アクマレコード 魔法少女ヒットマンDIAVOLO! 作:形のない者
朝。廃墟街。
そこは鉄筋コンクリートが剥き出しで、つる草植物が繁茂する廃ビルの上階。建設途中で放棄されたのか、窓枠にはガラスがなく、無骨な柱が定間隔に立っている。その柱の一部をパンチで破壊した悪魔は、ビルが崩れない程度に整地を完了し、赤色のハーフソウルリングを口元に近付けて無線通話のように話し掛けた。
「隼人。最大二時間後に射撃訓練を行いたい。ありったけの銃弾と数タイプの的を用意してほしいんだが……頼めるか?」
次の瞬間、赤色のハーフソウルリングが喜々として明滅した。
悪魔の六つの魔力パターンを追って、環いろはと暁美ほむらが到着する。
「あ、あの、悪魔さん……もしかして、受けてくれるんですか……?」
「いろは。もちろんだ。やちよはウワサ調査で忙しい。代わりにオレがやるしかないだろう」
「……! ありがとうございます……! やったね、いろはちゃん!」
環いろはと暁美ほむらは手を取り合って喜ぶ。
「さて、オレがお前らの
『……?』
「優しいコースと、厳しいコース……どっちがいい?」
悪魔は気合を入れるためか、首元のネクタイをキュッと引き締める。
それに二人は当然と言うように口を揃えて答えた。
『き、厳しいコースで!』
「よく言った。────ではあらかじめ断っておくが、オレはこの一年の旅路で思考が合理性に寄りすぎている。ややグロテスクな修行法になってもゲロ吐くなよ」
『……っっ!?』
悪魔の脅すような台詞に、二人は“ゾクッ”と悪寒が走る。
いつも眉間にシワを寄せて拳を振るう、少し怖い人。しかし蓋を開ければ、魔女に対して冥福を祈るように拳を振るう、とても優しい人であることが見て取れる。
そんな温和な少年が“厳しめのコース”を選んだせいか。
優しさという遠慮をとっぱらったような、キリっとした面立ちで仁王立つ。
(もしかしたら、この修行……)
(かなりハードなことになるかもしれない……)
ちょっとした後悔を後悔とは思わないように押し隠す二人は、いざ悪魔との強化トレーニングを開始した。
†
冷たいコンクリートの上は雨風を受けて汚い。
それを気にせず座り込む悪魔だが、環いろはと暁美ほむらはハンカチを敷いてその上に座っていた。
「いちいち
『はいっ!』
「まずは“願い事”だ。どういう経緯でキュゥべえに何を願い、なんの固有魔法を持つ魔法少女になったのか。──なにより願い事の内容を一言一句、間違いなく、完璧に教えてくれ。もし間違ったことを教えたら、それだけでこれからのトレーニングが全て失敗すると思え」
『はいっ!!』
環いろはは語る。妹の環ういは生まれた時から病弱で入退院を繰り返していた。ある日なんの前触れもなく緊急手術が執り行われるなど命が危ぶまれる事態があり、そこにキュゥべえが現れた。妹の無事を祈っていた環いろはは、藁にも縋る想いで願った。
願い事の内容は《ういの病気を治して》────
そうして手に入れた魔法は《治癒》だった。
余談だが、先週までその記憶がなく、なぜか環ういの存在を忘れていた。が、それは環いろはに直接の原因があるわけではない。そう悪魔は直感する。
「その治癒は
「いえ……ういに魔法を掛けたことがないので分かりませんが……自分や誰かのケガを治癒魔法で治したことはあります」
暁美ほむらは語るか迷う。どこまで語るか。全てを語ったところで信じてもらえるのだろうかと。長い逡巡。しかし語らねばなるまい。たとえ信じてもらえずとも、鍛えてもらえればそれで良いのだから。鹿目まどかを守るため……巴マミのように強くなるため……暁美ほむらは覚悟を決めた。
暁美ほむらは語る。かいつまんで語る。心臓病が治った暁美ほむらは病院生活が終わり、見滝原市の中学校に転校。魔女に襲われた所を鹿目まどか・巴マミの二人に助けられて魔法少女の世界を知った。やがて超大型の魔女“ワルプルギスの夜”が襲来し、巴マミは死亡。その後、鹿目まどかが弱ったワルプルギスの夜を退治したが、実質的な相討ちで死亡した。そこにキュゥべえが現れて、ただ見ていることしかできなかった無力な自分は願った。
願い事は《鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい》
そうして手に入れた魔法は《時間遡行》《時間停止》だった。
「────まさか、時が巻き戻った? 鹿目まどかと出会う前の時間に?」
「はい……」
驚く環いろはと、愕然と困惑する悪魔。
諸々の考察は後回しにして、完全に後手に回ったことに悪魔は舌打ちする。
「────くそっ! おい、キュゥべえ……!」
「道理で。ボクは暁美ほむらなんていう少女とは契約した覚えがないから、ずっと不思議に思っていたんだ。これで凡人であるはずの鹿目まどかが、なぜあそこまでの魔力係数を有しているのか、その全てが判明してスッキリし────」
悪魔は開匣する。中から出てきたキュゥべえは機能停止。だが今の話は既に全てのインキュベーターに送信されてしまい、情報はつつがなく共有されてしまっただろう。
「えっ……キュゥべえ……?」
「まずい。すまない。今の話をキュゥべえに聞かれた。おそらくキュゥべえは今後、全力で鹿目まどかの魔女化を謀るはずだ」
「────っ!」
「だがそんなことはさせない……絶対に……。それに、ほむらはそもそも、まどかを守るために強くなると決めたんだろう?」
「……! はい、そうです……!」
「なら本気の本気、いや……死ぬ気で取り組まなきゃな」
しかし悪魔は深く重い溜め息をつく。
「……しかし有り得ない。有り得てはならない」
「……はい?」
「そも時間とは人間が作り出した概念だ。宇宙という名の自然法則に“時間”という概念は存在しない。だが、仮に宇宙に知性が存在し、神と呼ばれる存在が居て、時間という概念を認知し、認め、赦し、あるいは────人類の集合無意識たる阿頼耶識のような深淵が魔術基盤として“時間”を認可したとしても、それでも────あくまで“空間移動”という現象に落ち着くはずだ。でなければ、“巻き戻しの負債”が払いきれない……」
悪魔は難しいことをブツブツと話す。
「魔法は奇跡。実在する魔法少女。故に奇跡は存在する。────この三段論法は一般的な魔法少女やインキュベーターの謳い文句、契約に漕ぎ着けるための宣伝だ。“奇跡も魔法もあるんだよ”ってな……しかしオレはその説には懐疑的だ。キュゥべえも本来は懐疑派……というより現実主義と言うべきか」
悪魔は、しっかりと暁美ほむらの眼を見据える。
「ともあれ────オレの持論では“時間魔法は存在しない”というのが……確信的だと決定づけている」
「えっ……でも……私は……」
「仮に近いものがあるとしたら、それは“空間操作魔法”だ」
悪魔は力強い言葉で区切る。
「理屈屋で済まないが、オレも混乱している。超直感が発動するまで
