目の前には剣を構えたヒナちゃん。
一方の真央さんは腕組みをしたまま、余裕の表情を浮かべている。
(一対一なら、勝機はあるけど……)
玉座に座って涙を流しているカオルと、その両脇で跪くヴァーギナーと緑髪の女性。
(あの2人も参戦するのなら……)
「安心していいわ。ヒナ、私とあなたの一騎打ちよ。──お前たち、この後何が起きようが手出しは無用だ。いいな? これは命令だ!!」
「ハッ!!」
跪いた2人が同時に声を出す。その声音には、絶対服従の響きがあった。
玉座に座るカオルは、依然として涙を流したまま。
その目は、助けを求めるようにヒナちゃんを見つめていた。
真央さんが腕組みを解き、ゆっくりと右手を降ろした。
その瞬間、長く覆い隠されていた豊かな胸元があらわになる。
まるでそれ自体が武器であるかのように、視線を奪い、空気を支配していく。
ただ立っているだけなのに、迫ってくるような威圧感。
ヒナちゃんは一瞬だけ動揺したように見えたが、すぐに剣先を真央さんへと向け直した。
「そんなに見つめないでよ……興奮しちゃうじゃない……」
そう言って真央さんが右手をゆらりと持ち上げると、次の瞬間、掌から黒い炎がぼうっと立ち昇った。
それは熱を感じさせないのに、視界を焼き尽くすような異質さを持っている。
炎は渦を巻きながら形を変え、やがて刃の輪郭を描き始めた。
細く鋭い先端から、徐々に厚みと重みが加わり──最後には、漆黒に染まった禍々しい大剣がその手に収まっていた。
刃には脈打つような赤黒い紋様が走り、見ているだけで胸の奥がざわつく。
真央さんは軽くそれを持ち上げ、片手で試すように振るう。
空気が裂け、低い唸りが辺りに響いた。
そして、剣先をゆっくりとヒナちゃんに向かって向ける。
刀身から立ち昇るどす黒いオーラによって禍々しさが余計に増していた。
鑑定するまでも無い。見ただけでわかる。
あれに斬られたら──いや、かすっただけでどうなるか……少なくとも、ただでは済まない事は確かだ。
先ほど、真央さんがヒナちゃんに向けて放った言葉が、脳裏で反響する。
『ヒナ、あなたは……ここで殺す!!』
胸の奥がキュッと締め付けられる錯覚に捕らわれる。
手のひらが濡れてくるのがわかる。
私の右腕を掴むクロの手に力が入って、少し痛かった。
「クロ、よく聞いて。もしも……もしもヒナちゃんが倒されたら、クロは、カオルを連れて逃げて……」
「ユキ!? それじゃユキは?」
クロの声は、抑えきれない動揺で震えていた。
「2人を逃したら、私も後を追うわ」
嘘だった。あの3人を相手にして、無事に済むわけがない。
きっと後を追う事はできないだろう。
でも、ヒナちゃんを置いていく選択肢は無い。
ならば、いっそ……私はここでヒナちゃんと一緒に…………。
「逃げると言っても、どこへ? この塔からは出られないんだよ!?」
クロの声には、怒りと恐怖と、どうしようもない焦燥が入り混じっている。
私は一瞬だけクロを見て、すぐに真央さんへ視線を戻す。
「……自分で考えるのよ。あなたの役目は、わかっているわね?」
「カオルを守る。そして……カオルのために死ぬ」
クロのその言葉に、胸が強く締め付けられた。
彼女の瞳には迷いがない。けれど、それはあまりにも冷たく、決意というより“諦め”に近い色を帯びていた。
「ええ、私があなたに最初に教えた事ね。でも、今は少し違うわ、クロ」
思わず声が震える。
「クロ、死ぬことは許さないわ。生きて、カオルを守るのよ。どんな形でも──必ず」
言葉にした瞬間、自分でも無理を承知の願いだと分かっていた。
でも、それでも言わずにはいられなかった。
我が子の死を願う母なんて、いないのだから……。
隣のクロが静かに頷く気配を感じながら、私はヒナちゃんの背中に向かって願う。
ヒナちゃんの目の前には、漆黒の大剣を掲げる真央さん。
その姿を見ただけで、胸の奥がきしむように痛んだ。
(ヒナちゃん……お願い、負けないで……)
そう、心の中で、何度も何度も呟いていた……。
───
剣先がわずかに震えている。
(気づかれてない……よね? 大丈夫、大丈夫……)
必死に自分に言い聞かせる。
お姉ちゃんを前にした恐怖が、今にも喉から悲鳴となって漏れそうだった。
でも──勝負は一瞬。
たった一度の斬撃で決まる。
自分が一撃を入れられれば、勝利か、あるいは相打ち。
けれど、それを防がれたら……終わりだ。
躱された場合は……どうなるのだろう?
