黒田事務所崩壊後の余波。
そして、新たな“居場所”を得る人達のお話になります。
特に今回は、田所愛海という人物に焦点を当てた回でもありますので、楽しんで頂ければ嬉しいです。
それでは、
『居場所をくれた人』
よろしくお願いいたします。
僕は今、何故か北条院家の大広間にあたる上座に座っている。
本来座るべき人間──北条院家当主である薫子は、何故か僕の右斜め前に控えるように座っていた。
更に、その向かい側には零奈もまた背筋を伸ばし、まるで秘書のように静かに座っている。
……いや、実際薫子の秘書なんだけど。
「……あのさ。何で当主の薫子がそこに座ってるのさ」
「今回お呼びしている方々は、言わば紘一様のお客様です。紘一様が迎えなくてどうされます」
「いや、どうされますって言われてもね……」
ここ、北条院家本家の大広間だよ?
普通に考えて上座は薫子でしょうに。
そう思うものの、ここで何を言っても論破される未来しか見えないので、僕は素直に口を閉じる事にした。
「それより二人とも。今日は体調大丈夫? 無理そうなら部屋で休んでてね」
「全く……紘一ったら、会うたびにそれね」
「ふふふ……ご心配いただけるのは嬉しい事ですが、
そう言いながら、薫子と零奈は優しく自らのお腹を撫でる。
その仕草には、自然と母性愛のようなものが滲んでいた。
ちなみに三玖は、歳も若く初めての出産ともあり、北条院家で出産経験のある人が補助として入っている。
三玖もいつもニコニコとしながらお腹を撫でている。
そんな事を考えていると──
コンコンッ──
静かな大広間に、控えめなノック音が響いた。
「失礼いたします」
襖がゆっくりと開かれ、玄庵さんが姿を現す。
その後ろには、数名の女性達の姿があった。
年齢は二十代前半から三十代程。
全員どこか疲れた表情を浮かべており、慣れない空間に緊張しているのが見て取れる。
今回の黒田事務所崩壊に巻き込まれた元スタッフ達なのだろう。
だが、その中で一人だけ──妙に空気の違う女性がいた。
黒髪を後ろで一つに纏めた女性。
細い銀縁眼鏡。
白いシャツに黒のスラックスという簡素な服装。
派手さは全く無い。
だが、その瞳だけは異様に鋭かった。
まるで部屋全体を観察するように視線を動かし、一瞬で空気を読んでいるのが分かる。
……あの人か。
尊達の報告書に載っていた人物。
元黒田事務所副監督──
「こちら、今回保護及び雇用支援対象となる方々です」
玄庵さんの言葉に合わせ、女性達は慌てて頭を下げる。
しかし。
田所さんだけは、頭を下げながらも一瞬こちらへ視線を向けてきた。
まるで値踏みするような視線。
だが、そこに敵意は感じない。
純粋に、
“この男が北条院を動かした人物なのか”
そう確認しているようだった。
「楽にしてください。今日はそんな堅苦しい話をしたい訳じゃないんです」
そう声を掛けると、女性達の表情が少しだけ和らぐ。
けれど。
「……随分、お若いのですね」
静かな声だった。
その場の空気が僅かに止まる。
声を発したのは、やはり田所愛海。
彼女は真っ直ぐこちらを見つめたまま、淡々と言葉を続ける。
「失礼ですが、北条院家を動かした人物と聞いていたものですから」
隣にいた女性スタッフが慌てたように声を上げた。
「た、田所さん!?」
「ああ、構いませんよ」
そう言って苦笑すると、田所さんの目が僅かに細まる。
観察する目だ。
まるで、
“どういう返しをする人間なのか”
試しているようにも見える。
「僕自身、自分がここに座ってるの違和感ありますしね」
そう返した瞬間。
ふっ──と。
田所愛海の口元が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
その変化を見逃さなかったのだろう。
薫子が静かに口を開く。
