※この作品はR-18です。

憧れと欲情と   作:吉月和玖

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今回は物語進行・新キャラクター登場回となっておりますので、性描写はありません。

黒田事務所崩壊後の余波。
そして、新たな“居場所”を得る人達のお話になります。

特に今回は、田所愛海という人物に焦点を当てた回でもありますので、楽しんで頂ければ嬉しいです。

それでは、
『居場所をくれた人』
よろしくお願いいたします。




53.居場所をくれた人

僕は今、何故か北条院家の大広間にあたる上座に座っている。

本来座るべき人間──北条院家当主である薫子は、何故か僕の右斜め前に控えるように座っていた。

更に、その向かい側には零奈もまた背筋を伸ばし、まるで秘書のように静かに座っている。

 

……いや、実際薫子の秘書なんだけど。

 

「……あのさ。何で当主の薫子がそこに座ってるのさ」

「今回お呼びしている方々は、言わば紘一様のお客様です。紘一様が迎えなくてどうされます」

「いや、どうされますって言われてもね……」

 

ここ、北条院家本家の大広間だよ?

普通に考えて上座は薫子でしょうに。

そう思うものの、ここで何を言っても論破される未来しか見えないので、僕は素直に口を閉じる事にした。

 

「それより二人とも。今日は体調大丈夫? 無理そうなら部屋で休んでてね」

「全く……紘一ったら、会うたびにそれね」

「ふふふ……ご心配いただけるのは嬉しい事ですが、(わたくし)達も一度は経験している身。問題ありませんよ」

 

そう言いながら、薫子と零奈は優しく自らのお腹を撫でる。

その仕草には、自然と母性愛のようなものが滲んでいた。

 

ちなみに三玖は、歳も若く初めての出産ともあり、北条院家で出産経験のある人が補助として入っている。

三玖もいつもニコニコとしながらお腹を撫でている。

 

そんな事を考えていると──

 

コンコンッ──

 

静かな大広間に、控えめなノック音が響いた。

 

「失礼いたします」

 

襖がゆっくりと開かれ、玄庵さんが姿を現す。

その後ろには、数名の女性達の姿があった。

年齢は二十代前半から三十代程。

全員どこか疲れた表情を浮かべており、慣れない空間に緊張しているのが見て取れる。

今回の黒田事務所崩壊に巻き込まれた元スタッフ達なのだろう。

 

だが、その中で一人だけ──妙に空気の違う女性がいた。

黒髪を後ろで一つに纏めた女性。

細い銀縁眼鏡。

白いシャツに黒のスラックスという簡素な服装。

派手さは全く無い。

だが、その瞳だけは異様に鋭かった。

まるで部屋全体を観察するように視線を動かし、一瞬で空気を読んでいるのが分かる。

 

……あの人か。

 

尊達の報告書に載っていた人物。

元黒田事務所副監督──田所愛海(たどころまなみ)

 

「こちら、今回保護及び雇用支援対象となる方々です」

 

玄庵さんの言葉に合わせ、女性達は慌てて頭を下げる。

しかし。

田所さんだけは、頭を下げながらも一瞬こちらへ視線を向けてきた。

まるで値踏みするような視線。

だが、そこに敵意は感じない。

純粋に、

 

“この男が北条院を動かした人物なのか”

 

そう確認しているようだった。

 

「楽にしてください。今日はそんな堅苦しい話をしたい訳じゃないんです」

 

そう声を掛けると、女性達の表情が少しだけ和らぐ。

けれど。

 

「……随分、お若いのですね」

 

静かな声だった。

その場の空気が僅かに止まる。

声を発したのは、やはり田所愛海。

彼女は真っ直ぐこちらを見つめたまま、淡々と言葉を続ける。

 

「失礼ですが、北条院家を動かした人物と聞いていたものですから」

 

隣にいた女性スタッフが慌てたように声を上げた。

 

「た、田所さん!?」

「ああ、構いませんよ」

 

そう言って苦笑すると、田所さんの目が僅かに細まる。

観察する目だ。

まるで、

 

“どういう返しをする人間なのか”

 

試しているようにも見える。

 

「僕自身、自分がここに座ってるの違和感ありますしね」

 