一撃は一撃だから、グラス・ソードは砕け散るのかもしれない。
不意に風が撫で抜けた。
舞いあがった花びらが、ゆっくりと視界を横切っていく。
(今しかない──!!)
男の子の身体になった私は、戦闘力も上がったけれど、力任せの攻撃しかできず、ユキちゃんみたいに器用な攻撃はできない。
ましてや、今の私が握っている武器は、不慣れな剣だ。
素人が銃を撃つ場合、小さな的である脚や手を狙うのはNG。頭なんてもってのほかだと、どこかで聞いた事がある──いや、何かの映画だったかな?
──狙うは、一番大きな的である胴体。
(外すな……外すな……! ここで決めなきゃ、全部終わる!!)
胸の奥で心臓が暴れる。
握る剣の柄が汗で滑りそうになり、慌てて指に力を込める。
次の瞬間、地を蹴った。
視界の花びらが一気に散り、お姉ちゃんへと突き進む。
その全力の一突きは、男の身体が持つ力任せの推進力と、恐怖を振り切った覚悟を乗せて──ただ真っ直ぐに。
「はぁぁぁッ!!」
決死の叫びと共に、剣先はお姉ちゃんの胴体へと迫った。
だけど──その瞬間、私は気づく。
お姉ちゃんは、自らの漆黒の大剣を地に突き立てて捨て、両の腕をゆっくりと広げていた。
(……え?)
その仕草はまるで、抱擁を受け入れるかのよう。
無防備に見えるはずなのに、逆に底知れぬ恐怖が背筋を走る。
(罠!? しまっ──)
威力の乗った剣先は、もう、止まらない。
空気を裂く音がやけに遅く聞こえ、時間が引き延ばされたような錯覚に囚われる。
目の前のお姉ちゃんは、ただ腕を広げたまま。
その胸元へ迫る自分の刃を、まるで歓迎するかのように受け入れていた。
(何で……避けない!? 受け止めもしない!?)
答えのない疑問が頭を駆け巡る。
そして、口元に浮かんだその笑みは──冷たい確信に満ちていた。
思わず、目を瞑った。
僅かな抵抗のあと、剣先が肉を貫く感触が両手に伝わる。
(……当たった!?)
胸を締め付けるような恐怖と安堵が交錯した瞬間、温もりに包まれる感覚に気づいた。
自分の身体が、抱きしめられている。
ゆっくりと目を開くと──大きなおっぱいの間に突き刺さっている剣。
そんな状態なのに、穏やかな表情で自分を抱き寄せるお姉ちゃんの姿があった。
「ヒナちゃん、ごめんなさい……」
その声音は、かつて自分が慕い続けた、優しくて大好きだったお姉ちゃんそのものだった。
「お、お姉ちゃん!? どうして……」
私の問いかけに、お姉ちゃんは答えなかった。
ただ、抱きしめる腕の力をわずかに強め、剣を突き刺されたままの胸を押しつけるようにして、私を離さなかった。
「……コンマよ。これで、条件は満たしたか?」
花畑に響くお姉ちゃんの声は、どこか安堵と諦めを含んでいた。
「ハッ! 魔王様、見事に条件を満たしております。……ご立派でした」
震える声で応じたのは、緑髪の女神。
その響きには称賛めいた響きがあるのに、そこに温かさは微塵もなく──まるで“儀式の完了”を確認しただけの事務的な口調だった。
「……そうか」
お姉ちゃんは静かにそう言うと、指先をパチンと鳴らした。
その瞬間──。
「真央!?」
お兄ちゃんの叫びと共に、駆け寄る足音が聞こえた。
抱きしめられたままの私は、ようやく理解した。
──この戦いは、ただの戦いじゃなかった。
“条件”を満たすための、何かの扉を開く儀式だったのだ、と。
ヒビが入る音と共に、手の中で、グラス・ソードが砕けていく……。
……
私の腕の中で、お姉ちゃんは小さく震えながら、荒々しい呼吸を繰り返していた。
縋りつくお兄ちゃんの頭を撫でながら、頬を伝う涙が止まらない。
ユキちゃんとクロちゃんは、私の隣に立ち、そんなお兄ちゃんを心配そうに見つめていた。
私は胸の奥が締め付けられる思いで、お姉ちゃんの告白を聞いていた。
「……オチンチンが生えているせいで、学校で酷いイジメに遭って、登校拒否になったの。精神を病んで、カオルちゃんやヒナちゃんの血を見ることでしか快楽を得られない、異常者になってしまったわ……。黒魔術に傾倒して、カオルちゃんに呪いを掛けた。その呪いのせいで、私自身は精神崩壊する事になるとは思っていなかったのよ……」
言葉がひとつひとつ、空間に重く沈む。
そして最後に、お姉ちゃんは声を絞り出すように言った。
