アクマレコード 魔法少女ヒットマンDIAVOLO! 作:形のない者
────狂人とは、理性を失った人のことではない。狂人とは、理性以外のあらゆるものを失った人のことである。(G・K・チェスタトン)
狂合表裏、気理一体。狂気と合理は表裏一体。もしも、あらゆる欲望を律する聖職者が在れば、彼は完璧な理性という称号のほかに狂人という評価も与えられる事になるだろう。憤怒に
────狂気を生むのは実は理性なのである。(G・K・チェスタトン)
故に無明の少年は智慧を凝らし、その迷いから脱却しようと奔走する。自らの首に縄が掛かっており徐々に締め上げられていることにすら気付かぬまま。その息苦しさの正体がなんであるかを指摘できる存在が、己ではない他者なのだということにすら気付かず。
どうして迷い人は
いま、自分の首に縄は掛かっているか? それを訊き忘れる
星月夜の微睡む深淵にてセイレーンの歌を聴く少年は、永劫として醒めることのない愛と闘争に囚われる。
彼の名は沢田綱吉。良心の呵責から悪魔と名乗る人間。力と愛と思慮のある、善きも悪しき
…
早朝。南凪区。青い海が望めるホテルの一室にて。
キングサイズのベッドを三つ連結した大幅の寝台。壁から窓まで敷き詰められた布団は柔らかく、多くの体重で中のマットが深まっている。黒いローブを羽織った十人の少女。その健やかな寝息を耳元に吹かれながら、悪魔は居た堪れない心地で身を起こした。
「…………」
激しい頭痛がして眉間を歪ませた悪魔は側頭部を押さえつける。指のつま先でグリグリとツボを貫くように痛めつける。悪魔契約魔法を十回も連続行使したのだ。その代償は計り知れない。おかげで小一時間ほど気絶していたようだ。契約完了後の未明頃、少女たちが眠っている間、独り外に出て襲い来る魔女軍団や自然災害を蹴散らし、既に十人分の負債は完済した。その疲れが出たのか寝室に戻った途端、突として倒れてしまったようだ。魔力発作の前兆なのか、徐々に体温が上昇している。そろそろ少女たちを起こして速やかに帰らせなければ、悪魔の体は対象の
「…………」
朝だぞ。起きろ。目を覚ませ。────そんな言葉が吐き出せない。喉が渇ききって声が絞り出せない。悪魔は寝台から降りてテレビのリモコンを手に取ると、堅い机の上をけたたましく打ってたたき起こした。
「……もう帰れ」
ようやく絞り出せた声は掠れており、風邪でも引いたのか声が裏返っていた。加えて無理に発声した所為かゴホゴホと咳き込む。
一方、覚醒した少女たちは赤らみつつ、互いに素顔を見せないよう、黒いローブを着たまま器用にパンツとスカートを履いて着替えを済ませていた。そして自らの体をまじまじと眺めて驚嘆する。
「……本当に────普通の女の子に、戻ってる……」
「や、やった……これで、もう魔女と戦わなくていいんだ……」
「首筋に“悪魔の口づけ”……これで魔女には襲われなくなる……」
悪魔は洗面所に向かうとシャワールームに閉じこもる。バタンとドアが閉まり、ガチャリと施錠される。その音に気が付いた元・黒羽根にして元・魔法少女の娘たちは、揃ってドアの前に集まり、扉越しに万感の想いを告げる。
「あ、あの! ありがとう、ございました……あなたは私の命の恩人です……! 本当に、なんとお礼を言えば良いのやら……」
「あの、私、実家がレストランなんです。もしよければ来てください……! 私、コックさんになるのが夢で……魔法少女をやめたことで、これで調理の専門学校に行けます……本当に感謝しています……」
悪魔はシャワーの音を流す。それを聞いた少女たちは、最後にもう一度感謝の言葉を告げて、一人また一人とホテルの一室を出て行った。
壁を殴るような音。シャワーから撒かれる水が頭に当たったのか激しく水を散らす音。スマホのバイブレーション。シャワーの音が止む。悪魔は通話に出た。
「もしもし?」
『あの、先日お話した黒羽根です……あなたが仰っていた懸念について、充分な回答を用意できたので相談したいのですが、今よろしいでしょうか?』
「構わない」