悪魔は説明の中で考察を進める。
おそらく現在どこかのインキュベーターも、同じように暁美ほむらの魔法の原理を追求しているはずだ。
「俯瞰視点で考えてみろ。朝や夜といった時間は、惑星の自転と恒星の公転、すなわち“星の空間移動”で決まる。太陽がオレたちの真上に近付いたから朝が来る。太陽がオレたちの真上から離れたから夜が来る。このことから分かるように、宇宙視点で見れば“時間”なんていう概念は、宇宙進出を果たしていない知的生命体の幼稚な知恵遊びに過ぎないんだ。
悪魔は思索を凝らす。
「……“
そこで悪魔は聞く。
「ほむら。お前、何週目だ」
「……こ、今回で四週目です……」
悪魔はまたブツブツする。
「────まどかの魔力係数が一週目で常人級なら────二週目で二乗され、超人級を軽くすっ飛ばし小宇宙1個分の魔力係数となり────三週目で二乗され、小宇宙飽和分の魔力係数となり────四週目で二乗され、おそらく宇宙1個分の魔力係数となっている────このまま十週近くした場合、あらゆる宇宙を総括する大宇宙となり、まさしく“女神級”の魔力係数を持つに至る可能性が高い、か────」
悪魔は話を戻して問いかける。
「なぁほむら。お前はタイムリープするたび、少しずつ“世界の初期条件”が変化していると実感したことはないか?」
「……! それって、ループするたび“違う流れになる”ってことですよね……? それは
「いや、それもあるが────“初期条件”だ。話を聞くに、初めは病院のベッドで覚醒するんだよな? なら周囲の置物が変化していたりとか────は、あまり気にしたことなかったか……」
「あ、はい……すみません……二週目からは、すぐに病院を飛び出して身支度して、まどかのところに早く行こうと急いでいたので……。あ、でも!」
暁美ほむらは今回の周回について説明する。
「
「それは断言できるのか? たとえば──超直感で読めたから言うが──オレと巴マミが知り合い、とか……」
「それは……すみません。断言できません。今までのループに悪魔さんが居たのかまでは……神浜市という街は、有名な新興都市なので、名前だけは知っていましたけど……」
悪魔はまたもブツブツ言う。
「
「……!」
暁美ほむらは語る。
一週目では、巴マミは戦死。鹿目まどかは相討ち。
二週目では、巴マミは戦死。鹿目まどかと協力して勝利するが、魔力を使いすぎて鹿目まどかは魔女化。
三週目では、巴マミは別の魔女に殺され、鹿目まどかと協力してワルプルギスの夜を倒し、魔女化する前に────命を絶った。
「……英断だな。三週目の時点でも、
「……っ」
暁美ほむらは言えなかった。鹿目まどかにお願いされたとはいえ、自らの手で友の命を絶ったと。
悪魔は追求できず、知らないふりをした。真実を超直感で知り、暁美ほむらの歯噛みに気付いたから。
「────話してくれてありがとう。大体ほむらの事情は分かった。必要なら全面的な協力は惜しまないつもりだ。オレの叛逆魔法を使えば以降の
「そんな……そう言ってくれるだけで嬉しいです……ありがとうございます……」
しかしながら悪魔は先程から、とある“最悪の予想”が頭から離れないでいた。
(……暁美ほむらの《願い》……それから推察するに……もしかしたらその《願い》がある限り……鹿目まどかは《救われない》んじゃないか……?)
しかし今はその仮説を唱える状況ではない。今の目的はトレーニングだ。故に悪魔は“最悪の予想”を脳裏の隅に排して思考を切り上げる。
そして、ある程度の考察を完了した悪魔は、最後に要点をまとめた。
「暁美ほむらの《時間停止》魔法は、厳密に言えば《空間停止》だ。周辺空間を停滞させる能力。そしてタイムリープを可能とする《時間遡行》魔法は、先に説明した通りだ。
悪魔は頭痛がしてきたのか超直感の明滅をこらえる。
そのとき環いろはが純朴そうに問いかけた。
「あの、すみません……私、まったく話が分からなかったんですけど……普通に“時間魔法”じゃダメなんですか?」
今まで暁美ほむらが壮大で大変な旅をしてきたことは理解できた。
しかし悪魔は、なぜそこまで時間魔法の否定にこだわるのか。環いろははそこが気になっていた。
「……いろはは“等価交換の法則”を知ってるか? もし暁美ほむらが本当に“時間”なんていうものを遡っているなら、それはつまり宇宙の履歴を消し飛ばして巻き戻していることになる。そんなことができるのは“神”しか有り得ない。厳密には“神”と呼ばれるほど、膨大で強力な魔力係数を持っている者でなければ不可能なんだ。──しかし時間ではなく、空間情報を操作しているなら、まだ“
その上で聞くが……環いろはは、暁美ほむらが“神様”だと思うか?」
「えっ……か、神様、ですか……?」
「そ、そんな……! 私、そんなすごいものじゃありません……!」
「そうかな? 意外と環いろはのようにシンプルに考えていいのかもしれない。暁美ほむらは“女神”であると」
「……! もしそうだったら、ほむらちゃんは神様になれるくらいスゴイ才能を持っているってことですよね? じゃあ本当にそうだったらスゴイよ! ほむらちゃん!」
「い、いろはちゃん……! 今のはさすがに悪魔さんの冗談だよ……!」
「割と本気なんだが」
†
「さて、途中で脱線したが、本題に戻るぞ。二人の願い事と固有魔法は理解した。これで
キュゥべえの耳をマフラーのように首に巻く悪魔は、死ぬ気の炎を柱に焼き当ててトレーニングメニューを書く。
「といっても全ての情報を網羅するのはオレの頭の中だけで充分だ。でなければ日が暮れる。そこでオレが体系化した“
まず現在の環いろはの
次に現在の暁美ほむらの
下記に
ほか
「モッキュ!」
「リリス……いつの間に。────そうか、お前も“
絶交ルールのウワサ戦の中、知らぬ間に影が薄くなって、とうとう姿を見せなくなったリリスが現れる。
リリスは二人の修行を見に来たのか、悪魔の近くをテトテト歩いて回り、しっぽを振っていた。
「激戦の中で身を守るため、構築効果を使って隠れていたのか?」
「モキュー?」
「単に忘れられていただけ? そうか……まぁ役割がもらえるように頑張れ」
「モキュ~……」
リリスは拗ねたようにうつ伏せとなる。大の字となって不平を漏らしていた。
一方、環いろはと暁美ほむらは戦法の一覧を見て、自分が目指すべき高みを熟考する。
「────あの、悪魔さん! 私は
「────私は、
「なぜそう思った? 特にいろはは一人で魔女を退治しなければいけないだろう。誰をサポートするつもりだ」
「それは……自分自身です! ももこさんの《激励》魔法を見ていて思ったんです。ああやって他人に活力を与える魔法があれば、きっとみんなの役に立てるって……! でもそのためには、まずは自分が強くならなくちゃいけない……だから、つまり……自分にも活力を与えるような魔法が欲しいんです!」
