私が寝室で一人思案しているとノックの音が響く。
入って来たのはユキちゃんだった。
「ヒナちゃん、具合はどう?」
「最悪だよ」
私がぶっきらぼうに返すとユキちゃんの表情が曇る。
ユキちゃんは、曇った表情のまま、私のそばに歩み寄った。
だけど何も言わない。
ただ、そっとベッドの端に腰掛ける。
沈黙が続く。
その静けさに、私はますます苛立ちを感じた。
「なに? 慰めに来たの? あと、お兄ちゃんは元気? 私の赤ちゃんを殺したお兄ちゃんは……。どうせ経産婦になったお兄ちゃんとエッチしているんでしょ?」
つっけんどんな口調で言ってしまう。
自分でもわかっている。ユキちゃんに当たるのは筋違いだ。
ユキちゃんは俯いたまま、呟く。
「これ、ヒナちゃんに渡しておこうと思って……」
渡されたのはちょうど私の握った手に隠れるくらいの小さなガラス瓶だった。
その半分くらいまで粉が入っている。
「クロと一生懸命集めたけど……それしか回収できなかったの……ごめんなさい」
私は、手の中にある瓶の中身を見る。
細かい粒子の他に、ゴミや塵が混ざっていた。
一気に、頭が沸騰する。
手が、震えだす。
「出て行って! 2度と顔も見たくない!!」
私の言葉にユキちゃんは身体を震わせた。静かに立ち上がると、そのまま、寝室の扉の前に立つ。
(ちがう! ユキちゃんを傷つけるつもりは──)
「ごめんなさい……」
ユキちゃんは小さく呟いて、寝室を出て行った……。
……
私はもう一度ベッドに横たわり、瓶を握り締めた。
涙はもう枯れたはずなのに、また頬を濡らしていく。
ベッドに突っ伏し、瓶を抱きしめていた。
誰もいない寝室。静寂の中、私が鼻をすする音だけが聞こえる。
そのとき──頭の中に、鋭く、冷たい声が響いた。
『──マスター。失礼ですが、黙ってはおれません』
エリの声だ。普段のような柔らかさがない。
「……何か用? エリ。今は放っておいてよ……」
『いいえ、放ってはおけません。マスターは、さきほど、自分の悲しみを理由にして、人を傷つけました。そして、自分を甘やかしています』
私はその言葉に反射的に眉をひそめる。
「甘やかしてる……? 私が……? ……子どもが、死んだんだよ……?」
『マスターはお子様を失いました。許せない。苦しい。それはいいでしょう。──ですが、奥様もクロ様も、もちろんお姉様も気持ちは同じです。皆、マスターの子を“一緒に”失ったのですよ?』
「……!!」
『マスターは今、深い悲しみに沈んでいます。泣いて、喚いて、怒って、物に当たっても、構いません。ですが、だから他人に八つ当たりしていいという理由にはなりません』
私は拳を振りしめた。エリの言葉は止まらない。
『マスターの手の中にある瓶の中の粒を、奥様とユキ様がどんな気持ちで拾ったか、……マスターにはわかりますか?』
「……」
『ゴミや塵が混ざっていて、マスターが憤るのはわかります。でも、それは些細な事です。その瓶の中にはお二人の涙も混ざっているのですよ。それに、お二人が集めてくれていなければ、マスターは今、自分のお子様が存在した証すら失っていたはずです。その事に感謝するどころか、当たり散らして奥様を悲しませたこと。このエリジウム・キー、黙ってはおれません』
私の脳裏に、あの広い試練の間で床を這いずり回って、粒を集めるユキちゃんとクロちゃんの姿が浮かんだ。
2人は涙を流しながら、一生懸命、粒を拾い集める……。
「ごめん……なさい……」
涙が零れた。
『わかればいいのです。さぁ、奥様に謝りに行きましょう』