「愛海さん。今回、貴女方をここへお呼びした理由ですが──単なる保護の為ではありません」
その瞬間。
女性達の空気が変わった。
不安。
緊張。
戸惑い。
様々な感情が入り混じる中、薫子は静かに言葉を続ける。
「北条院家は今回、新たに映像関係の会社を立ち上げます」
「──っ!?」
女性達の間に小さなどよめきが走る。
当然だろう。
黒田事務所が崩壊した今、業界内では既に様々な噂が飛び交っているはずだ。
そんな中で、新会社設立。
しかも北条院主導。
驚かない方がおかしい。
「えっと……それ、僕聞いてないんだけど?」
思わず口を挟むと、薫子と零奈が同時にこちらを見た。
何その“何を今更”みたいな目。
「紘一様。今回の件で最も尽力されたのは貴方です」
「いや、だからって急に会社設立とか普通ならならないからね?」
「ですが、必要でしょう?」
さらりと言われてしまった。
「今回の件で職を失った方々の中には、何も知らず、ただ必死に働いていた方々もいらっしゃいます」
零奈が静かに言葉を継ぐ。
「その方々が安心して働ける場所。そして、同じ被害を二度と生まない環境を作る必要があります」
「……」
それを言われると弱い。
いや、そもそもこの二人、完全に僕が断れない方向から話を固めてきてるよね?
絶対最初から決まってたでしょこれ。
「……で?僕は何をさせられるの?」
半分諦めながら尋ねると、薫子がどこか満足そうに微笑んだ。
「オーナーです」
「はい?」
「正確には、
「待って待って待って。話が飛び過ぎてる」
思わず額を押さえる。
だが、薫子は涼しい顔のままだ。
「安心してください。実務面は
「いや、十分ってレベルじゃないと思うんだけど……」
完全に外堀を埋められている。
そんな僕の様子に、零奈がくすりと笑った。
「ふふっ……紘一らしいですね」
「笑い事じゃないよ……」
すると。
それまで黙っていた田所愛海が、静かに口を開く。
「……何故、そこまでするのですか?」
大広間が静まり返る。
田所さんは真っ直ぐ薫子を見つめていた。
「今回の件で職を失った人間は大勢います。切り捨てる方が、企業としては合理的なはずです」
その言葉には、自嘲のような響きも混ざっていた。
きっと彼女自身、
そうやって切り捨てられる側を何度も見てきたのだろう。
だが。
「合理だけで、人は救えません」
薫子は即座に答えた。
「そして、紘一様は“救いたい”と願われた」
静かな声だった。
けれど、その言葉には確かな熱があった。
「ならば、
田所さんの目が、僅かに揺れる。
そんな彼女へ向け、今度は零奈が優しく微笑んだ。
「既に女性専用の社員寮建設も始まっています」
「……え?」
「警備は全て北条院関係者で固めます。更に、専門カウンセラーも常駐予定です。心のケアも含めて支援させていただきます」
女性スタッフ達が息を呑む。
中には、目を潤ませている者までいた。
きっと。
“守られる”という経験自体、久しく無かったのだろう。
「また、仕事現場の男性スタッフにつきましても、信頼出来る北条院関係者のみで構成します」
薫子は静かに続ける。
「少なくとも、貴女方が再び同じ恐怖を味わう事はありません」
その瞬間だった。
ぽたり──と。
誰かの涙が畳へ落ちる音がした。
見ると、一人の女性スタッフが口元を押さえながら泣いていた。
それを見た瞬間、張り詰めていた空気が少しだけ崩れる。
安心したのだ。
ようやく。
“もう怯えなくていい”と。
そんな中。
田所さんだけは、静かに俯いたままだった。
銀縁眼鏡の奥。
その瞳だけが、小さく揺れていた。
「……そこまで、していただく理由が分かりません」
ぽつり──と。
田所さんは、静かに呟く。
その声には戸惑いが滲んでいた。
「私達は、黒田事務所の人間です。世間から見れば“同類”と思われても仕方ありません」
「愛海さん……」