「私は、戦闘用の魔法を持たないから……単身ワルプルギスの夜を倒せるような魔法少女になりたいんです! そのためには火力が……! どんな敵でも倒せるような火力が必要だと思いました! できればミサイルより強い魔法が欲しいです!」
二人の力ある演説を聴いた悪魔は腕を組んで頷く。
「なるほど。高望みしている事は分かった。ではそのような
『────っ! ありがとうございます!!』
やけに熱が入っている二人はお辞儀する。なんにせよやる気があるのは良いことだ。
「では《魔法少女の身体強化プログラム》を始める。戦闘の基本三大能力は“スピード”“パワー”“スタミナ”だ。中でもスピードは攻守において最重要となる
「えっ……」
「いろは。ちょっと跳んで跳ねてみろ」
「は、はい!」
環いろはは常人では有り得ない跳躍力で跳び上がり、空中で回転して着地する。
「次、ほむら」
「えぇ!?」
ほむらはアタフタとして怖がっている。肉体で魔力を強化するという発想自体は、既に巴マミから教えられているだろう。だが長い病院生活で“運動”というものを一度もしたことがない暁美ほむらは、それゆえに“どうすれば動けるのか”が分からないでいた。
「……ほむらちゃん?」
「やはりそうか。ほむらはまず基礎的な運動練習が必要だ。魔法少女になって貧血も無いだろう。キリキリしごくぞ。お前はまだスタート地点にすら立てていない。今まではそれを補うため爆弾や火器を使い始めたのだろう。そういう“賢いやり方”は褒めるべき点ではあるが、今回は“まともなやり方”で行く。基礎から鍛え直すぞ」
「は、はい……!」
悪魔は口頭でトレーニングメニューを提示する。
「よく聞け。
「────っッ!!? は、はいぃっ……!」
暁美ほむらは若干泣きそうな思いで走り始めた。自転車の速さで廃ビルの上階から飛び降り、甲高い悲鳴が遠ざかる。
「さて、いろは」
「は、はいっ!?」
“鬼教官”悪魔……彼は生徒の気持ちが真剣ならば、心を鬼にして生徒の覚悟に応じた試練を課す。
まさに悪魔の名に相応しい家庭教師である。
「いろはの元々の身体能力は上中下でどのくらいだ? 学校の運動会とかで比較するといい」
「えっと……お世辞にも運動がうまいとは言えないレベルなので……“下”で……」
「ほむらが“無”なら、いろはは“下”か。なら聞くが、東京タワーの高さから自由落下しても安全に着地できるか?」
「……はい、たぶん。きっと怖いですけど、なんとか……なるんじゃないでしょうか?」
嘘はない。試したことがないので──そもそも怖いので試したくないが──魔力による身体強化の方法は知っているため、どんな高さからでも安全に着地できる。そんな控えめな自信が感じ取れる。
「ならば、いろはは戦闘の基本三大能力はクリアしているな。スピード・パワー・スタミナは平均的だ。パワーに関しては、魔法少女関係なく、脳のリミッターをカットして身体能力を引き上げる方法もあるが……それは肉体の崩壊を招く。魔力を使えば治癒は可能だが、常時肉体崩壊を治癒しなければならないため効率が悪い。再起不能を覚悟する命懸けの切り札としてなら使えるが、どうする?」
「……どうする、とは……?」
「…………まぁ無理強いはしない。スピードに関しても神経の分野で一家言あるんだが……それはほむらが戻ってきたらでいいだろう。スタミナに関しては魔力がある限り無限だから元から考えなくていい要素だ。しかしスタミナと一口に言っても、心理的な
「……ほむらちゃん……たぶん“スピード”の無茶な特訓で、“
「当然だ。一度に二つを鍛える為に、あんなメニューを提示したんだからな。“パワー”を求めるなら当然、ほかの“スピード”と“スタミナ”も必要になる。ソレを鍛えたいならホカも鍛えなければ真の強さは身につかない。なんらかのプロはプロであるが故に他の道もプロ級の腕前となる。一芸は道に通ずる……というやつだ。基本三種を兼ね備えてこそ、魔法少女としての“プロ”を名乗れるってわけだな。そうなれば他の道も楽勝だ。その点、いろはは平均点以上にしたいとは思わないのか?」
「……私は、その……できれば、実戦的な魔法を……そう! たしか修得魔法って言っていましたよね? それを教えてください!」
「────別に逃げているわけではなさそうだな。避けてはいるが。身体能力は現状で満足していると……分かった。それでは魔法講義に移ろうか」
環いろははホッと胸をなで下ろす。
かくして“講師”悪魔と、“生徒”環いろはの、マンツーマンによる魔法特訓が始まった。
†
遠くで暁美ほむらの悲鳴が聴こえる。かすかに“ドゴッ”“バギィ”という衝撃音や破砕音が響いてくるが、やはり障害物にぶつかっているのだろうか。それでも時速20km以上で走り続けているのだろうか。パルクールについて調べるためスマホを取り出し動画サイトを開くが、そのたびにスマホに目が奪われるため、体が柱にぶつかったり、知らぬ間に床を越えて自由落下していたり……恐ろしい目に遭っているのだろうか。
なるべく環いろはは悲鳴を意識しないよう、目の前の悪魔に集中する。
「環いろはの固有魔法は《治癒》────ならばここから魔法を“派生”させる。そうやって派生させて開発した魔法を“修得魔法”と称する。では、いろは。連想ゲームだ。治癒から連想できる現象は、なんだ?」
「……?」
環いろはは悩む。
「治癒から連想できる……現象?」
「ふむ……そうだな……。まずは魔法開発における考え方を知るべきか。魔法とは認知概念の結晶化。厳密な宇宙の法則とは異なっていても、ある程度の概念を理解していれば現象の再現は可能となる。たとえば飛行機の飛び方のように。あれ、実はなんで飛ぶのか科学的に分かっていないらしいぜ」
嘘だが。
「えっ!? それホントなんですか!?」
「だが飛行機は現に飛んでいる。当たり前のように。誰も疑わず。それは人間が“飛行”という概念を鳥や風に乗ったモノを通して知っていたから再現できたんだ。つまり理屈は100%分からなくても
では例を出す。とある魔法少女がいた。彼女の固有魔法は《幻惑》だった。そこで彼女は、ほかの魔法を開発したいと思い、《幻惑》から連想できる現象を考えた。結果《結界》の魔法を考案した」
「……? 幻惑から……結界に?」
「これは背景を知らないと納得しにくいだろうな。彼女の幻惑は“多少を偽りの空間に閉じ込める”タイプの幻術なんだ。その効果の詳細から“閉じ込める”という概念だけ抜き出して……《結界》を編み出した」
「……! なるほど……つまり私の場合は《治癒》の現象の詳細から、何かしら“別の意味”を見いだせってことなんですね!」
「そういうことだ。理解が早いな。もちろん《治癒》という概念を、別の“類似する持物”に置き換えてもいい」
