「ヒナ、ひどいよ!」
「えっ? なにが?」
75階、恋人たちのコテージの寝室に私は居る。
目の前のクロちゃんは、目に涙を浮かべ、私を睨みつけていた。
「助けてって叫んでいたのに、無視していたでしょ?」
「あれは、お兄ちゃんに向かって言っていたよね?」
「……聞こえてるじゃん!」
クロちゃんは試練の間での事を言っている。
ユキちゃんにお仕置きされるクロちゃんを、置いていったのを非難しているようだ。
「うん、ちゃんと聞こえていたよ?」
「なら、助けてよ!」
「無理。ユキちゃん、怖いもん……」
「薄情者!」
「でも、ヒナ、クロちゃんの最後と思って成仏してって心の中で思ったよ」
「ひどくない!?」
「あ、ちゃんと手も合わせたよ? 心の中で」
「供養する前に、助けてよぉー!」
「クロちゃん、無茶言わないで? ヒナはただの女の子だから、ユキちゃんを止めるのは無理だよ?」
「わかっているけどさー」
クロちゃんは頬を膨らます。可愛い。
「ヒナはユキの愛人だから、ヒナが言えば止めてくれたんじゃない?」
「……それは無いよ。ユキちゃんはヒナより、お兄ちゃんLOVEだから、ヒナには止められないよ? クロちゃん、諦めて」
「いやだよ! 3日もカオルとエッチできないんだよ? ヒナからユキに言ってよ!」
「こればっかりは、クロちゃんに協力できないよ……」
どうやら、お兄ちゃんを魅了した罰として、クロちゃんは3日間、エッチ禁止となったようだ。ご愁傷様。
クロちゃんは、私を恨めしそうに見ていた。
可哀そうになって、私は……。
「切ないなら、ヒナが慰めてあげようか?」
「本当!? ヒナ、私を慰めて♡」
クロちゃんの顔がぱぁっと明るくなる。
少し、機嫌が直ったようで私は安心した。
「うん、いい……」
急に吐き気が込み上げて、私は口を押えてトイレに駆け込んだ。
「ヒナ! 大丈夫!?」
「だ、だいじょ……」
クロちゃんが心配そうに言いながら、私の背中をさすってくれた。
「ヒナ、もしかして……カオルの赤ちゃん、出来ちゃった?」
「えっ!?」
言われてみれば、下半身に違和感がある、気がする。
私は、お腹を撫でる。
ここに、また、お兄ちゃんの赤ちゃんが……?
幸せで死にそうだ。
「クロちゃん、名前、どうしよう?」
「そんなの、私に言われても困るよ!? カオルに付けてもらおう?」
クロちゃんはそう言うと、寝室を飛び出していった。
おそらく、お兄ちゃんを呼びに行ったのだろう。
私は、新たな生命を感じて、幸せでいっぱいだった……。
そこでハッと気付いた。
お兄ちゃんは、たぶんユキちゃんとエッチ中だ。
そこにクロちゃんの邪魔が入ったら……。
私は寝室のドアを開けて、廊下にそっと顔を出す。
ユキちゃんの怒声と、クロちゃんの悲鳴がかすかに聞こえる。
(もしかしたら、気のせいかも?)