「ユキちゃんには謝る。でも、私たちの赤ちゃんを守れなかったお兄ちゃんだけは許せない!」
私は拳をベッドに叩きつけた。
『……マスター、マスターのお子様がどうして亡くなったか、わかりますか?』
「わからないよ!? でも、お兄ちゃんのせいだ! あそこにはお兄ちゃんと赤ちゃんしかいなかったんだから!!」
『マスター、記録を観ますか? 全てを記録する事は出来なかったため、一部は私が生成したものになりますが、記録を観れば、マスターのお子様がどうして亡くなったのかがわかるでしょう』
エリの言葉に、私は驚いて息を呑む。
そんなの観るに決まっている。
「観るに決まっているでしょ!? どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」
『マスターに見せたくなかったのです。この記録を観れば、マスターはきっと辛くなります。悲しみ、絶望するかもしれません。それでも観ますか?』
確かに、自分の子供が死ぬ瞬間を見るのは辛いかもしれない。
でも、私は、真相が知りたかった。
「見せて!」
覚悟を決め、エリに言った。
そして、記録を観終えた私は、観なければよかったと後悔した……。
───
私は深呼吸をして、扉をノックする。
扉が開き、クロちゃんが顔を出した。
「ヒナ! 大丈夫だった!? もう、その……いいの?」
クロちゃんを心配させて、私は申し訳なくなる。
「お兄ちゃんは?」
「……今は、眠っているよ」
「クロちゃん、ユキちゃんと一緒にリビングに来てくれない? 大切な話があるの」
扉が閉まると、私はリビングに向かった……。
……
「ユキちゃん! さっきはごめんなさい」
私は頭を下げた。心からの謝罪だった。
ユキちゃんは何も言わずに私を抱きしめてくれた。
「大丈夫。私も、ちゃんと話したかった。ありがとう、ヒナちゃん」
冷たい手と優しい声に、私はまた、少しだけ泣いた。
そしてすぐに顔を上げる。
「ううん、お礼を言うのは、ヒナの方……。この子を拾い集めてくれてありがとう。クロちゃんも……」
「私は、ヒナのために一生懸命集めていたユキを手伝っただけだよ」
クロちゃんは照れ臭そうに鼻の下をかいていた。
「それで、ヒナちゃん、大事な話って?」
ユキちゃんが少し不安そうな顔を私に向ける。
「あの子がどうして死んだのか、わかったの」
私の言葉に、2人は息を呑む。
「……最初、ヒナはお兄ちゃんが赤ちゃんを守れなかったと思ってた。でも……違った」
私はエリの記録を思い出す……。
……
──そこに映っていたのは、試練の間。
ベッドの上でお兄ちゃんが、赤ちゃんを抱いていた。
優しく、穏やかな顔で授乳している。
赤ちゃんはゴクゴク、お兄ちゃんの母乳を飲んでいた。
これが、私とお兄ちゃんの間に生まれた赤ちゃん……すごく可愛い。
私はその光景を微笑ましく見ていた。でも……。
異変はすぐに起きた。
お兄ちゃんの母乳を飲んでいる赤ちゃんの身体が、みるみる大きくなっていく。
手がどんどん大きくなり、指も太く、長くなる。
細かった首も太くなり、咽喉がくっきりとわかった。
小さく可愛かったオチンチンも、今では立派な大人のオチンチンに成熟していた。
気づけば、そこにいたのは少年。いや、青年だった。
「──え……うそ……?」
私は思わず言葉を漏らす。
記録の中、青年になった彼は、乳首から口を離して、母親であるお兄ちゃんの顔をまじまじと見つめる。
