさ…」
「お、先生にチクる?」
「チクりません。羽流と一緒しないでください」
軽くあしらわれている。
それでも真冬に纏わりついて歩く私は、さながら懲りない子犬の様でもあった。
首輪こそ付いてはいないけど、彼女に手を引かれながら歩くのは楽しい。
尻尾でも生えていたなら、ぶんぶんと、振り回すのに余念が無かったはずだ。
だって、真冬はいつもそうだから。
照れ始めると、極端に視線を合わせなくなる。
私の事を子ども扱いしながらも、自分は大人ですって澄まし顔。そのくせ、隠しきれない動揺は、取り繕った表情に代わり、繋いだ手に現れるんだ。
分かっていて、知らない振りをする。
子供扱いされてようが、単純に構ってくれるのが嬉しいし、彼女の好意を直接感じられるのもポイントが高い。
そのまま、戯れつきながら登校していた私達は、向こうから鳴り響くチャイムの音をハタと聞いて『あっ』と、どちらからもなく声を漏らしていた。