私はそっとドアを閉めて、ベッドに戻り、お腹をなでた。
「お兄ちゃんの赤ちゃん、クロちゃんの分まで幸せにするからね」
私はもう一度、心の中で手を合わせて、クロちゃんの冥福を祈った……。
───
ヒナが、体調を崩した。本人が訴えるのは猛烈な吐き気。
クロ曰く、“妊娠したのではないか?”との事だった。
ヒナの子宮内には、避妊用の魔道具が入っているから、その可能性は低いと思いつつも、80階まで進み、商店で妊娠検査の道具を購入した。いつもの、金魚鉢だ。
しかし、検査の結果は陰性。
無駄な金魚鉢が増えてしまった。
『カオル、無駄遣いさせて、ごめんなさい……』
ヒナが妊娠していない事を知ったクロは、明らかに落ち込んでいた。
ヒナの事だけじゃない。
検査のついでに自分も試した結果──排卵中の卵子数はゼロ、次の排卵日までの日数は、∞(無限)。
ユキから結果を告げられた時のクロの悲しそうな顔が、今でも脳裏に浮かぶ。
『……私、子供を産めないんだね』
クロは小さく呟いた。
俺は何も言えず、クロの手をそっと握ると、クロは無理に笑ってみせた。
けれど、その表情はすぐに崩れ、ぽろぽろと涙をこぼした。
『カオルの赤ちゃん、産んでみたかったな……』
泣いているクロを俺は抱きしめる事しかできなかった……。
……
翌日、いくぶんか体調を持ち直したヒナを連れ、80階、試練の間に俺たちは居た。
電光掲示板に表示された文字を見る……。
“セックス(男性同士)”
“0/1”
ベッドのそばにあるテーブルの上には、性転換薬、ローション、浣腸の器具に避妊具まで用意されている。
70階、女性同士のセックスで嫌な予感はしていた。女性同士があるなら、当然、男性同士もあるだろうと……。
そんな予感から、俺は目を背けていた。
ヒナ、ユキ、クロの順に顔を見る。俺の愛する妻たちだ。
この誰かに男になってもらい、セックスしなければならない事……。
俺は、電光掲示板を睨みつけながら、奥歯を噛みしめる。
(……誰かを、男にしろっていうのか)
ユキは決心したように、拳を握り締める。
クロは、不安そうな顔でそんなユキを見ていた。
「お兄ちゃん……ヒナが、やるよ……」
背中におぶさっているヒナは、弱弱しい声で静かに言った。
その声に、俺の中で何かが崩れた。
「ふざけるな……!」
ヒナがビクッと身体を震わせる。怒鳴ったのは、俺自身だった。
「ヒナが男になる必要なんて、あるか! こんな試練のために……!」
「……お兄ちゃん、でも、じゃあ、誰が代わりにやるの?」
「それは……」
俺はヒナの疑問に答える事が出来なかった。
誰かを守るためには、誰かを犠牲にしなければならない。
答えの出せない問いに、俺の頭の中は支配されていた……。
「…………私が、やるわ!」
沈黙を破ったのは、ユキだった。
強い目で俺を見据えながら、まるで自分を説得するかのように言葉を続ける。
「私は、カオルのためなら全てを捧げられるわ。男の子になるくらい、朝飯前よ! カオル、いいでしょ?」
(やめてくれ!)
クロが声を上げる。
「ユキ、やめてよ……! いくらカオルのためとはいえ、女の子から男の子になるなんて……おかしいよ!」
「じゃあ、クロがやるの?」
問い返されたクロは、言葉を詰まらせ、俯いた。
その肩は小刻みに震えている。
「……私は……カオルの子どもを産めないのに……今度は女の子でいることさえ、やめなければいけないの?」
その言葉は、鋭い刃のように俺の胸に突き刺さり、抉った。
何も言えない。言葉が、出てこない。
……俺のせいだ…………。
俺が選ばなきゃいけないのに、俺が何一つ決められずにいるから……。
ユキは涙を流すクロを無視して、テーブルに近付き、薬を手に取る。
今にも蓋を開けて、飲みそうなユキの姿が目に映った。スローモーションのように……。
「やめてくれ! ユキ! お願いだ!!」
俺の言葉を聞いたユキは、動きを止める。
硬直しているユキの前に俺は立つ。
「ユキ、頼む! やめてくれ!」