お兄ちゃんを見つめる彼のオチンチンがどんどん膨らんで、先端からは透明な液体が糸を引いて垂れていた。
彼の性器がこんなに巨大なのは、私からの遺伝だろう……。
「え……」
お兄ちゃんは目の前の彼に戸惑い、身体をこわばらせていた。
突如、彼はお兄ちゃんの華奢な身体に飛びかかった。
お兄ちゃんが叫ぶ。
「やめて! やめて、あなたは私の……」
けれど、彼は言葉を理解していない。教わらないまま、成長したから……。
彼の瞳は理性の無い獣のように爛々と輝き、お兄ちゃんを組み敷こうとする。
「お兄ちゃんっ!!」
私は小さく叫ぶ。胸が、締め付けられる。
お兄ちゃんは必死に抵抗する。
お兄ちゃんに襲い掛かる彼にも、赤子の時と同じく愛はあったのかもしれない。
だけど、それは学ばなかった愛。教えられなかった思いやり。
暴力のような愛が、お兄ちゃんを嬲る。
──そのまま、映像の中で彼は青年から老いていった。
お兄ちゃんの胸に埋める頭に白いものが混じりだし、遂に真っ白になった。
背が縮み、手が震え……。
骨ばった身体になっても、お兄ちゃんにすがりつこうとする。
ついにお兄ちゃんが彼を突き放すと──その身体はベッドの傍らに崩れ落ちた。
力なく横たわる彼のオチンチンはもう、萎んで機能していない。
彼はそれでも立ち上がろうとする。お兄ちゃんに向かって手を伸ばす。
お兄ちゃんも気付いて、彼にむかい手を差し伸べる。
──そんな彼を、老いが容赦なく襲う。
手と手が触れあう直前、彼の手は力なく落ちた。
やがて彼の瞳から光が無くなり……力尽きた。老衰だったのだろう。
そして数秒のうちに、彼の身体は腐敗していき、やがて……。
──白骨だけが残った。
それを見たお兄ちゃんは泣き叫んでいる。その瞳には絶望の色が浮かんでいた。
私は、声が出なかった。小瓶を握る手が震えだす。
『これがマスターのお子様の最期です』
エリの声が、いつもより遠く、冷たく響いていた……。
……
私は2人にお兄ちゃんの赤ちゃんがどのような最期を迎えたのかを伝えた。
ただし、この子がお兄ちゃんに襲い掛かった事は伏せて。
「お兄ちゃんはわるく──ううん、誰も悪くない。誰にも、この子は救えなかった。救いようがなかったんだ……」
そう、言い終わると、ユキちゃんが私の手を握る。
その瞳には涙を浮かべていた。
「……ヒナちゃん、つらかったね。教えてくれてありがとう」
一方、クロちゃんの表情は暗い。
「ねぇ、ヒナ? じゃあ、カオルの赤ちゃんは試練をクリアするために──死ぬために生まれてきたの? カオルもヒナも赤ちゃんが生まれた時、あんなに喜んでたよね? 私、許せないよ! カオルが可哀そう過ぎるよ!!」
クロちゃんの言葉を聞いて、私は何も言えなかった。
そうだ。その通りだ。
そして、新たな疑念が生まれた……。
(エリ、こうなる事、知っていたんでしょ?)
私はエリに語り掛ける。
数秒の沈黙ののち、エリの声が脳内に響く。
『……はい。知っていました』
(なんで……! なんで黙ってたの!?)
怒りが混じる。
『理由はひとつです。マスターとお姉様がこれを知れば、試練のために子を成すことは、なさらなかったでしょう? あなた方はお優しいですから』
(当然でしょ!? アンタ最低だね。見損なったよ! さっきは誰も悪くないと言ったけど、アンタは例外だよ! 知ってたなら、言ってよ!)
『マスター、では、私がマスターに伝えたと仮定します。マスターとお姉様は子を成しません。当然、試練もクリアできません。それで、どうするおつもりなのですか?』
(えっ!?)