通話相手の黒羽根は、地元でほかの魔法少女に顔が割れている娘である。もし悪魔契約を交わして普通の少女に戻り、そのまま地元に帰れば、どうして魔法少女を辞めたのか、どうやって魔法少女を辞めることができたのか、色々と問いただされるだろう。その後、魔法少女の世界から逃げた者として蔑まれる可能性がある。魔法界からドロップアウトした者と分かれば、最悪魔法少女からのいじめや奴隷扱いが懸念される。その実例は今まで多く見てきた。皆が皆、仲良しこよしとはいかないのだ。
「────という内容なんですが、これならどうでしょうか? 特に問題なくみんなは受け入れてくれると思うんですけど……」
「なるほど。その方針ならオレの懸念は杞憂に終わるかもな。それでも問題があれば連絡しろ。相手が悪魔契約を希望するなら、それでも構わない。オレのもとに寄越せ。ただし不必要に言いふらすのは無しだ」
『分かりました。ありがとうございます。……では、悪魔契約の日時は……?』
「追って連絡する」
悪魔は通話を切る。再びシャワーを浴びる音。
悪魔が神浜市に訪れて一ヶ月が過ぎ去った。その間、悪魔は暇を見つけてはこうして黒羽根との悪魔契約を繰り返している。既に百件は済ませただろうか。今日だけでも百五十件に届きそうだ。絶交ルールのウワサの後も、口寄せ神社のウワサの後も、空白の数日や空白の二週間は、大体、大勢の黒羽根との悪魔契約で忙しかった時期である。
そして悪魔契約を交わした魔法少女たちは、いずれも“かなりどうでもいい願い”を叶えてしまった子が多かった。魔女との戦いすら知らされず契約した子。魔女化を知らされず、それとは釣り合わぬ願いで契約した子。様々な“二つ返事の少女たち”を目にしてきた。
そうして百人以上の黒羽根を脱退させたために、悪魔はマギウスから目をつけられたのだろう。相手の戦力を削ぐ行為は兵法の常道だが、悪魔は単に彼女たちを助けるために契約しただけである。しかしマギウスにとってそんな都合は関係ない。ただの敵対行動にしか映らないのは至極当然である。
「あと悪魔サマ。これはとても興味本位な詮索なのですが、この一夜で何Pしたのでございましょう? 付け加えて、どうやって? 情報では一夜のうちに二十人弱の黒羽根が一度に脱退した報告もあります。それはもうさすがに性豪が過ぎるのでは?」
「……いきなり現れて何を聞くんだお前は」
忽然とシャワールームのドアの前に現れたミザリー立会人のウワサ。目的は不明。
「いえ。七瀬ゆきかサマが“学校には付いて来なくてもいい”と言うものですから。もう暇で暇で」
「なら万年桜の所に行ったらどうだ。お前ら友達なんだろ」
「ですが彼女はなんと言いますか、あまりにもゲームが弱すぎるので。彼女ゲームへの興味も薄いですし……共通の趣味がないんですよね」
「だからってオレの所に来られても困る。さっさと帰ってくれ。魔力を喰われて死にたいか?」
「ホッホー! そうでした。たしか魔力発作という病ですね。では即刻退散をば」
忽然とミザリー立会人は消え去る。
悪魔は溜め息をつくと────バタンと大きなものが倒れた。流しっぱなしのシャワーは、浴槽ではない何かを叩いて水をはじき、しぶきを上げる。
魔力を使いすぎた所為で気絶したのだろう。魔力発作である。魔力を求めようともシャワールームの中にそんなものはない。よって悪魔は、自らを閉じ込めた部屋の中で、ただただ苦痛に悶絶し、ひたすら高熱を出して、空気中の魔力を必死に掻き集める。その後ある程度回復すれば覚醒するが、それまで長い時間が掛かる。大抵の魔法行使なら数時間から十数時間で済むが、膨大な魔力を消費する悪魔契約の連続行使は一日中その目を覚まさない事が多い。
かくして悪魔は悶絶必至の昏睡状態に陥る。誰かが魔力を分けなければ、決して覚めることがない地獄の眠り。深き海の底の底まで、彼の意識は沈み込んでいった。そしてそれは、どれだけ超直感が昂ろうと、極まった疲れは彼の覚醒を絶対に許さないであろう。
†
早朝の見滝原市・通学路にて。
登校中、美樹さやかは暗い表情で歩き、鹿目まどかと合流した。そこで
その話を聞いた鹿目まどかは、すぐに神浜市に滞在する暁美ほむらに連絡した。