ユキは黙ったまま、俯く……。
俺は、背中からヒナを降ろし、ベッドに横たえた。
「ヒナ、しばらく、ここで休んでいてくれ……変な気は起こすなよ?」
「お兄ちゃん……うん、わかった……」
ヒナの頭をそっと撫でると、俺はユキの手に自分の手を重ねる。
「ユキ、それを渡してくれ……」
ユキは俺の顔を一瞬見ると、俯き、諦めたのか、性転換薬を俺に手渡す。
「クロ、これを預かっていてくれ。絶対に飲むなよ! ヒナにも飲ませないでくれ……。あと、ヒナを頼む」
クロはまだ泣いていたが、無言で頷き、俺から薬を受け取った。
「カオル、何をするの……?」
ユキが震える声で俺に問い掛けてきた。
「……お仕置きだ」
その言葉にユキは顔を上げ、瞳を大きく見開いた……。
───
……お仕置きと称して俺はユキを抱いた。
抱擁を解くと、ユキは、名残惜しそうに俺を見つめる。
「カオル……すごく気持ちよかった…………私、幸せ……」
「……だろう? ユキ、もうあんな事を言わないでくれ。俺は、ユキが男になっても、今と変わらずに愛せる自信はないぞ?」
「…………うん。私、カオルの隣に居られるなら、男の人になっても構わない。そう、思っていた……でも、カオルとエッチできないのは、耐えられない、今、わかったわ」
「俺もだ。もう、ユキが居ない人生なんて、考えたくもないよ……」
ユキのぷるんとした唇に、俺は唇を重ねる。
唇を離すとユキは目に涙を浮かべていた。
「カオル、ごめんなさい。もう、ずっと離さないで……そばに居て」
俺はユキを強く抱きしめて、もう一度、唇を奪った……。
……
全裸のユキを抱き抱えて、ベッドに戻ると、ヒナが羨ましそうな顔で俺たちを見ていた。
クロは……悲しそうだ。
俺の腕の中で、ユキは嬉しそうに瞳を閉じていた。
「で、お兄ちゃん、どうするか決まった?」
「……ああ」
俺の言葉に、ヒナは驚いたようだ。目を丸くしている。
「誰が、男の子になるの?」
ヒナの言葉に、一気に空気が重くなる……。
クロが、無言で手を挙げた。
「私、カオルの赤ちゃんが産めないし……女の子でいる意味、無いよね。……私、カオル……ううん、カオルだけじゃなくて、ユキとヒナのために、男の子になっても…………いいよ」
そして、クロは微笑む。
「私、所詮、ユキの分身だし……」
パンッ!
室内に、乾いた音が響いた。
いつの間にか、腕の中からユキが消えていて、目の前に立つクロの頬を叩いていた……。
「ユキ!」
俺は慌ててユキを止めるが、もうユキの身体に力は入っていなかった。
「ユキ……?」
クロは呆然としつつも、やっとの思いで口を開いた。
瞳には涙が浮かんでいる……。
「クロ、あなたには失望したわ! あなたが私の分身? 笑わせないで! あなたに私の代わりが務まると思うの?」
ユキの言葉にクロは俯く。
「……そして、あなたの代わりは私には務められないわ! クロ……あなたの代わりはいないのよ!」
先ほど、ユキとのセックス中に俺が言った言葉だった。
ユキは“自分の分身のクロが居る。自分が男になってもクロを愛してくれればそれでいい。だから、男になるのを許してほしい” そう、懇願した。
もちろん、俺は許さなかった。
「クロ、そんな悲しい事を言わないでくれ。俺は、クロの事を大切に想っているし、愛している。そのままのクロでいてくれ……」
「…………ごめん、なさい」
俯いたままのクロから、涙が落ち、床を濡らす。
俺はクロをそっと抱き締めた。クロの背後からユキもそっと抱き締めていた。
「あったかいよ……」
泣きじゃくりながら、クロは小さく呟いた……。
……
ベッドに横たわるヒナの傍にはユキとクロが座っていた。
クロは既に泣き止んでいたが、その顔は不安そうだ。
「ヒナ、ユキ、クロ……俺から、提案がある……」
3人とも、無言のまま、俺を見つめている。俺は言葉を続ける。
「浮気、してもいいか?」
その場の空気が凍り付いた。
「カオル……どういう事?」
ユキは俺を睨みつける。その瞳は真っ赤に輝いていた。