隣の女性スタッフが不安そうに彼女を見る。
だが田所さんは続けた。
「実際、見て見ぬふりをしていた人間もいた。……私も、その一人です」
大広間の空気が静まる。
田所さんは俯いたまま、自嘲気味に口元を歪めた。
「気付いていました。現場の空気も、女優達の怯えた顔も。……でも、止められなかった」
その声は、どこか擦り切れていた。
「業界で生き残る為だと、自分に言い訳して……結局、何もしなかった」
それはきっと。
彼女がずっと抱えてきた罪悪感なのだろう。
現場を支え。
作品を作り。
才能を認められながらも。
“誰かを守る勇気”だけは持てなかった。
だからこそ。
今回、自分達が救われる側にいる事へ、戸惑っている。
そんな風に見えた。
「……でも」
その時だった。
静かに声を上げたのは、僕だった。
「田所さんが居たから、救われた人もいたんじゃないですか?」
田所さんの肩が、小さく揺れる。
「え……?」
「報告書、読ませてもらいました」
僕はそのまま続ける。
「撮影現場で無理な接待を断る為に、スケジュールを調整した事もあった。女優さんが一人にならないよう、わざとスタッフ配置を変えてた事も」
「……っ」
愛海の目が見開かれる。
「全部を止められなかったとしても、田所さんなりに守ろうとしてたんでしょう?」
それは、尊達の調査報告に書かれていた事だ。
表立って逆らえば、自分も潰される。
それでも彼女は、出来る範囲で守ろうとしていた。
きっと、誰にも気付かれない場所で。
「……どうして」
田所さんの声が、僅かに震える。
「どうして、そこまで見てるんですか……」
「見てる人は見てますよ」
そう答えると、田所さんは言葉を失ったように黙り込んだ。
今まで。
彼女は“結果”しか見られてこなかったのだろう。
現場を回せるか。
数字を出せるか。
使える人材か。
それだけ。
けれど今、初めて“何を抱えていたのか”を見抜かれた。
その事実が、田所さんの中で何かを崩したのかもしれない。
「っ……」
細い肩が、小さく震える。
銀縁眼鏡の奥から、一筋の涙が零れ落ちた。
「田所さん!?」
周囲の女性達が驚く。
だが田所さん本人が、一番驚いているようだった。
まるで、
“自分が泣く資格なんて無い”
そう思っていた人間が、突然感情を許されてしまったように。
「……ずるいです」
田所さんは俯いたまま、小さく呟く。
「そんな風に言われたら……もう、逃げられないじゃないですか……」
その声は涙混じりだった。
だが。
どこか救われたような響きも、確かに混ざっていた。
そんな彼女を見ながら、薫子は静かに微笑む。
「愛海さん」
その声に、愛海がゆっくり顔を上げる。
「改めて申し上げます」
薫子の瞳には、当主としての威厳が宿っていた。
「北条院は、貴女の力を必要としています」
そして。
「新会社の監督として、どうか力を貸してくださいませんか?」
その瞬間。
大広間の空気が、大きく揺れた。
女性スタッフ達が息を呑む。
誰もが驚いていた。
当然だ。
それはつまり──
北条院が、田所愛海という人物へ、“未来”を託したという事だった。
「……っ」
田所さんは言葉を失ったまま、薫子を見つめている。
信じられない。
そんな感情が、その表情には色濃く浮かんでいた。
当然だろう。
ほんの数日前まで、彼女達は“切り捨てられる側”だったのだから。
仕事も。
居場所も。
未来も。
全て失うはずだった。
なのに今。
自分は、“新しい未来を作る側”へ立たされている。
「どうして……」
田所さんの声が、微かに震える。
「どうして、そこまで……私なんかを信じられるんですか……」
その問いに答えたのは、薫子ではなかった。
「簡単ですよ」
僕は静かに口を開く。
「田所さんが、“良い作品を作りたい人”だって分かったからです」
「……え?」