ちなみに悪魔は、既に一つ閃いている。治癒魔法の使い手は多い。他人を思いやる心があるから少女は願う。「助けて」と。それは怪我や病気であることが多い。そして往々に、そういった魔法少女は攻撃能力が低い場合がある。何か強い魔法が欲しい……そう懇願された悪魔は、いつも一つの閃きを授けるが……彼女たちは優しいが故に、その“戦闘方法”を強く拒む。
(ところで治癒とは“薬”を連想させる。薬は飲みすぎれば“毒”になるという。はてさて……)
悪魔は思考能力を向上させるため、柱に背中を預けて待機する。
「…………。…………う~ん…………」
その間に環いろははウンウンと唸る。
やがて十分が経過した。
「時間切れだ。そこまで思い付かないものか?」
「あ……その、ちょっと難しくて……もう少し時間があれば……何か……って、すみません。悪魔さんを待たせているのに……そんな時間ありませんよね……」
「ならそれは自習として持ち帰れ。今回はオレの案を出そう。治癒魔法の使い手は多く見てきた。断るのは目に見えているが、あくまで参考として提案する」
「……断る?」
悪魔は目を伏せて説く。
「いろは。類語辞典や国語辞典を引っ張ってよく考えてみろ。治癒とはケガを治す意味だ。特にいろはの治癒魔法は、妹の病気を治す願いから来ているため、病気の治療に特化している可能性が高い。では病を治す為に必要なモノとは何か? 言ってみろ。病院にあるものだ」
「……クスリ、ですか?」
「そうだ。治癒はクスリを連想できる。だがクスリには決められた服用量があるな? それを超過したら服用者はどうなると思う?」
「え……そんなことしたら、気分が悪くなったり、下手したら死んじゃいます……!」
「それを単語に置き換えるなら? 蛇やサソリがよく持っているよな」
「……────、まさか……毒、ですか?」
「そうだ。治癒魔法による《過剰治癒》。もしオレの腕に過剰な治癒を掛けた場合、オレの腕は
環いろはは目を見開いて絶句していた。
「……そんな恐ろしい発想は、正直できませんでした……」
「当然だ。いろはの求めている魔法は攻撃ではない。支援なんだからな。さて、今の考え方を参考に、もう少し考えてみろ」
「はい……」
環いろははスマホを開いて辞典を引く。
「どうせなら神話や伝承も調べるといい。“治癒”を使う神や英雄、魔物が居た場合、それを真似てみるのもアリだ。ちなみに魔力の属性性質は知っているか?」
「あ、はい。ももこさんから一応……」
「では自分の得意性質が“活性”である事は理解しているな。それで何ができるか考えてみろ。無理なら魔法開発は切り上げて、下位互換の魔力運用に移る」
「はい……」
「なお全ての魔法少女は無属性の構築性質も有している。それも含めて考えろ」
「はいっ!」
少しションボリとしていた環いろはだが、悪魔からヒントを出されることで何かを閃きつつあるのか、うんうんと唸って頭を悩ませていた。そんな環いろはの心情を直感した悪魔は、環いろはの閃きを促すため、彼女が求めていそうな言葉を選んで呟いてみる。
「戦闘中に何かを服用するなら、丸く球状にしたものが良さそうだな」
「────っ!」
治癒。クスリ。球状……すなわち丸薬。
環いろはの目的は、自分も味方も強くさせる魔法を作ることである。
あまり
「……構築って、物を作ることができるんですよね?」
「そうだな」
「それで丸い物を作って、その中に活性の魔力を込めれば……」
「丸薬が作れるな」
「…………」
しかしそれでは、ただの
「────伝承具現化」
「……へ?」
「魔法の開発とは往々にして、過去の遺物の再現でしかないのかもしれない。固有魔法が発明ならば、修得魔法は開発だろう。空想具現化。人は新しい物を作ることはできない。なぜなら先人が既に作っているからだ」
「…………────」
環いろはは“丸薬”について検索する。
そうしてヒットした“過去の記録”の中で、ひときわ目を引く伝承があった。
「────…………忍者が使っていたと言われる……
「その概念をベースに開発してみるか?」
「……! できるんですか!?」
「さて……それは環いろはの魔力係数次第だ」
環いろははソウルジェムに魔力を込める。引き出すは黄色と藍色の魔力。
「まずは構築で丸い形を作って……その球形の中に活性の魔力を満タンになるまで詰め込めば丸薬になる……そこからさらに治癒魔法を掛ければ……」
「名付けるなら?」
「────《
悪魔は直感する。おそらく現在、環いろはの周囲には因果の糸が多く絡まっている。そして「ようやくか」と言いたげに一息ついた。
「先ほど例に挙げた《幻惑》から《結界》の魔法開発法は、元から魔力係数の高い魔法少女のやり方だ。いろはのように魔力係数が低い魔法少女の場合、単なる魔力運用の領域から逸脱しない……あるいは、やや逸脱している程度の魔法しか開発できない。それは“兵糧丸”という既にある概念をベースにしなければ閃かなかった時点で容易に分かる
「はいっ!」
「……そこで元気よく『はいっ!』と答えるってことは、全然わかってないって証拠だぞ? 試しにオレに《賦活魔法》を掛けてみろ。治癒魔法を掛けるような感じで」
「えっ……でも、まだ上手く構築で球形が作れなくて……」
「そんなもの要らない。そもそも魔法は“願いの力”だろう? 無論、願うだけでなんとかなる世界じゃない。だがそれは物理法則の話だ。宇宙の履歴は異なる。宇宙の意思から認められたのなら、細かい物質主義は無用の長物だ。ほら、いいから騙されたと思って《賦活魔法》を掛けるんだ。隣のリリスでもいいぞ」
「モキュ?」
環いろはは試しにリリスに向かって《賦活魔法》を掛けた。
「モ……モキュ!?」
次の瞬間、リリスの全身が黄色く発光して、漲る体力を発散させるため部屋中を駆け回り始めた。
「えっ……リリス!?」
「モキュモキュモキュモキュモキュモキュモキュ────モッキュウウウウッ!!」
「いい具合じゃないか。魔法開発、お疲れ様」
「えっ────えぇえええええ!?」
環いろはは“わけがわからない”と言いたげに、自分の両手を見つめている。なぜいつの間に《賦活魔法》を使えるようになっていたのか? そこで先ほどの“飛行機の話”を思い出す。
「────百パーセント理屈は分からなくても、作れることはある────」
「ただし最低、五十パーセントは欲しいところだがな」
環いろはは自らに《賦活魔法》を掛ける。
次の瞬間、心身ともに有り余る力が湧き上がってきた。
「す、すごい……! この活力なら、いつも力負けしていた使い魔相手にも勝てます!」
「魔女は?」
「……それは、これでもちょっと火力不足気味ですけど……」
「なら《賦活》を掛けた直後に
「それなら……なんとかなるかもです!」
環いろはは体力が漲って落ち着かないのか、その場でピョンピョンと体を浮かす。
ふわりふわりとなびく魔法衣装。悪魔はスカートの揺れから目を逸らす。