正直、怖いが、俺はユキとのセックス中にまとめた考えを伝える決心をした。
「新たに、仲間を入れようと思う。この試練をクリアできる男を2人。無理なら、1人。我ながら最低な考えなのはわかっているつもりだ……」
「試練をクリアするためだけに男の人を仲間にするって事? そして、その男の人とお兄ちゃんがエッチするの?」
「ああ、その通りだ」
ヒナの質問に俺は答えた。そして、わざわざ伝える必要は無いと思い、黙っていたが、俺は……最悪、新たな仲間に自分の身体を捧げる覚悟もしていた。
俺が犠牲になる事で、愛する妻たちを守れるのであれば、何の後悔も無い。
「私は、許さないわ! カオル、あなたは最悪、抱かれるつもりでしょ? それだけは、私は許せないわ! 男の人を2人。私はこれしか認めない……」
ユキの言葉を聞いて、ヒナとクロは俺を見つめる。その瞳には非難の色が浮かんでいた。
俺の考えは、ユキに見透かされていたらしい。
「……わかった。ユキの言う通りにしよう」
俺は電光掲示板を見る。
「そろそろ、時間切れだ。何が起こるかわからないから、戦闘準備を頼む」
ユキとクロは真剣な顔で頷いた……。
───
試練に失敗したからといって、何か起きる訳でもなく、ただ部屋の扉が開いただけだった。
拍子抜けした俺たちは、試練の間を出た。
体調がすぐれないヒナをクロに預け、2人には先に恋人たちのコテージに帰ってもらう。
俺はユキと一緒に町への扉へと向かう。
目指すは、これまで塔内の町で見かけた“アドベンチャーズ・ギルド”だ。
……
アドベンチャーズ・ギルドで、仲間に入ってくれる男が2人見つかった。
試練のために、セックスするのも問題ないとの事だった。何より、2人は恋人同士だ。
こんなにすんなり目的の仲間が見つかるとは思っていなかった俺は喜び、仲間になる手続きをギルドの受付に依頼したのだが……ここで問題が発生した。
「あんた達、もう4人パーティーじゃないか? 2人を仲間にするなら、2人と別れないといけないよ? 誰と別れる?」
俺は、受付のその言葉に絶望した。
どうやらこの塔では、パーティーの最大数は4人のようだ。
「ヒナとクロには、町の安全な宿で待っていてもらうとか……」
ユキの言葉を聞いた俺は、ユキが女神に見えた。さっき抱いたばかりなのに、もう抱きたい……いや、抱かれたい……。
しかし、受付の言葉は残酷なものだった。
「そいつは無理だよ。別れた2人は、仲間に入る2人の代わりに人材バンクに入ってもらわなきゃ……」
俺は“人材バンク”について、受付に尋ねようとしていたところ、隣の受付に居る男に気が付く。
男はいやらしい目つきでユキの全身を眺めていた。
俺はさり気なく、ユキと男の間に入り、男の視線からユキを遮る。
「フンッ!」
男は俺を睨みつけて鼻を鳴らすと、受付に話し始めた。
「エスパーギャルを1人。そこの嬢ちゃんの見た目で、胸は爆乳で頼む。アッチの方が強くて、ド淫乱。どんなプレイも平気な女を頼む」
「失礼ながら、昨日もエスパーギャルを仲間に入れたようですが?」
「へへ……潰しちまったよ」
「……そうですか。はい、見つかりましたよ」
「ほう? 早速、パーティーに入れてくれ」
「はい……これで手続き完了です」
奥から、際どい衣装を身に纏った女が現れた。その耳は長く尖り、胸はヒナと同じくらいだった。
衣装と耳と胸以外はユキと瓜二つだ。
男は女の隣に立ち、胸を鷲掴みすると、ニヤニヤした笑みを浮かべながら、ギルドの入り口へと歩いていく。
女の歩いた床は何かの液体で濡れていた……。
「ここは、まるで天国だぜ」
そのまま、男はギルドの外へと消えた。
──天国
その言葉がやけに耳に残った。まさか……。
「失礼。また来ます」
俺は受付に声を掛け、ユキの手を引いてギルドを出た。
「ユキ、あれ、どう思う?」
「わ、私はあんな淫乱で変態な女ではないわ!」
出たところでユキの意見も聞こうと思ったが、ユキは何故か慌てている。どうしたのだろう?