愛海が目を見開く。
「報告書だけじゃない。現場の人達の証言にも、何度も田所さんの名前が出てました」
『あの人が居たから現場が回ってた』
『役者の気持ちを一番理解してくれてた』
『田所副監督だけは、ちゃんと作品を見ていた』
尊達が集めた証言には、そんな言葉がいくつも並んでいた。
「だから思ったんです」
僕は真っ直ぐ田所さんを見る。
「そんな人が、あんな場所で終わるのって……勿体ないなって」
その瞬間。
田所さんの瞳から、また涙が溢れた。
ぽろぽろ、と。
今度は隠す事も出来ないように。
「っ……」
唇を噛み締め、必死に声を殺そうとしている。
けれど、抑え切れない。
多分。
彼女はずっと、“評価”はされても、“認められた”事は無かったのだ。
使える人材。
優秀な副監督。
便利な人間。
そういう見られ方はされてきた。
だが今、初めて。
“あなただから必要なんだ”
と、言われた。
その事実が、田所さんの心を崩していた。
「……本当に」
田所さんは震える声で呟く。
「……本当に、私でいいんですか……?」
その問いに、薫子は即座に頷いた。
「ええ。だからこそです」
静かな声だった。
だが、その言葉には絶対的な信頼があった。
「貴女でなければ意味がありません」
その瞬間だった。
田所さんは堪え切れなくなったように、両手で顔を覆う。
「ぅっ……ぁ……っ」
張り詰めていたものが、完全に切れたのだろう。
そんな彼女へ向け、零奈が優しく声を掛ける。
「大丈夫ですよ、愛海さん」
零奈はどこか母親のような柔らかい笑みを浮かべていた。
「ここには、貴女を利用しようとする人はいません」
「……っ」
「苦しかった分、これからは安心してください」
その言葉に、周囲の女性スタッフ達も涙ぐみ始める。
きっと皆、限界だったのだ。
怯えて。
耐えて。
飲み込んで。
“仕方ない”で済ませ続けてきた。
だからこそ、今の言葉が胸へ刺さった。
「……ふふっ」
不意に、小さな笑い声が響く。
見ると、田所さんだった。
涙を流しながら、それでもどこか困ったように笑っている。
「参りました……」
田所さんは眼鏡を外し、濡れた目元を静かに拭った。
「こんなの……断れる訳ないじゃないですか……」
その言葉に、薫子が満足そうに微笑む。
「では、改めまして」
北条院当主として。
そして、新たな未来を迎える者として。
薫子は静かに告げた。
「ようこそ、北条院へ」
その瞬間。
張り詰めていた空気が、ようやく優しくほどけた気がした。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
今回はR18回……ではなく、物語進行と新章への導入回となりました。
黒田事務所崩壊後の余波。
そして、“居場所を失った人達”が新たな未来へ踏み出すまでのお話になります。
特に今回初登場となった田所愛海ですが、個人的にもかなり気に入っているキャラクターだったりします。
才能がありながら、環境に押し潰され、それでも作品への想いだけは捨てられなかった女性。
そんな彼女が、紘一達と出会う事でどう変わっていくのか。
今後も楽しみにして頂けたら嬉しいです。
また、北条院側も本格的に動き始めました。
今回の件は、一花を守って終わりではなく、ここから更に大きな物語へ繋がっていく予定です。
そして何より、“救われる側”だった人達が、これからどんな未来を掴んでいくのか。
そこも含めて見守って頂ければと思います。
もし少しでも、
「面白かった!」
「愛海好きかも」
「続きが気になる!」
と思って頂けましたら、
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皆様の反応、一つ一つが続きを書く力になっています。
それではまた次回もどうぞよろしくお願いいたします。