「体を動かしたいなら、少し外を回って発散させてきたらどうだ?」
「あ、はい! そうしますっ!」
「だが、ただ走るんじゃないぞ。賦活前と賦活後の身体能力の違いを把握しろ。空回りを防ぐためだ」
「はいっ!」
環いろはは廃ビルから走って飛び降りる。それに続くリリス。精神力も賦活されているのか、高所からの落下に対する恐怖心がやや薄れているようだ。あとでそれが油断や満身に繋がらないよう注意しなければならない。
「……ったく。魔法少女でもないオレが、どうして魔法少女に魔法を教えているんだか……」
それはこの一年で積み上げた知識の賜物である。
「……
過去の旅路に想いを馳せる。
やがて環いろはとリリスが戻ってきた。
「ふぅ! ひとっぱしりしたら、なんだか爽快な気分です!」
「モキュー!」
「いろは。落下の際、いつもより怖さを感じなかったか? 精神の増長は油断に繋がる。注意しろ」
「あっ……そういえば、たしかに……! あの、忠告ありがとうございます、悪魔さん!」
「モッキュー!」
「それと、おそらく《賦活魔法》は効果が切れるとかなり疲弊するタイプの魔法だ。使いどころに注意だな」
「えっ……?」
賦活効果が切れる。次の瞬間、環いろはとリリスは腰の力が抜けたように、へなへなと座り込んでしまった。
「あ、あれ……? 急に、力が抜けて……」
「モ……モキュ~……?」
「やはりな。通常より身体能力を活性化させるんだ。そのぶん心身の疲弊も増す。全身に魔力を回せばすぐに立ち上がれるが、精神的な疲弊が問題だな。濁りが溜まりやすい。また、全身に魔力を回さなければ復活できない点も濁りの溜まりやすさに一役買っている。まぁその点は活性効果に頼れば少ない魔力で復活できるからプラマイゼロだが……ともあれ、使いすぎには注意ということだ。光属性以外の魔法少女に掛ける場合は最小限で済ませるのが得策だな」
「……! な、なるほど……そこは盲点でした……」
「モキュー?」
全身に黄色い魔力を回した環いろはは全快する。リリスにも活性魔力を回して体力を回復させた。
「さて、そろそろ一時間だが……」
悪魔は腕時計を確認するが、暁美ほむらが帰ってくる気配はない。
「……あの、もしかしたら何かあったんじゃ……様子を見てきます!」
「その必要はない。危険は直感していないからな。命の危機じゃなくても、本人が危機感を覚えていたら伝わってくる。外的要因は直感していない。むしろ邪魔しない方が懸命だ。あと三十分は待つぞ」
「えっ……?」
そこで環いろはは問いかける。
「あの……悪魔さんについて聞いてもいいですか?」
「オレの能力のことか? 超直感は生物の心が読める。生物に対して最適解の答えが出せる……その程度に思っていればいい。ほか、十数個の魔法と死炎技術を有しているが……いちいち説明する気はない」
「…………」
ひとつ知ればさらに知りたくなる。人間は知的好奇心の塊だ。興味のない相手なら、ここまで気になることはないだろう。しかし環いろはは気になっていた。平たく言えば悪魔の素性である。だが聞いても答えてくれないだろう。悪魔は目を閉じて腕を組み“聞くな”オーラが全開なのだから。
「……それじゃあ休憩ですか?」
「休憩しつつ考察だ。いろは、近接武器は持っているか?」
「えっと……短剣ならありますけど……」
「近接戦闘でもクロスボウを使っていたから気になったんだ。なぜ使わない?」
「いえ……特に理由はありません。情けない話ですが、使う余裕がないというか……」
まだクロスボウの戦闘にも熟練していない。それなのにほかの武器まで状況に応じて使い分けるというのは、さすがに難しいものがある。
「では短剣で戦闘したことは一度もないのか?」
「はい……短剣だと、光の矢みたいなものが飛ばせないので……距離を詰められても無理やり矢で攻撃した方が倒しやすいんです。威力もありますし……」
「逆に短剣の威力がなさすぎるんだ。緊急時のサブウェポンと言ったところか。もったいないからそれも鍛えるぞ。短剣を取り出せ」
「えっ……あ、はい……!」
「構えろ。いろはの体に
「は、はい……! よ、よろしくお願いします……っ!」
悪魔の急接近。環いろははナイフを振るおうとするが、反射的に悪魔を傷つけてはいけないと思ったのか手が緩む。直後、見えない速さで胴体に数撃を叩き込まれた。「カハッ!?」体内から全ての酸素が吐き出されて身動きが取れない。そのまま右腕を取られて一本背負いのように床に叩きつけられた。「づっ……!?」
「甘い。やちよレベルの魔法少女ならまだしも、弱小魔法少女がオレに傷をつけられると本気で思っているのか? 遠慮せず首を狙って来い。もし今日中に傷をつけることができたら褒めてやる。仮に大怪我しても治癒魔法がある」
「っ……そ、そうですね……わかりました……もしケガさせてしまったら、すぐに治癒魔法で治します……」
「おい。心配する相手が間違ってるぞ」
「……?」
「自分のケガの方を心配しろ」
間合いを掴ませない足運びで懐に潜り込んだ悪魔は、再び環いろはの右腕を手繰って床に突き倒す。さらに右腕の関節を締め上げて骨を軋ませた。
「づぁああ!? お、折れる……折れます……!」
「だからどうした。そろそろ目潰しを混ぜるぞ。魔力を回せば再生できる。痛覚は切っても構わない。痛みを覚え込ませたところで逆効果だからな。痛みに対する恐怖で動けなくなる。そう考えればほむらと違って半端な気構えだ。なにより始末が悪いのは、その程度の覚悟で妹を助けられると本気で思っているところだな」
「……っ!」
環いろはは、あまり煽られてやる気を出すタイプではない。比較されても落ち込むだけ。基本的に怒ることがない。だが妹のことを持ち出されたら話は別だ。
立ち上がった環いろはは右腕に魔力を回して再生。口の中を切った痛みを我慢して流れる血を拭う。
(……いい眼になった。オレも本気で行くか……弱小魔法少女とはいえ、生物としての規格が異なる以上、決して油断はできないからな────)
それから超近距離の高速格闘戦が始まった。ナイフと素手の攻防。環いろははがむしゃらにナイフを振るい、悪魔は超直感で捌ききる。ふと悪魔は霧の構築でナイフを作成。戦いながら手本を見せることで使い方を学習させた。
†
そうして三十分が経過した。
最後の打撃音が胴体に入り、右腕の骨が折れた音が響く。払い飛ばされたナイフは床を滑り、環いろはの体が床に激突した。
「────ふぅ。最初はどんなナイフの使い方だと思ったが、はじめと比べて格段に動きは良くなった。やはり経験だな。何事も経験が物を言う」
「っ……ハァ、ハァ……! あ、悪魔さん……強い、ですね……! ハァ、ハァ……ホントに、キズ、ひとつも、つけられなくて……!」