『試練を放棄しますか? 塔の頂上へ行くことを諦めますか? ──それとも、誰か他の人を犠牲にしますか?』
エリの言葉に、私は何も言えなかった。
『それとも……一生この塔で過ごしますか?』
エリの声は、静かで感情が希薄なままだった。それが、余計に胸を締めつける。
(そんな……それは……)
『私はマスターとお姉様にそのような決断をしてほしくありません。さっさとこの邪悪な塔を出て、幸せになってほしいのです。ですので、私はマスターとお姉様のために、伝えないという選択をしました。そして、その判断は正しかったと確信しております。私からは以上となります』
そのまま、エリは黙ってしまった。
「ヒナ! 顔色が悪いよ! 大丈夫!?」
気付くと、クロちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
手を握ったユキちゃんも不安そうだ。
「ごめん、さっきは誰も悪くないといったけど、いたよ。悪いヤツが……」
2人は真剣な顔で私を見つめ、次の言葉を待っていた。
「この試練を作ったヤツだよ!!」
私の言葉に、2人は静かに頷く。
私は拳を握り締めた。
(絶対、殺してやる!!)
───
100階の試練をクリアしてから2日経った。
私たちはいまだに100階にいる。
──お兄ちゃんが壊れてしまったからだ。
お兄ちゃんはベッドに力なく横たわり、うつろな目を天井に向けていた。
私たちが話しかけても、何の反応も返ってこない。
たまに言葉にならない、声を出すくらいだ。
私は今、ユキちゃんに協力してもらって、お兄ちゃんの手を使って性欲処理中だ。
「ユキちゃん! もう、
「いいよ。ヒナちゃん、
クロちゃんがカオリを私のオチンチンの先っぽにあてがう。
「ヒナ、いつ射精してもいいよ」
私のオチンチンが膨らみ、カオリに向かって射精する。
カオリに収まりきらなかった精子が、お兄ちゃんの手と、その手を掴んでいるユキちゃんの手を汚す……。
「いっぱい出たね♡」
クロちゃんが精子を掬って、カオリの膣内に入れていた。
相変わらず、精石作りに熱心だ。
「クロちゃん、その精石、どうするつもりなの?」
「ん~、内緒」
「クロ、そろそろ私たちに教えてくれてもいいんじゃない?」
「そうだね……この塔を出たら、教えてあげる」
ユキちゃんの言葉に、クロちゃんがはにかみながら答える。
3人に清掃をかけ、私はお風呂場に向かった……。
───
『マスター、お姉様は強い方ですから、きっと悲しみを乗り越えられるでしょう』
お兄ちゃんは本当に復活するのかという私の問いに、エリが答えた。
大丈夫だとは信じていたけど、エリにそう言ってもらえると安心する。
(ねぇ、エリ、お兄ちゃんはどうして壊れちゃったの?)
少しの沈黙ののち、エリの声が静かに脳内に響く。
『お姉様は壊れたのではありません。壊されてしまったのです』
(……壊された?)
『はい。今回の試練は、構造が悪意を持って設計されていました。お姉様は子を授かり、そして失いました。それも、言葉も心も知らぬ我が子に襲われ、その我が子が老衰で朽ちていくという、通常では考えられない体験をしました』
私はエリの声に耳を傾ける。
『それは母性そのものを踏みにじる行為です。生まれて間もない我が子に、尊厳を奪われたのです。自分の存在すら否定されるような絶望を、お姉様は味わってしまった。お姉様は優しく、強い方です。しかしその強さゆえに、誰にも助けを求めようとしなかった。優しさゆえに、真実を教えたくなかったのでしょう。そして、心を閉ざしてしまったのです』
エリの言葉に、お兄ちゃんならそんな事を考えそうだなと納得した。
『……お姉様の強さは、美徳でもあり、時に呪いでもあります。悲しみも絶望も、誰かと共有されたなら軽くなったかもしれません。しかし、お姉様はそれを自分ひとりで抱え込もうとされた……それが今の状態に繋がっているのです』
(お兄ちゃんは……誰にも頼ろうとせず、自分一人で抱え込むつもりだったんだね
……。だったら、今度はヒナが支える番だよ。ヒナだって、いつまでも支えられる側なのは、イヤなんだから!)
お兄ちゃんの事、きっと元気にしてみせると、私は心に誓った。