「ユキ、人材バンクの件だ。似ていると思わないか?」
「似ている? …………あっ!?」
ユキも気付いたようだ。34階の天国と地獄を……。
「カオル、人材バンクってもしかして……」
「ああ……十中八九、地獄産の木偶だろうな……」
俺は34階の地獄で見たパネルを思い出す。
そこにはこう書いてあったはずだ。
“封印を施された達磨は、ここで木偶になるまで待機します”
“天国にいる人間が望むと、望まれた姿で天国内に木偶として具現化して現れます”
“木偶への行為は結界を通じて達磨たちへとフィードバックされます”
“ですので、木偶が死ぬと、達磨も死にます”
「そうよね。じゃないとさっきの女の説明がつかないわ。見た目が私にそっくりで、中身はあの男の欲望通りの女なんて……」
「俺たちが探していた男たちもそうだ。あんな都合よく見つかるなんて、おかしい……」
俺は、もしヒナとクロを人材バンクに預けていたらと想像して、ぞっとした。
人材バンクに預けたヒナとクロは、おそらく地獄へ行くだろう。そして、達磨になる。
一方、試練をクリアした俺はヒナとクロをまた仲間に入れる。
そのヒナとクロは、本物のヒナとクロではない。地獄に居る見知らぬ達磨の木偶。
そして、俺が“こうあってほしい”と望んだヒナとクロだ。
俺は一生、気付かないかもしれない。
そして、達磨になったヒナとクロは、俺の知らないところで地獄の苦しみを味わっただろう。
永遠に……。
34階の天国での、地獄絵図を俺は思い出していた……。
「……カオル?」
気が付くと、ユキは不安そうな顔で俺を覗き込んでいた。
美しい、ユキの顔を見て、俺は頭の中の想像を打ち消す。
「ユキ、帰ろうか……」
「……うん」
俺の手をそっと握るユキに、どこかクロの面影を感じた……。
……
「いやぁぁぁぁぁぁ!!!」
翌朝、ヒナの絶叫で俺は目が覚めた。
目の前には、クロの胸がある。
どうやら、クロに抱きついて寝ていたようだ。
急いで体を起こすと、寝室備え付けの洗面所の前で、ユキが立ち尽くしていた。
両手は、口元を抑えている。
「ユキ、どうした!? ヒナ!?」
俺はユキを退かして、洗面所の中を見て、放心した。
そこには、真っ赤に染まった洗面台。
その傍でへたり込んでいるヒナ。
床に散らばる、尋常ではない量の黄金の髪の毛。
その下にある、赤い液体。
「いやっ! お兄ちゃん、ユキちゃん、見ないで! 見ないでよぅ……」
ヒナは泣きながら自らの頭を隠すが、俺は見えてしまった。
ヒナの頭には、もうまばらにしか、髪が残っていなかった……。
……
錯乱していたヒナは“睡眠”で漸く大人しくなり、今はベッドの上で寝ている。
クロが濡れタオルで、ヒナの口元を優しく拭う。
白いタオルがみるみる真っ赤に染まっていった。
ヒナの尻の下のシーツもだ……。
「カオル、しばらく、向こうの寝室に居てくれないかしら? 私とクロで、ヒナちゃんの身体を拭いてあげようと思うの……」
「……わかった。ユキ、ありがとう……」
無言のユキの隣を通り過ぎ、俺は寝室を出た。
……
しばらく、一人の寝室で考え込んでいた。
かれこれ、6時間は経過している。
何か異常があればすぐ向かえるよう、寝室の扉は開けっ放しだ。
扉の音が聞こえた。誰かが、あちらの寝室の外に出たのだろう。
俺は、そっと寝室を出た。
ヒナの居る寝室に向かうと、扉の前にユキが立っていた。
俯いているその表情は、暗い。
「ユキ……」
声を掛けると、ハッとして頭を上げる。
「カオル、ヒナちゃん、あまり具合がよくないの……」
ユキの瞳には涙が溜まっている。
俺はそっと、ユキを抱きしめた。
ユキの小さな肩が震えている。
「カオル、ヒナちゃん、あんなに元気だったのに、どうしちゃったの!?」
俺は、ただ黙って抱きしめた。
ユキの不安を少しでも解消出来たら……それは叶いそうもない願いとわかっていた。
「俺にも、わからないんだ……」
それが本音だった。
ユキは、俺に抱かれながら、嗚咽を漏らす。