体のケガを魔力で再生した環いろはは疲労困憊と言った様子で大量の汗を流す。三十分間ぶっ通しで組み手をしていたのだ。後半からは呼吸も忘れて、ひたすら“いかに攻撃されないか”“執拗に狙われる右腕を折られないか”という立ち回りを意識して攻撃を捌いていた。ナイフを持っている方が有利であるはずなのに、守勢に回らざるを得なかった事実に環いろはは恐れおののく。
「それでいい。守勢でこそクロスボウが輝く」
「……え?」
「あくまで攻撃はクロスボウの役割。だから先を見据えてナイフでの守勢を学ばせた。右腕にクロスボウ、左手にナイフ……そういった攻守一体の戦闘スタイルが、おそらく環いろはの到達点だろう。実際、オレは常に右腕を潰そうと立ち回った。お前は無意識に右腕を庇おうと左手のナイフを使った。
「……!」
「使い魔もバカじゃない。知能の高い魔女とも今後戦闘する機会が出てくるだろう。得物を潰すのは戦闘の常套手段だ。特に中距離支援は接近されたら終わり……だから接近されても身を守れるよう術を学べ」
「……はい」
「最後に助言だ。ナイフだと威力が出ないと言っていたが、魔力を込めれば斬撃の形状をした魔力の刃を飛ばす事は可能だろう。活性の効果で速度も威力も跳ね上がる。使い方によっては飛ぶ斬撃を命中させた相手を癒すことも可能かもしれない。今後の宿題にでもしておけ」
「……っはい!」
やがて暁美ほむらが戻ってくる。
「────」
「……」
しかし、その無残極まる姿を見た環いろはは絶句し、悪魔は少し胸が痛くなった。
「も……もどり、ましたぁ~……」
乱れた髪。解けた三つ編み。割れたメガネ。破片が左目に刺さったのか血痕が残っている。廃墟街には鋭い植物や木々も生えている。そういったモノに引っかかった魔法衣装は裂けて破けて切り傷から赤い血を流していた。腕も脚も擦り傷に切り傷だらけ。額にはたんこぶができており、何度も頭をぶつけただろうことが容易に想像できる。
「ほ、ほむらちゃん!」
すぐに治癒魔法を掛けて全身の大怪我を治す。
魔法衣装も元通りになり、暁美ほむらは全身の苦しい痛みからついに解放されて安堵する。
「ふわぁ……ありがとう、いろはちゃん……もう、ほんと……地獄かと思った……」
「分かる。オレも通った道だ」
「えっ悪魔さん!?」
「……? もしかして、悪魔さんも、こんなことを……?」
「あぁ。オレは初めから何もかもがダメダメだったからな。修行には文字通り命を懸けた。だが達成した。お前もそうだ。それほどの執念が、オレたちには有るということだ」
暁美ほむらの体を支えて、環いろはが立ち上がりを補助する。
「で、でも……三十分もオーバーしちゃいました……」
「理由は分かってる。一時間が経過した段階では課題をクリアできないと思って、自分が納得できるレベルに至るまでパルクールを繰り返したんだろう。────走る・跳ぶ・登る……飛び移る・飛び降りる・回転して受け身を取る……。一定の速度を出しつつ止まることができない状況化では、弱音を吐いて泣いている暇はない。危機に直面するたび思考は高速回転し、どんどん世界は緩やかに流れていく。その中で稼げた思考時間を如何に効率的に使うか。勇気を以て飛び込み、常に冷静さを忘れず、秒ごとに決断力を磨いて、堅実な運動方法を培った。呼吸の使い方も自然とマスターしたはずだ。────さて、それでは見せてもらおうか」
「……!」
環いろはは回復したばかりなのだからと止めようとするが、悪魔はそれを視線だけで制し、暁美ほむらは一人で歩き出す。
「────ふぅ……行きますっ!」
暁美ほむらは跳躍した。そこに恐怖はない。空中で身をひねって回転し着地────
「きゃっ!?」
────と思いきや、やや回転しすぎて床に体を打ってしまった。尻餅を搗いてぶつけた後頭部を撫でる。
「……課題は失敗だな」
「────っ!!」
「あの、待ってください悪魔さん! ほむらちゃんは、まだ体力が回復してなくて……!」
「言い訳は不要だ。ベストコンディションではないから許せと? 戦闘が始まればコンディションなど秒速で崩れていく。故に
暁美ほむらは俯いたまま悪魔の下に足を運ぶ。まさか叱られるのだろうか。
「ほむら。今の跳躍、着地できないと分かっていたか?」
「…………はい」
「よし合格」
────。
数瞬の沈黙が流れる。
「えっ……」
「無理なものは無理。それが判断できる状態になれば無茶をすることはなくなる。生存とは限界を知ることだ。限界を知るから無茶をせず生き残ることができる。つまり大事なのは
「……はい」
暁美ほむらは跳躍して前転し、着地。
新体操の選手のように両手を広げて衝撃を吸収し、バランスを取って面を上げる。
「ふむ。ひねりを加えた宙返りは難しいが、前方宙返りなら可能か……落第点だ」
「及第点じゃなかった!?」
「モッキュ!?」
環いろはのツッコミ。リリスは「厳しすぎない!?」と言いたげに鳴く。
「さて、それでは本題に入ろう。実はほむらがこのアクロバットな課題をクリアできないのは分かっていた。逆に出来ていたらスゴイ努力だと褒めちぎりたいレベルだよ」
「えっ……」
「ど、どういうことですか?」
悪魔は説明する。
「暁美ほむらは運動神経が悪い。ということだ」
「運動神経……つまり、私には運動する才能がない……ってことですか……」
「全く違う。そもそも運動神経と才能に因果関係はない。この場合の“運動神経”とは
「神経系って……解剖学の話ですか?」
悪魔は頷く。
「運動に必要な情報を演算する感覚神経は確かに先天的なモノが多いだろう。その才能は不足していると言える。だが運動するため筋肉に信号を伝える運動神経の発達は後天的なモノだ。ほむらの神経系は“健常者”という意味なら特に問題はない。しかし長年の入院生活。運動神経を発達させる運動をしてこなかったツケがここで回ってきた。だが悲観することはない。取り返すことは可能だ。なぜなら先天的な要素が強い感覚神経とは異なり、運動神経は後天的に鍛え上げることが前提の神経なのだから」
「じゃあ……運動神経を鍛えれば……? でも今やったパルクールが、その鍛えることなんじゃ……」
「その通り。運動神経を鍛える為には地道な反復練習しかない。長い長い時間が掛かる。努力の研鑽とはそういうものだ。しかも運動神経を鍛えたところで、感覚神経が不足していれば、ボールをゴールに入れることもできやしない。とある発明家の言葉を借りて言い換えるなら……“99の努力は、1の才能がなければ、真の天才には届かない”……と言うべきか」
暁美ほむらは俯いてしまう。それなら鍛える意味なんか無いんじゃないかと。
その思いを直感した悪魔は、諦めるのが早すぎると笑って言った。
「しかし忘れてないか? ここはスポーツ漫画の世界じゃない。“魔力”という汎用性抜群のエネルギーが存在する世界だ」
「……?」
