シャーロットとヘルゲイの二人は、泉のほとりから村へと場所を移していた。
というのも、先程あの様な事があった手前も相まって、シャーロットが一人で街に戻るのは危ないと、ヘルゲイが踏んだのだ。
何せどうやらあの、アネッサとかいう女は明らかに復讐を企てる様な雰囲気を漂わせていたし、事実としてそう言葉でも言っていた。
ならば、ただの修道女見習いのシャーロットを護衛も無しに返すのは、ヘルゲイとしても憚られた。
故にこうしてシャーロットは現在、ヘルゲイの家に匿われているといった塩梅だった。
「君はどうしてそうも平然としていられる?先程はあれだけの目に遭いながら、何故泣き言一つ言わない?」
「しつもんぜめは、イヤ」
「‥すまない。どうやら動転していたのは俺だったらしい」
そんな最中、依然として凛とした立ち振る舞いを崩さないシャーロットを前にして、ヘルゲイは彼女のその美しい容姿から醸し出される、ある種の神秘的な雰囲気に圧倒されてしまっていた。
「でも、きらいじゃない」
「どういう意味だい?」
「くちが、ヘタだから」
「それは君が無口だという事かな?」
「そう」
だからこそヘルゲイは、シャーロットに話し掛けずにはいられなかった。
往々にして人々は理解し難い者には否応にも恐怖を覚える性質が、生まれた時からその身に備えられている。
それは無論、これまでの生において、魔物という数多くの未知の恐怖と対峙してきたヘルゲイにとっても未だ例外ではない。
当然ながらこればかりは幾度相対しても決して慣れるものではなく、例えその相手がシャーロットという名の未だ歳幼い少女であれど、それは変わらない。
それ故に、自ずとシャーロットに見惚れているせいかそれも相まって、ヘルゲイは時として聞き役に徹していた。
けれどそれも特段気を遣っていると言うわけではなく、ヘルゲイ自身もまた至極リラックスした状態でシャーロットとの会話に興じていた。
とはいえ今はそれどころではなく、無論ヘルゲイにはシャーロットとの時間を平素通り楽しむ余裕など無きに等しい。
そう、これが常時であればヘルゲイとしても貴重な時間を無為に過ごす様な真似はしたく無い。
ただでさえ婚約者を裏切り不義理を働いた己はシャーロットとの密会など憚られる行いに他ならない。
そんな中折を見て彼女に会いに来ているというのに、かのアネッサとかいう女に邪魔をされたというこの結果だ。
これには惨憺たる思いであるが、その内心とは裏腹にそうは言ってはいられないのが今現在のヘルゲイ等を取り巻く現状である。
彼らは確かに一時村に避難し、一応の保証のあるヘルゲイの寝ぐらに身をおいて安全下に居る。
けれどそれも絶対というわけではなく、当然ながらあのアネッサがやられてタダで黙っている様な輩では無い。
それは日を見るよりも明らかで、無論ヘルゲイとて理解しているからこそ、今現在身を隠す様にこの場へとシャーロットを連れてきているのだ。
「‥どうしたの?」
「ああ‥。ただ、先方はいつ仕掛けてくるのか気になってしまった。備えはしているつもりだが、相手方の戦力も計れないだなんてな‥。こんな事に巻き込んでしまって本当に申し訳ない‥」
「かまわない」
「そうか‥」
やはりシャーロットならばそう言うだろうとも、これまでの共に会話を交わした経験において知り及んでいたヘルゲイは、その己の不甲斐なさに肩を落とした。
いっそ、シャーロットが少しでも己を責めてくれたならばむしろそれが自然で、多少なりともヘルゲイ自身の良心の呵責も収まるのだ。
だがしかし、目の前の妙に年齢に反して寡黙な少女にはそんな素振りだなど一切無く、依然凛とした姿でヘルゲイを真正面から真摯に見据えている限りである。
応じて、常人離れしたシャーロットの美しい容姿は、彼女自身の何処か浮世離れした雰囲気も相まって、より一層際立っている様に、ヘルゲイには思えた。
「せんぷくする?」