そう返した瞬間。

ふっ──と。

田所愛海の口元が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。

その変化を見逃さなかったのだろう。

薫子が静かに口を開く。

 

「愛海さん。今回、貴女方をここへお呼びした理由ですが──単なる保護の為ではありません」

 

その瞬間。

女性達の空気が変わった。

 

不安。

緊張。

戸惑い。

 

様々な感情が入り混じる中、薫子は静かに言葉を続ける。

 

「北条院家は今回、新たに映像関係の会社を立ち上げます」

「──っ!?」

 

女性達の間に小さなどよめきが走る。

当然だろう。

黒田事務所が崩壊した今、業界内では既に様々な噂が飛び交っているはずだ。

そんな中で、新会社設立。

しかも北条院主導。

驚かない方がおかしい。

 

「えっと……それ、僕聞いてないんだけど?」

 

思わず口を挟むと、薫子と零奈が同時にこちらを見た。

何その“何を今更”みたいな目。

 

「紘一様。今回の件で最も尽力されたのは貴方です」

「いや、だからって急に会社設立とか普通ならならないからね?」

「ですが、必要でしょう?」

 

さらりと言われてしまった。

 

「今回の件で職を失った方々の中には、何も知らず、ただ必死に働いていた方々もいらっしゃいます」

 

零奈が静かに言葉を継ぐ。

 

「その方々が安心して働ける場所。そして、同じ被害を二度と生まない環境を作る必要があります」

「……」

 

それを言われると弱い。

いや、そもそもこの二人、完全に僕が断れない方向から話を固めてきてるよね?

絶対最初から決まってたでしょこれ。

 

「……で?僕は何をさせられるの?」

 

半分諦めながら尋ねると、薫子がどこか満足そうに微笑んだ。

 

「オーナーです」

「はい?」

「正確には、(わたくし)と紘一様による共同名義となります」

「待って待って待って。話が飛び過ぎてる」

 

思わず額を押さえる。

だが、薫子は涼しい顔のままだ。

 

「安心してください。実務面は(わたくし)達で進めます。紘一様には、貴方の理想を形にしていただければ十分です」

「いや、十分ってレベルじゃないと思うんだけど……」

 

完全に外堀を埋められている。

そんな僕の様子に、零奈がくすりと笑った。

 

「ふふっ……紘一らしいですね」

「笑い事じゃないよ……」

 

すると。

それまで黙っていた田所愛海が、静かに口を開く。

 

「……何故、そこまでするのですか?」

 

大広間が静まり返る。

田所さんは真っ直ぐ薫子を見つめていた。

 

「今回の件で職を失った人間は大勢います。切り捨てる方が、企業としては合理的なはずです」

 

その言葉には、自嘲のような響きも混ざっていた。

きっと彼女自身、

そうやって切り捨てられる側を何度も見てきたのだろう。

だが。

 

「合理だけで、人は救えません」

 

薫子は即座に答えた。

 

「そして、紘一様は“救いたい”と願われた」

 

静かな声だった。

けれど、その言葉には確かな熱があった。

 

「ならば、(わたくし)達はそれを形にするだけです」

 

田所さんの目が、僅かに揺れる。

そんな彼女へ向け、今度は零奈が優しく微笑んだ。

 

「既に女性専用の社員寮建設も始まっています」

「……え?」

「警備は全て北条院関係者で固めます。更に、専門カウンセラーも常駐予定です。心のケアも含めて支援させていただきます」

 

女性スタッフ達が息を呑む。

中には、目を潤ませている者までいた。

きっと。

“守られる”という経験自体、久しく無かったのだろう。

 

「また、仕事現場の男性スタッフにつきましても、信頼出来る北条院関係者のみで構成します」

 

薫子は静かに続ける。

 

「少なくとも、貴女方が再び同じ恐怖を味わう事はありません」

 

その瞬間だった。

 

ぽたり──と。

 

誰かの涙が畳へ落ちる音がした。

見ると、一人の女性スタッフが口元を押さえながら泣いていた。

それを見た瞬間、張り詰めていた空気が少しだけ崩れる。

安心したのだ。

ようやく。

 

“もう怯えなくていい”と。

 

そんな中。

田所さんだけは、静かに俯いたままだった。

 