「この塔も、この世界も……全部、カオルちゃんを私のものにするため、そしてヒナちゃんを苦しめるために作り上げたの……」
胸の奥がぎゅっと痛む。怒りと悲しみと、理解できないほどの絶望が入り混じる。
「私がカオルちゃんやヒナちゃんにした酷いこと──許してもらおうとは思っていないわ。……ただ、ずっと謝りたかった」
そう言って、目を閉じるお姉ちゃんは、私が大好きなお姉ちゃんだった。
(お姉ちゃん……)
胸に込み上げる複雑な感情に、涙が止まらなかった。
怒りと悲しみと、少しの安堵が入り混じったこの感覚──それでも、私はお姉ちゃんを抱きしめ返すしかなかった。
お姉ちゃんの目から涙が零れるたび、私は胸が締め付けられる。
だけど、その瞳の奥には、ずっと誰かに愛されたいという強烈な渇望が潜んでいた。
幼いころから、片思いしていた男に汚物を見るような目を向けられた絶望。
過去に振った男たちからの、蔑むような視線。
そして、羨望と嫉妬を抱く女子たちからの奇異な視線。
周りから、避けられ、陰口を叩かれ、無視され、嫌がらせを受け、時には暴力を振るわれ、誰の助けも無い──孤独。
そのすべてが、心の奥底に黒い棘となって刺さり、お姉ちゃんをゆっくりと、だが確実に蝕んでいったのだろう。
だからこそ、あの虐待も、呪いも、この塔も、そして私たちへの執着も……根底には“愛されたい”という歪んだ渇望があったのだと、ようやく理解できた。
でも、ひとつ疑問が残る。
「……お姉ちゃん、どうしてわざとヒナに負けたの? お兄ちゃんを独占して、私を虐め──ううん、殺したかったんでしょ!?」
お姉ちゃんはゆっくりと目を開け、涙に濡れた瞳で私を見た。
その瞳には怒りも憎しみも、わずかも混じっていない。ただ、深い哀しみと孤独があった。
「私がこの世界であなた達をどれだけ待ったのかわからないでしょう? ……5万年以上、私はこの世界であなた達を待ち続けていたの……」
その言葉に、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
想像を絶する時間、孤独、そして渇望……それがお姉ちゃんを……。
「私が作り上げた四魔姫……そのうちの一人はポンコツだけど、あとの3人と長い時間過ごすうちに、私の心の闇は少しずつ、晴れていったわ……何より、あの3人は、私を愛してくれている……この事に気付いたのは、340年前よ…………」
ポンコツとは、姫様──シップーの事だろう。あの人は老女愛好家のアクエリアンさんにゾッコンだ。
あとの3人とは、ヴァーギナー、オコメ、そして緑髪の女神……。
「愛されている事に気付かなかった私は、姫たちにとてもひどく、辛い事をさせて、傷つけてしまったわ……。今さら後悔しても、しょうがな……」
言葉の途中でお姉ちゃんは苦しそうに目を閉じ、咳き込む。
口から、真っ赤な鮮血がほとばしった。
「……もう、私の命の灯は尽きるわ。後の事は、あのコンマに託してある。ヒナちゃん、カオルちゃん……本当にごめんなさい。私の事は忘れて、幸せになりなさい。……ユキちゃん、巻き込んでしまってごめんなさい。あなたになら、カオルちゃんを…………」
私は思わず声を上げそうになるのを堪えた。
胸の奥に、痛みと悲しみが渦巻く。
抱きしめる腕の中で、震えるお姉ちゃんの温もりが、最後の命の温度を伝えてくる。
でも──その温もりが、もう長くは続かないことを、私は悟っていた。
「……ヴァーギナー、オ……コメ……出産に、立ち会えない……ゆる……し…………」
小さく咳き込んで血を吐いたお姉ちゃんは、そのまま瞳から光が消えていった……。
その瞬間、時間が止まったかのように感じた。
抱きしめていた腕の中で、お姉ちゃんの身体からふっと力が抜けていく。
胸の奥が張り裂けそうに痛む。声も出せず、ただお姉ちゃんの冷たくなっていく頬に触れるだけ。
ユキちゃんもクロも、私の隣で言葉を失っている。
お兄ちゃんはまだ縋るように手を伸ばしているけれど、もう届かない──届かないことを、皆が悟っている。
「……お姉ちゃん……」
小さく、嗚咽交じりに呼ぶ。それが精一杯の、最後の声だった。
抱えていた想い、憎しみも怒りも、すべて溶けてしまうほどに、ただ悲しく、そして愛しかった。
その胸の奥に残る、温もりの余韻が、もう二度と戻らないことを知りながら、私はそっとお姉ちゃんを抱き締め続けた……。