悪魔はもったいつけて話す。それは暁美ほむらの心情を直感して、次に話す内容でショックを受けないか見抜くためである。そしてそのような心配はないと分かった悪魔は、ややグロッキーな秘策を明かした。
「今日から暁美ほむらの神経系は生まれ変わる。まず神経の接続効率が悪い部分を切断し、接続効率の良い部分に繋ぎ直せ。つまりは
「────えっ……」
「人体の神経系の図解を用意した。送信する。ちなみに、やり方は簡単だ。まず痛覚を遮断。全身に魔力を浸透させて神経系の善し悪しを精査。魔力で神経を切って繋ぎ、運動能力の優れた体に造り変える。以上だ」
「ちょ、ちょっと待ってください! それってつまり……“身体改造”ってことですよね!?」
「既に魔法少女なんだ。肉体なんかゾンビみたいなものだろう」
「────ッ!!」
そこで環いろはが傷ついた心で口にした。
「そんな言い方は……」
「すまないが今は鬼教官だ。オレは事実しか口にしない。嫌なら魔法少女を辞めるんだな。もはや人間とは異なる存在になってしまったことを理解しろ。だからこその
────無力な人間。もうそれには戻りたくない。だから願った。まどかを守れる力が欲しいと。
「……やります」
「よろしい。まかり間違ってヤバイ神経を切って繋いで体の動きがおかしくなっても安心しろ。落ち着いて魔力を流せば元に戻る。肉体再生の方法と一緒だ。それでもテンパってどうにもならなくなったらオレの《施術魔法》で元に戻すから思う存分いじくれ。ちなみに神経系の精査は分析性質が一番だ。どうする? オレが全部やるか、一人で全部やるか。今後もループするなら神経系の再接続の方法は自分でやって学んだ方がいいと思うが……」
「一人でやります」
暁美ほむらは落ち着いた場所に移動してスマホ画面を開き、神経系の見取り図をもとに魔力を操り始めた。
「…………」
「心配か? いろは」
「……はい。でも、それより……まさか悪魔さんも、神経系の再接続というのを……やったことがあるんですか?」
「まぁな。だが身体能力の向上は見込めなかった。超直感で感覚神経の不足分は完璧に補えるからな。おかげで
そこで悪魔は思案する。
「いろは、休憩したいか?」
「え? あ、はい……できれば……もうクタクタで……」
「では隼人が来るまで休憩する。オレはほむらを手伝ってくる。一人なら数日……いや、学があるほむらなら半日は掛かるだろうが、経験者のオレがいれば十数分で終わるはずだ」
「それは……早いですね……」
悪魔は暁美ほむらの下に行く。
環いろははなるべくキレイな床に座って一息つく。
「ほむら。分からないことはあるか?」
「えっと……解剖学については、病院で本を読んでいてかじったことがあるんですけど……二つの神経は《これら》でいいんですか……? ……って、すみません……言っても分からないですよね……」
「そんなことはない。肩に触れるぞ。オレも分析性質の死ぬ気の炎で精査する」
悪魔は目を閉じ、暁美ほむらの肩に触れて、嵐の炎の熟練性質たる分析効果を浸透させる。暁美ほむらの体内、内臓と骨格、神経系。その中で運動神経と感覚神経のみ紫色のオーラが覆っていた。
「────間違っていない。善し悪しは分かるか?」
「……なんとなく……」
「では繋ぎ直せ。そもそもやってみなければ良くなったかどうか分からないんだ。こればかりは挑戦あるのみ」
暁美ほむらは神経を切って繋ぐを繰り返す。そのたび肉体が一瞬痙攣するが、痛覚は遮断しているため痛みはない。
「あっ……」
暁美ほむらの体が突然倒れる。それを悪魔が抱き止めた。
「間違って余計な神経を切ったな。脊髄か? ゆっくり戻せ。焦る必要はない。オレがいる」
「…………」
暁美ほむらは目をつむり、魔力による肉体再生で乱れた神経を初期化。再挑戦する。
†
そうして十分が経過しただろうか。ありとあらゆる神経を切って繋いだ暁美ほむらは、全ての神経が“最適解”の位置効率にあることを確信して全身、その指先までを確認するように動かす。
「調子はどうだ? 気分が悪いならやり残しがある証拠だ。油断するな。反対に気分が良すぎてもいけない。危険な神経を誤った方法で再接続している証拠だ。何も変わらないのが正解だ」
「……特に、変わりありません……」
「ではムーンサルトでもなんでも決めてみろ。ひねりを加えた宙返りだ。二回転してもいいぞ。やってみろ」
立ち上がった暁美ほむらは、いざ跳躍。空中で身をひねって回転。見事な着地を決めた。
「……!!?」
「すごい! ほむらちゃん!」
「よくやった。しかし勘違いするなよ。神経系の再接続は、あくまで努力の吸収率を上げる為の身体改造だ。神経を繋ぎ直したから身体能力が向上したわけではない。────ゲームで例えるなら、ほむらはパルクールで百の経験値を手に入れたとする。だがそのうち肉体が吸収したのは二十程度の経験値だ。残り八十は無駄になった。これは神経系の先天的な接続効率の悪さが原因だ。それを直した結果、先ほど取り逃した八十の経験値を、まぁ三十ほどは吸収したんじゃないか? つまりは合計、五十の経験値を獲得してレベルアップってわけだ」
「なるほど……食事の栄養摂取の効率配分みたいなものですね……食後に飲む栄養剤の方が吸収率が高いとか……」
「まさしくそれだ。ほむらは神経系の再接続により、パルクールという栄養を普段より多く吸収できた。……努力なくして進化はない。パルクールあってこその身体改造だと知れ」
「はい!」
その時、悪魔の赤いハーフソウルリングが明滅した。
青い閃光が発生し、一人の魔法少女が頭を低くして降り立つ。
「お待たせしました十代目ぇ! こちら、弾薬箱の大量セットと各種銃器、バルーン製の動く的を取り揃えております! 加えて命令にはありませんでしたが、訓練とのことでしたのでスポーツドリンクをご用意しました! 要らなければすぐに下げますっ!」
「ありがとう、隼人。急なお願いだったのによくやってくれたな」
「……っ!! いえ! もったいなきお言葉! では何かありましたらまた! オレはいつでも十代目の為に動けますので!!」
「じゃあとりあえずその呼び方はやめような」
「えっ……アッ!!? も、申し訳ございませんでしたっ!! 悪魔様!」
床に額を打ち付けて謝った銀髪の強面少女は青い閃光と共に消え去った。
今の人はなんだったのかと環いろはと暁美ほむらは呆然とする。
「オレの友達なんだ。見た目は怖いけど……まぁ、うん。ちょっと怖い奴だよ」
(その紹介だと怖いことしか分からない……)
(良いところが思いつかなかったのかな……)
暁美ほむらと環いろはは内心でツッコミを入れる。
「いや、別に隼人にいいところがないわけじゃないんだ。オレからしたら頼れる奴なんだが……いかんせんオレ以外の奴には噛み付くからなぁ……他人から見たら忠義の狂犬……ってところか」
(余計怖いところしかない……)
(飼い主以外には吠えるワンチャンみたいなものなのかな……?)