†
同時刻。早朝のみかづき荘にて。
険しい表情でスマホを耳に当てる暁美ほむらは何度も相槌を打つ。
「うん……うん……分かった。ありがとう。すぐに向かう。その間まどかは美樹さんと一緒に居て。またその危ない人が来ないとも限らないし。……うん。みかづき荘のみんなにも報告する。じゃ、またね」
暁美ほむらは通話を切ると一階に降りて報告する。同時に環いろはのスマホにも鹿目まどかのメールが届き、同様の注意喚起が記されていた。そうして二人の報告を聞いたみかづき荘の面々は十人十色の反応を示す。だが総じて危機意識は持っていた。
七海やちよは「穏やかじゃないわね」と身構え、環いろはは「でもなんで殺そうとするんでしょう?」と首をかしげる。
そこで黒江が思い出した。
「あ、そういえば昨日……調整屋でみたまさんから“キリサキさん”という魔法界隈のうわさが、神浜市でも流行り始めたって話を聞きました。“灰色のコートを着た魔法少女が、ほかの魔法少女をバラバラに切り裂いた瞬間を見た”っていう怖いうわさです……」
七海やちよは思う。そのうわさの内容は、美樹さやかを襲った魔法少女の特徴と似ていると。
「調整屋は多くの魔法少女が集う場所。それはつまり、うわさが最短で到達する場所でもある。どうやらキリサキさんのうわさはごく最近に発生したうわさのようね。最悪一日かも」
「一日って……まさか、そのうわさの始まりが
「それは分からないけど、とりあえず警戒しておきましょう。各自二人以上で行動するように。ミネルヴァの時からそれは徹底させているけど、不審だと感じたらとにかく逃げること。分かったわね」
みかづき荘の面々は了解する。
そうして朝の支度が始まり、それぞれ登校を始めた。
†
同時刻。新西区の通学路から外れたビルの屋上にて。魔女結界のゲートが消滅する。空間位相が戻されて屋上に降り立つは二人の魔法少女。白髪青目に天使のような純白の衣を纏う五十鈴れんと、灰色のコートを翻す天乃鈴音。
「っ……ぁ、ぁの、一緒に戦ってくれて、その……あ、ありがとう、ございます……」
「いえ。当然のことをしたまでよ」
五十鈴れんは(恐縮です……っ)と、ほぼ声にならない声で呟き、丁寧にお辞儀して振り返った。同時、突として背中が激烈と熱くなり、自分の胸元から炎のような剣が突き出ている異物を、ただ茫然と見下ろした。それは刀身。赤い筋が血のように滴ってくる。それを遡るように明滅する視線を動かすと、刃先には青いソウルジェムが突き刺さっていた。それは一拍の後、硝子が割れるように音を立てて粉砕する。青い瞳は色を失い、最期に燃え上がる赤燈の炎を見た。刀身が引き抜かれる。魔力で編まれた衣装が、絹のように美しい灰色の髪が、滑らかな皮膚が、柔らかい筋肉が、細い骨が、黒焦げになるまで焼かれていく。
「《
それは、もえこがるやいば。強化した
またたく間に身元判別不能の焼死体が出来上がる。
身長と下半身を確認すれば、かろうじて性別は分かる程度の黒い死体だ。
「これで神浜市に来てから50人目。たった数時間で大漁ね」
天乃鈴音は周囲を警戒し、五十鈴れんのソウルジェムのカケラを回収すると、すぐにその場から離れる。
(しかし五十鈴れん以外は黒いローブを着た子しか居なかった。あのファッション流行ってるの? この街の魔法少女で流行しているとか……ではないか。おそらく魔法少女としての弱さから見て、弱いなりに徒党を組んで生き残ろうとしている連中だろう。となるとかなり大きな組織だ。少し殺しすぎたから狙われるだろう。
未明頃に北西方面から神浜市に訪れた天乃鈴音は、この数時間でウワサを守る黒羽根の守護者を7チーム潰していた。1チームにつき魔力の七属性に対応した7人が配属されているため、合計49人を
(それにしても魔法少女が多い。いや、多すぎる……なんなの? この街……まさか本当に関東全域から魔法少女が集まっているとでも? なぜ……)
疑問は尽きないが、それは差して問題ではない。やるべきことは名前を聞いて殺すこと。
天乃鈴音は陽炎のように周囲の空気を熱し、光を屈折させると、その身を揺らめかせて姿を掻き消した。
†