「入っても、いいか?」
ユキは涙を拭い、頷く。
俺は、扉を開けた。
ベッドの上。
ヒナが、汗に濡れた髪を額に張り付かせ、荒い息を繰り返していた。
「ハァ……ハァ……お、おにいちゃん……」
ヒナが掠れた声で俺を呼ぶ。
その傍らにはクロがいる。濡れタオルを手にしたまま、俺を見るなり声を震わせた。
「カオル……!」
その目には涙が溜まっていて、助けを求めるように見つめてくる。
一瞬、呆然としてしまうが、俺は一歩を踏み出す。
ベッドの横に立ち、ヒナ、クロの順にそっと頭を撫でた。
「クロ、ヒナの面倒を診てくれてありがとう。後は俺に任せて、ゆっくり休んでくれないか?」
俺がクロに労いの言葉を掛けると、クロは俺を見つめる。その表情には怒気が混じっていた。
「カオルのバカ! ヒナは私にとって妹みたいな存在だよ! ヒナがこんな状態なのに、ゆっくり休める訳ないじゃない!!」
そう叫び、ポロポロ涙をこぼし始める。
クロの叫びを聞いたのか、ユキが慌てて寝室に入ってきた。
ユキは泣いているクロを抱きしめ、自らも涙を流した。
「クロ、お願い! このままではあなたまで参ってしまうわ! だから、休みましょう!」
「うわぁぁぁ! ヒナ! ヒナァァァ!」
……
しばらく、2人きりにしてほしいとユキに伝え、ユキはクロを連れて寝室を出て行った。
遠くにクロの泣き叫ぶ声が聴こえる。
「お兄ちゃん……ヒナとエッチがしたくて2人きりになりたかった? ……申し訳ないけど、今日はヒナとエッチは出来ないよ……」
ヒナは微かに笑みを浮かべて、俺に手を差し出した。
「そんな訳、ないだろ」
ヒナの冗談に俺は笑みを浮かべて、そっとその手を握った。
「お兄ちゃん……ハグして。ヒナ、もうお兄ちゃん好みの女の子じゃなくなっちゃったけど、ハグするくらい、いいでしょ?」
「そんな事ない。……ヒナはどんな姿でもヒナだ。俺の愛する妻だ」
俺はヒナを抱きしめる。目の前には、もう髪の毛がほぼ無くなったヒナの顔があった。
そして俺は、そっとキスする。
ヒナは俺の背中に手を回すが、その力は弱弱しい。
……
しばらく、ヒナの唇を味わった後、俺はヒナの隣で横になっていた。
ヒナは、俺に抱きつきながら、時折、荒い息を吐いていた。
「ヒナ、これは大切な事だから正直に答えてくれ……ヒナがこうなった原因、思い当たることは無いか?」
「……考えてみる。少し、頭がぼーっとしているから、時間が掛かるかもしれないよ……」
「ゆっくりでいいよ」
「うん……お兄ちゃん、あったかいな……ヒナ、こうしているだけで元気貰えるよ……」
弱弱しいヒナの言葉に、俺は涙をこらえるのに必死だった。
……
「あのクソ女神どもには本当に腹が立ったな」
少しでも、ヒナが思い出す手がかりになればと、俺は新しい順に塔内での出来事、その時に俺が思った事をヒナに話し聞かせていた。
今はちょうど70階、試練の間のボスの話だ。
「あの時のユキちゃん、怖かったなぁ……」
ヒナは目を閉じ、口に笑みを浮かべながら俺に答えた。
「そうだな。とても60階でポンコツを相手に華麗に舞っていたのとは、同一人物と思えないくらいブチギレていたな……」
「しょうがないよ……クロちゃんのリボンをバカにされた時、ヒナもキレたよ……」
「それにしても、あの60階のポンコツはいい物を見せて貰った……」
「あのポンコツはユキちゃんがバラバラにしたせいで、ペロの回収が大変だったんだよ…………あっ!?」
ヒナが目を開け、俺を見つめる。
「そうだ! あの時、バッテリーを拾ったんだった。お兄ちゃん……そこの革袋の中に入っているから見てみて」
「バッテリー?」
俺は起き上がり、ヒナが教えてくれた革袋を開けた。アイテムの山の中に、確かにモバイルバッテリーのような見た目のアイテムが入っていた。
(これか?)
手に取り持ち上げるとずっしり重い。裏には説明書きが小さな文字で書いてあり、それを読み始めた。
……
読み終えた俺は、目の前が真っ暗になった…………。