銀縁眼鏡の奥。

その瞳だけが、小さく揺れていた。

 

「……そこまで、していただく理由が分かりません」

 

ぽつり──と。

 

田所さんは、静かに呟く。

その声には戸惑いが滲んでいた。

 

「私達は、黒田事務所の人間です。世間から見れば“同類”と思われても仕方ありません」

「愛海さん……」

 

隣の女性スタッフが不安そうに彼女を見る。

だが田所さんは続けた。

 

「実際、見て見ぬふりをしていた人間もいた。……私も、その一人です」

 

大広間の空気が静まる。

田所さんは俯いたまま、自嘲気味に口元を歪めた。

 

「気付いていました。現場の空気も、女優達の怯えた顔も。……でも、止められなかった」

 

その声は、どこか擦り切れていた。

 

「業界で生き残る為だと、自分に言い訳して……結局、何もしなかった」

 

それはきっと。

彼女がずっと抱えてきた罪悪感なのだろう。

 

現場を支え。

作品を作り。

才能を認められながらも。

 

“誰かを守る勇気”だけは持てなかった。

 

だからこそ。

今回、自分達が救われる側にいる事へ、戸惑っている。

そんな風に見えた。

 

「……でも」

 

その時だった。

静かに声を上げたのは、僕だった。

 

「田所さんが居たから、救われた人もいたんじゃないですか?」

 

田所さんの肩が、小さく揺れる。

 

「え……?」

「報告書、読ませてもらいました」

 

僕はそのまま続ける。

 

「撮影現場で無理な接待を断る為に、スケジュールを調整した事もあった。女優さんが一人にならないよう、わざとスタッフ配置を変えてた事も」

「……っ」

 

愛海の目が見開かれる。

 

「全部を止められなかったとしても、田所さんなりに守ろうとしてたんでしょう?」

 

それは、尊達の調査報告に書かれていた事だ。

表立って逆らえば、自分も潰される。

それでも彼女は、出来る範囲で守ろうとしていた。

きっと、誰にも気付かれない場所で。

 

「……どうして」

 

田所さんの声が、僅かに震える。

 

「どうして、そこまで見てるんですか……」

「見てる人は見てますよ」

 

そう答えると、田所さんは言葉を失ったように黙り込んだ。

今まで。

彼女は“結果”しか見られてこなかったのだろう。

 

現場を回せるか。

数字を出せるか。

使える人材か。

 

それだけ。

けれど今、初めて“何を抱えていたのか”を見抜かれた。

その事実が、田所さんの中で何かを崩したのかもしれない。

 

「っ……」

 

細い肩が、小さく震える。

銀縁眼鏡の奥から、一筋の涙が零れ落ちた。

 

「田所さん!?」

 

周囲の女性達が驚く。

だが田所さん本人が、一番驚いているようだった。

まるで、

 

“自分が泣く資格なんて無い”

 

そう思っていた人間が、突然感情を許されてしまったように。

 

「……ずるいです」

 

田所さんは俯いたまま、小さく呟く。

 

「そんな風に言われたら……もう、逃げられないじゃないですか……」

 

その声は涙混じりだった。

だが。

どこか救われたような響きも、確かに混ざっていた。

そんな彼女を見ながら、薫子は静かに微笑む。

 

「愛海さん」

 

その声に、愛海がゆっくり顔を上げる。

 

「改めて申し上げます」

 

薫子の瞳には、当主としての威厳が宿っていた。

 

「北条院は、貴女の力を必要としています」

 

そして。

 

「新会社の監督として、どうか力を貸してくださいませんか?」

 

その瞬間。

 

大広間の空気が、大きく揺れた。

女性スタッフ達が息を呑む。

誰もが驚いていた。

当然だ。

それはつまり──

 

北条院が、田所愛海という人物へ、“未来”を託したという事だった。

 

「……っ」

 

田所さんは言葉を失ったまま、薫子を見つめている。

信じられない。

そんな感情が、その表情には色濃く浮かんでいた。

当然だろう。

ほんの数日前まで、彼女達は“切り捨てられる側”だったのだから。

 

仕事も。

居場所も。

未来も。

 