「ああ、情けない限りだが、彼方からの先手を待つしか無いだろうな‥。何か情報さえ掴めれば、何かしら動きようがあるのだがな‥」
不意にシャーロットからの問い掛けに、ヘルゲイは己自身の人脈の希薄さに自ずと辟易してしまう。
無論最前線で戦っていた時分は、その様な伝手も存在していたのだが、生憎田舎に退いた折にこれらの繋がりを絶ってしまっていた。
故に今ではその手の面では素人同然であり、ヘルゲイ自身の武力においては常人を遥かに上回るものの、多勢に無勢となると、途端に厳しい状況へと追い込まれる彼であった。
「わたしがあなたにおしえる」
「なんだと?君は何か知っているのか?」
「そう。かれらはあくまのちからをもっている。わたしはミチオというなまえに、こころあたりがある」
ただそこでシャーロットの語る言葉がヘルゲイの気を殊更に惹いた。
というのもどうやらこの少女は例の者を知り及んでいるらしく、自らの持つ情報を彼女はヘルゲイへと伝えた。
「それは‥本当なのか?いや‥一体何故そんな事を君が知っているんだ?」
「ぐもん。わたしはきょうかいのうまれ」
「教会でその様な事を習うとは寡聞にして聞いた事がない」
「‥そう。でもわたしはしっていた。それだけ。ふつごう?」
「確かに君に嘘をつく理由が無い‥。不快な思いをしたのであれば謝罪しよう。すまなかった。礼を失していた」
「かまわない」
そうしてシャーロットの語りを聞いてヘルゲイは、己が未だ今し方に伝えられた話を信じ切れない思いを胸中に抱いている事を恥じた。
何故ならば先ほどヘルゲイ自身が言ったその言葉通り、シャーロットにはこの場で偽りを吐く必然性が無い。
何せシャーロット自身の身も危うい、そんな自らの命が危険に晒される最中、虚言を弄するなど愚の骨頂に他ならない。
故にヘルゲイは今し方に語られたシャーロットの言う所の、悪魔憑きと蔑称で呼ばれる輩について、思考を巡らせた。
何でも彼らは常人とは異なる世界から来たそんな通称異邦人とも称される者達には、強力な異能が悪神から与えられているのだとか。
「神か‥」
「あなたはしんじない?」
「それは‥。ああ、そう問われると少しばかり懐疑的にならざるを得ないと言うのが本音だ」
「それはなぜ?」
「あまり良い話じゃ無いが、俺の両親はロクな奴じゃなかった」
「‥そう」
「だが、君の話では実際にその悪神とやらが居るんだろう?」
「ええ」
途端、未だ幼いシャーロットという穢れなき少女に対してこの様な知識を刷り込むなど教会はどうなっているのかと、ヘルゲイは義憤を覚えた。
そう、ヘルゲイはシャーロットとのやり取りを介して理解した。
否、その真実はどうであれどヘルゲイは、純白の少女を盲信させてしまう教会の信仰にただ不満を抱いていた。
まさかヘルゲイとしても、例え欺瞞を弄する事のない清らかなシャーロットが語った事とはいえ、手放しにその言い分を信じる訳がない。
依然として目の前の純粋無垢な少女が騙されて、誤った価値観を悪意の元に信じ込まされているという可能性がある以上、判断は慎重に行わなければならなかった。
その為ヘルゲイは今も尚、シャーロットとの会話に興じながらも、屋外の警戒は怠っていない。
だからこそ、不意に聞こえてきた音に対して気付く事が出来た。
「今、音がした」
「あめ?」
「違う、人の足音だ」
それというのも気取られない様に気を払っているのだろうが、一流のヘルゲイには確かに建物の周辺をうろつく者達の気配をその身に感じられた。
そして嵌め殺しの窓へと視線を遣って、そこを介したガラス越しの外にある草陰の葉が、少しばかり揺れ動いたのをヘルゲイは捉えた。
どうやら裏口も抑えられているらしく、傍目から見てもヘルゲイとシャーロットの状況が八方塞がりであるのは明らかだった。
先程まで談笑に興じていたのも束の間の事、途端予期せずして危機へと追い詰められた彼と彼女であった。