ともあれ道具は揃った。休憩は終了。暁美ほむらも身体改造により課題をクリアした。
「それではこれより射撃訓練に取り掛かる。スポーツドリンクで喉の渇きを癒せ」
『────はいっ!!』
喉がカラカラだったのか、暁美ほむらと環いろははゴクゴクとスポーツドリンクを飲み干す。
それを眺めるリリスは、ふと宙を飛ぶ蝶々が気になって追いかけていった。
「ほむらは銃器での訓練で動く的を狙え。神経矯正により感覚神経が向上しているはずだから、普段より上達の具合が早いはずだ。もし鼻血が出たら矯正した神経に脳内処理が追いついていない証拠だから一旦休め。すぐに脳は慣れる。頭痛がしたら甘いものを舐めろ。今回はスポーツドリンクがあるからそれをちびちびと飲め。
いろははクロスボウでの訓練で対面に見える廃ビルの柱を狙え。屋根が滑り落ちて地上に落下したら罰を与える。同時に複数の柱を撃つなどして綺麗に屋根を床に接着させろ。要するにジェンガだ。板が乗っているジェンガ。同時に複数本抜いてもいいジェンガだと思え。ちなみに罰はバックドロップだ。
────そら、はじめ!」
立て続けに鳴り響く銃声と光矢の速射音。
拳銃で動く的を撃ち抜く暁美ほむらの命中率は50%台。だがみるみると上達していき、命中率は80%台を維持していく。
対する環いろはは一発の光矢では柱を削りきれず、賦活魔法を行使して柱を消し飛ばす。最後に四隅に四本の柱を残し、立て続けに光矢を撃ち放つ。消し飛ばされる四本の柱。だが最後の一柱の排除が遅く、落下する屋根は傾いていた。床と激突。撃砕。破砕音を立てて滑り落ちるように、屋根だった瓦礫の山は地表に落下していった。しばらく地響きが鳴り渡り、灰色の粉塵が広がる。それは風に乗って緩やかに流れていった。
「…………あの、悪魔さ────」
“ゴンッ”……と鈍い音が残響する。
それを視界端に捉えていた暁美ほむらの命中率が70%台に低下した。
「甘えるな。今のは同時に四本の光矢を撃てば成功したはずだ。連射で微調整が間に合うと思うな。やるなら同時に四本の柱を消し飛ばせ。ほぼ同時ではない。“完全に同時に”だ」
「うぅっ……は、はいぃっ……!」
「条件を追加する。常に“二本以上の矢を同時に射る”こと。できるな? やれ。無理なら慣れろ。あと的が遠くて見えにくいなら、魔力で視力を増強しろ。活性効果のある魔力なら微量で千里先を見通せる」
「はいっ……!」
思い返せば鹿目まどかは同時に三本以上の矢を射っていた。それを考えれば二本くらい同時に撃てなければ話にならない。そう環いろはは納得して取り組む。だが一つのクロスボウから同時に複数の矢を射るというのは中々に難しい。単純に影矢の要領で矢を重ねれば良いのだろうが、そうすると射程距離と命中精度が格段に低下する。どうにかしてその問題を解決しなくてはならない。そこで環いろはは、普段より多めの魔力量で光矢を生成。二本を同時射出した。
二つの柱を消し飛ばす。距離・精度・威力ともに申し分ない。だがキツイ。この調子で光矢を射撃していたら魔力が持たない。
「それは仕方ない。そもそもの魔力出力が低いのだから。賦活魔法を手に入れた時点で魔女は倒せるだろう。あとはグリーフシードを集めて調整屋に魔力出力の開放を依頼すれば、今この問題は解決する。だが次に三本の同時射出を強いられたらどうする? 要するに限界を超える術を学べ。だがそれは死と隣り合わせだ。ソウルジェムが激しく振動したら諦めて中止しろ。ギリギリを攻めるんだ。どこまでが危険か把握した上で、どうすれば目的を達成できるのか。思考力を身に付けろ」
「……はい!」
悪魔は暁美ほむらの背後に回る。
「ほむら。なぜ普通の弾丸で動く的を狙っている」
「……え?」
「弾丸に魔力を込めろ。射撃練習だからと言ってサボるな。実戦の方が多くの弾を使うんだ。今のうちに慣れておけ」
「は、はい!」
弾丸に魔力を込める。すると破壊力が倍増する。全弾を撃ちきってリロード。
そこで悪魔がおかしなことを言った。
「ほむら。なぜわざわざ弾倉をカラにする」
「……へ?」
「お前の魔力属性の性質はなんだ。答えてみろ」
「……ぞ、増殖……です……」
「ならば使用する弾丸は一発で充分だろう。増殖効果によってオリジナルの弾丸を複製するんだ。実弾が尽きたらどうするつもりだ」
「……!? で、でも……!」
暁美ほむらは知っている。弾丸に増殖魔力を込めても、出来上がるのは巨大化した弾丸だ。
「その認識は半分間違っている。いや、半分足りないと言うべきか。実は増殖効果には二種類の現象が存在する。拡大タイプと増量タイプだ。前者は体積の増殖、後者は数量の増殖。前者ならば弾丸は巨大化するが、後者ならば弾丸は数を増やす。やってみろ。コツは意識してやることと、魔力の篭め具合だ」
「……!」
暁美ほむらは手に持った弾丸を意識して増やそうと思い、魔力を一気に多量と篭める。すると弾丸は二つ、四つ、八つと増えて行き、すぐに四十個近くまで増殖した。そのために多くの魔力を使用してしまったが、調整すれば任意の数まで増やせると気付く。
「実弾を使うか魔弾を使うかは状況に応じて判断しろ。前者なら魔力の節約。後者なら弾切れに見せかけた
「は、はい……!」
最後に悪魔は匣兵器を開匣。銃声がうるさいのか防音替わりにヘッドフォンを装着して、大声で叫んだ。
「これを昼まで続けること! 正午のアラームをセットしておく! 休まず撃ち続けろ!」
『────はいっ!』
「ソウルジェムの穢れが半分溜まったら一旦やめて戻ってこい! 完全浄化する!」
『────はいっ!!』
全ての柱が同時に消し飛ばされて、落下する屋根は床と接着。その衝撃で一階層分が砕かれてぺしゃんことなるが、屋根が地上に滑り落ちることはなかった。環いろはは安堵する。
暁美ほむらは弾丸の増殖によって、リロード不要の無限射撃を続けていた。ある程度の熟練が得られたと判断したら拳銃からサブマシンガンに乗り換えて無限射撃を再開。あらゆる銃器の命中率を底上げしていく。
かくして時は流れていき、太陽は青空の真上に昇りつつあった────
†