全て失うはずだった。

なのに今。

自分は、“新しい未来を作る側”へ立たされている。

 

「どうして……」

 

田所さんの声が、微かに震える。

 

「どうして、そこまで……私なんかを信じられるんですか……」

 

その問いに答えたのは、薫子ではなかった。

 

「簡単ですよ」

 

僕は静かに口を開く。

 

「田所さんが、“良い作品を作りたい人”だって分かったからです」

「……え?」

 

愛海が目を見開く。

 

「報告書だけじゃない。現場の人達の証言にも、何度も田所さんの名前が出てました」

 

『あの人が居たから現場が回ってた』

『役者の気持ちを一番理解してくれてた』

『田所副監督だけは、ちゃんと作品を見ていた』

 

尊達が集めた証言には、そんな言葉がいくつも並んでいた。

 

「だから思ったんです」

 

僕は真っ直ぐ田所さんを見る。

 

「そんな人が、あんな場所で終わるのって……勿体ないなって」

 

その瞬間。

田所さんの瞳から、また涙が溢れた。

 

ぽろぽろ、と。

 

今度は隠す事も出来ないように。

 

「っ……」

 

唇を噛み締め、必死に声を殺そうとしている。

けれど、抑え切れない。

多分。

彼女はずっと、“評価”はされても、“認められた”事は無かったのだ。

 

使える人材。

優秀な副監督。

便利な人間。

 

そういう見られ方はされてきた。

だが今、初めて。

 

“あなただから必要なんだ”

 

と、言われた。

 

その事実が、田所さんの心を崩していた。

 

「……本当に」

 

田所さんは震える声で呟く。

 

「……本当に、私でいいんですか……?」

 

その問いに、薫子は即座に頷いた。

 

「ええ。だからこそです」

 

静かな声だった。

だが、その言葉には絶対的な信頼があった。

 

「貴女でなければ意味がありません」

 

その瞬間だった。

田所さんは堪え切れなくなったように、両手で顔を覆う。

 

「ぅっ……ぁ……っ」

 

張り詰めていたものが、完全に切れたのだろう。

そんな彼女へ向け、零奈が優しく声を掛ける。

 

「大丈夫ですよ、愛海さん」

 

零奈はどこか母親のような柔らかい笑みを浮かべていた。

 

「ここには、貴女を利用しようとする人はいません」

「……っ」

「苦しかった分、これからは安心してください」

 

その言葉に、周囲の女性スタッフ達も涙ぐみ始める。

きっと皆、限界だったのだ。

 

怯えて。

耐えて。

飲み込んで。

 

“仕方ない”で済ませ続けてきた。

だからこそ、今の言葉が胸へ刺さった。

 

「……ふふっ」

 

不意に、小さな笑い声が響く。

見ると、田所さんだった。

涙を流しながら、それでもどこか困ったように笑っている。

 

「参りました……」

 

田所さんは眼鏡を外し、濡れた目元を静かに拭った。

 

「こんなの……断れる訳ないじゃないですか……」

 

その言葉に、薫子が満足そうに微笑む。

 

「では、改めまして」

 

北条院当主として。

そして、新たな未来を迎える者として。

薫子は静かに告げた。

 

「ようこそ、北条院へ」

 

その瞬間。

張り詰めていた空気が、ようやく優しくほどけた気がした。

 

 




最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

今回はR18回……ではなく、物語進行と新章への導入回となりました。

黒田事務所崩壊後の余波。
そして、“居場所を失った人達”が新たな未来へ踏み出すまでのお話になります。

特に今回初登場となった田所愛海ですが、個人的にもかなり気に入っているキャラクターだったりします。

才能がありながら、環境に押し潰され、それでも作品への想いだけは捨てられなかった女性。

そんな彼女が、紘一達と出会う事でどう変わっていくのか。
今後も楽しみにして頂けたら嬉しいです。

また、北条院側も本格的に動き始めました。
今回の件は、一花を守って終わりではなく、ここから更に大きな物語へ繋がっていく予定です。

そして何より、“救われる側”だった人達が、これからどんな未来を掴んでいくのか。

そこも含めて見守って頂ければと思います。

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皆様の反応、一つ一つが続きを書く力になっています。

それではまた次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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